先に言っておくと拙作のオリ主シルク・タングステンは屑です。そのことをご承知の上でご覧ください。
王都の悪魔騒動――後にモンテ・クリスト事変ともラナー王女暗殺事件とも魔王の門出とも呼ばれる事件が一応の顛末を迎えて五日ほど経過した。
事件の時系列を整理するとこのようになる。
まず、昼過ぎに王都の北東、倉庫街を中心としたエリアを取り囲むように炎の壁が出現。壁の内側では悪魔達が住民を誘拐したり倉庫の物資を強奪したりした。
夕方頃、ラナー王女からの依頼という形で、王都中の冒険者が倉庫街に突入した。冒険者が倉庫街に向かってしばらくして、南西部の高級住宅街で強力なアンデッドが出現、これを撃退するために王国戦士長と戦士団が出動した。
最後に、モンテ・クリストを名乗る怪人の登場だ。炎を支配する仮面の復讐鬼。正体の一切が不明だが、女性であったそうだ。戦士長がいなくなった王城にて、怪人は貴族や兵士を殺して回った。国王や王子は奇跡的に無事だったが、宮殿はほとんど使い物にならないほどに破壊されてしまった。
また、倉庫街にはヤルダバオトを名乗る大悪魔が出現した。アダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』を始めとしたチームでどうにか対処できたが、途轍もない難度だと言われている。まともに戦えたのが『漆黒』の三人のみで、他の冒険者達はその威圧感に震えることしかできなかったのだ。なお、モンテ・クリストや謎のアンデッドも倒すことは敵わず、事件後にどこかに消え去った。
結果的に言えば、王都の被害は尋常ではなかった。倉庫街の民衆や物資の消失、破壊された王宮、多くの貴族や兵士の死亡だけではない。実は、魔術師協会も襲撃を受けたのだ。金銭や高価なマジックアイテム、貴重な魔術的資料などが全て奪われた。門番代わりのゴーレムも粉々に破壊されているあたり、悪魔達の強さを証明している。
何より大きな被害が、第三王女ラナーの死だ。怪人モンテ・クリストの仕業だと言われている。この悲報は王都中に伝えられて、民衆の間に大きな悲しみを呼んだ。復興や被害状況の調査などが終わっていないため、彼女の葬儀もまだできていない。
だが、ラナー王女の死には不可解な点が多い。第一に、ラナー王女の死体の状態だ。モンテ・クリストは炎の使い手であり、彼女が殺した者達は全て焼き殺されていた。しかし、王女だけが
だからだろうか。ラナー王女の訃報が公表されたその日のうちに、こんな噂が立った。
――王国上層部の中に、ラナー王女を殺すために悪魔に魂を売り払った者がいる。
――王女は王家の陰謀によって暗殺された。
――邪悪な悪魔達は貴族が呼んだ。
根も葉もない噂だ。しかし、王国の未来への不安、帝国との戦争などから来る不満、復讐鬼が再来する恐怖など、民衆には負の感情の燃料があった。だからこそ、この噂はすぐに王都中に広がった。規制をしようにも、他にすることが多い貴族も兵士も手が回らず、噂は浸透するばかりだった。
なお、八本指の組織でも事件が発生したという噂がある。長達が死亡しただの、犯人は長の一人だの、新しい頂点が誕生しただの言われているが真偽のほどは明らかではない。そもそも、そんなことに構っていられないというのが王都の現状だ。
そんな王都から出ようと城壁の門へと向かう一団があった。
エ・ランテルから来ていた冒険者チーム、『漆黒』と『漆黒の剣』である。ただし、来た時は七人であったはずの彼らは、六人の姿しかなかった。
「それにしても、不幸中の幸いっての? 今回の騒動でニニャの姉ちゃんが見つかるとはな」
「まったくである」
今回の事件の前後、漆黒の剣に所属する魔術師ニニャはチームとは別行動を取っていた。事件終了後に再会できたのだが、ニニャから驚きの言葉が発せられた。
――姉さんが見つかりました。
ニニャの姉は貴族からたちの悪い娼館に売られたそうだが、ある商人によって保護されていたそうだ。街で姉を見つけたニニャは、恩人であるという商人の館にいた。だが、事件の間にその商人にも事件とは別口の面倒事が発生して、ニニャはその解決に協力していたのだという。
だから、ニニャは此処にいない。姉の身元に関する諸々の面倒が終わったら、エ・ランテルには戻ると言っていたが、その可能性は低いと三人は考えている。そんな雰囲気がニニャにはあったのだ。思わないところがないでもないが、
そんな三人の姿を見て、漆黒の魔術師もまた感じるところがあった。かつての己の姿そのものであったがゆえに。
「大丈夫ですよ、ニニャさんは必ず戻ってきますよ」
「そう言っていただけると有り難いです」
苦笑するペテルを見て、かなり気まずい思いをするモモンガ。
(まさかシルクさんが娼館から助け出した女性の中にニニャの姉がいるとは……。世間って狭い。シルクさんには悪いが、予定を変更してニニャには『漆黒の剣』に戻ってもらおう。あの人の我が儘も結構通したんだから、俺の意見も聞いてもらえるはずだよな、うん)
王都の門の前に、人だかりができている。王都から出る列かと思ったが、違うようだ。
「漆黒のモモン殿だな?」
門の前には、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフがいた。
「私はリ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。
「ご存知のようですが、エ・ランテルの冒険者チーム『漆黒』のリーダー、モモンです」
名乗ると同時に、モモンガは指輪の力を使用して人間化し、仮面を外す。その顔を戦士長はまじまじと見る。
「何か?」
「いや、知っている人物と似たような雰囲気と声だったものでな……。まさかとは思ったのだが、いや、失礼した。それに、仮面越しでは同じように思っていたが、声も違ったようだ」
感情が顔に出ないようにするモモンガ。
声が同じでも、顔が明らかに違うのだ。別人と判断するのが妥当だ。あのとき、カルネ村で幻術の顔を見せたことがこのような形で役立つとは思わなかった。しかし、『雰囲気』を読むとは戦士の勘もバカにできないものである。
再び仮面をつけて指輪の効果を切る。人間の姿では精神の安定化が起こらないため、本来のアンデッドの方が何かと都合が良いのである。
「それはともかく、良いのですか? 戦士長殿の立場で、私達に礼を言うなど」
モモンガにはよく理解できないシステムだが、社会の上層にいる人間は素直に礼を言うのも難しいらしい。人目があるからか、カルネ村でアインズ・ウール・ゴウンにしたような礼をしていないのが証拠だ。
「私はただ王都の見回りをしていて偶然アダマンタイト級冒険者と出会っただけだ。……それに、今となっては近隣国家最強の呼び名も虚しいだけだ」
空を仰ぐガゼフの目には深い悲しみと憤りがあった。
「私は所詮、国の宝である姫君を助けることもできなかった、無力な戦士だ……」
自虐のように聞こえるが、それは事実である。しかし、客観的な意見を述べるならば彼に非はないだろう。姫君を殺したのは復讐鬼――ということになってる――だから。それに、戦士長が謎のアンデッド討伐に出陣したのは、王城に逃げてきた貴族からの強引な要請のためだ。加えて、アンデッドは近隣国家最強の戦士から見ても強過ぎる相手だった。だからこそ、ガゼフ・ストロノーフが責められることはないだろう。
だが、本人も周囲もそうは思わない。アンデッドは倒せなかった上に、王城が燃え上がっているというのにアンデッドの執拗な妨害により駆けつけることもできなかった。これが無力でなくて何だと言うのか。
ガゼフの生き方が気に入っているモモンガは気を取り直してもらおうと何か気の利いたことを言おうとするのだが、横槍が入った。
「戦士長!」
大きな声のした方を見れば、おそらくガゼフの部下であろう戦士が息を切らしながら走ってきた。
「く、クライムが!」
「っ! クライムがどうした?」
ガゼフの顔が険しくなる。
かつて王女が掃き溜めも同然の場所から救い出した、クライムという名前しか持たない少年。当然、王女の死にひどく絶望してしまった。彼もまたその場にいなかった己の間の悪さを悔やんでいた。
兵士をやめることを決意したのか、あるいは自決したのか。どちらにしても、心情的にも実利的にも大きな損害だ。しかし、現実はガゼフの予想を大きく裏切るものだった。いや、裏切ったのは彼一人の予想などではなく、もっと大きくて深い何かだ。
「クライムが、ラナー王女の御遺体を盗み出しました!」
■
何をやっているんだ。
クライムによるラナーの遺体強奪を聞いて、蒼の薔薇の面々はそう思った。情報が耳に入るなり、急いでクライムの追跡を開始した。
僅かな痕跡を辿って、王都から少し離れた丘に隠れるようにあった神殿に着いた。その神殿は王都などにある神殿よりも小さい。十字架が掲げてあり、窓にはステンドグラスが使用していあるが、ラキュースも知らない装飾だ。
「……こんな場所に、神殿なんてあったかしら?」
「そもそも人の領土の外」
「神官も利用者も魔獣を恐れて生活なんてできないはず」
「ああ。それに、使い古したような雰囲気があるくせに、真新しさがあるっていうか、変な感じだな……」
「見張りどころか人間の気配がない。……行くぞ。小僧が何をするつもりか分からんが、真っ当なことではないことは確かなようだ」
特殊技術、魔法、マジックアイテムで気配を消した一同はそっと神殿の内部へと潜入する。周囲には、クライムが乗っていたであろう馬以外には生物の気配がない。まるで、この神殿に生物を拒む力があり、ラキュース達だけが特別に通されたようだった。
神殿の中には横長のベンチのような椅子が正面を見て座れるように並べてあり、建物の一番奥には何らかの人物を象った像が配置してある。
その像の前にあるスペースには人間の大人が数人寝転がれるほどの大きな魔法陣が描かれており、怪しげなマジックアイテムがいくつも並べてあった。
そして、その魔法陣の中心に立っている人間を見て、蒼の薔薇は絶句する。自分達とも親しい魔術師、シルク・タングステンだった。普段のように顔を隠しておらず、その左顔面を覆う火傷と異様な金色の瞳を露にしていた。加えて、可笑しそうに笑んでいた。
「まさか本当に盗めるとは思っていなかったぞ。いや、少年だってのはバレているんだし、奪ってきたっていった方がいいかな?」
その物言いから、彼がクライムを誑かせたのだと理解することは易しかった。問題は、どうしてそんなことをさせたのかということだ。
シルクの真正面には、クライムが跪くようにしていた。彼の前には横たわったラナーの遺体がそっと置いてある。クライムは縋るように切実な想いを込めて訊ねる。
「タングステン様。本当に、ラナー様を生き返らせることができるのですか?」
その言葉に、身を潜めていた蒼の薔薇も目を見開く。もしも気配を消すことに集中していない場面ならば、驚きの声を上げていたところだ。
「生き返らせるってのはちょっと違うな」
頭をかくシルクは、どこから説明したものかと考える。
「蘇生魔法の原理は知っているか? 専門的な話は割愛するんだが、ようは生命力を消費して復活するんだ。だが、消費する生命力がない場合は復活ができない。冒険者の難度で現すなら、十五ほどだな。当然、戦闘を生業とする者以外はそんな力は持てない。高位の復活魔法でも、最初から生命力がない存在を生き返らせることはできない」
復活の魔法の初期的講義が終わったところで、シルクは本題に入る。
「だからこそ、俺がするのは蘇生ではない。転生だ」
「て、転生?」
「ああ。さっきも言ったが、人間として生き返らせるのは不可能だ。よって、異形種として生まれ変わらせる。生き返るための生命力がないのならば、後付けするだけだ。簡単にいえば、バケモノにして甦らせるってところかな」
それを聞いて、大きく目を見開くイビルアイ。彼女の動揺はメンバー全員に伝わっていた。
「それは、ラナー様と言えるのでしょうか?」
「逆に聞くが、少年はどう思っているのかな。俺の転生は余計なことさえしなければ、記憶も、外見も、人格も元のままだ。お前がお前の主人に求める最低条件は何だ?」
「それは……」
しばらく、逡巡した後、クライムは答える。
「ラナー様はラナー様です」
仮に、これから王女が本性を少年に見せたとしても、少年は人間だった頃からそうだとは思わないだろう。シルクが嘘を言ったのだと判断するはずだ。異形種になったため、精神が変化してしまったのだと。
ある意味、シルクはそういう瞬間も楽しみにしている。
「いいぜ。じゃあ、早速……」
「やめろ!」
思わずと言うべきか、当然と言うべきか。イビルアイは飛び出して、叫んでしまった。
「い、イビルアイ様?」
「ちょ、イビルアイ!?」
「バケモノにして生き返らせるだと? ふざけるな! 貴様らの勝手な都合でバケモノにされた身にもなってみろ!」
ラキュースの制止を振り払い、イビルアイはその顔につけている仮面を外す。そこにあったのは、血のように赤い瞳と牙のような八重歯だった。
「私は、国堕としだ」
クライムは息を飲む。
国堕とし。かの十三英雄が倒したと言われる伝説の吸血鬼。その名の通り、国一つを堕としたと伝えられているほどの怪物だ。まさか自分の身近にそれほどの存在がいたことに驚きを隠せず、またそんな彼女が何を言いたいかということは言葉にされるまでもなく嫌と言うほど伝わった。
「二百年ほど前だ。私は自分の意志とは無関係に吸血鬼になった。そして、今日までバケモノとして生きてきた。その中で、私の正体を知った者がどういう反応をしたか想像できるか? 蒼の薔薇や十三英雄のような存在もいた。彼らとの時間は確かに楽しかった。だが、それで吸血鬼になってしまったことを幸福だと感じたことなどない。悪いことは言わん。やめておくんだ、クライム。それを選択してしまえば、王女はきっとお前を怨む」
ラナーが笑ってくれるのならば、怨まれてもいい。それがクライムの本音だ。だが、それを伝える前に、シルクが口を開いた。
「悪いが、説得力はねえな」
「何?」
イビルアイだけではなく、クライムも困惑する。先ほどの告白を聞いていなかったのかと想うほどだ。
「なぜならば、
イビルアイは顔を歪ませて、怒鳴るように再度言う。
「だから、私は吸血鬼だ!」
「ああ。外側はそうなんだろうよ。でも、中身は人間だろ?」
だが、周囲の困惑も吸血姫の怒気も気にせず、シルクは言う。
「中身が人間なら、そいつは間違いなく人間だよ」
「ば、馬鹿を言うな。だ、だって、わ、私は、バケモノで……」
「いいや、違うね!」
イビルアイの言葉を遮って、シルクは断言する。
「お前には、人間として愛がある。そして、その愛を人間に向けている。人間としての愛を持つ者は、どのような身体になろうとも人間だよ。太陽に最も近かった女を知るこの俺がそれを保証する。お前は間違いなく人間だ。人間であろうとする者は、人間なんだ!」
その言葉を受けて、イビルアイは固まった。
十三英雄や蒼の薔薇のように吸血鬼だと正体をばらしても受け入れてくれた存在はいた。だが、この身体になってから人間だと言ってくれた。言葉では表現しきれない感情が溢れ出て来る。反論を重ねようとしても、喉が震えて声が出てこない。
なお、シルクも内心では、(やっべー! こいつ吸血鬼だったのかよ、マジかよ。それは想像してなかったわ。ああ、でもだったら納得いくことがいくつかあるな。ゲテモノ姫め、知ってて黙ってやがったな? でも、それで突っ込むのもなー。NPCに見られたら、何かせこい男みたいでカッコ悪いし。実は察してはいたってことにしよう)と考えていた。
イビルアイの正体が吸血鬼であったと知ったところで、シルクの中には嫌悪も恐怖も宿らない。自分自身もまた正体が異形種であることや自分が彼女より強いこともあるが、それ以上に彼女が愛おしかった。元々、シルクの願う『人間らしさ』があったため、好ましいと感じてはいた。
二百年以上も、人間としての愛を失わずにいる。半年ほどで人間性がかなり薄まっているシルクからしてみれば、この少女の在り方は異常のようであり、とても輝かしいものに見えた。この瞬間に至るまでに彼女の心に『人間』を保たせてくれた全てに頭を下げて感謝したいほどだ。
ガワなどどうでもよい。中身が人間でさえあれば、シルクはそれを愛せる。だが、それが二百年ものという熟成された存在であるならば、俄然として欲しくなる。いや、絶対に手に入れる。計画が失敗して同意でものに出来ないのならば、無理矢理にでもシルク・タングステンの所有物にしてみせる。
ナザリックの利になるならば、モモンガは拷問にかけてでも情報を引き出そうとするだろう。だが、彼女が持つもので重要なのは情報ではなく人間性の方だ。通常の人間の倍の時間も生きて、人間性を失わなかった彼女がいれば、自分やモモンガも人間性をこれ以上失わないで済むのではないか。接触したのが自分でよかったとシルクは安堵し、渇望する。
この女の心が欲しい。
これは恋でもなければ愛でもない。もっと醜くて浅ましい『欲』なのだろう。自分が異形であることを認めてしまったことを少しだけ後悔する。できれば、この女には完全に人間であった頃に出会いたかった。
こんな風に考えたのは、おそらく初めてだ。初恋の相手にも抱かなかった欲望を、この美しい吸血鬼に対して抱いている。自分で自身の愛を肯定できたのは、アインズ・ウール・ゴウンのメンバー以来だ。
(今ならロリコンの謗りを受けてもいい。でも、二百歳以上だからなー。人間じゃないし、完全に合法ロリだ。むしろ熟女好きと呼ばれるべきだな、うん。年上好きだって自覚はあったし)
心の中で滅茶苦茶かっこ悪いことを考えているとは微塵も匂わせず、シルクは出来るだけカッコつける。
「じゃあ、他に反対意見はあるか? あってもなくても、この少年が望むなら俺は転生を行うつもりだ」
シルクからの問い掛けに、ラキュースは仲間達の顔を見る。
「……どう思う?」
「鬼リーダーの好きなように」
「鬼ボスに従う」
双子の忍者がそう言うと、屈強な女戦士は溜め息を吐きながら首を横に振った。それは否定や拒絶ではなく、彼女もまたラキュースの意見に従うということなのだろう。イビルアイは固まったままだ。多分、現在の彼女からはまともな答えが出て来ない。
「私は……」
だが、ラキュースもまた答えなど出なかった。ラナーを失うのは嫌だ。また話がしたい。しかし、自分では蘇生させることなどできない。いや、誰にもできないだろう。しかし、この男にはまたラナーをラナーとして生まれ変わらせることができるという。それは奇跡だ。このチャンスを逃せばどうなるかを考えるのは、易しい。しかし、縋っても良い奇跡なのかは怪しい。これは禁忌に足を踏み入れる行為に近い。
最初からラキュース達の答えなど求めていないシルクは、クライムの方を見る。
「じゃあ、改めて問うぜ、少年」
シルクは火傷の覆う左顔を笑みで歪める。そのおぞましい黄金の瞳がクライムをじっと捉えるが、少年は身動き一つしない。そんなもの、怖くないからだ。
「覚悟はいいな? お前は国を、王を、戦士長を裏切った。そして、これから姫様や自分自身さえも裏切ることになり、何より『人間』を裏切ることになる。決して途切れぬ永遠の罪悪感に身を沈めることになる。理由はそこのお嬢さんが言った通りだ。それでもなお、奇跡を望むか?」
「ええ。構いません。それで……それでラナー様を取り戻せるならば! ここでラナー様を救えない道を選んだ方が、きっと永遠に後悔する! だから!」
「――承知した」
シルクはにやりと笑う。
「ぐ、具体的に何をするんだ?」
落ち着きを取り戻したイビルアイの質問に、シルクは地面を指差す。
「この魔法陣を通じて、我が身に星の力の一端を降ろす。つまり、神の贋作になるってことだ。転生そのものは魔法ではなく、神の権能の一つに過ぎん」
完全に口からでまかせである。それっぽいことを適当に言っているだけに過ぎない。ユグドラシルの公式設定を頼りにして、この世界においても説得力があるような説明だ。クライムも蒼の薔薇も理解したようなしていないような顔をしている。
「先日の事件にできなかった理由は、察してくれ」
それを聞くと、手間がかかる、あるいはそれなりのリスクがあると彼らは判断した。実際は、シルクの超個人的な理由だが、それを言うことはない。
「じゃあ、さっさと始めるぜ」
シルクは特殊技術を解除して、星霊の姿となる。
クライム達はその姿に驚く。紫色の炎に包まれた怪人だ。いや、人型の炎という方が正しいか。その威圧感はまさに神と呼ぶに相応しいものだった。まるで星そのものと対峙しているような迫力だ。気を抜けば押し潰されてしまう。シルクが言っていた『神の贋作』という言葉は的を射ている。これは確かに現世ではなく、神代にあるべき力だ。
星の力の一端を得たシルクは、その紫炎の手をラナーに差し向ける。
「特殊技術発動、星獣転生!」
空中から虹色の光が出現して、死んでいるラナーを包みこむ。
光が止んだかと思えば、そこには相変わらずラナーが横たわっている。だが、先ほどまでの死体ではなく、間違いなく生気があった。
「ん、んん……」
ラナーがかすかに動く。
それを見て、クライムは呼びかける。信じられないと言った様子で、しかしこれが夢であっては欲しくないと願いながら。
「ラナー様……?」
「あら、クライム。おはよう」
寝ぼけ眼を開けたラナーの瞳に、クライムが映る。
間違いなくラナーの声だ。
「ラナー様!」
「きゃっ!」
たまらずクライムはラナーに抱きつく。普段の彼ならばこのような真似はしない。ラナーの方が抱き締めてきても、抱き返すような真似はしない。そんなことをしていいはずがないと、自制するだろう。だが、感極まってしまったのだろう。そのまま感情を爆発させた。
「ラナー様、お側にいます。ずっと、ずっとお側にいます! この命ある限り、何があろうと、ずっと貴女を守り続けます!」
「まあ、クライムったら……。ええ、よろしくお願いね?」
少年は泣きじゃくりながら、愛しい姫君を抱き締める。姫君もまた聖なる微笑を浮かべているが、本当は邪悪に笑まないようにしていると思うと色々と悲しい。
そんな一枚の絵画のような奇跡を見て、シルクは特殊技術を発動させて、人型に戻る。そして、遠い過去に思いを馳せた。
この力を持ったまま元の世界に戻れたら、自分もひょっとしたらこうなれるかもしれないのに、と。
■
「終わったみたいだな」
奇跡が起きた場所から少し離れた森の中、気色の悪いスライムが呟いた。分身体から主人とゲテモノ姫の仕組んだ茶番が終わったことが伝わったが、少々予想外のことも起きた。
ともに待機していたクレマンティーヌが問う。
「私、詳しい話を聞いてないんだけど、これからどうなるの?」
「ラナー王女はこのまま死んだことにしてもらう。そして、王子達を利用させてもらう」
「悪い噂が流れているみたいだけど、やっぱりあれってうちらの仕業なの?」
「まあな」
ミリオンに表情があれば、にたりと笑っただろう。
「味方がいない追い詰められた人間ほど脆いものはねえよ。傀儡向きな第一王子の枕元にシルク様が立って、お告げをする。アホ王子を使って王国にトドメをしたら、謎の御使いエンリ・エモットの出番だ。逃げ場もない哀れな民衆に、神のお言葉を伝えてもらおう」
神官といっても、エンリには信仰系魔法など使えない。あくまでも、『言葉を伝える』だけだ。今後の展開としては、非力かつナザリックに永続的に従ってくれる人間が必要なのだ。
「蒼の薔薇は?」
「秘密の共有ってのはな、人間の心を把握する手段の一つだ。王女の復活を知った以上、蒼の薔薇はほとんどこっち側だよ。どうするつもりか詳しいことは俺も知らん。ナザリックに紹介するのか、あのゲテモノを通じて『友人』として動いてもらうのかは不明だ。……イビルアイだけはどうなるか分からんけどな……」
「え?」
「こっちの話、もといあの御方の話だ。忘れろ」
ミリオンの発言を怪訝に思いつつ、クレマンティーヌは話題を変えるために彼の持っているマジックアイテムについて尋ねる。そのマジックアイテムは縦長い箱のような形をしており、先端には砲口のような部分がつけられている。
「えっと、そのかめら? だっけ。そのマジックアイテム。どんなアイテムなの?」
「ああ、正確にはビデオカメラな。映像を記録できるんだ。あのゲテモノからのお願いとシルク様からの命令でな。二つの映像を記録するように言われているんだ。一つ目はあの少年のことな。あのゲテモノが死んだらどんな反応をするのかを記録しろとかほざきやがったんだ」
肺もない癖に疲れたような溜め息を吐き出すと、カメラの先端部分をクレマンティーヌに向ける。
「ほれ、こっち向け」
「え? もしかして、二つの映像の片方って私?」
身体を上下に揺らすミリオン。おそらく頷いたのだろう。
「先に謝っておくわ。悪いな。許す必要はないぞ」
「えー? 何を撮るつもりなの、みーさん」
「お前が裏切られたらどんな顔をするのかをだ」
その言葉を反すうするのに一秒要した。その意味を理解するのに一秒要した。その状況に対応するのに一秒要した。計三秒。歴戦の戦士であるクレマンティーヌにしては対処が完全に出遅れた。例え一秒で反応しきれたとしても、間に合うことなど有り得ないのだが。
後ろに飛びのこうとした瞬間、ずちゃりと背後から斬り付かれた。
「駄目だろ、真正面だけ警戒してちゃ。いや、俺がお前のレベルだと油断できない相手だってのは分かるんだけどさ。お前を楽に殺せる相手がナザリックには吐いて捨てるほどいるって忘れたわけじゃねえだろ?」
クレマンティーヌが首だけで振り返ると、そこには怪人がいた。
背丈は人間の成人と同じ程度。ボロボロの紳士服とシルクハット。顔は通常の人間より少し大きいほどだが、異常に青白い肌と強烈な腐敗臭がこの怪人がアンデッドであることを教えてくれた。人間の拳ほどもある目玉には、憎悪が宿っている。それはアンデッド特有の生きる者への憎悪とはまた異なる色の憎悪だ。
一瞬の内に、アンデッドはクレマンティーヌの身体を拘束する。朽ち果てた死体といっても、彼女よりも難度の高いモンスターだ。純粋な膂力だけで押さえ込まれる。
「キャハハハハハ! ……ヤットだ、ヤット……」
「おっと。まだだぞ」
アンデッドが振り降ろそうとした手を、ミリオンが止める。アンデッドは唸りながら、不承不承といった様子で一時的に殺意を抑える。
「そのアンデッドさ、ミスト・ザ・リッパーって種族のアンデッドでな。切り裂きジャックの上位互換……モンスターとしての説明は端折るんだけど、そいつ、シルク様の作った星獣なんだわ」
この星獣の強化に使用された特殊技術は三つ。これまでの実験により、星獣転生の『生前の人格や記憶、理性、知性を受け継ぐ』というデメリットは、召喚補助の特殊技術を二つ使用すれば消し去ることが出来ることが判明している。よって、このアンデッドには内面的には生前の面影は皆無である。
逆に、どれだけ強化を重ねても武技や魔法といった『能力』は受け継がれるようだ。武技はともかく魔法に関してはユグドラシルでも明らかだった点であるため、それほど驚くことではない。
「い、いつからだ」
「あん?」
「いつから、私は殺す予定だった?」
言ってからクレマンティーヌは自嘲する。信用したつもりはなかったはずだ。しかし、そんな言葉が出てくるあたり、この状況を想像できていなかったあたり、このスライムだけは信頼していたのかもしれない。
変色スライムはただ、人差し指でも振るように身体の一部をぐにゃぐにゃさせる。
「順番が逆だな。お前を殺すためにそいつを作ったんじゃない。そいつを作ったからお前を殺すことにしたんだ」
厳密には、クレマンティーヌを殺す意味はある。端的に言えば、ズーラーノーンや法国の情報源という用事が終わり、星獣の実験が成功したため武技が使えるという価値がなくなり、将来的に裏切るかもしれないという危険性だけが残ったからだ。
シルク個人としては、裏切る可能性など無視しても問題はない。裏切られても傷付くほど信用していない拾い猫が裏切ったところで殺せば問題ないからだ。しかし、だが、組織の責任者としては見逃すわけにはいかなかった。万が一のことがあれば、それはアインズ・ウール・ゴウンへの裏切りだからだ。アインズ・ウール・ゴウンとモモンガだけは裏切るわけにはいかない。
だからこそ、かつてミリオンはクレマンティーヌにこう言ったのだ。
――お前の存在価値は武技だ。
――お前は新しい価値を示しておく必要がある。
シルク・タングステンがクレマンティーヌを気に入ったというのは嘘ではない。だが、いつまでも気に入っているとは考えづらかった。いつか飽きて、捨てると確信していた。なぜならば、この女には人間への愛がない。殺すことを愛しているとは言っていたが、それは自分への愛であって、他者への愛ではない。
だが、別にシルクはクレマンティーヌを積極的に殺そうとはしていない。
「実はそいつ、お前を『殺せ』って指示もお前を『殺していい』って許可ももらってねえんだよ」
「……は?」
「つまり、こいつがやっているのはほとんど叛逆だ。何せ形ばかりとはいえ、ナザリックに所属している同志を殺害しようとしているんだからよー。ぶっちゃけ、内輪揉めは最大のタヴーだぜ?」
仲間思いのモモンガの趣向もあるだろうが、それ以上にNPCやシモベの考えが一つにまとまっているからだろう。――全ては至高の御方々のため。ナザリックに所属する者は全て、御方々の所有物であるがゆえに。
「普通なら有り得ない。だけど、こうして現実に起こっている。別に、シルク様の予想外ってわけじゃない。ある事件から、あの御方はご自分の『星獣転生』という特殊技術に疑問をもっていた。これはその検証ってわけだ。そして、検証は見事に成功したわけだ。さすがは我が神だ!」
ある事件から生じた疑問というのは、ミリオンの嘘から由来しているため、彼としてはこの実験の結果は自分の首が繋がったままか物理的に切られるかの瀬戸際だったのだ。だからこそ、シルクの仮説が成立してくれたことで内心では胸を撫で下ろしている。撫で下ろす胸も手もないが。
「今回の実験で問題なのは、そいつの素材だ。そいつの素材にはな、ある冒険者の死体が使ってあるんだ。といっても、俺は名前を知らないし、多分、この街の連中も一部の親しい奴以外は忘れているだろうさ。シルク様も聞いたかもしれないけど、忘れただろうな。ただ、シルク様が素材に選んだのはそこじゃない。消えても問題のはない死体って点じゃない」
ミリオンはうにょりと身体の一部で憎悪を膨らませるアンデッドを指差す。
「そいつは、冒険者でありながら死体にはプレートがなかったんだ。どうしてか分かるかな?」
それを聞いた途端、クレマンティーヌの頭の中で点と点が繋がる。
彼女の装備には金属のプレートが鱗のように縫い合わされている。金属のプレートというのは、殺した冒険者から奪ってきたプレートだ。自分が強者を殺した証として集めてきた。例え彼女の来歴を知らないものでも、あの装備を見れば彼女がどんな人間であるかの察しはつくはずだ。――まして悪意を見抜くことに長けたシルクならば、彼女がどれだけの人間に怨嗟を向けられているか想像できないはずがない。
「そう! そいつは他ならないお前に殺された冒険者のなれの果てだ! 自分を殺され、仲間を殺され、誇りと力の証であるプレートさえも奪われた! 生まれ変わった瞬間から、お前を殺したくてたまらなかっただろうなー?」
普通のアンデッドであれば、生前のことなど覚えていない。微かな残滓が残ることは稀にあるかもしれないが、それでもアンデッドの本能に逆らったり、同胞を攻撃したりはしないだろう。だが、このアンデッドは普通のアンデッドではない。死の魔王ではなく、太陽の如き王によって生み出された星獣だ。生前の残滓は、他のアンデッドと比較しても格段に残されている。例え、強さと引き換えに磨り潰されたのだとしても、自分を殺した女への憎悪だけは忘れなかった。
「今回の実験の成果はそれだ。星獣になろうが、生前の強い想いは決して消えない。命の王の眷属という立場さえ無視して、行動を起こす! そんな姿になっても、自分や仲間を殺された無念を忘れていないってすごくね? 実に愛に満ちている。え? これは愛じゃなくて憎悪? おいおい、お前にとっては憎悪でも、こいつと一緒に死んだ仲間にとっては愛だろうよ。届きはしねえけどな」
無論、アンデッドにしたことで人間性が綺麗になくなる可能性もあった。それどころか、この冒険者を殺した者はクレマンティーヌとは無関係である可能性だって十分にあった。今回の実験は成功であるならば分かり易いが、失敗した場合は原因を知り様がない。
だから、シルクはどっちでもよかったのだ。
ただ、成功すれば良かった程度の感情しか持っていない。
「いやあ、超愛しているぜ? お前じゃなくて、そこのアンデッドの人間性をだけどよー。はっはっは!」
「お、おまええええええええ!」
「素敵な顔だな。録画のし甲斐があるってもんだ! はっはっは、はっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっは! マジ最高! どんな気分だ? 忘れた罪に殺されるってのは! ――好きにしろ、霧裂き魔」
「キャハハハハハハ! ミンナ、の、カタキ、だ……!」
「ああああ、ああああああああああああ!」
「アイツにヤッタヨウニ、時間をカケテやる! じっくり死ネぇ!」
復讐の霧裂き魔がその手を振るい、鮮血が舞う。
クレマンティーヌはミリオンの高揚した笑い声を受けながら、アンデッドに身体を刻み付けられる。かつて自分自身がやったように簡単には殺されない。苦しめ続けられるように、致命傷は避けて、しかし深く痛みを感じられるように嬲られ続けた。それはまさに復讐だ。だが、女の心を抉っていたのは、誰かも分からぬ冒険者からの復讐などではなく、スライムの笑い声の方だった。
やがて女が動かなくなると、スライムも笑い声を小さくしていく。カメラの電源を切って、空を仰ぐ。表情も何もない顔がこんな時だけ有り難い。同時に、血も涙もない身体が恨めしい。
「はっはっは……あー、くそ」
嗚咽が混じったような声で、スライムは独白する。
「悲しくて泣きそうだって言っても、誰も信じてくれねえだろうな」
今はただ、蒼の薔薇が同じ末路を辿らないことを祈るだけである。
イビルアイの身バレがなかったら、蒼の薔薇も同じような結末だった可能性が高いよ。
クライムとラナーも現状だとこの結末と似たような展開になる可能性はあるよ。