もしアサシンがイリュージョンにのまれていたら。
落ちていく。堕ちていく。墜ちていく。
いつだったか、そのタイミングすらもう思い出せない。正気から踏み外したその瞬間を。争いをそう好まぬ青年は、その時俺の中で朽ち果てたのだ。
いつからだろうか、この手が刃を握り、魔物を、人間を、エルフを切り捨てることに悦楽を覚えたのは。躯を引き裂き、足蹴にし、穢すことを忌避感ではなく狂った悦びと捉えるようになったのは。
どうして変わったのだろうか、噴き出す血に興奮すら覚え、もっともっとと高らかに笑いながら求めるようになったのは。
悲鳴をいつから甘美だと思えるようになった?いつから俺は……「イリュージョン」なのか?
見える。あの日の青年の姿が、はっきりと。
蹲る青年、目尻から零れる涙。血を吐くかのような叫び声。あぁ、もっと。もっと泣き叫べ、絶望しろ。そう俺は、「俺」にすら思うのだ。
今も、この軟弱な体の持ち主は俺の胸のうちで悲鳴をあげ、いっそ失神しかけ、しかしそれすら許されずに俺の行為をひたすら見つめているのだろう。何しろあいつは俺なのだから。
血が体に降り注ぎ、ぬめりを伴って衣服に染み通ってくるのを鬱陶しく感じながらも既に虫の息の魔物を切り上げる。巨体の人間離れした亜人……というべく姿をしたそいつは呻き声とも悲鳴ともつかぬ声をあげてどうと地面に倒れ伏せた。
荒々しくその巨大な死体を蹴りあげると、残る魔物共へ視線を移す。理性を持たぬ魔物は変わらぬ愚鈍さでこちらに襲いくるが理性をある程度持っている者はその知性ゆえ怯えたような表情でじり、と後ずさりしていた。
魔物が、その矮小な身で俺を一人前に恐れるのか。
鋭い牙を持つバットを見もせずに真っ二つに切り裂き、数匹をぐしゃりと握り潰しながら刃の切っ先を向ける。……あぁなんだ、あいつらは龍の使徒。人間といえば人間だな。
「イ、イリュ……」
「俺を知っているのか?」
「……も、元第四使徒、イリュー、ジョン……」
しかし俺には一匹も一人も大した違いではないのだが。むしろ悲鳴だけでなく命乞いまでする人間のほうが殺しがいがあっていい。今まで散々罪もない人間共を殺してきた奴らが俺に対して必死に赦しを乞うのだ。愉快で仕方がない。
必死で俺の手から逃れようともがく名も知らぬ龍の使徒の首筋を切り裂き絶命させると、魔物の死体に下敷きとなったり腰が抜けたのかのたうつ事しか出来ない愚かな連中に視線を移した。
男、女。そんなものはこれから死ぬのだから関係ない。老いているのか、まだ若いのかも顔を自ら隠している為分かりもしない。
一番近くで怯えきった表情を浮かべこちらを見上げる使徒に、気まぐれで笑いかけてみた。……もちろん安心させようと思うなぞそんな慈悲は持ち合わせていないが……そうか、笑み一つですら恐ろしいか。
我ながら狂ったような、実際にも狂っているであろうその微笑み……と称すのは間違いで、嘲笑と言うべき……を浮かべ、胸ぐらを片手で掴んで持ち上げた。想像通りの悲鳴をあげて助けてくれ、命だけはと面白いように泣き喚く。
「それを聞いたことはあるか? ……ちなみに、俺はない」
嬲る様に。胸の内で「俺」が悲鳴をあげる。
腹を切り裂き、臓物と肉と血を……赤黒い腹の中身をぶちまけつつ、死を彩る。痛みか恐怖か、目を見開いた獲物は不意に生気を失いずるずると地面に沈みこんだ。
死の臭いがあたりにたち込める。むせ返るほどの血の濃い匂いはますます俺の心を高ぶらせた。
一人。また一人。次々と心臓に、腹に、脳天にと刃を滑らせれば脆い人間なぞすぐに死ぬのだ。脳漿を地面に撒き散らしたままこと切れた死体を踏み抜きつつ歩を進めれば、生物の気配がない道がひらけている。
あぁ、頭からかぶった血が鬱陶しい。
体中から赤黒い液体を落としつつ進んでいく俺は何に見えただろう。鬼だろうか、悪魔だろうか、それとも幻だと思うだろうか。
止まらないニヤケを抑えようともせず、「イリュージョン」は今日も狂っていた。きっと変わることのないであろう。何故なら、そうあるべきなのだから。
いつの間にか胸の内での悲鳴は、別のものに変わっていた。
・・・・