魔法科高校の幻想紡義 -旧-   作:空之風

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大変お待たせしました。仕事前に何とか投稿出来ました。
本来なら幕間を入れる予定でしたが、結局一ヶ月以上かけても未完のため、先に本編を再開させました。
幕間は後回しにします。

また今までの各話も幾つか修正しました。
細かい修正はほとんどの各話にあるので割愛しますが、大きな修正、または本編上の設定に変更があった話は以下の通りです。
・プロローグ「終らせる者たち」
・第6話「結代幻想風景」
・第20話「おてんば恋娘のちキュウコウセン」



第三章 幻想葉月編
第51話 現実と幻想郷の結代


かつて世界を襲った寒冷化の波はとうに過ぎ去り、日本の八月は古来通りの蒸し暑さを取り戻している。

 

強烈に降り注ぐ太陽の光に、日本列島を覆う高い湿度。

 

住宅レベルにまで冷房施設が充実しているとはいえ、寧ろそんな夏だからこそ人々は外へ飛び出し、涼しさを求めて山に登り、海に繰り出す。

 

況してや夏休みに入っている学生達ならば尚更だ。

 

 

 

「はぁー、風が気持ちいいわねぇー」

 

波風に髪を靡かせながら、千葉(ちば)エリカは上機嫌な声で深雪に話しかける。

 

「ええ、本当に」

 

髪を手で抑えつつ、司波深雪(しばみゆき)も楽しげに頷き、

 

「雫には感謝しなくてはいけませんね、お兄様」

 

「ああ、そうだな」

 

司波達也(しばたつや)もまた、深雪の言葉に同感だと頷いた。

 

達也たちがいるのは海の上。

 

正確には、海上を高速で突き進むクルーザーの船上。

 

友人である北山雫(きたやましずく)、その北山家が所有する小笠原の別荘に向かっているところだった。

 

仲の良いメンバーとの、別荘地での二泊三日の海水浴だ。

 

本島から小笠原諸島まで、フレミング機関のクルーザーで片道約六時間。

 

その往路を、皆は楽しみながら過ごしていた。

 

主目的として高速化を実現するための空気抵抗を、副次的には太陽の過剰な光線を遮断するため、フレミング機関のクルーザーは本来透明なドームに覆われているものだ。

 

だが操舵手の黒沢(くろさわ)女史がドームの側面を少し開いてくれたことで、走行風と波風がクルーザーに流れ込んできている。

 

船首のデッキの壁に背中を預けているエリカと深雪が感じている風は、そこから流れ込んできたものだ。

 

船首では西城(さいじょう)レオンハルトが水平線に浮かぶ小笠原諸島を指差し、後ろにいる吉田幹比古(よしだみきひこ)森崎駿(もりさきしゅん)の二人に話し掛けている。

 

また船尾側のデッキでは雫と光井(みつい)ほのか、それに柴田美月(しばたみづき)が仲良く談笑している。

 

司波達也。

 

司波深雪。

 

光井ほのか。

 

北山雫。

 

千葉エリカ。

 

柴田美月。

 

森崎駿。

 

西城レオンハルト。

 

吉田幹比古。

 

以上の九人が今回の海水浴の参加者だ。

 

だが「何時もの面子」と形容するには、一人足りない。

 

そう、今回の海水浴に一人だけ不参加がいた。

 

「でも、結代君は本当に残念でしたね、お兄様」

 

「家の都合となれば仕方ないさ」

 

深雪と達也の言う通り、結代雅季(ゆうしろまさき)のみ家の都合と重なってしまい参加出来なかったのだ。

 

一人だけ来られなかった雅季に対し、深雪が少しばかり後ろめたさを感じていると、エリカが声を掛ける。

 

「そこは達也君の言う通り、仕方ないと割り切って雅季の分まで楽しんじゃお。ね、深雪?」

 

そしてエリカは深雪に顔を近づけると、意地の悪い笑みで言った。

 

「あいつみたいに、ね」

 

チラリとエリカが視線を向けた先にはレオ、幹比古の二人とかなりリラックスした様子で談笑している森崎。

 

その意味を、深雪は余すところなく理解出来た。

 

何せ今日集合した際、雅季の不在を確認した森崎は「よし!」と思わずガッツポーズを決め込み。

 

クルーザーに乗り込む時も随分と晴れやかな顔で、極めて軽やかな足取りで乗り込んでいた。

 

あの時、如何にも「雅季が絡んだ時の森崎らしい行動」に皆が暖かい目で見ていたことに、森崎自身は気付いていないだろう。

 

気付いていたら今頃不機嫌になっているに違いない。

 

森崎は九校戦での怪我のせいで未だ激しい運動は出来ないが、それでもこの三日間を間違いなく満喫できるだろう。

 

エリカの言葉に、深雪は至極納得した様子で頷いた。

 

隣で一連のやり取りを聞いていた達也は苦笑を禁じ得なかったが。

 

 

 

船は少年少女を乗せ、海原を疾走して小さき島へ向かう、その頃――。

 

 

 

 

 

 

 

結代東宮大社。

 

皇族の東京奠都に伴い造営された結代神社だ。

 

信仰の薄れた昨今にあっても、それでも結代東宮大社は何処かの巫女とか風祝が羨ましがって悔しがるぐらいに、今日も多くの参拝客で賑わっていた。

 

東京観光ついでにやって来た「ついで参り」の者達が、物珍しそうに彼方此方の写真を撮りながら参拝する。

 

境内に複数台置かれている日本で唯一の五円玉両替機には行列が並び、賽銭箱には多くの五円玉が投げ入れられる。

 

「何となく御利益ありそう」という漠然とした思いで飛ぶように売れていく縁結びのお守り。

 

そして、縁結び木札にお互いの名前を書き込み、神木に括り付ける恋人達。

 

結代東宮大社は縁結びの御利益で有名で、更には祀られている八玉結姫(やたまむすびのひめ)の朱糸伝説はハリウッド映画『運命の赤い糸』の原典にもなった神話だ。

 

総本宮である淡路島の大八洲結代大社と並んで今なおデートスポットとして根強い人気を誇り、参拝のため足を運ぶ男女は多い。

 

また今世紀の始めに雑誌等で頻繁に目にしていた所謂「パワースポット・ブーム」。

 

一時期は衰退したブームだが、幻想とされていた魔法が現実となった今では「もしかしたら魔法的な力があるかも」と再燃、いや前回以上に流行していた。

 

尤も、古式魔法師からすれば「霊場という意味では間違ってはいないが、意味合いはかなり見当外れ」なのだが。

 

これも魔法に対する無知と誤解が生んだ社会現象だろう。

 

パワースポットに行ったからといって、弾幕が厚くなる訳では無いのだ。

 

 

 

結代東宮大社の拝殿から少し離れた場所に、結代東宮大社の社務所がある。

 

その社務所内の簡易キッチンで、一人の神官袴を纏った壮年の男性が真剣な様子で“それ”に取り組んでいた。

 

この神社の宮司、そして『今代の結代』の一人、結代百秋(ゆうしろおあき)である。

 

一通りの神事を終えてここにいる百秋の目の前には、今やカフェのインテリア程度にしか見かけなくなったコーヒーサイフォン。

 

上部の漏斗には既にミルで挽いたアラビカ豆が、下部のフラスコには百秋が自ら厳選した水が入っている。

 

ちなみに、水に硬水を使用するか軟水を使用するかでコーヒーの味は変わる。

 

カルシウムとマグネシウムを多く含む硬水を使用すればコーヒーの酸味が増し、純水に近い軟水を使用すればマイルドな味わいに変わる。

 

どちらを選ぶかは人それぞれの好みによるところが大きく、百秋のようにその日の気候や気分で選ぶ者も多い。今回は硬水だ。

 

準備を整えた百秋は、神官袴の袖を翻しつつ右手を上げる。

 

右手に持っているのは携帯端末形態の汎用型CADだ。

 

そして百秋は、滑らかな指の動きでボタンを操作した。

 

コーヒーサイフォンを対象に、百秋の魔法が発動する。

 

収束系魔法が空気密度を操作し、加重系魔法が重力を遮断、フラスコ内に真空状態と無重力状態が作り出された。

 

真空という気圧の低さがフラスコ内の水を瞬く間に沸騰させ、沸騰した水はサイフォンの原理により漏斗へと昇っていきフィルター越しにコーヒー豆と混ざる。

 

だが気圧によって一瞬で沸騰した水は、すぐさま気化熱を奪われて急速に冷却される。

 

漏斗内のコーヒーもまた冷却され、再びフラスコ内に戻っていく。

 

コーヒーが全て戻りきったところで、百秋は魔法を解いた。

 

そうして出来上がったのはアイスコーヒー、結代百秋特製『サテライトアイスコーヒー』だ。

 

「――うん、合格」

 

百秋はカップに注いだアイスコーヒーを一口飲むと満足そうに頷き、複数のカップにコーヒーを注ぎ始める。

 

コーヒーカップを全てトレイに乗せ、百秋はキッチンから事務室に通じる扉を開けた。

 

「皆、お疲れさん」

 

「あ、結代さん!」

 

事務室で業務に携わっている者達は、百秋の声で一斉に扉の方へ振り向いた。

 

「はい、差し入れ」

 

百秋はつかつかと彼等の方へ歩み寄ると、一人一人の前にコーヒーを置いていった。

 

「お、これは結代さんお手製のサテライトアイスコーヒー!」

 

「ありがとうございます」

 

「相変わらず美味しいですね」

 

冷房を効かせているとはいえ、夏のアイスコーヒーは一層美味しく感じるものだ。

 

全員にコーヒーを配り終え、その全員から好評を貰った百秋はご満悦な表情でトレイをキッチンに返した。

 

元々コーヒーマニアであった百秋が、息子の宇宙好きを切っ掛けに、更にテレビで見かけたフリーズドライ製法にヒントを得てサテライトアイスコーヒーを生み出して幾数年。

 

水、豆といった原料から水の量、真空にするまでの時間、香りを閉じ込めるための工夫など研究と改良を重ね続け、その成果が先程の好評だ。

 

そして今なおサテライトアイスコーヒーは進化を続けている。

 

ほかならない百秋の情熱によって。

 

「ふふふ、この洗練された深い味わい、最初の頃と比べれば正しく雲泥の差。我ながら年月を感じるなぁ」

 

百秋はアイスコーヒーの出来栄えに自画自賛しつつ、

 

「そう、ぽっと出の魔法酒とは違うのだよ、魔法酒とは!」

 

ここにはいない息子に対して自慢した。

 

最近、百秋の息子はサテライトアイスコーヒーに対抗して魔法酒なるものを作り出している。

 

だが百秋からすれば味の年季が全然足りていない。

 

“こっち”で売られている安酒よりかはマシだが、特に酒にはうるさい“結界の向こう側”の者達を唸らせるにはまだまだ至っていないだろう。

 

ちなみにサテライトアイスコーヒーの場合、『香霖堂の店主』をはじめ幾多の人妖達、更にはあの『妖怪の賢者』にもご好評を頂いている。

 

某吸血鬼には「苦い」と不評だったが……。

 

「今度は豆をブレンドしてみるか。いや、水を変えてみる方がいいかな。あと真空までの時間を変えてみるっていうのも手だな。よし、早速――」

 

うきうきした気持ちで百秋はコーヒーサイフォンに手を伸ばし、

 

「――さあ、仕事をしよう、そうしよう」

 

突然打って変わり、伸ばした手でコーヒーサイフォンを邪魔にならないキッチンの隅に移動させた。

 

どことなくわざとらしい声でコーヒーサイフォンを片付けたのとほぼ同時に、

 

「あなた」

 

事務室とは反対側、廊下側へと通じる扉の方から声を掛けられた。

 

百秋が扉の方へ振り返ると、そこには正式な巫女服を纏った女性が扉を開けた状態で佇んでいる。

 

実のところ、彼女が姿を見せる前に百秋は彼女が向かってきていることを知っていた

 

――結う代にとって、そして百秋にとって、この『朱い縁』を感じ取れないことなどあるはずがないのだ。

 

梓織(しおり)、どうした?」

 

彼女は結代梓織(ゆうしろしおり)。結代百秋の妻だ。

 

「お義父さんから電話よ」

 

「親父から?」

 

「今度の『紐織祭(ひもおりさい)』のことですって」

 

『紐織祭』とは結代神社が八月に行う神事の一つ。

 

朱糸伝説では「深山花」という花で朱い紐を編む。

 

この神事は、信濃地方にある結代神社が管理する“神園”で採取した深山花で、大八洲結代大社と結代東宮大社がそれぞれ紐を編み、八玉結姫に奉納することで縁結びを祈願する神事だ。

 

ちなみに、深山花とは深山撫子のことである。

 

――何せ、実際に編んだ神様ご本人がそう言っているのだ、間違いない。

 

「わかった。ありがとう」

 

「それと――」

 

梓織はチラリと隅に置かれたコーヒーサイフォンを一瞥すると、にこりと笑って百秋に言った

 

「今は仕事中ですからね」

 

「……はい」

 

どうやらバレていたらしい。

 

百秋は梓織の横を通ってそそくさと立ち去っていく。

 

その姿はまるで悪戯を知られた子供のようで。

 

そんな夫の後ろ姿を見つめながら、

 

「全くもう、変わらないんだから……」

 

思わず呟いた声には、呆れの他に恩愛も含んでいた。

 

言葉の向かう先は、出会った頃からまるで変わっていない夫に対して。

 

年頃の息子もいるというのに、何時までも子供のような部分を持ち合わせている。

 

しかも、時にはその息子と張り合ったりしているのだ。

 

今回も「コーヒーとお酒、どっちが美味しいか」というしょうもないことで勝負している。

 

そもそも勝負対象が比較にならないのでは、というのが梓織の偽りならざる本音だ。

 

挙句、二人して神事に対する真剣さは同じなのだから、自然と笑みが浮かんでしまう。

 

間違いなく、息子はあの人に似たのだろうと梓織には断言出来た。

 

それはもしかしたら、二人とも子供の頃から“あの世界”を知っているからかもしれない。

 

畏れ敬い、怖れ退治する、そんな御伽話が続く不思議な世界。

 

そして今、息子がいる世界。

 

「本当、しょうがない人ね」

 

この家に嫁いでから、色んな意味で本当に驚かされてばかりだった。

 

きっと八玉結姫――天御社玉姫(あまのみやたまひめ)()()()()を抱いたのだろう。

 

ならば、結末もきっと同じ。この朱い糸が切れることはない。

 

――だから、梓織は幸せの中にいると感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

「なら、基本的な手順は例年通りで構わないだろう、親父?」

 

百秋は電話画面の向こう側に映る、百秋より一世代ほど年上を思わせる、百秋と同じ神官袴を着込んだ初老の男性に尋ねた。

 

『うむ。信州には道之(みちゆき)東宮(そっち)はお前、八洲(こっち)は儂で問題なかろう』

 

そう答えたのは結代榊(ゆうしろさかき)

 

淡路島にある大八洲結代大社の宮司、即ち彼もまた『今代の結代』であり、百秋の実父である。

 

今しがた紐織祭での役割について話し合い、例年通りということで落ち着いたところだ。

 

信州での深山花の採取は百秋の弟である結代道之(ゆうしろみちゆき)が。

 

結代東宮大社での紐編みは百秋が、

 

大八洲結代大社での紐編みは榊がそれぞれ担当する。

 

ちなみに結代家では大八洲結代大社のことを「八洲」、結代東宮大社のことを「東宮」と略して呼んでいる。

 

「それで、“奉納”はどうする?」

 

『あー、それは東宮(そっち)に任せて良いか?』

 

「それは構わないが、何だ、そろそろ身体にガタでも来たか親父?」

 

『ど阿呆、まだまだ現役よ!』

 

元気をアピールするかの如く、矍鑠(かくしゃく)と榊は笑った、のだが……。

 

『――と言いたいが、最近は疲れると腰痛が出るようになってなぁ。本音を言えば、山登りは避けたいところだ』

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

医療技術の発達によって、病魔だけでなく視力や聴力など身体能力の低下も治療が可能になっているが、老化自体はどうしても避けられない。

 

老化を遅らせることは出来ても、何れ必ずやって来てしまう。

 

それは結う代と言えど、“穢れを持つ人の器”である以上、同じこと。

 

彼等には“穢れ”を祓う術が無い以上、寿命は必ずやって来るのだ。

 

『ははは、心配するな、日常生活には全く問題ないぞ。それに、八洲(こっち)には婆さんもいるし、義娘もいる。それに可愛い孫娘共も、な。あとついでに道之(みちゆき)も』

 

道之は信州方面の結代神社が管轄だが、普段は家族と共に淡路島の実家で暮らしている。

 

深山花のこともある通り、信州地方は結代神社、しいては朱糸信仰にとっても重要な土地の一つである。

 

とはいえ、大八洲結代大社や結代東宮大社のように連日の如く結婚式の予約が入っていたり神事があったりする訳では無い。

 

そこで普段は別の神職に神社を任せており、祭日や神事などの時に総本宮から宮司(みちゆき)を派遣するという形を取っている。

 

今の交通システムからすれば、淡路島から信州などそんなに遠くないのだ。

 

ちなみに、ついで扱いされた道之だが、実際には大八洲結代大社では榊に次いだ主戦力になっているのであしからず。

 

「あんまり無茶するなよ、親父。わかった、朱紐の奉納はまとめて東宮(こっち)でやる」

 

『おう、頼んだ。まあ東宮(そっち)には、既に“向こうの神社”を担当している一人前の結代がいるから、何の心配も要らんだろうが』

 

どことなく喜ばしそうな口調で言った榊に、百秋もまた自慢気な笑みを浮かべて頷いた。

 

『それで、今日は何をしているんだ、あの遊び好きは?』

 

「今日はその“神社”にいる」

 

百秋の短い答えに、榊は大方の事情を察して益々笑みを深くした。

 

百秋と榊は、いや結代家は通信では結界の向こう側――幻想郷に関することを口にしない。

 

するとしても、こうして曖昧な言葉でぼかしながら会話する。

 

もし結代家の通信が傍受されたとしても、第三者には本当の意味がわからないように。

 

或いは全く異なる意味として受け取るように。

 

そして結代家の事情を知らず、何より幻想郷を知らない者達が答えに辿り着くことはおそらく無いだろう。

 

吉田家や九重家のように嘗ては知識として幻想郷を識っていた者達も、時が経つにつれて忘れていき、今では知る者など殆どいない。

 

知らないことに加えて更に現代の常識という認識の壁に阻まれている今、一体誰がゼロから幻想郷を、結代家の真実を予想することが出来ようか。

 

「本当は友人達から遊びの誘いがあったらしいけど、今日は“あっち”で慶事があるからって断っていたよ」

 

百秋の言葉に、榊は大きな笑い声をあげた。

 

『ははは、全く大した孫だ!』

 

「親としては少し寂しい気もするが――」

 

既に親離れしているような息子に、百秋は心に一抹の寂しさを抱きながらも。

 

それでも――。

 

「俺にとっても、自慢の息子だよ。雅季は」

 

 

 

そして――。

 

結代雅季は結界の向こう側にいた――。

 

 

 

 

 

 

 

現代にあっても人以外の者達が暮らす楽園、幻想郷。

 

この日、人里から少し離れた位置に建つ結代神社には多くの人々の姿があった。

 

男性は紋付羽織袴を、女性は留袖か振袖を着込み、殆どの者が紅白どちらかの和傘を日傘として使っている。

 

今日は大安の日。

 

そして、人里で暮らす一組の男女が祝言を挙げる日だ。

 

このめでたい日を祝おうと二人の親族、友人等は結代神社へと集まって来ていた。

 

その中には少数ながらも妖怪の姿もちらほらと見受けられる。

 

人里の者達の祝言に妖怪が参加するというのは珍しいといえば珍しいが、この幻想郷では決して無い訳では無い。

 

やがて、雅楽の演奏が始まり、笛の音が境内に響き渡る。

 

優雅で静かに心に澄み渡る、和の音色に導かれるように、神社から彼ら彼女らは姿を現した。

 

先頭を歩くのは今回の祝言の斎主を務める、『今代の結代』結代雅季。

 

雅季から一歩離れた後ろには、『結びの巫女』荒倉紅華(あらくらくれか)

 

結代神社の神主と巫女に先導される形で横並びに歩む一組の男女。

 

紋袴の男性と、白無垢の女性。祝言を挙げる二人だ。

 

ゆっくりとした足取りで先導する雅季は御社殿の扉の前まで来ると玉串を捧げ、二拝二拍手一礼を行い、扉を開く。

 

雅季の開いた扉の向こうから姿を見せたのは、この神社の祭神。

 

『縁結びの神威』天之杜玉姫(あまのみやたまひめ)

 

祭神と神主と巫女、そして新郎新婦。

 

全ての役者が揃い、皆が見つめる中で祝言の儀が始まった。

 

斎主である雅季が玉姫に祝詞奏上(のりとそうじょう)を行い、二人の良縁を祈願する。

 

三三九度の盃に雅季が御神酒を注ぎ、二人は盃を交わす。

 

紅華が神楽で舞いを奉納し、新郎新婦が玉姫の前に出て誓詞を読み上げ、玉串を奉納する。

 

全ての儀式はつづがなく進んでいく。

 

結代神社にとって縁結びは御利益そのものであり結代神社の原点だ。

 

紅華は元より、この時ばかりは雅季も真剣そのもの、更には祭神である玉姫自らも参列する。

 

良縁を結び、合縁を祈願し祝うことにおいて、結代家の右に出る者はいない。

 

そして最後に、朱糸で結ばれた縁結木札に新郎新婦はそれぞれの名前を書き込み、紅華がそれを神木に結ぶ。

 

祝言の儀はそれにて終了。

 

こうして吉日、幻想郷で良縁が結ばれた。

 

 

 

祝言の儀式が終われば、その後は祝宴である。

 

先程までの森厳さも、宴会の場では霧散して今ではどんちゃん騒ぎだ。

 

中でも巫女の紅華が新郎新婦のところへ挨拶に赴くと、あっという間にその周辺に人が群がった。

 

主役である二人に紅華が加わったからだ。

 

人々に囲まれ少し困った様子で、でも楽しそうな紅華の様子を、雅季と玉姫は微笑ましそうに見つめていた。

 

「人気者だねぇ、紅華」

 

「うちの自慢の『結びの巫女』だからね。何処かの放蕩神主と違って真面目だし」

 

「いや、今日は真面目でしたよ?」

 

「“今日は”って言っている時点でもうダメね」

 

「……善処します」

 

そんなやり取りが神主と神様の間で交わされていたが、幸運にも他の者がその会話を聞き取ることはなかった。

 

雅季は視線を人の集まりに戻す。

 

人里の紅華人気は相変わらずらしい。

 

何せ以前の宗教戦争でも、人里では紅華の絶大な人気は揺るがず、誰一人敵わなかったぐらいだ。

 

余談だが、紅華の宗教戦争参戦の経緯は、人里での人気を見て紅華も参加者と勘違いした『古代日本の尸解仙』こと物部布都(もののべふと)が喧嘩を売ってきたことが直接の原因だったりする。

 

そして突然の展開に戸惑っている紅華に勝ったのはいいものの紅華の人気を奪えず、というか寧ろ何故か紅華の方の人気が増してしまい、「うぅ、ズルじゃ、反則じゃ……」と崩れ落ちたとか。

 

まあ、その戦いのせいで人里では紅華も参戦したものと思い込み、紅華もなし崩しで参加する羽目になったのだが。

 

結局、布都は試合に勝って勝負に惨敗し、挙句強敵を一人増やす結果となった。

 

閑話休題。

 

「さて、と――」

 

升に入った清酒を飲み干して、

 

(今頃、駿達は小笠原に着いて海水浴を楽しんでいる頃だろうし)

 

外の世界で夏を満喫しているであろう友人達を思い浮かべ、雅季は笑みを浮かべた。

 

「なら、俺は俺で楽しむか」

 

隣でその呟きを聞いた玉姫が「しょうがないわね」と言わんばかりに苦笑している中、雅季は御神酒を手に取った。

 

同時に懐からCADを取り出して振動系魔法を発動、御神酒を冷却する。

 

――まずは、この宴会を楽しむとしよう。

 

そうして雅季もまた、御神酒を手に取って集まりの中に入っていた。

 

程なくして、夏の暑さを和らげる冷えた御神酒に、人々から歓声が上がった。

 

 

 

――幻想郷の夏は、まだまだ暑い日が続きそうだった。

 

 

 

 




《オリジナルキャラ》
結代梓織(ゆうしろしおり)

次回から東方キャラとの絡みがメインになります。

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