「おかえり」
結果的に、どちらも初戦は被害はあまりなかった。
無事に帰還してきた彼女達を迎え、凪は大いに安心する。入渠ドックへと向かわせて回復を促し、それから一時間後、長門と神通が執務室へと報告に来る。
「――以上。第一水雷戦隊の報告です」
軽巡ホ級と駆逐イ級3の撃沈までの流れを報告し終えると、長門が前に出て報告を始める。
「軽巡ヘ級と駆逐ロ級2と会敵。これを撃滅した。神通の訓練の成果はまずまずと言っていい。砲撃、雷撃、どちらもまだ命中率は安定していないが、私が手を出す程の状況にはならなかったな」
球磨の少しゆるい指示に従い、距離を取りながら着実に砲撃を仕掛けていく、という堅実な戦い方をしたらしい。一風変わった口調をしているのに気が向くが、しかし流石はネームシップというだけあって、やり方はきちんとしているようだ。
付き従うのが同じくネームシップな川内、礼儀正しい初霜と安心出来るメンツ。皐月も元気っぷりが目につくが、きちんと指示には忠実だ。安定感があるチームだと長門は見た。
「わかった。ご苦労さま。長門は次からは第二水雷戦隊にはついていかなくていい。秘書艦として、任務に就いてもらいたい」
「承知した」
「では、後できちんとした報告書を作成し、提出するように。球磨にもその旨伝えておいてくれ。作り方は神通が教えてもらってもいいかい?」
「わかりました。では、失礼いたします」
敬礼して退室する神通を見送ると、凪は机の上に並べられている書類に目を落とした。
「で? これでデイリー任務とやらの一つが終わるのかい?」
「はい。こちらにどこに出撃したのか、その時の編成はどのようなものであったのか、その結果は。これらを記入し、判を押してください」
先程まで大淀から任務についての説明を受けていた。
各鎮守府には大本営からの任務が発せられる。これらを成功させる事で、それぞれ報酬が支払われる事になるのだが、一回限りのものだけでなく、毎日発せられるデイリー任務と呼ばれるものがある。
それだけでなく週間のウィークリー、月間のマンスリーもあるらしい。
これらを成功させて報告するのだが、報酬は毎日受け取れるわけではない。デイリー任務を消化したからといって毎日毎日資源などを届けるのも運送会社が大変だ。それに国内ならばまだしも、トラック泊地などの国外となれば海を移動していくことになる。
その為、数日おき、あるいは一週間に一度の間隔で報酬が届けられる事となった。デイリー任務の報酬ならば、その間隔内で消化した分を纏めて支払われるようになっている。
「……開発や建造もあるのか。開発はまだしも、建造もデイリーか……まじかよ」
出撃任務の二つについて書き終えると、別のデイリー任務をチェックする。
その中で見つけ出したのがこれなのだが、これをやるとなると昨日立てた予定と違ってくる。
「でも消化すると資材が少し返ってくるのか」
「これ以上の消費をすれば赤字ですけども」
「オール30なら黒字だね。でも次は重巡を迎え入れようとしているから、どうあがいても燃料と鋼材は確かに赤字だね……」
しかし燃料についてはこれから増やしていく算段がついた。初戦は勝利し、この勢いに乗せて遠征をこなしていけば、少しずつ増やしていけるだろう。それに任務をこなしていけば、多少ではあるが資源は戻ってくる。
練度を上げつつ資材も増やす。このサイクルが成功すれば少しずつ余裕が出てくるはずだ。
「よし、工廠に向かおう」
「やるのか? 本当に?」
「なぁに、重巡が出なくても、軽巡、駆逐が出てくれれば第二水雷戦隊のメンバーが増えるだけさ。大丈夫だ、問題ない」
「……何となく、こういう状況というものは、悪い結果が出るものと私は思うのだが」
長門のぽつりとした言葉は、凪の足を止めるには十分なものだった。確かに、こういう気分でやる博打は大抵外れるのが相場が決まっている。
いけるいける! という心境は人を調子に乗らせやすい。そのまま突き進めば、突然現れる崖に真っ逆さま。晴れて奈落の海へとご招待だ。
「……一発勝負さ。デイリー任務の消化を行うだけ。ただ、それだけの清らかな心で、俺はやってみせる。失敗したら、大いに笑ってくれていい」
再び歩き出した足は工廠という賭博場に辿り着く。
「燃料、弾薬、鋼材、ボーキの順に、250、30、200、30!」
賽は投げられた。
妖精達が一斉に動き出し、ドックへと資材を放り込んでいく。やがて扉は閉まり、モニターに紋様が浮かびだす。それを凪と長門は見つめていた。それだけでなく、何故か夕立まで混ざっている。
「……なにしてんの?」
「ちょっとおもしろそうな気配を感じ取ったっぽい」
「あ、そう……。入渠しているんじゃなかったっけ?」
「軽くシャワー浴びただけだよ。そんなに傷はついてなかったし。それで、どうして建造してるの?」
なぜこうなっているのかを説明すると、口元に指を当てながら「ふーん。じゃあ夕立が笑う役、やるね」と楽しげに言った。
「いやいや、そんな外れを一発で引く程、俺は運は悪くないって」
「あたし、知ってるよ。それ、フラグって言うんだよね?」
「提督、発言をするたびに何かが積みあがっているのを私は感じているのだが」
「……いや、そんな――」
やがて、審判は下される。
モニターには、失敗の文字が表示され、レーションが吐き出された。
ころころと転がってくるそれを三人は眺め、震える手で凪はそれを掴み取る。そして――
「――なんでやねんッ!?」
「ぷーーーっくすくすくす! ほんとにフラグ回収したっぽーい!」
赤、青、オレンジ、黄色のラベルが貼られているそれを勢いよく床へと投げつける凪を、夕立は指さしながら大笑いし出す。一度床に落ちて舞い上がったそれを長門はキャッチし、ラベルを確認してほう、と目を少し開いた。
「おい妖精ッ! ご丁寧にボケを回収してどうすんねん!? そういう空気の読み方はいらんわい!」
「提督」
「なに!?」
「喜べ。外れは外れだが、素材的には当たりのようだぞ」
と、四色のラベルを示した。これが意味する事は、火力・雷装・対空・装甲、全ての能力が上昇するということだ。これは素材的には非常に美味しい。味的な意味でも。
だが、凪としてはそう言われても、と複雑な心境だ。
「いや、うーん、あー、うん。コメントしづらい」
「だろうな。しかし、急速に落ち着くネタにはなったようで何より」
レーションを手渡しながら苦笑を浮かべてくる。それを受け取ったかと思うと、ひとしきり笑い終えた夕立へとパスした。突然渡されたそれに夕立は首を傾げている。
「いいの?」
「ご丁寧に笑ってくれた礼だよ。笑いすぎな気もするけど、ネタに乗ってくれたし、良しとする。初出撃おつかれ、という件も兼ねて、食っていいよ」
「ふふ、ありがとう!」
花が咲くような笑顔とはこの事か。缶切りを持ってきてせかせかと開け、食べ始める夕立を眺めながら、凪は妹が出来たらこんな感じなのだろうか、と何となく思う。
レーションとはいえ、味はしっかりしているらしい。美味しいものを食べながら力が付く。艦娘にとっては一石二鳥の話のようだ。
凪としても夕立のこんないい笑顔を見れたという事で、レーションという結果も悪くなかったかな、と思い始めた。
「で、あの建造のやつって、失敗でも成功扱いになるのかい?」
「うむ。建造をした、という事実で判定される。開発も失敗しても大丈夫だ」
「あー、そう」
「だからといって、ほいほい資材を投入しすぎて、首が回らなくなるのも困るぞ、提督。そこまでいくと、ギャンブルに失敗した人間のようなものだからな」
「わかってるって。今日はこれまでにするって言い切ったからね。やらないよ。じゃ戻りますか。書類書かないと。夕立も、ゆっくり食べていていいからね。おつかれ」
と肩に手を置いて労いの言葉を改めて掛けて凪は執務室へと戻っていった。
その背中を長門は見つめながら思う。
この二日、凪の近くで見てきて、何となくではあるが彼の人となりはわかってきた。
悪い人間ではない。少なくとも今は信用していい人物だろうとは思える。だがそれは先代提督もそうだった。最初こそ普通の人間だったが、上から圧力と状況の変化によって彼は変わった。
凪もそうならないとは限らない。
長門は警戒しているのだ。それだけ先代の引き起こした事件というものは、長門にとって大きな爪痕として残っている。
表面的には凪に付き従い、支えていても、心のどこかでは本当に信じ切っていいものかと疑っている。さっきの出来事は関西人特有のネタとやらで済ましてしまったが、あれがただの建造云々の話でなかったら?
それは正しく意見具申を無視した上司という構図に近しい。
そうなれば、また繰り返してしまう可能性がある。海に沈んだかつての仲間達の犠牲を以って生き残ってしまった自分。それがまた引き起こされれば、自分はどうなってしまうだろうか?
それは、艦であった頃と何も変わらない。
長門という艦は、姉妹を失い、かつての仲間を失いながら生き残り、大戦を終えた艦だ。その最期は、敵国に引き渡され、標的艦となるもの。
艦娘となってからも、自分はまた仲間を失いながら生き残るというのか。そんな事はごめんだった。そんな事になるくらいならば、自分も共に沈んだ方がましだ、と思えるほどに。
あの海藤凪という男は、果たしてどうなっていくのだろうか。
正しく艦娘達を導いていく男なのか。
それとも、犠牲を良しとしながら突き進む男なのか。
見届けなければならない。秘書艦として支えながら、長門は凪という人間を推し量るのだ。ぐっと知らず拳を握っていると、その手をそっと包み込む小さな手があった。
「……ん?」
「どうかしたの? 長門さん。怖い顔、してるっぽいよ」
「……ああ、そうか?」
そっと左手で顔を撫でながら苦笑を浮かべる。そんな長門をじっと夕立は見上げ、「提督さんのこと?」と首を傾げる。
「提督さん、何かしたの?」
「……いいや、何もしてないさ」
とそっと膝立して夕立と同じ目線になる。その柔らかく細い金髪を安心させるように撫でていく。
「でも、力入ってたよ? なにか、怒っているような……」
「ふふ、そうか? 別に怒るような事は何もなかったさ。そうだな、しかたないなぁ、という気持ちさ。まったく、あそこまで綺麗にハズレを引くなど、そうそう起こるようなものじゃあないだろう?」
「うん、そうだね……」
それでも夕立はどこか納得いかないような表情をしている。人の感情に敏感なのだろうか。これは夕立の前で下手な振る舞いをしたら気を遣わせてしまいそうだな、と長門は思った。これから気をつける事にしよう。
「さ、食べ終わったのならそこに捨ててくるといい。それに戻らなくてもいいのか? 神通が探しているかもしれないぞ」
「うん、そうするね。では夕立、失礼します」
缶を捨てて敬礼すると、とたとたと工廠を後にする。と思ったら、「あれ? 神通さん?」と声を上げる。すると扉の脇から静かに神通が出てくるではないか。
ちらり、と長門へと目を向けると、目礼して夕立を連れて去っていく。
もしかすると神通にも気づかれていたのだろうか。何も言わないが、彼女ならばあり得る事だった。同じ先代の生き残り組として似たような思いをしているだろうし、それに教官をしているだけあって人の感情の動きや振る舞いに敏感かもしれないのだ。
うーむ、と腕を組みながら頬を掻く。これからは本当に気をつける事にしよう。下手に突っ込まれて艦隊に不和を起こそうものなら、先代以上にひどいことになりそうだ。
ぱん! と両手で頬を叩いて活を入れ、長門も工廠を後にするのだった。