提督はただ一度唱和する   作:sosou

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23.黒になる

 一面真っ白な世界を茜に染めて、太陽がひっそりと沈んでいく。

 一度、深海棲艦の襲撃を受けた網走の街は瓦礫に変わって雪の下にあった。人工物の欠片もない世界は静謐で美しい。ほんの数時間前まで吹雪のなかにあったせいか、千島列島から流れる火山灰の存在すら感じさせない、澄んだ空気であった。見渡すばかりの景色は、少しずつ藍色へと落ちていく。

 大湊との航空戦を終えた深海棲艦は、この処女雪に上陸した。激しい戦いを反映してか、薄汚れた艤装がさらに目も当てられない様になり、油や煤を零しながら這い上がっていった。なかには煙を吹いて倒れ込み、その場で動けなくなるものもいる。

 おそらく、資材の現地調達だろう。あちらこちらで雪を掘り返している。しかし、既に彼女ら自身がここで存分に饗宴を楽しんだ後なのだ。出てくるのは、その際中に大湊からの攻撃を受けて倒れた同胞の亡骸ばかりである。

 流石に、それらを食らって資材に変えるのは憚れるのか、掘り出された亡骸はわざわざ海まで返された。死体の上にせっかく見つけた小さな鉄屑を載せるのは、彼女らにも死を悼む気持ちがあるからか。

 もっとも、大半は載せるだけで彼女らの口の中に消えていった。亡骸は波にさらわれていく。

 あっという間に、美しい海岸は真っ黒になった。そして、海岸ばかりでなく、内陸にも彼女らは踏み込んでいく。ほとんどが駆逐艦だが、中には軽巡の姿も見られた。

 その彼女らの頭上に浮かんでいる白い球体は、浮遊要塞と呼ばれる個体だ。海上で見ることは稀で、姫級の護衛を務めることがある。深海棲艦艦載機のよう空中を浮遊し、なおかつ艦艇並みの砲撃能力と航空機展開能力を持っていた。どちらかと言えば、陸上での活動に適している。地形をある程度無視できる上に、白兵戦へと巻き込むことが難しいのだ。

 なお、どのようにして浮いているのかは謎だ。

 海岸では輸送艦の展開が始まっていた。単艦で大隊級の部隊へ突貫して、指揮官の喉元にまで迫る空母が常識外れと呼ぶだけあって、上位の個体は戦艦にも劣らない攻撃力を持つ。だが、もともとが人間大にまで縮小されているにも関わらず、そのような無理を通せば必然、輸送能力は低下する。群がる大型艦に補給が行き渡るとは思えない。

 つまり、彼女らは陸上の制圧ではなく、活動の根拠を得るために活動せねばならないのだ。大きな矛盾であり、海洋生物であるはずの彼女らにとって酷く面倒の多い仕事だ。

 かつてならば人間の生息地には彼女らを充分に満たすだけの資材で溢れていたのだが、シーレーンの破壊によって文明の利器に使用する素材も変遷を余儀なくされている。例えば車両の外板はカーボンやセルロースファイバーに置き換えれらており、極力金属の消費を抑えている。燃料についても、化石燃料には頼らない方式がほとんどであり、日本という国はもはや彼女らにとってなんら魅力のない土地であった。

 それでも攻め寄せるのは、日本近海が世界有数の海産資源を有しているからである。食事によって資材を得られるという特性は伊達ではなく、究極的には窒素化合物と炭素と水だけで、彼女らは燃料と弾薬を賄うことが出来るのだ。そしてそれ故に、体格に比して莫大な食糧を必要とした。生命活動だけでなく、それらの生成にも大きなエネルギーが消費されるからだ。

 ここに深海棲艦という生物の歪さがある。

 その形状からわかる通り、彼女らは海中に適した造りをしていない。手足の存在から、深海、それも遙か海底での生活こそが本分であると思われた。艤装は殻であり、資材生成能力は低酸素状態での広範な資化能力に近いものと推測出来る。

 彼女らは何かから身を守る必要があり、誰も見向きもしないものから栄養素を取り出さなければならなかったのだ。

 ここから見える深海棲艦の姿とは、海底懸濁物を始めとしたあらゆる海底資源を取り込み、静かに暮らす穏やかで弱々しい生命である。優位な点があるとするならば、資材生成の過程で生成される酸素を、副産物として利用できることだろうか。深海という環境では大きな力になったであろうが、今日に見るような絶対的な優位を約束するものではない。

 だが、いつからか獲得した社会性が役割分担と多様性を生み、海面という新たな活動領域を何らかのきっかけで知ることにより、彼女らの繁栄は始まった。豊富な酸素を取り込むことで艤装はかつてない力を生み、いかなる獲物でも仕留めることが可能となる。弱かったはずの生物が、突然に生態系の頂点に君臨したのだ。

 マンボウは三億個の卵を産むという。正確ではない数値であるが、海という過酷な自然環境において子孫を残すために、弱者が背負わねばならない苦労を象徴している。そこまでしなければ、種として存続し得ないのであれば、深海棲艦もまた、近しい能力を有していて当然である。彼女らの物量が答えだろう。

 深海棲艦は、弱者としての高い生存能力と、捕食者としての類い希な能力を両立した生命なのだ。その行き着く先は明白である。

 一見、世界を支配しているようにも思える彼女らだが、進化の代償を支払っているだけのことだ。いつかは負債の果てに全てを巻き込んで滅びる運命にある。

 少なくとも、日本の科学者はそう主張している。

 実にもっともらしいが、どれだけの事実を含んでいるものかいまいち判断がつかない。この仮説は、彼女らが生命であることを前提にしている。しかしながら、物理法則を軽く逸脱した深海棲艦を既存の論理で考察することの虚しさは筆舌に尽くしがたい。

 ダーウィンの進化論は火を噴く蜥蜴の可能性は許容しても、少女が戦艦の大砲を振り回すことについては徹底して無関係を装うのだ。

 それでも何かの慰めにはなるのか、それとも逃避行動なのか、現在の主流といって良い学説だった。世の中、何が正しくて間違っているのか曖昧なことばかりであるから大した問題ではない。

 重要なのは、それを踏まえてどのように活用するかである。

 雪に自ら埋もれるようにして、生きる糧を得ようと進軍する彼女らは女満別空港に辿り着いた。新城が拠点としていた施設である。

 深海棲艦はここに殺到した。施設内には、様々な物資が残されていたからだ。守原から送られた艦娘に関わる補給物資は輸送ヘリ一基分に及び、明らかに過剰であった。徹底した抗戦を期待したものだが、だからこそ撤退の足枷にしかならない。陸軍の輸送能力を越えているからだ。

 雪上車は雪の上を走る車であるため、履帯を採用している。不整地走破能力に優れているが、では走破能力そのものが高い機構かというと、そうでもない。長距離の移動には多くの気を遣うし、速度を出すことも難しい。損耗も激しく、よって、使いどころの見極めが必要であった。要は、目的地まで自力で走らないですむような工夫が求められるのだ。

 自力で走らないとなれば、何かに積み込むしかない。移動用、輸送用といっても、その能力は限定的なものにしかならない。実際、旭川の到着の遅れや、中隊での派遣とういう決断も、こうした輸送上の限界が影響している。

 そして、この雪上車は、雪の上で活動することを前提とする、速度に劣る履帯付きの車両であるくせに、黒いのである。仕方のないことだ。外板は錆のおそれの少ないカーボンナノチューブ製。加えて、日本は樹脂原料である石油が、深刻に不足している。素材の色を生かした無骨な造りになるのはどうしようもなかった。

 そのため、空港の周囲には、遺棄されたこれら雪上車が無数に放置されていた。多くの生物が糖の製造を植物に頼っているように、深海棲艦も純粋な炭素を取り込んで利用するのは難しいのか、これらの摂取を嫌がる。

 嫌いな外殻に包まれた、満載の資材。基本的に非力な深海棲艦の行動は短絡的であった。自らの砲で吹き飛ばしたのだ。弾薬や燃料といった可燃物を。

 もちろん、彼女らも考えなしではない。自身で作り出すものの特性などわかり切っている。艦娘が提督を折檻するときのように、衝撃で外板を凹ませてやろうとしたのだ。

 結果、激しく揺さぶられたことで内部に取り付けられた簡易な振動感知装置が電流を繋いだ。それが僅かな火花となり、気化した燃料が爆発的な燃焼を起こす。膨張した空気は出口を求めて荒れ狂い、雪上車内部の温度を一気に上昇させる。それは更に弾薬や燃料への延焼を促し、そして耐えきれなくなった。どんな構造物も、内側からの圧力に対しては無力だ。雪上車は破裂して、周囲に破片と炎を叩きつける。

 これで深海棲艦に損害が与えられるのであればよかった。しかし、多少目を回すことはあっても、彼女らは健在だ。炎を浴びても平然としている。しかし、衝撃は大きい。やっと見つけた資材が丸ごと吹き飛んだのだ。

 その時、空港施設内からも爆発音がした。それも立て続けにである。一瞬のうちに空港ターミナルは赤黒い炎を吹き上げる松明のような有様になった。一千五百平方mの敷地が、完全に炎に呑まれたのだ。爆風に顔を背け、視線を戻す、たったそれだけの時間で戦艦が丸ごと火達磨になったかのような光景の出現は、彼女らの度肝を抜いた。それでも、深海棲艦にとって直接の脅威ではなかった。そこから駆逐艦が飛び出してくるまでは。

 彼女は燃えていた。如何なる兵器にも平然としている深海棲艦が燃えていたのだ。艤装を起動したのか、冗談のような速さで駆け回り、雪に滑って転倒し、除雪のために積み上げられた雪山に突っ込んでも、なお燃えていた。

 彼女自身が燃えているのではなかった。艦娘への補給物資であるボーキサイトを粉末にして、松脂と燃料を混ぜたものを浴びせられたのだ。一種のナパームである。

 間に合わせにしてはあり得ない威力であり、効果だった。空港ターミナルは熱だけで溶け崩れるように姿を消した。中に残っていた深海棲艦は、それでも無事であるはずだった。

 しかし、誰も這い出て来なかった。深海棲艦は恐慌をきたし、右往左往する。核の炎さえ恐れない彼女らが、その火柱には近づけもしない。そこに砲弾が落ちた。

 深海棲艦が混乱のあまり硬直する隙間に、見えない巨人が千鳥足を踏むような拍子で泥と雪が舞った。彼女らが正気に戻った時には、効力射が始まっていた。巨人の地団駄は、地上のあらゆるものをめちゃくちゃにしてしまう。

 深海棲艦の先鋒はこの一撃によって壊滅した。

 これらを手配したのは新城だ。遺棄せざる得ない資材を囮とし、誘引した深海棲艦に全力でもって先制する。

 どことなく景気がよいように聞こえるが、貧乏性を発揮して出せる力を振り絞っても、先制攻撃にしかならないということであった。その割に深海棲艦の被害は大きいが、これは新城の意図しない成果だった。むしろ、彼の構想を妨げている。

「あまり細かくやる必要はないぞ」

 だから、声をかけた。扶桑も山城も愛宕も、表向きにどう見えようがやはり艦娘であった。目の前の深海棲艦の撃破に熱中してしまう。それを彼女ら自身の責任とするのかどうか。今は論じるよりも、自分が背負ってしまえばいい。新城はそう結論した。

「具体的にはどのように?」

 少なくとも、このように学ぶ姿勢はあるのだ。観測機からの諸元を伝えながら、砲撃の指示を出していた扶桑が問うた。人間のような反発がないのは有難いが、不気味でもある。新城が悪意に慣れ親しみ過ぎたせいかも知れないが。

「被害を徹底するより、拡大させることを念頭に。侵攻を阻止する必要はない。ここでは、嫌がらせが出来ればそれでいい」

 扶桑は納得したようだ。それぞれに砲撃の割り当てを、区域毎で分けて指示する。愛宕は笑顔で、山城は無表情に頷いた。扶桑は少し悲しげにそれを見て、遙かに立ち上る火柱に視線を切った。

 新城は煙草を薫らせながら、厄介の種らしき気配をぼうっと眺めていた。あっさりと思惑が通ったことで、少し気が抜けていた。扶桑の態度からもわかるように、懸念した艦娘との軋轢もなかった。

 今や新城は、この戦役を主導していた。

 

 

                      §

 

 

 大湊の攻撃が始まった直後、若菜が合流に訪れ、新城が迎えに出たのと同時に、撤退してきた龍驤が到着した。寒さにかじかむ兵たちを置いて颯爽と歩く様は、なるほど、海軍らしいと言えなくもない。新城が傍らの下士官に目配せすると、号令一下スノーモービルの回収に兵たちが走り出す。暖房は足りないが、湯を沸かした部屋で一息つけば彼らも多少は溶けるだろう。

 一瞬、龍驤の目がこちらを向いたが、彼女は真っ直ぐ若菜の元に向かった。

「指揮官はどいつや」

 聞く必要がある態度ではなかった。現場指揮官として、上位者として、龍驤は理想の体現であった。目にしただけで誤解なく、彼女の立場をわからせる。ここまであからさまであれば、士官として自分の立場も守らねばならない。新城は龍驤に体ごと向き直り、若菜はたじろいだ。

「どいつや言うとんねん」

 礼儀正しく若菜に視線を向ける。訓練された軍人は、上官に叱られることを悦ばない。

「撤退の手順を説明してもらおか。事前の計画やと、あんたは北見に向かっとるはずやが」

 若菜の顔が悔しそうに歪んだ。目の前どころか、もはやこの世にいない龍驤のために計画を放棄し、移動の合間に目的が失われ、連絡の不備によって無駄足を踏んだなどと誰であっても口にしたくはないだろう。冷え切った頬を寒風とは違うものが切りつけるが、新城は無視した。ここで口出しするなど、まさに僭越というものである。

「計画は放棄した。事前の想定とは深海棲艦の戦力が違う。ここで叩くべきだ」

「撤退の手順を聞いとるんや。あんたの与太には付き合っとる暇はない」

 新城は初めて若菜を尊敬した。この小さな巨人相手に対等の立場をとったのだ。その驚きはこの場にいる中隊の全員が共有しただろう。もっとも、龍驤は気にしなかった

「あんたらの援護で撤退するのを、うちらが援護する。そういう計画やったよな? それを放棄する言うたんか?」

 この雪を踏破する足を陸軍が提供し、戦力を艦娘が発揮する。別々の指揮系統を持った全く別の軍隊だ。任務で繋がれて、初めて協力できる。その任務から逸脱しようというのだ。当然ながら、協力関係は解消される。

 問題は、龍驤が任務を盾に陸軍から協力を強制できるのに対し、若菜の依頼が受け入られる余地がないことだろう。

 本来なら意地を張る場面ではない。だが、若菜には難しいだろうと思う。

「なるほど。深海棲艦の戦力は想定と違う。軽巡中心の快速部隊やのうて、鈍足の戦艦に空母までおる。今のところ“計画通り”制空権はうちらが確保しとるが、大湊の攻撃が収まれば状況は余談を許さん。一部は常呂に回しとるしな」

 若菜が紅潮するが、反駁は出来ない。こんなところで世間話に興じていられるのは、横須賀が約束を守ったからだ。どころか、若菜が開けた穴を塞いですらいる。下手をすれば航空機ではなく、艦砲の的になる位置なのだ。今も遠く砲声が聞こえている。

 龍驤の状況把握は正確で、主張は明確であり、任務と命令に対して明快である。態度だけでなく、見識も士官に相応しい人物であるらしい。新城としては諸手を挙げて歓迎したい。

「待て、龍驤。この好機に撤退するというのか。今すぐ向かえば、航空機も繰り出せぬ疲弊した敵を討てるのだぞ」

 何せ、このような厄介者を押しつける相手が見つかったのだ。

 勢い込む那智の後ろに木曾が控え、利根が退屈そうにしている。此奴らのうち、誰かが通信を受け取りさえすれば、この寒空の下で雪の冷気に爪先を炙られることもなかっただろうと思えば、見目の麗しさもいや増すようだ。特にその横顔と言ったら新雪のような繊細さで、軍靴の跡を刻む誘惑が抑えがたい。

 同意者を得て若菜が新城を見る。その得意げな顔は何かを勘違いしているとしか思えなかった。大方、想像はつくが、集団自殺に対して積極的であることを自慢されても困惑するだけだ。勇敢であることは美徳ではあるが、それを目的に行動されては迷惑である。

「目の前の深海棲艦を放置して、ただ逃げることなど出来ない。大湊は奴らに突撃する」

「ほな、釧路でも同じよぅにしや良かったんちゃうか?」

 あまりにも役者が違い過ぎた。これ以上は時間の無駄だった。艦娘は気にしないようだが、いい加減、士官の体裁を保つのも限界である。寒いのだ。壊れた機械のようにみっともなく震え出す前に、建物の中へと避難したい。

「お話中に失礼します。連絡が途絶していた間について、大尉殿への報告がまだであります」

 わかるだろう。わかるはずだ。察しろ。今すぐに。

 新城の必死の訴えは通った。

 そして、場を変えて報告する間に、陸軍と海軍とで争っていたはずの主導権は新城の手元にあった。その魔法に鳳翔は呆れ、龍驤は顰め面をひくつかせて笑いをこらえていた。漣は嬉しそうで、他にこの詐術に気づいているのは不幸姉妹と愛宕だけだ。これを新城は冷静に観察している。

 簡単なことだ。突撃にしろ、撤退にしろ、守原が送りつけてきた膨大な物資は置いていくしかない。ならば、深海棲艦に利用されないように処分してしまわなければならない。処分の方法は、時間的に焼却以外にない。だが、この状況でこれだけの燃料、弾薬を燃やせば、すなわち攻撃目標とされてしまう。

 だから罠として、囮として使う。誰でも思いつくことだ。たった数時間のうちに準備されたものでなければ。

 いくら妖精さんが艦娘用に調整したものといえども、それ単体では深海棲艦の脅威にはならない。もしそうであったのならば、若菜が示すような破滅的な思想が陸軍に蔓延ることなどなかった。

 故に、新城が周辺の集落から集めた松脂などは、攻撃の助けにはならない。隙間風や雨漏りの補修や塗料、着火剤などに幅広く使われる松脂は、農奴でも入手し易いこともあり、手間をかければそれなりの量を用意できた。

 その目的は深海棲艦の現地調達を阻害するという一点に尽きる。その必要性はある程度教育を受けたものなら疑いなく、納得できるものだ。

 この時点で、無謀な突撃を採用してまで深海棲艦の上陸を阻止する理由がなくなってしまった。というよりも、深海棲艦への被害を最大化するならば、準備を整えたこの女満別空港での迎撃こそが最適だ。まさか、退路を火の海には出来ないのだから当然だろう。玉砕を前提にすればまた違うのだろうが、任務は軽空母を伴っての撤退である。資材を放置する選択肢を選べない以上、どうするべきかは明らかであった。

 一体、いつからだと問いただしたくなる周到さであった。新城はもちろん、大隊長に義兄の手紙を渡すと決断した時からだと答えるだろう。

 生還の成算もなしにこのような危険な任務になど参加しない。義兄も義父も、新城にそれが出来ると信じて託したのだ。新城はそれが悪意であれ善意であれ、期待には応えるべく努力する男であった。まさかここまで悪化した状況など想定はしていなかったが、過去をなかったことには出来ない。

 活用するべきだった。

 現状、防衛線を突破された形の日本だが、横須賀の必死の抗戦によって、深海棲艦は千島列島の確保が精一杯である。逆に言えば、彼女らは千島列島で蓋をされ、包囲されているに等しかった。となれば、アリューシャン方面からの補給は望めない。さらに北上して樺太を支配下に置くことも考えられるが、火山活動の活発化により地球環境は寒冷化の道を歩んでいる。既に流氷によって封鎖されていた。

 なお都合のよいことに、群れの頭領たる姫は陸上型である。これが普通の艦艇型であったならば、沿岸に留まったまま、総出で漁でもされて損害を回復したかも知れない。しかし、内陸部までも制圧していくことで南方の攻略を難しくさせていたその性質が、今回は仇となる。やり方次第で、幾らでも消耗を促せるからだ。

 若菜の望んでいたであろう、第五の龍驤のような劇的な成果は挙げられない。しかし、決定的な役割は果たせる。それがわからないほど、若菜も愚かではなかった。全て新城の掌の上としても、この構想を承認した。

 明らかに不機嫌に部屋を立ち去る若菜を見送っていると、傍らに気配が立った。新城は視線を向けるが誰もいない。

「こっちや、ボケ」

 龍驤が下にいた。噛みつかんばかりの笑顔だが、わざとだろう。視界から外れるほど間合いを詰める必要など、他に考えられない。新城は一歩引いて姿勢を正した。

「ええよ。楽にせぇ。言葉通りや」

 仮の階級など気にするなということだろうが、新城は取りあえず警戒を続ける。見本のような動作で休めの姿勢をとった。龍驤は苦笑する。

「後衛はあんたが仕切るんやろ? あのボンボンには任せられん。何ぞ連れてきたい娘はおるか? 今なら選り取り見取りやぞ」

 小学生をぎりぎり脱したかというような少女から向けられた下卑た表情にどう返せばよいのか。新城には判断ができない。ことさら生真面目に返答した。

「連絡用に駆逐を一人。後は砲艦を数人頂きたい」

 駆逐艦は吹雪、漣の他に、大湊から潮が来ている。司令部から秘書艦を急遽派遣したと思しき編成から、提督の業の深さが滲み出ていた。彼女に手を出すことは非合法であるはずだが、雰囲気が戦艦組に劣らない辺り、艦娘の適応力も莫迦に出来ない。

 吹雪は陸軍預かりのため、若菜に付く。選択肢は二つ。龍驤は迷わなかった。

「ほな、漣と不幸、山城、愛宕やな。こっちで言い含めとくわ」

 止めて欲しい。どうして女というものはこうした時に団結して男を責めるのか。言葉にしたのは龍驤であるはずなのに、姉妹の非難が視線に乗って新城に突き刺さる。

 新城も負けじと龍驤を睨むが、面の皮を滑っていった。

「あの漣は元、横須賀所属でな。うちらとの通信も良好なはずや。目と鼻の先で、耳を塞がれるような柔なのと違う」

 今度は那智と木曾である。まあ、両思いであるというのなら悪くない。新城は微笑んでやった。何故か利根が怯えた。

 龍驤は呆れている。

「難儀なやっちゃな」

「生まれついてのものです。こればかりはどうにもならない」

 溜息をついた龍驤は新城に煙草をたかると、外に誘う。どうやら本題に入ってくれるらしい。

「上はどこまで動いとる?」

「僕は一介の中尉に過ぎません」

「冗談は嫌いやない。が、好きでもない。関東人やし」

 新城は軍帽を取り、その裏側を眺めた。何の変哲もないそれは、色も相まって暗い穴のようにも見える。

「僕のことは?」

「一応な。駒城の係累やろ? うちの提督にも何度か接触があったな」

「そちらの線から確かめなかったので?」

「後悔しとるよ。まさかここまでになるとは」

 守原の基本方針は単純である。数には数を。提督の大量徴発と、それに伴う艦娘の増加。最低限の能力は艦娘が保証するため、下手に艦娘の個性を毀損してはならない。よって、提督は艦娘の操り人形となるべく、教育は施さない。また、艦娘を国家の備品と位置づけ、手厚い保護の元に置くのと同時に、社会的地位の獲得を阻む。

 当初は上手くいっているように思われたが、結局、軍事組織としては致命的な瑕疵を持つに至る。すなわち、統制の消失である。

 この事態を重く見たのは、政府ではなく守原と同じ五将家だった。このままでは守原だけが勢力を増していく。そうした危機感が彼らを動かした。これに政府の一部勢力も同調した。国家の危機が勢力争いの種にしかならない。だから、横須賀は距離を置いていた。そして、困っている。

「確かに僕は五将家の一つと関わりがあります。だが、誰からも愛されている訳じゃない。その点についてはよほど自信があります」

 潔癖であろうとすることは構わない。だが、今さら泣きつかれも迷惑だ。確かに、駒城の意向で動いてはいるが、個人的な関わりを除けば新城など木っ端のようなものである。はっきり言って、義兄がああでなければ、もっと別の閑職に回されたか、戦死していただろう。いや、そもそも拾われることすらなかった。新城の命と立場は、ただただ義兄の甘さ、優しさ、義理堅さだけに拠っている。

 しかし、新城の所属する大隊は、守原閥になかった。よその将家など受け入れる訳がないのだから、政府の意向が強く反映される部隊だ。そんな場所で駒城の係累であることを振り回して影響力を発揮したのだ。この先のことなど目に見えている。この場合、駒城の助けはむしろ逆効果であった。政府は私兵以外にまで手を伸ばす存在を許容できないはずだ。

 家を立て軍に入るとき、自分で身を立てろと義父に言われたことを思い出す。そうするべきと自分でも思っているが、これは恨んでもよいのではないか。お膳立てが整えられているとみて、感謝すべきなのか。

 政治勢力と距離を置いていた大湊以外の鎮守府は、今回の政治劇に介入することが出来ない。北海道戦役は徴兵提督の不手際で終わらず、海軍全体の問題を明らかにしてしまった。悪腫を取り除くだけでなく、それを生み出す環境そのものにも口を出せるのだ。この機会を、五将家や政府が逃すはずもなく、であれば横須賀は逃れられない。

 軍帽をかぶり直し、新城は言った。

「まずは生き残らねばなりません」

「期待しとるで。支援は惜しまん」

 新城は箱ごと煙草を巻き上げられた。いささか釈然としないまま、新城は戦争に向かった。

 

 

 











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