呉鎮守府より   作:流星彗

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大湊

 

 

 いい機会が巡ってきた。

 今動かないでいつ動くの?

 

 今日もまたあの女、夕張が作業をしている。作業着に着替えて装備をいじくり回しているその後ろ姿。何度も見てしまっては慣れてくるものだけれど、それでも長くそれをしていたら匂ってくる。

 女がしていい匂いじゃあない。

 とはいえ夕張よりもあの人間の方が少しきついか。ここにはいないけれど。

 静かに後ろを通り過ぎ、工廠を後にする。目指すは鎮守府。それもあれがあるところだ。

 

 いつもと違ってこの呉鎮守府は静かなもの。

 それも当然。

 海藤凪、そして主力に属している艦娘達は出払われている。

 ここに残っているのは遠征を主とする水雷戦隊や、主力として選ばれなかった艦娘だけ。海の方では自主練をしている艦娘がいるが、それ以外はこっち側にはいない。

 だから動ける。

 それでも気を付けながら移動していき、鎮守府の中へと入り込む。

 足音を消し、気配を殺し、廊下を駆け抜けていく。

 場所は把握している。

 狙うは提督執務室。

 そこを目指して走り抜ける途中で、誰かが向こうから歩いてくる気配がした。瞬時に柱の陰に入り込み、そっと様子を見てみる。

 大淀だ。ファイルを手に静かに歩いてきている。

 どうする、と考え込み、いや、自然体でいいじゃないか、と結論付けた。

 

「あら?」

 

 と大淀が気づいて見下ろしてくる途中で、駆け抜けていった。足元をすり抜けていくそれに大淀は振り返り、角を曲がって消えていくそれを見て、いつもの事か、と苦笑を浮かべて歩き去る。

 うまくいった。

 やればできるじゃあないか。そのために日常風景として見られるようにしておいた甲斐があったというもの。

 目的通り執務室へとやってくるが、さてどうやって入るか。

 問題ない。チューブのようにそれを伸ばして鍵穴へと挿入。形状を変化させて一捻りすれば、問題なく鍵が開いた。

 部屋へと侵入すると、一目散にパソコンへと接近。鍵と同じようにチューブを伸ばし、パソコンを起動させてアクセス。パスワード? そんなもの関係ない。体を揺らしながら様々な音を口から発しつつ、チューブらしきものを通じて解析し、ロックを解除。

 

「―――?」

 

 今度は小さく軋むような音を響かせながらデータを閲覧。モニターに次々と立ち上がっていくフォルダを見つめながら、何度も小首を傾げつつデータをコピーしていく。

 海藤凪の情報。

 艦娘達の情報。

 最近の訓練に上がっていた弾着観測射撃についての情報……。

 この呉鎮守府についての様々な情報が盗まれていく。

 やがてひとしきり得られるものを得たそれは満足したように一鳴きする。

 

 電源を落とし、執務室を後にすれば向かう先は埠頭だ。

 この時のためにここに潜入したのだ。失敗があってはならない。

 埠頭まで行けば、自主練している呉の艦娘達が見える。彼女達から見えない方へと移動していき、手にしているものを海へと投げてやる。沈んでいったそれを見送り、小さく笑みを浮かべる。

 実に、実に簡単な作業だった。

 とはいえまた新たな情報が生まれればそれを入手し、送り付ければいい。自分はまだまだここでやることがある。それまで呉の者達に気づかれずに振舞い続けなければ。

 

「――何の音かと思えば、ここで何をしている?」

 

 不意に背後から声がかかった。思わず体が硬直する。

 そっと振り返れば軽巡の天龍が立っていた。

 何故ここにいるのだろう?

 まさか、ばれたのか?

 焦ってしまうが、それを知られるわけにはいかない。何でもない風に手を振るが、「そうか? 何かが水に落ちる音がしたような気がするんけどよぉ」と首を傾げて辺りを見回し始める。

 そうしている彼女へと気のせいさ、と仕草をしながら通り過ぎようとすると、

 

「そういや、いつものあれはどうした?」

 

 あれ? と天龍を見れば、何かを手にしているような仕草をする。両手で持っているかのようなその手の動き。それがなんであるかは容易にわかる。

 あれは今いない、と言うと、「ふぅん?」とちらりと海の方を見る。

 

「落ちてないよな?」

 

 そんなまさか、と首を振り、石を蹴り飛ばしたんだ、と返すとどこか納得していないながらも、そうか、と頷いた。

 

「危ないから、お前も落ちるんじゃねえぞ?」

 

 と、言い残して天龍が去っていく。

 危ないところだった。ばれたかと思ったけれど、そうでもないらしい。でも、疑惑が生まれたような気もする。

 知られたら一巻の終わり。慎重に動かないといけない。

 少し流れた冷や汗を拭い、それはいつもの日常へと戻っていった。

 

 

 

 寒い。

 さすがは北国といったところか、と凪は思った。

 今、凪達がいるのは大湊警備府。場所は青森県にあり、2月ということもあって寒い。北国に慣れていない凪としては服を着込んでも寒く感じてしまう気温だった。

 頬にあたる風が冷たすぎる。手袋をしているからいいものの、素手だったらどれくらい冷えてしまうだろう。たぶんものを上手くつかめなくなるくらいになってしまうんじゃないか、と思ってしまった。

 そしてこの大湊で提督をしているのが、凪の目の前にいる少し小柄な人物。

 提督帽を目深に被り、茶髪を肩まで伸ばしている。じっと凪を見つめる視線は厳しく、凪達をあまり歓迎しているようには見えなかった。

 

「お初にお目にかかります。今回の申し出を受け入れてくださり、感謝いたします。呉鎮守府の海藤凪、ただいま到着いたしました」

「よろしくお願いします。一応、名乗っておきます。ここ大湊を任されている宮下灯(みやしたともり)と言います。本日ははるばると、こんな北までようこそいらっしゃいましたね。ごゆっくり過ごされるといいですよ」

 

 丁寧な物言いだが、どこか皮肉めいた棘を感じる。

 寒がっているのをわかっていて「ごゆっくり」と言ったのならば、わかりやすい毒だ。

 彼女、宮下灯は凪から見て二期先輩にあたるアカデミーの卒業生である。ここ大湊に配属されたのは卒業してすぐなので、三年も提督を続けているということになる。

 そして何より女性提督だ。

 現在においては淵上湊と合わせて二人しかいない女性提督の片割れでもある。

 首をしゃくってついてこい、という風に言外に言うと、先頭を歩き出す。その後に凪達がついていく事になった。

 何故大湊に来ることになったのかというと、発端はやはりあの大和にある。

 佐世保以外で演習をしてみたい、という願いを叶えるために、ダメもとで宮下に連絡を取ってみると、渋々ながらも彼女は承知したのだ。天気がいい日を選び、こっちに来いということなので、凪達はこの日、大湊を訪れる事になったのだ。

 

「しかし宮下殿、失礼ながらも言わせていただきますと、私どもの演習願いを引き受けてくださるとは、全く思いませんでしたが……」

「そうね。わたしとしてもあまり引き受ける気はありませんでしたよ。ただ、流石に動かなすぎて大本営からそろそろ何かしろ、と五月蠅くなったものでしてね……どうしたものかと思っていたところに、後輩からの演習願い。ありがたく思っているのはこちらもですよ」

 

 と、肩ごしに振り返りながら笑みを浮かべる。

 

「可愛い後輩に胸を貸してあげる。そういうポーズくらいはとってもいいんじゃないか、と思った次第ですよ。それに、噂に聞く呉の主力も見てみたいと思っていましたし、色々とわたしとしても得がある。おわかりかしら?」

「それはそれは。正直に答えて頂きありがとうございます。しかし私どもの噂と言われましても、まだ一年にも満たない若輩者ですよ。こんな北まで噂とやらが届くほど、あまり活躍した覚えなどないのですが」

「無理な謙遜はするものではないですよ。あなたの世代はなかなか曲者が揃っていらっしゃる。あなたは自ら作業員になった第三課上がり、主席はちゃらちゃらした熱い馬鹿、ラバウルにいったのは引きこもり。そしてリンガはリンガで肉達磨でアレな馬鹿。……わたしの一年後輩のあれらに比べたらマシだけど、それでも曲者揃いよね。いつからアカデミーの首席らはこうなったのかしら?」

「……さあ、私にはわかりかねます」

 

 ちなみに一年後輩、というのは先代呉提督や先代佐世保提督にあたる。彼女の物言いだと、あの二人に対してあまりいい印象を抱いていないようだった。とはいえ凪としても先代佐世保提督、越智に関しては同意見だ。

 南方棲戦姫との戦いにおいて彼の振る舞いは目に余る。あれを普段からしていたと考えると、嫌悪しか抱けない。

 そして彼女の自分達に対しての物言いもまた否定しきれないのが困る。

 何せ事実なのだから。

 

「しかし、ラバウルの深山に関しては引きこもりから脱却しつつある、とフォローいたしますが」

「あら、それはわたしが引きこもりから脱却できていない、と言いたいのでしょうか?」

「い、いえ、別にそのような……」

 

 いかん、藪蛇だったか、と口をつぐんでしまった。

 彼女もまた最近までずっとあまり作戦には参加せず、北海道周辺などを警邏し続けるだけの方針だった。それから外には出ていかず、やるとするならば遠征ばかりという、ラバウルほどではないにしろ、大湊に引きこもっていたのだから。

 

「まあ、わたしとしましてもあまり動く気になれませんでしたからね。それなりに泊地棲姫だとか装甲空母姫だとかを相手にするだけで充分でしたので。あ、そこ滑りやすいので注意を」

 

 と、階段を示しながら忠告する。

 演習として利用する埠頭まで来ると、そこには大湊の主力艦隊が簡易的に作られた区画の中で暖をとっていた。「そこがあなたたちのスペースです。少し温まってから演習しましょうか」と示してくれたので、感謝を述べる。

 

「それと、変に畏まられ続けるのも性に合わないので、素で結構。その方が楽でしょう? ストレスも溜まらないでしょうし。ね?」

「……それも、ご存知でしたか」

「ええ。人付き合いの苦手な提督、と耳にしていますよ。それでよくもまああの美空大将の下につけるものか、とある意味尊敬の念を抱いていたりしますよ。あの人、きついでしょうに」

「いえ、別に美空大将の下についているわけでは」

「違うのですか? 美空大将と懇意にしていると聞いていますよ? 姪である淵上湊とも仲がいいとか。それに第三課にいたあなたを引っ張ってきたのも美空大将。となれば、あなたは美空大将の派閥に属しているものとみなされますが」

 

 第三者の視点から見ればそうなるのか、と凪は口を閉ざす。

 自分がどれだけ否定しようとも、他人の目から見た印象というものはどうにもならない。それにきっぱりと否定出来るというわけでもない。凪は確かに呉鎮守府に就任した後も彼女から早くに改二データをもらい、建設の依頼をしているし、戦果報告も彼女にしている。

 それは紛れもなく彼女の部下である、と示しているかのようだ。

 

「正式な取り決めはしてないかもしれませんが、海藤凪、あなたはかの美空大将の派閥に属する提督である。それがわたし達から見たあなたの立ち位置なのですよ。となれば、西守大将の下についている横須賀、舞鶴とは対立関係になります。向こうからも、特に何も言われる事、ないでしょう?」

「……ないですね」

「それはあなたが就任した当初から、向こうからすれば美空大将から送り込まれた駒としか見られていないからです。もし合同演習を申し入れていたとするならば、却下されるか、全力で叩き潰されるか、ふふ……どうなっていたでしょうね」

 

 どこか面白そうな笑みを浮かべながら宮下は席に着く。そんな彼女を横目で見ながら凪も席に着き、ふと気になって「――あなたはどちら側に?」と問いかけてみる。

 すると足を組みながら帽子のつばをいじりつつ「わたしはどちらにも」と返ってきた。

 

「中立です。わたしはそういう面倒な事に関わりたくはありません。その点でいえばあなたと同じではあります。が、あなたと違い、誰にも尻尾は振りません。わたしはわたしの意思でこの鎮守府の提督として動くのみです」

「…………」

「引きこもり、大いに結構。あの五月蠅い奴らにいいように使われるなんてまっぴら御免なのですよ。だってそうでしょう? 深海棲艦を狩りの獲物とし、戦果を挙げつつ自分の立場を守り続けるだけの輩。時代、敵が変わろうと、人というものは変わらない。なんとも愚かで悲しいことでしょう。そんなものの下になどつきたくありませんわ」

「……その点に関しては同意します。ですが、いつまでもそうしていては目を付けられるのでは?」

「幸いわたしはそれなりに戦果を挙げ、大本営にもいくらか貢献しているので首を切られるのは免れています。わたしはね、西守大将、美空大将という個人や派閥の下にはつきません。大本営という大きな組織に従うだけです。その中でわたしなりの時間を過ごすだけですよ。ですが――」

 

 ぱちん、と指を鳴らすと、大湊の艦娘達が一斉に動いて整列する。

 言葉はいらない。指のアクションだけで艦娘達が動くくらいには統率がとれているという証だった。

 

「――使う兵器の調整を怠ってはいませんよ。こちらはいつでも結構。覚悟が出来たのならば、始めましょうか? 海藤凪」

 

 にっこりと目を細めながら微笑む宮下だが、そこには確かな自信が存在していた。

 これは演習だ。轟沈の恐れはない。

 しかしそれでもお互いの力を推し測り、実力を示す場でもある。

 引きこもり、と自分で口にした彼女ではあるが、それでも卒業してから三年大湊で提督として在り続けた人物でもある。

 その時間に裏付けされた自信があるのだ。

 一年にも満たない時間を過ごしている後輩に後れを取るはずがない、という確かな自信。

 まさに勝てるものなら勝ってみろ。このわたしが胸を貸してやろう、という思いに満ちた、笑っていない笑顔がそこにある。

 

「では、よろしくお願いします。宮代さん」

 

 例え勝てなくても、ぶつかり合う事で何かが得られるかもしれない。

 出来る事をやりきってみせるだけだ。

 長門をはじめとする呉の艦娘達に戦意がみなぎる。一歩も引かぬその意思に、宮代は薄く微笑を浮かべた。「結構」と呟くと、

 

「まずは一水戦からお相手してあげましょう。軽く揉んで差し上げなさい、多摩」

「にゃー、お任せにゃ」

「では胸をお借りしましょうか。お手柔らかに、多摩さん」

「よろしくにゃ、神通。全力でくるといいにゃ。その方が、後腐れがないからにゃ」

 

 両手を組んで指を鳴らす多摩を前に、神通が目を細めつつ礼をする。

 戦う前からもう戦いが始まっている。一水戦旗艦の二人の間には火花が散り、ひとしきりお互いの目を見つめ合うと、揃って海へと向かっていった。

 これは演習だ。沈め合う実戦じゃあない。

 だというのに、なんだろう、この空気は。

 大丈夫だよな?

 久しぶりに胃が痛い気がする。

 軽くお腹を押さえながら、凪は無事に終わる事を祈った。

 

 


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