魔法科高校の幻想紡義 -旧-   作:空之風

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更新の遅れと、文字数が一万字を大幅に超えそうだったので、キリがいいところで分割しました。
結果、説明文ばかりが多い内容になってしまった(汗)
次話、第50話『縁』で今度こそ九校戦編は完結です。

この場をお借りしてお礼を。
作者のしょうもない愚痴に暖かい言葉を掛けてくださった方々、本当にありがとうございました。

追伸。
ランプの魔人(アキネイター)は吉田幹比古を知っていたが、森崎駿は知らなかった。



第49話 終幕の道筋

明け方近く、横浜から富士の軍用ホテルへ戻ってきた達也は違和感を覚えていた。

 

下士官達が早足に動き回っているのは、軍隊では別段珍しくない光景。

 

だが、どことなく慌ただしい雰囲気がホテル内を漂っている。

 

「何かあったのかしら?」

 

藤林も気付いていたらしく、ポツリと呟く。

 

さり気なく周囲を注視しながらエントランスを歩く達也と藤林に、一人の士官が角から姿を現して気軽に声を掛けた。

 

「やあ、お帰り」

 

「真田大尉」

 

達也が振り向いた先には、いつもの人の良い笑みを浮かべた真田の姿があった。

 

「大尉、何か起きたのですか?」

 

視線のみで周囲を見回し、藤林が尋ねる。

 

その問いに対して、真田はあっさりと白状した。

 

「何でもコーヒーカップが盗まれたとかで、色々と捜索しているらしいよ」

 

「……そんなことで、ですか?」

 

達也と藤林の反応は「呆れ」だった。

 

「一応は軍の備品だからね。それに九島閣下にも“知られている”から余計に、みたいなところかな」

 

「後は、軍の膝下で犯罪組織の蠢動を許していたことも、ですか?」

 

「まあ、それもあるかな」

 

達也の意地の悪い質問に、真田も笑みを浮かべたまま頷く。

 

「当直は何をしていたのかしら……」

 

呆れを隠さずに首を横に振る藤林。達也の表情も似たようなものだった。

 

「こっちの件はそんな事だから置いといて、そっちの件の報告を聞かせてもらえるかな?」

 

「風間少佐は?」

 

「急な予定変更があって顔を出せないから、先に報告を纏めておいて欲しいって」

 

「わかりました。といっても、先行して送ったデータに全て記載していますので、確認の意味合いしかありませんが」

 

踵を返した真田の後に、達也と藤林も続いて歩く。

 

――表情を見せないように二人の前を歩く真田は、内心でホッとしていた。

 

(こっちは何とかなりそうですよ、少佐)

 

この騒動を二人に、特に達也に怪訝に思われることは避けなければならなかった。

 

何処で、どんな状況下でコーヒーカップが盗まれたのか。

 

それを達也に知られる訳にはいかない。

 

風間はそう判断して、達也の前に真田を寄越したのだ。

 

動き回っている下士官達は軍規を正す為という説明の下、ただ命じられたまま無くなった二つのコーヒーカップを直属の部下達と共に探しているのみ。

 

その裏では独立魔装大隊がホテル内の監視カメラと想子(サイオン)レーダーの昨夜からのデータを総ざらいしている。

 

そういった事情は、後の藤林はともかく、達也が知る事は無かった。

 

 

 

「宜しいのですか、少佐?」

 

昨夜からの記録データを隊員達がチェックしている作業の様子を見守る風間に、柳が尋ねた。

 

主語を抜いた質問だったが、その意味は余すところなく風間に通じていた。

 

「閣下との会話は、達也には聞かせられんからな」

 

風間としても難しい判断だった。

 

実戦経験豊富な実戦魔法師である風間と、世界最巧と謳われた九島の二人すら欺いて、コーヒーが奪われたという衝撃的な事実。

 

達也の『精霊の眼』であれば、あの時に何が起きたのかわかっただろう。

 

だが、同時にあの時の会話も達也に伝わってしまう。

 

それは九島烈が四葉の弱体化を望んでいる、そんな話も達也が知ってしまうということだ。

 

達也が四葉に本格的に味方することは無いだろう。ただし、それはあくまで現時点の話だ。

 

司波深雪が四葉の当主となれば話は変わる。その前提は覆される可能性が高い。

 

それに、状況的にそもそも四葉が犯人という可能性もあるのだ。

 

故にあの会話を知られることは避けなければならず、その結果として達也の『力』を借りることは出来なかった。

 

だからこそ、こうして取れる手を全て使って手掛かりを探している。

 

今のところ、その全てが空振りに終わっているが。

 

何せ風間と九島に全く気付かせなかった相手だ。余程卓越した()()()だろう。

 

相手は、二人を上回る程の隠密に長けた魔法師か。

 

もしくは精神干渉系の魔法師か。

 

とはいえ、前者の可能性は低いと風間は見ている。

 

風間は忍術使い・九重八雲の弟子であるし、九島は言わずと知れた世界最巧の魔法師。

 

この二人に気付かれないほど隠密に長けた者というのは説得力が無い。

 

ならば、相手は精神干渉系の魔法師となる。

 

たとえば風間と九島の意識に空白を作れる魔法師がいれば、犯行は可能だ。

 

そして、精神干渉という系統外魔法を得意とする一族を、風間も九島も知っている。

 

四葉家だ。

 

更にもう一つ、現在の状況から鑑みて候補を上げるとするならば、ラグナレックも有り得ない話ではないだろう。

 

ラグナレックが呉智以外の系統外魔法師を抱えているのかは判明してないが、あれだけの規模と戦力を持ちながら謎も多い軍事組織だ。

 

幾人かは抱えていてもおかしくはない。

 

術者で考えれば、四葉家。

 

現在の状況で考えれば、ラグナレック。

 

どちらにしろ、監視カメラに引っかかるような愚を犯す者ではないだろう。

 

(だが、何故コーヒーを盗んだ?)

 

それが引っかかりとなって、風間も九島も首を傾げざるを得ない。

 

そもそもコーヒーを盗まなければ、気付くことすら無かったというのに。

 

(挑発か、或いは何かのメッセージか……)

 

全く進展の見られない作業を見ながら思考の海に潜っていく風間。

 

 

 

風間も、そして同様の考えを持っている九島も、その答えを知る事はおそらく無いだろう。

 

前提自体がまず間違っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

そこは昼のように明るく場所であり、同時に夜のように暗い場所。

 

光と影の境界も、全てが曖昧な空間(せかい)。八雲紫の作り出すスキマの中だ。

 

先ほど、悪夢を見続けていた男達三人を「邪魔だから」と会場の何処かに放り出したところだ。そのうち誰かが見つけるだろう。

 

紫は昨夜手に入れたコーヒーカップのうち一つを手で弄びながら、隣に控えている藍に唐突な問いを投げ掛ける。

 

「藍、台風はどうやって出来ているかわかるかしら?」

 

「はい? 台風、ですか?」

 

「そう、台風よ」

 

藍は思わず訝しげな目を紫に向けるが、すぐにいつもの事だと嘆息する。

 

それに、藍は紫の式神だ。主の問いには回答しなくてはならない。

 

彼女達の定義では、式神とは即ち『式』のこと。

 

コンピューターの演算式然り、魔法の起動式然り、そして魔法式然り。

 

術者の入力に対して的確に出力するもの、それが『式』だ。

 

神祇魔法の術者が使役する精霊、また行者や山伏が使役する鬼神や神霊も式神に分類されるだろう。

 

精霊や神霊という“ハードウェア”に『式』という“ソフトウェア”をインストールする。

 

それは紫が藍に施したものと同様だ。

 

尤も、外の世界と幻想郷では、インストールされた者に自我が有るか無いかという大きな違いはあるが。

 

「台風発生のメカニズムは、まず太陽によって海水が温められ、蒸気を大量に含んだ大気が発生することが第一にあります」

 

紫の質問に対し、藍は回答を始めた。

 

 

 

蒸気を含んだ大気は、太陽光が最も降り注ぐ赤道付近で最も多く発生する。

 

蒸気を含んだ不安定な大気は、上昇気流に乗りつつ北上もしくは南下。

 

その後は一定の緯度で上空に滞留し、更に赤道から続けて大気が流れ込んでくることで高圧帯を形成する。

 

ちなみに、一般的には北緯三十度付近(種子島と同緯度)の上空で大気は滞留し、そこで発生する高気圧を『北太平洋高気圧』と呼ぶ。

 

発生した高気圧だが、原則として大気は気圧の低い方へと流れていく。

 

上空の気圧が高くなれば、大気は再び海面へと降下していく。

 

そして海面では、上昇気流によって大気が上空へ流れていく赤道付近が最も気圧が低い。

 

大気は、再び赤道へと戻っていく。

 

ここまでなら大気が南北で循環しているだけだが、それは地球が静止している場合のみ。

 

地球は自転しており、大気の流れはコリオリ力の影響を受けて南北に直線ではなく、東から西に向かう斜めの方向が加わる。

 

赤道付近で東から西に向かう風、『偏東風』だ。

 

この偏東風に波動(うねり)が生じることで、南北の大気の循環に渦が発生する。

 

 

 

「この発生した渦こそが、台風の原点となります。外の世界では『偏東風波動説』と呼ばれている原理ですね。渦は更に発達していき――」

 

「そこから先はいいのよ」

 

藍の説明を紫は遮った。

 

「ええ、そこまでは外の世界でも“常識”。では藍、その波動(うねり)はどうして発生するのかしら?」

 

波動(うねり)の発生源については、外の世界ではまだ解明されていない事象である。

 

それを藍は、事もなく口にしようとして――。

 

「それは先ほどのコリオリ力、つまり地球の自転と大気の流れに――」

 

「残念、不正解」

 

冒頭部分で紫はあっさりと遮った。

 

キョトンとした顔を向けてくる藍に、紫は微笑と共に告げる。

 

「今の外の世界ではね、台風の基となる波動(うねり)は魔法師が作っているのよ」

 

「――はい?」

 

一瞬、紫の言葉が理解出来ず、藍は瞬きを繰り返して紫を見遣る。

 

藍の視線を受けた紫は、寧ろ不思議そうに、だがその実は面白そうに逆に藍を見た。

 

「それが外の世界の“常識”よ、藍は知らなかったのかしら? なら勉強不足ね」

 

「いえ、勉強不足と言いますか、そもそも仰っている意味がわからないのですが?」

 

「簡単よ。波動(うねり)の発生原因はわからない。でも魔法師なら波動(うねり)を発生させることが出来る。なら魔法師の仕業に違いありません」

 

「何ですか、その暴論」

 

これはからかわれているのか、そう思った藍は呆れを含んだ視線を向けようとして。

 

何時の間にか紫の目が笑っていないことに気付き、藍は息を呑んだ。

 

 

 

そう、現世では台風の原因は魔法師なのだ。何故なら魔法ならその事象を再現出来るから。

 

確かに暴論だろう。だがその暴論は今ではまかり通り、定説(じょうしき)となっている。

 

 

 

――昔々、人を攫う鬼がいた。だがその鬼は実は魔法師だったのだ。

 

――昔々、人を襲う大蛇がいた。だがその蛇は実は魔法師が使役する化生体だったのだ。

 

――昔々、人に術を教える天狗がいた。だがその天狗は実は凄腕の魔法師だったのだ。

 

――昔々、人に神様は祟りを下した。だがその祟りは実は時の権力者が雇った魔法師の仕業だったのだ。

 

――昔々、摩訶不思議な怪奇現象が起きた。だが実は全て魔法師の仕業だったのだ。

 

 

 

――何故なら、魔法ならば全て再現出来るから。

 

 

 

それが古式魔法の術者、あろうことか嘗て「妖怪は襲い、人は退治する」という関係を築いていた者達の末裔が出した結論だ。

 

彼等は妖魔の存在自体を否定していない。実際に妖魔用の対抗術式が伝わっているからだ。

 

だが現世で妖怪がいなくなった理由を、逆説的に「元々妖怪などほとんどいなかったのだ」として自分達を納得させた。

 

どうして神も妖怪も消えたのか、それを知ろうとはしなかった。

 

だから、外の世界では更に幻想が消えていった。

 

今のように高度な情報保管機器も無く、ただ墨と紙で語り継いできた時代だ。

 

それだけでしか昔を知る術を持たない人間だからこそ、このような誤解がまかり通る。

 

 

 

紫は視線を手元に移した。

 

このコーヒーカップもそうだ。

 

思った通り、彼等が警戒するのはコーヒーカップを奪った()()()であって、()()ではない。

 

現世では、幻想的な者達が何かをしたところで、別の理由に変えられる。

 

幽霊は枯れ尾花。

 

妖怪は迷信。

 

神様は自然現象。

 

不思議な物語は魔法師。

 

その流れを変えるのは容易ではない。

 

何故なら、今の妖怪は解明されるもの。それは今代の結代が言った通り『悪縁』でしかない。

 

妖怪は解明されるものではなく、恐れられるものでなくてはならないのだから。

 

大きな流れを変えるには、何か切っ掛けが必要となる。

 

そう、とても大きな、まるで天変地異のような切っ掛けが――。

 

「紫様?」

 

藍の声で紫は思考から抜け出した。

 

どうやら藍を見つめたまま思考に没頭していたらしい。

 

「藍、貴方も外の世界をよく見ておくことね。今が境界線、どちらに向かうかの岐路なのだから」

 

何か言いたげな藍の返事を待たずに、紫は前へと振り返りスキマを作った。

 

「さて、では行きましょう」

 

「あの、どちらへ?」

 

「決まっているじゃない」

 

先ほどから振り回されている感が否めない藍の問いに、紫は打って変わって楽しげに答えた。

 

「魔理沙と妖夢と咲夜と早苗と紅華から()()()の徴収よ」

 

そうして、藍を連れてスキマの向こうに消えていく紫。

 

後に残されたはずの二つのコーヒーカップは、何時の間にか消えており。

 

 

 

香霖堂で売られているのを雅季が見つけるのは、暫く先の事であり。

 

 

 

紫が望んだ“大きな切っ掛け”が訪れるのは、意外とそう遠い先の話ではなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

九校戦の最終日である十日目。

 

本戦モノリス・コードの決勝トーナメント第一試合が先程行われ、一高は対戦相手である九高から勝利を収め、遂に決勝戦へと駒を進めていた。

 

決勝戦の相手は予想通り、総合得点で二位に付けている第三高校。

 

ミラージ・バットで三高は三位に入賞したため、総合一位である一高との得点差は三十一点。

 

そしてモノリス・コードでは一位に百点、二位に六十点が加算される。

 

つまりモノリス・コードの決勝戦は、そのまま総合優勝を賭けた試合だ。

 

そのモノリス・コードの一高選手代表である十文字克人の下へ、七草真由美が訪れたのは、決勝戦のステージが決まってすぐの事だった。

 

建前上は「決勝戦のステージを伝える」という名分。

 

だが本当の案件は別にあり、それ故に真由美は克人をわざわざ人のいないテントへと連れ出し、更に遮音障壁を展開してから、克人にその内容を告げた。

 

真由美から話を聞いた克人は暫く目を瞑って考え込んだ後、重たく口を開いた。

 

「つまり、十師族の強さを誇示するような試合を師族会議は求めている、ということだな?」

 

「ええ……こんな馬鹿馬鹿しいことを十文字君に押し付けたくはないんだけど」

 

遣る瀬無い気持ちを愚痴として吐き出した真由美に、克人はただ無言を貫く。

 

それは真由美を気遣ってというより、何かを考え、いや何かを決断しようとしているようだった。

 

「十文字君、本当に申し訳ないんだけど……お願い出来るかな?」

 

意識はしていないだろうが、主語を抜いた問い掛けで胸中の不本意を示す真由美に。

 

それに対して、顔を上げた克人は明瞭な口調ではっきりと告げた。

 

「だが断る」

 

「――って、ええぇぇええーーー!?」

 

そして真由美を仰天させた。

 

まあ、克人の内心を知る術など持たないのだから、いくら真由美でも仰天せざるを得ないだろう。

 

……若干、克人の天然の所為という点も否めないが。

 

「ちょ、ちょっと十文字君!? これは師族会議の決定よ! いくら十文字君でも――」

 

「まだ時間はある」

 

狼狽する真由美の言葉を遮って、

 

「俺が直接、弘一殿に連絡しよう」

 

克人は腰を上げてテントの出口へと歩き出す。

 

決断したのなら即座に、果敢に動き出す。

 

そういった強いリーダーシップもまた克人は兼ね備えていた。

 

真由美は伸ばしかけた腕を止めた。

 

十文字克人は十師族としての責務を理解している。或いは真由美よりももっと。

 

その彼が、好き嫌いなどで師族会議の決定に異を唱えるはずがない。

 

それに今しがた克人が発した言葉は、克人が察している証明だった。

 

『十師族はこの国の魔法師の頂点にある存在。故に最強でなければならない』

 

師族会議の場でその定義を最も主張していた人物が誰なのか、ということに。

 

真由美はそのまま何も言えず、テントから出て行く克人の後ろ姿を見送るだけだった。

 

 

 

 

 

真由美との話の後、克人は軍用ホテルで宛てがわれた自室にいた。

 

『さて、克人君も試合まで時間が無さそうなので、早速本題に入りましょう』

 

十師族の間でも使用されている機密保持に適した携帯用の通信端末。

 

『先立って娘から連絡を貰いました。克人君、師族会議の決定に異を唱えたそうだね』

 

その端末の向こうに映る通信相手の名は七草弘一(さえぐさこういち)

 

真由美の父親にして十師族の中でも四葉に次いで有力な一族、七草家の現当主だ。

 

『まあ、師族会議の意義や重みについては今更説く必要もないでしょう。君は他ならぬ十文字家が次期当主なのだから』

 

十文字克人は狭量とは正反対に在る人物、個人的な動機で異論を唱えるような真似はしない。

 

弘一は克人に対し、そのぐらいの信用は置いている。

 

だからこそ、弘一はサングラスの奥から鋭い眼光を克人に向け、十師族・七草家当主として同じく十師族・十文字家次期当主に問うた。

 

『七草家当主として、師族会議の決定に反対した理由をお伺いしたい。十文字家代表代理、十文字克人君』

 

弘一の鋭い視線を前にしても克人は一切動じず、

 

「将来有望な魔法師達の心を守る為にも、ここは力を誇示すべきではないと判断しました。これは師族会議十文字家代表代理としての判断です」

 

この上ないほどハッキリと、克人は師族会議に、否、七草弘一に対する反対意見を表明した。

 

 

 

これが一高の優勝が既に決まっている状況なら、克人も反対しなかった。

 

選手達も応援する者も、全力を出しつつも心の何処かに余裕があっただろう。

 

だが今現在、一高と三高は熾烈な優勝争いを繰り広げている。

 

そして、これから行われるモノリス・コード決勝戦は九校戦最後の試合にして、優勝を決定する大切な一戦だ。

 

生真面目な服部は拳を強く握り締め、ともすれば必要以上に気負ってしまいそうになるのを辛うじて押さえ付けていた。

 

辰巳も普段のとぼけた様子は表面のみ、瞳に宿った光が貪欲なまでに勝利を求めている内心を示していた。

 

応援する者達もまた選手に大きな期待を、優勝への願いを込めて見守っている。

 

おそらく三高も同じだろう。

 

余裕なんてものは一切無い。次の試合に誰もが全力を出し尽くそうとしている。

 

全力以上の力を発揮したいと強く思っている。

 

況してや三年生にとっては最後の大会。ここで全力を出し切らなければ一生涯の後悔ものだ。

 

その思いを、純粋な勝利への祈りを、政治的思惑に基づいた“力”で踏み躙るような真似は出来ない。してはいけないのだ。

 

それは多くの魔法師の、いや青少年達の心を傷つける行為だ。

 

もし新人戦モノリス・コードで一条将輝がやったようなことを克人がすればどうなるだろうか。

 

正直に言えば、克人は一人でも試合に勝てるだろう。それが十師族に名を連ねる魔法師の実力だ。

 

その克人が「自分一人で戦う」と言えば、服部も辰巳も引き下がってくれるだろう。

 

だが心の奥底では、きっと納得出来ない。

 

特に三年生である辰巳は、最後の最後で全力どころか「何もするな」という行為を強いることになる。

 

そうなれば、自分達の魔法の“価値”に疑問を抱かずにはいられない。

 

相手側の三高はどう思うだろうか。

 

三高の全生徒といっても過言では無い大きな期待を背負った者達が、克人たった一人を前に手も足も出ずに惨敗を喫する。

 

三高を心から応援していた者達にとっては、まるで今までの戦いが全て無意味だったかのような、大きな失意を味わうのではないか。

 

選手達に至っては、きっと言葉では語り尽くせない挫折感が全てを覆ってしまうのではないか。

 

そして、自分達の魔法は所詮この程度なのだと、無意識に上限を定めてしまうのではないか。

 

魔法とは、精神という形の見えないものの上に成り立つ、あやふやな力だ。

 

少しでもバランスが崩れただけで、魔法もまた崩れてしまう。

 

そう、小早川のように。

 

運が悪かった。第一ピリオドなら強く警戒していたから、たとえ罠に落ちても後遺症は残らなかっただろう。

 

だが第一ピリオドを無事に終了して、彼女は安心してしまった。

 

そして、第二ピリオドで安心は裏切られた。

 

まだ心の奥底で「もしかして」という一抹の不安と警戒があったからこそ、魔法を失うという事態にまでは至らなかった。

 

だが、あの裏切りによって、小早川の魔法力は目に見えて落ちているのも事実。

 

それも九校戦代表レベルから、おそらく二科生レベルにまで。

 

昨日の今日だ。時間が経てば元に戻るかもしれない。

 

裏を返せば、逆にずっと戻らないかもしれない。

 

故に克人は師族会議の決定に、否、弘一の主張に異を唱える。

 

これ以上、彼等彼女等の心を傷つけることは避けるべきである。

 

魔法師の雛鳥に与えるものは挫折感ではなく、意味のある敗北でなくてはならない。

 

その為に克人は、決勝戦では十師族としてではなく、第一高校の選手代表として、チームメイトと共に戦う。

 

たとえ道化と嘲られようと、出来レースと侮蔑されようと、全員に全力を出し尽くさせること。

 

それが十師族・十文字克人としての決断だ。

 

 

 

「――以上が、私が反対を述べた理由です」

 

克人は長々と説明するような真似はせず、短く要点を押さえた説明で弘一に告げた。

 

説明を聞いている間、弘一はただ相槌を打つのみだった。

 

「十師族の立場の強化も重要ですが、将来有望な魔法師の心を守ることも大切です」

 

そして全てを聞き終えた後、『成る程』と軽く頷いた。

 

『克人君の考えはわかりました』

 

その時、モニター越しの弘一の視線が一層鋭くなったかのように克人は感じた。

 

実際にはサングラスで弘一の視線などわからないのだが、克人はそれを気のせいとは思わなかった。

 

そして、

 

『敗北を糧に精進する、そうは考えないのかな? 克人君は』

 

「この状況下での惨敗は、ただ相手の心をへし折るだけです」

 

『それは君の予想では?』

 

「お互い様です」

 

お互いの意見は真っ向から対立した。少なくともそう見えた。

 

睨み合いとまではいかないまでも、強い視線が交叉する両者。

 

だがそれは時間にして短い間であり、先に視線を和らげたのは弘一の方だった。

 

『まあ、当事者であり十文字家代表代理である君の判断だ。九校戦後の師族会議では、克人君自身が釈明する必要はあるだろうがね』

 

暗に克人の判断を認める弘一。

 

尤も、言質を与えないあたりに弘一の狡猾さの一端が見受けられるが、それもらしいと言えばらしいと言えるだろう。

 

『ただし――』

 

克人が口を開きかけた時、それに先んじて弘一は続けた。

 

『もう一つの案件については確実に実施することです。こちらは師族会議の“総意”です』

 

総意という単語を強調する弘一。

 

つまり満場一致で決まった案件だということだろう。

 

十師族の教義については意外にもあっさりと引いた弘一だったが、こっちではわざわざ総意という言葉を持ち出してきた。

 

或いは弘一にとっては、先ほどの『教義』よりこちらの方が重要と考えているのかもしれない。

 

尤も弘一自身がどう考えているのか、その表情からは読み取ることは出来ないが。

 

また克人自身も、もう一つの案件については異を唱えるつもりはなく。

 

故に克人は頷いた。

 

 

 

 

 

モノリス・コード決勝戦直前――。

 

決勝の舞台となった『渓谷ステージ』へと繋がる会場の通路を克人は歩いていた。

 

一人ではない。その克人の背後には二人のチームメイト、服部と辰巳の姿もあった。

 

無言のまま歩く三人。

 

だが総合優勝を賭けた一戦を前にして、後ろの二人から溢れんばかりに湧き出る闘志を感じ取り、克人は小さく口元を緩ませた。

 

やがて見えてくる通路の出口。

 

出口から差し込む光の向こう側は、決戦の地だ。

 

その出口を目前に克人は立ち止まり、必然的に服部と辰巳も立ち止まった。

 

「服部」

 

立ち止まった克人は、

 

「辰巳」

 

ただ二言、二人の名を呼ぶ。

 

そして――。

 

「行くぞ」

 

「はい!」

 

「うっし!」

 

克人の静かな掛け声に服部と辰巳は力強く答え、確かな足取りで三人は光を潜り。

 

大きな歓声が、三人を包み込んだ。

 

 

 

 

 

結果は詳しく語るまでも無いだろう。

 

克人の望んだ通り、服部も辰巳も、三高の選手三人も全力で挑み合った。

 

その結果が、この光景だ。

 

歓喜に湧き上がる一高と、膝を付いて悔し涙を流す三高。

 

そして、その両校に送られる、他校を含めた会場全てからの拍手。

 

本戦モノリス・コード優勝、第一高校。準優勝、第三高校。

 

九校戦は、開会前の予想に反した大接戦を制した、第一高校の総合優勝で幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 




九校戦の競技、全て終了です。
後は後夜祭、そして――。

追伸:次話こそ森崎でます。

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