もしエルシィが勾留ビンを使えなかったら   作:天星

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05 推薦

 桂木から出された条件を聞いた時には少し妙やとも思ったけど、よくよく考えてみると納得の条件やった。

 桂木はうちと一度対局するだけで、一週間分の仕事をうちに押しつけられる。

 うちもすぐに桂木と戦っても勝てへん。この一週間で悪かった点を見直してきっちり対策をたてておかんと。

 押しつけられた新人指導もあるから検討の時間は減ってまうが、睡眠時間削ればじゅーぶんやろ。

 

 押しつけられた事やけど、約束したからには全力でやらせてもらうで。

 初日は実力を調べる為に平手で対局した。

 あの男の関係者なんやから実は凄い棋士なんやないかとちょこっとだけ期待しとったんやが……その実力は普通の初心者やった。

 まぁ、あんなのが何人も居たら困るんやけどな。

 

 2日目は六枚落ちのハンデを付けて対局した。

 それでもうちが余裕で勝った。

 初心者が引っかかるようなハメ技とかにポンポン引っかかって、自陣の警戒がユルユルなもんやから簡単に駒を打ち込めた。

 性格悪いとか言わんといてや? ハンデもらっとるんやからそんくらいせんと勝てへんわ。

 

 3日目も同じように続けた。

 あからさまなハメ技には引っかからんようにはなってきおったが、それでもうちに勝つにはまだまだまだまだ遠い。

 そんくらいの事はうちと対局してるまろんも何となく理解しとるとは思うんやけど、それでも諦めたりせずに真っ直ぐ突き進んでくる。

 ……そんな姿を見て、少しだけ気になったんや。

 

 

「……なぁ、ちょっと聞いてもええか?」

「え? なあに?」

「アンタ、ずっと負けてて辛くは無いんか?」

 

 普通は負けたら悔しがる。だけどそんな素振りは一切見せない。

 まぁ、単純にうちと実力差があり過ぎて気にしてないだけなんかもしれへんけど、それでも気になった。

 

「辛くないか? そりゃあ一方的に負けてるから全然辛くないと言えば嘘になるけど、それ以上に楽しいかな」

「楽しい? どうしてや?」

「どうしてって、逆に訊くけど、七香さんは将棋を楽しんでないの? 七香さんは楽しいから将棋をしてるんじゃないの?」

「え? まあそうやけど、そういう事やなくて……」

「フフッ、ごめんごめん。分かってるよ。

 そうだね、失敗した手とかを確認して、どうすれば良かったのかを考えて、試行錯誤して、失敗して……

 そして最後に成功した時、すっごく楽しい気分になるよ」

「……そっか。分かった」

 

 こんな内容でも、楽しんでやっとるんやな。

 別にわざわざつまらない内容の指導をしてるつもりは無いけど、積極的に楽しんでやる物やとは思っとらんかった。

 

「ただ……」

「うん?」

「流石にそろそろ自分だけの試行錯誤だと効率が悪くなってきたんで、私がまだ対処できない手の対処法とかをじっくりと教えて欲しいかな」

「あ~……せやな。そうすっか」

 

 流石に実戦ぶっ続けは初心者には厳しかったようやな。

 精一杯教えたろうやないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ……攻略4日目……

 

「せやから、ここはあの時にこう動かせば……」

「なるほど、そんな前から対処しとかないといけないんだね」

「そゆことやな」

「でも、相手がこうやって来た時はどうするの?」

「それはやな……」

 

 桂馬くん風に言うのであれば、七香さんの好感度は順調に上がっている。

 私がやった事は単純で、七香さんの理不尽と言えなくもない耐久実戦訓練を嫌な顔一つせずに耐え抜いた事だ。

 

 ダンスの練習で長時間体を動かしつづけた事はあったので将棋ならずっと座ってる分マシだろう……なんて考えは最初の1時間で消し飛んだ。座ってるだけでもだんだんお尻が痛くなってくるし、将棋の指し方も考え続けなければならないので頭も疲れる。

 私、強くなれてるよね……? そうじゃなかったら少しショックだ。

 

 話を戻そう。一定時間耐え抜けば七香さんの方から声を掛けてきてくれるんじゃないかと期待していた。

 1日以上経過してもその様子は無かったので自分から声をかけてみようかな~と思った頃にようやく声をかけてくれたよ。

 

 会話の目的は2つ。

 1つは単純に仲良くなる事で情報を引き出し、心のスキマを埋めやすくする為。

 もう1つは……勝利以外の価値を示したかったから。

 勝負である以上は勝ちに行くのは悪いことじゃない。だけど今回の場合は思いつめ過ぎてて心のスキマにまでなってる。

 だから、『勝たなければならない』という強迫観念を打ち崩す。これが私の計画だ。

 

 まぁ、それだけで心のスキマが埋まるとは思えない。

 何か、きっかけとなる強いイベントが必要になるだろう。

 その為にも、今は七香さんの好感度を稼いでおきたい。

 

「ところで、七香さんはプロを目指してるの?」

「ん? 言ってへんかったか?」

「聞いてないよ」

「んじゃあ言っとこうか。うちはプロを目指しとるんや!」

 

 うん、そんな気はしてた。

 奨励会よりも強い主将、よりも圧倒的に強い七香さんだ。趣味の領域でそこまでの実力に至るのは……桂馬くんみたいな変人でも無い限りは居ないだろう。

 

「それじゃあ、桂馬くんとの勝負にこだわるのも『プロを目指すのにこんな所で負けてられない!』みたいな感じなのかな?」

「……ああ、そうやな。

 将棋の世界の上の連中は超天才、いや、バケモンみたいな連中や。

 こんな所で……負けてるわけにはいかんのや」

 

 ……桂馬くんならプロの方々が相手でも圧倒しそうな気がするなぁ……

 もちろん確証は無いので黙っておこう。

 それより、一つ気になった事がある。

 

「プロって事は奨励会に入るんだよね?

 推薦してくれる人はもう見つかってるの?」

「……? 何の事や?」

「え? えっと……ちょっと待って。

 主将さん! ちょっと本借りますね!」

 

 主将さんが頷くのを確認してからつい最近借りてた初心者用の入門書を本棚から取り出す。

 そこの『奨励会』のページにははっきりとこう書いてあった。

 

『受験資格は、満19歳以下で四段以上のプロ棋士から受験の推薦を得た者であることである』

 

「……ってなってるんだけど……」

「…………え?」

 

 あ、あれ? 何か凄い問題が出てきちゃった……?






奨励会の受験資格についてはwikipediaより抜粋してきました。
一応、推薦無しでも受験できる場合もあるようですがそちらは満15歳以下なので七香には結局無理です。
作中で語られてないだけで実は推薦者が居た可能性もありますが、ちゃんとした師匠が居たなら舞島学園の道場破りなんてせずに師匠に鍛えてもらうでしょう。

……まぁ、名義を貸してただけの師匠だった可能性も大いに有り得るんですけどね。

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