翌朝、ソファーに座りながらテレビを見ている一姫。
テレビに映っているのは朝のニュースでもドラマでもなくエンドロールのように流れていく依頼の詳細内容で、時にゆっくりと時には倍速のようにひとりでに調整されており、ストレスなく読むことが出来た。
続いて本当の依頼主である榊道昭と被害者である美佐子の現状が始まろうとした時、玄関から音が聞こえ目線を逸らすとテレビも電源も合わせて消えた。
流石は
「お帰りなさい。それと、おはようユージ」
「おはよう、姉ちゃん」
日課である早朝ランニングで汗ばんでいる体を見ながら一姫は意地の悪い笑顔を浮かべ頬に手を添える。
「朝ご飯の前にシャワー……お望みならご一緒してあげるけど、どう?」
「全力でお断りさせて頂きます。お姉さま」
いかにもワザとだと言う様な声で即答され、一姫の顔から笑みが消えて不満が出て来る。
「まったく姉と弟が一緒にお風呂に入るのは当たり前なのに、いつからこんな不良になっちゃたのかしら」
「自信たっぷりにデタラメを言うな」
「二人ともよく飽きないねぇ」
天音が絶妙なタイミングで割って入り、風見姉弟のじゃれ合いは止まる。
半目の天音はヤレヤレと言った感じで首を振り小さく溜息をつく。
そしてこの場に加藤恵が居ないことに安心と物足りなさが半々な思いを抱いた。
グリザイア島ではいかがわしさを思わせる遣り取りに恵が不機嫌顔で止めるのが日常茶飯事であり、放っておけば単にからかっているだけじゃ済まない姉弟関係にヤキモキさせられるのを倫也と一緒に眺めていた。
(ホント、ついこないだの事なのに随分と懐かしく感じるなぁ)
感慨に耽りながらもエプロンを着けて朝ご飯の準備を始めようとしながら言う。
「支度は直ぐに終わるから一姫は座ってて、ユージも早く片付けたいからシャワー終わったら直ぐに食べちゃってよ」
キッチンに入いりヤカンと鍋に火をかける。鍋の中には下準備しておいた一姫用に工夫したミルク粥、ヤカンの側には紅茶とコーヒーのカップが並んでおりトースターに食パンをセットして手際よく進めていく。
「俺は、朝はシリアルでもいいぞ」
「だーめ、朝はちゃんと食べなきゃ」
雄二の言を一蹴しながらもサラダを盛りつけ、卵を溶いていく姿は母親かしっかり者の姉がだらしのない家族を窘めるようで、自然と心が和やかになり朝の陽気も手伝って―――
(ああ、こんな日はもう仕事の事なんて忘れてしまいたい)
―――と思いながら風呂場に向かって行くのだった。
朝食を終え、天音はキッチンで片付けを一姫と雄二は出かける支度を整えていく。
「あーあ、こんなにいい天気なんだから外で待って居たいわ」
一姫は窓から射しこむ陽光を見ながら呟く。
普段なら護られている自覚を持てと言いたたく愚痴など聞き流したいが、制約だらけの姉の境遇を思えば、この程度は言わせてあげなければと言う諦念に近い感情を抱きつつもじゃれあいの続きがしたいと言う含みも読み取れ嘆息しながらも応じる。
「どうせ出たってものの数分で嫌気が差すだろうに」
「失礼ね。今なら二十分は持つわ」
「で、その後は日除けにとか言って俺の背中に張り付いたりするんだろう。恵に見られたら後が面倒なんだから勘弁してくれよ」
「何よ。それくらい飲み込む度量を見せなさいよ」
互いにぶっきら棒に言い合うも嫌味なく本音を言い合える光景を片づけが終わった天音は嬉しそうに見ており、
その時間も程なく終わりインターホンがなり、じゃれ合いはここまでと言わんばかりに皆の表情が切り替わる。
『ハウディ~、お迎えに来たわよ~』
インターホンからJBの声と姿を確認し外に出る。
宿舎の玄関を出て直ぐに黒い普遍的な乗用車が目に入り、持たれかかりながらJBが手を振っていた。いつもの目立つ黄色い車でないので違和感を覚える組み合わせだ。
「おはよう、春寺さん。よろしく頼むわ」
一姫が軽い感じに近づいていくのに合わせながら雄二は周囲への警戒を怠らず見える範囲に待機している『会社』の車を確認していく。
JBが車のドアを開き一姫が入っていくのを確認し雄二も乗り込む。
窓越しに手を振っている天音が見えるが特に反応を示さずそのまま遠ざかって行く。
一方、天音も見送りを終えると駐車場に移動して車に乗り込タナトスフォンをセット、画面には指示が表示される。
「よし、行くか」
頬を叩いて気合を入れエンジンをかけて発車させていくのだった。
***
長高級ホテルと見紛う豪華な建物。
朝も早くから賑わう病院内の中を安芸倫也は淡々とした足取りで入っていく。そのまま受付を素通りしてエレベーターに乗り込み、目的の人物の居る階まで行き見取り図を確認して病室に向う。
「あ、すみません。お見舞いなら本人確認と――――――」
「ああ、君。彼はいいんだ」
その途中、看護師に声を掛けられるが直ぐ後に初老の医師が来て取り成し、看護師は不思議そうな目を向けて去っていき医師が近づいてかすかに会釈する。
「ミス・タナトスの使いの方ですね。話しには聞いてましたが随分とお若い」
「どうも。俺も彼女から話は聞いてます」
朗らかな医師とは違い倫也は若干棘のある口調で返答する。
この医師はかつてCIRFの息の掛かった病院に勤めており、タナトスシステムの開発者である教授とも繋がりがあった。教授の
タナトスシステム開発に関わった者に助け舟を出されたのは気分のいいものでなく。案内を買って出るのを断って早足で進んでいく。
向った病室には『榊美佐子』のネームプレートがあり、ノックして扉を開けると点滴と医療用モニターにつながれ頭にネットをしている妙齢の女性と女性の手を握っている背広の男性が居た。
「失礼します。榊道昭さんで宜しいでしょうか?」
倫也は丁寧な物言いを意識して訊ねる。
「誰だね、君は?」
振り返る榊道昭、オールバックの髪に細目に厳つい顔つきではあるが若干覇気に欠ける態度に肩透かしを喰らった気分になり遠慮がちに懐から名詞を取り出して渡す。
名詞には『本条慎太』の名前があり裏返してみると短い一文が書かれており、鋭い目で倫也とを見比べる。
「……あ~、まだお疑いなら身分証なり、こっちのボスへの確認なり存分に」
パスポートを差し出し両手を挙げる。
「……安芸……倫也」
「はい」
榊は受け取ったパスポートを凝視し病室を出て何処かと連絡を取る。倫也は近くで待機しており絶え間なくパスポートと自分の顔を見比べる。やがて電話を追えてパスポートを返してくるが難しい顔は崩れずにおり、柔らかい口調を意識して話しかける。
「おれ……自分みたいな子供が使いで不満ですか?」
榊は鼻を鳴らすように、
「いいや、省庁の見えないところに居る〝何か〟が手に入れた子飼いを使ってちょろちょろと動いているのは情報として知っていた。
それでなくても結構な金額や無茶を短期間で動かせば嫌でも耳に入るものさ」
「流石ですね」
素直に感心して会釈するが相手は応える事無く病室に戻るべく歩いて行き、肩をすくめながらも後に続く。
病室に戻り榊は横たわっている妻の側に座り背中越しに訊く。
「それで赤坂の切り札の子飼いが何の用かな。まさか、ただ挨拶しにきたわけではあるまい?」
無意味なことをしに来たのなら許さないと暗に言われているようで背中に冷や汗が流れるが、一姫に落とされた地獄をはじめ修羅場をそこそこ潜ってきた。慌てる事無く落ち着いて用件を切り出す。
「はい、俺のお姫……ボスから奥様に意識があるかどうかの確認してくるよう命令されまして」
「面白い事を言うね。確かに医者からも意識がある可能性はあると言われているが、それが証明できたとしても何も喋れないのは見て分からないかな?」
抑えてはいるが確実に怒気が篭っているニュアンスに不用意な発言はしないように慎重に言葉を選び返答する。
「仰ることはご尤もです。確かに通常の方法では意思の疎通は出来ないし、よしんば出来たとしても限られたものになるのは明らかです。ですが赤坂には、それが出来る
肝心な部分を強調し出方を伺うと榊はゆっくりと振り向いて細めた目で倫也を捉える。
「……妻を実験体にしたいと?」
「ええ。こちら側にもメリットがある方が後々やり易いですし、当事者の協力があるのとないのじゃ状況は格段に違います」
悪びれる様子もなく事務的に答える。
これが一般人なら被害者をなんだと思っているのかと激昂して納得させるのも骨が折れるのだが、榊は全く表情を動かさずに沈黙する。倫也もとい一姫からの提案を秤に掛けているのだろうと読み取れ、待つ姿勢を取る。
「不愉快と愉快を同時に味わうのは久しぶりだよ。しかも娘と代わらないような少年に抱くのは始めてだ」
感情を表に出さないまま作り笑いを浮かべた。
「では?」
「まずはやってみたまえ」
顎でしゃくりながら承諾を示す。
身分の確認をしたとは言え、子供を使いに寄越してくるのを感情でなく理を持って対応する姿は巨大グループの総帥の貫禄を醸し出し、百戦錬磨の経営者だと見せ付ける。
倫也は改めて気を引き締めて指示された内容を頭で判読する。しくじれば自分の出番はもう無くなる。そんなプレッシャーを意識しつつも、落ち着いてやれば大丈夫と心を落ち着かせて榊の妻である美佐子の側に立ち、パンッと手を叩き続いて息を吹きかける。
作業を繰り返すと美佐子は、まばたきをするようになる。
それを見て今度は手を叩くだけにすると、まばたきをし再び手を叩くとまた同じ反応が起きた。
「それで、どうなのかね?」
「ええ、奥様には意識があるかも知れません」
そしてまた手を叩き、まばたきをするのを確認する。
「ボスからの受け売りですが、まばたきして貰う手順が手を叩いて息を吹きかけてから手を叩くだけでなったなら、それは完全に意識が無い状態だと出ない反応だそうです」
「こちらの話を理解していると?」
「その可能性は充分にあります……それで、さっきも言いましたが奥様を赤坂の施設に連れて行きたいのですが……出来れば明日にでも」
「その施設にある物を使えば妻と話しが出来るというのは絶対かな?」
「詳しくは言えませんが既に一人の成功例があります。ですが逆に言えばその一人だけしかデータが無いので、奥様にも成功するかはやってみなければ分からないと言うのが現状です」
敵意を持たれないように丁寧にそれでいて毅然として、一姫に仕込まれた対応を心得ながら返答を待つこと数秒、
「絶対だと軽々しく言うなら帰って貰うつもりだった」
榊は張っていた気を僅かに緩めて改めて美佐子を見る。
「成功すれば妻と話しが出来るというのが、それはどれ程のものだね?」
「意識レベルにもよりますが、健康時と遜色ないレベルもありえます」
この即答には自信でなく確信を感じさせる。
「つまりその成功例こそが君のボスと言うことか?ああ、勿論これは答えなくても構わない」
もとより榊もまともな返答など期待してはおらず沈黙する倫也を値踏みするように見る。
「そちらの提案を受けるとして、こちらはどの程度の条件を呑むのかな?」
「まずは最初にこの方法が成功した場合は掛かる費用はそちら持ちで。
そして今回は特例的な方法ですが、今後の捜査手段のひとつとしての確立への助力。具体的には出資者として参加と今回の依頼者以外に持っている
最後により多くデータも取りたいから娘さんの同席も」
淀みなく逡巡なく答えるが、その姿は一介の学生でしかなく話している内容とは釣り合いが取れない。
まず間違いなく会話の流れを読んだ〝何か〟に予め用意されたことを話しているだけだろう。
しかしそれ程の時間があったとは思えず、ほぼ即席に近い間にここまで出来るのは盲目的に九官鳥をやっているのではなく、意思を汲み取れるだけの信頼関係を窺わせる。
「まぁ、少し辛いが及第点だな。いいだろう、その条件を全て呑もう」
「ありがとうございます。では早速、手配を」
「但し、娘への話はそちらがやってくれ」
「ご心配なく。そっちも既に手配はしてますから」
会釈して部屋を出て行ったのを見送り、頼もしい限りだと思うと同時にあらゆる意味で倫也の後ろに居る〝何か〟に興味が湧いて来た。
***
陽が高くなり照りつける陽光に暑さが増していく中で加藤恵は河川敷を歩き続け目的の人物を探す。
「あー、お義姉―――タナトスさん。行き先は合ってますか?」
取り出したタナトスフォンに語り掛けると直ぐに返事が来る。
『ええ、そのままでいいわ。あちらはまだ動かないから、もう少しで合流できるわ』
「けど、向うには話を通してないんですよね……大丈夫かな……」
『別に絶対に成功しなきゃいけないわけじゃないし気楽に行きなさい』
あくまで分身、
失敗したなら得意げに笑みを浮かべる
(う~~~、やっぱり面白くない)
不機嫌な思考になりながらも歩いていくとスケッチをしている黒髪ロングのスレンダーな少女が目に入った。
「タナトスさん」
『ええ、間違いなく彼女よ。フォローが必要ならイヤホンをセットするのを進めるけど?』
「結構です」
タナトスフォンを仕舞い少女に近づいて声をかける。
「あー、すみません。榊由美子さんですか?」
しかし返答はなく由美子は黙々とスケッチを続ける。
「あのー、聴こえませんか?わたし、貴女のお父さん関係の使いで来た者なんですけど」
恵の説明台詞に由美子は一瞬だけ鋭い目をして背中を向けてしまう。
どうやら逆効果だったようだ。
しかし恵には、そのまま帰るという選択肢はなくタナトスフォンを取り出して弄りながら直ぐ側に座る。
「もう直ぐお昼の時間ですし、何処かにお店とか行きますか?ああ勿論、お父さんから奢りと言うことで」
媚を売るような対応では口を開くかどうかも怪しいので、敢えて神経を逆なでするような言葉を選んで反応を窺う。
(と言ってもそこまでちょろくは無いか)
由美子は一貫して無視を決め込んで絵を描くのに没頭していく。
暫くして背後から由美子の描いている絵を覗き込み、先日見た一姫の昔の絵と雄二と一緒に見た英梨々のキービジュアルとを思い出しながら言う。
「あ~、趣味で描くのと仕事で描くのって違うんですね~」
「……貴女、絵心があると自慢したいの?」
やっと食いついた由美子に作り笑いで答える。
「いえ、知り合いにイラストレーターと……身内に元絵描きがいたもので」
「ああ、そう。貴女の言うとおりわたしのは時間つぶしだし、見たって詰まらないでしょ」
あっさりと会話を切り上げて片付けを始める由美子に笑顔を消して訊く。
「切欠はお母さんのことですか?」
「……父のなんの使いなのかは知らないけど、放っておいてくれる」
「それじゃ用件だけ貴女のお母さん、明日、病院を移ります。会うにはこれが要るので」
最早殺意を向けて睨みつけてくるのも怯まずに薄い色のカードを差し出す。
「会ったってどうせ――――――」
「移った先になら話しが出来るかも知れませんよ」
言葉を遮り渡そうとするが由美子は切なそうに目を逸らす。
「だったら尚更悪いわよ」
ふざけるなと憤ると思っていただけに若干調子が狂う。
「……まだ名乗ってませんでしたね。わたしは加藤恵と言います。取りあえずお昼にお蕎麦でもしませんか?