というわけで珍しくノーマルモード。
……ノーマルモードですよ?
八月も中旬に入り、世間では学生は未だ夏休みの期間である。
それは魔法科第一高校も例外ではなく、校内は閑古鳥が鳴いている。
尤も、校内は閑散としているが敷地内に生徒が皆無という訳では無い。
部活動は自主トレ用に設備を開放しているし(勿論、使用出来るのは部員のみ)、特に一年生にとっては上級生がいない今こそ存分に練習出来る機会だ。
故に各部の施設では一年生の部員の姿がよく見受けられ。
その中には同級生、上級生、更には先生からも『(たぶん)苦労人』という称号を授けられている、そんな少年の姿もあった――。
コンバット・シューティング部の練習施設でもあるこの建物内で、森崎駿は不規則に配置された角柱の隙間を素早く駆け抜ける。
足元に散らばる木材等の障害物、所々落とされた照明。
ともすれば転倒の危険もある
何せ今はタイムトライアル中だ。更に言えば、先程のトライアルでかなり満足できる結果を出せた。
ならば今回のトライアルではもっといいタイムを叩き出す、そんな挑戦的な心情があった。
疾駆する森崎の前に、角柱で作られたY字路が現れる。
どうする、という自問自答に対し、直感で右を選択。
コースを右に曲がった直後、森崎は通路上に設置されている自動銃座が、銃口を自身に向けようと動いているのを視認した。
視認と同時に、条件反射で森崎は右腕を前に出す。
手に持つは自前の特化型CAD。
その銃口を向けたと同時に、既に照準は銃座を捉えていた。
森崎の十八番、クイックドロウだ。
銃座の銃口が森崎を捉える直前、森崎は特化型CADのトリガーを引いた。
瞬時に発動した加重系魔法が、銃座の重力センサーを反応させて銃座を沈黙させる。
九校戦のスピード・シューティングで、モノリス・コードで上級生を唸らせ、相手に脅威とされた発動速度は、全く失われていなかった。
銃座の沈黙を確認して、森崎は微かに安堵の息を吐く。
だがすぐに緊張感を取り戻し、再びトライアルに集中する。
その場から駆け出した森崎は、沈黙した銃座の脇をすり抜ける。
同時に、他に銃座や障害物が無いか視線のみで左右に目を配り。
視界の右端が、自動銃座の銃口が今まさにこちらに向けて動いているのを映し出した。
新たな銃座がそこにあり、およそ一秒後には銃座の照準が森崎を捉えてペイント弾を撃ち出すだろう。
今からCADを構えてトリガーを引いていては、クイックドロウの技術でも間に合わない。
ほとんど無意識にそこまで察した森崎は、対応策を考えるより先に身体が動いていた。
つまりはモノリス・コードでの六高戦で、三人に囲まれた時と同じような状況だ。
故に、元より戦術の引き出しの少ない森崎の対処も似たようなものだった。
――とにかく相手より早く魔法を撃つ、ただそれだけだ。
――CADを構えてトリガーを引くのが間に合わないのなら、CADを構える動作を省略すればいい。
――魔法の発動が間に合わないのなら、もっと早く魔法式を構築して発動すればいい。
そして、森崎は足を止めて視線のみを銃座に向けた。
思考全てを集中力に変えて銃座までの距離を感覚で掴む。
その感覚だけを頼りに、森崎はCADの銃口を向けずにトリガーを引いた。
銃口ではなく感覚のみで照準を付ける、特化型CADの高等技術『ドロウレス』だ。
起動式を読み込んで森崎の魔法演算領域内で構築されていく魔法式。
だが魔法式を構築するのは
『誰よりも早く、誰よりも速きこと』
そんな想いが僅かに含まれた
それは、銃座からペイント弾が発射されるよりも早く、魔法式を構築し終える程に。
いつぞやに、腐れ縁が森崎に向かって言った言葉がある。
――そのうち考えるより先に身体が最適な動きをするようになるさ。
――夢想剣ならぬ夢想撃ちってね。
この時の森崎はまさにそれだった。
何せ森崎が意識した時には、既に銃座は沈黙していたのだから。
とはいえ、あの時の言葉は覚えていても、その通りに行動していたという事実に森崎は気付いていなかったが。
もし気付いたとしても、あの腐れ縁の言葉通りだと認めるのは非常に不本意に思ったことだろう。
「……ふぅ」
緊張と集中力が途切れて、森崎は先程よりも露骨に安堵の息を吐いた。
九校戦前と比較すれば飛躍的と言ってもいいほど成功率が格段に上がったドロウレスだが、成功させるには強い集中力が必要だ。
多用すればすぐに疲労してしまい、トライアルで言えばおそらくゴールに辿り着く前にペイント弾でリタイアしてしまうだろう。
感覚をもっと巧く掴めるようになれば常用可能かもしれないが、現状ではドロウレスは文字通り『切り札』だ。
(今のは危なかった)
心の中で思わずボヤく。気付けば冷や汗によって練習用ユニホームが背中にくっついている。
(さっきのトライアルで自己ベストを更新出来たことで、気が緩んでいたか)
その結果が、今の油断に繋がった。
(もっと集中しろ、僕!)
自分自身を叱咤して、森崎は緩んでいた気を強く引き締める。
今回のトライアルでは自己ベストの更新には至らないだろうが、途中でリタイアするよりかはマシだ。
そう開き直って、森崎は立ち止まったまま集中力と呼吸を整える。
そうして二十秒以上経ってから、
「よし!」
森崎は言葉通り気を新たにして、再び駆け出した。
やはりと言うか、今回のトライアルではつい先程に叩き出した自己ベストの更新には至らなかった。
だがそれでも、森崎はリタイアすることなくゴールに到達した。
トライアルを終えた森崎がコンバット・シューティング部の部室のドアを開けると、そこには先客がいた。
“部員”ではなく“先客”である。
森崎はつい心情そのままの訝しげな口調で、相手に声を掛けた。
「滝川?」
「あ、森崎か」
相手は森崎の知人である
学年こそ同級生だがA組の森崎とは違い滝川はC組、また部活や委員会も異なるため、本来なら接点の無い二人。
それでも顔見知り程度の知人であるのは、二人が九校戦の代表選手だったという繋がりがあるためだ。
とはいえ、先程も述べたように滝川は森崎とは所属している部活が異なる。
滝川はコンバット・シューティング部の部員ではなく、操弾射撃部の部員だ。
そしてここはコンバット・シューティング部の部室。
そこから導かれる答えは――。
「ここは操射部の部室じゃないぞ。暑さでボケたか?」
「そんな訳ないでしょ」
呆れた声で即答した滝川に森崎は「冗談だ」と軽く詫びつつ、部室の隅に置いてある自前のスポーツバッグを開ける。
バッグの中から取り出したドリンクを何口か飲み、更にタオルで顔の汗を拭き取ってから、森崎は改めて滝川に向き直った。
「それで、本当に何しているんだ?」
「内蔵CADの部品を分けてもらいに来たのよ」
滝川の答えに、森崎はふと何かを思い出して納得した表情を浮かべた。
「そういや、部品の融通は射撃系各部の伝統、だったか?」
「そうよ。まあ、森崎はいつも自分のCADを使っているから馴染みは無いだろうけど」
「間違いないな、実際に今の今まで忘れていたし」
風紀委員会のメンバーは自前のCADの携帯が許可されている。
入学して早々に風紀委員に入った森崎はその権利を使って部活でも自分のCADを使っていたため、備品のCADのメンテナンスについては本当に「聞いたことがある」程度だった。
森崎は何気なしに自分のCADを取り出す。
二つの特化型CAD。
一つは普段使っているもので、もう一つは予備にして入学時にエリカの不意を突いた時のように隠し球として持っているもの。
その予備の特化型CADを見て、滝川は不思議そうな声をあげた。
「あれ、それって九校戦の時の競技用CADよね?」
滝川が指摘したように、予備の特化型CADは以前とは変わって九校戦で使用していたCADに変わっていた。
「何でそれ使っているの……って、どうしたの?」
ただ純粋な疑問として尋ねた滝川は、その問いを受けた森崎が何故か何とも言えない表情を浮かべたことに目を丸くした。
少しの間を置いて、森崎は重い口を開いた。
「……このCAD、モノリス・コードの時に司波が調整しただろ?」
雅季が森崎から特化型CADを借りてモノリス・コードに出場したこと。そして雅季、幹比古のCADを達也が調整したことを知っていた滝川は頷く。
「実際に使ってみたら、僕が予備で使っていたCADより速いんだよ。スペックではこっちの方が劣っているのにな……」
「あー……」
何かを諦めたように首を横に振る森崎に、滝川もまた何とも言えない表情を浮かべるしかなかった。
滝川自身もスピード・シューティングの時に達也の世話になっており、しかも私物のCADすら調整して貰っている。
なので、森崎の心情はよくわかる。
つまり「司波達也はエンジニア
重たい沈黙が部室内を包み込みそうだったので、滝川は慌てて話題を変えた。
「と、ところでさ! 森崎はもう上がるの?」
「あ、ああ。滝川はまだやっていくのか?」
「まあね。部品の調整を兼ねて、もう少しってところね」
「そうか」
森崎はバッグを肩にかけると、
「それじゃ、お疲れ。そっちも頑張れよ」
滝川に一言掛けてから、男子更衣室の方へと去っていった。
森崎がいなくなった後、滝川は改めて森崎という少年のことを思い浮かべた。
一年生の中では深雪、雅季に次ぐ実技成績の第三位。
実際に九校戦ではスピード・シューティング優勝、モノリス・コードでは途中でリタイアしたものの六高戦で三人を一瞬で倒して見せるなど、見事な戦績を残している。
ルックスは「まあまあ」と言った程度だが、さっきのやり取りからわかるように人柄は悪くはない。
まあ、相手が雅季だと時たま暴走することもあるが、あれはあれで見ていて面白い。
特にムキになって腐れ縁だと言ってはばからないあたりとか。
「今思うとアイツも優良物件よねぇ。これからが楽しみだわ」
滝川本人にはその気が更々無くとも、いつかの女子会で話題に上がりそうな予感に、滝川はニヤリと口元を釣り上げた。
更衣室でユニホームから着替えた森崎は、夏服のブレザーに袖を通そうとして、ふと刺繍されたエンブレムが目に入った。
第一高校の校章、一科生の証である花弁のエンブレム。
森崎は暫くそれを見つめていたが、
「やっぱり、負けてられないよな」
誰かに語るわけでもなくポツリと呟くと、そのままブレザーに袖を通す。
着替えを終えた森崎は再びバッグを持つと更衣室から出ていき、一高を後にした。
東京、有明。
日本最大にして世界有数のコンベンションシティとしての顔を持つこの街は、イベントがある期間には何十万人もの人が訪れる。
たとえば数週間前に行われたビックイベント、サマーフェスでは三日間で四十二万がこの地を訪れた。
だが普段は騒がし過ぎず、かといって寂れているわけでもない、程良い活気のある街。
そしてイベント会場を持つ有明ならではの独特の光景を見ることが出来ることでも有名な地域である。
その有明に、森崎の姿はあった。
一旦は帰宅したものの、そのまま家の中で無為に過ごす気分になれず、森崎はふらりと足の赴くままに有明へやって来たところだ。
有明を目的地に選んだ理由は特に無い、何となくだ。……少なくとも森崎は自分自身でそう思っている。
通りを歩く人々はやはり森崎の同世代である少年少女の姿が多い。
今日は平日の昼間だ、夏休みのある学生が多いのは当然なのかもしれない。
そして彼ら彼女らは、ほとんどが二人以上で行動している。
森崎のように一人で来ている者は中々見かけない。
(誰か誘えば良かったか?)
今更ながら一人で来るような場所じゃなかったかと感じるが、かといって他の場所へ移動するのも、これから誰か呼ぶのも、それこそ今更だ。
それに、近年の有明では一人でもそれなりに楽しめる催しがよく行われている。
ある意味で、コンベンションシティである有明ならではの独特の光景。
そう、公園内の遊歩道を歩く森崎の先にある人集りのように。
森崎は人集りによって幾重にも出来た輪の一番外側で立ち止まると、輪の中央へと身体を向ける。
大勢に囲まれたその中心には、一人の年若い青年が芸を披露していた。
年の頃はおそらく森崎とそんなに離れていない、二十歳前後だろう。
複数のクラブが宙で踊り、青年の手元に戻る。
始まりは紀元前二千年頃とまで言われる大道芸の初歩、ピルエットクラブを使ったジャグリングだ。
とはいえ、お手玉のようにクラブを操るテクニックは確かに一芸だが、それだけでこれ程の大人数が足を止めることは無い。
この場にいる観客が期待しているのは別のことであり、事実、青年にとってもこれは余興に過ぎなかった。
青年は一度ジャグリングをストップさせると、クラブを地面に置いて左手をズボンのポケットに入れた。
そして、それを取り出した瞬間、森崎には観客の期待が一層膨れ上がったように感じた。
青年が取り出した物は、携帯端末形態の汎用型CADだ。
左手にCADを持った青年はキーを操作してCADを待機状態から復帰させると同時に、地面に置いたクラブを右手で持ち、宙に投げた。
クラブは回転しながら……落ちてこない。
青年が続けて三本のクラブを投げると、三本も同じように回転しつつも宙に浮いたままだ。
計四本のクラブが空中に浮かび、やがて見えない手でジャグリングされているかのように空中で弧を描き出した。
(移動系魔法と加速系魔法か)
観客から感嘆と興奮の声が上がる中、森崎は冷静に青年の使用した魔法を分析した。
そう、魔法である。
この有明のみで見ることが出来る、魔法を使った大道芸、いや
演出魔法の流行により平常時での魔法行使が法律上で少しばかり緩和されたとはいえ、多くの自治体や自治区は、安全上と治安上の問題で魔法行使を許可していない。
たとえば新宿や池袋、渋谷のような人通りの多過ぎる大都市では通行人の安全上の問題が指摘され、法律改訂前と変化無く正当防衛もしくは緊急時以外での魔法行使を認めていない。
また地方では魔法に対処出来る魔法師の数が都市圏と比べて圧倒的に少ないことから、治安上の問題で同様に認めていない。
有明は数少ない例外の一つ。演出魔法の本資格を持っていることを条件に、当局へ申請すれば路上公演の許可を得ることが出来る都市だ。
東京圏内であり、且つ人通りも大都市と比べれば緩やかという演出魔法の路上公演に適した有明の立地条件。
何より今や演出魔法師にとって晴れ舞台の一つとなったサマーフェスの会場である有明は、演出魔法師にとっての聖地と言っても過言ではないだろう。
空中で円弧を描く四本のピルエットクラブに対し、青年は再びCADを操作。
エイドスに投写された魔法式によって、クラブの軌道が変わる。
円弧を描いていたクラブが円の頂点に達した瞬間、地面に対し垂直に落下する。
一本目のクラブが地面の上に直立すると、一本目の上に二本目が、そして三本目、最後の四本目が積み重なった。
そうして四本のクラブが一本の棒となって地面に立った。
細長い棒状であり、更に片方の先端が丸まっているクラブだ、普通ならば四本を重ねて立てることなど到底出来ないに違いない。
況してやここは風も吹く屋外だというのに、クラブは不安定な様子をまるで見せず、倒れる気配など全く無い。
硬化魔法による相対位置の固定。
森崎がクラブの倒れない理由を推察するのとほぼ同時に、青年が一礼する。
ひと呼吸の後、拍手が巻き起こった。
青年の「触ってみて下さい」との言葉に、先頭にいる数人が興味本位で近寄っていき、直立するクラブに手を伸ばした。
触れられても引っ張られてもビクとも動かないクラブに、今度は誰もが興味深そうに歩み寄っていく。
森崎はそれには加わらず、再び遊歩道を歩き始めた。
先程の魔法は森崎から見てもかなり洗練されていた。
ともすれば森崎より上、一高の上級生レベルかもしれない。
少なくとも一部の魔法師達が「三流魔法師」と侮蔑するような演出魔法師ではなかった。
二十歳前後で、上級生並みの魔法力。
ならば十中八九、魔法科大学の学生だろう。
魔法科高校の卒業生には演出魔法の正式ライセンスが得られる本試験の受験資格が与えられる。
故に魔法科大学の学生は、一部の例外を除いたほとんどが受験資格を持っていることになる。
魔法科大学の学生が本試験を受験して本資格を得て、魔法の練習を兼ねて演出魔法の路上公演を行う。
そんな光景も、今では珍しくもなくなりつつある。
最近では演出魔法のサークルまであるぐらいだ。
森崎が歩道の角を曲がると、その向こう側にまた人集りがある。
人集りから数十メートルは離れているが、それでも魔法師である森崎には感じ取れる。
あそこでもまた魔法が使われていると。
人々の中にあって絶対数が少ない魔法師。
だがこの有明では魔法師も、そして魔法も、別段珍しいものではない。
こうしてエンターテインメントという分野で、日常の中に溶け込んでいる。
それを森崎が改めて感じ取った時――。
どうしてか、気が軽くなったような気がした――。
この国の治安の良さを象徴するように公園内に設置された自動販売機(尤も、現在の自販機はセキュリティカメラ内蔵が標準仕様であるが)から缶ジュースを購入し、森崎はちょうど木陰にあるベンチに座った。
ジュースで喉を潤しつつ、十数メートル先で行われている演出魔法を見物する。
先程の魔法師はジャグリングに見られるように大道芸だったが、こちらでは水と光を使ったアートを演出しているようだった。
色とりどりに光り輝く水模様を遠目に見つめていた森崎は、ふと一人の女性が人の輪から抜け出したのが目に留まった。
東洋系の顔立ちにコーカソイドにように白い肌。
姿勢を伸ばした歩き方がどことなく豹を連想させる。
生憎と平凡な人物評しか持ち合わせていないが、それでも美女もしくは美少女と称しても過言ではないだろう。
女性は森崎の視線には気付かず、腕時計を確認しながら森崎の前を通り過ぎていく。
待ち合わせのような何かしらの予定が入っているのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていた森崎は――急速に意識を切り替えた。
家業(実際には副業)のボディガード業で培った経験則に基づいた勘とも言うべきか。
彼女の後ろ姿に向けられる複数の視線、その中に害意を含んだものが混ざっている気がする。
森崎はさり気なさを装って周囲を見回すが、一見して怪しいと思われるような人物はいない。
となれば森崎の気のせいか。
それとも、その道のプロの仕業か――。
森崎は缶ジュースを飲み干すと、徐ろに立ち上がって空き缶をゴミ箱に捨てる。
そして、ごく自然的な足取りで彼女の後を追い始めた。
「ターゲットが目標エリアに入りました」
路地裏から
男の視線の先には、標的である女性が倉庫街を掠めるようにしてレインボーブリッジ方面へ歩いている。
その周辺には誰もいない。昼間だというのに不自然なぐらい人気が皆無だ。
何故ならば、ここは既に「人を除けさせる」という精神干渉の効果を持った『結界』の中だからだ。
通行人も車両も、この僅かな空間だけ避けるように通っていく。
街頭カメラもバックアップ要員のハッキングにより無効化している今、この狭い一角には誰の目も届かない。
そして、女性一人を拉致することなど、この程度の僅かな空白さえあれば充分だ。
後はこの作戦の最高責任者である『課長』からの許可が下りるのを待つのみ。
許可はすぐに下りるはずだ、下りないはずがない。
情報を得た時から、この瞬間のみが唯一のチャンスなのだから。
だからこそ、有明という不確定要素が絡みやすい場所でも彼等は行動を起こしたのだ。
有明という街は性質上、他の場所と比較して魔法師が多い。
魔法師ならば、この結界も『情報強化』ですり抜けてしまう。
故に、魔法師を含めた目撃者がいない今こそ、唯一にして最後のチャンス。
六人を予定していた人員に追加で二人を加えた八人態勢に変更したのも、少しでも素早く標的を捕らえるためだ。
『――全員に通達、許可が下りた。速やかにターゲットを確保せよ』
誰もがそう考えていたからこそ、間を置かずして下された命令にも、男も同僚達もすぐさま行動に移せた。
「了解」
無線からの連絡に男は短く答えて、路地裏から表通りに出ると、標的へと早歩きに近付く。
同時に周囲からも同僚達が姿を現す。
男を含めた八人が、それぞれの方向から標的を囲むように近付いていく。
「あ、貴方達、いったい何なの!?」
標的が声を上げるが、ここが結界の中である限り、それを聞き届ける者は自分達以外にいやしないのだ。
作戦の成功を確信しつつ、男は
壊滅した『
そして無頭竜の残党から次期首領として担がれ、この有明で彼等と接触しようとしている女性、
その手が美鈴の服にまで触れた瞬間――。
突然、男の意識は暗転した――。
森崎は街路樹の陰から飛び出すと、特化型CADの照準を『賊』の一人に、あの女性の最も近くにいた男に向けてトリガーを引いた。
気配を察した彼等が一斉に振り返るとほぼ同時に森崎の魔法、身体を急激に前後に揺さぶる加速系魔法を受けた男が崩れ落ちる。
その男が完全に地面に倒れる前に、また一人が意識を失って前のめりに倒れ込み、そして更に一人が倒れた。
奇襲攻撃に加えて、次々と味方が瞬く間に倒れていくことに彼等は動揺を隠せない。
あっという間に三人を倒され、残った五人が慌てた様子で懐に手を伸ばし、それよりも早く森崎の魔法が更に一人の意識を刈り取る。
森崎は女性へと、事態の急変に付いていけず呆然と佇んでいる美鈴に向かって駆けながら、トリガーを続けて二回引いた。
トリガーを引いた数だけ敵の数も減少する。
残りは二人、既に懐に手を入れている。
それを見て森崎の中に焦りが芽生えた。
(不意を突いたとはいえ、やっぱり八人相手は厳しいか――!)
二人が懐に伸ばしていた腕を引き抜くと同時に、森崎は再度トリガーを引く。
森崎の魔法を受けた相手は、手に“それ”を握り締めながら倒れた。
それは特化型CADに似ているが非なるもの――拳銃だ。
焦りは、危機感に変わった。
八人中七人を無力化した森崎の視線の先で、残った最後の一人である男が森崎にサプレッサーの付いた銃口を向けていた。
心臓が、一際大きく高鳴る。
閉所戦闘練習場にあるペイント弾の自動銃座とは違う、本物の銃弾をあれは装填しているのだ。
(魔法じゃダメだ――!!)
この状況ではクイックドロウでもドロウレスでも、そもそも魔法では間に合わない。
いくら魔法の発動が早くなったとはいえ、同時に引き金を引けば音速を超える銃弾の方が速い。
身体を捻って避ける――この態勢からでは避けきれない。
相手より早く魔法を発動させる――間に合わない。
避けるにも攻撃するにも、相手が拳銃のトリガーを引く方が早い。
(何でもいい! とにかくあの引き金を引かせない、相手の意表を何か突ければ!!)
そう、たとえばあの時のアイツのように――。
それは、完全に条件反射だった。
咄嗟に浮かんだ反撃手段、その意味を深く考える間もなく、森崎は既に行動に移していた。
森崎が特化型CADを持っている右手を振るう。
CADの銃口を向けようとしているのだと男は判断し、引き金に掛けた指に力を込める。
美鈴が銃口の矛先を逸らそうと男の腕に手を伸ばすも、数歩分の距離がありその手は男の腕まで届かない。
そして、拳銃の銃口と男を強く見据えながら、森崎は男に向けて特化型CADを――。
……思いっきり投げ付けた。
「っ!?」
全くの予想外な光景に、男は意表を突かれて一瞬だけ動きも思考も止まった。
……どうやら男は今年の九校戦の試合を見ていなかったらしい。
その間にも力いっぱいに投げつけられたCADが男へと飛来する。
反射的に男はCADを手で払い落とす、その動作によって拳銃の銃口が森崎から外れた。
その一瞬の隙こそ、森崎の狙い。
クイックドロウの名に相応しい速度で、森崎は予備の特化型CADを掴んだ。
九校戦の時に達也が調整した特化型CADだ。
CADの銃口を向ける動作も省略して、森崎はトリガーを引いた。
規格外のエンジニアによって前に持ち歩いていた予備の特化型CADよりも早く魔法が発動する。
そしてドロウレスは今回も完璧に成功。森崎が投げ付けたCADが地面に落ちた直後、男もまた地面に崩れ落ちた。
最後の一人も倒れ、女性を襲った八人全員が地面に倒れ伏している。
その上で女性が無事なことを確認した森崎は……その場に蹲って頭を抱え始めた。
急に蹲った森崎に美鈴は慌てて駆け寄った。
「大丈夫!?」
心配そうに声を掛けると、森崎はゆっくりと顔を上げて答えた。
「……大丈夫です。ただの激しい自己嫌悪ですから」
「え?」
心配から一転してキョトンとした表情を浮かべる美鈴。
今の森崎を表すなら、憂鬱、気落ち、目が虚ろ、といったところだろう。
当然だがどうして森崎がそんな状態になっているのか美鈴にはわからなかったが。
時間にして数秒程度、ネガティブな感情に囚われていた森崎は「今は彼女の安全確保が最優先」と心の中で念仏のように唱えながら立ち上がった。
尤も、地面に落ちている自分のCADを拾い上げる時にまた挫けそうになったが、不屈の精神で持ち直す。
「とりあえず、ここから離れましょうか」
「え、ええ」
腐れ縁の呪縛から何とか復活した森崎は美鈴に手を差し出し、美鈴は戸惑いながらも差し出された手を掴む。
二人は人気の多い駅方面へと走り出した。
作者「ああ、お酒が美味い」
愉悦!