「あっ……」
そんな間の抜けた声だけ残して、髪を一つに結んだ青年は倒れた。心臓のあたりをひと突きに貫かれて、赤い血を周囲に振りまきながら。
どうと音を立て、うつ伏せに倒れ込んだ青年は、暫くもがくように手足を動かしていたが、力つきたように動きを止める。それを見た敵も、味方も、彼は死んだものだと扱い、それきり構う暇なく見向きすることもなかった。
それは激しい戦闘だった。彼は仲間とともに戦い、攻守のバランスもとれていた。だけど。
全員のほんの一瞬の隙、そこを突かれたその時に。一人を失うことになったのだった。
仲間たちの絆はそれほど浅くなく、心の中で悼むものの近寄って一縷の望みにかけて治療するほど余力はなく。
これ以上仲間を失うものかと少し慎重になったクレリックの青年が仲間たち全員へ向かって治癒の魔法を唱える回数を増やした程度だった。
青年の遺体、と思われていたそこにも治癒の光は照らしていたが。まさか、心臓をきっちり貫かれていた青年にその治癒の光が作用していたとは誰も思わず。
人間に模倣した心臓が動きを止めても、大量の血を撒き散らしても。それはその青年を弱らせることはできても真に殺すまで至らないことを。
本人含めて知らなかったのだ。彼の動力は心臓ではなく。度々敵対してきた、あるいは味方であった超越的存在……ドラゴンの欠片で動いている、邪悪なる侵略者の再生体に過ぎないことを。
人間らしいその内面も、どこかで拾ってきたものにすぎないことを。
だが、それでも、無知は善意である。
青年は自分を死んだと思ったし、敵も味方もそう思った。ただ、幸か不幸か胸の一撃を受けても即死には至らない肉体を持ち合わせていただけだったのだ。
熾烈な戦闘を終え、槍をもどかしく投げ捨てた少女シャルロットは青年に駆け寄った。かつてレンと名乗った青年は、平凡に平和を好み、平凡にお人好しで、少し非凡な容姿の良さを持つ穏やかな青年だった。
最初はその上っ面……つまり、顔の良さを好んで好いていたけれど、その青年のごく普通の優しさに惹かれて、良い関係を築いていたのだから、彼の死は果てしなく少女にショックを与えた。
もちろん、彼にはとても美人な仲間がいたので、その関係は友だちや仲間といったものより先に進んではいなかったが。
だが、適度に優しく、懐には踏み込ませず、またこちらの事情に踏み込もうとしない青年は良き友であり、良き仲間だった。見かけに似合わずアサシンという物騒な職に就いていたが、それすら忌避することもないくらいだった。
「嘘でしょ……レン」
武勇に優れた少女は青年の遺体を抱えあげることなど簡単だったが、それをするということは遺体を持ち帰ると決めたこと、つまり彼の死を認めたということになるのでどうしても出来なかった。
だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。死を静かに悼んでいたクレリックのエダンはせめて仰向けに彼を寝かせ、目を閉じさせ、そして皆に祈りを捧げてもらってから彼を運ぼうと、そっとレンをひっくり返した。
「ううん……」
その時、身動ぎをしたレンはゆっくりと目を開いたのだ。傷の治療に長けたエダンは一瞬にして彼の傷の具合を分析する。胸元の風穴が塞がりつつあることと、なんとか彼が生きているということを。
顔色はひどく悪い。だが、彼は生きている。
それはありえない。間違いなく心臓を打ち抜かれたはずなのに。出血量はまぁ、なんとか生きていても理解出来なくもないが、ありえない。
化け物。
脳裏に、大切な仲間に向かってそんな言葉が浮かんでしまう。
エダンは知識がないゆえに無邪気に喜ぶシャルロットと対照的に冷や汗を垂らしながらレンから離れた。
人間の形をしていて、人間らしく赤い血を流し、そこで浅い息をしてなんとか息をしようと喘いでいる青年がどうにも不気味だったのだ。
「レン、レン! よかった! エダン、何してるの? 早く治してあげないと……」
「シャルロット、ちょっと黙りなさい」
「なによアンジェリカ。一番優先すべきことはお話じゃないのよ」
おかしいとは思いつつも生き残っているのもまたテレジアなのだ、の一言ですべてを納得するエルフであるトリアナはすぐに応急治療を初めていたが、それを止めるほどの勇気はアンジェリカにはなかった。
だが、怯えたような顔色のエダンの気持ちはよくよくわかった。ありえないのだ。
ソーサレスの彼女にとって心臓とは、魔力を廻すための聖地や龍脈のようなもの。
それを破壊されていたというのに再生しかけたり、それでもなお生きている……つまり、魔力や血など、それに類する動力が止まっていないというのはどういう理論でも成り立たないと考えたのだ。
「ありえない、ありえないわ、心臓を貫かれて生きてるなんて!」
「化け物としか言いようがない。……レン、君は何者なんだ?」
だんだんと血の不足から虚ろな目になっていくレンは、その言葉をしっかりと聞き取っていた。だが、なんとか口を動かす前に無知でかつ無垢な少女の言葉がとりあえずの問答を終わらせた。
「何言ってるのよ、そんな難しいことあとだっていいじゃない! レンは今目の前で苦しんでいる仲間よ!」
友を亡くした少女の言葉は重かった。しぶしぶ治癒の魔法回路を起動させた青年は、とうとう意識を失ったもののなんとか息をしている血塗れの青年へ冷たい視線を投げかけた。
止まっていた鼓動が動き出したような気がして、それは人ではありえないと、心の中で囁いた。
翌日。
目を覚ましたレンは質問攻めにあうことになった。
だが、まずは泳がせるために何も伝えないでいたところ、彼は困惑したように心臓あたりに刻まれる傷を見聞したレンは無邪気に「なんで生きていたのだろう」とこぼした。
彼はアサシンである。だが、暗殺を生業にしている人間ではなく、対象は魔物。そういう戦闘スタイルを持ったただの冒険者であるため、駆け引きとは無縁の存在だった。
それなりのお人好しで、それなりの気弱な性質を持つ彼が一世一代の演技をしているにしてもあまりにも自然だった。仲間を騙すということに人並み以上に罪悪感を持つ性質であるということを既に全員知っていた。
戦う術を持ってはいたが、彼の倫理観は街人のそれ。戦いを知ったのは最近らしく、戦うことすらできうる限り回避したいと願っていることが見え透いている普通の青年なのだから。
「繰り返すが、君の心臓が右にあるのでもない限り間違いなく心臓を貫通した傷だった。鼓動の位置から考えて、君の心臓はごく当たり前の左側にある。さて、君は何者だ? どう考えたって心臓を無くして生きているのは化け物かなにかの所業だ。ヒール程度で再生するものか。
アンデッドというわけではなさそうだが、場合によっては身柄を拘束して吐いてもらう必要がある」
「そんなこといわれても……今まで普通に生きていて、普通に過ごして、戦いの中で死んだつもりだったのに、何故か生きてたってだけでさ」
「何も思い当たる節はないと?」
「そりゃあそうだよ、君はいきなり心臓貫かれて死ぬと思ってたら生きてるなんてびっくりするだろう。僕だって絶対死んだと思ってたんだ」
貧血で悪い顔色のまま、レンは力なく言うと目を閉じる。体も参っているようだったが「化け物」の一言で精神も参ったようだった。
彼の仲間のルナリアという娘が、無感動な目で面々を見回し、それからレンに視線を戻して毛布をそっとかけ直した。彼女にもエダンは疑問を投げかけたが、まともに話そうともしないのでそうそうに諦めたあとだった。
彼女はレン以外と話すつもりはなく、またレンの心配こそしないわけではなかったが、生きているならそれ以上追求する気もないようだった。
「……本当に?」
「ないよ」
レンはお人好しな人間だったが、思い当たる節があったとしてもすべてを語るようなほど考えなしではない。
イリュージョンという、自分の中にいるもう一つの人格がなにかしたのではないか? という疑惑なら常に持っていた。彼が彼の中で沈黙して久しいが、執拗にこの身体を欲しがり、熾烈に争ったことはまだ記憶に新しかった。
その身体の死をなんとか止めるためになにか仕掛けをしたのではないか、と疑ったのだ。
だが、イリュージョンは相変わらず沈黙したまま。弱っている今、でてこられても押さえ込めないと判断していたレンは安心したが、奴なら自分だった過去の存在をせせら笑いながら種明かしくらいはするだろうとも考えていていたので困惑もしていた。
イリュージョンは外見に似合わずよく喋る。特に己を嘲るためなら。だが、不気味なほど静かだった。
「レンさん」
「……なに」
疲労と貧血に薄らぎそうになる意識をゆらゆらとさせていると、エダンはまだ尋問を続けていた。
「あなたが嘘を言っているようには見えません。ですから、私たちで調べます。あなたの出身地はどこです?」
「僕の出身……」
そんなこと、考えたこともなかった。六十年前から来ましたなんて言えないし。言えたところで、六十年前のことを話すにしても、僕は……。レンは意識を浮上させつつ、答えられない質問をはぐらかすしかなかった。
「さぁ、忘れたよ……どこかに定住したことなんてなかったから」
「……一応聞きますが、親や兄弟などはどちらに?」
「そういえば、いた覚えはないなぁ」
考えてみれば、いない。
それをおかしな事だと考えたことも。出身地といわれても、記憶の中の六十年前は、戦わないようにしつつ、どこかを転々としながら過ごしていただけ。どこかに腰を落ち着けた覚えもない。
出発点がどこだったのか記憶にない。親しい人がいたような、いなかったような。曖昧な昔の記憶を掘り返そうとしても、雲を掴むように霧散する。
レンは、なんとなく自分を真の意味で潔白を証明出来ない事実に突き当たった。自分は間違いなく人間だろうが、まさかバラして証明するわけにもいかない。
臓物を取り出して、こっちが心臓でこっちは腸、どうだ同じだろうと言うわけもいかないからだ。赤い血を見て化け物だと言われているのだ。今更造形が似ているくらいで証明できやしないだろう、と。
「もういいじゃない。生きてたんだし」
「人間ではない者をやすやすと野放しにするというのですか」
「そんなことわからないけど、レンが人間じゃないっていうならなんなの。それに、人間以外って、セントヘイブンにいっぱいいるじゃない! エルフも、獣人も、ハウンドも!」
シャルロットの無邪気な言葉にエルフであるトリアナは頷く。
「そもそも、心臓に本当に直撃したのかどうか証明出来ないではありませんか。ごく近くにあたり、当然出血はありましたが、テレジアの導きでレンさんは生き延びた。それでいいのでは?
それにレンさんが人間ではなく、心臓を貫かれても生きていける種族だとしてもそれがなんだというのですか。彼が邪悪だとは思いませんね。あなたがたは母胎から生まれ、私たちが生命の樹から生まれるようなものではないのですか?」
エルフであり、人ではないトリアナはレンを庇った。本当にレンがなにであれ問題はない、と。邪悪には敏感なエルフの少女だったが、穏やかな青年を貶めることは決してしない。
「そうはいっても人間は気になるものなのよ、そういうのが」
「気にしてたらいいじゃないか……」
レンは力なく言った。
「どうせ逃げも隠れもできないんだ。僕の親兄弟の行方も知らない。多分、見つからない。だったら僕はここにいるよ。君たちが勝手になにか探してなにか見つかったとしても僕の損にはなり得ないさ。知らないんだから、知ってるほうがいいんだから……なんでも調べたらいいよ。
でも、わかることは僕の名前がレンということと、ここらの出身ではないってことくらいだ」
深々と息を吐いたレンは、もう一度目を閉じると今度はゆっくりと寝息を立て始めた。
動くこともままならない弱った青年を叩き起すほど鬼ではないエダンは、なんとなくもやもやした気持ちを抱えながらも、たしかにこの人は悪人ではなく、また心臓がどうであれ生きていることは喜ばしく、こちらに不利益は何も無いではないかとなんとか思い込もうとしていた。
アンジェリカは無防備な青年を見て警戒する気が失せたのか、ふらっと部屋を出ていく。
よもや彼らは思いつかない。平凡な性格、平凡な体躯のこの邪気のない青年が諸悪の手先であるビヨンドドラゴンであったということを。
いつかの未来、その事実を知ったレンはどうして自分が命を拾ったのか知る。人でなかったのだ、ということを動揺とともになんとか受け入れる。
いつかの未来、見知った青年そっくりの人間がベスティネルの欠片と旅をしていたことを知った冒険者たちは懐疑を深める。
再会した日、左胸をとんとんと叩きながら青年は、「人間でもアルテイア出身でもない邪悪な存在だけど」と切り出すのだ。