「だって、姫様ってそもそも記憶操作なんて、されてないじゃないですか」
エルシィは、確かにそう言った。
何を今更と言わんばかりの表情で、サラリと言ってのけた。
「……それは……どういう意味だ」
「え? どういう意味も何も、そのままの意味ですよ?
何でわざわざ
「いや、確かに、そうだが……」
ちょっと待て、という事はどういう事になるんだ?
かのんは、最初から記憶があった?
今現在も記憶があるのは勿論、攻略直後でも記憶があったって事か?
「あの……もしかしてご存知無かったですか?」
「……ああ。全く知らなかったよ」
言われてみれば確かに『元から記憶なんて奪われてなかった』という説なら現状にピッタリ当てはまる。
地獄が記憶を奪う主な理由が情報の秘匿にあるなら、既にガッツリと巻き込まれている協力者の記憶を奪う理由は一切無い。
記憶が最初からあったのであれば、女神は居るかという問いに対して歯切れが微妙に悪かった理由にも説明が付く。
記憶が戻っていないなら女神は居ない、戻っているなら女神は居る、そうはっきりと言えなかった理由。
そりゃあ判別できるわけが無いよな。最初っから記憶があるんなら。
だからこそ、自分の感覚だけで『女神は居ない……と思う』と判断したわけだ。
「でも……どうしてご存知なかったんですか?
神様なら誰かに言われずとも察しそうなものですが」
「理由は…………2つある。
まず、中川……いや、かのんが言っていたからだ。
攻略が終わった直後に、記憶が曖昧だと」
あいつは言っていたな。攻略期間である1週間の記憶が曖昧だと。
理由までは分からんが、アレは嘘だったんだろうな。記憶を操作されているという事にしたかったのだろう。
あいつは恋愛の記憶を抱えながらずっと素知らぬ態度で僕の側に居たんだな。
どんな思いで、あいつはそんな嘘を吐いたんだろう。
どんな思いで、あいつは過ごしてきたのだろう。
「もう1つの理由は何ですか?」
「…………僕自身が、考えようとしなかった。
いや、考えたくなかったんだろう。だからその可能性を無意識のうちに避けていたんだ」
あの時のかのんと今のかのん。僕の中ではこの2人は別人だった。
そして僕は、今のかのんとの関係性を心地よく感じていたのだろう。
攻略とは関係ない、対等な相手とのやりとりを。
そして、だからこそ『あの時のかのん』の事は忘れようとしていたのだろう。
かのんを『攻略した相手』として思い出したくはなかったし、かのんに思い出してほしくもなかった。
それが……今回の結果に繋がった。
「……かのんと、話さなきゃならない。
エルシィ、携帯を貸してくれ」
「神様は持って……いらっしゃらないんでしたね。
はい、どうぞ」
使い慣れない携帯の電話帳からかのんの名を探す。
『か行』を探すが見あたらない。
続けて『な行』を探すがそれでも見あたらない。
数秒ほど考えてから『は行』を捜して『姫様』という名前の番号を発見した。
コールボタンを押して呼び出し音を聞く事数秒。聞きなれた声が電話の向こうから聞こえた。
『もしもし? エルシィさんどうかしたの?』
「エルシィじゃない。僕だ」
『桂馬くん? どうかしたの?』
何も考えずに電話をかけてしまったが、一体何て言えば良いんだ?
……いや、迷う事は無い。訊きたい事は色々あるが、一番知りたい事は決まってる。
「……なぁ、お前は……
記憶があるのなら、この問いかけの意味は伝わるはずだ。
何故なら、僕が過去にその名を呼んだのは1回……いや、2回だけ、そのうち1回は『西原まろん』との違いを強調する為に下の名前を呼んだだけだ。
そして、残りの1回は……攻略の終盤だけだ。
電話の向こうからは、校庭で騒いでいる生徒たちの賑やかな声だけが聞こえた。
その沈黙が続いたのは数秒か、あるいは数分だったのか。
時間の感覚なんて分からなくなりそうな重苦しい時間は、ようやく聞こえてきたかのんの言葉で終わりを迎えた。
『……どうして、分かっちゃったのかなぁ……』
「じゃあ、やっぱり記憶があるのか!?」
『その通り、だよ。完璧に隠してた……とまではいかなくても十分隠せてたと思ったんだけどね』
「お前、今どこに居るんだ? 今からそっちに向かう」
『その必要は無いよ。私がそっちに行く』
「いや、しかし……」
『どこに、居るの?』
「……屋上だ」
『そっか。丁度いい場所だね。
私と、桂馬くんが初めて会った場所だ』
「……そうだな」
『待っててね。10分で行くから』
「ああ。待ってる」
そして、こちらから切るまでもなく電話は切れた。
心せよ。答えを未来に問うなかれ。答えは汝の過去にあり。汝の心の内にあり
あらゆる可能性を疑い、意識の隙間を埋めよ。最後の答えはそこにある。
……意識の隙間か。確かに、完全に盲点だったよ。神託の通りだな。