提督はただ一度唱和する   作:sosou

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21.タイタニア

「うち、忙しいんやけど?」

 国家の存亡をかけた一戦への布石として、単身で敵中へと進撃する第五提督室所属龍驤だが、殊更気負うことなどなかった。

 かつては南太平洋を一人で背負った女である。北海道一つで潰れるような柔な造りはしていない。

『深海棲艦の目的は人類の撃滅ではない、か。分かってたつもりだったけど』

『意味あんの? どーでも、本土は守らなあかんやん?』

『破壊されて困るような沿岸施設は、鎮守府と近隣の漁港のみです。現状の遅滞戦闘を、空母の攻撃圏内に内陸部が収まるまで続けられるのであれば、随分と戦力に余裕が出来るのではありませんか?』

「うち、忙しいんやけど?」

 何より、確信したことがある。これほどまでに振り回された北海道戦役だが、深海棲艦の本質は何も変化していない。過度の警戒も、戦略の変更も必要ない。これまで通り、またはかつてのように、提督が支え、艦娘が戦い、国がそれを援護すれば、どのような苦境であろうとも勝利し得る。

『それ、説得できるの?』

『大湊に関しては、身命をかけて』

『ほな、佐世保と呉か。ゆーても、動かせんが』

『あっちは休養と再編に回しましょう。ケツはうちが持つわ』

「忙しいゆうとるやん?」

 目の前の光景が証明している。

 派手に暴れながら誘引した結果、横須賀軽空母部隊への追撃は、完全に阻止された。空母を狙って寡兵をあしらい、電撃的な侵攻を果たしたはずの深海棲艦が、軽空母一隻のために、上陸直前で足踏みしている。確かに、慌てふためいている“大本営”の連中に知らせてやるべきだろう。

 だが、そうして現出する状況など、もはや説明の必要もない。

『ただ、北海道の深海棲艦が特異な動きをしているのは確かです。潜水艦については、まあ、納得は出来ませんが、理解は出来ます。その後の対応から考えれば、目から鱗でした』

『唯一、海中で艤装使えるからな~。いや、やからて、狩り要員か』

『もったいないと思うのは、私たちが国から支援を受けているから、なのかしら?』

『大戦のようにされれば、とうの昔に干上がっています。そして、だからこそ佐世保と呉の負担が増している。結論はともかく、充分な材料になり得るかと』

 すなわち、波そのものが深海棲艦になったかのような、絶望的な物量の奔流。

「ええ加減にせぇよ。池の鯉か、自分ら!! 噛みつく暇があったら、大砲使わんかい!!」

『え? 急にどうしたの?』

「どないもこないもあるかい!! 今!! うち!! 戦闘中!!」

 ピラニアなどよりもよほど貪欲な有様で殺到する、無数の駆逐艦。愚直に突撃するそれらを、荒波を巧みに利用して躱しながら、龍驤は通信越しに怒鳴りつけた。

 風は吹き荒び、海面は激しく上下する。元は艦船でありながら、今は人であることを最大限生かした航法は、スケート競技にも似た華麗さだ。海中に半ばまで沈みながらの駆逐艦では、追いつきようもない。

 それでも数を頼みに、強引に前方に回り込んだ一団がある。暗く、水飛沫の舞う視界と不確かな足元にも関わらず、龍驤は常に自ら、全方向に警戒を割いている。妖精さんには頼らない。

 正面で立ち上がる波を利用して、進路を直角に変えるが、傾斜を上る運動が含まれるために大きく減速してしまう。それでも、波に逆らう後方のイ級ならば、置いて行けた。前方も横波に進路を逸らされているが、僅かに龍驤と進路が重なるイ級がいる。

 波という不安定なものに乗る龍驤には不利な体勢だった。下手に避ければ転げ落ちる。波は直角を越えようとしていた。深海棲艦は、その波そのものに潜り込んで接近を果たす。

 龍驤は器用に上半身だけで、体を捻る。下半身は波を捕まえて離さない。

 遂に一匹が彼女に襲いかかった。開けた大口は、人類社会と艦娘の悉くを臓腑に納めてきた残虐な破砕機だ。龍驤は意図的に、左足を滑らせる。波を捕まえたまま、円筒状の側面を降ったのだ。

 そこで生まれた急激な加速と遠心力のままに、拳が振り上げられた。激動する傾斜地という、恐るべき海面状況の一瞬を捉えて、自らの言葉を全否定する右の撃ち下ろし。飛び出した勢いのまま空中に漂うイ級の横面を、芸術のように捕まえた芯によって、粉砕する。イ級の歯が折れ飛んだ。そして、腰の回転を使い、別のイ級の鼻面まで拳を振り抜いてそれを防ぐと、崩れゆく波頭を避けてまた別の波へ。

 踊るように華々しく、惚れ惚れするほど荒々しい。この上、包囲を避けながら、深海棲艦本隊へにじり寄っているのだから、卓越している。

『そんな、大袈裟な』

「大袈裟ちゃうわ!!」

『歴戦の龍驤さん、ですもの。さぞ、ご活躍でしょう』

「見せたるから来い!! 今すぐ!!」

『ごめん、撤退中やねん』

「誰のおかげや、この、この、クソがぁ!!」

 流石に、自分とほぼ同じ存在には、罵声の言葉も切れ味をなくすらしい。というよりも、自死を避けたのだ。

『で? どうなの? そいつらの目的は掴めそう?』

「無茶いいなや。わけわからんわ。と言いたいとこやけど、空母やわ。間違いない。今、来た奴もうちの四肢を狙っとった。どうも、生きたまま連れ帰りたいらしい」

『なして?』

『アクタンでしょ。ああもう、ホントに意味わかんない』

『まさか、そんな、嘘やん? マジで?』

『私たちとて、大戦でのことは拭えぬ記憶として残っていますでしょう?』

『だからて。いや、まあ、心当たりがないでもないか』

「零戦飛ばしたら見逃してくれるんか?」

 自分よりも背丈の高い波間にあって、そうぼやいた。流石に、この状況での発艦は厳しい。途端に、波へ突っ込んでしまう。深海棲艦のように、頭の帽子が口を開けたら浮いて出て来るという謎方式ならいざ知らず、艦娘なら誰でも同じだろう。

 つまり、陸に僚友を逃がした判断と、本隊を見つけようとしている自分の行動自体に間違いはない。

 それが今は、妙にありがたかった。

 あれこれ読み間違え、慌てふためいたことは、いい。戦争だ。そんなこともある。

 だが、数で勝る深海棲艦の団結を促し、数に頼んでこれを撃破しようとするなど、愚劣の極みだ。そんな簡単なことを、誰も、自分も、彼女の提督すら指摘しなかった。考えつかなかった。挙げ句、推進した。

 これ程の慙愧があるだろうか。国内事情に振り回され、勝利し続ける戦況に驕り、成すべきことから目を逸らした結果が、六千人の民間人死者である。

 はっきりと明言しよう。徴兵提督たちが負けることなどわかっていた。すり潰すのが目的だったと言い換えてもいい。軍紀の乱れ著しい彼らを切り捨てることは、彼らを利用しようとする守原以外の誰にとっても歓迎すべきことだった。それらに従う艦娘も含めて。

 そのような外道の果てに、招いたのが国家の危機。笑えないどころの話ではない。しかも、すり潰されたのは徴兵提督ではなく、人類や彼女らが持て余して放置していた駐在艦たちである。提督から寵愛も信頼も得られず、国家から半ば無視されていた彼女らだけが、この戦役で唯一、義務を果たした。

 たった二百人である。十万を越える深海棲艦相手に最前線で何をすれば、決定的な役割など担えるのか。射耗し尽くすまで戦い、その身を投げ出して遅滞に努め、住民の避難を援護し、陸軍の盾となる。これ以上に望むことなど何もないはずだ。

 だが、彼女らは何も出来なかったと非難されているのだ。彼女らを喰らう深海棲艦を、彼女らごと撃ち抜いた陸軍が賞賛を浴びているのに。沿岸を食い尽くせば、海に帰る深海棲艦を撃退したと。

 大戦の頃、自分の艦内で乗員たちは様々な話をした。彼らはあの狂気の時代に、命令だから戦っていたのではなかった。隣の戦友と、銃後に残した家族、そして身に宿した責任感に命を捧げていた。大本営など、罵りの対象といっていい。

 自分はどうだろうか。駆逐艦の密集地に牽制の砲撃を放ち、互いに衝突して混乱する様を横目に、龍驤は考える。

 責任ある立場にありながら、責任を果たせず、後始末を下に押しつける。今の政府や統合幕僚本部を“大本営”などと呼んでいるが、自分も同じか、それ以下ではないのか。

 少なくともこの戦役は、あの大戦のように国民に望まれたものではない。放置された、憎まれたといえど、内に隠ったのは海軍の総意だ。そういえば、そのフォローに回ったのも駐在艦だった。鎮守府においては、末っ子以外問題児で有名だが、外に出れば受け入れられたのはそちらの方だった。皮肉なことである。

 龍驤は思う。人の体を得て、戸惑いを得た。慣れて、自然に振る舞えるようになっても悩みは尽きない。

 気難しさを名前にしたような男の言う通りである。とかく、人の世は住みにくい。このまま思索に耽れば、実際、渦潮に消えそうな世情でもある。背後から迫る深海棲艦を、無造作にターンを決めながら裏拳で沈めると、龍驤は気合いを入れ直した。

「さーて、お仕事、お仕事」

 この期に及んで、生への執着など見せるべきではなかった。黙り込んだ僚友に向けて、白々しい言葉をかける。

 だが、返ってきたのは、思いの外あっけらかんとした自分の声だった。

『何言っとんの? 目的は果たしたんやから、帰ってきぃ』

「は?」

『深海棲艦の目的は、あんたなんでしょ? 易々と渡せないわ』

「意味分からん」

『私の提案が受け入れられたとしても、増援の到着には最速で四日。現実には一週間ほど必要です。もはや、私たちのように空輸というわけにはいきませんので、現状の戦力で防衛せねばなりません』

『つーか、無理やろ。この天候では魚雷も投下出来んし、急降下も自殺行為や。中止、中止』

「いや、もう見えとるし」

『何が?』

「敵本隊」

 

 

                     §

 

 

 まだ時間はあるはずだった。敵主力は千島列島の確保のために、横須賀の水雷戦隊と激闘を繰り広げていた。横須賀が補給のために撤退し、小康状態となったのは前日のことである。

 約二十個の艦隊が、入れ替わり立ち替わり千島列島全域で突破を図った。突破した艦隊は当然、包囲されるが、強引に別の突破地点の背後に回り、連携して脱出するという、狂気じみた作戦であった。損害は大きく、彼女らは戦闘能力を喪失した。

 だからこそ、どれだけ悲観的に考えても、敵本隊の到着まで半日は時間があるはずだった。それだけの戦力を拘束出来ていたことは確認が取れている。

 その半日があれば、旭川は山間部を抜けられた。そのまま北見周辺に展開するか、陸別へ撤退するかについては、若菜の中隊による工作次第だった。

 海軍はその歴史から、深海棲艦の殲滅を望む。戦争初期には役立たずの最新鋭艦に乗って、壊滅するまで戦った。そして、字句通りあらゆる手段を用いて沿岸に居座る深海棲艦に突撃したのが陸軍だった。この生き残りが次世代の海軍であり、提督と呼ばれる者たちだ。

 彼らは決して、戦友を貪り喰らった深海棲艦を許さないだろう。海軍の実働部隊を率いる提督のほとんどが、深海棲艦を不倶戴天の敵として認識しているのだ。

 彼らがそれを自覚しているかは、わからない。だが、彼らにとって、海軍に課せられた国土防衛という任務は建前でしかなく、それらや国民の保護は、陸軍が担うべきだとの意識がある。

 だから、深海棲艦の侵攻に際して定められた避難要領などの情報に無頓着なのだ。それどころか、深海棲艦や艦娘の研究に関する事項についても、あまり関心を払わない。

 そして、北海道が危機に陥り、日本海の安全も疑わしい状況で、充分な縦深のある太平洋での迎撃のために、遙か離れた海域で戦闘に興じている。

 先ずは、国防体制を盤石とするべきだった。アリューシャンからの侵攻が判明した時点で、方針を転換すべきだった。少なくとも、これまでと違う深海棲艦の動きに警戒して戦況を膠着させるぐらいなら、増援を送るべきだった。日本国内に深海棲艦の根拠地を作られるか否かの瀬戸際なのだから、当然下すべき判断だった。

 この状況で動かない徴兵提督には、今後厳しい処分が下るだろう。責任を押しつけるべき上層部は、既に消費された。その煽りを受けて、横須賀への対応も強硬にならざるを得ない。ここで公平性を欠いては、統制を取り戻せないからだ。

 それを救う。新城はその為にここに来た。美幌への到着が妨害され、横須賀と接触する前に作戦が始まり、どうなることかと思ったが、間に合った。

 はずであった。

「沖合いの龍驤さんから連絡です!! 敵本隊と思しき大部隊と接触!!」

 困り果てた漣の説明に混乱を深める瑞鶴を眺めて、頭の痛い思いをしている時だった。まともに説明して、新城や陸軍の手柄には出来ない。横須賀や海軍が独断したから現状があるのではなく、あくまで上層部の作戦指導が拙かったために起きた悲劇であり、独断そのものは仕方ない範囲であったように見せかける必要がある。現状の歪みは、海軍の手で正されねばならない。

「どういうことだ?」

 これ以上、敗北を重ねる前に。

「一般無線に繋ぎます」

 艦娘の全てが、呆然としていた。漣だけが、苦しそうに告げた。

『あ、あー。聞こえますか? ただ今敵本隊と接触中。これより、後退戦闘に入ります。情報は逐次流していくさかい、みんな聞いていってね』

『呑気なこと言ってないで撤退しなさい! 一時間、一時間で釧路沖から、援護が来るわ』

『そうやね、一時間ありゃ上陸出来る位置やね、敵さんが』

『うちらの再戦力化まで、最低一時間や。その間、大湊の方で支えてもらわなあかんが?』

『・・・・・・敵の空母はどの程度です?』

『いっぱい』

『・・・・・・陸軍の援護で手一杯になるかと』

『そのまま、宗谷を回って日本海まで出ればいいわ。釧路から航空隊が来れば、大湊も援護できるでしょう? 陸軍だって、』

『叢雲、うるさい』

 何やら愁嘆場が繰り広げられているようだが、新城は海図に覆い被さり、コンパスと定規を手にする。無線から流れて来る情報を頼りにそれを動かし、おおよその位置と敵情を記入する。

 戦艦三十二、空母十六、重巡三十六、軽巡二十四。駆逐艦は無数であり、数はおおよそのものだ。指揮官である姫の姿は確認出来ていない。やる気充分というのは、一種の隠語で、鬼火を纏う強力な艦の存在を示している。天候は回復に向かいつつあり、波は穏やか。発艦に問題なし。

 網走沖に五十㎞圏内と言うことは、既に航空機の攻撃圏内だ。新城は振り返る。

「鳳翔殿を呼び戻せ。出撃を依頼する」

 棒を飲んだようであった兵が動き出す。待機状態であった他の兵にも、集結を命じる。新城の頭にはこの時、撤退の二文字しかなかった。

 鳳翔が駆け込んでくる。

「申し訳ありませんでした。空母はすぐさま動けます」

 瑞鶴が、「え?」という顔をしたが問題ない。混乱から立ち直っていないだけだ。新城は頷き、若菜に連絡する。

「大尉殿、敵が迫っております。直ちに撤退すべきです」

 返答には幾分時間がかかった。

『見捨てるというのか?』

「はい、いいえ。そうではありません。撤退中の軽空母を収容の後、撤退します。ですが、積雪のため、移動には時間がかかります。身軽なスノーモービルだけを残して、雪上車は順次出発させるべきです」

『そうではない。今、海上でただ一人奮戦する勇者を、ただ置き去りにするというのか』

 何を言っているのだろう、この莫迦は。極めて率直に、新城はそう思った。

「海上でのことであります。我々に出来ることはありません」

『だが、彼女が陸に辿り着きさえすれば、援護出来るはずだ』

 不可能だ。いや、例え可能であったとしても、龍驤には足止めをしてもらわねばならない。

『今より、海岸に向かう。上手くいけば、大湊との航空戦の最中に到着出来る。一時的であれ航空優勢があれば、艦娘と協同して、深海棲艦の上陸を阻止できるはずだ。そして、龍驤を回収して撤退する。そうすれば、雪が奴らの侵攻を阻んでくれる。逃げ切れるはずだ』

 何があったのだ。若菜は確かに、才気溢れる人間ではない。だが、このような無謀を口にする人間ではなかったはずだ。むしろ、決断に迷い、失敗を恐れて慎重に過ぎる手順を踏むことを好んでいた。

『幸い、敵は少数だ。大湊の援護があれば、撃退も可能かも知れん』

「いや、大艦隊ですから」

 漣が顔を青くしている。駆逐艦を合わせて考えれば、六倍を越える戦力差である。確かに、深海棲艦の物量を思えば、少ないという考え方も出来なくはない。味方の戦力が増えるわけではないので、慰めにもならないが。

「大尉殿・・・・・・・」

『新城』

 反論を封じるように、若菜が新城を呼んだ。それは何かを覚悟した男の声だった。

『なあ、新城。どこに逃げればいいんだ? もう、俺たちは奴らの攻撃圏内に入っているんだぞ? この雪の中を、雪上車に詰め込まれて、一体一時間でどこまで行けるんだ? 新城。奴らのたこ焼きが一機でも俺たちの頭上に来たら、俺たちは終わりなんだぞ?』

 だから突撃するとでも言うのか。無謀を通り越して自殺である。新城にはとても許容出来ない。

「大尉殿、大湊が撤退を援護してくれます。今、単身、敵と立ち向かわれている龍驤殿も、我々の撤退を待っておられる」

『新城!!』

 だが、それは覚悟をないがしろにされた若菜も同じであった。憎悪すら感じる声が、無線から割れ響く。

『放っておけ。腰抜けはいらん。我々は出るぞ。貴様はそこで居竦んでいるがいい』

 無線に新たな声が乗った。確認のために鳳翔を見れば、愕然とした顔で首を振る。

「那智です。そんな、どうして」

 つまり、向こうの独断専行ということだ。若菜は煽られたのか、それとも利用されたのか。ともかく、やはり、寄せ集めに過ぎないということだ。人のことをとやかく言うべき状況ではないが。

 通信は切られた。威勢の良いことを言っていたが、どうせ海岸に向かうならば新城の近くを通るのだ。というよりも、猫のほとんどがこちらにいる。本当に突撃するつもりなら取りに来るだろう。焦ることはない。焦るべきではあったが。

 新城は今まで一度も腰を落とすことのなかった椅子に、深く沈み込んだ。那智の捨て台詞のせいか、艦娘も大人しい。漣の繋いだ無線からは、今も懸命に龍驤が情報を流している。

『こない急に海が大人しい。上空の雲は厚いままや。よほど、力を持った姫や。とくに、海面状況の改善が著しい』

『更に戦艦を確認。護衛は軽巡、駆逐が二。なんや? ワ級、輸送艦がおるで?』

 淡々とした声。落ち着いた口調。砲声と激しい水音が背後にあっても、よく通るように抑制されている。

「龍驤殿に通信は?」

「こっちからは届きません。鎮守府の設備なら可能ですが、艦娘の艤装だけでは。龍驤さんは多分、航空機を複数中継して、深海棲艦の妨害を突破しているはずです」

「それをこちらが利用することは?」

「無理です。妨害の外に向けてならともかく」

 漣が悲痛な表情で俯く。なるほど、優秀だ。初期艦に選ばれるだけはある。

『あー、こりゃヤバい。ヤバすぎや。姫発見。あれ、陸上型やない? うちより小さいが、何ぞ見覚えがあんで』

 能天気とも思える彼女の報告は、途轍もなく貴重だ。重要であるだけではない。それが今後の犠牲を減らす助けになる。彼女の命を代償にもたらされている。

『聞こえとるかー? 容姿は飛行場姫に似とる。何や知らんが来るな、言われた。来とんのはお前やっちゅうねん。カエレ!!』

 深海棲艦のものらしい悲鳴が聞こえた。初めて耳にした新城は、全身が逆立つような感覚を覚える。化け物のような声ではなかった。完全に人間の、若い女性の断末魔だった。

 そして、戦闘音。その間も龍驤はぼやく。

『指揮自体は、護衛のリ級がやっとるな。大したもんや、包囲が早い。特徴は、ない、な。気持ち、背が高いか? 隣の姫が小さいせいかわからんが』

『まだ、聞こえとるかな。叢雲もあれや。強気なふりして、気負いすぎや。戦争からそう簡単に足抜け出来るわけないやん。向こうさんの事情もある。それで、どんだけ苦労してきたねん』

『戻れるなら、うちかて帰りたいわ。赤城の阿呆はぽやぽやしとるようで、回りのことなんか何も興味ない。加賀は不器用過ぎて、傷ついてばっかや。鳳翔は人の世話。あいつら、うち以外誰を頼るんや。放っとけんやんか』

『死にとないなぁ。あいつら無茶すんで。長門も金剛もわかっとらん。あんな、信用できん奴らもおらんのや。止める奴がおらな、すぐ潰れてまうで。うち? 元からぺったんこや。何言わすねん』

 新城が吹き出した。ペンを持ち、海図に向かう。突き刺さる視線を感じて、納得する。艦娘は兵ではない。軍人ではない。

『駆逐より強い輸送艦とか、深海棲艦は常識を知らん。ああ、潜水艦もおる。数は、四個ほどの群れか? 正確にはわからん。前後左右から、偏差で撃たれた。練度は高い。砲艦と射線が被っとらん。空母との連携もいい。三次元的に、追い詰めよるわ』

『その割に戦意が低い。いや、姫さんに近づこうとすると本気になるというか。どうも、向こうも上の無茶振りには苦労しとるようや。ごめんな。艦爆ガン積みやねん』

 海図に情報を書き込んでいく。必ず、役立てねばならない。瑞鶴が泣いている。鳳翔は戦慄いている。漣は、直立不動を貫いている。新城の口元には笑みがある。

『あかーん。艦爆じゃ、かすり傷や。速度、この場合は貫通力か。刺さらんから、力不足や』

 もう、千島で未だ警戒中の叢雲の声が聞こえない。距離がより近い、撤退中の龍驤との連絡も途絶えている。この通信を受け取れるのは、簡易的とは言え妖精さんの通信設備を持ったここだけだ。

『そろそろ、限界や。もし聞いとったら、第五の提督によろしく言っといて。仕事サボって、阿呆どもから目を離すなよて』

 世間話の延長にあるような最期の言葉とともに、声は途絶えた。だが、通信は繋がっている。まだ龍驤は戦っている。艦娘も、兵も、新城も、ただ、机に置かれた玩具のような通信機と、それに繋がる軍用無線を見つめていた。

『ゼロ・・・・・・・オイテケ』

 その声は、明らかに子供のものだった。だが、同時に子供では有り得ないほどの執念が込められていた。

『ほな、首置いてけや』

 新城すら息を呑んだ深海棲艦の姫に、龍驤は無造作に、不敵に告げて、通信は切れた。

 無線からはもう、雑音しか聞こえない。

「君たちは、このように在れるのか?」

 沈黙が帳を降ろす。






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