勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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最終話 未来の吹雪に捧げる、私達の約束。

 

 光と音が世界に満ちた時、吹雪の鎮守府の艦娘は一塊りになっていた。

 

 破竹の勢いで敵を倒し続ける彼女達の前に、次々と深海棲艦が湧き出て、自然と一か所に追い詰められ……その時だった。

 深海神姫の操る船の上から激しい光が放たれ、また強力な攻撃が来るかと身構えれば、名もなき艦娘が共鳴でもするかのように発光し……世界は騒がしさに包まれた。

 

 

 気配、気配、気配。

 

 艦娘と深海棲艦と妖精の気配。生者の気配。生きているものの息遣い。

 空に瞬く赤い光は、霧と夜闇の中を飛ぶ艦載機達の断末魔。

 気合いの声が交差する。檄を飛ばす誰かの声が、途中で途切れた。

 

 

 久しく感じていなかったものに、誰もが困惑した。

 

「お姉さま? お姉さま、どうしました!?」

「what……? ……比叡?」

 

 肩を揺さぶられてはっとした金剛は、自分に声をかけてきたのが妹であるという事を理解できず、素っ頓狂な声を出してしまった。

 数瞬視界がぶれ、妹の顔が認識できない。

 

「金剛お姉さま、気を確かに!」

「まだ敵は多くいます!」

 

 隣でどこかへ砲撃した榛名が必死に呼びかけ、霧島が腕を取って揺さぶる。

 それで焦点があった。これが夢ではないと理解した。

 

「い、妹達……! そ、そうデシタネ! ワタシとした事が、ぼうっとシテマシタ!」

「私はまた、敵の攻撃か何かかと思いましたよ……」

「不意打ちと流れ弾にお気を付けくださいね」

「さあ、ガンガンいくわよー!」

 

 それぞれ声をかけた彼女達が三方に向かうのを見て、金剛は目頭が熱くなるのを感じた。同時に喜びが全身を駆け巡り、思わず比叡に抱き付いてしまった。

 

「戻ったのデスネ、この時間に!」

「おお、お姉さま!? ううう、嬉しいですけれど、今は戦闘中……!」

「どうなさったのですか……?」

「先程からぼうっとしている姿をお見受けしていましたが……どこかに被弾を?」

 

 顔を赤くした比叡に窘められて、金剛はようやっと落ち着きを取り戻した。

 そして、しっかりと思い出した。自分がどこにいて、何をしていて、何が起こって今、ここにいるのか。

 

「fire!!」

 

 自分の体を認識すると同時、迫ってきていた黒い異形へと砲撃する。

 寸分違わず砲弾は敵の頭を砕き、沈黙させた。

 

 体の状態……服に傷や汚れはあるものの小破未満。砲も艤装も無傷に近い。この時代の自分の体だ。

 

「お姉さま、素晴らしい力です!」

「スピード、パワー、記憶……全て引き継がれてマスネ……なら」

 

 顔を上げた金剛は、今なお見えないモノで繋がっている艦娘達の方へ目を向けた。

 

「仲間の下に行かねばなりマセン。妹達、follow me! ワタシと共に行きマスヨ!」

「はい! お姉さまと一緒なら、どこまででも!」

「榛名、頑張ります!」

「移動ですね、わかりました! 衝突に気を付けて参りましょう!」

 

 霧の蔓延る戦場の中、姉妹と出会えた金剛は、一路司令官(吹雪)の下へ向かった。

 

 

 強風が海を舐めた。

 怒号が風に運ばれて飛んでいく。

 砲撃音が反響しあい、砲火が天を焼いた。

 蔓延する霧は常に流動して艦娘も深海棲艦もお構いなしに浚い、無秩序な位置へ移動させる。

 敵も味方もごちゃごちゃで、同士討ちがいくつもあった。

 まるで地獄絵図。

 その戦いを終わらせるため、黄金の光を纏うレ級に相対する艦娘がいた。

 それが島風。島風、改二。

 連装砲ちゃんと一つになって、艦娘の域を超えたパワーアップを成し遂げた、最高峰の少女。

 

 遠い前方で紅いエネルギー体に押し込まれているレ級に、それを放った島風は苦々しい表情をして、手にしていた大型の青い大砲を放り投げた。腰を沈め、すぐさまトップスピードで滑り出す。その横に彼女の友、朝潮が並ぶ。

 

 ぐんぐんレ級へ迫っていく中で吹雪も加わり、お互いの間合いに入った瞬間、レ級がエネルギー体をかち上げて粉砕した。

 それが致命的な隙となった。

 三人が跳躍する。島風が、朝潮が、吹雪が、それぞれ勢いを保ったまま空中で急降下キックの体勢に入り、矢のようにレ級へ突き刺さっていく。

 

『――――!!』

 

 三位一体の蹴りを受けて、レ級は海面をバウンドして霧の向こうへ消えていった。

 着水した三人は少々の距離を滑って止まり、辛そうに肩で息をして、レ級の撃破を確認しあった。

 

 それで、終わり。

 本来なら、そこで終わりのはずだった。

 だがそうはならなかった。

 

 濃霧が巻き起こり、その中から青白い腕が伸びてくる。それは正確に島風の首を捉えた。

 

「っ、シマカゼっ!」

 

 朝潮の悲鳴染みた声が響く。二人の反応は遅く、ゆえに救援は間に合わない。

 一瞬声に気を取られた島風は、霧の中から伸びてくる腕に反応しきれていなかった。

 ぬぅっとレ級が姿を現す。

 黒煙を纏い、ぬらぬらと輝くオイルを黄金の光で照らして笑っている。

 

「っ!」

 

 決して気を抜いていた訳ではない。けれど、レ級の動きには追いつけなかった。

 そもそもここまでの戦いで酷く損耗していたのだ。

 敵は多い。ただその一言に尽きる。そして、多くが姫級や鬼級といった化け物揃いだった。

 連戦に次ぐ連戦。体も精神もとうに限界を迎えている。

 それでも彼女は止まらなかった。

 止まらず、走り続けていた。

 誰より速く……なんでもいいから、この戦争の元凶であろうレ級を倒す。

 人類に未来を。世界に平和を。愛する人に安らぎを。

 その想いで頑張ってきた。

 ……頑張って、きたのに。

 

「ぐ、くっ……!」

『終ワリダ』

 

 握られた首からギチリと音が鳴った。

 

 不意に、放られる。

 体が空中に投げ出され――レ級の拳が迫った。

 こんな無防備な状態で、こんな損耗した状態で怪物の一撃を受ければ、ただでは済まない。

 そうわかっていても、彼女にはもう、どうしようもなかった。

 そう、『彼女には』、だ。

 

「島風ぇーっ!」

「おおお!!」

『ウォッ!?』

 

 張り裂けんばかりの気合いの声が迫り、と思えば、島風は海へ落ちていた。

 攻撃はされてない。ただ、喉が痛んで息がし辛いばかりで、それも喉を擦っていれば収まった。

 すかさず傍へ寄った朝潮が肩を貸して立ち上がらせてくれる。

 細めてしまっていた視界を無理矢理に開いて状況を確認すれば、少し離れた場所で立ち上がるレ級と、自分達を守るように立つ叢雲と満潮の姿があった。

 まさか、二人がレ級を吹き飛ばしてくれたのだろうか。だとしたら、危ないところを救われた。

 

「けほっ……あ、ありがと、叢雲、満潮……」

 

 二人は、ちらっとこちらを見るだけで何も言わなかった。

 ――違和感。

 島風は、よくわからない違和感に襲われて眉をひそめた。

 今自分を見た二人の眼差しが、いつもと違って見えたのだ。

 とはいえ今は戦闘時、違うのは当たり前とも言えるのだけど……たとえば満潮の、あの恨みがましい目はいつもと同じだが、なのにまるで十数年来の仇でも見るかのように積もりに積もった感情が窺えた。

 

『何者ダ……貴様ラ、艦娘カ』

「……どうやらお前は、私の知るお前ではないようね」

「そうね。共に来る事はできなかった……それはあいつ自身が予測をたてていた」

 

 叢雲の言葉に、満潮が頷いた。

 深海棲艦のようで、そうでない存在。輪から外れ、何度でも甦るレ級は、あの時代から移って来る事はできなかったようだ。

 未来にいたレ級は、だからこそ言っていた。今は味方だが、過去に戻れた時も私が味方とは限らない、と。

 おそらくは、名もなき艦娘も……。

 

「満潮……?」

「叢雲ちゃん……?」

 

 サァァッと水を割いて二人の艦娘が寄って来た。

 彼女達の様子を訝しむ朝潮と吹雪だ。朝潮に腕を引かれた島風も、しんどそうについてきている。

 

「っ!」

「っとわ、なになに!?」

 

 振り返りざまに島風の胸ぐらを掴み上げた満潮は、目を白黒させる彼女をお構いなしに腕を振り上げ、即座に振り抜いた。

 けどそれは、朝潮に腕を掴まれて止められた。

 当然だ。今のはとても看過(かんか)できるものではなかった。

 

「満潮、どういうつもり?」

「離しなさい! 一発ぶん殴らないと、気が収まらないのよ!」

「ど、どうしたの、本当に」

 

 獰猛な犬のようにわんわんと喚く満潮は、どうみても本気で島風を殴ろうとしている。この戦いが始まるまではそんな気配はなかったから、朝潮は一瞬呆けてしまって――するりと掴んでいた腕が抜けていくのに「あっ」と声を漏らした。

 

「おらぁ!」

「いったぁー!?」

 

 ガイン、と鉄を殴ったかのような硬い音が響き、さっと腕を引いた満潮は、赤くなった拳を手で包んで胸元に寄せながら、涙が滲み始めた目でギッと島風を睨みつけた。

 

「な、なな、なに? なんで殴られたの私っ!?」

「満潮!!」

 

 頬を押さえて困惑する島風を見て溜飲を下げた満潮は、口うるさい姉に「ふん」と腕を組んでそっぽを向いた。

 

 

 

「吹雪……」

 

 レ級を眺めていた叢雲は、ほうっと安堵の息を吐いて振り返った。優しげに笑うその顔は今までで一番穏やかな表情で……戦時に見せるような顔では、決してなかった。

 

「成功したのね。……あなたのおかげよ」

「……私の、おかげ?」

「そう。みんな、あなたを信じていたから、こうやって戻って来られた」

「……?」

 

 緑色の瞳が叢雲を映す。

 僅かに口を開けたまま静かに呼吸する吹雪は、何も言わず、ただ声に耳を傾けていた。

 

「叢雲!」

「叢雲さん!」

「満潮ちゃん!」

 

 瑞鳳が、秋津洲が、潮が。

 ザアザアと波と風をたて、仲間を引き連れてやって来た。

 未来での仲間達が集結していく。

 確かな絆がさらに強まり、艦娘の力を引き出していく。

 暁が、鳳翔が、不知火が。

 霧を掻き分けてこの場所へ。

 集いし絆が新たな力を呼び覚ます。

 

「っとぉ? 遅れてシマイマシタ?」

「いいえ、まだ全員揃ってないわ。初雪と……大淀さんは?」

 

 最後に金剛達がやってくると、以降、周囲は霧が蠢くばかりで、誰かが近付いてくる気配はなかった。

 

 叢雲を中心に輪になったそれぞれは、自分と繋がる絆を辿って、ここにいない艦娘の行方を追った。

 

 ――遠い?

 

 繫がりは、ある。半ば溶け合った強固な糸は絶対に断ち切れず、だからこそ、その距離が気になった。

 ずっとずっと遠くにいる。

 初雪も、大淀も、そして――。

 

「んぁ」

 

 ピリリリッと機械的な音声が鳴り響く。間の抜けた声を発した島風が左腕に備えられた端末を起動し、通信画面を表示させた。空中に投射された光化学画面にはぷかぷか浮かぶ船の姿。

 

『聞こえますか。こちら大淀です』

「大淀さん? ……どうやってこの端末に連絡を……?」

 

 ありえない通信に、島風が疑問を投げかけた。

 この機械への通信はもう一つの端末からしかできない。そしてその端末は今、この海にいる夕張が持っているはずだ。決して鎮守府で後方支援に徹している大淀が持っていられるものではない。

 

『近くに叢雲さんはいますか?』

「ええ、ここに」

 

 大淀は問いに答えず、叢雲の名前を出した。彼女が返事をすれば、一呼吸の間を置いて、

 

『初雪さんはこちらにいます』

「……遠いと思ったら、二人共鎮守府にいたのね」

『そうです。……さ、初雪さん』

 

 カチャリと鉄の音がした。おそらく大淀から初雪へ端末が渡されたのだろう。

 

『……ん。さっき工廠で目が覚めた。建造されたばかり』

「……建造?」

 

 彼女の言葉に、不穏な空気が漂った。

 私達は、あの深海神姫を倒して、そのエネルギーで過去へと跳んだのではなかったのか。

 なぜ、建造などという単語が……?

 

『……ただ時間を移動し、跳んだにしては、私達は些か綺麗すぎると思いませんか?』

「たしかに、艤装も砲も無事デスネ」

 

 金剛が腕を広げて自身の体を見せれば、それぞれは改めて自分の状態を確認した。

 深海神姫との戦いであられもない姿になっていたというのに、ほぼすべての傷が綺麗さっぱり治っている。金剛の言う通り、砲も艤装もまったくの無事だ。

 では、と鳳翔が言った。

 

「……未来にいた私達自身がこの時代に来たのではなく、意識や……霊魂だけがこの時代へと戻って来たと、そう考えれば良いのでしょうか」

「そのようですね」

 

 予測を肯定したのは不知火だ。

 彼女はその説を事実と確信しているらしい。

 

 根拠はある。それは先程の通信で初雪が言った、建造されたばかり、という言葉。

 未来から体ごと飛んできたはずなら、みな同じ海に来なければおかしい。そうでなくとも傷ついていなければおかしいのだ。

 

 思い返してみれば、まるで時間だけが巻き戻ったかのように、みんなは十四年前の戦いの場に……記憶の中と同じように立っていた。

 

「……吹雪?」

 

 はたと、気付く。

 先程繫がりを意識した時、もう一人、とても遠い場所にいる者がいた気がした。

 

「な、なぁに? 叢雲ちゃん」

 

 困惑した様子で近付いてくる吹雪は、叢雲達と同じようにこの時代に合った格好……艦娘・吹雪の制服を身に纏っている。

 ……だけど、違う。

 それはおかしい。

 だって彼女はこの時代には生まれていない。

 生まれていないのに、ここに存在する訳がないのだ。

 

「あなたは……司令官、なの?」

「え……? ……ぇと、あの、よ、よくわかんないんだけど」

 

 二十を超える視線を向けられてたじろいだ吹雪は、胸元で手を合わせて縮こまってしまった。

 それは明らかに彼女らの知る人間、吹雪の反応ではなかった。

 

「目の前にいるから無意識に除外していたけど……そう、そうだったわね。……過去にはもう一人、吹雪がいたわね」

「えぅ、む、叢雲ちゃん……言ってる意味がよく……わからないん、だけど」

「いいのよ。……気にしないで」

 

 気にしないで、とは言うものの、叢雲の顔は先程と打って変わって暗い。

 他のみんなもそうだ。

 吹雪が見かけた事のない他の鎮守府の艦娘も集まってきていて、みな沈痛な面持ちになっている。ついさっきまでは戦場とは思えないほどの明るさだったというのに、今は、まるで、敗戦後……。

 なんと声をかけたものかと右往左往しても、何も思い浮かばなかった。

 

『サァ、甦レ!』

 

 彼女達の気持ちがどうであろうと戦いは続く。

 霧に向こうで回復をはかっていたレ級が腕を振り上げ、再び仲間を呼び出した。

 海面が盛り上がり、巨大な影が飛び出す。

 巨腕の異形に抱かれて余裕綽々に見下ろす戦艦棲姫。黄金の光を纏う軽巡棲鬼。特徴的な棘付き帽子を失くした駆逐棲姫。そして、大きな船に乗った深海神姫。

 

『――ン? ……ナンダ、コイツハ』

 

 船を見上げたレ級が独り言ちた。

 

「そんなの、こっちが聞きたいよ」

 

 前へ出た島風がレ級へ話しかけた。彼女も少々の休憩を経て、多少疲労がとれたのだろう。顔色も良くなり、動きも鋭くなってきていた。

 頭を振ったレ級は、問いには答えずに笑みを浮かべた。

 

『……海ニ遺志ガ飽和シテイル……何故ダカ知ランガ、マダマダ戦争ハ続キソウダ』

「何言ってんの? 戦争は終わりだよ。お前を倒して、はい、おしまい」

 

 ぐっと腰を落とし、戦闘態勢に入った島風が挑発する。レ級は乗らなかった。代わりに深海神姫が船を動かし、血脈のような光を走らせて――。

 

「離脱しなさいっ!」

 

 溢れ出す光に気を取り戻した叢雲が叫んだ。

 反応した島風が瞬時に行動に移る。海面を裂くほどのスピードで前方へ飛び出し、波を蹴って飛び上がり、船の上に立つ深海神姫へと飛び蹴りをかました。

 ガァン!! 硬い物同士が衝突した音が鳴り響いた。

 

「っと! ……見た事ない奴だな」

『…………』

 

 腕を伸ばして指示を下していた彼女に避ける術はなく、もろに蹴りを受けた深海神姫は甲板を擦って後退し、しかし倒れる事無く止まった。

 

 新種の敵に注意深く観察する島風。敵の口は引き結ばれたまま開く気配はなく、虚ろな瞳は自分を映しているかさえ怪しい。

 彼女に意思はあるのだろうか。語るべき言葉を持っているのだろうか。

 ……というか、なんか、どこかで見た事あるような気がする。……お風呂場の、大きな姿見の……。

 ……なんにせよ、立ちはだかる敵は倒すだけだ。今まで通りに、最高速度で。

 キュッと甲板が鳴った。消えた深海神姫に島風は目を見開き――迫りくる拳を掴んで止めた。どうっ風が広がる。踏み締めた足のその下、甲板に罅が入り、広がった。

 速い……! ここまでパワーアップした島風でも、一瞬見失ってしまう程のスピード!

 

「……遅いね」

『…………』

 

 

 思った事と反対の言葉を口にしつつ、不敵な笑みを浮かべて、島風は冷や汗を垂らした。

 まさか自分に匹敵する速さで動く敵が出てくるなど予想もしていなかった。レ級の反応からすると、こいつの出現自体は予定になかったようだし……。

 だが、まあ、関係ない。

 

「誰であろうとやっつけるだけ。もうスピードは落とさないぞ」

『…………』

 

 二人の姿が船の上から消えた。

 そこかしこで波が弾け、水柱が立ち上がるのを見れば、高速での戦闘に入ったとすぐに理解できるだろう。

 

「アタシらは船の解体と洒落込もうぜ」

「またあんなのを撃たれたらたまんないわ!」

「周りの奴らは任せてほしいかもっ!」

 

 あの船を放っておけば、甚大な被害を(こうむ)る事になるだろう。

 島風が深海神姫を引きつけているうちに、そして仲間達が他の姫級鬼級を相手しているうちに、速やかに破壊しなければならない。

 

「なに、大丈夫よ。私達には私達の力がある」

「あんなでっかい的なら、みんなで魚雷撃てば一撃っしょ!」

「やります! 頑張ります!」

 

 船の前へ、雷撃能力を有した艦娘が集い、それ以外が他の対応に当たる。

 この時間の吹雪や、霧から吐き出されて転がってきた夕立改二も軽巡棲鬼や駆逐棲姫に向かって行ってくれた。

 時間は充分。そしてこの距離ならば。絶対に外しはしない!

 

「せー、」

「のっ!」

 

 誰かの声に、誰かが合わせた。

 発射タイミングは完璧で、次々と海へ潜った魚雷達が船へ突き刺さり、爆発していく。

 

 

「……未来に、いるのね」

 

 天高く、霧を吹き飛ばして立ち上がる巨大な水柱を前に、海水の飛沫を浴びながら、叢雲は呟いた。

 

 吹雪は、十四年後の世界にいる。

 

 ……いや、まだいない。

 初雪と同じように、時が来れば生まれるのだろう。この海のどこかに。

 大丈夫、場所ならば、繋がった自分達でならすぐに探し出せる。

 後はその時までに……。

 

「行くわよ、この戦いを終わらせに」

「何年だって付き合うわ」

「できれば、提督と……吹雪ちゃんとまた会う前に……戦争を終わらせられたらいいなって、思います」

 

 船が沈んでいく。

 高い波が円状に広がり、どこまでも波紋を送っていった。

 

「だぁーっ!!」

『――――!』

 

 遠く、空の上に放り出された深海神姫が島風に貫かれ、光と熱と風に変わった。最期の最期まで声はなく、虚ろな顔は爆炎に呑み込まれて消えた。

 

 下り立った島風は、一段と損傷を深くしながらも、滑り寄って来た朝潮と顔を合わせて頷き合うと、叢雲達の方を見た。

 

「みんなの加勢に行くよ。ついてきて」

「了解」

 

 彼女が促すのに合わせ、それぞれが別の敵へ視線を向けた。

 

「……あー、もう」

 

 それを遮るように霧の壁が蠢く。

 立ち込める濃霧の中から一つの影がせり出してきた。

 

『ヤァ』

「止まって、みんな……下がってて」

 

 レ級だった。

 さっと腕を横へ伸ばした島風が止まれば、僅かに体を斜めへ向けていたレ級は島風に向き合うと、にぃっと笑みを濃くした。

 

『誰ノオ陰カハ知ラナイガ、例エ人間ガ真実ニ辿リ着コウト、コノ戦争ハ終ワラナサソウダ』

「……どうかな。もう終わりかけかもよ」

『イイヤ。終ワラナイサ……人ガイル限リハ』

 

 そもそも、我々が生まれた理由は人が過ちを犯したからだ。

 誰に語るようでもなく、ただ一人で呟くような声量でレ級は言う。

 

『人ノ過チノ具現ガ我々ナノダ。……解ルカ』

 

 広げた腕を狭め、手を組んで、レ級はここにいる艦娘一人一人に目配せをした。

 きっと、それに意味はない。そして、意図も読み取れない。

 このレ級は、未来に生きた艦娘達の知るレ級ではないのだから。

 

『人ガ滅ビナイ限リ、海ハ嘆キ、アノ子ハ涙ヲ流ス。我々ハ消エナイ。永遠ニ甦ル』

「『あの子』……? ……訳わかんないんだけど……戦争を終わらせたきゃ、人間を滅ぼせとでも言うつもり?」

『ソウシタケレバソウスルガ良イ。モットモ、オ前ニソレガ出来ルノナラバ、ダガナ』

「じょーだん。人のために戦ってるのに、人を傷つける訳ないでしょ」

 

 ぐだぐだ言ってないでさー。

 

 音もなく構えた島風が、息を静めてレ級に言う。

 

「さっさとやろうよ」

『…………』

 

 レ級は、目をつぶると、肩を竦めて首を振った。

 呆れているのか、それともそれが今の島風の言葉への答えか。

 

『今ハマダ、オ前ヲ倒スノハヤメテオコウ。コレカラドンドン増エルゾ。艦娘モ、深海棲艦モ』

「だから、どういう意味――」

『マタ会オウ。――サラバダ』

「ちょっと、まだ話は! ……ちっ、逃げた!」

 

 一歩引いたレ級が霧に呑み込まれれば、冷たい空気が通り抜けて、気がつけば霧は晴れていた。

 

 異形の断末魔が轟く。近くで戦艦棲姫が沈んでいく。

 次々と敵が倒れ、この戦いが終わっていく。

 

 何者かがもたらしていた夜は明けて、水平線には陽が覗いていた。

 

 海の表面の、ほんの数センチに光がいきわたり、きらきらと輝いている。

 暗い海と明け方の空は、夜と朝の境界線。

 あそこが、暁の水平線。

 急速に冷めていく興奮と、萎んでいく戦場の空気。

 収縮する雰囲気に息を吐いた叢雲は、輝く陽を横目で見やった。

 

「"勝利を刻むべき水平線は――"」

 

 ……あなたがいなければ、きっと現れはしないのだろう。

 みんなで見つけようと誓った未来。もっとも重要な人間が欠けては意味がない。

 

「そうね。まずは――」

 

 ふっと笑った叢雲は、背後に立つ仲間達と、その後ろに広がる艦娘達の勝鬨を背に、昇りゆく陽を指出した。

 仲間への檄。自分への誓い。

 それは、始まりを告げる言葉。

 

「"暁の水平線に、勝利を刻みなさい"っ!」

 

 

 オオーッ!!

 

 

 思い思いの姿勢で賛同の声を上げる吹雪の鎮守府の艦娘達に、なんだどうしたと他の艦娘達が集まってくる。

 

 勝利を喜び合いながら、勝って兜の緒を締めよ、と互いを戒め合いながら、生きる喜びを噛みしめながら――。

 

 未来で救えなかった艦娘達も、ここでは元気に動く姿を見せている。

 この決戦を越えたなら、きっともう、大丈夫。

 

 まだまだ戦争は続くけど、みんなの未来には幸福な結末(ハッピー・エンド)が待っているだろう。

 

 空が青くなった。

 雲一つない綺麗な空は、艦娘達の勝利を祝福していた。

 

 

 

 

 

 

 

「綺麗な空だなぁ」

 

 

 半球状の青空を見上げた吹雪は、波に体を揺らされながら呟いた。

 耳朶(じだ)を打つ穏やかな音色にすぅっと息を吸い込めば、肺いっぱいに(しお)の香りが広がった。

 故郷の海の匂いは、自然と胸を突いて、不思議な感情を溢れさせた。

 ふぅー、と吐き出すと、喉に、感覚。

 (にわか)に粘つく、だけど爽やかな空気。この天気にぴったりの味。

 

 

「……はふー」

 

 

 もいちど空気を吸い込んで、あくびをするように大きく息を吐き出した吹雪は、空に向けていた顔を戻して周囲を見回した。

 見渡す限りの青、青、青。太陽光に煌めく白。

 知識が囁く。これは海。走るための道。敵への直結路。

 自らのテリトリーであり、敵のテリトリーでもある生命の泉。

 そして、いつかどこかで仲間達と戦った場所。

 

「……、……。」

 

 

 上下や左右に細かく揺さぶられる体に、肩に食い込む厚布。背負った艦橋(かんきょう)はずしりと重く、革の布に吊り下げられてお腹の前で揺れる連装砲は、今か今かと使われる時を待っている。

 何気なく浮かせた手が冷たい鉄に触れ、指の腹で撫でれば、痺れに似た感覚が指先に残った。

 

『キュー』

 

 可愛らしい鳴き声が耳をくすぐった。

 砲をどけて足下に目を落とせば、連装砲ちゃん達が三匹並んで見上げてきている。

 吹雪と目が合うと、揃ってびしっと敬礼した。……ヘラのような手は短く、全然頭に届いていなかった。

 

「あはは」

 

 それがおかしくて、自然に笑いが零れてしまった。

 清々しい。

 とっても、とっても、気分が良かった。

 

 できなかった事、やれなかった事。ずっと昔か、ずっと未来か。

 いつかはわからないけど、心の底から望んでいた事が、そろそろ実現しそうだった。

 

 サァッと鉄の靴が海を撫でる。

 そろりと足を前に出せば、連装砲ちゃん達はさっと退いて、吹雪の左右へ広がった。

 目をつぶり、前へ行く。

 一歩一歩、海面の滑らかな感触を足や体いっぱいに受け止めて、地球の上を歩いて行く。

 

 司令官と出会ったら、まずはしっかり挨拶しなくちゃ。

 他の艦娘と出会ったら、ちゃんと自分の名前を言わなくちゃ。

 

 考えるだけでわくわくした。

 

 嬉しさが爆発しそうになって、ぎゅっと胸を押さえると、ドキドキが手に伝わってきて、体中が震えて、なおさら嬉しくなってしまった。

 

 人と、戦える。

 人の(もと)で、戦える。

 きっとここはそういう世界。

 

「……?」

 

 ピリリと端末が鳴った。

 左腕に括りつけられた情報端末、カンドロイドが無線の受信を知らせている。

 慣れた手つきでボタンを押せば、光化学画面が浮かび上がり、ぷかぷか丸のシルエットが泳ぎ出した。

 

「……ふふっ」

 

 画面の向こうから、何人もの艦娘達の声が聞こえた。

 それは生まれたばかりの吹雪には馴染みがなくて、だけど、ずっと一緒にいたから、よく知っている懐かしい声。

 

 霧が世界を覆う。

 海がざわめき、暗闇のとばりが下りてきて、吹雪は笑顔で先の見えない海上を歩いた。

 

 その先に、名もなき艦娘がいた。

 探し人には未だ出会えず、長い間、ずっと涙を流している。落ちた雫は海面に染み渡ると、深海棲艦となってどこかへ向かっていった。

 

 吹雪が歩んで行けば、濃霧の壁が進行を妨げる。

 ぬるりと出てきたのは、黒衣のコートを纏った戦艦レ級。

 狂気的な笑みを浮かべ、名もなき艦娘を守るように、もしくはとらえているかのように、吹雪の前に立ちはだかった。

 

 異形の尻尾が鎌首をもたげる。

 大きな口を開閉させて、ギザギザの歯を凶悪に光らせ、ガチガチと開閉して白い息を吐いた。

 

 異形の頭の両側にある砲身が吹雪に狙いを定めた。

 吹雪は、ただそれをじぃっと見つめていた。

 

 

「こんのっ大馬鹿ぁ!」

 

 

 ぼふんと霧を抜けて叢雲が飛び込んできた。

 着水間際に砲撃してレ級の攻撃を中断させると、足を前に出して海面を擦って急停止。吹雪に向き直ると、般若の如き怒り顔で詰め寄った。

 

 

「どうして敵の方へ向かっていくのよ、あんたは!!」

「相変わらず、突拍子もないったら!!」

 

 霧を抜けて満潮が滑り出てきた。抱えた連装砲で狙いを定め、こちらへと指を向けてきていたレ級へと正確に砲撃した。余裕の表情で砲弾を受け入れたレ級の表面だけが爆発する。

 

 水飛沫が上がった。

 次々と霧を抜けて、旧知の艦娘達が姿を現す。

 

「まだ、寝ぼけてる?」

「ふ、吹雪ちゃん、しっかり!」

 

 垢抜けて、垢抜けきれない初雪と、少し威勢の良くなった潮が吹雪の両脇を固めた。

 

『…………』

「どうやらあいつ、魚雷が欲しいらしいわよ?」

「海に還してやりましょう」

「レディーの情けよ! 一撃よ、一撃!」

 

 勇ましく、威勢が良く、頼もしい。

 大井に不知火に暁と、そんな仲間達が吹雪の下に再び(つど)った。

 

「主砲で片、つけるのもいいんじゃねーか?」

「36.5cm連装砲が火を噴きマスヨ!」

 

 火力自慢の摩耶と金剛が主砲をレ級へ向ければ、レ級は腕を振り上げて仲間を呼び出した。

 

 霧が割れ、船が進んでくる。

 言わずと知れた深海神姫が、船の先端に足をかけ、光の無い瞳で見下ろしてきていた。

 

「今度は手心なんて加えませんから」

「距離をとって、アウトレンジ、決めます!」

 

 鳳翔と瑞鳳は、弓を手にして下がり始めた。

 予想通りの増援に、こちらはばっちりと対策済み。

 光線なんか撃たれる前に、船はズタボロ確定だ。

 あわよくば深海神姫も撃破したいところ。

 だけどそこまでは望まない。

 

「こっちには秘密兵器がいるんだぜ!」

「かもーん、かもっ!」

 

 囃し立てながら漣と秋津洲が道を開ければ、霧の中を小柄な影が歩んできた。

 島風改二。それから、彼女の強力なサポーター、朝潮。

 

「……ここで会ったが! ……何年目だっけ」

「……十四年目です、シマカゼ」

「そそ、じゅーよねんめだ、覚悟しろ!」

 

 吹雪の傍までやってきた島風は、朝潮と漫才を繰り広げながらレ級に指を突き付けた。本人的にはばっちり決まった登場だ。格好良いと思ってるのは吹雪と朝潮だけだった。

 

『海域、封鎖完了いたしました。他の邪魔は入りませんよ』

『島風……みんな、頼んだぞ!』

 

 未だ繋がった通信からは、大淀の声が流れてくる。その後に続いた男性の声は……。

 吹雪にはすぐにわかった。きっと彼が、自分の司令官になる人だ!

 

「みんな!」

 

 思わず声を上げてしまえば、呼びかけた先の全員の視線が集まった。

 

「準備は()ーい?」

 

 吹雪は、視線程度には臆しない。

 強大な敵にだって怯まない。

 やっと欲しかった未来が手に入ったのだから。

 

「抜錨よ!」

 

 彼女が号令をかければ、ここがどこであろうと誰もが声を返した。

 

 今はもう、彼女は人間ではないけど。

 司令官を求める、普通の艦娘に戻ってしまったけれど。

 それでも彼女はみんなを率いる事ができる。

 だって彼女は、素晴らしい旗艦でもあったから。

 

『……サァ、来イ!』

 

 どこか諦め混じりで叫んだレ級の声が、不気味な響きを伴って木霊する。

 吹雪達を追い越して行った艦載機が深海神姫の操る船へと向かっていき、吹雪達もまた、艤装を駆動させ、前へ前へと進みだした。

 

 

 

 2038年8月1日。

 どこまでも晴れた賑やかな空は、目前の水平線へと続いていた。


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