もしエルシィが勾留ビンを使えなかったら   作:天星

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後編

「おっと、もうこんな時間か」

 

 気付いたらかのんのコンサートの開始時刻に近くなっていた。

 会場である鳴沢臨海ホールへと足を向けて……止める。

 

 よく考えろ? 今日一日でかのんと何度も遭遇してきた。

 という事はつまり、僕が徒歩で移動できる圏内で活動していたという事だ。

 そして、今から向かうホールも徒歩で十分に向かえる圏内だ。

 となると……かのんも徒歩で移動している可能性が十分にある。

 下手に真っ直ぐ進むと途中で遭遇するハメになるんじゃないか?

 

 ……いや、徒歩で向かえる圏内といってもそこそこ距離がある。余計なトラブルを回避する為にもタクシーの類を使っているか。

 しかしその場合は移動時間が少なくて済むのでまだ出発していないかもしれない。そうなると途中で追い抜かれる可能性があり、その時に顔を見られる心配がある。

 ゲームショップで遭遇したくらいならまだしも、ホールがある方角へ向かう所を見られるのは少々マズい。

 ……やや遠回りするか。車が通れなさそうな所を。

 

 

 

 

    で!

 

 

 

「ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ……」

 

 ぴ、PFPでルートを検索しながら条件に合う道を選んで通ったが、予想以上に時間がかかってしまった。

 途中で気付いてダッシュしたからなんとかギリギリ間に合ったが……疲れた……

 

「おや、見ない顔だね。ここに来るのは初めてかい?」

「ん?」

 

 息を整えて顔を上げると、そこには初老の紳士が居た。

 風貌だけを見たら上流階級のパーティーでウェイターでもやってそうな雰囲気だが、左胸に付けられたかのんの顔をデフォルメしたバッジと『かのん後援会』と書かれたたすきが非常にミスマッチしている。

 

「後援……会?」

「おや、名乗り忘れていたね。申し訳ない。

 儂はかのん後援会の会長をやらせてもらっている者だよ。

 と言っても、ファンの皆に『雰囲気がそれっぽいから』と祭り上げられただけで、大した事はやっていないがね」

 

 ファンクラブみたいなものか? こんな爺さんにまで虜にするとは、かのん恐るべし。

 

「なるほど。それで、何の用ですか?」

「違ったら申し訳ないのだが、君はこういう場所に来るのは初めてなんじゃないのかい?」

 

 こんな所で嘘を吐いてもしょうがないか。正直に喋っておこう。

 

「まあ、そうですね。何か問題でも?」

「問題……問題と言えば問題だね。

 慣れていない人はこういう場所での楽しみ方が分からなくて楽しめないままに帰ってしまう事がたまにあるのだよ。

 だからもしかしたらレクチャーが必要かと思ってね」

 

 要するに、素人の僕でも楽しめるように気を回してくれているという事か。

 流石は後援会会長なのか?

 僕としては楽しむつもりで来たんじゃなくてただ見てみたかっただけなんだが……郷に入りては郷に従えとも言うし、一応受けておくか。

 自分だけ変な動作をして目立ってかのんに見つかる……なんて事はまず無いと思うが絶対に避けたいしな。

 

「それじゃあお願いします」

「よろしい。ではまず……」

 

 

 その後、会長のレクチャーは会場時刻になっても続き、入場しても続いた。

 って言うか、会長の席は僕の席の隣だった。

 

「うぅむ、もっと良い席であればより良い思い出を作らせてあげる事ができたんだがのう……」

「僕は場の雰囲気さえ感じ取れれば満足だったんで。

 と言うか、会長こそ何故こんな席を?」

「ふぉっふぉっふぉっ、儂のような年寄りは遠慮して若い者たちに譲ったまでだよ。

 それに、こうして後ろの方から全体を見守るのも中々に乙な物だからのう」

「……そういう考え方もあるのか」

 

 そんな感じでレクチャーの続きやら雑談やらをしていると突然明かりが落とされた。

 そして、スポットライトで舞台の上が照らされる。

 

 

「「「うおぉぉおおおお!!!」」」

「「「かのんちゃああん!!!」」」

 

 

 どうやら、始まったようだな。

 

「ワン、トゥ、スリ、フォー ワン、トゥ、スリ、フォー

 ワン! トゥッ! ワントゥスリーフォー!!」

 

 かのんの号令に合わせて曲が流される。

 これは聞いたことが……あった気がしなくもない。あいつの携帯の着信音とかで。

 

「この曲は『ダーリンベイビ』だのう。割と新しめの曲だのう」

「ふーん」

 

 メロディを聞いたことだけならあった気がするが、歌詞付きを聞くのは初めてだ。

 

「しかし、気になるのう」

「? 何か問題でも?」

「順番的には今回のライブは『らぶこーる』から始まるはずだが……

 まあ、事前に明言されているわけではないから問題と言う程の事でもないがのう」

「って言うか開幕の歌の順番の不文律まで存在するのか……」

「不文律というほど立派なものでもないがのう」

 

 かのんは無事に一曲歌い終え、次の曲へと移る。

 

「むぅ……この曲は知らんのう。新曲のようだの」

「…………」

 

 舞台の上のかのんは『夏』を題材にした歌を歌っている。

 歌と踊り、自身の全てを駆使して表現をしているようだった。

 それに対して客たちはサイリウムを振って全力で応えている。

 あの小さな光の一つ一つが寄り集まって輝きを増していくようだった。

 

 僕は2Dならともかく、現実(リアル)のライブなんて詳しくは無いが……

 

「……良いコンサートだな」

 

 それだけは、素直にそう感じた。

 

「少年よ、この良さが分かるか。

 最前列は更に凄いぞ。機会があれば行く事をオススメするぞ?」

「……いや、遠慮しておこう。

 ファンでもない僕があそこに混ざる気にはなれない。

「ファンではない? すると何故君はここに来たのかね?」

「あいつを……かのんのここでの姿を見ておきたかった。それだけだ」

「ふむ……君にとって彼女は一体どういう存在なのだね?

 ただの知り合い? 親戚? それとも……」

 

 僕にとってかのんがどういう存在なのか……か。

 最初は屋上で会っただけのただの他人だった。

 それがエルシィに巻き込まれた被害者同士になり、

 しばらくしたら今度は許嫁ルートによる恋人関係になったり、

 その後は……攻略で何度も助けてもらったな。

 そうだな。今のあいつとの関係は……

 

「……相棒、かな。とても信用できる、な」

「……何やらただならぬ事情があるようだのう。深くは訊かんでおこう。

 今は、このコンサートを楽しもうではないか」

「そうだな。チケット代金分くらいは回収させてもらおうか」

「その意気だな。ほれ、回りに合わせてサイリウムを振りなさい」

 

 

 

 その後、かのんは新曲を含む何曲かを歌い終え、無事にコンサートは終了した。

 

 

 

 

  ……その夜……

 

「ただいま」

「あっ、神様! こんな時間までどこに行ってたんですか!?」

「鳴沢の方のゲームショップだ。掘り出し物が買えたぞ」

「ほりだし……もの? ゲームは土の中から収穫できるんですか!?」

「んなわけないだろ! 貴重品って意味だ」

「ほえ~。地獄で言う所のメイカイメダカみたいなものですか。ゲームにもそういうのがあるんですね」

「……多分そういう事だ。

 さて、早速ゲームをやるぞ!!」

「その前にご飯できてますよ。先に食べちゃってくださいね」

「チッ、仕方ないか」

 

 

 

 

 

  そして、更に時間は過ぎて……

 

「フッ、これがあの『らぶ・てぃあ~ず』初回版か!

 だが、この落とし神の前には無力!! エンディングが見えた!!」

 

 というセリフを言い切ったのとほぼ同時にドアがノックされた。

 

「ん? 誰だ?」

『私だよ。今大丈夫?』

「ちょっと待て。

 ……よし、入れ」

 

 ゲームをクイックセーブしてからかのんを招き入れる。

 

「こんばんは」

「どうした? 何か用か?」

「もしかしたらなんだけど……これ、要る?」

 

 そう言いながらかのんから差し出されたのは一枚の紙切れ。

 やや薄暗い部屋の中でよく目を凝らすとそれは何かのチケットらしい。

 

「って、これお前のイベントのチケットか?

 どうして僕に?」

「どうしてって……今日来てたよね? コンサートに」

「…………はい?」

「って言うか、鳴沢市で何回か会ったよね。私たち」

「気付いてたのか!?」

「え? うん。人前で話しかけるわけにもいかないから頑張って無視したけど……」

「……ちなみに、どこで何回会った?」

「確か……午前中にCDショップでの配布の時に1回、ゲーム専門店で1回。

 午後はまたショップで1回、あとコンサートも含めるなら計4回、だね」

「ハンバーガーショップは気付かれてなかったのか。

 って言うかそれ以外は気付かれてたのかよ!!」

「え? あそこにも居たんだ。気付かなかったよ」

 

 むしろ他4回を気付ける時点で凄すぎると言うかむしろ怖いレベルだ。だからそんなしょんぼりした顔をしないでくれ。

 

「ま、まあそこまで分かってるなら隠す必要は無いか。

 確かにコンサートに行ったが、それがこのチケットとどう繋がるんだ?」

「実は前から渡そうとはしてたんだけど、桂馬くんにゲーム以外の物を送っても迷惑になるかと思って結局何も送れなかったんだよ。

 だけど、今日は来てたからもしかしたら興味を持ってくれたのかなって思って」

「そういう事か……

 悪いが、そのチケットは不要だ。今回はちょっとした気まぐれで参加したが、また行くつもりは無い」

「そう……もしかして、コンサートつまらなかった?」

「そういうわけじゃないんだが……今回見ただけで満足させてもらった。

 そのチケットは友達……じゃなくて、エルシィにでもやるといいさ」

「エルシィさんに? いつも舞台の上に居るのに、喜ぶかな?」

「舞台の上と下じゃあ結構違うだろう。

 それに、一度観客として参加すればあいつにも観客に対する意識が芽生えてより良い替え玉になるかもしれんぞ」

「そ、そうかなぁ……?

 エルシィさんに渡すかはともかく、チケットは私が持っておくね。

 何かに参加したくなったらいつでも遠慮なく言ってね。じゃあね」

 

 それだけ言うとかのんは部屋から出て行った。

 ああくそっ、まさかバレていたとはな。

 はぁ……後悔先に立たずとはこの事だな。

 

 バレてるって分かって居れば『西恩灯籠』と『星の瞳のジュリエット 初回版A』を諦めずに済んだというのに!!

 

 ……ま、嘆いててもしょうがないか。

 

「次の機会なんて多分無いだろうが……今後とも宜しく頼むよ。相棒」







 まだ夏休み前なので作中では『夏色サプライズ』が発表された頃のはず……

 会長さんはアニメ版から引っ張ってきました。
 あのお爺さんが会長なのかどうかは不明ですが、『かのん後援会』と書かれたたすきをかけていたのは事実なので会長という事にしておきました。
 ただ、完璧に同じにすると読み返した時に読み辛かったので語尾を何度かいじりました。そこまでの差異は無くなっているはずですが、何かおかしい所があればあの人を元にしたオリキャラみたいなものだと考えて頂ければ。


 これにてコンサート編終了です。
 月夜編最終話のフラグを回収する為の話でした。
 今回の話は執筆するか否かを悩みました。
 ただコンサートに行って帰ってくるだけの話を桂馬視点で十分なボリュームを持たせて書こうとするとかなり詳細な描写が必要になり、筆者の負担になるだけでなく、桂馬のキャラにそぐわない気がしたからです。コンサートの事を脳内で詳細に描写して騒ぐ桂馬なんて桂馬じゃないよという。
 かと言って書かないとそれはそれで面倒な事になるという……
 なので、『落とし神の休日』と題して鳴沢の街で色々と行動してもらい、十分な分量を持たせようと試みました。実際には分量は多すぎになったわけですけどね。3話に分割して投稿してるけど、いつもの分量の5~6話くらいにはなるんじゃなかろうか……

 次こそはちひろ編、2B PENCILS編をお送りしたいと思います。
 それでは、明日もお楽しみに!

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