提督はただ一度唱和する   作:sosou

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25.誰が迷子か

 大雪山をやっとの思いで越え、留辺蘂町に辿り着いた旭川駐留部隊はそこで大湊からの増援と合流した。彼女らの美しさに鼻白んだ司令部だが、伝統的で効率的で、かつ平和的な協力関係のために定型文だけを贈る。すなわち「余計なことはするな。大人しくしていろ」である。

 すぐそばまで深海棲艦が迫っている状況でこれでは、代表の翔鶴も途方に暮れるしかなかった。けんもほろろに追い出され、何か口出しする機会もない。

 この時点で日が暮れようとしていた。雪は弱まっていたが、風が強くなった。持ち込んだ補給資材の運搬など、細かな世話は剣虎兵第一一大隊に投げられた。連絡を受けた大隊長の伊藤少佐はぶつくさ言いながらも彼女らの到着を待った。

 日が沈み、ささやかながら久しぶりの温食を堪能した。詳細は不明なままで、とりあえずの手配は全て完了した。積み上がる吸い殻の山が崩れ、もはや胃が受けつけぬと悲鳴を上げる段になって、彼は拳を振り上げた。

「どこで迷子になっとるか!!」

 振り下ろされたそれは大隊を震撼させ、捜索隊が編成された。飛び散り、床に広がった灰は放置された。

 艦娘に平文の概念がないことがこの時、明らかになった。そもそも思考波であるため、共通の周波数などに近い取り決めがない。知り合い同士なら適当に通じる応用力の高さが、普遍性を奪ったのだ。技術的な知識すら皆無だった。誰もその必要性を認識していなかった。大隊長がその最初の人類であった。駐在艦に都合よく知り合いなどおらず、縁などとっくに切れていた。

 矮躯ではあってもその骨格にみっしりと筋肉を積み込んだ男が、狭い天幕を徘徊する。無線機代わりに置いて行かれた島風が、兎のように震えていた。

「茶を持って来い!! 毛布もだ!!」

 島風の目から涙が溢れそうになっていた。彼女の傍にストーブが移された。最後まで中座する理由を見つけられなかった幕僚が飛び出していったため、大隊長自ら引き摺ってきた。茶をやかんごと持ってきたのは兵だった。頭から毛布を被せられ、慌てるその手に茶碗を握らされる。よくわからないまま視界を塞がれた彼女の頭が、わしっと掴まれた。

「戦場で泣くな。泣いてはいかん」

 押さえつけられたのか、無理矢理頷かされたのか、それとも撫でられたのだろうか。よくわからないまま、島風は茶を啜った。兵まで逃げ出したため二人きりで、どいつもこいつもと呪詛を吐く大隊長の足音が、天幕の地面だけを震わせていた。

 大湊の増援は陣地の外で補給資材と共に雪に埋もれそうになっていた。彼女らが連絡することで、翔鶴の居場所も判明した。

 彼女は遭難していた。陸軍の不親切さと無関心、そして彼女自身の無知が原因だった。夜に、雪の中を当てもなく彷徨えばそうなる。広大な海を行く艦娘が、小さな陣地の中で行き場所を失っていたのだ。

 そして、積み上げられた明らかに過剰な補給資材を確認すると、艦娘の世話を部下に命じて大隊長は自分の天幕に閉じこもった。艦娘たちは温かい食事と寝床にありついた。大隊の備品が若干、被害を受けた。

 翌日早朝、妖精さんの不思議な能力であまり寒さを感じない衣装から、いやいやながら陸軍の制服に着替えていた駐在艦たちの天幕に、大隊長が突撃した。

「て、てめぇ、なにしにっ!!」

「うるさい!! さっさと付いて来んか!!」

 黄色い悲鳴を圧する怒鳴り声を上げて、大隊長は身を翻した。短い相談の末、摩耶、古鷹、島風、雪風の四名が彼を追った。大隊長の行き先は旭川駐留部隊仮移動司令部である。

「艤装を展開しろ」

 懸命に顔色をうかがう島風と、それに便乗してまとわりつく雪風をあしらいながら、大隊長が言った。声色と表情を確認して、年長の二人は一切の思考を放棄した。

 周辺一帯を更地に出来る火力を掲げて、天幕に消えた彼らが司令部とどのような話し合いをしたかについて、記録は何も残っていない。補給資材の運搬は司令部が受け持ち、加えて艦娘の移動のために雪上車が回された。暖房の燃料も大隊が優先される。ただ、そういうことになった。

 それでも、伊藤少佐の機嫌は直らない。彼はやる気こそ見せないが、常識と良識を備えた指揮官だ。独自判断で艦娘を振り回すようなことは出来ない。せっかくの空母を無駄飯食らいにしていることについて、ただただ不満を表明するだけだ。

 深海棲艦が現れて四半世紀が経っている。人類はその時、空を失った。伊藤少佐にしてみれば、人生を失ったに等しい。彼は航空騎兵だった。空を最も自由に、力強く飛ぶヘリコプターのパイロットだったのだ。駆け出しに過ぎなかったが、任官したときのあの誇らしさは忘れようもない。

 それが何をどう間違ったのか、気がつけば戦車に押し込まれ、泥と獣の臭いにまみれ、ついには戦場で泣き出すような女子供の世話をしている。世界を呪おうという気にもなるだろう。

 今の上空援護が何もない状況はあまりにも尻の据わりが悪い。航空機の恐ろしさは身に浸みていても、その頼もしさを思い出せる者がもういないのだ。それは空にあってこそだということが、誰にも理解されない。置物で満足している。

 確かにここは最前線ではない。脅威が迫ればまず先行した中隊から連絡が来るだろうという気分になるのも、わからないではない。電探もあることにはあるのだ。陣中にて遭難するような精度だが。

 どうも司令部の連中、空母が大食いであるという評判と、補給資材の量を見て、臆病風に吹かれたらしい。いざとなった時に、資材が枯渇するのではないかと、恐れているようなのだ。確かに、大雪山という峻険な山々に阻まれて、旭川からの補給も先細りがちではある。それが艦娘用の資材となれば、補充は困難だろう。伊藤少佐にしても、それをどのように調達すればよいのかわからない。艦娘に聞けばいいと思うかも知れないが、そもそも旭川が動いたのは守原の専横に対する抵抗であった。様々に優遇される海軍への隔意もある。一時の恥すら許容は難しい。

 艦娘が必要であることは誰もが理解している。それでも力など借りたくないと、理由をつけて駄々を捏ねているだけなのだろう。それを伊藤少佐は批判できない。彼自身、パイロットから剣虎兵への転落には思うところがあった。やる気のない士官だと、周囲の評判も耳にしている。今さら、専門分野だからと身を乗り出すのは億劫だ。戦車に乗っていた頃なら、憎しみと怒りを原動力に出来たのだが。

 あの頃は若かったと、思い出に耽ることで多少落ち着いた。相変わらず、彼の傍に幕僚はいない。移動中の雪上車だというのに、どういうわけだろう。何のために司令部からこいつを分捕ったのだ。ボンクラどもへの怒りが再燃しそうなところに、ふと気がついた。

 いつの間にか連絡用の無線機扱いで自分の周りに存在するようになった、幼い少女の形をした兵器。置いたのはいけ好かない孤児だが、仕事は出来た。階級は低いくせに、あれで一番参謀将校らしい気遣いを見せる。奴の期待ごと無視してきたが、暇つぶしには丁度良さそうな気がした。

「名前は何だ?」

 できのよいお人形みたいに座っていた少女が哀れなほどびくついた。罪悪感とともに、そこまで怯えんでもよかろうと思った。

「か、陽炎型駆逐艦8番艦の雪風です」

 顔を顰めた。大して詳しくはない彼でさえ、名前を知っていた。こんなご時世では頼りになる誰かを、どこにでも求めるものだ。白と黒だけでは割り切れない世の中とて、矛盾にもほどがある。

「幸運艦か」

 何故こんなところにいるのだろうと思ったが、口から出た何気ない一言に俯く少女を見て、追求する気はなくなった。

「雪風は死神なんです」

 あまつさえこのようなことを呟くに至っては。

 肩口で揃えられた茶髪が顔を隠し、代わりに露わになった折れそうなうなじが痛々しい。ぶら下がった古臭くて大きな双眼鏡が、彼女を苛む鎖にも見えた。快活に動きそうな目と口が、今は見る影もない。だぶついた野戦服越しにも、鶏がらのような手足がわかる。保護欲をかき立てるばかりで頼りになりそうな要素など見当たらない。

 だが、伊藤少佐に届けられた大隊員との演習における評価では、強襲や浸透の手本にするべき手際が綴られていた。書いた奴は信頼は出来ないが、信用には足る男だ。少なくとも、意味のない嘘はつかない。

 派手で目立つ重巡を陽動にしての迂回戦術。速度のある島風と戦機に敏い雪風による分派行動。統率力のある霞が戦線を支える間に、この二人が勝負を決めている。間抜けどもは駆逐艦など一顧だにしない。彼女らこそが要だというのに、火力ばかり注目する。いや、彼女らに撃たれたことすら気づいていないのだろう。それらを掻い潜り、致命の一撃を与えるべき剣虎兵が何という様か。本来ならば、人間がとるべき戦術だ。艦娘を素人と侮るにしても、負け方というものがある。陸軍の質の低下は、極まりすぎて天を仰ぎ見る水準にあった。

 今さらながら新城の危機感がわかる。これでは誰も、生きて故郷には帰れない。何とかする必要があった。しかし、突撃が戦術ではなく、気風となっているのだ。つまり、最初から戦術的行動など不可能な練度で、無理矢理に軍を維持している証左であった。これに立ち向かうのは、木っ端中尉はもちろん、大隊長でも厳しい。出来るなら、戦略次元でどうにかしてもらいたい。

 それでも手持ちの札でどうにかしようと思えば、答えは一つだ。まともに戦える者が艦娘しかいないのだから、艦娘を使うしかない。伊藤少佐は気分のままに頭を抱え、盛大に溜息をついた。落ち込んでいた雪風が、逆に慌てるほどの沈みようだ。現実という奴は、どうしてこうも底意地が悪いのだろう。彼は想像の中で、新城の面を蹴飛ばした。

 雪風にしてみれば、深刻な事態だった。不機嫌さを露わにしていた上官が落ち着きを取り戻したかと思えば、唐突にこれまで無視してきた存在に話しかける。大して言葉も交わさないうちに、今度は自分で頭を撃ち抜かんばかりの落ち込みよう。躁鬱の気を疑って然るべきだ。指揮官の精神が不安定など冗談ではない。夢見がちな外見をして、気遣いの内容に夢がない。

 一方、伊藤少佐は、何をどう勘違いしたのか、「絶対、大丈夫!」と繰り返す雪風をしみったれた顔で見返した。これに頼るのかと思うと、どうにも納得がいかない。何が大丈夫なものか。大問題だ。

「貴様に何が出来る?」

「みんなをお守りします!」

 眩しいぐらいだ。死神だと自分で言っとっただろう? 頬杖をついたまま疑わしげに見ても、彼女の鼻息は収まらない。どうにも厄介なことになった。もはや、逃げ出すことも出来ないようだ。

「まぁいい」

 少なくとも退屈はないだろう。面倒で腹も立つが、ただただ腐っていくよりも楽しいに違いない。

 伊藤少佐が姫級深海棲艦と付随する護衛艦隊の接近を知るのは、その直後である。

 

 

                     §

 

 

 日が沈むのと共に、深海棲艦のいい加減な捜索は鳴りを潜めた。彼女らの活動が低調なうちに、移動を済ませてしまわねばならない。雪の行軍は面倒であると同時に危険でもある。落後兵が出なかったのは、偏に剣牙虎のお陰だった。彼らはソリを引くだけでなく、道に迷いそうな者を周囲に知らせた。

 新城たちが先行する若菜と合流したのは払暁までわずかといったところだった。北見国道が常呂川を越えた辺りに布陣しており、阻止線らしきものを構築しようという努力が見えた。

 あらかじめ連絡していたため、起きていた士官が迎えに来た。猫を持たない尖兵小隊の兵藤少尉だ。だからというわけではないが、尖り気味な鼻の先を赤くしている。歩哨に立っていたのだろう。新城も似たような面貌になっているはずだ。

「湯を沸かしてあります」

 敬礼を交わした最初の一声がそれだ。むしろ、もっと酷いのかもしれない。半ば、凍りついているようなものなのだから当然だ。彼の案内に従いながら、声が震えぬよう力を込める。

「兵に配ってくれ。座らせてもいいが、寝かすな。すぐ移動することになる」

 兵藤の顔が怪訝に顰められた。一昼夜歩き通しの兵を酷使する上司ではない。士官相手では鬼か悪魔かという態度を見せる新城だが、兵には優しい。行軍訓練で兵に荷物を背負わせないために、どこからか車輌を調達してくるような男だ。昨今の情勢を鑑みれば、そこまでと思わないでもない。根性論をまくし立てる他の士官と口論の末の勝負事だったが、あまりの容赦のなさに兵藤は一目を置いていた。

 存念を聞くために立ち止まったのだろう彼の横を、新城はすり抜ける。驚いた兵藤が横に並ぶ。

「艦娘は起きているな? これから大尉殿の元へ向かう。西田を起こして集合しろ」

「尻に噛みつかれましたか?」

 新城の目が莫迦を見るものになった。寒さばかりではなく、朱が上る。新城がまだ暗い空を指した。

「奴ら、払暁とともに来るぞ。こちらか海上かはわからんが、こんなところでは的にしかならない。君が囮になってくれるというなら別だが」

 げんなりとしたが、気分を切り替えた。教えてくれたということは、完全に失望されたわけではない。兵藤もそれなりにこの上官の扱いを覚えていた。覚えざる得なかったというか。誰も、生まれてきたことを後悔するような羽目には陥りたくないと考える。

「急げ。猪口は殿だ」

「了解しました!」

 兵藤は走り出した。結局、白湯も飲まれなかったなと、思った。せっかく用意したのに。

 ちらりと振り返ったが、着膨れた背中が中隊長の天幕に突撃する場面は見物できそうになかった。兵藤は舌なめずりをして、忙しくなりそうな気配を歓迎した。






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