呉鎮守府より   作:流星彗

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出陣

 

 

「それは本当かしら?」

「はい。妖精は我々の味方である、という固定概念を突かれた策でしょう。恐らく深海側が妖精の姿をとってそちらにも潜り込んでいる可能性があるかと……」

「だとすると、厄介ね。うちには色々と工廠妖精がいる。その中の一人にでもなられたら、見つけ出すのは困難だわ。見分ける手段でもあればいいのだけれど、海藤はその手段を確立することなく、ぼろを出したところを捕まえただけ、と?」

「そのようです」

 

 伯母である美空大将へセーラー少女妖精について報告する湊。妖精に化けた深海側の戦力、というのはとんでもない異常事態だ。そもそも深海の何者かが人間側に潜伏してくるなど想像していなかったのが失態だろう。

 最近では知性を感じさせはしたが、それでもスパイ活動までするとは思わなかった。何せ最初はただの獣のようにしか思えないような行動ばかりしてきたのだ。ここまで成長し、知性を感じさせる動きを見せるほどになるとは。

 それは深海提督のことを美空大将に伝えていなかった影響でもある。大湊の宮下には話したが、まだ美空大将には報告していなかったのだ。湊にも話していないので、彼女から美空大将にも伝えられない。

 

「わかった。私としても出来る限りのことはしてみましょう。……今回のことで一時撤退されそうな気がしないでもないけれど」

「お気をつけて」

「それと湊。香月の事、よろしく頼むわね?」

「……はい」

 

 電話を切って海を見れば、ちょうど指揮艦が埠頭へと到着したところだった。入港した指揮艦から降りてきたのは一人の少年だ。少年と感じたのは童顔で男性にしては小柄だったためだ。しかしああ見えて彼はもう成人している。

 湊も出迎えるために凪の隣に並ぶ。そんな二人の前に立ち、敬礼した彼こそが美空大将の次男、美空香月その人だった。

 

「お初にお目にかかります。美空香月、到着しました。以後よろしくお願いします」

「呉鎮守府の海藤凪です。ようこそ、美空香月さん。歓迎するよ」

「……どうも。お久しぶり。一応挨拶として、あたしは佐世保の淵上湊。今回の旅に同行させてもらうわ」

「……どうも。見間違いじゃあなかったようで。よろしく頼みますよ、湊」

「ああ、そうかしこまらないでいいよ。気を楽にして。俺はそう固くなるのはあまり好きじゃないんで。湊に対してもいつも通りで構わないよ」

「そうですか? じゃあ――ま、よろしく頼みますよ」

 

 と、きちっと敬礼してきた時とは違い、大きく肩の力を抜いて姿勢も崩し始めた。

 

「それで? すぐに出発するんで? オレとしてはちゃっちゃと自分の勤める場所に行って、ちゃっちゃと提督業を始めたいとこなんですけど」

「仕事熱心なことね、香月。いや、それは正しくないか。話には聞いてたけど、あんた、復讐心で提督目指してたんだって?」

「ああ、そうだよ。でも、それのどこがいけねえってんだ湊? 深海棲艦は殲滅すべき人類の敵ってやつジャン? オレもまたそれを望んでいらぁ。そしてようやく自分の戦力を持てるようになったってなもんよ。嬉しくねぇわけないジャン。そして、ちゃっちゃと戦力補充をし、力をつけたいと考えるのは自然なことだろう? はっ、復讐上等。それが人類のためになるってやつってねえ。むしろ褒めてもらいたいところだねえ」

 

 ぎらついた瞳でそう語る香月。なるほど、これは美空大将も心配になる雰囲気だ。深海棲艦を迷いなく敵と断じ、それを殲滅すべきだと意気揚々になるのは結構なことだろう。それは兵士としては充分な精神であり、迷いなく行動出来る要素になる。

 だが人としてはどうだろうか。上に立つものとしてはどうだろうか。

 その精神の在り方ではどこかで歪みが生まれてしまうのではないか、と母親としては心配になるところなのだろう。

 

「体は小さいくせに、よくもまあそんな大層な心を育んだものね。アカデミーでは友達出来なかったでしょ?」

「あぁ!? 体はかんけえねえジャン!? つーか、ダチいねえのは湊も同じだろうがよぉ!? そんな奴にそこを指摘されるいわれはねえぞ、オラァ!?」

 

 並べてみると、湊よりも身長が低いらしい。どこか面白そうな目で湊が香月を見下ろしているのがよくわかる。そんな眼差しを受けて少しばかり上目づかいで香月が言い返している。

 というかどこかのヤンキーっぽい口調が素なのだろうか。あの美空大将の息子がヤンキーとは……いや、ある意味あの覇気に近しい雰囲気はあの人の息子らしいのかもしれない。

 

「あたしは人嫌いだし。あんたは違ったでしょ? あの一件以降、友達、捨てた?」

「はっ、ま、そうだな……。あれからただただ提督になるべく走り続けてきたってなもんよ。それに必要ないもんは、そうだな。捨ててきたよ。でも、おかげさんでこうして提督になる資格を得たんだ。とりあえずの目的は達成したってねえ。だからこそ、ちゃっちゃとパラオに行きたいところジャン? 海藤サンよぉ、ということでお願いしていいですかね?」

 

 じっと見上げてきているその瞳を凪はどこか危ういものだ、と感じてしまう。言葉通りに受け止めればなんと仕事熱心なことだろうと感じるだろう。休む間もなく、今度は数日かけての船旅だ。それを苦にも感じることなく、早く提督を始めさせろと願い出ている。

 美空大将も心配するわけだ、と納得してしまいそうだ。

 

「わかったよ。準備は出来ているし、行きますかね。じゃあ大淀。うちの娘達を集めて。出発しようか」

「はい」

「では香月さん、うちの指揮艦へ。大本営の大淀、留守は任せたよ」

「はい。いってらっしゃいませ」

 

 留守の間はいつも通り大本営が用意した艦隊が呉鎮守府の警備に当たる。

 移動の際に香月が「それと海藤サンよぉ」と声をかけてきた。やっぱり美空の血筋的なものなのだろうか、と感じてしまうと、

 

「オレのこたぁ呼び捨てで構わねえぜ」

 

 と言ってきたので、頷いておく。呉鎮守府にいた戦力が全て乗船し、二隻の指揮艦が呉鎮守府を出港する。

 セーラー少女妖精の一件があったが、香月に話すようなことでもない。美空大将には湊が報告しているので、一旦この件は置いておくことにする。他にもスパイがいるかもしれないという危険性はあるが、他の妖精達もまた監視に回ってくれることになってくれている。

 艦娘の目が届かない内は、同じ妖精同士でこっそりと見張らせておいていた。残念ながら凪に直接報告しても言葉が分からないという欠点があったので、そのチャンスは短いものだったし、妖精自身も気まぐれなところがあるので多くは頼めないでいた。

 スパイがあのセーラー少女妖精だけとは限らない。しかし何となく呉鎮守府にいたのはあれだけなのかもしれない、という気がしないでもない。虫の知らせはあれ以降起きていない。

 経験上、虫の知らせの腹痛はほぼ100パーセントの確率で当たっているといってもいい。これが起きた時には何かが起きている。あるいは起きようとしている。

 今はそれがない。ということは少なくとも呉鎮守府には危機はないといっていいだろう。

 

(……ま、希望的観測でしかない。深海側がスパイを複数送り込んでいる可能性だってあるんだし。うちにまた来るかもしれない。その時はその時か)

 

 深海との戦いは色々と後手に回っている。奴らはどういうわけか色々と先手を打ってきている。スパイもまたその内の一つだ。

 そろそろ人間側からも先手を打ちたいが、その手段が思い浮かばない。何せ奴らの拠点の場所すらわからない。今回の妖精のように探りを入れることすら出来ないのだ。

 悩みは尽きないが、今は周囲を警戒しつつ太平洋へと出る。水雷戦隊が指揮艦の周囲を警戒しつつ、二隻の指揮艦は太平洋を南下し、トラック泊地を目指すのだった。

 

 

(――――)

 

 それをヨ級が見守っていた。呉鎮守府から逃亡した白猫はすでに中部提督の下へと向かっている。だがヨ級はその場にとどまり、凪達の警戒網の外からじっと彼らの行く末を見張っていた。

 じりじりと後退しつつ、深海棲艦同士で通じる暗号を発する。

 

 呉鎮守府より、二隻の船、出港。

 トラック泊地方面へと南下。

 

 このような言葉を送り届ける。

 いくつかの深海棲艦を経由して暗号が中部提督のもとへと届き、彼は小さく笑みを浮かべる。

 

「時は来た。ではテストを始めるとしようか。戦力は整ったかい、南方?」

「……ああ。改とやらも建造出来た。陸上基地も送り込めば目覚めるだろうよ」

「よろしい。では、作戦通り動いてもらおうか。わかっていると思うけれど、君はラバウルと、可能ならばトラックも引きずり出してもらう役だよ。そのために可能な限り、目立ってもらうからね」

 

 そうして南方の戦力が暴れている間に、中部提督がトラック泊地へと接近。攻撃を仕掛けることで、トラック泊地に向かっている凪達を釣りだし、彼らの戦力とぶつかり合わせる算段だ。

 今回の戦いは人間戦力を潰すことではない。

 色々なことを試運転し、データをとることが第一の目的。

 そして最近躍進しつつある呉鎮守府の戦力と一戦交えてみることで、彼の力を実感してみることが第二の目的だ。

 そんな本気ではない戦いの場に、もう一人加わっている。それはもう一つの画面に映し出されているものだ。モノアイのユニットから映し出されているのは肌白い何者かだ。紺色のぼやけた光を放つ瞳を持つそれは、中部提督よりも人に近しいものになっていた。

 中部提督や南方提督と同じようなフードをかぶっているが、顔は全て深海棲艦の皮膚に覆われていて骸の部分はない。フードの陰に隠れているのでよく見えないが、中世的な顔つきをしているのがわかる。

 

「それで、なぜ北方がいる?」

「いやなに、この作戦の成果如何では次の作戦に参加してもらう予定だからね。陸上基地について知ってもらうため声をかけたんだよ」

「……我としては期待半分で見学させてもらうのみ。使えるものであれば我も使うだけ。それなりの結果を示すがよい、南方」

「ちっ、北の女狐が……お前にとってはただの見世物だろうに」

「戯れも後々役に立つならば有意義なもの。その点中部の計画は先を想定していよう。戦いに敗北しても得られるものがあるだろうよ。なればこそ我はその過程も含めて楽しませてもらうのみ。上手く舞い踊るといい、南方。良きデータを我らに残しなさい」

 

 北方提督はどうやら女性らしい。傍らには護衛要塞らしき球体が浮いており、そこには湯呑が置かれている。時々そちらに手を伸ばして湯呑を傾けているのは様になっている。

 フードに隠れている虚ろな紺色の光の奥にある瞳が細められるが、その口元も小さく笑みを浮かべている。それはまさしく怪しげな雰囲気を漂わせる妖艶な微笑のよう。魔女というものが存在するならば、彼女こそ魔女と呼べる存在に相応しい。

 それが自分を馬鹿にしているとでも感じたのだろうか。南方提督がぎりっと骨の手を握りしめる。今の彼にとって色々なものが自分を嘲笑っていると感じているほどに卑屈になっているのだ。

 北方提督の事を女狐と呼ぶのもそのためだ。

 

「行ってくる。お前もちゃんと動いてくれるんだろうな?」

「もちろんさ。安心するといいよ。ちゃんとデータを取らなくちゃあいけないからね」

「ならいい。……せいぜいお望み通りに暴れてやる」

 

 そして彼は出陣する。色々思うところはあるだろうが、一旦それを何とか胸の内にひそめ、補充された戦力に指示を出し、彼の艦隊はソロモンへと舞い戻る。

 中部提督も北方提督へと視線を向け、「ではあなたはゆっくりと鑑賞していってください」と一礼すると「上手くいくと良いのだがな」と言葉が返ってくる。

 

「そうですね。呉の提督が釣られてくれるかどうかってところが気になるんだけどね。ま、そのあたりは実は心配してないんですよ」

「ほう、左様か?」

「調べによれば現在トラックの提督は、ショートランド泊地とブイン基地に就任する提督を送り届けている。そしてトラックの提督は情に厚い。ラバウルの危機となれば、友のために駆けつけるでしょう。空いたトラックに僕達が攻撃を仕掛けるとなれば、呉の提督もまた黙っちゃいない。こっちも友のために打って出る。全ては友のため。それが、彼らを戦場へと向かわせる要因となる。人間とはそういうものさ」

「……ふむ、否定は出来ぬな。何にせよ人ではない我にとっては、どうでもいいことに過ぎない」

 

 つまらなそうに北方提督はそう口にする。湯呑を口にし、護衛要塞の体へと肘を立てて頬杖をついた。そんな姿を見て「そういえば北方さんは、大部分を思い出していたんでしたっけ?」と何気なく問いかける。

 

「さて。思い出したとも云えるし、そうでもないとも云える。我にとって前世は道具として動き続けていただけのモノ。そんなに思い出すものはないと云うもの。中部、もしかすると(なれ)も耳にしたことがあるかもしれない。その程度には名を残していると云われるであろうよ。我とはそう云う存在だった」

「……ふむ? その割には暗い感情を強く宿していらっしゃる。見た目も随分と人に戻っていますし」

「それは我からも云えるというもの、中部。汝、人に戻っていよう。それにどこか生き生きとしたような感情が見える。我と違ってクソッタレとやらな人生ではなかったようだが? そんなに充実して笑える人生だったのか? それはそれで憎らしい。もう一度死ねばいいのでは?」

「いやいや、別にそういうわけでもないですよ。ただ、そうですね……確かに今の僕は生き生きとしているかもしれない」

 

 不意にどこからか明るい陽光が差しこんでくる。こんな深海にそのようなものが差し込むはずはない。これは幻覚だ。はっきりとそんなことが言える状況の中で彼は言葉を続ける。

 

「でもそれはこっちの人生の方が面白味があるからと言えるからですよ。北方さん、僕はね。一度死んで良かったとも思えるようになっているんですよね」

 

 光の幻覚の中でそんなことを晴れ晴れとした表情で言える中部。静かにチャイム、あるいは鐘のようなものが一つ、また一つと鳴らされるかのような幻聴が聞こえてきそうだった。その光景に訝しげに北方提督が首を傾げている。

 

「それくらい今が充実している。この子達が可愛くて仕方がない。成長していくことに喜びを感じている。そして計画を構築し、進めていくことが楽しい。どれも人間だった頃よりも面白味がある。あっちはあっちでそんなに悪くはなかったけれどね。だから北方さん、僕が生き生きとしているように見えるのならば、それは僕にとっての褒め言葉でしかないよ」

「ほう、それはそれは、大層素敵なことではないか。汝を蘇らせてくれた誰かにでも感謝するといい。とはいえ、その誰かはこの間南西を消滅させてしまったが」

 

 そう、輸送に徹していた南西提督は見切りをつけられた。現在は印度提督が南西提督が担当していた海域を兼任しているが、新たな南西提督が生まれない限りはずっとこのままだ。

 深海棲艦、深海提督を生み出した何者か。深海提督ですら知らない存在の心ひとつで、深海提督ですら切り捨てられる。それを改めて深海提督に思い知らされる一件である。

 

「気をつけることだな、中部。机上だけ練りに練り続け、誰かに見限られないように」

「なぁに。これからその机上の計画を現実のものにしてくるんだ。しばらくは大丈夫さ。でも心配してくれたことには感謝しましょう」

 

 それを体で表すように一礼し、中部提督は振り返る。そこにはヲ級改と二人の戦艦棲姫が待機していた。片方の戦艦棲姫は何やら緑色の縁をした眼鏡をかけている。恐らくラバウルの霧島を改造した戦艦棲姫なのだろう。艦娘の霧島がかけていた眼鏡をそのまま引き継いだようだ。

 三人を見回した中部提督は微笑を浮かべ、

 

「では、これよりウェーク島に向かうよ。それぞれに当てた艦隊、そして君たちの作戦、把握しているね?」

「……問題ナイ。私タチハ、アクマデモ引キ立テ役。死ナナイ程度ニ、立チ回ロウ……」

「作戦ハ、全テ頭ノ中ニ入ッテイマス。オ任セヲ」

 

 ヲ級改はそう言って一礼し、霧島の戦艦棲姫は眼鏡に指を添えながら瞑目する。そんな彼女に「ウェークノ守護ヲスルノデショウ? 大丈夫、ナノカシラ……? フフフ」ともう一人の戦艦棲姫が微笑を浮かべる。

 こちらは武蔵のデータを用いて作られた純粋な戦艦棲姫だ。艦娘から転じた戦艦棲姫だということはわかっているようで、そんなお前にウェークは守れるのか? と少々見下しているらしい。

 それを感じ取った霧島の戦艦棲姫――深海霧島はじろりと目を細め、眼鏡のレンズを光らせる。

 

「オヤ? 確カニ私ハ転ジタ存在デス。ダカラトイッテ、見クビッテモラッテハ困リマスネ……。今ノ私ハ深海棲艦。艦娘デハアリマセン……。司令ノ命ノモト、任務ヲ果タスマデノコトデス。ソレヲ疑ウトイウノナラバ、イイデショウ……。私ノ力デモココデ示シマショウカ……?」

 

 ぎりっと拳を握りしめ、不敵に笑みを浮かべてみせる。艦娘の頃は頭脳派を自称していた深海霧島。先ほどまでの雰囲気もそれが見えていたが、今のその言動は頭脳派というより武闘派だ。

 纏うオーラも静かに熱を持ち、戦艦棲姫へと纏わりついていくかのようだ。両者とも艤装である魔物を今は引き連れていない。力を示すというのであれば、文字通りその肉体で示すことになるが、深海霧島がそこに佇んでいるだけで強者としての雰囲気が存在している。

 やはりラバウルの霧島として積み重ねてきた経験があるからだろうか。ここで建造された戦艦棲姫と違い、艦娘から転じているため、彼女には戦いの経験値というものが存在している。

 転じた存在だと見下した戦艦棲姫だが、それは誤りであったことに気づく。

 転じたからこそ彼女には自分にはないものを持っている。それを発揮されれば、敗北するのはどちらなのか火を見るよりも明らかだ。

 振り上げた拳をそのままひっこめるしかない。

 

「……悪カッタワ。ウェークハ貴女ニ任セルワ。先ホドノ言葉ハ謝罪シマショウ」

「理解イタダケタナラ結構デス。門番ハ任セマスヨ」

「ヤレヤレ。味方同士デ、イガミアッテ……ドウスル。ソレデハ、先ガ思イヤラレル……」

「なに、そうして言葉を交わしあい、絆を深められるならば僥倖さ赤城。それに霧島、君の前世としての経験は残してある。それを活かしてウェークの艦隊の指揮を任せるんだ。それなりに立ち回り、それぞれの戦闘データを取ってほしい。期待しているよ」

「御意。私ニ全テオ任セヲ、司令。アナタニ第三ノ命ヲ授カッタ身。故ニアナタノ期待ニ応エテミセマス」

 

 深海霧島は完全に中部提督に忠誠を誓っている。それだけ中部提督の調整の腕がいいと窺えるものだ。艦娘の頃の戦闘経験値は残し、転じた存在であるという自覚も残しつつ、その忠誠心を自分へと向ける。並大抵の腕では出来ないものだろう。

 裏切りの危険性は必ず排除しなければならない。艦娘の頃の記憶をどう処理したのか。それによって危険性は抑えられるだろうに、彼の微笑からはその不安が感じられない。裏切られることはないという自信さえ感じさせるものだった。

 

「ではウェークに赴くとしようか。赤城、霧島、武蔵。君達の活躍に期待しているよ。今回の戦いにより、ウェーク、榛名、古鷹、そしてアルバコアのデータ収集が出来る。後に繋げるための戦いだ。可能ならば生きて帰ってくるように」

『御意』

 

 彼女らもまた出撃する。

 この数か月で整えられた戦力を率い、ウェーク島へと向かうのだ。

 榛名はル級改、古鷹はリ級改、そしてアルバコアと呼んだのはヨ級ではないまた別の個体だ。開発された新装備を手に、彼女達は戦場へと赴く。

 その戦場に中部提督も足を運ぶ。モニター越しや誰かの口から報告を耳にするのではなく、己が目で耳で凪達を知ろうと考えたのだ。

 彼が移動するために必要なもの、チ級の足元と接続されている機械部分を改造したものが運ばれてくる。座席があり、エンジンも搭載されているそれは一見してバイクのようなものだろう。

 モノアイのライトが怪しく光り、後部には海を移動するためのスクリューがある。それに乗った中部提督がハンドルを回せば、エンジンが唸りを上げる。

 

「出撃する」

 

 その言葉に、彼に付き従う深海棲艦達が鬨の声を上げる。先導する中部提督に続くように無数の深海棲艦達が拠点を離れて海底を往く。それを見送るのは観戦する北方提督。通信を繋ぎ、カメラの役割をしているユニットもまた移動しながら中継を続けていた。

 

(気合が入って結構なことだ。しかし……あの音が鳴ったということは、中部もまた確実に気に入られてはいるのか)

 

 あの音、というのは中部が死んで良かった、と語った後に聞こえてきた幻聴だ。さすがに晴れ晴れとしている彼に光が差したように見えたのは幻覚でしかないが、どこからともなく聞こえてきたチャイムのような音もまた幻聴だろうと思えるだろう。

 しかし、それは幻聴ではない。

 その音は一部の深海棲艦や深海提督が耳にしたことがある、という報告がある。

 こんな何もない海でチャイムのような音が聞こえるなんてことがあるはずはない、と当初は虚ろな存在、精神からくる幻聴だろうと言われていたが、それにしては様々なところで報告例があるので、秘匿情報として陰で伝えられている。

 中部提督はこの情報を耳にしたことはなかったが、北方提督は耳にしていた。それもただ又聞きしたものではない。

 

(我らが更なる成長をするための鍵を握っているというのは確か。中部の試行錯誤により、艦娘と離された距離を縮めていく未来は想定出来る。しかし中部があれに気に入られるだけの戦果を挙げてはいない。所詮は補佐として立ち回り、建造開発を続けてきただけの存在。指揮官というよりも、ただの雑用。新たな駒や装備は、あれが気まぐれに生み出すようなものだったというのに、よもや深海の提督が生み出そうとは。我と同時期に生まれた奴らはなにを思うのか)

 

 南方提督として過ごしていた間も、中部提督として過ごしていた間も戦果という戦果は挙げていない。ほとんどの時間を深海棲艦の建造や調整に費やし、それなりに深海棲艦を戦わせていただけ。

 もちろん南方棲戦姫を生み出したり、アメリカ相手に他の深海提督と共同で戦っていたりはしたが、後者に関してはほぼサポートしていただけに過ぎない。

 とはいえ南方提督として先代呉艦隊を壊滅させ、提督を殺害した戦果はある。その提督が今代の南方提督となっているのだが、でもそれだけだ。それ以外に目立った戦果はない。

 

(いや、何も思わぬし何も云わぬか。あの時期の奴らは語るような言葉は何も持たない存在。……我も含めて。ただ蘇らされ、使い捨てにされるだけの木偶人形。形としての提督と云う存在でしかなかったか。そこから脱却したのは我と、欧州のみ)

 

 現在欧州方面で活動している深海提督。噂で耳にする限りではなかなかの活躍をしているらしい。それによって欧州戦線は五分五分に近しい状態となっている。欧州は艦娘を保有している国が複数存在しているのに、それがただ一人の深海提督が展開している戦力と互角に近しい状態にあるのだ。深海提督としては北方提督と同じく古参であり、他の深海提督と違って今もなお生き続け、それでいて戦果を挙げている。

 さすがはあれのお気に入りかもしれない存在、と北方提督は陰で思っている。

 

(だがほんっと、胸糞悪い。ずっと眠っていたというのに、よもやこのような第二の生を与えられるなど、運命と云うものはどうかしていよう。呪うしかあるまいよ)

 

 苛立ちを隠せぬように荒々しく湯呑を護衛要塞へと叩きつける。湯呑程度では痛みはあまりないだろうが、護衛要塞は小さく声を漏らしてしまった。第一の生の意味を終えて眠り続けていた北方提督と欧州提督。あれの意志によって無理やり体を与えられ、眠りから覚まされた存在。

 意思ある存在となってから何度も思ったことだ。どうして自分なのかと。やめようと思ってもやめられない。ただ深海の勢力として行動することを強いられる。いつしか思考も深海寄りになっていき、自分の行動にわずかな不満があろうとも、人類の敵対者で在ることをやめられず、行動し続けるだけの存在。それが今の北方提督だ。

 つい八つ当たりした護衛要塞や、付き人である何者かに気も向けず、思考がそれてしまったことを恥じるように呼吸を落ち着かせ、中部提督のことへと思考を戻した。

 

(中部の外見が人に戻りつつあるところから見ても、あの音が鳴らされる条件は整ってきていると云えよう。あそこまでいけば、生前が何者かだったのかは察している。それでいてあんなことを口に出来るんだから、言葉通り今の自分の方がいいものと考えているのだろう。はっ、よほどつまらない人生だったんでしょうね。今のこんな暮らしをいいものと捉えられるくらいには)

 

 基本的に光差さない地での生活だ。太陽の光と縁遠い拠点の中で日常生活をする。普通の人間ならばそれはあり得ないことだろう。そして彼女にとってもそれは生前ではあまり考えられなかったものだった。

 付き人の手から新しい茶が湯呑に満たされる。それを口にしながら紺色の光がゆっくりと細められる。

 

(何にせよ今回の結果次第であれの真意が少しでも見えてこよう。果たしてあの音をこれからも中部に鳴らし、力を授けるのか否か。……ん?)

 

 ふと、背後にヨ級が控えた。何かを報告すると北方提督はやれやれと言いたげに嘆息する。湯呑を置くと、「――早いところ追い返すとしようか」と告げる。

 

「大湊も最近妙に張り切っているものね。どういう風の吹き回しか。我が拠点には絶対に近づけさせるな。わかっていよう?」

「――――」

 

 最近では北方提督の拠点付近にまで大湊の艦隊が出てきている。数か月前から妙に活発になってきているようで、北方提督としては気分がよくない。それまではあまり動きはなかったというのに、どういうわけか就任したての頃のようによく北方海域を艦隊が動き回っている。

 ここ数日は拠点としている海域付近にまで近づいてきているため、潜水艦でも使われれば発見されかねない状態になっている。

 拠点を変えれば発見されることはないだろうが、それでは大湊の提督、宮下から逃げたようなものだ。北方提督としてはあまりいい気分ではない。最終手段としては考慮しておくが、今はその時ではない。

 

「いけ好かない女ね、大湊め……。我が平穏をこれ以上脅かそうものならば……雌雄を決してくれようか」

 

 呟きながら傍らに置いてある刀のようなものを手にする。暗き色をたたえた一品だ。本来は光を反射するだけの刀身がそこにあっただろうに、ゆっくりと抜かれたそれは何も映さぬ漆黒に染まっている。

 まるでそれは彼女の心を映しているかのようだ。その刀身を見つめる紺色の光は、あたかも己が心を覗きこんでいるかのよう。そうなると今の彼女はこんなにも暗い色になるほどに闇に染まっているということになる。

 歴史に名を残すほどの存在だった自分がこうまで黒く染まるなど、かの時代に生きた人々は何を思うだろうか。

 カチリ、と刀身を鞘に納めて握りしめる。今更己を振り返ってもしょうがない。宮下は北方提督にとっては好ましくない存在だが、北方提督の敵はロシア艦隊も含まれる。

 少し前に戦力をそぎ落としておいたからこそ、今回は観戦に回れるだけの余裕が生まれている。だが大湊が動いてきたなら仕方がない。中部提督の計画における実戦はまだ数日の間がある。

 なにせ凪達が現場に着くのはそれだけの時間が必要なのだから。

 故に大湊の艦隊を追い返すための軽めの指示をするため、北方提督は立ち上がり移動していった。その立ち上がった姿は彼女の所作や口調に比べると、意外なほどに小柄な少女であった。

 

 




鳴らされた音のイメージは、深海BGMで時々流れてくるあの音のイメージです。
わかりやすいのは15春後段作戦、道中戦BGMですね。

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