私は、紅彩智は漁業母船「水晶号」で生まれ育ちました。船内には大きな魚介類の加工場があって、いつも海のにおいが満ちていたのを覚えています。
この潮の香りが、血と、硝煙と、焦げ臭さに包まれたのは私が9歳の時でした。
「×××××!! ×××××!」
銃を持った男たちが突然船に乗り込み、外国の言葉を叫びながら次々と大人たちを殺していったのです。
後で知ったことですが、この時水晶号は日本とロシアが漁業権を巡って争っている海域に侵入していたそうです。そしてそれをねらっていたかのように、ロシアの過激派武装組織が船に乗り込んできたのでした。
「彩智、大丈夫だからね……」
お母さんは私を抱きしめて言いました。目の前の、死んだお父さんの姿を見せないようにしているつもりだったのでしょう。
男性たちはほとんどが殺害されてしましました。女性と子供だけが集められました。
犯人たちは10人ほど、粗末な服を着ていて、みな中年ぐらいに見えました。自動小銃を肩からつりさげ、早口で何かを話していました。
私は何も感じていませんでした。あまりにも急で、映画か何かを見ている気分でした。
「大丈夫、すぐにブルーマーメイドが助けてくれるから」
誰かがそう言いました。誰もがそう信じていました。
ですが、それはかなわぬことだったのです。
事実ブルーマーメイドの部隊は水晶号のすぐ近くにいました。ですが、水晶号はシージャックされてから、少し前に決まった日露暫定境界線のロシア側に流されてしまったのです。
境界線の向こう側でブルーマーメイドが武力行使を行うのを、政府は良しとしませんでした。平和の象徴が闘うことなどもってのほかである、それが他国領域内など問題外だ、ということです。
ブルーマーメイドは待機を命じられ、傍観することしかできなかったのです。
占拠からもう何時間もたちました。
男たちはいらだったようにどこかに電話したり、タバコを吸ったりしていました。
私はトイレに行きたくなりました。お母さんにそのことを訴えると、お母さんが男たちに事情を話してくれました。
「オレガ、イク。コイ」
そういったのは一番若い青年でした。少し日本語がわかるようで、彼は私たち人質と犯人の通訳をしていました。
「私も一緒に行きます!」
「オマエ、ノコル」
青年はお母さんを無理やり座らせ、私を引っ張っていきました。
「ココデマッテル。ハヤクカエレ」
帰れというのは、帰って来い、という事でしょう。
青年は女子トイレの外で待っているようでした。人殺しのくせに、変なところで遠慮があるな、という風に思いました。
用を足して、私は素直に青年のところに戻ろうとしました。でも、私は見ました。
「×××××……」
青年が何かを呟きながら、じっとうつむいて何かを眺めているところを。そしてその時、青年は銃を壁のところに立てかけていたことを。
私は思いつきました。テレビのヒーローみたいに、この状況を何とかできるかもしれない。
私はそっと近づいて、銃を手にして、銃口を青年の腰のところに押し当て、驚いた青年の青い瞳を見ながら引き金を引きました。
曇った銃声が何発も響き、青年は血を流しながら倒れました。
私はさらに、青年の額にも銃弾を撃ち込みました。青年は死にました。
「?」
青年の手から一枚の紙切れが零れ落ちました。それは、私と同じぐらいの女の子が移った、古い写真でした。写真はすぐに、青年の血で赤く染まりました。
「うううっ!!」
私は動物みたいな唸り声をあげながら、その写真にも弾を撃ち込みました。
「×××××!!」
銃声を聞きつけたほかの犯人たちが、こちらに走ってきました。
私は、自分の体に全く合ってない小銃をよろよろと構えました。
でも、直感的に死ぬんだ、と思いました。
その時、
「突入!!」
廊下の窓ガラスが割られ、中から黒服の男の人たちがぞくぞくと乗り込んできました。
着ているジャケットには「沿岸警備局」という文字がありました。もっとも、当時の私には読めませんでしたが、ブルーマーメイドではない、という事だけはわかりました。
「×××××!!」
「犯人発砲!」
「銃撃を許可!」
犯人と沿警の人たちの銃撃戦が始まる中、
「こっちだ!!」
私は局員の人に抱えられて奥の方に逃げました。
30分ほどたって、犯人は全員射殺され、この船は解放されました。
沿岸警備局はロシア政府との交渉の結果、ロシア国境警備隊とともに水晶号に突入してきました。犯人側の抵抗も凄まじかったようで、沿岸警備局にも死人が出ました。
水晶号事件の言われるこの事件は、「ブルーマーメイド最大の屈辱」とも、「沿岸警備局最悪の1日」とも言われるようになりました。どちらも、組織や装備、法制度がこれを機に大きく変更されました。
私はしばらくの間、検査とカウンセリングのために入院しました。青年を殺害したことは、正当防衛だった、という事で罪には問われず、また公にもされませんでした。
犯人たちは日露漁業権交渉の過程で漁場を日本側に奪われ、廃業を余儀なくされた元漁民たちだったそうです。
これら政治的なことは全て、沿岸警備科に入ってから知ったことですが。
私はあの日の、あの写真に写っていた女の子のことが忘れられませんでした。私が殺した青年の家族だったのでしょうか。私は誰かの家族を奪ってしまったのでしょうか。
私は考えるのをやめました。あれは敵です。私のお父さんを殺した敵です。敵ならば、殺されても仕方がないのです。
楽でした。相手を記号に押し込めてしまえば何も感じません。
だけど、今日は……。
晴風を鎮圧して、正気に戻ったあのドイツの女の子をみて、自分が再び犯そうとしたことに、いやでも目を向けなければなりませんでした。
私は誰かの家族を、友人を殺そうとしていた。
そして私は、船長としての仕事をみんなに押し付けて、はるぐもの中に引きこもったのです。
まったくの思考停止に陥って、昔のことばかり思い返していたところへ、
『邪魔するぞ、船長』
えりちゃんが、戎崎エリスちゃんが船室のドアをたたいてきました。