夏休みもうすぐ終わっちゃう(〒○〒)
夏が終わると食欲の秋!
食べて食べて食べまくりましょう!!
→そして太る
俺はついに播磨に入った。
信長様から「中国管領」という役職をもらい受けた。播磨以西切り取り次第、という権限を持っている。つまり播磨より西、中国地方で織田家に味方した武将は羽柴軍の部下に組み入れる事ができ、手に入った領地は好きなように羽柴家の領地にして良い、という権限だ。
前もって味方にした小寺官兵衛(後の黒田官兵衛)の居城姫路城を羽柴軍の本拠にし、播磨の豪族どもから人質を提出させた。
人質というのは例えば播磨の豪族が織田から毛利に寝返らないように豪族たちに提出させるものだ。
もし豪族が毛利に寝返ったら人質は殺す。
残酷な戦国の慣わしの一つだ。
さらに俺は但馬(兵庫県北部)に攻め入り、砦を築き、小一郎を城代として配備した。
毛利の同盟相手の宇喜多直家が攻撃してきた事もあったが小寺官兵衛と竹中半兵衛が連携で打ち破った。
そして俺は播磨に出陣して一か月で播磨、但馬を平定してしまった。
俺はいったん今信長様の居城が建設中の安土(現在の滋賀県近江八幡市)へ戻った。戦況報告と軍資金の調達の為である。
まだ情勢が不安定な播磨から離れるのは心配だが軍資金がないんだから仕方ない。
だがここからが辛かった。
軍資金が集まらないのである。
これでは播磨にも戻れない。
留守をしている小一郎の報告では、毛利や未だに信長様に抵抗している本願寺が播磨の豪族どもを織田家から離そうとしているらしい。
さらに播磨最大の豪族、別所家が寝返るかもしれないというのである。
そうこうしている内に年が明けてしまった。
小一郎はよく守っている。
だが羽柴軍の主力は俺のところにいるからどうなるかわからない。
そう思っていた矢先、こんな情報が飛び込んできた。
毛利が播磨進撃の命令を発令。五万の軍勢が繰り出される予定。
これは予想以上だ。
今播磨に五万の軍勢で攻めてこられたらたちまち播磨の小一郎らはやられちまう。
これを機に別所家が寝返ったら最悪だ。
しかし毛利が播磨に攻めてくると聞くやいなや信長様は俺に巨額の軍資金と六千の兵をくれたので、晴れて俺は播磨に戻ることができた。
しかし毛利はなかなかやって来なかった。
毛利の事情に詳しい小寺官兵衛の話だと毛利の同盟相手の宇喜多直家が織田家に寝返る動きを見せ、それの対応をしているという。
いや〜何はともあれ危機が去って良かった〜
と思ったのも束の間ついに別所が我々に反抗してきた。
別所の本拠三木城に籠城し、徹底抗戦を挑んできたのだ。
三木城では以前から兵糧や武器を集め、城の堀を深くし、柵を築いて以前から織田から寝返るつもりだったらしい。
それだけに三木城を攻めるのは厄介だ。
相手は準備万端。こっちは以前から三木城を警戒していたがいきなり三木城が挙兵したも同然だ。
力まかせで攻めても三木城は落とせないだろう。
さあどうしたもんか………。
とりあえず羽柴軍の家来たちを呼び、軍議を開いたがなかなか良い案が出なかった。
そんな中、小寺官兵衛、竹中半兵衛の二人が進み出て言った。
「三木城は力で攻めても落ちません。長期戦を覚悟しなければならないでしょう。」
「そこで私たち二人は考えました。」
どうでもいいがこの二人は仲が良い。
今まで羽柴軍の知恵袋として働いてきた半兵衛と、毛利の情報に明るく、巧みな言葉で播磨の豪族を織田家の味方につけていく官兵衛。
同じ頭脳派の二人は比較的戦闘型の人間がひしめく羽柴軍の中で気が合うのだろう。
「三木城を兵糧攻めにするのが良いと思います。」
兵糧攻め………。
敵の城を包囲し、外部との連絡を絶って城内の兵糧をなくし、敵の食べるものを無くしていく戦法である。
腹が減っては戦はできぬ、という言葉があるがまさに敵をそんな状態にしてしまうのである。
おまけにこっちは城の周りにいるだけだから損害は少ないというまことに素晴らしい戦法なのである。
ふ〜む………
「兵糧攻めに反対する者はあるか。」
………
皆反対するどころか二人の知恵に関心するばかりだ。
「よし!三木城を兵糧攻めだ!」
羽柴軍は三木城を包囲した。
ただ兵糧攻めは敵の兵糧が無くなるのをひたすら待つ戦法だからやたら時間がかかる。
しかし一応戦の途中なので遊ぶ訳にはいかない。
進軍の途中で足止めされていた毛利の大軍は羽柴軍が占領した城、上月城のみを落として満足し引き上げてしまった。
俺はこの機に乗じ毛利の同盟相手でありながら毛利を足止めした張本人宇喜多直家を織田陣営に引き入れようとした。
宇喜多は前々から織田に寝返ろうか迷っていたので味方に引き入れるのも不可能じゃない。
小寺官兵衛と竹中半兵衛の仲良しコンビと宇喜多家に商売で出入りしている堺の商人小西行長とで宇喜多寝返りの策を練り、その実現に向け頑張っていた。
何しろ宇喜多直家はその辺の豪族とは訳が違う。
領地約五十万石、動員できる兵二万人を有するれっきとした大名なのだ。
俺は全てうまくいくと思っていた。
毛利とは全く違うところから危機がやってくるては思わなかったのだ。
「摂津(今の大阪、兵庫県の一部)伊丹城主荒木村重謀反!八千の兵と共に城に立て籠もっています!」
この報せが届いた時、俺や羽柴軍の皆は固まっていた。
もしこれが本当なら羽柴軍は危機だ。
摂津と言えば播磨の東。
西に毛利、近くに別所、そして東に荒木村重と敵がいたら羽柴軍は身動きが取れない。そればかりか挟み撃ちにあう危険もある。
「恐れながらわたくしが荒木殿を説得してまいりましょう。」
黒田官兵衛(官兵衛の主君小寺政職が反乱に加担した為、小寺官兵衛は姓を黒田に改めた。)は胸を張って荒木のもとへ説得しに行った。
しかし官兵衛は説得に失敗し牢につながれ、荒木との戦が終わるまで会うことができなかった。
しかし荒木村重の謀反に同調した人間が少なく高山右近などの摂津の大名が謀反に加担しなかった為、羽柴軍と信長様との連絡が途絶えることはなく、ひとまず羽柴軍の危機は去った。
その後しばらく荒木村重は伊丹城に籠っていたが荒木村重はなんと城を捨てて五、六人の供を従え逃げ出しまったという。
その後しばらく、と簡単に言うがこの間羽柴軍の中で大変な事が起きた。
羽柴軍の知恵袋竹中半兵衛重治が病死した。享年三十六。
実を言うと半兵衛は元々病弱で何度か床につく事もあった。
俺は前、半兵衛に
「京都で治療してきたらどうだ?」
と声をかけたが
「武士は戦場で死ぬもの。最期まで秀吉様について行きます。」
と言って頑なに陣を離れようとしなかった。
「半兵衛が生きている間は悩みを相談すると何でもらちがあいたから世の中に難しいことがあると思わなかった。」
俺はそう呟いた。
半兵衛よ、ありがとう。
いつの間にか俺の目は涙で溢れていた。
荒木村重が城を脱出したその二日後、俺は播磨から安土(信長様はこの四カ月程前、本拠を安土に移した。)に戦況報告に行った。
前々から寝返るよう説き伏せていた宇喜多直家がついに織田側についたのである。
「信長様、備前(今の岡山県東南部)の宇喜多直家が寝返りました!」
と俺は胸を張って報告した。
半兵衛の死後もその死を無駄にはすまいと頑張ったからなぁ。
五十万石の領地が戦わずして手に入ったのだから信長様はたいそうお喜びに………
ならなかった。
「猿!!いったい誰の許可を得てそんなことをしたんだ!!わしの意見を聞かず勝手な真似をしおって!!今すぐ播磨に帰れ!!」
と追い返されてしまった。
話によると明智光秀殿が倒した敵、波多野秀治も命を助ける、という条件で降伏したものの信長様は許さず磔にされたという。
「信長様は何を考えているのやら………」
俺にはさっぱり分からなかった。
「一度逆らった相手は許したくなかったんじゃないの。」
小一郎はそう言った。
そんなもんかなぁ〜
この時は俺が三木城から出撃してきた敵を撃破したからその功で許され宇喜多の帰順も許可されたから良いものの………。
信長様は自分のことを神だと思っているから時に残酷だ。
それはさて置き三木城ではついに兵糧がなくなったらしく城主の別所長治とその一族が切腹するのと引き換えに城兵の命を助けてくれと手紙が届いた。
こうして別所一族は皆自害し、三木城は開け渡され三木城での戦いは終わった。
実に一年十カ月もの長い戦いだった。
さらに三木城以外にも破った敵がいた。
石山本願寺である。
本願寺の顕如が寺から退去することによって十年に及ぶ本願寺との戦いの幕が閉じた。
俺は勢いに乗って播磨、但馬を改めて平定した。
俺は黒田官兵衛の居城、姫路城に在城し、小一郎を但馬に進撃させ、平定した。
さらに俺は因幡(今の鳥取県東部)、伯耆(今の鳥取県西部)に侵攻。
今やもう怖いものなしだ。
と思っているといつもなんか怖いことが起きるんだけど今回もまた起きたのであった。
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