学生にとって夏休みは神様からの授かりものです!(とにかく嬉しいってこと)
暑さに負けず頑張りましょう!
姉川の戦いで勝利したとはいえ、浅井も朝倉も滅びていない。
さらに信長様に敗れ、四国に逃げていた三好三人衆が畿内にまた現れ、摂津に砦を築いた。
さらに、おそらく信長様の人生で一番強いであろう敵が立ちはだかった。
石山本願寺である。
全国の一向宗の総本山である石山本願寺は前々から信長様のことをよく思っていない。三好三人衆も、今ではすっかり信長様に反抗している足利義昭殿も、この石山本願寺が味方につけば、信長様に勝てると思っている。
この石山本願寺は、全国の一向宗の寺を拠点とする一向宗の独立国のようなものをつくっており、中には加賀(今の石川県南部)の一向宗のように加賀一国全部を一向宗の信者が治めているところもある。
本願寺は信長様の天下取りの邪魔でしかなかった。
おそらく摂津の三好三人衆の砦が落とされたら次は石山本願寺だと思ったのだろう。
信長様が三好三人衆の砦を囲み、一方で本願寺を包囲するように武将達を配置した時、本願寺十一世法主顕如はついに門徒に檄を飛ばし、挙兵した。
まぁ本願寺は寺とは言っているが、実際は大名のようなものだった。
坊主のくせして政治に口はだすし、僧が武装して兵士として戦っていて、一向宗の過激派はもうすでに浅井などの大名と一緒に、信長様と戦っていたのだ。
本拠の本願寺には塀も、柵も、戦の時に使う櫓も、堀もあり、もはや城同然だった。
そんな一般の大名にも引けを取らない本願寺が挙兵したのだから反織田勢はさぞ勇気づけられたに違いない。
さらに京の足利義昭殿は全国の大名に向け手紙を送り、信長追討を呼びかけた。ついに、足利将軍が本格的に信長様に反旗を翻したのである。
これに呼応した大名は武田信玄、朝倉義景、浅井長政など。
これに加えて本願寺顕如、そして浅井と新しく同盟を結んだ六角義賢までもが信長様に反旗をひるがえし、信長様を苦しめた。
世に言う信長包囲網である。
浅井、朝倉がまた懲りずに攻めてきた。
この時は森可成(森蘭丸の父)などの織田軍の武将が討ち死にし、京の近くまでやってきたこともあった。
三好三人衆は摂津の砦をますます強固にしていく。
六角義賢は親子で南近江を荒らす。
織田家の本拠、尾張の喉元である長島(三重県桑名市)でも一向一揆がおこり、信長様の弟君が戦死するという事態も起こった。
信長様はひとまず六角義賢と和睦したり、本拠越前での豪雪により、物資の輸送が難しくなった朝倉と和睦したりしたが、事態は大きくは変わらなかった。
俺も近江の一向一揆を蹴散らしたりしていたが、近江だけでも浅井、六角、一向一揆など多くの敵がいるのだ。
織田家単独で、ここまで多くの大名を相手できるだけでも奇跡なのだが、なにぶん敵が多すぎるのだ。
しかし、翌年、俺の担当の近江で進展があった。
浅井の家来磯野員昌が降参し、城を明け渡したのだ。
読者の中には覚えている方もいよう。姉川の戦いの時、織田軍の陣を十一段目まで突破してきたあの磯野員昌である。
これで焦ったのか浅井軍が俺の守る横山城を攻めてきた。
まず俺は城にたっぷりと兵を残し、百騎ほどを連れて山の裏にまわった。そこに待機していた味方と合流し、合計五、六百人で敵五千人に突撃した。
敵には一揆勢も含まれていたが、追い崩し、浅井は兵を撤収した。
このように近江方面は俺がよく食い止めていたが、信長様の敵は近江にだけいるわけではない。特に一揆勢は大いに信長様を苦しめている。
俺と浅井との戦いの少し後に信長様は伊勢長島の一向一揆と戦った。
伊勢長島というところは信長様のもともとの本拠、尾張に近く、願証寺という寺を中心に付近一帯を要塞化していた。
この伊勢長島の一向一揆との戦いでは織田家筆頭家老柴田勝家様が怪我をし、柴田様が撤退した後一揆勢と戦った氏家卜全という男は討ち死に。織田軍は敗北した。
近江で戦果があれば長島で敗北する、というように、事態は文字通り一進一退なのだ。全くキリがない。何かよっぽとのことがない限り、事態は動く気配を見せないだろうなぁ、と思ったものだ。
しばらくして信長様は近江にやってきて、俺の守る横山城に信長様は入った。
「これは信長様、よくぞおいで下さいました。」
「うむ」
いつにもまして信長様の顔が険しい。
「ところで、なぜいきなりこちらへ?」
「うむ、まぁ………」
信長様は他人に自分の考えをあまり言わない。些細なことならともかく、重要な戦略などはたとえ家来にも言わない。桶狭間の戦いなどでもそうであったらしい。今回も、近江でなにか作戦をするのであろうか。
しばらく横山城にとどまった信長様は丹羽長秀様(信長様の重臣)の守る佐和山城に入った。
「半兵衛、どう思う?」
「信長様のことでございますか?」
「そうだ。」
「 ………今回のことはそれがしにも分かりません。」
「そうか………」
信長様は昔からよく分からない人だ。
その不思議な雰囲気が、「うつけ」と呼ばれる所以なのかもしれない。
しばらくしてから信長様から手紙が届いた。
なんの御用かと思いながら手紙を見ると、そこにはとんでもないことが書かれていた。
これより比叡山延暦寺を焼き打ちする。
木下藤吉郎秀吉も焼き打ちに加わるように。
比叡山延暦寺といえば鎮護国家の大道場。当時の仏教界の頂点に君臨し、伝教大師(最澄)が開山して以来、数々の名僧を輩出した寺である。僧兵も蓄え、あの藤原道長でさえ手がつけられなかった寺でもある。
だいたい延暦寺は信長様とは直接戦いはしていない。なぜその延暦寺をいきなり焼き打ちに………
とりあえず俺は比叡山の麓の信長様のもとへ駆けつけた。
そして信長様に問い詰めようとした。
信長様の陣に近づくと何やら話し声が聞こえた。
覗いてみるとそこには信長様と明智光秀殿、佐久間信盛殿(両方信長様の家来)がいた。
「信長様、この権威ある延暦寺を攻めると信長様の評判が下がります。どうか思いとどまってください。」
「そうです、延暦寺の僧は皆殺すに惜しい人材ばかりです。延暦寺の宝物も焼き打ちしてしまえば失われます。」
家来二人が懸命に信長様を諌めている。
「ええい黙れ!!もう決めたことだ!何としてもあの寺を焼き打ちにしてくれる!!」
信長様の顔はみるみるうちに鬼のようになっていく。
まるで仏様とは真逆の顔だ。
「そもそも今回のことは延暦寺が悪いのだ!わしに味方すれば延暦寺には領地をもとどおり還すといった!そしてもし僧だから誰か一方に味方することはできないというのであるならば浅井にも朝倉にも味方しないでほしいといったんだ!」
「………」
「それなのに延暦寺は浅井、朝倉に味方した!!」
「しかし延暦寺は浅井、朝倉には避難場所を提供しただけではありませんか!」
「黙れ佐久間!おぬし前々から気になっていたが調子に乗り過ぎじゃ!」
バシッ!
まーた信長様が家来を殴った。
「………!!」
佐久間信盛殿はあきらめたのか黙って信長様の陣を出てった。
明智光秀殿はまだ粘り強く信長様を説得している。
その時信長様はこんなことを言い放った。
「光秀は知らぬらしい。仏像は木と金でできているのだ。」
「………!!」
一瞬の沈黙………。
光秀殿は殴られはしなかったが、信仰心の強い彼にとっては殴られるよりも衝撃的な発言だったに違いない。
ついに光秀殿も信長様の陣を出てった。
俺なんて出られる幕はなかった。
その後、延暦寺の仏堂、神社、僧坊、経蔵を一棟も残らず、一挙に焼き払った。
比叡山はことごとく灰と化し、僧はもちろん女子供にいたるまで切り捨てた。
信長様の気持ちはよく分からない。
天下を取るにはこれほど残酷なことをしないといけないのか。
どうすることもできないこの気持ち。
武士とはなんと辛いものなのか………
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