すべては気の赴くまま。好奇心が刺激されたならたまには動いてやろう。面白そうなら手を出してもいい。すべてすべて、そのくらいの気持ちでいた。この世の事象は何もかも、既に一度は見知ったことばかり。飽き飽きしていた。悪い方に予想外のことは時たま起きたが、良い方向には滅多にない。晴れ渡る空は青く、眠る女神は小さき者どもの祈りにまったく無関心で、大きな私は自由で身勝手で、少数のドラゴンのかけらども以外のすべては脆弱で短命だ。
たいていは気まぐれに。気が向いたら時に手を貸してやろう。行動原理は優しさでも哀れみでもなく、ただ私の興味のために。せめて少しは面白くあってくれよ? 面白おかしく過ごしたいだけの災厄こそ私だった。生きとし生ける者どもがどんなに苦悩しようが私には関係がない。ただ永い永い時間を過ごす。すべてを置き去りにしながら、どんな横暴も払いのけてしまえる力を持って。
私にとってはとてもとても目まぐるしく、アルテイアの生命は入れ替わっていく。まばたきすれば人間や魔物の子どもは老い、国なんかは潰し合って地図の名前を変え、人間も魔物もいつも貶し合い殺し合って、時には同族同士で戦いながらどこかで似たような趨勢を繰り返すだけ。面白味もない。長い目で見れば繰り返しているだけだからだ。
堕落した古代人どもや目覚めた直後の私よりは生温いが、短命な奴らは十分に凶暴だ。決まって平和な時は続かず、欲望のまま食い合って滅ぼし合う。古代人の遺産を食いつぶしたり、利権を争ったり、はたまた土地を奪いあったり……よくもまあ飽きないものだ。見ている側としてはとっくに飽きてしまった。それでも暇なときはたまにはちょっかいを出してみるが。
私が手を出した結果として不愉快な結末を迎えたとしても構わない。単調なだけの日々よりは予測できない不愉快の方がマシな気分のときもある。全てはその時の気分さ。今はそういう気分なだけ。何しろ私には時間がたっぷりあるからな。理路整然とした規則的な行動が好ましい時もあれば、こんな風に無茶苦茶にやっている方が楽な時もある。
眠る女神の創りあげたつまらない世界で、バラバラになった
この私と並び立ち、私を妨害できる存在がどれくらいいるっていうんだ、この世界に。いつかすべてが退屈になるんだろう。まだ、私はすべてを理解したわけではないし、最強ではないのだから。
ともあれ、私はきっと我儘だ。やりたいことだけやる。気になれば試す。やりたいときに、やりたいだけ。我儘を止める者はいない。唯一私を止められるとしたら古き
まったく、自分も人間のことを好きでもないくせに護ってやるなんて真面目なやつだ。女神に与えられた「使命」ってのはそんなに大事かね? 自分以外どうだっていいじゃないか。どうせ「女神の道具」としてデザインされたドラゴンではない生き物は先に逝ってしまう。大事にしたってどうせ死ぬ。せっかくお気に入りにしたってすぐに死ぬ。護ったっていつかは結局は死ぬんだぜ? どうしてそんな短命な存在をわざわざ理性のないケイオスやら魔物やらから護ってやるんだ?
私のように理性のある存在ならともかく、ただ目の前にある存在を壊すことしか知らない野蛮なドラゴンどもや侵略を企てたらしいミストランドのビヨンドドラゴンにも言いたいことはあるが、弱いくせにそこにいる方が悪いじゃないか。世界はそこそこ広いんだから、危険のあるところにいなければいいだけのこと。世界の一部くらいくれてやれよ。
自分以外のために力を振るうなんてどんな気分なのか。理解したくもない。信じてやっていいほどの気概を持った奴がいればなあ!
なんてつまらない。あぁ暇だ。アルテイアは広いが限りある。
太古の昔、女神アルテアのつくりあげたというこのアルテイア。確かにどこもかしこも美しい世界ではあるが、そこに蔓延る定命どもの考えというのはそう変わりはしないな。どこからともなく嗅ぎ付け、私という知識の宝を求め、ちょっと手を貸してやれば支配した気になり、あっという間に思い上がる。まぁいいさ、気に触れば壊せばいいだけ。嫌になれば全部燃やし尽くせばいい。大して勤勉な連中でもないし、いなくなっても惜しくもないさ。
どこにも私の横暴を止める調停者はいない。そう、私こそ調停者、正義の執行者になるべき存在だったのだし。柄じゃない。世界のために戦う、なんてどうな気分だったのだろうなケイオスは。私以外のために戦うなんて考えられない。
何か面白いものでもないものか。手を貸してやったセレネーゼはなかなか面白い成長を遂げたが、所詮は私が気まぐれに知識を与えて発展したにすぎない。決して私の想像以上にはならない。暇つぶしの玩具にはなるが、夢中にはなれない。細々とした作り物をする気分にはなれたが、大きな達成感はない。
どこかに転がっていないものか。私の胸のときめくような謎とか。あるいは未知なるミストランドのことや、身勝手な「神々」のこと。あるいは私の知らない感情を呼び起こす存在……どんな種類でもいい。久しく感じていない胸の高鳴りというやつを味わってみたいものだ。
破壊も殺戮も飽き飽きだ。やってもいいが、わざわざ馬鹿の一つ覚えのようにやるほどでもない。矮小な人間どもの街を注意しいしい発展させる遊びもだんだん飽きてきたし。
そろそろ別のケイオスのかけらでもどこかで目覚めてくれないか? ケイオス同士の本気の殺し合いってものは勘弁したいが、同じような存在と語らうというのはいいものだ。その末に殺し合いになったとしても致し方ないことだ。
欠伸をしながら眼下を眺める。整然とした私好みの街並みは小さい。空の彼方から眺めていると細々とした街の標本でも作り上げた気分でなかなか気分がいい。とはいえ、維持に手間もかかる。中に住まわせる人間は簡単に調子に乗るし、あいつらの腐敗の速度は夏の生肉よりも早い。
あぁ、なのにまだ付き合ってやっているなんて私はなんてなんて! 寛大なドラゴンなのだろうな!
「本体にも見せてやりたいよ、こんなに表情豊かで滑らかに喋る君を見せたらさぞかしびっくりするだろうに」
紛れもない善性が見え隠れする温厚な表情。裏表なく、邪気のないオーラ。はてさて、あのからっぽの中身にどうやってこれだけのものを詰め込んだ? 希望と名付けたあの少年にはきちんと自我が宿り、ずっと自然に自律する。かつて懸念していた堕落の毒を纏う邪悪な侵略者に成り果てるということもなかった。安全装置は別の意味で役に立ったようだし。
かつての私よ! 大偉業は成功していたようだぞ! 残念ながらミストランドのことはとんと思い出さなかったようだが、私自身がミストランドに行っているんだ、それくらいは誤差だろう。
「あー……そういえばルビナートって思念体なんでしたっけ? 僕は『本体』の方を覚えていないので今のルビナートが影法師だってこと、あんまりしっくりきませんが」
こんなにも言葉遣いが自然だ。表情も相応に伴う。流石にそれが当たり前として過ごしてきたランクロウにとって侮辱だろうから言わないが、既にそれだけでも感動的だ。あんなにたどたどしい喋り方をしていたというのに! はっきり覚えているぞ、私に向かって「頭大丈夫ですか?」なんてほざいていたころをな!
「ははは。いつか全部思い出すといいな。なんで忘れたのかとっとと思い出すがいい。私のくれてやった有意義な教育を全て忘却したことをめいっぱい悔いるべきだぞ」
「そんなこと言ったって……いつ忘れたのかも忘れてしまったのに……」
「ん、親も家族も知らないことを不審に思わなかったのか? 帰るべき故郷もなく、ひとりのくせに戦えず、旅をしていたなんて、六十年前にいたとかいうランクロウは正気か? どこでそんなに記憶が歯抜けになったのやら。それともその記憶のなさは歴史の辻褄合わせか? あのベスティネルのかけらの女が」
「ルナリアです」
「わかったわかった、ルナリアだな。ルナリアが何度も何度も時間を巻き戻してお前が消えたのを『なかったこと』にしてきたんだろう? お前もお前で時間を飛び越えることができるし、無意識にルナリアに出会う前のお前となって何度も何度も歴史の上に新しく出現しているうちに記憶も能力も全部忘却したのかもな。何も代償もなくそんなおかしなことが叶う方がおかしいだろ」
「言われてみれば昔のことは曖昧ですけど……うーん……」
「その割には言葉も自我もはっきりしているし、『感情的なルナリア』と旅をしていた頃とは性格が違うんだろう? 『ルナリア』は無意識にランクロウを守って自分の方をすり減らしたか? それでも出た余波が記憶喪失か? 惜しいな、私が本体なら今すぐにでもしっかり分解……じゃなかった分析してやったのに」
「怖! でもルビナート、『感情的なルナリア』と旅をしていた昔の僕は既に『ランクロウ』の記憶はなさそうでしたよ。二人の姿を見ていただけで、特に『僕』に話しかけることができた訳ではないので確実じゃないですけど……」
「ふうん、そうか」
謎は深まるばかり。とはいえ一人では何も出来なかった頃のランクロウの記憶なんざ、世界にとってはちっとも重要な事じゃなかっただろう。ならば「保存」されていなくとも仕方ない。まぁ失われちゃいないだろ、何かの拍子にぽろっと出てくる可能性もある。ランクロウのうちに複数の気配を今も感じるのだ。懐かしいような……血に濡れた焦げ臭いにおい、そして懐かしい無機質な目の持ち主を。
「それで、次はどこへお使いに行けばいいんです?」
「おや、自分から働きたがるとはね」
「まどるっこしいより直接的な方が好みなのでは? 僕は自分について知らない。だからもっと知りたいです」
「それはそうさ。だが私は今とても機嫌がいい。聞きたいことがあるなら今教えてあげよう」
「……本当ですか?」
「おいおいそこで疑うなよ」
ランクロウは笑った。
「すみません。じゃあ……僕が僕として生まれた前後の話をしてください」
ひどく無感動な、色素の薄い瞳を思い出す。言葉を知らず、記憶もなく、ただ呼吸するだけの肉の人形。期待外れの失敗作と断じた私と、ぼんやりと眠りと覚醒を繰り返していたランクロウ……。
ランクロウ、いやレンの変わらない色素の薄い瞳は今、真剣な眼差しで私を見ていた。
「いいとも。あれは特に堕落の毒の汚染が酷い地域で探し物をしていた時の話だ……」
人間的な考えでは、私がやってきたことは良い対応ではなかったろう。しかし全ては事実である。そしてレンには知る権利があった。血をわけた訳でもない、由来を同じくしているわけでもない、異邦の侵略者を「息子」と先に定めたのは紛れもなく私なのだ。
「汚染地域の中心、私でも好んで近づきたくないような毒々しい沼地に小さな小さな宝玉を見つけたのさ。最初はケイオスかエンシェントのかけらかとも思ったがどちらとも違う。周囲の毒に害されることなく、ただそこにあったのは純粋なエネルギーの塊。ドラゴンの宝玉らしいとは思ったが、アルテイアで似たようなものを見たことはなかったし、周囲の毒は私に巡る『堕落の毒』と同質だった。だからそれがビヨンドドラゴンの宝玉の欠片だと気づいた。私は当時も好奇心旺盛でね、喜んで持ち帰ったよ」
「それが僕の宝玉なんですか?」
「そうだ。女神アルテアと女神ベスティネルは姉妹だ。特に神話においてミストランドはアルテイアを模倣した世界。私たちの宝玉と同じような仕組みを持っていると推測し、ケイオスを再生するなら……と考えて色々と素材を集めた。宝玉こそミストランド由来だが、君の体はアルテイア由来だな。
宝玉を核に肉体が生まれていくのを眺めながら、私はちょいと顔を私に似せるなんて言う遊び心もあった。いいだろ、私に似てイケてる顔にしておいたんだ」
「……、……?」
「やっぱり頭の出来ももう少し気にした方が良かったか……?」
「あぁいや、昔の僕はやたらと自信のあるナルシストでしたけど、ルビナートの影響だったのかなって……」
「顔がいいのは事実だろ。昔の方が自分の価値を分かっているんじゃないか?」
「はぁ……」
気の抜けた返事をされたがまぁいい。美的センスは個人によるものだ。間違いなく一般的には感謝される行為をしたはずだが押しつけは良くないな。まあそのうち私に心よりの感謝をするだろうさ!
私はぽかんとした顔でこちらを見ているレンと産まれたてのランクロウを重ね合わせた。
「本当に、良く成長したものだ」
思わず目を細めた。
「やぁおはよう、ビヨンドドラゴン。久方ぶりのお目覚めの気分はどうだ?」
再生したてのビヨンドドラゴンは安らかな呼吸をしていたが目を開こうともしなかった。寝入っているようでも無さそうだが……狸寝入りの様子でもない。動かない意図が分からないが声をかければゆっくりと目を開けた。
私がデザインしたとおりの容姿。素材を惜しんだわけでもないし、小柄な少年になったのは宝玉が小さかったからだろう。一見無害そうだがこいつはビヨンドドラゴンなのだ。堕落の毒で消えるよう安全装置を組み込んだとはいえどう出るかはわからない。私は密かに警戒していた。それ以上にわくわくしていたのは認めるが。
さて、ビヨンドは再生してやった事を理解するか? それとも問答無用だろうか?
「ここはアルテイアだ。あちらとは景色が違うか?
私はかつてビヨンドドラゴンと戦ったとされるアルテイアのドラゴンの片割れ……君と相打ちで倒れたケイオスの欠片のひとつ。レッドドラゴンルビナートだ。君に敵意がないならとりあえず名前でも教えてくれないか? ミストランドのことについて話してくれるのでもいい。私はそれが聞きたくて君を起こしたんだ。それとも……ここで戦うというならこちらも応戦するが」
ぱちぱちと不思議そうに瞬きをしたビヨンドは私を見ていたが、私が話すのを辞めるとふいっと視線を逸らした。
「おい?」
さっとこちらを見る。だが、すぐに目を逸らす。声に反応しているし、ちゃんと言葉は聞こえているらしいが、意味を理解しているようには思えない。はて、このような反応は私でも初めてだが。まるで、そう、泣かない赤ん坊のような……。
「ビヨンドドラゴン、まさか私の言葉が通じないのか?」
口ついて出たのは希望的観測だ。
「アルテイアでの標準言語を話しているつもりだが……もしや……ミストランドの言語はさすがの私でも分からないぞ……とりあえず何か話してくれたらこちらから解読の努力をするんだが、何か話せと伝えるにも言葉が通じないか……」
「……」
「なんとか言ったらどうだ?」
「……」
「だよな……」
とりあえずなんとかなにか言わせるしかない。話さなければすぐに視線は遠くをさまよう。言葉以前の問題に見えるが……ここまでやったんだ、せっかく形になったのに諦めるなんて癪じゃないか。きっと未知の事柄を知る手掛かりになるというのに!
ビヨンドは両肩を掴むと流石に私の顔を見た。さて、初っ端から変わらず無表情だが、腹の中では何を考えているのやら。
「私はルビナートだ。ルビナート。わかるか?」
こっちの名前を理解すれば名前くらいは名乗るのではないかと考えた。私の名前を繰り返し繰り返し言い聞かせる。何度も、何度も。私がしびれを切らしかけたその時、ビヨンドはようやくひとつ身動ぎをして……。口をついぞ開くことなく。ゆっくりと奴は目を閉じた。まさか。
「……寝たのか、これは」
ま、まぁ再生したてだ、宝玉もあんなに小さかったし、今日は肉体を構成するのに精一杯でエネルギー切れを起こしていて、無表情の裏では案外話すどころではなかったのかもしれない。
私はそう無理やり好意的に解釈すると起きるのを待つことにした。
そこまで考えて思い至った。かつて私自身も「名前」は持って生まれていなかったことをだ。ドラゴンというものは個人名を持って生まれてなどこない。あくまで「女神の道具」なのだから。ビヨンドもそうである可能性もあるじゃないか。自分に名前がなければそもそも「名前」の概念も怪しいかもしれない。もしかしたら自分に「名前」が付いているということが理解できなかったのかもしれない。それを考慮してあいつの名前を考えてやることにした。
何にしようか……どうせなら、良い名前にしてやろう。今のところ敵意も害意も見せないやつなんだから、古代より語られているような性格ではないことを期待しよう。最初はベスティネルが創ったのかもしれないが、この姿に再生したのは私だ。私の息子になるんだから、名前くらい好きにつけても文句はないだろ! なにしろ、名付けというのは祝福なんだからな! ベスティネルが名前をつけないなら私がいいのをつけてやろう!
「それで……確か当時の僕、ただ言葉を知らなかっただけで、言葉を教えても何も知らなかったと聞いているのですが」
「そうだな。そういう意味ではとんだ無駄骨だった。
アルテイアのドラゴンも一度死ねば宝玉に戻り、再びドラゴンとして目覚めたとしてもかつてと似通ったドラゴンになるだけで記憶も経験も全部リセットされる。まるっきり性格が異なるのは相当死ぬ間際に大変なショックでも受けてない限りはないが……まぁ、そういうことだ。ビヨンドも仕組みはきっと一緒だった。君よりずっと大きな宝玉を持つ私がケイオスとしての使命を覚えていないように、粉々になった小さな小さな欠片が世界を隔てた女神からの使命の声を聞けるわけはなく、かつての記憶もあるはずがない。言葉くらいなら普通忘れないが、まぁ……本当に小さな欠片だったからな……言葉を教えている時もミストランドの言語らしきものも一度も話さなかったし」
「というか迫真のルビナートを前にして普通に寝た僕……」
「あぁあれは傑作だ! 後にも先にもあんなことをされたのはランクロウが初めてだよ。私はしばらくして喋らせるのを諦め、しばらくして単に言葉を知らないだけではないかと気づき、言葉を教え、そして記憶が完全にないことを理解した。まぁでも、せっかく再生したんだ、セレネーゼの暗殺部隊に入れて戦い方や身の守り方を学ばせたし、足りなければ私直々に『教育』もした。言葉遣いも直させたし、これでも可愛がっていたんだぞ……?」
「……」
「なんとか言えよ……」
「えぇ、まぁ、結構昔のことを懐かしい顔をして事細かに教えてくれるくらいには『僕』に愛着があったってことは分かりますよ。でも、本当に何も覚えていないのでなんとなく後ろめたくて申し訳ないだけで……」
「君のせいじゃないさ。そこは仕方ない」
ルビナートは穏やかに笑った。闇の女神官が恐れるようなドラゴンには見えなかったし、これまで出会った誰よりも誠実にさえ見えた。僕が彼に再生された存在という贔屓目があるのかもしれなかったが、それでも伝えられているような理不尽な災厄には見えない。
このドラゴンのもとにいた僕。本当に何も、何も思い出せない。この苛烈な赤なんて一度見たら忘れられないと思うのに。僕は何もかも覚えていなかった。「ルナリア」と旅をしたことも何も、思い出せない。僕自身はルナリアとの旅が本当に初めてだったけれど、繰り返し繰り返し旅をしていたんだからなにか覚えていても良かったのに。イリュージョンにはあったのだろうか?
ルナリアの気配を察知し、時間をとびこえてまで会いに行ったかつての
目の前の赤き賢き竜はぐるぐる考え込む僕を興味深そうに眺めている。その瞳の奥には確かな親愛を感じる。情に厚く、何度も信じては裏切られてしまったのに、世界の敵と言っていい僕が親友のアイオナを裏切ることなんて万が一にもないって信じきっている。もちろん、そんなことをするつもりは絶対にない! アイオナと再会出来る日を僕は心待ちにしているんだから!
でも、それでも、その精神性には恐れ入る。僕はきっとベスティネルの手先だった頃よりも幸せだったのだ。……「教育」は怖かっただろうけど。
「思い出せたらいい、と思います。実感なくルビナートに感謝するより実感をもって僕を目覚めさせてくれたことにお礼を言えたら良かったのに」
「……」
「ミストランドにいるルビナートにもそう伝えます。ルビナートは父と呼ぶと怒りますけど、」
「あぁ」
「心の中で思うくらいは自由ですよね!」
ゲンコツが飛んでくる前に僕は駆け出した。突然胸の中から照れくささが湧き上がってきて、恥ずかしくってルビナートの顔をとても見れないと思ったから。
でも、なんとなく一度振り返るとルビナートは顔を手ですっかり覆って、長い前髪で目元は隠れていたけれど、遠ざかっていく僕の方にひらひらと手を振っていて……あぁなんて。
僕はこのドラゴンの息子でよかったなぁ、なんて。