二人の関係の推定 Estimation of the relationship 作:wade
「いけません、つい長くなってしまいました」
千反田えるは、夕暮れ迫る神山高校の廊下を足早に駆け抜けていた。
向かう先は、地学講義室改め、古典部部室である。
本当なら、えるは授業が終わってそのまま部室に向かう予定だった。
しかし、帰る準備をして教室を出ようとしたその矢先、
担任から教室に残っていたクラスメート数人と共に、
提出物の整理を頼まれたのである。
作業は至って簡単であり、他愛もない雑談をしながら進められた。
そして、思いの外その雑談が盛り上がってしまったのである。
作業を終えた頃には、辺りは暮れかかっており、
いつの間にか外から聞こえてくる運動部の声も少なくなっていた。
今日は特別何かがあるわけではなかった。
近々、文化祭などの古典部が関わる行事もなければ、
機関誌を出す予定もない。
担任からの頼みごとを受けたのも、そんな事情からである。
部室に行っても、のんびりと過ごすだけだろう。
だが、えるにとってその時間は、
他で過ごすことのできない特別な時間でもあった。
そのひと時を構成する面々は、毎日のように変わる。
それは、古典部部員の4人中2人が兼部だからである。
だが、部室にだれもおらず1人で過ごすということはあまりなかった。
それは、えると同じく兼部ではないもう1人の古典部部員のおかげである。
おそらく、今日も彼は部室の片隅で読書に励んでいるのだろう。
部室棟へと渡ったえるは、階段を上り4階へ。
教室を2つほど横切り、1番奥にあるのが古典部部室である。
部室からは、微かに話し声が聞こえてきた。
この声は、漫研と兼部している古典部のもう1人の女子、伊原摩耶花である。
そして、会話の相手はどうやら折木奉太郎のようだった。
一体、2人がどんな会話をしているのか、えるの好奇心が輝き出す。
部室のドアに手をかけ、開けようとしたその時、中の会話がはっきりと聞こえてきた。
「ねえ、奉太郎…」
えるは、思わず手を止めてしまった。
たった一言。だがそれは、えるの動きを止めるのに十分すぎる一言だった。
折木奉太郎と伊原摩耶花。
2人の関係について、えるが知っていることは
まず小学校から中学、そして高校と長い付き合いであるということである。
この事実だけを聞けば、下の名前で呼び合うということは
ありえるかもしれない。
だが、えるは2人の関係についてもう1つ認識していることがあった。
それは、2人は長い付き合いがあるものの、それほど親しい間柄ではなく、
折木奉太郎の言葉を借りれば、”ただの付き合いが長い知り合い”ということである。
実際のところ、2人は普段互いを「伊原」「折木」と苗字で呼び合っていた。
その一方で、伊原摩耶花は千反田えるを「ちーちゃん」。
福部里志を「ふくちゃん」とあだ名で呼んでいる。
折木奉太郎の場合は千反田えるを「千反田」、福部里志を「里志」である。
これらの事実を考慮すれば、心の底はいざ知らず、少なくとも体面上、
2人の間には明確に一線引かれていると考えるのが自然である。
だが、たった今聞こえてきた一言によって、
えるはその認識は改める必要があるのかもしれない。
もしかしたら…。
想像はどんどんと巡っていき、それはえるの静止状態を長引かせていく。
だが、突如としてそれは解除された。
「あれ、千反田さんどうしたの?部室の前で固まっちゃって」
えるが振り向いた視線の先には、古典部のもう1人の男子部員である福部里志がいた。
ポケットに両手を入れ、不思議そうな面持ちでこちらを眺めている。
「あ、あの…いえ…!その、少し考え事を…」
「わざわざ、部室の前で?」
「え、ええ…。まあ…」
「ふーん」
里志は、顎に手を当て視線を左に向けた。
「これは、一大事だね。うん、我らが古典部部長の悩みは古典部全員の悩みだよ!」
「え、ええ!?」
一瞬、思考停止状態になったえるの横を、里志は颯爽と通り抜けていく。
「あ、あの福部さん!今はいけま…!」
えるの制止もやむなく、古典部部室の扉は勢いよく開け放たれた。