呉鎮守府より   作:流星彗

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提督

 ラバウル基地へと戻った凪達は艦娘達を休ませ、美空大将へと報告しに向かった。

 指揮艦の中で入渠させ、基地の施設での休息。夜通し行われた作戦に彼女達の疲れもたまっているだろう。

 それは凪達も同じだろうが、実際に戦ったのは彼女達だ。深山に用意してもらった部屋で眠っていることだろう。

 深山の執務室で通信を行うと、しばらく経って画面の向こうに美空大将が映り込む。

 

『珍しいところから来たと思ったら、なるほど、貴様達か。そうして並んでいるという事は、良い報告が聞けそうね?』

「はっ。本日、ソロモン海域の平定に成功いたしましたこと、ご報告いたします」

 

 ガダルカナル島の飛行場姫、武蔵を模した戦艦棲姫の撃破。

 これによりソロモン海域に広がっていた深海棲艦の力が及んでいる証である赤い海はなくなった。

 あの後健在な艦娘と共にしばらく警邏を行ったが、深海棲艦が現れる気配はなかった。

 潜水艦娘らによる海の下の様子を探らせることもしたが、敵が浮上してくる様子もない。そして敵の本拠地と思われる場所も発見できなかった。

 可能ならば発見しておきたかったが、今回は運がなかったと諦めることにする。

 今回の戦いにおける消耗が凪達にとっても大きかったのがいただけない。夜通し戦ったというのもあるが、多くの艦娘が中、大破に追い込まれ、東地に至っては指揮艦襲撃も受けてしまった。

 轟沈がなかったという時点で運が良かったといってもいい。一歩間違えれば、凪達の中から轟沈してしまった艦娘がいただろう。

 飛行場姫との戦いにおける金剛達。

 戦艦棲姫との戦いにおける神通達。

 ラバウル艦隊も足止めによる消耗もあった。佐世保艦隊はあくまでも呉艦隊やラバウル艦隊を支援し続けた、というだけに留まったので、それほどの消耗はなかったが、しかし艦娘達にとっては厳しい戦いだったろう。このような異質な空気を漂わせる海での戦いは、精神的な消耗があったに違いない。

 それだけ、誰にとっても悲劇は訪れた可能性があっただけに、あの後長い時間あの海に留まり続けるのは避けたかった。

 何があったかを美空大将に報告すると、彼女は何度か頷きながら煙管を吹かせる。

 

「……良く、無事に帰ってきた。ご苦労であった。しかし、そう……敵は武蔵をも用意してきたのね。となると、以後の戦いにおいてその戦艦棲姫が再び使いまわされる可能性があるわけか」

 

 装甲空母姫や泊地棲姫という前例、そして今回は南方棲鬼から南方棲戦姫までもが立ちはだかってきた。ならば戦艦棲姫も、次またどこかで現れないという否定は成り立たない。

 飛行場姫においては、あれはヘンダーソン飛行場という場所に生まれた存在だ。他の深海棲艦とは違い、船ではなく土地に生まれた存在なので、使いまわされることはないのではないかと推測された。

 

「敵も強固な存在を作り上げる事が出来ている。となれば、我々もより一層練度を高めなくてはならないわね。今回の戦いについての報告書を求めるわ。敵を知らなければ対策は立てられないし、我々の次なる課題も立てられない。よろしく頼むわよ」

「はっ、承知いたしました」

「後日、貴様達の下に今回の作戦についての報酬を送るわ。とはいえその中の一つについては、海藤や東地にも言ったけど大型建造が可能な設備が必要となる事を伝えておく」

 

 通常の建造ドックではなく、大和のような大型艦を建造するために建造ドックそのものを改装し、規模を拡張させる。そうして完成した大型建造ドックが必要となるならば、やはり完成しようとしているのだろう。

 艦娘としての大和型2番艦、武蔵。

 戦艦棲姫の元となった艦が、深海棲艦に遅れて我々の下に生まれようとしているのだ。

 

「東地と深山、ソロモン海域は平定する事に成功しても、また奪取されては意味がない。貴様達の守りに期待するわ」

「ま、何とか守り通してみせますよ。でも守る戦いなら俺よりこいつの方が向いてるでしょうよ。なあ、おい?」

「……過度な期待はしないでください。今回の戦いで、あいつらの変化を感じた身としては、少々自信が薄れたんで」

 

 砲撃や魚雷の強撃という純粋な戦闘力の強化。

 倒しても倒しても湧いてくる、という深海棲艦の特有の現象も相まって、深山としては頭を抱えたい戦いだった。

 深海棲艦も変わりつつある。それを目の当たりにした戦いと言えるものだった。

 

「そう。ならば凍結していた新たな泊地の建設計画を進めましょうか」

「ん? 新たな泊地?」

「ええ。ショートランド泊地の建設計画があったのよ。でも知っての通り、ソロモン海域が深海棲艦の支配下におかれた。流石に敵の支配下にある海域に泊地は築けない。新人を送り込んだとしても意味はないもの。だからショートランド泊地については凍結された」

「……つまり、今回の作戦成功により、満を持してショートランド泊地が設立される、と」

「そうなるわ。……ブイン基地も、追加で計画しておこうかしら、とも考えてはいるけれどね。深山、貴様としても戦力増強は望ましいでしょう?」

「……可能ならば、欲しいところですね」

「とはいえ、1年も凍結していた計画。すぐに動けるわけではないし、送り込む提督候補も挙げねばならない。……後者に関してはもしかすると来年の卒業生から選ばれることになるやもしれないから、すぐには出来ない事も伝えておくわ。だからそれまでの間、何としてもソロモン海域を守りなさい」

 

 今回の勝利によって浮かれている暇はない。ここを守らねばならない、という新たな任務が与えられたのだ。しかしこれを果たすことが出来れば、ショートランド泊地の建設が進むというわけだ。

 

「守る戦いの方が性に合っているのでしょう? 深山。この任務、果たしてみせなさい」

「……はっ、承知いたしました。美空大将殿」

「海藤、東地、そして湊もご苦労であった。ゆっくり休み、気を付けて帰還しなさい」

 

 労ってくれる美空大将へ敬礼すると、返礼した後通信が切れた。

 モニターの前から離れ、ソファーにそれぞれ腰かけてお茶をいただく四人。ラバウルの大淀に淹れてもらったお茶もやはり美味しい。夜通し戦い抜いて疲れた体に染み入る美味しさだった。

 ふと、深山がコップを手に何かを考えているかのように瞑目している。しばらく逡巡していた彼は、意を決したように口を開いた。

 

「……一つ、頼みがある」

「おう、なんだ?」

「……数日でいい。ここに留まり、演習をしてもらえないかな?」

「ほう、珍しいな。お前さんがそういう事を口にするなんてよ。他人と関わらず、自分の世界に閉じこもるのがお前さんだっていうのに、どういう風の吹き回しだい?」

「……守るための戦い、それが僕の方針。でも、それだけではもう足りないようだ。君達の戦い方を学び、取り入れさせたい。今回はあまり活躍できなかったから、次の機会に備えるために、演習を行わせてくれないだろうか……?」

 

 深海棲艦は着実に戦力を増強させつつある。ラバウル基地周辺だけを守り続けていたラバウル艦隊は消耗戦を強いられたとき、強引に突破するだけの力を発揮出来なかった。

 一時後退し、少しずつ食い破っていくという受けの戦いをする事が多かったのだ。

 だが呉艦隊、トラック艦隊のような側面から一気に食い破り、かき乱していくという戦いを今回見ることが出来た。それはラバウル艦隊には仕込まれていない、攻める戦い。

 もし、また南方海域に強力な深海棲艦が現れた時のために、深山は今出来る事をしなければならないと思い立ったのだ。今までの彼ならば想像出来ない行動。それが深山を知る東地にとっては驚くべき変化だった。

 

「……活躍できなかった、ってこともねえだろうよ。戦艦棲姫との戦いの際、南方棲戦姫を足止めしてくれたじゃねえか。それだけでも、意味ある戦果だと思うぜ?」

「確かに。装甲空母姫に関しては普通に倒す事は出来ているけど、南方棲戦姫に関しては危ういところがあった。あそこで一緒に戦うって事になったら、乱戦になるのは必至。深山達が止めてくれただけでもありがたかったよ。俺達全員が協力し合ったからこそ勝利を得られたんだ。まったく活躍できなかった、というのは卑下し過ぎじゃないかな?」

 

 フォローする凪と東地だが、深山としては後から提督になった凪が大きな戦果を挙げている、という点が気になっているらしい。半年であそこまで鍛え上げたやり方を学びたいようだった。

 だがそう言うと、今度は凪が引き始める。

 

「いや……特にこれといった大きなことはしていないんだけどな。それぞれの艦娘ごとに向いている能力を見い出したら、それを伸ばしていく感じで……」

「……じゃあなぜあそこまでキレキレに攻めているんだい? あの水雷戦隊、どうかしているんだけど」

「回避の動きを仕込ませたからね。特に神通はほら、長門と一緒に生き延びた娘だからさ。二度と仲間を失うまい、と回避をこれでもかと仕込んで生き残らせる術を身に着けさせた。あと対空防御も結構仕込んでいたね。……で、それが終わったらその回避の力を生かして、突撃さ。長門達だったり、空母達だったりを相手取って、弾幕を掻い潜って攻撃する、って具合の訓練を――」

「――それだな」

「――それじゃあないか?」

「――それでしょ」

「…………これか。言ってて自分でもそうじゃないかと思い始めてきた」

 

 三人からの総ツッコミに、凪自身も頷くしかできなかった。

 神通自身も史実からしてなかなかに厳しい訓練を課していたという話もあるので、倒れるまでやらせないように、と言いつけていた。それは守っていたが、しかし確かな積み重ねが艦娘達にみられるくらいには成果を挙げているのは間違いない。

 ではトラック艦隊はどうなんだろうか。全員の視線がそちらに向くのは当然の流れだった。

 

「いや、うちはあれだよ。俺自身がそういう方針だからよ。攻撃こそ最大の防御ってな。影響受け合ってんのか、艦娘達も結構勝気になってるしな。澄ました顔で可能な限り敵を潰せ、みたいなことになってるし。……だからこそ飛行場姫の時はまだ続けようって感じになっちまって、最悪な展開になりかけたけどな」

 

 退くことも大事だが、少しでも相手の戦力を削る、という考えも悪いわけではない。

 また心が折れてしまえば戦いを続行する事も、退くために動くことも出来ない。扶桑による鼓舞は結果的にはあの時、金剛達を動かすことには成功していた。もしそれがなければ、蹂躙されていた可能性もある。

 また東地の性格も一部の艦娘に影響されている。金剛が如実にそれが表れているといえよう。キレた時に口調が荒くなるのがその一端だ。

 

「攻撃こそ最大の防御な感じって、やっぱりあっちでも見られた方針か?」

「ま、そんな感じさ。敵を駆逐し、さっさと戦いを終わらせる。……そのために向こうじゃ大型艦ばっかりやっちまってるけどな! はっはっは!」

「……あっち、とは?」

「ネトゲだよ、ネトゲ。帝国海軍の艦艇を操作して戦うってやつ。深山と淵上さんもやるかい?」

「……ネトゲ、ねえ……」

 

 深山が首を傾げ、教えてもらったタイトルをパソコンで検索し始めた。一方淵上はというと、あまり反応がない。ネトゲなんてしなさそうだ、と東地は思っているので、話題にすべきじゃなかったか? と少し焦り始めている。

 だが凪は佐世保で淵上がこのゲームプレイヤーっぽいんじゃないだろうか、と感じているので、いい機会だと訊いてみる事にした。

 

「淵上さんもやってるんだって?」

「え? マジで?」

「…………一応。暇つぶしやストレス発散に」

「マジかよ。じゃあ一緒にやろうぜ。俺、『East』でやってんだけど。あ、凪は『calm』ね」

「あたしは……『水門』です」

 

 その名前に、凪と東地は固まる。

 水門? 水門と言えば、何度か会敵した駆逐艦乗りのあの『水門』だろうか?

 あのゲームの中級プレイヤーならば、恐らくほとんどが知っている駆逐艦乗りといえよう。

 

「え? マジであの『水門』?」

「ええ、どの水門を示しているかはわかりませんけど、あたしは『水門』でやってますよ」

「……ああ、湊って、水門って意味があったな……。俺達と同じ、名前からのプレイヤーネームだわ」

 

 凪のcalm、東のEastという英語読み。そして湊の別名である水門。

 三人とも本名からのもじりでつけたプレイヤーネームという共通点。

 凪の指摘に、東地も納得したように頷いた。

 

「……しかし、こうして見る限りでは確かに海戦のシミュレーションといった具合だね。そんなに面白いのかい?」

「なかなかよく出来ているし、はまればいい感じだぜ。あと実際の深海棲艦との戦いに全部が全部生かせるわけではないが、それでも何らかのヒントは得られるかね。凪の登録したあの煙幕も、このゲームから持ってきたようなもんだし。なあ?」

「水雷戦隊としては、ちょっと欲しかったからね。事実、役に立っているよ」

「あたしとしてもありがたいものでしたね」

 

 今回においては金剛達の撤退支援や、戦艦棲姫に対しての奇襲に使われた煙幕。

 こうして上手く使えているならば、装備登録した凪としても嬉しい限りだ。なるほどな、と頷きながら深山は公式ホームページを眺めている。

 やがて「……わかった。登録するだけしてみるよ」とパソコンから離れた。

 

「……それで、演習についてはどうだい?」

「ああ、それに関しちゃ構わねえよ。せっかく四つの艦隊が集まってんだ。お互い得られるものは得て帰りたいところだろうよ」

「俺も異論はないよ。元々こっちに来る前までは佐世保で演習してたし、その続きが出来るからね」

「同じく。先輩方の胸をお借りしますよ」

「……感謝する。よろしく頼むよ」

 

 今回のソロモン海域においての戦いは、深山にとっては転換期といえる戦いだった。

 彼自身の閉じた世界を広げるための戦い。

 新たな艦隊練度の強化の仕方を学ぶ機会を得る戦い。

 参戦しなければこうはならなかっただろう。誘ってくれた東地に感謝せねばならない。深山は特に東地に対してゆっくりと頭を下げるのだった。

 

 

 ほの昏き海の底、そこに一人の亡霊が肩を震わせていた。周りにはイ級の頭部のようなものがいくつか転がり、近くには深海棲艦の装甲が机のようなものがある。そこには歯のようなボタンがずらりと並び、モニターらしきものと、複数のコードが伸びていることから、深海のパソコンではないかと思われる。

 目の前には戦艦棲姫だったものが横たわっており、彼女から抜き出した赤い珠を骨の手にしている。

 これには戦艦棲姫の情報が詰まっており、死に際に凝縮したものが珠となって形成されたものだ。それに触れているということは、亡霊にその情報が流れ込んでいるということである。

 

「呉……また、呉なのか……。失敗、また失敗、失敗失敗……!」

 

 戦場で何が起こったのか、戦艦棲姫にとどめを刺したのは誰なのか。

 その全てを把握した亡霊は、青白い瞳を激しく明滅させる。怒り、屈辱、そして困惑。様々な感情が入り交じり、骨の指がカリカリとフードをかきむしる。

 

「呉、呉……私は、私は……!」

 

 全てを把握したという事は、戦艦棲姫が思い至った亡霊の前世も把握したという事。

 記憶を失っていた亡霊にとって前世は不明である。だが深海棲艦の手先として動くという事は前世の事を考える必要はない。ただ深海の意志に従い、奴らのために動くだけの存在でしかないのだから。

 思い出された記憶。

 それはあの日、南方棲戦姫と対峙した戦いで指揮艦が沈んだ後の事。暗い海の底に、苦しみながら沈んでいくのだ。そこから意識が途絶え、気づいたら自分は深海提督として動いていた。

 南方棲戦姫の情報から南方棲鬼、南方棲戦鬼を作り上げ、ソロモン海域の支配領域を広げていったのだ。

 深海棲艦と敵対していた自分が、深海棲艦側で動いているという現実。だがこの亡霊は祖国に対する反逆を行っている事に関して疑念はない。深海棲艦を統べるものに従う事こそ当然のことなのだ、とまるで本能のように刷り込まれている。

 自分が先代呉提督であった事を認識しても、だ。

 

「不甲斐ないねえ、南方。一度ならず二度までも負けてしまったのかい?」

「っ……!? ちっ、誰かと思えば、中部か」

「おいおい、先代南方担当者に向かって舌打ちとは。しかも二度も失敗しておいてその態度はないんじゃないのかい?」

 

 声がした方を見れば、そこにはホログラムのようなものが浮かんでいた。イ級の頭部のような深海のユニットのモノアイから発せられる光が、別の深海提督の姿を映し出しているのだ。

 見た目としては南方と呼ばれた先代呉提督とあまり変わりない。

 フードをかぶっているが、骸骨の顔ははっきり見える。瞳は金色に光っている。先代呉提督と違うのは、顔の右半分の頬から顎にかけては肉が存在しており、表情がうっすらとわかるようになっている。

 黒い手袋をしている右手でそっと指さしてくると、

 

「君が死んだ後に就いた後任にしてやられているそうだね? 僕に負けた君とは違い、やり手なのかな? それとも、あの戦いを生き延びた長門と神通が上手く後輩達を鍛え上げたのかな? どちらにせよ、君にとっちゃあ屈辱だねえ。君が挙げられなかった成果を、後任が挙げているのだから」

「……そうやって私を辱めにきたのか、中部……! だが、私からもお前に言っておきたいことがある!」

「なにかな? 聞こうじゃないか」

「私はお前とは違う……! お前のような中途半端なものは作らなかった、という自負がある! 砲撃、雷撃、更には艦載機と無駄に詰め込んだものよりも、純粋に艦の能力を伸ばしてこその力だ! 大和以前のもの、お前が作り出したあれらは失敗作といえよう!!」

 

 大和以前のものというと、南方棲戦姫、泊地棲姫、装甲空母姫の事だろう。

 あれらは確かに砲撃も雷撃も艦載機を飛ばす能力が備わっていた。戦艦と呼べるようなスペックに、備わっていないものらを詰め込んだ存在だ。

 南方棲鬼、南方棲戦鬼という模倣の失敗作を見て疑念を抱いていた先代呉提督は、戦艦棲姫に関しては純粋な戦艦としての能力を底上げし、作り上げた。

 結果としてそれは成功したと言えよう。今回の戦いにおいては敗北したが、能力自体は南方棲戦姫を超えるものが出来上がっているのだから。

 しばらく無言の時間が続いたが、不意に中部と呼ばれた深海提督は口の端を歪めた。

 

「――そうだね? それに関しては認めるよ。君はとてもいいものを作り上げた」

 

 瞳を形作る金色の燐光も笑うように変化し、手袋が嵌められている両手を叩いて先代呉提督を讃える。その声色はとても穏やかなものだ。

 

「純粋な戦艦としての力を示す武蔵だけでなく、ヘンダーソンを新たな概念として作り上げた。後者に関しては僕にも出来なかった事だ。素直に僕はその成果を認めよう。戦いに敗北はしたが、君は良い成果を挙げたんだよ。これで僕は、僕達は新たな一歩を踏み出せるんだ」

「なに……?」

「――データを寄越せ、南方。君の成果は共有すべきデータだ。拒否は許されない。奴らを潰すために必要な戦力を作り上げるためのデータなのだからね」

 

 一転して威圧を込めた声で中部提督は告げる。

 ヘンダーソン飛行場という場所、施設とその周囲の怨念を取り込み、深海棲艦と化した飛行場姫。泊地棲姫と違い、純粋な陸上型の深海棲艦というのは深海棲艦としては初めての存在である。

 泊地棲姫を作り上げたのがこの中部提督ならば、先代呉提督の言う通りそれは失敗作。泊地を模した存在なのに、普通に海上を航行出来、魚雷も当たる。それでは純粋な泊地といえるものではなく、ただの艦としての深海棲艦だろう。

 だからこそ飛行場姫のデータを共有しろ、と告げるのだ。このデータを生かせば、これからは各地の基地、泊地などといった陸上深海棲艦を作り上げるための参考になるのだから。

 そうすれば深海勢力の力はより伸びる。つまりは深海勢力全体の得となり、南方の行った事はより勢力に対する貢献になるのだ。

 何を迷う事がある?

 どこに拒否する要素があるんだい?

 と、無言で手を伸ばしながら言外に催促する。それに抗える先代呉提督ではなかった。持っているデータを別のユニットに入力し、送信する。すると、ホログラムに映っている中部提督がユニットを操作し、データを確認した。しばらくそうしていた中部提督は何度か頷き、「無事、共有された。感謝するよ南方」とにっこりとほほ笑んだ。

 

「これで、僕の計画は停滞から抜けられる。そういう意味でも感謝するよ」

「……計画? 何をするつもりだ、中部」

「いやなに、かの悲劇を何とか生み出せないか、と少し前からやっているんだけどね。どうにもうまくいかない。空母の方は種は出来たが、島の方がどうもね」

 

 やれやれ、と首を振る中部提督。

 中部提督がいるのは太平洋だ。先代呉提督がソロモン海域の担当になる前は先代の南方提督だったのだが、現在は先代呉提督にその座を譲り、太平洋へと移籍した。

 普段あの広大な太平洋のどこに拠点を築いているのかは知らないが、なんでも米軍相手に小競り合いを続けているとのことなので、恐らくはアメリカ付近にいるのではないかと推測される。

 

「だが、君のおかげで上手くいくかもしれない。感謝するよ」

「……そうか。それは何よりだ」

 

 隠れて舌打ちし、「話は以上か? 私としてはここから離れ、移動したいのだけどね」と背を向ける。そんな背中に「ああ、ソロモン海域を奪還されたからかい?」とどこか面白そうに声がかかった。

 

「どこにいくんだい?」

「……とりあえずはフィジーあたりに身を潜める事にする」

「そうかい。……そういえば君は何やら興味深い力を付与していたね?」

「ああ、あれか? あれはもう使わない。あれを使っても勝てなかったんだ。意味のない、余計な力だったと判断する」

「ふっ、そうだね。死を恐れぬ深海棲艦の命を削り、ひたすら兵を使い潰し、自分の傷を癒す。深海棲艦とは艦の怨霊。その特性を生かし限定的ながらも無限に湧き続け、戦い続ける兵というのは艦娘だけでなく人間にとっても相手にしづらい。実に恐ろしい敵だろう」

 

 だが、と中部提督は指を振る。「実に美しくないし、面白くない」と否定した。ヘンダーソンに関しては素直に称賛したが、特異な力に関してはばっさりと切り捨てる。

 

「彼女らは死兵ではあるが、使い潰されるようなものではない。奴らは純粋に練度を高め、経験を積み重ねて挑んでくる。それに対し、我らはスペック勝負さ。その上戦いに出て死んでいく存在。だからそれを補うためにあのような力をつけたんだろうが、見ていて気持ちのいいものではないね」

「情があるとでもいうのか? 無意味なことを。私達も含めて、深海勢力はあれの意思に従うためだけの存在だ。我らにそんなものは不必要だろう?」

 

 深海提督は深海棲艦を統べるものにとっての手駒だ。沈んだ人間を何らかの力を用いて蘇らせ、記憶を奪い、意思を奪い、深海棲艦を作らせて使役させるという手駒。

 あれに従う事になんの疑念も抱かないが、かといって深海棲艦に対して情を持つという事は深海提督に意思があるようなものだ。奪われたものがどうして存在するんだ? と先代呉提督は問いかける。

 

「つまらないなぁ。だから君は負けるんだ」

「……なんだと?」

「確かに僕らは記憶は失われている。僕だって、生きていた頃はどうしていたのかなんて、あまり思い出せない。でもね、こうして海の底で過ごす日々の中でも、少しでも感じるものはあるさ。完全に僕らはあれの操り人形というわけではないらしい」

 

 そうしてホログラムは別のものを映し出す。そこにあったのは小さな少女だ。

 白髪の少女であり、傍らには焼け焦げた飛行甲板らしきものが転がっている。それを示した中部提督は、「可愛らしいだろう? 空母の種さ」と紹介した。

 

「ああして新たな子を生み出し、調整し、育てる。……そうしているとね、何かが湧き上がってこないかい? 君も提督をしていたんだろう? 感じるものはないのかい?」

「……いいや、何もないな」

「そうかい。よほど提督だった頃にいい思い出がなかったらしいね。……いや、僕だって提督をしていたかどうかは知らないけどね。ああして可愛らしい女を育てる、という事に対して感じるものがないとは。君は実につまらない人間だったらしい」

「私の事はいいだろう。それより、何が言いたいのかはっきりしろ。中部」

「――死兵だから、と最初から捨石にするかのような運用では負ける、と言っているんだよ。南方。いいものを見せてやろう」

 

 そしてまたホログラムのカメラの向きが変化した。中部提督を挟んで白い少女の反対側には、ヲ級が佇んでいる。だがそのヲ級は何かがおかしい。黄色いオーラを纏っているという事はフラグシップなのだろうが。

 はっとした先代呉提督はヲ級の左目に気づいた。

 ゆらゆらと青白い燐光が放たれていないだろうか、と。

 

「な、なんだ……それは?」

「これが、育成、調整の成果さ。どうやら艦娘も改のその先を見出したみたいだからね? 僕も少し出来ないかなって思ってさ。計画もどん詰まっていたから、こっちを進めてみたら――成功したのさ。これが、深海棲艦の改さ」

 

 ヲ級改フラグシップとでも言おうか。それを紹介する中部提督はどこか誇らしげだ。

 ホログラム越しでもわかる。ヲ級フラグシップを大きく凌駕する威圧感を感じるのだ。

 飛行場姫を生み出した先代呉提督を褒め称えていたというのに、自分はこんなものを生み出していたというのか? これでは、自分の貢献が霞むのではないか?

 まさか、最初からこのつもりだったのか!?

 ぐるぐると悪い考えが頭を渦巻き、青白い瞳が激しく明滅する。

 

「装備の調整、この子達の調整、育成……深海に堕ちようとも、僕達に出来る事は何も変わらないさ。小細工など不要。僕達の力で奴らを殲滅してこそ、だろう?」

「……っ」

 

 屈辱からか、先代呉提督はまた背を向けて歩き出す。もう話すことなどなにもない、とその背中が語っている。だが「――それと南方」と空気を読まずにまた中部提督が声をかける。

 

「以前から一つ訊きたい事があってね。せっかく記憶を取り戻したんだから丁度いい。君を殺した僕の事、恨んでいるかい?」

 

 正確には殺したのは彼が使役していた深海棲艦だろう。だがそれでも中部提督はその深海棲艦を束ねていた長として、先代呉提督と戦っていた。

 南方棲戦姫を作り上げたのは彼であり、ソロモン海域へと侵攻し、勢力を広げていたのも彼だ。それによって先代呉提督はソロモン海域を平定するために、いや、正しくは南方棲戦姫を討ち取って戦果を挙げるために出撃する事となった。

 

「――何を馬鹿なことを。さっきまで私は何故死んだのかもわからない状態だった。それにこれは戦争だ。いつ死ぬなどその時にならないとわからない。……そして、わかったからといって、それでお前を恨むなんてこともない。それに心がないのだから、そういう感情が浮かぶなどあり得ない」

「…………そう」

 

 恐ろしく感情が消えた相槌だった。「つまらないことを訊いたね。忘れてくれ」と言うと、どういうわけかホログラムが消えた。突然話しかけてきたかと思えば、さっさと打ち切ってくるとは。

 だが話が終わったならばそれでいい、と先代呉提督はユニットや生き残っている深海棲艦を連れてその場を離れた。

 心がない、と彼は言った。

 深海棲艦にとって心など、意思など存在しない。

 あるのは凝縮された怨念とあれに従うのみ、という精神だけ。そのはずだ。

 だがどうしてだろうか。

 じくじくと胸がかき乱されるこの不快感は。どうして自分は体を震わせているのだろう。

 敗北感、屈辱感。

 

「何故、何故私は……こんな痛みを感じねばならないんだ。戦果を、成果を挙げねば……、私は、私が存在する意味は……!」

 

 それは心があるからこそ感じるものだ。ひどく矛盾しているのに、彼はそれを認めることなく、静かに海底を移動していった。

 

 

「本当に、つまらない人間だ」

 

 通信を終えた中部提督はそう吐き捨てて白い少女を見やる。

 今の彼女に命はない。そこにあるのはただの器だ。それも完成された器ではなく試作品といえるものである。

 そっと髪を撫でてやる。試作品ではあるが、見た目としては良いものではないだろうか。中部提督の言う通り、可愛らしいものだ。

 そっとヲ級改へと手を伸ばせば、彼女は懐から一本の煙草らしきものを差し出してきた。

 火はない。ここは海底であり、そしてそれも煙草を模したものなので、ただ咥えるだけのものでしかない。

 

「意志なきものに強い力は宿らない。恨みだろうと悲しみだろうと、怒りだろうと。そういう力があってこそ、より力を発揮できるというのに。だからあんなつまらない力に頼るのさ。不甲斐ないね、南方」

 

 先代呉提督と違い、どうやら中部提督は深海勢力であろうとも心や意思があると普通に認めるようだ。南方棲戦姫を作り上げた時も、長門に対する強い恨みを持たせることで、強力な力を発揮させた。

 先代呉提督がそれに加えて特異な力を付与した事で、歪さが生まれ、敗北を喫する事となってしまったが、中部提督としては恨みの力は悪くはなかったのではないかと考えている。

 そして彼にとっても前世の記憶というものは曖昧だ。こうしてここにいるということは、海軍か何かに所属していたのだろうが、提督を務めていたかどうかはわからない。

 少なくとも先代呉提督、現在の南方提督よりも長く深海提督を務めているのは間違いない。だからこそ、だろうか。深海提督になって短い南方提督と違って、心というものが再び生まれているのではないだろうか。

 

「でも、ヘンダーソンという存在はありがたい。これで、かの悲劇の再現が出来そうだ」

「…………ヤル、ノカ?」

「いいや、まだその時じゃあない。やるとしても万全を期さなければならないからね。そうだな、試作品が必要だ。どこがいいかな」

 

 そう言いながらユニットに地図を表示させる。この太平洋において試作品が作れそうなのはどこだろうか、と中部提督はざっと見渡していく。

 同時に頭によぎるのは、先代呉提督の後任とされる提督の存在だ。

 一度ならず二度までも彼を下した人物。

 もちろん後任である凪一人の力ではない。どちらも東地をはじめとする友人達がいてこその勝利だろうが、中部提督にとってはどちらも後任が関わってこその勝利ではないかと踏んでいる。

 何せラバウル艦隊やトラック艦隊を相手にする際には、一進一退の戦いをしていたのだ。大規模な戦いとなった際に、呉からわざわざ出張し、勝利を収めてきている。そこには何かが関わっているんじゃあないだろうか、と中部提督は推測する。

 

「呉鎮守府より出張してきた提督の力、僕も見てみたいな。そういえばトラック泊地の提督とどちらの作戦でも協力関係にあったか。となると、それなりにトラックに近いところ……ここか?」

 

 目を付けたのは一つの島。

 そこでもかつては帝国海軍が戦闘していた場所だ。それにここにも陸上施設や滑走路があった。試作品を作るには申し分ない。

 ウェーク島。

 そうと決まれば早速次の計画を立てるとしよう。

 中部提督はうきうきした気分で作業に取り掛かることにした。

 

 

 




これにて3章終了です。

途中夏イベが挟まって遅れてしまい申し訳ないです。
イベは早々に終わりましたが、まるゆやプリンの回収に少し熱が入ってしまいました。

3章では戦姫大和の登場、夕立の改二云々、深山とそれぞれの変化がポイントでした。
深海棲艦から艦娘へと生まれ変わった大和。
深海棲艦と艦娘とは何が違うのだろうか、と感じる事。
一変してしまう改二を前した夕立のちょっとした悩み。
ラバウル基地という自分の聖域を守るだけの日々を脱却するきっかけを得た深山。
といった具合です。

そしてようやく出せたのが中部提督、という深海提督。
ある意味ではこの物語の始まるきっかけを作り上げたキャラですね。
今のところ深海提督というのは、それぞれの担当地域の名前で呼び合う事になっています。
前世を知らない彼らにとって、名前というのは意味のないものですから。
中部提督、本格参戦となります。

さて、4章ですが、13秋の次は13冬。
ということはアルペイベなのですが、そんなものは用意しておりません。
取り入れたらややこしいことになってしまいますので、パスします。
ということで4章はたぶん、ゆるく流していくかもしれません。
その次の5章において、14春と予定しております。

気づけばお気に入りが500になりかけているようですね。
ここまで増えるとは思いませんでした。ありがとうございます。
感想など頂ければより実感し、励みになります。
お気軽に残していっていただけると嬉しいです。

これからも拙作をよろしくお願いいたします。

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