第1話 結代雅季
国立魔法大学付属第一高校。
日本に九校しかない、魔法を学び磨く為の高等学校。
入学式が行われる今日。胸元に八枚の花弁をあしらった真新しい制服を纏った一人の少年が、その魔法科高校へと歩いていた。
発達している現在の交通機関。電車の代替として普及したキャビネットを使えば、『第一高校前』という文字通り高校のすぐ目の前まで楽に移動できる。
だというのに、この少年はゆっくりとした足取りで、顔を上げながら静かに歩いていた。
顔を上げたまま歩く少年の視線の先には、淡紅色の美しき花が咲き誇っている。
桜。
春の季語の代名詞とも言える、見事に咲き誇り、瞬く間に散っていく花である。
少年が歩く道は桜並木。
桜を見上げながら歩む足取りは実にゆっくりだ。
第三者がいればこのペースで遅刻にならないか心配になるぐらいだが、入学式まで二時間以上も残しているので全く問題なかったりする。
のんびりとした様子で花見を楽しんでいる少年。
身長は百七十センチメートル程度。
少年の年齢からすればおおよそ日本人の平均といったところだが、どこか幼さが残った顔つきが、未だ『少年』であるという印象を醸し出している。
――ふと、少年は足を止める。
風が吹き、散りゆく桜が少年を包み込む。
――瞬間、少年の雰囲気が一変する。『少年』から、厳かなる『何者か』へ。
「もろともに、あはれと思へ、山桜。花よりほかに、知る人もなし」
小さく口ずさんだ一首の和歌。
かつて僧侶が山奥で桜を見たときに詠んだ歌だ。
直後、少年は僅かに口元を歪める。
それは嘲笑か、或いは憂いか。
「現世の花では、今や知らぬ、か。もはや知るは――のみか」
吹き去った風が『彼』の最後の言葉を覆い隠し、残花が通り過ぎた後、その身は再び『少年』へと戻っていた。
視線を上から前へと戻し、少年は再び歩み始める。
少年の立ち去った後、後には舞い散る桜と、目に見えぬ世界に刻まれた『彼』の単語の余韻だけが残される。
風が隠した其れは――。
――『幻想』
やがて、少年は魔法科高校の門を潜る。
入学式が行われる講堂へ向かう際、中庭のベンチに座って読書をする少年とすれ違う。
一つの邂逅。
『社会』に生き『現実』に立ち向かう少年と、『世界』を知り『幻想』を紡ぐ少年。
司波達也と、結代雅季。
二人の最初の交叉は、互いに意識せぬまま、過ぎ去っていった。
新入生はその日は入学式のみで終わりだ。
入学式は滞りなく終わると、雅季はそのまま帰宅することを選んだ。
雅季の交友関係は広い。
中学校時代の友人からそのままの通り「雅季の交友関係は広すぎる」とまで評されるほどだ。
評した当人は知らぬことだが、人だけでなく妖怪や神様にも知人友人がいるのだから強ち間違ってはいない。
評された方は「結代だからこそ、縁を尊ぶのは当然のこと」と思っているが。
その交友関係の中には、同世代の魔法師も幾人かいる。
もしかしたら一高に入学しているかもしれないのでそのまま学校に残り、知人を探すなり新しい縁として友人を作っても良かったのだが、生憎と今日は用事がある。
駅からキャビネットに乗り込んだ雅季は、配布されたIDカードを片手で弄びながら、改めて自身の右胸に縫い付けられた八枚花弁のエンブレムを怪訝そうに見る。
それは間違いなく魔法科高校の一科生を表す紋章。
(何で一科生なんだろうな?)
合格通知が来た段階で学校側に申請を出しておいたのだが。
(……まあいいか。そういえば、あの新入生総代――)
思考を切り替えて、ふと思い出すのは入学式。新入生の代表として壇上に上がった少女。
(ちょっと似ていたなー)
脳裏に思い浮かんだ、おそらく今日も会うことになるだろう知人と似ていたことをボンヤリと思いながら、結代雅季は『外の世界』の住まいである結代東宮大社へと帰っていく。
そして、神社の本殿外陣から、結代雅季は自らを『幻想』へと分つことだろう。
何故なら、今日
同時刻、魔法科高校の生徒会室では、生徒会副会長である
ちなみに服部の名前について、学校へは「服部刑部」で届出されているので、サインが必要な時は服部刑部で問題は無い。
まあ、どうでもいいことである。
「会長、どうして二科に遠慮なんかを」
「仕方ないでしょ、ノーアポだったんだから。それとはんぞーくん、生徒会役員としてそれは問題発言よ」
敬愛している先輩にそう言われてしまえば、服部としては何も言えない。
結果、彼は「失礼します」と一礼して引き下がった。
尤も、その顔は納得など到底していない顔であった。
本来なら今ごろは新入生総代である司波深雪に生徒会への勧誘を行っているはずであった。過去形なのは、それが実現しなかったためである。
服部からすれば、彼女自身に外せない用事があるのなら仕方がない、真由美が言ったとおり事前にアポイントを取っていなかったこちらが悪いのだから。
だが「二科生である兄が妹と一緒に帰りたいから」という理由ならば別だ。
更に服部の個人的な感情として、それが生徒会長たる七草真由美の頼みなら尚更だろうと強く思っている。
ちなみに本当は「一科生である妹が兄と一緒に帰りたいから」の方が正しいのだが、服部の主観では逆に見えたのでそれが誤解を生んでいた。
(一科生だから、二科生だから、なんていう選民思想は何とか拭い去りたいけど、染み付いた意識は中々拭えないわね)
納得など欠片もしていない服部の様子を見て、真由美は内心で憂鬱な溜め息を吐いた。
(まあ、はんぞーくんが苛立っているのもわかるんだけどね)
今年の新入生は、服部のような認識を持っている者たちの従来の価値観を覆す人物が二人もいたのだから。
一人目は司波深雪の兄、司波達也。
入学成績、七教科平均が九十六点。特に魔法理論と魔法工学については合格者の平均点七十点を大きく引き離して文句なしの百点だ。当然、入学者の中での筆記試験の成績は首席だ。
もし筆記試験も含めてクラス分けが決まるのだったら、間違いなく彼は一科生にいただろう。ただ実技が苦手、というだけで彼は二科生にいる。
そしてもう一人、おそらくこっちの方が、服部が無意識に苛立っている原因の割合は大きいだろう。
一年A組、結代雅季。
結代神社という有名な神社の神職を代々務めている家系の直系。
だがそれよりも、結代雅季といえば最近流行の
入試の総合成績は九位。
だが実技では二位、一位である司波深雪の次点である。
総合成績が九位なのは、筆記試験の成績が芳しくなかったためだ。特に魔法理論では独特な色が見られたせいで教師陣は採点に随分と苦労したらしい。
とはいえ実技の面で言えば文句なしに一科生が確実の優等生――だというのに。
(まさか自分から二科生を希望する子がいたなんてね)
結代雅季は合格通知が届いた後、学校側へ二科生を希望したのだ。
驚いた教師陣が申請書の動機欄を見ると、「卒業後の進路として魔法科ではなく神道学科を希望するため」と書かれていた。
最初、教師陣は訳が分からなかったが、少し考えると彼の本意を理解し、再び驚愕に目を見開いた。
魔法科大学側のノルマとして大学合格者百名を出さなければならない高校側だが、魔法師不足により二百人を教えられるほどの教師陣を揃えられない。
その為、百人は必ず合格させる苦肉の策として、誤解から始まった二科生制度をそのまま採用している。
だから、結代雅季は二科生を希望したのだ。
「自分は魔法科大学に行かないから、一科生になる必要はない」と。
つまり彼は一科生と二科生を才能の差ではなくただの学校側の都合として認識しており、教師陣は間違っていないが本当にそんな認識でいる生徒がいることに驚いたのだ。
教師陣は対応について話し合ったが、結局は一科生として彼を入学させた。
きっと在学中に進路相談という名目で魔法科大学の入学を薦めるのだろう。学校側としても彼のような優秀な魔法師はそう簡単には手放せない。
服部の無意識な苛立ちは、雅季のその認識が原因だ。
それは、自分たちの誇りが彼にとっては取るに足らないものなのだと宣言したようなものだから。
だが服部には許せない価値観でも、真由美にとっては歓迎する価値観だった。
むしろ真由美は、魔法をそういった目で見ている雅季だからこそ、『
(司波達也くんに結代雅季くん。二人がみんなの意識改革の切っ掛けになればいいんだけど)
折角の逸材が二人も入学してきたのだから私の在任中には何とかしたいなぁ、と真由美は心の中でそう独り言ちた。
入学式の翌日の早朝、小高い丘の上に建てられた「寺」に、司波達也と司波深雪の兄妹の姿があった。
達也が体術の師匠である忍術使い・九重八雲との稽古を終えた後、達也、深雪、九重の三人は縁側に腰を下ろし朝食と休憩を取っていた。
「先生の忍術が由緒正しいものだということは重々承知しておりますけど、気配を消して忍び寄ることは伝統とは違うことだとお兄様も思いませんか?」
話題はここへ来たした時の一幕、いつものように九重が気配を消して深雪に話しかけた時のことだ。
「まあ、『忍び』だからといって会う人全員に忍び寄る、なんて伝統は聞いたことがないな。そこのところを師匠はどうお考えですか?」
「深雪くんにも言ったけど、『忍び』に忍び寄るなというのは難しい話だよ。水の中にいる魚に泳ぐなと言っているようなものだね」
「……あくまで伝統ですか」
「伝統だね」
いけしゃあしゃあと言い放つ九重に、達也と深雪は苦笑いを禁じ得なかった。
「伝統と言えば、結代家の嫡男も君たちの高校に入学したね」
「結代家?」
唐突な話題の転換はおそらく意図してのことだろう。
達也も深雪も急にその家名が出てきたことに怪訝そうな顔を向ける。この時点で九重の目論見は達成されていた。
「国津神である八玉結姫を祀る結代大社の神職を代々務める一族だよ。記録によれば少なくとも飛鳥時代からは既に続いている、少し悔しいけど僕たちよりももっと由緒ある伝統の家系だね」
「それはまあ、知っていますが……」
「君たち魔法師にとっては、『
「ああ」
その名称で二人は納得したように頷いた。
達也も深雪も、結代雅季の名前は知っていた。『
魔法師の主な“用途”の九割は軍事関係であり、依然として魔法師は兵器としての役目を負っている。
達也は魔法師を軍事的必要性から経済的必要性に変えることで、魔法師の地位向上を目指している。
それとは全く別の点、エンターテインメントという観点で魔法師の用途を見出した人物こそが、当時十歳だった結代雅季だ。
最初は結代大社の神楽の時、演奏の最中に雅季は魔法を駆使して幻想的な光のイリュージョンを生み出した。
派手ではなく荘厳さを是とした光の魔法は、参拝客たちを古の神々の世界へと誘い、終わった時には参拝客全員の心を奪っていた。
次の舞台は彼の知人のバンドのライヴ。
その時のライヴこそが、音楽と魔法という新しい演出効果が認められた瞬間だと今の音楽情報誌は記載し、大げさな表現が好きな別の情報誌は「伝説の夜」とも呼んでいる。
以後、音楽関係を中心にあらゆるイベントで魔法師が引っ張りだこになる状況が今も続いており、『
娯楽という身近なところで魔法師を知った人々の間では魔法師への偏見も無くなりつつある。
国防上の理由から魔法師の就職先は未だ軍事関係が多いが、魔法師を身近な存在へ変えてみせた結代雅季を、達也は素直に賞賛していた。
「彼も魔法科高校に入学したのですね」
「そうだよ。しかも実技の成績は二位、深雪くんの次だよ」
さり気なく言い放った九重の言葉に、深雪は目を丸くして驚いた顔を見せる。
驚いたのは達也も一緒だが、その内容は妹とは違っていた。
「師匠、なんで入試の成績をご存知なんですか?」
「何故って、それは僕が『忍び』だからだよ」
平然と何か問題あるかな、と視線を向けてくる九重に、達也は諦観の面持ちで首を横に振った。
「伝統の結代家が編み出した新しい『魅せる魔法』、いつか生身で見てみたいものだね」
俗世を捨てたにしては俗っぽいセリフを呟きながら、九重は日が昇り始めた空を見上げる。
実技第二位の結代雅季が二科生を希望したという事実は、九重八雲の口から二人に知らされることは無かった。
同じ頃――。
「あー、頭がズキズキする。鬼と天狗のタッグは卑怯だろ……」
夜まで続いた花見の席で、百鬼夜行な鬼と新聞記者な天狗の二組と成り行きで呑み比べをする羽目になった雅季は、二日酔いに陥っていた。