東方鈴奈庵は面白い。
人気投票、霊夢一位おめでとう。
無頭竜「我々を怒らせたな」
――続きはあとがきに。
八月十日の真夜中。
いや暦の上では既に八月十一日、九校戦の九日目となる日。
無頭竜東日本総支部である横浜グランドホテル最上階の隠しフロア。
夜も深けた頃合に、幹部達の部下である男は突然の呼び出しを受けてそのフロアに足を運んでいた。
夜中に呼び出された男。だが下級要員かと言えばそういうわけでもない。
むしろ次期幹部候補の筆頭、序列で言えば幹部達に次ぐ実力者だ。
そもそも下級要員のような部下は、まず間違いなくこのフロアの存在すら知らないだろう。
(この状況、幹部達はどうするつもりだ?)
当然ながら男も現状は把握しており、危機感を抱いているのもまた同じだ。
九校戦の優勝校を予想する、無頭竜東日本総支部が主催の盛大なギャンブル。
その賭博の大本命である一高が、大差を覆して再び一位に返り咲いた。
このまま一高が優勝すれば、無頭竜は東日本総支部どころか香港にある本部すら巻き込んだ大損害を被るだろう。
元より人の命すらメリットやビジネスでやり取りするような、現代の魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界。
その中でも無頭竜は香港の
それこそ幹部達の首が物理的に飛ぶだけでは済まない。下手をすれば自分達にまで責任が及ぶかもしれない。
それを思えば他人事と割り切れるようなものではない。
況してや幹部達は死ぬより恐ろしい目に合うのが確定しているのだ。
かなり追い詰められていることは男でも容易く推定できる。
「失礼致します」
男はドアをノックし、男は幹部達がいる部屋へ足を踏み入れる――。
入った直後から、強い違和感が生まれた。
わかっていたつもりだった。
理解していたつもりだった。
だが、結局は“つもり”であって、本当の意味ではわかっていなかった。
彼らがどれだけ追い詰められているか――。
円卓に座る幹部達が、今しがた入ってきた男に一斉に視線を向けた。
焦燥に駆られて顔色を青くしているわけでもない。
鬼気迫る般若の顔付きをしている者もいない。
ただ、全員が能面のような無表情。
ゾクリと、背筋が凍った。
ただ見られただけで、男は容易く射竦められた。
「……お呼び、でしょうか?」
辛うじて喉から声を搾り出す。
同じ無表情でも、部屋の隅に控えているジェネレーターとは決定的に違う。
ジェネレーターのように生気が欠けているのではない。
寧ろ、生きる者特有の雰囲気が部屋中に満ちている。
悪意という名の空気が。
「CAD検査員に紛れ込ませている工作員に伝えろ」
入ってくるなり真っ青になった部下の様子など気にも留めず、幹部達の決定事項をダグラス=黄が代表して告げた。
「本戦ミラージ・バットで、一高からの出場選手全員に『電子金蚕』を仕込め」
一高からの出場選手は二人。
三年の小早川選手と、摩利の代わりとして新人戦から本戦に出場を変更した司波深雪。
「それと――」
それ以外にも、ダグラスの命令は続いた。
「立会人のCADにも、だ」
一瞬、部下の男は聞き間違いかと思った。
「立会人というのは、大会運営委員が出すミラージ・バットの立会人、のことでしょうか?」
「それ以外に誰がいる?」
「いえ……」
冷淡な声で逆に問われ、男の背中に冷たい汗が流れるが、部下として理由を聞かなくてはならない。
今の幹部達の前で、もし命令の意味を履き違えて失敗でもしようものなら――。
「理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
恐る恐る尋ねる部下に、ダグラスは漸く表情を変えた。
「減速もできず、十メートルの高さから水面への自由落下。当たり所が悪ければ致命傷だ。それを見て、他の選手はどう思う?」
――況してや、それが同じ高校の仲間だった場合は。
口元を歪めて答えたダグラスに釣られてか、他の幹部達も静かに嗤う。
それが、もはや男にとってはおぞましい何かにしか見えない。
モノリス・コードを担当するはずだったCAD検査員が行方不明になり、モノリス・コードでの一高に対する効果的な妨害が不可能になった。
だからこそ、その為の間接的な妨害。
ミラージ・バットで一高の選手に重傷を負わせることで一高の勝利を無くすと同時に、モノリス・コードの選手達に精神的な危害を加える。
今まで以上の過激な命令。特に立会人の行動も妨害するとなれば、事故に対する運営委員の責任も免れない。
ただでさえ新人戦モノリス・コードの妨害が、運営委員会にとってギリギリの許容範囲だったのだ。
責任を問われ自分達の立場が危ういと知れば、下手をすれば運営委員の協力者達から離反と裏切りが生まれるかもしれない。
それはあまりにも拙すぎると、男は慌てて説得しようと口を開きかけて、
「もう一つ、そこにいる十四号、十五号、十六号を会場に連れて行け。裏切り者が出るようなら始末しろ」
その直前に、本当に軽く出された指示に、男は開けた口を塞げなかった。
男が懸念したことは、当然ながら幹部達にもわかっていた。
それに対する対処法は、純粋な暴力による屈服。単純にして最も苛烈なものだった。
そして、
「もしCADの工作が失敗したのなら、すぐさま強硬手段を取る」
「強硬手段、ですか?」
「そうだ。ジェネレーター四体と現地に展開している部隊に命令を下す。手段は問わん、出場する一高選手を殺害しろ」
「っ!?」
「十文字選手は難しいが服部選手、辰巳選手、それに小早川選手と司波選手ならジェネレーターと部隊の連中で殺せる。最低でも重傷は負わせられるだろう」
ダグラスの命令に、それを決定した幹部達に、男は遂に絶句した。
既に九校戦が始まるに先立ち、会場には無頭竜の実戦部隊が観客に紛れて潜伏している。
実戦部隊と言っても犯罪組織らしく、実質は破壊工作や暗殺を行うための実行部隊。
とはいえ部隊の過半数は正規の訓練を受けた元軍人、大亜連合軍の兵士だった者達だ。
武装の面から、本当の意味での実戦部隊である国防軍と真正面から戦うには分が悪いが、相手が高校生ならば殺害は可能だろう。
況してやこちらにはジェネレーターが四体もいるのだ。戦力としては充分過ぎる。
「日帝軍が出張ってくるようならば、ジェネレーターの標的を観客に変えろ。少しぐらいなら時間を稼げるはずだ」
続けて放たれた命令もまた、過激なものだった。
ダグラスの言う通り、時間を稼ぐことは出来るだろう。
ジェネレーターが一体でも観客に牙を剥けば、間違いなく会場は阿鼻叫喚の地獄へと変わる。
その身一つで人間を殺害できるジェネレーターが一切の容赦なく、単純な作業として、観客を殺戮して回るのだ。
たとえ軍でも鎮圧するまでには多くの時間と、多くの犠牲者を強いることだろう。
その間に武装した元軍人達とジェネレーターが一高の選手達を強襲する。
(だが……)
それは些か、いや本当に強硬過ぎる手段だ、
一高を優勝させるわけにはいかないのは大きく同意できる。だがここまで至れば執念ではなく妄執の類だ。或いは憎悪か。
仮にミラージ・バットの妨害が失敗した時点で、一高優勝の望みを断つには直接的な暴力しか手段は無い。
――そう、そこまでの状況に陥ったというのなら、もはや上手くいくとは思えない。
そもそも犠牲者が多数出た時点で、大会そのものが中止になってもおかしくはない状況だ。
観客をジェネレーターに襲わせるなど狂気の沙汰、どう見ても悪足掻きにしか見えない。
追い詰められて、狂った者が見せる狂気の殺戮だ。
もし大会が中止になれば、費やした工作費も取り戻せず、更に顧客に対し違約金を支払う義務も生じる。
更に大会運営委員会の協力者達も、こぞって離反するだろう。
誰だって狂人と付き合っていきたいとは思わない。男も含めて、だ。
(ああ、そうか……そういう、ことか)
そこでやっと、男は違和感の正体がわかった。
自分が相手しているのは人ではない。人の形にまで凝縮された、どす黒い悪意だ。
ここは自分の知る現実ではない。
それ以上の現実であって、現実味に満ち溢れた異界だ。
「……わかりました」
男は内心の疑問に全て蓋をして、ただ頷いた。
何よりこれ以上彼らの前に居たくなかった。
男は一礼して、無言で付いて来るジェネレーター三体を引き連れて彼らの前から退室する。
そして、幹部達からの命令を一語一句間違えることなく部下達に伝え、狼狽する部下達を気にも留めずにジェネレーター運搬用の車両の用意を命ずる。
明日、いや日付の上では今日の朝に、ジェネレーター三体を自らが会場まで運転して連れて行くと宣言して。
(狂人の相手はもう御免だ、これ以上は付き合いきれない)
男は会場入りの準備だけでなく、密かに当面の資金なども用意する。
場合によっては、そのまま雲隠れするつもりだ。
もしもCADの細工もしくは襲撃が成功し、一高が残りの競技を棄権するなり控えの選手が敗北するなら問題ない。
だがCADの細工が失敗するようなら、残りは綱渡りのような作戦だ。
一高が優勝した場合は問答無用で、あからさまな襲撃が表沙汰になり大会が中止になったとしても、無頭竜本部からの粛清は免れない。
本部への上納金の未達に加えて、工作に費やした費用、更には顧客達への違約金の支払いと信用の低下。
一高優勝の損害に比べればまだ軽いが、それでも受ける損害額は目を覆うばかりだ。
それこそ本部の、顔も名前も一切が伏せられている無頭竜の首領が直々に手を下すには充分過ぎる理由足り得る。
幹部達はその現実が認められず狂ったに違いない。
男はそう判断し、危うさを察して『逃走』という保険を用意した。
だから、だろう。
置かれた現状と過激な命令、そして如何に逃げるかという思考にばかり目を奪われ、部下の男は最後まで気付くことは出来なかった。
部下の男が退室した後、幹部達は再び向かい合う。
「わかっているな?」
ダグラスの問い掛けに、幹部達は無言で頷く。
過激な命令に、幹部達の狂気を孕んだ目の光。
だが、その光の中に、確かな怯えと恐怖が混ざっていたことに。
そして、保身という一点のみは現実性を失っていなかったことに。
彼等の狂気を突き動かしているのは、結局のところ恐怖なのだ。
死ぬよりも恐ろしい目にあうかもしれないという恐れ。
恐怖するからこそ、彼等もまた狂気に逃げた。唯一、保身のみに理性を残して。
だからこそ、彼等は怯え、恐れることになる。
人が人にもたらす恐怖とは違う、人間という種が感じる恐れ。
夏の日に、本当に起きた怪談に。
大会九日目の競技は本戦モノリス・コードの予選と、本戦ミラージ・バットの予選と決勝。そのミラージ・バットは朝八時に予選第一試合が始まり、決勝は夜七時からとかなりの長丁場となる。
その第一試合には一高から小早川選手、九時半からの第二試合には深雪が出場する。
第一試合が始まる前の早朝、達也は深雪を伴って一高のミラージ・バット選手控え室にいた。
「つまり、司波は検査時のタイミングでCADに何か仕掛けられている、と言うんだな?」
小早川が確認するように聞き返し、達也は「確証はありませんが」と言いつつも頷いた。
控え室には第一試合に出場する小早川に三年の平河という担当エンジニア。
他にも五十里と真由美の姿もある。
真由美達には既に話をしてあり、今は当事者となる小早川達に達也が代表して説明しているところだ。
「森崎の証言によれば、CADから弾けるような感覚があり魔法が発動しなかったということです。バトル・ボードでの七高の不自然な加速、モノリス・コードでの四高のレギュレーションに大きく違反する魔法。いずれもCADに細工がされていたと考えれば説明が付きます」
「そして、その狙いは何れも一高だった。そう言いたいのね、司波君は?」
「はい」
平河の問いにも達也は頷く。
ここまで来れば小早川も平河も達也の言いたいことはわかっていたが、敢えて達也はそれを口にした。
「外部の人間が各校のCADに細工を施すことなど困難、いや余程のことが無い限り不可能と言い換えてもいいでしょう。ですが、細工を施せる唯一といってもいいタイミングがあります。各校のCADは、必ず大会運営委員会に渡されてレギュレーション検査を行う、そのタイミングです」
達也の発言はあくまで推測に基づいたものだったが、推測で済ませるには説得力がありすぎた。
況してや今回の大会は、例年に比べて不自然なまでに『不幸な事故』が多すぎる。
そのことは誰もが薄々と感じていたことだ。
「運営委員会が、一高の妨害を行っているなんて……」
「理由はわかっているのか?」
平河はショックを受けて顔色を青くし、一方で小早川は怒りを顕わにしている。
対照的な反応はそれぞれの性格によるものだろう。
「流石に理由までは……」
達也は嘘を吐いた。これは真由美達にも同じく教えていないことだ。
実際には香港系犯罪シンジゲート『無頭竜』が九校戦を利用した賭博を行っているのが妨害の理由だと知っている。
だが、開示していい情報としてはいけない情報の選別を達也は弁えていた。
故に達也は動機の話題を避けるように話を進める。
「残念ながら森崎のCADには細工の痕跡は残っていませんでした。そのことから、おそらくウィルス的なものでなくSB魔法によるものだと思われます」
「SB魔法か、厄介だな」
難しい顔をして腕を組む小早川。
「それで、あたし達はどう対処すればいいの?」
小早川の代わりに、まだ顔色が蒼いがある程度は立ち直った平河が問い掛ける。
ここからは自分の役割と、真由美が一歩前に踏み出て答えた。
「検査に出したCADが戻ってきたら、すぐにCADの総チェックをしてほしいの。平河さんにはかなりの負担を掛けることになるけど、五十里君を始め手の空いているエンジニアも手を貸してくれるから」
「……わかったわ。それくらい、エンジニアとして当然だもの」
平河が大きく頷いたのを見て、真由美は小早川に視線を向ける。
「小早川さんも、気をつけて。達也君の言う通り、あくまで推測で証拠があるわけじゃないけど……」
「ああ、心配はしていない。私は試合に集中するだけさ」
小早川は敢えて強気な口調で、そう答えた。
そして時計の針が八時を示し、本戦ミラージ・バット予選第一試合が始まった。
天候は曇天。空中に投影された光球を叩くミラージ・バットの競技内容からすれば絶好の試合日和だが、現状を思えば波乱の幕開けにも思えなくもない。
競技フィールド脇のスタッフ席から試合を観戦している達也は、縁起でもないと首を小さく横に振る。
「ご心配ですか?」
それを達也の隣に座る深雪は目敏く見ていた。
「先輩達が言うには特に問題はなかったそうだから、心配は無いとは思うんだが……」
達也にしては珍しく歯切れが悪い。
実際、委員会から戻ってきたCADを、平河と五十里達がすぐさま計器に掛けて総点検を行っている。
本当なら深雪の試合前に相手の手口を知る為にも達也は点検に参加したかったのだが、五十里達が妙な気を使ってやんわりと断られたために、達也は点検に参加出来なかった。
五十里達としては担当の深雪に全力を注げるよう達也に気を使ったつもりであり、達也としては先輩達に言われては引き下がるしかない。
況してや小早川ではなく深雪のために、という動機では尚更だ。
そして平河や五十里達が出した結論は、問題なしということだった。
(だが……)
無頭竜が一高の優勝を阻止しようというのなら、チャンスはモノリス・コードとミラージ・バットしか残っていない。
得点で言えばモノリス・コードで妨害するのが最善だろうが、モノリス・コードには十文字克人も出場している。克人ならば生半可な妨害も実力で排除できる。
ならば、次善の手段としてミラージ・バットで一高を棄権に追いやり、更には他の優勝候補を蹴落として三高選手を優勝させるほうが現実的だ。
ミラージ・バットの一位に入る点数は五十点。
たとえモノリス・コードで一高が優勝したとしても、二位が三高ならば両校に入る得点の差は四十点。
九点の差で、総合優勝は三高だ。
そして三高の実力なら、モノリス・コードで決勝戦まで確実に勝ち上がってくるだろう。
(ならば、やはり妨害があるとすれば……)
達也は悪い予感を振り払うように、無意識に手を深雪の腰に回し、自然と深雪を抱き寄せる。
深雪だけは絶対に守ってみせると、心の中で固く誓いながら。
「お、お兄様……?」
隣で狼狽した、それでいて物凄く嬉しそうに身を預ける深雪と、そんな二人に生暖かい視線を送る周囲に気付く余裕は、今の達也には無かった。
達也たちとは別の場所、スタッフ席ではなく一般用の観客席で、エリカやほのか達はミラージ・バットの試合を観戦していた。
メンバーはほのか、雫、エリカ、美月、レオ、幹比古の六人。
いつもの面子、と呼ぶには欠員がいた。
深雪は選手、達也は担当エンジニア、森崎は入院中なのでわかる。
だが、そこには何故か雅季の姿も無かった。
実際に試合が始まる前、エリカ達は雅季の姿が見えないことに首を傾げていた。
「そう言えば、雅季は?」
「いや、朝から見かけてねぇけど」
「まだホテルで寝てるんじゃないの」
「昨日は大活躍でしたからね」
「でも、それを言うなら吉田君と達也さんも」
「もしかしたら、結代君は他の皆と見ているのかも? ほら、結代君って他の組にも友達が多いし」
「まあ確かに、雅季は顔が広いからね」
最終的にはほのかの言葉に、エリカを始め全員が「有り得る」と頷き、自然と納得したものだ。
そして第一試合の第一ピリオドが始まると、皆が試合に関心を向けたため、誰も雅季の所在を気にする者はいなくなった。
そう、同部屋の森崎が入院していたこと、そして出場する試合も終わったことで誰も気にかけなかったため、誰も気付くことは無かった。
昨夜から、雅季の姿を見た者が誰一人としていないことに――。
――紫様。頼まれていた言伝を頼まれていた方々へ、確かにお伝えしました。
――なら、あとは『粗品』ね。幸い“つまらないモノ”には心当たりがあるし。
第一試合の第一ピリオドが終了を迎える頃、富士の麓の道路を走る一台の車両があった。
九校戦が始まる前に、一高が遭遇した事故車両と同型の
運転手は昨夜に無頭竜幹部達から命令を受けた部下の男。
ハンドルを握る両腕のうち、左腕に汎用型CADを装着していることからわかるように、彼もまた魔法師だ。
そして、後部座席には三人の男性が座っている。
何も語らず、無表情にただ前のみを見つめる三人。
生きているのかと疑いたくなるような様子だが、運転席の男はさも当然のことのように気にする素振りを見せない。
この“三体”は、“使用者”が命令を下さない限り動くことはしない。
“それ”は呪術と薬物で全身を強化し、人間性を全て削ぎ落とし、ただ魔法を発生させるための
ジェネレーター十四号、十五号、十六号の三体だ。
未明に用意させた車で早朝に横浜を出発し、高速道路を通って富士までやって来たところだ。
男はバックミラーで後ろを一瞥する。
左右を林に挟まれた一本道の林道。後方に車両はいない。
珍しいと男は思う。九校戦の間は会場へ向かう車両がよく通る。特にこういった朝の時間帯なら尚更だ。
男の視点は後方の通ってきた一般道から、やがてバックミラーに映るジェネレーターに変わる。
身動きどころか表情一つ変えない無機質な存在に、わかりきっていることとはいえ男は薄ら寒さを禁じえない。
(さっさと“運搬”してしまおう)
三体のジェネレーターを完全な物扱いにすることで薄気味悪さを誤魔化しながら、男は思考を働かせる。
会場にいる同僚達にこの三体を引き渡した後は暫く様子見だ。
一高優勝の芽が潰えるならばそれでよし。
だが、もし妨害が失敗するようならば、粛清の嵐が吹き荒れるのは確実になる。
それに巻き込まれることなど御免被りたいものだ。
「問題は、どこに身を隠すか、だな……」
ポツリと呟きながら、男は前方にカーブがあるのを確認する。
当然、男の視線はバックミラーから前方に移る。
――自らを悪縁とするならば、決して知られぬこと、悟られぬこと。
――それが最低条件。いいわね、今代の結代。
――承知しております、玉姫様。
――でもまあ、大丈夫でしょう。神隠しの主犯がいますので。
カーブの手前に差し掛かり、男はゆっくりとハンドルを切る。
そこで、ふとバックミラーをもう一度見遣った。
そこに意味など無い、運転手の癖のようなものだ。
だから、男は最初、その違和感に気付かなかった。
――と、いうことです、紫さん。
――では、始めましょう。
――悪縁と恐れが彩る、本当に起こる夏の怖いお伽話を。
再びバックミラーで後方を一瞥する。
後ろに車両がいないことを確認して、男は前に視線を戻し。
「――え?」
違和感に気付いた。気付いてしまった。
そして咄嗟に顔ごとバックミラーに向けて、再び背後を見た。
後方に車両の姿は無く。
先程までミラーに写っていたジェネレーターの姿も、また無かった。
「――ッ!?」
身体ごと後ろに振り返る。
そこに三体のジェネレーターはいない。
少しだけ目を離したほんの僅かな間に、いなくなっていた。
「そんな馬鹿な!!」
我が目を疑い、叫ぶ。
人が突然消えることなどありえない、はずだ。
だが、現実としてジェネレーターは消えていた。魔法師である男にも全く気付かれずに。
当然ながら車内に荒れた形跡などなく、ロックされているドアも閉じられたまま。
移動する車内という完全な密室で、すぐ前にいる運転手に気づかれることなく、物音一つ立てずに蒸発する。
男は知る由も無いが、それが『ミステリー』の始まりだった。
それも『
『
男の一連の行動はパニック行動であり、一種の忘我状態だった。
その結果が、唐突な衝撃がすぐさま男を襲った。
カーブを曲がることなく直進した車両はガードレールと衝突。
衝突によって車両はコントロールを失い、更に男は身体を後ろに向けていたためブレーキを踏めず、車両は道路上でスピンする。
男は反射的に体勢を前方に向けようと振り向き。
「貴方は、神隠しを所望なのね」
助手席に、見知らぬ女性がいた――。
車両は何度も衝突を繰り返して、やがて動きを止めた。
前世紀に比べ飛躍的に進歩した安全対策により、燃料漏れや車両火災の被害は激減しており、今回もまた心配する必要はない。
それでも何箇所ものガードレールが大きく歪曲し、道路上には金属片やガラスが飛散。
SUVという車両強度が高い車種とはいえ、車両自体もボンネットを始め各所がボロボロな状態。
およそ十分後、通りかかった車が事故を通報したことにより、警察が現場へと急行する。
この段階では、警察はただの事故だと考えていた。
だが、事故を起こした運転手の姿が見えないことを皮切りに、様々な要因が重なって事故の真相は迷宮入りすることになる。
事故を起こしたのが国際的犯罪組織の関係者だったこと。目撃者がいなかったこと。
後にその犯罪組織の運転手が逃走を企てていたらしいという事実が発覚したことも、事態をややこしくした要因の一つ。
そして何より――。
高速道路や街頭カメラの映像を解析し、事故を起こした車両には少なくとも四人が乗車、その顔も判明しているというのに。
警察も、内閣府情報管理局も、軍も、そして無頭竜すらも。
運転手を含めた四人の行方を掴むことは終ぞ出来なかった。
そして、男が事故を起こした同時刻。
九校戦の会場にいる無頭竜の部隊や関係者達も一斉に色めき立っていた。
「十七号は何処に行った!?」
「ジェネレーターが命令無しで動くはずがない。なのに、なぜ誰もわからないのだ!」
ジェネレーター十七号もまた誰にも気付かれることなく、忽然と姿を消していた。
奇妙な空間に囚われて。
幾つもの得体の知れない目に見つめられ。
五者は同様の経験を経て、以後は異なる経験へ。
彼等が抜け出た先は、お伽のような世界であった。
スキマから“そこ”へ放り出されたジェネレーター十七号は、獣のように四肢をついて地面に着地した。
顔をあげたジェネレーターの視界に映ったもの。
それは、一面に咲き誇る夏の花。
そして――。
「あら、こんなところにも花が咲いているわね」
日傘で夏の日差しを遮りながら、幾多もの向日葵の前に佇む、一人の少女。
つい先程まで九校戦の会場にいたというのに、今は向日葵畑の目の前。
常人ならば混乱するだろう状況に、されどジェネレーターである十七号は何の反応も示さない。
使用者から、何も命じられていないために。
「どうやら、何も詰まっていない枯れた花のようね。暑中見舞いにしてはデリカシーに欠けるわ」
それを少女は面白そうに、だがそれ以上につまらなそうに、そんな相反する目で見ている。
「花言葉とは、花を人に喩えたのが始まり」
十七号が感情の欠落した瞳で少女を見据える中、少女の独語は続く。
「貴方の花言葉は『詰まらない』ね」
「私は、『生きているのに死んでいる』の方がお似合いだと思うけど」
否、それは独り言ではなく、十七号の背後にいる者に投げ掛けた感想と皮肉だった。
そして、別の少女の声を認識した十七号は、声の主を視認するという目的の為だけに、後ろへと振り返る。
「どこかの亡霊の話かしら?」
「あっちは死んでいるのに生きていて、こっちは生きているのに死んでいるのよ」
もう一つの日傘が、太陽の光から少女を隠す。
八雲紫は十七号の視線など全く意に介さず少女に答えると、微笑みを浮かべた。
「暑中見舞い申し上げますわ」
ここは太陽の畑。向日葵が咲き乱れる、夏の場所。
夏に咲く花があれば、夏には彼女はそこにいる。
「枯れた花が再び咲くのも、死者が再び生きるのも」
それは、花と共に在る妖怪。
「どちらにしろ、一度は土に還るのよ」
『フラワーマスター』風見幽香は、そこにいた。
ジェネレーター十六号が降り立った場所は、薄暗い大地だった。
見渡す限りに広い荒野と剥き出しの岩が幾つも並ぶ大地。
それでいて頭上に日の光が無いところを見ると、広大な鍾乳洞なのだろうか。
だが鍾乳洞にしては暗闇ではなく、どうしてか視界が確保されている。
そんな、不思議な場所。
十六号が周囲を確認しようと左右を見回す、その前に。
「おー、あんたが紫の式が言ってた、暑中見舞い?」
気軽な声が、背後から掛けられた。
転がる岩の中でも一際大きな岩石の上で、寝そべりながら十六号を見下ろす小さき姿。そして、二本の大きな角。
人では無き者を前にしても、十六号は表情一つ変えない。
少女は寝そべった状態から上半身を起こして岩に座り直す。
「うーん、こうも無反応だとつまらないねぇ。お酒でも呑んでどんちゃん騒がない?」
そう言って鎖で繋がれた瓢箪を仰ぐ彼女に、やはり十六号は何の反応も示さず、ただそれを見ているだけだった。
「鬼のお酒も呑む気がしないとは、紫の言う通り『粗品』だね」
それを見て少女は不満そうに、そして嘲るように言い捨てた。
「あんたは何も恐れない。そう、鬼である我らすらも恐れようとしない。でもそれは蛮勇ですら無い」
地底の一角、旧地獄の外れにある何も無き場所で。
「恐れを失った奴は勇者の正反対さ。夏の暑さを冷ますには丁度いいかな」
『小さな百鬼夜行』伊吹萃香は、ゆっくりと立ち上がると再び瓢箪をぐいっと仰いだ
ジェネレーター十五号の周囲は、静かだった。
緑葉の生い茂る木々に囲まれているのだが、虫の鳴き声が全くない。
夏だというのに何故かひんやりとした冷気が漂い、それがまた静寂を際立たせている
この地は、本当に静かだ。
まるで目に映るもの全てに、生きるという陽の活力が見受けられないようだ。
そこにいる十五号も含めて。
生者のいない世界、それはある意味で無情のジェネレーターに相応しい世界なのかもしれない。
だが、この地には十五号以上に相応しい少女がいる。
「うらめしやー」
その少女は亡者らしい挨拶と共に、十五号の前に現れた。
傍らに、ふわふわと浮かぶ幾つもの幽霊を漂わせて。
少女は十五号を見て首を傾げる。
「あら、お仲間だったかしら。そう言えば紫が『死んで生きてる』って言ってた気もするわね」
思い出すのは友人の話。死者となった生者の、胡蝶の話。
「けど困ったわ、未練も無い貴方はお仲間になれないのよね。私は困らないけど」
少女はどこまでもマイペースな自然体であり、十五号はどこまでも無機質に少女を見遣る。
これでは、どちらが亡き者か分かったものではない。
「ところで冥界の夏は如何かしら? そうでしょう、涼しいわ。紫も抜けているわねぇ、暑くもないあの世に暑中見舞いなんて」
全てに無反応の十五号は生者であり、本当に死んでいるのは少女の方。
その亡霊の少女の傍を、幽霊だけでなくふらりと蝶が舞い始める。
「暑中見舞いとは、暑い中で舞いを見ること。なら、熱くしないと見れないわ」
生憎と妖夢はお使いに出しているから見ることはできないけど、と付け加える少女の周囲を飛び交う蝶は、次々と数を増やしていく。
ひらひらと舞う蝶は淡く儚く、この世のものとは思えぬほど美しく。
そして、少女は扇子を取り出して、先端を十五号へ向ける。
「貴方の舞いは、どんな舞い?」
それは夢か現か、さながら胡蝶のごとく。
ここは冥界、白玉楼の近く。十五号以外の生者のいない世界で。
「一つだけ教えてあげるわ、夏の亡霊は怖くないのよ」
『幽冥楼閣の亡霊少女』西行寺幽々子は幽雅に舞い踊る。
「な、んだ、ここは……」
男は茫然自失に、ただ周りを見つめることしか出来なかった。
そんな男の隣に佇む十四号は、命令が無いため待機状態だ。
ジェネレーターが消えて、事故を起こして。
奇妙な少女が車の中にいて、不気味な空間に落ちて、そして男は何故かここにいる。
薄らとした白い霧に包まれた、周囲を木に囲まれた空間。
そして、秋には一面に咲き乱れるであろう彼岸花。
一角には神社があり、その向かい側にあるのは誰かの墓場なのだろうか。
男は神道に詳しい訳ではないが、それでも日本の風習ぐらいはそれなりに把握している。
その風習によれば、神社と墓地は相容れないはずの組み合わせのはずなのだが。
薄い霧が辺りを覆っているためか、頭上の太陽も翳っており気温も肌寒い。
だが、肌寒さは果たして気温だけのせいだろうか――。
薄い霧に人気の皆無な場所。神社と墓場、そして彼岸花。
ここはいったい、何処だというのか。
嫌な考えを、内心の不安を振り払うように男は首を大きく横に振って、十四号に向き直る。
「十四号! 十五号、十六号はどうした?」
「ワカリマセン」
単調な返答に男は小さく舌打ちして、ポケットから携帯端末を取り出す。
ディスプレイに目を落とし、
「なに?」
電波ゼロという表示に、思わず声が漏れた。
九校戦が始まる前、事前準備として富士を訪れていた男は、当然のように電波があるのを実際に通話することで確認している。
ならば、ここは富士ではない、ということになる。
(いや……)
冷たい汗が流れる。富士かどうか、それ以前の話だ。
大戦前の頃ならいざ知らず、この時代の日本で、それも屋外にいて、それでも電波の入らない地域があるというのだろうか。
「――馬鹿馬鹿しい、考えすぎだ」
敢えて強気に、男は自分の考えを鼻で笑った。
言葉に出すことで不安を紛らわせていることに、自分自身では気付かない。
「とにかく周囲を調べるぞ。付いてこい、十四号」
そう言って男は歩き出し……結局は一歩も歩かずにその足を止める。
「どこもかしこも見事な悪縁ばかり、それだけ退屈してたってことかな」
そんな声が、男の耳に届いた為に。
「ッ!?」
反射的に振り返って周囲を見回す。
声の主は霧に紛れているのか、姿が見えない。
だというのに声は続く。
「人と妖怪は悪縁の間柄。だから人は恐れ、妖怪は襲う。たまには、ね」
声はするが、その方向や位置が全く掴めない。
「誰だ、何処にいる!? 十四号、探し出せ!」
左腕の汎用型CADに手を当てながら、男は十四号に指示を出す。
十四号は命令に従い索敵魔法を発動させるも、その時には既に必要性は失われていた。
霧が晴れていく。
全てが晴れたわけではない。この周囲だけ霧が晴れたのだ。
そして、不自然な晴れ方をした霧の向こう側を十四号は指でさし、その方角から少年は歩きながら姿を見せる。
腰に朱い糸で縁結び木札を括りつけ、結代神社の神紋である『弐ツ紐結』の紋が入った浅葱色の神官袴を身に纏いながら。
「ところで、二人して神隠しにでもあったのかな?」
少年の問い掛けに対し、男は言葉を失っていた。
問いの内容に、ではなく、少年に対して。
「お前、は……」
格好は違えど、男は少年のことを知っていた。
先日まではデータ上で、昨今では競技中の映像で見たことがある顔。
何故ここに、という疑問が思考を埋め尽くし、少年は戸惑う男を無視して言葉を続ける。
「――ここは彼岸に近く、無縁なる者が集う場所」
少年の口調が一変する。
先程までの、どことなく少年らしい砕けた軽い声ではなく、冷厳な声で少年は告げる。
「こちらに来ればあの世に――」
少年はゆっくりと手を上げて、ある方角を指でさす。
「あちらに行けばこの世に――」
指さす方向は、再思の道。生者が生きるために戻る道。
そして漸く、男は搾り出すような声で、少年の名を呼んだ。
「結代、雅季……!」
結代神社、無縁塚分社。外の世界と冥界に近き幻想の地に建つ社の前で。
「だが、あなた方があちらに行くことはできないでしょう。結う代が結んだ悪縁がその身を縛る限り」
『結び離れ分つ結う代』結代雅季は、縁を紡ぐ。
無頭竜「我々を怒らせたな」
幽香「怒らせるとどうなるのかしら」
萃香「喧嘩だ!」
幽々子「お腹が空くわ」
雅季「つまりはお祭り」
紫「夏祭りね」
無頭竜「(((゜Д゜;)))」
現実に続いて、幻想も動き出しました。
幻想側は動き出すと同時にまさかの幻想大戦争(笑)
しかも「描写必要?」と思うぐらい秒殺しそうな面子が参戦。
でも、きっとジェネレーターなら……!
ジェネレーター「デキマセン」