呉鎮守府より   作:流星彗

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歪ミヲ持ツ者

 一方中部提督の方ではウェーク島から撤退し、拠点へと戻っている途中だった。その間にも北方提督との通信は続けられており、今回の戦いの振り返りを行っていた。

 中部提督としては満足のいくものである。様々なデータが取れた上に、一つの成長を感じられる喜びがあった。それはヲ級改についてである。

 今回ヲ級改は大和との戦いで意志の目覚めがあったのを実感している。それまで乏しいものをようやく獲得したのだ。喜ばないはずはない。その上中部提督の下に帰還した際には、彼女にしては珍しく興奮した様に申し出てきたのだ。

 

「――提督! 力ヲ……私ニ、新タナル力ヲ……ッ!」

「おいおい、無事に帰ってきたと思ったらどうしたんだい、赤城。そんなに興奮するなんて、そんなにあの大和との戦いが悔しかったのかい?」

「ソレダケジャ……ナイ! 私ハ、アノ大和ヲ沈メナケレバナラナイ……。ソノタメノ力ガ、私ニハ必要。……今ノ力ジャア足リナイ。モウ少シ必要ダ……ソウ、実感シタ」

 

 とても悔し気で、そして更なる高みを望む向上心まで芽生えている。この戦いを始める前と比べると、とんでもない成長っぷりを見せている。ただただ機械的に戦ってきたヲ級改はそこにはいない。

 中部提督に害を成す存在である大和と対面したことで、中部提督を守るために大和を討つという意志を獲得した。それは必ず成さねばならない目的であり、あの大和と渡り合えるだけの力を得ることが目標だ。

 

「わかった。計画はある。もうすぐ加賀が完成するからね。それを元に、君にもその改造を施すとしよう。同じ空母だ。それでいて、共に一航戦を務めた間柄。相性はいいはずだよ。どうだい?」

「……オ願イシマス」

「いいとも。帰還したら加賀の最終調整を進めていこうか」

 

 去年から進めていた深海棲艦の加賀の新たなる建造。素体となる白い少女の成長や艤装の調整も問題なく進行している。この戦いには間に合わなかったが、特に問題はない。この加賀は次の戦いのための存在だ。

 だからもう少しで完成するものとして進めていた。そこにヲ級改が意志を獲得し、更なる力を望むのはとてもタイミングが良い。加賀が完成した暁には、そのデータを基にヲ級改に更なる改装を施していいだろう。

 とても得るものはあった。中部提督はとても満足している。その様子はモニター越しでもわかると北方提督も感じていた。だが、

 

「――茶番。とても茶番な戦いでしかないわ、こんなもの」

 

 という女性の声がかかった。北方提督ではないまた別の誰かの声である。バイクのようなものを走らせながら中部提督は辺りを見回す。すると北方提督と繋がっているユニットとはまた別のユニットが奥にあるのがわかった。

 そこには暗い景色が存在していたが、誰かが座っているのがおぼろげに見える。

 

「えっと、どなたでしたっけ?」

「…………これは珍しいこともあるものよな。よもやはるばると西の彼方から送り込んでこようとは。暇を持て余していたか、欧州?」

「暇ではない。多少の興味が湧いたから、北米に頼んで送り届けさせただけのことよ。しかしその結果がこれとは、何とも馬鹿馬鹿しい。噂に聞く中部がこれとはね。正直失望だわ」

「ナンダオ前ハ……提督ヲ馬鹿ニシテイルノカ……!?」

 

 中部提督に対する言葉に怒りをあらわにするヲ級改。だが彼女はモニターの向こうにいる。そして北方提督が欧州と呼んだということは、「落ち着いて、赤城。彼女はかの欧州提督だ。敵対する存在じゃない。それに傷に障る」とヲ級改を落ち着かせる。

 欧州提督。文字通り欧州周辺の海域を担当する深海提督だ。北方提督と同じく女性のようだというのは声から判別できる。そして彼女は古くから存在している深海提督でもあるのだ。

 

「噂は耳にしていますよ。欧州戦線において五分五分に近しい状況に持ち込んでいると。あのイギリスやドイツの艦娘だろうと押し負けることがないとは、末恐ろしいものですね」

「世辞は必要ない。私は私に与えられし役割を果たしているだけのこと。それに私としてはその気になれば一気に瓦解させるつもりではある。だけどそれには足りないものがある。だから今は今の状況を存続させる状態にある。その片手間としてこっち側の様子を見に来ただけのことよ」

「足りないものとは?」

「上陸。深海棲艦において陸上では海上に比べて力が劣る。艦砲で陸上施設を破壊することは出来ても国の奥までは手が出せない。故に人間の国に海岸付近以外では良くて航空機ぐらいしか攻撃が出来ない。でも、聞けば陸上基地の個体が生まれたそうじゃない。それが私の興味を惹いた。陸上基地の良い情報が聞けるかと思ったら、この新米は期待出来そうもないわね」

「僕が新米、ですか」

「違うとでも? 所詮お前は2、3年程度の亡霊。そんな若き亡霊風情がいい気にならないでくれるかしら?」

 

 欧州提督を映し出しているユニットは依然として中部提督に近づかず、少し離れたところで並走している。よく見ればうっすらとだけその姿が見えるようになってきている。

 その風貌は深海提督共通のフード付きのローブを羽織っているようだが、顔にはフードがない。そのため欧州提督の顔は完全に露出している状態にある。

 もみあげの長いボブカットのような白髪、白い肌と深海棲艦のような顔がそこにある。深海提督に共通しているような骸の部分は見当たらない。それはフードに隠されているが、北方提督と同じだ。彼女もまた骸の部分はなく、深海棲艦のような顔つきになっているのである。

 だが彼女はフードによって隠されているために瞳があるかどうかまでは見えず、ぼやけたような紺色の光を放っているのだが、欧州提督は青白い光を瞳から燐光のように放っている。まるでそれはヲ級改の左目のようなものだが、欧州提督の場合は両目から放たれているのだ。

 人の骸から蘇った深海提督。その最終的な姿は深海棲艦と変わらないような姿となるのならば、彼女はその完成形なのかもしれない。つまりそれだけの時を深海提督として生きていることにもなる。

 

「そう威圧するな欧州。汝の云う通り、中部は所詮深海の者としては若造。しかしその才は確かなもの。我もまたこの茶番の中で、多少なりとも道は見えた。もう少し中部を遊ばせておいても良いかと考えている」

「あら、あなたがそうまで言うとはね。珍しいことがあるものだわ。……だとしても私としては中部に未来はないと見る」

「ふむ、その根拠は?」

「中部、お前の願いは何かしら?」

「突然なんです?」

「いいから、答えなさい」

 

 モニター越しでもわかる有無を言わせない強い言葉に、中部提督はやれやれといった風に答える。それは戦いに勝利した暁には静かにヲ級改らと暮らすことだ、と。それを聞いた欧州提督は小さく笑ったような気がした。

 

「なるほど、とてもいい夢だわ。とても人間らしい。……でも、そのために今回の戦いで捨て駒をぶつけたわね?」

「…………というと?」

「例えばウェーク。今回のために陸上基地の実験体として生み出し、運用した。艦娘と戦わせ負けても問題なしとするプランの下に。コアや魂を回収すれば深海棲艦は再び蘇る。それは間違いないでしょう。でも、死ぬ苦痛は逃れられない。そしてもしも魂の回収が成功していなければあれは二度と復活しない。つまりお前の言葉だけ綺麗な夢のためにウェークは生まれ、そして死んだの」

 

 淡々と欧州提督はそう述べ、そして嗤うのだ。「アッハハハハ! 馬鹿みたいじゃないの!」と青白い燐光をぎらつかせながら闇の中で中部提督を指さす。

 

「お前の言う『みんな』とやらはそこにいる赤城達だけの存在なのかしら? 新たに生まれた個体はその『みんな』に含まれない捨て駒かしら? だからデータ収集という名の下に使い潰されてもいいと? なんて、なんて残酷なことなのかしら。……とても人間らしい素晴らしいプランだわ。だから、茶番だと、私は言うのよ」

「ソコマデニシテモラオウ……! コレ以上、提督ヲ侮辱スルナ……!」

「あら、こんな輩にご執心なの? 赤城。馬鹿なの? 多少は体を取り戻しつつあるようだけど、だからこそこいつは人間らしい思考も戻りつつある。故にこんなプランを練り上げる。いつかお前も使い潰される可能性だって出てきているわ。ウェークやダーウィンのようにね。そういえば加賀のデータを今度お前に盛り込むんですってね? それにしたって、新たな実験が出来るからと今回のようなプランを考案し、捨て駒にされかねないわよ。それでもいいって言うのかしら?」

「ソレデモ! ……ソレデモ私ハ、提督ノモノダ。私ハ、コノ提督ニ仕エルト決メタ……。ソシテ私ハ……提督ノ兵器。兵器ハ、使ワレテコソノ存在。ソコニ、異議ハナイ」

「ああ、そういえば……そうだったわね。そっちではそんな感じだったか」

 

 ヲ級改の言葉に不意に欧州提督は目を細め、小声でそう呟いた。深海棲艦は誰もかれもが自らを兵器と認識し、艦娘を撃滅する存在であるとされているはずだが、欧州提督はそうではないのか。

 いや、それは中部提督も同様だ。「赤城、僕は君を兵器として扱うつもりはないよ」と止める。だがそんな彼を見てまた欧州提督は笑みを浮かべざるを得ない。「どの口がそれを言うのかしら」と鼻で笑うのだ。

 

「目的のために、夢のために、古くから抱え込んでいるものには愛情を示し、新しく生まれたものは容赦なく散らせる。それはウェークだけじゃないわ。共に戦った護衛艦隊もそう。どうあがいても戦いというものには犠牲が生まれる。それはきちんと認識しているのかしら?」

「当然さ。犠牲は避けられない。だからこそ僕は更なる力を用意し、一気に奴らを殲滅するための用意をしている」

「どうだかね。では聞かせてもらおうかしら。今回の犠牲の上に達成しようとしているお前のプランとやらを。それは散っていった者達に意味があるものなのかしら?」

「……いいでしょう。陸上基地のデータを収集し、加賀を用意し、その他にもいろいろ調整してまで成功させようとしている僕の計画。その主戦場は――」

 

 それはかの地で行われた海戦であった。恐らくあの戦争において大きな転換期を生み出したであろう戦いであり、歴史書の中にも記されるほどの大きな戦いだったといえよう。

 かつての日本においては悲劇でしかない結果となりはて、以降はただただ苦しいものでしかない戦いに移行してしまったその戦いの舞台。そこを中部提督は計画の中枢に据えた。

 それを耳にした北方提督はなるほど、と頷き、欧州提督は無言で瞑目する。

 

「それ、北方も巻き込むのかしら? だから共に観賞を?」

「であろうな。確かにその戦いは我も関わることになるだろうよ。いや、あるいは北米をも巻き込むか?」

「可能であれば。そうして戦力を結集させ、奴らを釣り上げるのです。かの地での戦いです。奴らとしては見過ごすわけにもいかないでしょう。それが人間というもの。一度屈辱を味わった歴史を打ち破らんと、攻め込んでくるはずです。そこを、突く」

「――喰い破るのは、呉でしょう?」

 

 だが欧州提督は鋭くそこを突いた。

 中部提督もそこを突かれるとは思っていなかったようで、少し呆けたように欧州提督が映るモニターを見つめてしまう。そんな彼に頬杖をつきながら欧州提督は言葉を続けていった。

 

「どういう思惑があるのかは知らないが、お前は呉に対してなんらかの感情を含んでいる。大層な思惑を描いているようだけれど、最終的にお前が標的としているのは呉だ。人間的要素を取り戻しつつあっても、未だにお前は亡霊的要素を残している。そこに歪みが生まれるのよ」

 

 それは妄執と言ってもいい、と欧州提督は指摘する。

 人間だった頃のことを思い出した途端、中部提督は凪に対して強い興味を抱いた。それが小さな歪みの始まりだ。興味を抱いた理由は至極単純なもの。生前所縁のある人に近しい存在であり、新米提督でありながら戦果を稼いでいる者であり、何より自分に近しいものを持っていたからだ。

 だが立ち位置は違う。凪は艦娘の提督であり、中部提督は深海棲艦の提督だ。似ていながら、真逆の位置に存在する者。だからこそ強い興味を持ち――そして、潰したくなる。これには中部提督も知らない理由が絡んでいるのだが。

 

「お前は期待している。呉がお前の思い描いた通りに動いてくれることを。その上で、喰い破りたいと願っている。……それ自体は問題はない。我らはそうして艦娘を、人間を抹殺するための存在だ。しかしそのために周りを、お前の戦力を利用しつくし、使い捨てにするつもりだ。そこが私は気に入らない」

「……問題ありますか? 勝利のために、夢のために、そう振る舞うのは」

「いいや、時に非情になるのもまた選択の一つではある。だがそのために我が同胞をもいいように巻き込むのが気に入らないだけよ。お前個人の思惑で北方を、南方を、北米を巻き込むな。犠牲込で考えるならば、お前の戦力だけ突っ込んで散りなさい。お前のような若き亡霊が、我が同胞の北方をも巻き込むなど10年早いわ。身の程を弁えなさい」

 

 欧州において欧州提督の戦果は中部提督とは比べ物にならない。戦果だけではない、彼女が欧州提督として過ごした時間は中部提督が蘇ってからの時間の倍以上ある。それだけの時を過ごしているため、容姿は深海棲艦に近しいほどのものになり、欧州戦線も一人の深海提督が保有する戦力であろうとも維持できている。

 他の深海提督からも一目置かれる存在になっているのも当然のことだった。そんな立場だからこそ、このような言動をしていても問題はない。

 更に欧州提督は歪みについて指摘する。

 

「それに知っているかしら中部? 歪みというものは亡霊にとって必然的に生まれる要素。当然でしょう、死した者が蘇るなんて、その時点で世界にとっては大きな歪みだわ。でも亡霊は意思なき存在として蘇り、それによって歪みを抑えられる。だけど時を経て、そしてきっかけを得て、亡霊は人に近づく。深海棲艦としての外見的要素を得ながらね。その際に、歪みが生まれるということをお前は知っているの?」

「……いいえ、知りませんね。初耳です」

「そう。ならお前は無自覚だったのかしらね。お前には夢がある。それと同時に、執着するものがある。その執着は何か? 作ること、もっと言うなれば開発すること。それはお前がお前たらしめる要素なのでしょう」

「欧州、そこを突くのか?」

「あら、その様子だと北方は気づいていたのにあえて踏み込まなかったという感じ? 優しいのね。でもこの愚者には自覚してもらわないと。自分の歪みにね」

 

 どこか嗜虐的な笑みを浮かべながら欧州提督はそっと中部提督を指さす。

 

「お前はどうやら日常的に赤城達に愛情を注いで接している様子。そんなお前の夢は赤城達と静かに暮らすこと。そのためには人類との戦いに勝利しなければならない。一方お前が執着するのは開発すること。新たな深海棲艦を作り、調整し、改良し、様々な能力を高めたいと考えている。それは確かに我ら深海勢力にとって益となるもの。でも、そのためにお前は今回――戦いの中で沈むことを良しとした。沈むだけでは深海棲艦は死ぬことはないが、死ぬ苦痛は味わうことになる。そこにいる赤城や新たに生まれたものも含めて、お前はプランの中で多くのものを容赦なく殺したのよ。さてここで問いを投げかけよう」

 

 右手に「赤城達」左手に「開発」と掲げ、「――お前はどちらを優先するの?」と中部提督に問いかける。

 

「勝利のために赤城達の命を守るのか、沈むことを良しとして開発や改良を優先するのか」

「…………」

「何故思考するの?」

 

 答えを考えるために数秒間をおいたのをすかさず欧州は突いた。中部提督がそれに対して口を開こうとするが、「お前が本当に赤城達を大事に思っているなら、思考するまでもなく赤城達を選ぶでしょう?」と言葉をかぶせていく。

 

「思考したということは、開発をしたいという欲求が肥大している証。それがお前の歪みよ。赤城達に対する愛情は本物でしょうけれど、比例するようにお前の欲求である開発に対する想いもまた増幅している。お前の夢を侵食するように」

「それが、亡霊。死んだ者が抱えていた生前の願い、欲望、未練。人格を排除した後に残されたものがそれであり、亡霊はそれを抱えて行動する。例え人に近づこうとそれもまた肥大化し、行動原理の根本に位置する。夢と云うものは人の特徴。そんなものでは根本に位置するものを覆い隠すことなど不可能と云うもの。中部よ、お前はその欲望に飲まれつつあるようだな」

「故にお前はいずれ赤城達をも犠牲にするでしょう。新たな兵装、新たな個体、そして新たな改良をするために。それに加えてお前は呉に興味を抱いた。亡霊たる根本の欲求に加え、人に近づくことで生まれたものも含め、そして混ざったのでしょう。となると呉に興味を抱いたのはお前の欲望に関連し、自分と似た存在だからという可能性があるわね。違う?」

 

 あっている。凪と自分には共通した要素がある、と中部提督は感じていた。だから凪に対して親近感を覚え、そして潰すべき敵とも認識した。だから彼に対しても執着心が芽生えていた。

 それは自分の根本に存在している開発したい、という執着心と結びつき、凪を潰すために更なる開発を、更なる改良をという方針に向いている。そのために北方提督や南方提督をも巻き込んで。

 

「深海勢力を強化するのは結構なこと。だがその根本にあるのは、お前の歪みから生まれたお前の自己満足に他ならない。そも敗北を前提としたプランというのが私は気に食わない。データ収集であろうとも勝とうという気概を持たぬなど腑抜けている。敗北とはすなわち死を意味する。お前の部下だけでなく、南方の部下達にもお前は死ねと命じたのだ。データ収集、そしてその先にあるお前の夢のために死ねとな。『みんなで静かに暮らす』だと? そのために部下達に死を前提とした戦いに送り出すとは何とも傲慢なことね。更に言えば夢ではなく自己満足だったという答えに帰結するとは笑い話にもならない。故に私はこの戦いを茶番と断じ、お前を認めることはない。そうではないと分を弁えずに私に反論するというのであれば――結果を出しなさい。所詮亡霊に出来ることなどそれしかない」

「…………」

「お前の言う本番とやらで、確かなる結果を示せ。あの御方のために勝利を、栄誉を捧げよ。それが出来ないようであれば、歪みを抱えて亡霊のまま朽ち果てよ」

 

 有無を言わさぬ言葉を積み重ねた欧州提督。途中から沈黙していた中部提督は、静かに「――了解しました」と返事した。いつの間にか彼の拠点へと到着しており、バイクを止めると欧州提督のユニットの前に立ち、フードの下からじっと欧州提督を見つめる。

 そこにはいつから存在していたのだろうか。深海提督が持ちうる金色の燐光の奥には瞳が存在していた。瞳には強い意志が存在しているように見える。だが同時に昏い色合いも存在していた。

 まるで見るものを不安たらしめるような昏い感情。中部提督の感情を押し殺しているかのようなものがそこにある。欧州提督にいいように言われ続けたことは彼にとっては様々な感情が去来していただろう。

 だが彼の立場は欧州提督に比べればとても低いもの。言い返せるものではない。

 だから静かにそれを押し殺すしかない。だがそれによって彼はまた一つ、人に近づき、瞳を手に入れた。彼の心を映し出す鏡のようにその瞳には静かな感情が含まれていたのだ。

 それを欧州提督は無言で感じ取ったのだろう。モニター越しであっても、その観察眼は彼の心を捉える。そうして彼女はまた鼻で笑う。実に滑稽なことだと。

 

「……では、僕はこれにて。この子達を休ませなければいけませんし、次のための準備を始めなければいけませんので」

 

 と、中部提督は欧州提督と北方提督に一礼して拠点の中へと入っていく……のかと思いきや、思い出したかのように「それと欧州さん」と肩越しに振り返った。「なに?」と応えると「色々と貴重なお話ありがとうございます。この胸に刻み込み、覚えておきますね」と目だけ笑わない笑顔でそう言い残した。

 多くは自分を否定し、貶すようなものばかりだというのに、わざわざ覚えておくと笑顔で言ってのける。先達からのありがたいお言葉として胸に刻んでおくのだ。色々な感情も含めて。中部提督に続くようにヲ級改らも拠点に入っていくが、ヲ級改は最後にまた欧州提督を憎らしげに睨みつけていった。

 その様子にやれやれと北方提督は肩を竦め「嫌われたものだな。若い奴らだ、多少は気を遣ってやるといい」とモニター越しの会話を始める。だが欧州提督は「何故? 私の部下ではないわ。他所の輩に、それもこうまで距離の空けた輩に遣ってやる気などありはない」とにべもない。

 

「しかし同胞よ。お前はあの愚者のプランに乗るつもり?」

「もう少しだけは付き合ってやってもいいと考えておる。汝から見れば愚者であろうが、我はその中でも多少は光るものはあると見ている。我とて目標はある。それに近づけるために必要な要素であれば、あの若造を利用するのもやぶさかではない」

「ふん、お前もあの御方に完全に忠誠を誓っているわけではなかったな。その点においては、生き残りし我が同胞としては悲しく思う」

「はっ、汝は昔から我を同胞と呼ぶが、生憎と我らは前の時から顔を合わせたことはなかったはずよな? いい加減別の呼び方をしたらどうか?」

「さて、その際にはどちらで呼ぶべきかしら? 前の名前? 今の名前? 前はお互い顔を合わせたことはないけれど、それぞれの名は知っていよう」

「この姿だ。今のもので良かろう」

 

 そう言って北方提督は護衛要塞に置かれている湯呑に満たされた茶を口にする。欧州提督もまた誰かに運ばせたカップを口に運んでいる。その所作は実に優雅さを感じさせるものであり、まるでティータイムを楽しむかのようにとても様になっていた。

 

「私としてはお前には消えてほしくはないと考えている。故に同胞……いや、昔馴染みとして忠告するわ。ロシアでも、大湊でも構わない。早く大きな戦果を挙げなさい。さもなくばあの御方からいつ消されてもおかしくないでしょう」

「我としては別にそれでも構わないがな。元より望まぬ目覚めよ。こうして長く亡霊として在り続けたが、そうしているのも疲れてきたと云うもの。……しかしそんな我でもついてきてくれた存在がいる。歪ではあるがあれらもまた艦艇のなれの果て。それらを見捨てるわけにもいかない故に、我は今もなお亡霊として在るだけのこと。欧州、この際だ。一つ訊いておくことにしよう。汝はどうだ? どうして自分なのだと考えたことはないか?」

 

 それは北方提督にとって長く感じていた疑問である。自分は役目を終えた道具であり、ただ長き眠りに落ちていた状態にあった。それがどういうわけかこうして亡霊として生まれ変わってしまっている。

 意思を持たぬ亡霊として活動し続け、少しずつ人のような姿、思考を得るに至った。同じようにして生まれた他の深海提督も各地で活動していたが、一人また一人と消えていき、北方提督と同じ時期に生まれた深海提督はこの欧州提督のみとなった。

 意思を、思考を得ることによって生まれたのは「何故自分がこうなったのか」というものである。だがその疑問は問いかけても返ってくることのない答え。自問自答しても答えは得られず、自分をこうした存在はどこにいるかもわからない謎めいた存在。

 だから答えを得ることは出来ないまま時間だけが過ぎていく。この機会を利用し、同じような存在である欧州提督に問いかけてみるのだ。

 何故、自分なのだろうと。

 

「私としてはどうでもいいことに過ぎない。栄誉を捧げるべき相手が切り替わっただけよ。私はただ一介の兵として戦うだけのもの。……前と違って私が指揮を執り、部下を率いることになっているけども。しかし根本的には変わらない。仕えるべき存在がいて、敵がいるならばこれを撃滅する。そうでしょう?」

「汝にとってはかつての祖国を滅ぼすことになるが?」

「慈悲はない」

 

 きっぱりと欧州提督はそう言った。揺るがぬ意志で、揺るがぬ言葉を紡ぎ出す。

 カップを手にする所作は優雅であることに変わりないが、その眼差しは一人の騎士のようであり、あるいは多くを束ねる王のようにも感じる。恐らく彼女とて一度は苦悩したかもしれない。かつての自国と戦うことになった現実に。これが彼女が亡霊として抱えた歪みの一つかもしれない。

 だが一度苦悩し、答えを出したならばもう揺らぐことはない。だからこそ欧州戦線を今の状態にすることが出来たのだ。そうでなければ足を止めてしまい、劣勢になってしまうだろうから。

 

「敵と定めたならばそこに情けも慈悲も必要ない。私は人類の敵対者となったのだ。そう決めたならかつての祖国であろうとも弓を引こう。我が兵どもを差し向けよう。それが再び戦う理由を与えられた私の使命。何故私なのか? そこに悩みを挟む必要を感じないわ。そんな思考はどのように艦隊を強化するか、敵を撃滅できるかに割いた方が効率がいい」

「……なるほど。久しぶりにこうして顔を合わせたが、昔と比べるとより一層兵士に近づいたものよな」

「お前が変わらないだけのことのように思えるわ。いいかしら? 私としてはこのままお前が消えていくのは忍びない。生まれは違えども、やはり私にとってお前は親しみを感じる同胞よ。共にこの戦乱の世を越えていきたいと思っている。故に、何もせぬまま消えることも、戦いの中で死ぬことも望んでいない。もしもあの愚者のプランの中で死ぬようなことがあれば――私は恐らくこの手であの愚者を殺しかねない。例えどこへ逃げようとも追いかけて殺すほどにね」

「左様か。ではせいぜい死なぬように立ち回るとしよう」

 

 欧州提督の言葉は本気だろう。かつてそうだったように彼女はそれを実行するはずだ。こんなところで深海提督同士が殺し合うなどあってはならない。そんな未来が訪れぬように気を付けなければ。

 

「――それにしても、どうしてここなのかしらね。愚者の拠点は」

 

 そう言って欧州提督は上を見上げる。ここは海底。上を見上げても空は見えない。

 だが遠く彼方にあるものが浮いている。

 それはまさしく異形といってもいいだろう。この世界にあのような禍々しさを感じさせる生物がいるのだろうか、と思えるようなものだった。だがそれは生きていない。海に沈んだものに海洋生物が多数纏わりついたことで生まれた存在である。

 また他にもこの海域には多くの艦艇が沈んでいる。だからこそ深海棲艦の拠点になり得る海域だ。辺りには多くの素材が転がっているのだから利用しやすい。ただ上にある存在が少々目立つだけ。

 しかしここは戦いによって艦艇が多数沈んだわけではない。だから欧州提督はどうしてここなのか、と色々な意味を込めて呟いた。

 

「さてな。トラックに少し近いが、ここはかの事件の海域故な。トラックの輩もよもやここに拠点があるとは思いもしない、という隙を突いたのやもしれんぞ」

「どうかしらね。後々あれを利用したいという考えもあるかもしれないわね。あれから生まれたものはさぞかし優秀な兵となるかもしれないけれど……今の姿があれだから色々とまき散らすかもしれないわね。愚者には到底扱いきれないか」

「反応兵器のことか? ふっ、それは我らすら滅ぼしかねない諸刃の剣と云えよう。その特性まで引き継いで生まれるようなことになれば、ここは終わりか。……そうでなくてもあの存在は隠れ蓑に相応しいやもしれぬな」

「……まさか、そこまで考えているわけもない。冗談にもならないわ」

 

 随分と中部提督の評価が低くなっているらしい。北方提督の言葉に欧州提督はまた鼻で笑うのだった。

 最後にあいさつを交わし、通信を終える。

 ユニットもまた中部提督の拠点の中に入っていく。またいずれそれぞれの提督から通信が受け取れるように。

 

 こうしてウェーク島、ポート・ダーウィンにおける中部提督の実験による戦いは終わりを迎えた。凪達にとっては弾着観測射撃をはじめとする技術の実戦運用や、新人達の実戦経験を積む戦いとなった。

 一方で中部提督らにとっては陸上基地型や改型の運用、記録を主とした戦いである。それだけでなくヲ級改にとってはまた一つ大きな成長を遂げる戦いとなった。

 それぞれに得るものはあった。そして先を見据えた新たな道を見出すきっかけを得る。

 誰かにとっては茶番でも、誰かにとっては成長を実感出来、そしてその先に光を見る。示された道筋に沿って進んでいけばやがて目的地に到達出来るのだ。

 風は吹いた。

 背中を押し、その道を歩むことを助けてくれる風が。そして風は連れてきてくれる。共に歩む新たな友を、仲間を。時に風は逆風となり、歩みを阻害するだろうが、それもまた旅に必要なものである。

 しかし歩みを止めるわけにはいかない。目指すべき場所へと至るために。

 その風をも巻き込み、進むだけだ。

 

 そうして彼らは迎えるだろう。

 やがてきたる、その夏の日を。

 

 




これにて5章終了となります。

色々あって大きく空いてしまいました。
何とか14春のイベを終えられました。
こうしてみるとダーウィンに行ったと思ったら、いきなりウェークに行ってしまってますね。
今ならこれは札がついていることでしょう。
そのため凪組と南方組で分けることになりました。

あと深海側で色々増えていますが、当然ながらこの作品での設定です。
元より公式での深海勢力がどうなっているのかは謎めいています。
そもそも日本以外がどうなっているのか全然わかりませんからね。
海外から艦娘増えていますが、海外勢力ってどうなっているんでしょう。
しまいには今回、欧州まで行ってしまいましたし……。

何はともあれ、次の6章はかの戦いとなります。
当時の提督さん達にとって運営の呟きで察した人もいれば、
いざイベントが始まって最後に涙した人もいるでしょう。
それ以前に悪夢の前半戦もありました。色々な思いがあったことでしょう。
そんな14夏な6章、この作品を書くに当たって最初から決めていたものを書ききれるか。

感想などいただければ励みになります。
これからも拙作をよろしくお願いします。

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