呉鎮守府より   作:流星彗

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5章・新しい風
小サキ者


 

 太平洋のいずこか。

 深く冷たい世界の中で、彼は椅子に座りながら小さく笑みを浮かべ、ホログラムを見つめていた。

 表示されているのは様々な数字、グラフ。そしてその奥には小さく呼吸をしながら眠っている少女がいる。

 以前もいた小さな少女だ。だがあの時より成長しているようだった。

 

「悪くない成長だ。経過は良好。問題なく融合しているようだね」

 

 これに至るまで複数の失敗があった。

 その失敗を積み重ねている間に南方提督が次々と作戦を推し進め、そして敗れていたのだが、中部提督はそれもまた良しと考える。

 何せ新たなデータが提供されたのだから。

 このデータと、この少女の完成品。

 これらを用いて前から考えていた作戦を遂行するのだ。

 しかしそれでは足りない。

 テストが必要だ。

 問題なくこのデータ、陸上基地の深海棲艦を動かせるかどうかを見極めなければ。

 試験場は定めたが、ただテストするだけでは面白くはない。そのために日本近海から手を引かせ、戦力を移動させたが、戦力を増やすだけでは芸がない。もう一つ、何かが必要だ。

 

「――提督、報告ガ、アル」

「何かな?」

「南方、新タナ、モノヲ……作ッテ、イル」

 

 報告したのは左目から青白い燐光を放っているヲ級、ヲ級改だった。

 それを聞いた彼、中部提督は実に興味深そうに目を細めて振り返った。

 

「なんだい? 彼、また何かをしようとしているのかい?」

「何デモ……今マデノ、モノヲ、越エルモノ……ダトカ」

「ほう、今までを越える。また随分と大きい事を口にするものだね。では、引き続き監視を続けさせて」

 

 中部提督としては南方提督がまだ何かをしようとしている、という点においては別に驚くことではない。一度拠点を移したとはいえ、敗北に敗北を重ねた事であれに消されないようにするために何かをするのではないか、という予想はしていた。

 何をするのかを知るために彼の拠点に偵察を送っておいたのだが、まさかまた新たな深海棲艦を作ろうとしていたとは。

 戦力増強は大事なことだ。

 艦娘に、人間に勝つにはより強い兵を持たなければならない。

 深海棲艦にとって戦力は作ろうと思えばいくらでも作れるが、新たな顔となると艦娘と同じく少々時間を必要とする。

 中部提督のように失敗を重ねる事もざらではない。とはいえ中部提督が今作ろうとしているのは少し特殊な作り方だった。

 南方棲戦姫や戦艦棲姫のような一つの艦と様々なパーツから作り上げたものではない。二つの艦を一つにし、力を高めるという試みの下で作られている。そうなれば当然二つの艦に宿るものが融合を拒否し、失敗が続くのだった。

 だが、今回は違う。

 そんな失敗を重ねた事でついにここに種が生まれ、育ってきている。

 そうしている間に南方提督はまた新たなものを作っているという。本当に、その執念だけは認めよう。それが上手く成果に結びつかないのが彼の不幸なところか。

 それに何も新たに兵を作るだけが戦力増強に繋がるわけではない。今ある兵を鍛える事もまた必要だ。こうして作業を進めている間も、中部提督はこの拠点にいる深海棲艦同士による演習を行わせていた。まるで、艦娘のように。

 

「ウェークはどうなっているのかな?」

「問題ハ、ナイ……。人間モ、オラズ、準備ハ……順調」

 

 かつては軍施設があったウェーク島であったが、深海棲艦が出没してからは無人島となってしまった。となれば陸上基地の深海棲艦を新たに作るには、うってつけの場所となっているということでもある。

 その他の狙いもあるので、中部提督はここを攻撃拠点と定める事になった。

 あとは陸上基地を作り上げ、戦力を整えるのみ。

 だがその作戦を決行する前にもう少しやらなければならないことがある。

 

「となれば、あとは情報、か」

 

 ユニットから表示されているホログラムに様々な文字が表示される。

 人間が使用する言葉に近しいが、少し異なる文字の羅列に目を通しながら、中部提督は静かに呟いた。

 

「――呉提督、君はどんな人間なんだろう。何を思って戦っているのだろう。実に、興味深い」

 

 二度も南方へとやってきた凪。先代呉提督である南方提督の座っていた席につきながら、短い時間の中で急成長し、勝利をおさめた新人提督。

 黒い手袋で自身のあごに触れながら中部提督はじっとホログラムを見つめる。

 金色の燐光を放つ目がすっと閉じられると、彼の足もとにそっとすり寄ってくる小さな存在。

 それは黒猫のようなものだった。

 しかしその顔は深海棲艦のような硬質さを感じ、瞳に赤い燐光が小さく放たれている。ふわふわの毛並だったかもしれないその体をそっと撫で、抱え上げて肩に乗せてやる。

 小さく鳴き声をあげるその猫もまた、じっとホログラムを見つめていた。その際に開かれた口元には猫らしい牙ではなく、深海棲艦に共通するような少し太めの歯が並んでいた。

 

「僕は知りたい、君を。君と君の艦娘の情報を。その上で、沈めよう。君から、大事なものを奪ってやろう。そうなったら、君はどんな顔をするのだろう。その時が、楽しみだね」

 

 その言葉にヲ級改が頭を下げ、肩にいる黒猫もまた小さく同意するように鳴いた。

 凪達がそうであるように、中部提督もまたその時のために準備を進めている。

 冷たい海の底で、静かに、確実に戦力を整え、情報を集めていた。

 しかし凪達とは違い、彼らの拠点は不明だ。だから人間達には気づかれない。反対に凪達は居場所が割れているために、調査される恐れがある。

 そう、今この時もまた、情報収集されている。

 

「春を目途に進めていこう。……赤城、例のデータを」

 

 赤城、と呼ばれたのはヲ級改だった。傍らにあったコンソールをいじると、中部提督の前に映し出されているホログラムに、一つのデータが表示された。

 そこにあったのは戦艦棲姫のデータだ。

 南方提督が作り上げた深海棲艦の武蔵である。陸上基地のデータだけでなく、戦艦棲姫もまた他の深海提督達に共有されている。その気になれば、中部提督もまた彼女を使役できる。

 

「武蔵も作っておくとしようか。強力で、それでいて純粋な戦艦、というだけでも十分な戦力になりえる。でもパーツが足りないな。赤城、輸送部隊の派遣を要請。南西から持ってこさせて」

「御意。……ソウイエバ、提督。南西ト、イエバ、去年……日本カラ、西ヘ、向カッタ……モノガ、イタ」

「ああ、12月あたりにそんな事があったっけか。南西、あれをスルーさせたんだっけ」

「……ン。リンガノ、提督ノ……艦隊、護衛シテイタ、トカ」

「なるほどね。ま、西は西で向こうの管轄だ。僕には関係ない」

 

 フィリピンやインドネシア、マレーシア方面を担当している南西提督。ここから西、ベンガル湾やアラビア海周辺を担当する印度提督。更にヨーロッパ方面を担当するものがおり、現在は深海側が有利な状態で戦いが続いているとか。

 そこまでいくと距離が遠いために中部提督としては話に聞くだけに留め、介入はしない。

 だが護衛があったとはいえ、西に向かったものをスルーしたのは少し気にはなる。人間の目的もそうだが、見逃したとでもいうのだろうか。

 少し調べてみると、途中でリンガの艦隊だけでなく、イタリアやドイツの艦娘達も合流し、移動していったようだ。

 安全のためとはいえ、二つの国の艦娘が護衛についてくるか。

 とはいえこの二国といえばかつては日本と同盟を組んでいた間柄。その縁が今も続いていると考えれば何もおかしなことではない。

 とすれば日本側が西に向かった理由として考えられるのは何か。

 

(……これもまた戦力増強。兵器、あるいは艦娘データのやりとり、か)

 

 日本側は最近新たな艦娘の構築に成功している。深海棲艦がそうであるように、艦娘もまた着実に新たな顔を揃えてきている。その新たなデータを持ち込み、異国の艦娘を取り入れようとしているのではないだろうか。

 

(西の艦娘が太平洋に来るのか。ふふ、それはそれで面白いね)

 

 新たな刺激として胸が躍る。

 骨とモヤしかない肉体ではあるが、魂が震えるのだ。

 そんな感情を抱くなんて、やはり自分はただの深海側の人形ではなくなってきているらしい。

 それに何だか最近は記憶にノイズがかかっているような気がする。

 いや、違う。それは正しくない。

 そう、今まで封じられていたものがゆっくりと開けられていくかのようなもの。その際にノイズがはしっている、といった方がいいだろうか。

 生前の記憶なのだろう。

 久しく見ていない陸上の景色。頭上には澄み渡った青空が広がっているらしい。

 そんな中に立つ自分。

 だが、別に昔の自分に興味はない。

 今はただ、こうして深海棲艦を弄っている方が有意義だ。

 自分の手で変わっていく彼女達。

 成長していく姿を眺めている時間。

 ああ、死した先でも、こうして心を躍らせる時間があるのだ。それで、十分ではないか。

 だからそんな時間をこの先も続かせるために、それを邪魔するものを潰すのだ。

 

 

 南方、フィジー付近に作られた南方提督の新たな拠点。

 そこでは南方提督の手によって新たなる深海棲艦が作られていた。

 彼が考案したものは南方棲戦姫らのように、砲撃、雷撃、航空の攻撃手段を保有しつつ、それを鬼以上ではなく量産型として作り上げる事。

 それが成功すれば確かに深海棲艦にとっては大きな戦力向上に繋がるもの。失敗続きの南方提督にとっては、この上ない成果として認められるものだろう。

 それが今、目の前に完成しようとしている。

 姿は相変わらず少女のもの。それに水着のようなブラにフード付きのコートのようなものを着ている。背中にはリュックサックのようなものがあり、首にはストールを巻いているようだ。

 尻からは武装ユニットが伸びているのだが、胴体が蛇のように長く、その背中に艦載機を飛ばすための飛行甲板のようなものが分割されて装着されている。蛇の頭部には主砲が存在し、開かれた口の奥から魚雷を撃つのだろう。

 

「――ふ、ふふ……ふははは……! 完成した、完成したぞ……!」

 

 コンソールを叩き終えた南方提督は両手をゆっくりと広げて歓喜の声を上げる。

 少女にはいくつかのチューブが繋がれており、モニターにはいくつかのグラフと数字が並んでいた。それらが彼女の状態を示しているのだろうが、どれもが彼にとって理想の数字となったようだ。

 

「どこにも問題はない。大和のデータを参考にここまで圧縮できたんだ。ふはは、私もやれば出来るではないか……!」

 

 大和、すなわち南方棲戦姫からこの新型を作ったのだろうか。

 とはいえ南方棲戦姫自身を作ったのは南方提督ではなく、中部提督だ。南方提督が作ったのは南方棲戦姫のデータを参考に、南方棲鬼を作っただけに過ぎない。

 つまり、一度だけではなく、二度も南方棲戦姫のデータを参考にしているということなのだが、歓喜に沸く彼はそこまで細かい思考は回っていなかったらしい。

 

 そして、同時に見逃した。

 

 完成し、喜びに浸ってしまった事で、その小さな変化に気づかなかった。

 そう、彼女は完成していた。

 あとは起動を待つのみ。

 だが、彼女は――自ら起動し(目覚め)た。

 

「――キヒ」

 

 いつか聞いたような気がした声が彼女から漏れて出た。

 気のせいだったとあの時は流したその声は、次第に連続してその小さな口から発せられ、ゆっくりとその目が開かれる。

 

「――破壊、殺戮、ソノ手ニ、勝利……」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、自身に繋がれているチューブを引きちぎっていく。尻尾のような艤装も鎌首を持ち上げるように起き上がり、頭部がじっと南方提督を見つめてきた。

 起動させていないのに自ら動き出したそれに驚いた南方提督だったが、起きたのならばいい。彼女に主は誰なのか、そしてこれからどうすればいいのかを教えなければならない。

 

「目覚めたようで何よりだ。新たな個体、私がお前の主である、南方――」

「――アンタノ、願イハ……ワカッテイル」

「――何?」

「――勝利ヲ、戦果ヲ。キヒ、キヒヒヒヒヒヒ!! ソノタメニハ、殺戮ヲ……! 全テヲ、沈メテヤンヨ」

 

 紫色の瞳から一際強く青い燐光が放たれ、勢いよく跳躍した。

 天井をぶち破り、頭上から水が流れ落ちてくる。悲鳴を上げる南方提督を意に介さず、それはまるでイルカのように体をくねらせながら暗い深海から光を目指していく。

 しかしすぐに海上へと出るのではなく、ある海域を目指しながら浮上していくのだ。

 

「マズハ、ソロモン奪還。艦娘達、平穏ナンテ許サネエ、ソンナモノ、ブッ潰シテヤンヨ……!」

 

 見た目通り、子供のような無邪気な笑みで物騒な事を口にする。

 そうして彼女はただ一人、ソロモン海域を目指していった。

 一方、頭上から降り注ぐ海水を止めるために、深海棲艦らを使って応急処置として何とか穴を塞ぎ終えた南方提督。水浸しになった拠点の工廠で、続いて排水を指示する中で、出ていった彼女を放置するわけにはいかないと何とか思考を回す。

 カリカリと骨の指で骸の頬を掻きむしりながら「まずい、まずいぞ……」と呟きだす。

 まさか評価を取り戻すための個体が勝手に出陣とは。これでは暴走を起こしたと思われるに十分な出来事じゃないか。

 何とかして抑え込み、連れ帰らなければならない。

 

「予備戦力を出陣させろ……あれを止めるんだ……!」

 

 よもやこんなことになろうとは。

 だがどこにも問題はなかったはずだ。モニターに表示されていたあれの数字もグラフも異常は見られなかった。今までの量産型と変わらず、安定して起動できるはずだった。

 一体何がダメだったのか。

 それが南方提督にはわからなかった。

 

(原因究明は後でいい。一刻も早く連れ戻さねば……。こんな事、中部にでも知られれば、今度こそ私は……!)

 

 焦る気持ちを押さえられない南方提督。そんな中で予備戦力として眠らせていた深海棲艦が出撃していく。あの新艦を抑え込むために。

 その様子を、静かに見つめている深海棲艦がいることなど、南方提督にも出撃していった深海棲艦も気づく余裕はどこにもなかった。

 

 


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