「なあ、ざいちゃん、クレマンティーヌちゃん」
「ちゃんって……」
「何でしょうか、ローラお嬢様」
「愛って何やろね」
「……はい?」
「いや、大切だとか不要だとか感情だとか病気だとか、そういう話やないねん。今回の作戦みたいなことがあるとな、考えてしまうねんなー。うちは、『誰よりも人間を、世界を、自分自身を愛する者』として創り出されたんやけど、そもそも愛って何なん? そこの解釈がよく分からんのよねー」
「と言われましてもねー」
「僕も詳しくは分かりませんが……」
「が?」
「信じて、受け入れることではないでしょうか?」
「ほうほう。続けてみ」
「はい。シルク・タングステン様は人間を愛しておられるそうです。あの御方の口からは否定されましたが、他ならぬミリオン先輩はシルク様が人間を愛していると言われました。その通りだと思います」
「ふむ。せやな。それはうちも知っとる。おとんはあれや、素直やないから。色々と拗らせすぎやねん」
「人間は醜いが、美しくあれる。人間は悪だが、正しくあれる。人間は愚かだが、賢くあれる。人間は下らないが、尊くあれる。シルク・タングステン様にとって人間の価値とは、人間にそういう風に求めているということだと思うのです。人間がそうあることを願い、そうあれると信じている。その駄目さ加減を受け入れている。それこそが、あの御方の愛の在り方です。あの御方の意志は、星の法です。ならば、それこそが愛ということにはならないでしょうか」
「ふむふむ。元々知性も理性もなかった植物モンスターであるざいちゃんならではの考え方やね。はっはっは、一理あるんとちゃう?」
「ありがとうございます」
「今ので分かる辺り、お嬢様もやっぱりみーさんの妹だわ」
「そういえば、この前おとんがそんなことを話してくれたような気がするわ。キヌカさんのお話に出てきたんやったかな、確か……。ほな、追加で聞くんやけど。何でおとんはこんな事件を起こしたと思う? 色んな人間が死ぬで。国を滅ぼすとはそういうことや。激動の巻き添えは必ず起きる。時間をかければ総合的には数が少なくて済むはずやのにねー。まあ、待てなかったちゅうのもあるんやろうけど。おとんが人間を好きなら、何でここまで貴族を殺すことをするんやろうねー。貴族だって人間とちゃう?」
「んー。人間を生かすことだけじゃなくて、殺すことも愛しているとかじゃないですか?」
「いえ、それはもっと単純なことではないかと」
「その心は?」
「簡単なことです。有体に言ってしまえば――」
「無茶振りでございますよ。『俺の愛する人間だったら、俺の試練を突破できるはずだ』みたいな」
■
邪悪な炎に囲まれた街の一角、この空間を支配する悪魔達の目から隠れるように小走りをする二つの影があった。
白銀の鎧の少年と、群青色のローブの青年。ラナー王女直属の兵士クライムと、自称人間嫌いの魔術師シルク・タングステンである。
王都で最も多くの物資が行き来すると言われる倉庫街を進みながら、二人は周囲を見渡す。彼らの目的は、悪魔に連れ去られた人々の探索である。冒険者が主体となっている本隊が敵を引き付けている間に、成功させる必要がある。もしもどこかの室内に監禁されていた場合、移動させられたら面倒だ。王都の外に連れていかれる前に見つけ出したい。
クライムは遠くの空を飛翔する悪魔に目を向ける。あちらは気付いていないようだが、警戒は怠らない。遠くからでも感じ取れる強大さがあるからだ。
「タングステン様、あの悪魔はご存知ですか?」
「難度百くらいのヤツだな。単騎なら倒せるけど、戦闘は最低限に抑えたいな。ほら、戦っている悪魔が仲間を呼んだら面倒だからな。物量戦になったら強い弱いとかじゃなくなる」
「そうですね」
シルクの博識さに目をむきながらも、裏道を進んでいく。いくつかの空振りの後、小さめの倉庫にようやく監禁されている市民を発見した。
悪魔に恐怖していたため静かだった市民だったが、助けが来たと分かった途端に様々な感情のたがが外れてしまったのだろう。不安と恐怖から興奮してしまい、老若男女の声が一気にクライムを襲う。
「私の子どもが――」
「妻がさらわれて――」
「お父さんとお母さんが――」
「落ち着いて! 落ち着いてください!」
「妻はどこにいるんだ! 探しに行ってくれるのか!」
「子どもはまだ幼い――」
「――てめえら、ちょっと黙れ」
周囲の喧騒に飲まれてしまいそうなほど、小さく静かな声だった。しかし、シルクが言葉を発した途端に、市民の興奮が冷や水をかけられたように静まり返った。逆に、シルクの声には激しい温度が宿る。
「いいか? ここは決して安全圏じゃねえんだよ! 黙れ、落ち着け、こっちの言うことを聞け! 選択を間違えるな! てめえらがやるべきことは、この地獄から一秒でも早く抜け出すことだろうが! てめえらがパニックになるのは当然だが、状況はそれを許してなんてくれねえんだよボケ!」
沈黙する市民に、シルクは現状の危険性や避難の説明、留まった場合の可能性の示唆などをした後、五分後に出発すると宣言した。市民達は話し合うこともなく、時間が経過するのを待った。
クライムは本来ならば自分がやるべきだったと頭を下げるが、シルクは気にするなと苦笑する。
「王女つきの兵士である少年じゃあのセリフは言えんよ。俺は元々流れ者だ。それに、嫌われるのは慣れっこで……ちっ」
舌打ちとともに、明後日の方向に顔を向けるシルク。クライムは怪訝そうに訊ねる。
「どうかしましたか、タングステン様」
「仕掛けておいた罠に反応があった。悪魔の群れが近付いてくる」
狭い倉庫だったからだろう、言葉に反応する市民が何人かいた。
「安心しろ。守ってやる。俺はこう見えて信仰系魔法を修めているからな。悪魔やアンデッドに対しては有利に戦える」
シルクの言葉に安堵の表情を浮かべる平民達。万が一の時のための逃走に関する指示を簡単に済ませると、シルクは倉庫から飛び出した。クライムもそれに続く。
シルクが言っていた通り、道の果てから多くの悪魔がやってくる。どれもクライムの知らない姿をしたものだ。だが、シルクは既知の存在だったらしく、驚きが全く見えない。
「木っ端悪魔ばっかり三十ってところか」
「倒せますか?」
「楽勝だな」
シルクの余裕に溢れた発言に心強さを感じたクライムだったが、事態は急変する。
突然、周囲が暗くなった。本来の時間帯であれば、それは正しい暗さのはずだ。しかし、今日に限っては異常な光源があったため、道は照らされていたのだ。
「え?」
夜のとばりが戻ってきたということは、炎の壁が消失したのだ。
ラキュースやモモン達が悪魔の首魁を倒したのかと思ったが、ある光景がクライムの視界に入ることでそれは否定された。本来の夜の漆黒が戻ってきたことが、それを明確に理解させていた。
王城が燃えていたのだ。
「ら、ラナー様!」
思わず、主人の名前を叫ぶクライム。王城には戦士長がいるため、最も安全な場所のはずである。しかし、あの王城の炎は見間違いなどではない。間違いなく王城の一部が燃え上がっているのだ。あの炎が街を取り囲んだ炎のように幻影である可能性はある。だが、その場合だと悪魔が出現するではないか。一体だけならば戦士長がどうにかするだろうが、群れであった場合は対応の仕様がない。戦士団がいるが、それは逆を言えば戦士団しかいないのだ。兵の多くは都市の警備のために王都全域に散らばっているのだから。
「ちっ! そういうことか!」
強い舌打ちをするシルクは、クライムに向かって叫んだ。
「おそらく戦力をこの倉庫街に釘付けにすることが今回の目的だったんだ! 戦士長も何らかの手段で封じられている可能性が高い! 敵の目的は最初から王城だったんだ! お前のご主人様が危ないぞ、少年!」
そう叫んで、クライムの前に立ち、悪魔達と相対するシルク。
「少年、ここは任せて行け!」
「し、しかし……」
この数を一人でどうにかできるのか。
「悩むな、躊躇うな! 選択を間違えるんじゃない! てめえが守るべきものはいったいなんだ!?」
「……っ! ラナー様の無事を確認できたら、必ず戻ってきます!」
そんな少年の懸命な言葉を背中に受けて、シルクは小さく自嘲する。クライムの気配がなくなると、深い溜め息とともに吐き出す。
「……我ながらなんて白々しいんだろうか」
薄々考えていたことではあるが、最近、妙に
モモンガは必要最低限しか変身を使っていないらしいが、彼もまた人間であった頃の残滓が薄れているように見える。気付いていないようだが、僅かに残っていた人間的思考がズレている。混ざってきているというよりは、『馴染んできている』のだろう。アンデッドの精神に、鈴木悟の心が。
コキュートスに変化は見られない。元々が異形種である彼にとっては、付け加えられた人間性など些細な差異なのだと理解できる。カルマ値が極端であれば影響があったかもしれないが、彼の属性は中立だ。最小限で済んでいるのだろう。その辺りも考えて彼をモモンガの御供にしたが、問題なかったようだ。
一番の問題は、シルクが精神の異形化に問題を感じていないところだ。このまま人間性が消滅しても構わないと考えている。シルクには、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーへの愛着もほとんど残っていない。シルク・タングステンはモモンガとは違う。彼らの帰還など信じていない。彼らがこの世界に来ていることなど期待していない。自分達が捨てられたことを、裏切られたことを自覚しているからだ。
自分で考えておきながら強烈な苛立ちが起こる。裏切った彼らにではなく、裏切らせてしまった挙句に逆恨みしている自分に対して殺意さえ覚える。
「特殊技術発動、封印の棺」
召喚された棺桶から出現したのは、見上げるほどの巨体を持ったアンデッドの騎士。身の毛もよだつ怪物に、シルクは指示を出す。ただし、それは攻撃命令ではない。
「死の騎士よ。俺が暴れている間、そこの倉庫にいる人間達を守っていろ」
シルクは肩を回しながら、悪魔達を見る。これが自分の仕業だと思い出し、遠い昔の記憶を巡らせる。初恋の相手と旧友がこれを知ればどんな顔をするのかを考えて、自嘲する。旧友は憤怒を浮かべて怒るだろうが、初恋の女性は心底
(本当、お前はどこにいるんだろうな、アーラ・アラフ。いや、えっと……あれ? あいつの本当の名前って、どんなだったっけな……結構大事なことだと思うんだけどなあ、どうでもいいとか思っちまう)
旧友の本名さえ忘れたというのに、焦燥を感じない。罪悪感さえない。記憶の磨耗に危機感を抱けないことに危機感を抱くシルクは、本気で悪魔達への八つ当たりを開始した。
■
時間を少々遡る。
王都の一角で、歓声が上がった。
「ふん!」
エ・ランテルから来た冒険者コートスの太刀筋を見ての、感嘆であり感動の声だ。
さながら、突風の如き剣捌き。いや、一瞬の斬撃ではなく、連撃であることを考えれば吹雪と表現するべきだ。一太刀が一撃必殺の威力を持ちながら、不可避の速度を持っている。しかも、次の一撃への切り替えがとんでもなく速い。構えからの対応力と反射速度が半端ではないのだ。瞬きをする程度の時間でも、悪魔達があっと言う間に切り刻まれる。
彼個人の技量も凄まじいが、武器の刀もまた素晴らしい。刀は南方の国から極稀に流れてくる希少かつ高価な武器だ。魔法がかかっていない状態でさえ目玉が飛び出るような金額だ。コートスの刀は刀身自体が美しいが、その上でかなり高位の魔法がかけられているようだ。しかも、そんな刀が二本。
モモンの放つ魔法もそれに劣らない威力だ。
同じアダマンタイト級冒険者として、自分達と同じ程度の力量だと考えていた蒼の薔薇一同は呆然としていた。イビルアイでも、言葉が出ないほどだ。
「ガガーラン。貴女、コートスさんに勝てる?」
ラキュースからの問いに、ガガーランは苦笑しながら頭を振るう。
「……いやあ、ありゃ俺なんかよりずっと上の剣士だぜ。ガゼフのおっさんよりも強いだろうな」
「やっぱり?」
ラキュースは、頷くガガーランからイビルアイへと視線を移す。
「正直、私一人では厳しいな。あれが全力であったならの話だが」
「あれで手を抜いているっていうの?」
「ああ。見ろ、涼しい顔で汗一つかいていないぞ」
「モモンさんもコートスさんに並ぶ実力者だとすると、難度百五十を倒したというのも誇張ではないのかもしれないわね……」
逆説的に、この幻影の炎壁を生み出している存在の強大さが証明されてしまっている。無論、モモン達が倒した悪魔が実は大したことがなかったということも考えられるが、最早エ・ランテルの事件の真偽は関係ない。これまで遭遇してきた悪魔は、蒼の薔薇でも滅多に見ないような中位や高位の悪魔も多かったからだ。
これほどの悪魔を支配しているということは、今回の事件の主犯がどれだけの実力を持っているのかは想像ができない。モモンやコートス、イビルアイが揃っても勝てるかどうか分からない。そんな不安をラキュースの胸が支配する。
「でも、負けていられないわね」
ラキュースもまた魔剣を振るい、悪魔を倒していく。奥に進むほどに悪魔がどんどん強くなっていくことを感じながら、それだけ相手の首魁に近付いているということだ。事件の解決が近付いていることと無理矢理己を鼓舞して、倉庫街を進んでいく。
斥候として先攻していたチームからの連絡で、やがて難度の高い悪魔が集中している地点へと移動する。戦闘が苦しくなってきたが、それは悪魔達がここへ近付いて欲しくないことを意味する。モモンもそれに同意してくれた。場所は王都の中でもかなり大きな倉庫が集中しているエリアだ。
ここに来るまでに、悪魔が何かを探すように倉庫の荷物を漁っている場面に出くわした。戦闘が開始しても、ラキュース達冒険者を無視してでも荷物をひっくり返す悪魔がいたほどだ。このことから、ラナーの立てた悪魔が何かを探しているという仮説が成立する。
「この辺りに、敵の目的があるはずです。ミスリルとオリハルコンは――」
ラキュースの探索の指示を遮る形で、そのバケモノは現れた。さながら谷底へ巨大な岩が落ちるように、強烈な落下音とともに上空から地上に激突するように着地した。
『ふっふっふ。よもやこれほどとはなあ』
醜悪。
それ以外の言葉で表現できない魔物だ。オーガのような上半身に、昆虫と蛇が混ざったような下半身がケンタウロスのように合体していた。二対ある翼はカラスのようだ。身体のサイズはちょっとした巨人ほどあるだろうか。
シルクが生み出した星獣で、ユグドラシルのレベルで換算すれば六十弱の悪魔だ。素材となったのは、現在王都の別地点で暴れているアンデッドの怪人と同じく、名も分かれぬ冒険者である。
『我が名は魔王ヤルダバオト!』
その声は頭に直接響いた。一部の上級モンスターが使用できるという念話だろうと冒険者達は判断する。この声が目の前の怪物から発せられているのならば、見た目のように随分と粗暴な口調だが、妙にわざとらしく芝居がかっている。
冒険者達は悪魔からの念話に驚きつつも、目の前の悪魔と念話をしている人物が別であると考える者はいなかった。強大な悪魔を前にして、様々な可能性を考える余裕がないと言ってもいい。このモンスターには思考ができるほどの理性は残っていないが、本能レベルの野性で冒険者達が食べ物だと理解しているのだから。襲い掛からないのは「待て」をさせられているからに過ぎない。
「なんだと……」
モモンでさえも念話の声に対して呻くようにしている。
『自己紹介が遅れてしまったことをお詫びしよう。我こそが此度の宴の主催者だ。どうやら想像以上に楽しんでいただいているようで何よりだ』
悪魔が嘲笑とともに伝えてくる言葉に、全ての冒険者が強い憤りを感じた。
(宴だと? 楽しんでいるだと? これほどのことをやっておいてか!)
子どもに手出しはされていないし、炎は幻影であるため火事など起こさない。しかし、多くの民衆が攫われたことには違いがないし、冒険者にも死傷者が出ている。倉庫の物資もかなり奪われているようだ。まさに悪魔の如き所業だ。
『では、ここまで辿り着いた貴様らにとっておきのショーをご覧に入れよう!』
巨大悪魔がその不恰好な指を鳴らす。建物が軋むような不快な音が響くと、突如として街の一画を包んでいた炎が消失した。
「え?」
誰もが言葉を失った。炎が消失したことだけではない。炎の壁が消えたことで、その向こう側にあったものが見えるようになったからだ。
「城が、燃えている?」
ラキュースが口にした通り、王城は燃えていた。全体が燃えているわけではない。だが、遠目でも分かるほどに巨大な火柱と煙が立っているのだ。安心できる要素などない。
『おやおや。モンテ・クリストめ。もう始めたか』
「モンテ・クリストですって……!」
ラキュースは驚愕を隠せなかった。ヤルダバオトも、モンテ・クリストも、先刻シルクが教えてくれた物語に登場したばかりの名前だ。彼の話を聞いて僭称するには早すぎる。
つまり、あの物語が
『ふっふっふ。彼女――いえ、彼女達の物語を知っていたか。それは奇遇だなあ。ならば理解できるだろう? これから彼女が始めるのは正当なる復讐劇だ』
悪魔は大仰に手を広げる。
『彼女こそはこの国家のこの時代の被害者の一人。一人でありながら代表者。その怒りを、無能なる王族に向けて一体何が悪いんだ?』
ラキュースはその発言に引っ掛かるものを覚えた。
今、この悪魔は「王族」と言った。「王」ではなく、「王族」と。それはつまり、ランポッサ3世だけではなく、王子達やラナーも殺害の対象に入っている?
その可能性に辿り着いた瞬間、ラキュースの背筋に冷たいものが走った。
ラナーは民衆のために様々な政策を考えた。故に、彼女に感謝を抱いている国民は少なくないはずだ。しかし、すべての民衆がそうではないことも事実だ。彼女の救いの手から零れてしまった命があることも、ちゃんと知っている。八つ当たりじみた考えだが、そういう人間がいることも確かなのだ。
もしもこの悪魔が、そういう人間を復讐鬼に貶めたとしたら? いや、善良なる人間をそういう風に言いくるめたとしたら?
同じ可能性を考えたというわけではないだろうが、モモンが叫ぶ。
「この悪魔は我々が倒します! 蒼の薔薇の皆さんは王城に!」
「いえ、私達がこの悪魔を足止めしますから、モモンさん達がラナーを助けてください!」
ここでモモン達に頼んだのは、彼らの方が強いからだ。ほんの僅かな時間をともにしただけだが、イビルアイを除いて、漆黒より強い者はこの場にはいないだろう。
しかし、漆黒の魔術師は首を横に振る。
「我々では王城の造りを把握していません! 王都の道にも慣れていない! 皆さんの方が圧倒的に早い!」
まして戦力の分散はできない。これほど強大な悪魔を前にして、背中を見せるというのも危険だ。一人だけが同行して案内するという手もあるが、それだとチームの連携が崩れる可能性があるし、時間のロスも大きい。
「……っ! 分かりました!」
『おやおや。寂しいですなあ。皆様にはこれから私の腹に収まってもらわないといけないのだが』
悪魔がその口から炎のブレスを吐き出そうとするが、その横合いから雷光が輝いた。
「お前の相手は私だ!」
漆黒の魔術師モモンだ。彼の手から撃ち出されたのは、《
「ギャオオオオオォ!?」
怪物の口から念話とは似ても似つかない醜い声が漏れる。しかし、致命傷にはなっていないようだ。それどころか、普通に直立している。その濁った眼球をモモンへと向ける。
『この我に手傷を負わせるとは大したものだ。名を聞いておこうか、魔術師』
「モモンだ」
『そうですか――んん! そうか、モモンさ――ん。……敬意を込めてそう呼ぼう。貴様ほどの強者ならば、我が血肉になるに相応しい!』
「ほう? やれるものならばやってみろ」
悪魔の炎とモモンの雷光がぶつかり合う。
その激闘を尻目に、蒼の薔薇は走り出す。モモンの勝利とラナーの無事を祈りながら。
倉庫街を囲んでいた炎の壁は消えたが、避難した人々がすぐに戻ってくるようなことはないため、人通りは皆無だ。そのため、すぐに王城まで辿り着けた。
城門の前に着いた蒼の薔薇の目に入ったのは、惨殺された兵士達だった。皆、頭だけを残して他の部位は焼き尽くされている。中には貴族らしき者の姿もあった。
倉庫街に行っていた蒼の薔薇は預かり知らぬことだが、この貴族達は王都南西部で暴れているアンデッドから避難してきた者達である。戦士長の出動と入れ違いになったが、城の堅牢さを考えればここが最も安全だからだ。しかし、それもまた貴族を殺しやすくするための罠なのだったのだ。
「ひどい……」
「こりゃ姫さんもやばいんじゃないか?」
「急いだ方がいいな」
見慣れているはずの通路は、あちこちが燃え上がっていた。だが、その炎は不思議だった。燃え移らないし、燃え広がっていないのだ。しかし、炎の勢いが衰えることもない。イビルアイ曰く、強い魔力も感じるということだ。故に、通常の手段では消す術はない。魔法の水で消すには炎の範囲が巨大すぎる。この炎を出している大元を叩くしかない。
(これだけ特殊な魔法の炎を出し続けられるなんて……モンテ・クリストというのはどんな怪物なの?)
周囲を警戒しながらラナーの部屋まで急ぐと、角から人影が出てきた。最初はラナーか、逃げ遅れたメイドかと思われたが違った。
魔術師然とした服装に仮面。イビルアイと同じ服装ではあるが、背はあちらの方が高い。それほど高身長というわけでもなく、ごく普通の背丈だ。手に嵌めた指輪が、奇妙な輝きを放つのが目に入った。
「私は、モンテ・クリスト。復讐の魔人です」
魔人の名乗りを受けて、ラキュース達は固まってしまった。それは件の復讐鬼と遭遇してしまった驚きからではない。いや、それもあるが、それ以上のことに気付いてしまったのだ。
理解した。理解してしまった。顔を隠していようと、異様なローブを纏っていようと、高位のマジックアイテムを所持していうようと、脅威的な精霊を従えていようと、この少女の正体はある程度の見る目がある者ならばすぐに分かるだろう。ラキュースのような高度の冒険者である必要はない。少し観察眼のある人間であれば、誰にでも分かることだ。恐怖や嫌悪といった色眼鏡をしてないことが前提ではあるが。
この少女、モンテ・クリストは――『普通』だ。普通の人間だ。復讐鬼とか大悪魔の手先とか、そんな小難しい肩書きなど一切必要ない。どこにでもいる、普通の少女だ。
裁く価値などない。殺す意味などない。だって、彼女は悪魔が作り出した怪物ですらないのだ。弱い。あまりにも弱すぎる。
少女はラキュース達が動けないのを怪訝そうに見るが、やがて歩き出す。モンテ・クリスト自身にも戦いの意志はないようだ。気軽な足取りでこちらに向かってくる。
「何を呆けている! 今回の首謀者だ。捕まえるぞ!」
イビルアイの叱咤でようやくその発想に至るラキュースは魔剣を構える。他のメンバーも攻撃の態勢に入るが、モンテ・クリストは気にも留めない。まるで、相手にしていない。
「《
イビルアイの水晶による攻撃が当たった――かに思えたが、モンテ・クリストを通り抜ける。
「なっ! 幻影だと!」
イビルアイは周囲の炎を見る。倉庫街を囲んでいた炎と違って、この炎は熱を持つ。だが、この炎そのものは本物でも、普通の炎ではなかったわけだ。おそらく、この炎が幻影を発生させている源だ。強い魔力を感じたのはそういうことだったのだ。
幻の見分け方は専用の魔法や特殊技術の使用、あるいは音や臭いだ。だが、前者を使うには幻術が高位すぎる。位階に換算すれば第七位階に相当するような幻術なのだ。第五位階以下では全く通用しない。後者は、他ならぬ炎が邪魔をする。炎が燃える音で微音が聞こえにくく、焦げる臭いが充満している。普段の戦闘ならば問題ないが、幻術使いが相手ではその些細な五感の妨害が大きく影響する。
炎が小さくなったかと思えば、仮面の魔人の姿はどこにもなかった。
イビルアイが苛立ちのままに地団駄を踏む。
「くそ! どこにいった、モンテ・クリストめ!」
「……いえ、もう放っておきましょう。それより、国王やラナーの安否を……」
確認しましょう、とラキュースが続けようとした時だった。
「ラナー様ぁぁあ!」
悲痛に満ちたクライムの声に、悪い予感がした。蒼の薔薇は一瞬だけ顔を見合わせると、叫び声のした方向へ走り出す。そして、最悪なことに予感は的中する。
「ラナー様! お願いです! どうか、どうか目を開けてください! ラナー様!」
少年の悲鳴が、王城の中で虚しく響いた。彼の腕の中で、屍となった姫君は反応することなく眠っているようにさえ見えた。ラキュースも親友の死に呆然とするしかなかった。少年は何度も呼びかけるが、やはり反応はない。
門の前や城の中に転がっていた焼死体とは違い、切り傷一つも見られない綺麗な姿だ。だが、決定的なまでに生気がない。ラナーは血色が良い方ではなかったが、普段と比べるまでもなく青白い顔となっている。ラキュース達も冒険者をして長い。生死の判断は直感的にできる。巧妙なモンスターならば彼女達の目も誤魔化せるだろうが、ラナーは人間だ。誰よりも賢いが、間違いなく脆弱な生物だ。
王国はこの日、何よりも尊い財産を失った。
――その様子を、天井に張り付いた青いスライムがカメラで撮影していることに、気付く生者はいなかった。
「……あのゲテモノ、マジで趣味悪いな……」