言い訳させてもらうと、最近グラブルにはまってしまいました
自分の選択に間違いはなかっただろう。強いて言うなら運が悪かった。しかし、運が悪い中でも比較的運が良い方である。
元八本指警備部門『六腕』所属、『幻魔』サキュロントはそう思う。
彼が所属していた組織、八本指は壊滅した。表社会には伝わっておらず、裏社会では大悪魔ヤルダバオトに滅ぼされたということになっている。王国は悪魔が誑かした女の復讐に巻き込まれたというのが世間に浸透している噂である。
だが、実際は違う。総合的に考えれば、本当の狙いは八本指ではなく、犯罪組織と癒着し腐敗した貴族だったのだ。まあ、間違っても八本指が巻き込まれただけと言うつもりはないが。
現在、八本指と呼ばれた組織はヤルダバオトによって支配されている。かつてとは形式が大きく違う。奴隷売買部門は本部や各支部が徹底的に破壊されることで、警備部門は裏切り者の汚名を受けることで消滅した。サキュロントの現在の所属は暗殺部門である。
世間では、ヤルダバオトは複数のモンスターが合体したような巨大な悪魔だとされている。しかし、実際は人間大の悪魔なのだ。世間一般に広まった大悪魔の姿は、影武者のそれに過ぎない。それを知っているのは八本指の中で言う各部門の長にある人間だけだ。だが、それは決して強みではない。この事実をヤルダバオトが教えてきたのは、ほとんど脅迫に近い。誰もが知らない真実を知っているということは武器にもなるが、見えない首輪にもなるのだ。
といっても、サキュロントを始めとした八本指の構成員には情報らしい情報など与えていない。具体的には、ナザリック地下大墳墓の存在やアインズ・ウール・ゴウンの名前である。使い捨てである犯罪組織に重要な情報を与えるほど耄碌した者などいない。NPCは顔を隠し、偽りの名前を使っているのが良い証拠だ。
八本指の認識では、ヤルダバオトという超級の悪魔をトップに持つ組織が八本指を吸収したことになっている。ヤルダバオトの配下には強大な悪魔やアンデッドがいる。そして、各部署のトップにはヤルダバオトの配下が席を置くことになった。
だから、サキュロントを呼び出した現在の上司も人間ではない。
「近い内に帝国に行くことになった」
「て、帝国ですかい?」
六腕最弱と言われたサキュロントであるが、こうして生きている以上は他の五人よりも幸福だ。『闘鬼』ゼロはヤルダバオトが八本指を乗っ取るために利用された。実際に誰かが口にしたわけではないが、間違いないと思われる。『千殺』マルムヴィストは悪魔に懐疑的な態度をしたため、見せしめに無惨に殺された。『空間斬』ペシュリアンと『不死王』デイバーノックは二つ名が悪魔の逆鱗に触れたらしくあっさりと殺された。『踊る三日月刀』エドストレームは某所で実験台にされていると現在の上司に聞いている。
警備部門で良かった。下っ端でなくて良かった。六腕筆頭でなくて良かった。男で良かった。『幻魔』という二つ名で良かった。自分の新しい上司が、
「何だって急に?」
「うるせえ。黙って留守だけしてろ」
口などないに関わらず、実に人間臭い口調でぼやくスライム。骨のように真っ白な色の身体をしており、目も手も足も耳もないシンプルな構造のウーズ系である。どことなく間抜けな雰囲気があるが、その戦闘能力はサキュロントどころかゼロさえ上回る。サウザンドと呼ばれている。
当初はこんなけったいなモンスターの部下に成り下がった我が身を呪った。しかし、時間が経ち、他の部署の扱いを聞いている内に気が変わった。自分は恵まれていた。他の部署の人間と現状を話し合い、役職を代えてくれと何度言われたことか。だからこそ、サキュロントはこのスライムの機嫌を損ねるわけにはいかない。最悪、固形物が食べられなくなってしまう。
「そんな言い方しないでくださいよ、サウザンドの旦那」
「うるせえ! 俺は野郎よりギャルが好きなんだよ! 何が悲しくててめえみたいなおっさんの上司なんぞしなきゃならんのだ」
「そう言われましても、旦那。俺がヤルダバオト様の決定に逆らえるはずがないでしょう?」
「だったらお前も気をきかせて女子を連れて来いよ! 俺に潤いをよこせ」
このスライムは非常に人間臭い。このヤルダバオトの組織に所属している者は基本的に人間を蔑視しているし、考え方が非常に人間離れしている。そういう者の部下になるよりはマシかもしれない。
だが、人間臭いからこそ非常に面倒臭いのだ。それに、人間臭いスライムというのも接しづらい。外見が人間に近ければ多少ズレがある程度で済むのだろうが、表情も何もないスライムだ。まるでスープ皿で飲酒をしているような違和感がある。距離感が掴みづらいのだ。
女性を所望しているが、別に性的や物理的な意味で食べることはない。単に目の保養にしたいらしい。物理的な目などどこにもないのだが。そもそも、なぜスライムが人間の女を見たがるのかが分からないが。
「しかし、帝国は鮮血帝の代になってから動きづらいんですよね。せめてどのくらいやばいことをするのか教えてもらえませんか?」
「誰が違法行為をしに行くと言った。犯罪組織って言っても、隠れ蓑のために健全な店舗はいくつか抱えてんだろう? そっち関係を使うんだよ」
判然としないサキュロントに、面倒臭そうにサウザンドは補足する。
「『資材』は手に入ったからな。加工して売り出すんだよ。俺は中継というか、現場監督」
「成る程」
同じ素材であっても、三流の素人と熟練の職人の作品が同じであるはずがない。ヤルダバオトが保有する戦闘能力は異常だが、製作面においても一部の存在は超一流の技術を持っている(実際の職人を見たことはないが)。ちょっとした素材でも、彼らが手を加えれば天下に名を轟かせるような名品ができるだろう。
サキュロントはサウザンドの部下になるにあたって、彼から装備を送られた。剣からブーツまで、以前の装備の数段上の高級品だ。それをまるでゴミ捨て場で拾ってきたガラクタのように乱雑に投げ渡された時は驚いたものだ。
「といっても、本題は金儲けじゃなくてコネクション作りらしいけどな。生産量には限界がある。強い武器を買えるのは金がある奴だが、それは強い冒険者も多い。最高で引き抜き、最低でも繋がりを作っておくってわけだ」
「理解しました。賭博部門の方にコネを知っていますので声をかけておきましょうか?」
「ん、じゃあ頼むわ」
「畏まりました、旦那」
「ああ、最後に一つだけ質問だ。前々から聞こうとしたことなんだけどな」
水面のように蠢いていたサウザンドの身体の震えが止まる。
「お前、自分が殺した人数とか覚えているか?」
「はい?」
質問の意図が分からないサキュロントは間抜けな反応をしてしまう。サウザンドは呆れたように溜め息を吐き出すような動作をして、返答を待たずに言う。
「そっか。じゃあ忘れた罪に殺されないように気をつけろ」
眼球などないはずのスライムから、殺意の込められた視線を受けた気がした。かつてゼロから感じた迫力とは比べ物にならないほどの悪寒が走る。ヤルダバオトに関係なく、このスライムの言葉に逆らう術をサキュロントは持っていない。
この恐怖はまさに呪いだ。
■
自分の選択に間違いはなかった。強いて言うなら運が悪かった。いや、あるいは良かったのかもしれない。
リ・エスティーゼ王国六大貴族の一人、レエブン侯はどこか自嘲めいた表情を浮かべながらそう考える。
フルネームをエリアス・ブラント・デイル・レエブン。国王派と貴族派という二つの派閥を行ったり来たりしているため、『蝙蝠』と揶揄される男である。しかし、その正体は両方の派閥をパワーバランスをコントロールし、王国を影から守る功労者である。この影から守るというのが、国外からの敵ではなく、内側にいる彼と同じ貴族であるというのが皮肉すぎるが。
「はあ……。どいつもこいつもバカばかり!」
深い溜め息の後、レエブン侯は頭をかきむしり、思いっきり罵声を飛ばした。場所は彼の書斎であり、ここは幾重にも施された防音対策がしてあるため、彼の絶叫が外に漏れることはない。だからこそ叫んだとも言える……というより、ここでなければ彼はストレスを発散することもできない。本当は場所も相手も弁えず、本音をぶつけてやりたいところだが、そんなわけにはいかない。
レエブン侯は自分がいなければ国が一気に瓦解することを理解している。だからこそ、下手なことは出来ない。自分が優秀だと自惚れているのならばいっそ楽なのだが、他の貴族が愚か過ぎるのが理由なのだから頭痛と腹痛が止まらない。
「はあ、はあ、はあ……。よし、一度王国の現状を理解しよう」
口にしてから、レエブン侯は激動の半年の間にあった出来事を思い出す。どこかに糸口がないかと思うが、期待などできない。
「まず、王国戦士長の暗殺未遂事件だ。これは帝国かと思われたが、実際は法国の工作員の仕業だった。まったく、他国のスパイの思考誘導にも気付かないとは」
自国の貴族の脳味噌を嘆きながら、レエブン侯爵は続きを思い出す。
「私自身、戦士長の死は免れないと思っていたが、戦士長が現地で思わぬ助っ人を得た。アインズ・ウール・ゴウンとシルク・タングステンという二人組だ。いや、正確にはもう一人いたのだったか? まあ、細かいことはいい。とにかく、この二人のおかげで戦士長が戦死するどころか、敵の指揮官を倒すほどの戦果を上げた」
このとき、戦士長は敵の指揮官の首を取ったはずなのだが、王都への帰路の途中で喪失した。おそらくは蘇生させるために法国が盗み出したのだと思われる。理由や能力を考えても、それ以外にはないだろう。捕虜がいれば最善だったのだが、そんな余裕はなかった。その点についてレエブン侯も責めるつもりはない。相手は特殊工作部隊群『六色聖典』だ。戦士団からの証言から考えても、間違いない。
名前からして法国の人間である可能性が高いアインズ・ウール・ゴウンも怪しい。しかし、他ならぬ彼の手によって敵は倒されている。
「いや、彼が実は六色聖典に所属していて、戦士長暗殺に賛同できずに離反した可能性もあるか?」
法国は戦士長をおびき出すためにエ・ランテル近郊にある村を襲い、それなりの数の村人を殺している。高い信仰心を持つためにその行為に憤慨して、法国を裏切ったという可能性もなくはない。だからといって、王国についてもらうのは難しいだろう。
「次に、エ・ランテルの悪魔騒動だ」
思えば、あれこそが悪夢の始まりだ。レエブン侯は話でしか知らないが、元冒険者達の部下から感想を聞くと、色々と桁外れの事件だったようだ。今となっては霞んでしまうが。残された証拠などから、ズーラーノーンが関係していることはほぼ間違いない。
「竜王国でもドラゴンが出たそうだが、流石に関係ないだろう。これは無視だ」
関係があるどころか黒幕が同一人物なのだが、流石にレエブン侯でも気付かない。ドラゴンと一緒に悪魔が出現したことを彼が知らないため、余計に関連付けられないのだ。加えて、立地からして王国と竜王国はそれなりに離れている。遠方に気を使えるほどの余裕は彼にはなかった。
「王国各地で起きた怪奇事件の数々」
都市、町、寒村、貴族の館。場所も規模も身分も選ばず、被害は起きた。実際は、八本指に関連のある人物や場所ばかりが襲撃されたため、狙いが八本指であることと大規模な組織の犯行であることは初期から分かっていた。だが、まるでこちらの捜査網が把握されているかのように尻尾がつかめなかった。
「そして、ヤルダバオトによる王都襲撃」
大悪魔ヤルダバオト。アダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』が相手をしたそうだが、倒すまでには至らなかった。
悪魔騒動と怪奇事件の黒幕がヤルダバオトだった場合、ズーラーノーンはヤルダバオトと同盟あるいは支配の関係にあるのだろう。ズーラーノーンがアンデッドではなく悪魔を使ったことは奇妙だったが、アダマンタイト級冒険者でさえ倒せないような怪物が関わっているのならばその違和感も払拭できるというものだ。
ヤルダバオトと同じタイミングで強力なアンデッドが出現したこともこの考えを後押ししている。このアンデッドの手によって、多くの貴族が葬られた。無能も多かったが、無能は無能なりに必要なのだ。社会の回転に影響が出るレベルの損失だ。未知のアンデッドを倒すために戦士長を出撃させたのだが、これが悪手だった。
「とどめに、モンテ・クリストによるラナー王女暗殺……いや、真犯人は違うか。どう考えてもな」
業火の復讐鬼モンテ・クリスト。魔力を帯びた炎を以って王城を攻撃し、数多の兵士や貴族が命を落とした。幸いにも、国王は無事だったし二人の王子にも大事はなかった。しかし、第三王女ラナーが死亡してしまったのだ。だが、彼女を殺したのはモンテ・クリストではないことくらいは誰にでも分かることだった。レエブン侯もそう考えている。モンテ・クリストが協力関係であった可能性は高いが、真犯人は貴族の中にいる。
聖女とも黄金とも言われる姫、ラナー。レエブン侯が彼女に抱いていた感情は世間のそれとは全く別のものだった。だが、彼女は死んでしまった。もしも殺されたのがラナー以外であった場合、レエブン侯は彼女とヤルダバオトの関連を疑ったかもしれない。それほどまでに誰かが王宮の人間を思考誘導したような形跡があるからだ。しかし、死んだのは他ならない彼女であるため、除外される。
問題は、ラナーの死の真相そのものよりも、ラナーの死によって民衆が王国上層部に不信感を抱いたことだ。王女を殺したのは王族ではないのか、悪魔を呼んだのは貴族ではないのか。そんな噂があちこちに蔓延しているのだ。
しかも、何を血迷ったのか、クライムという少年がラナーの死体を盗み出してしまった。戦士長が王城にいないタイミングを狙ったのであろうが、それ以外にも彼の逃走が上手くいきすぎた点がいくつもある。おそらく何者かが裏で糸を引いていたのだ。そして、その何者かがヤルダバオトである可能性は非常に高い。そして、王国上層部に共犯者がいる可能性はそれよりも高い。
クライムの凶行を聞いた蒼の薔薇が彼を追跡したのだが、道中で件の未知のアンデッドに遭遇し、足止めを受けてしまったのだ。戦士長が遅れて加勢に入るとアンデッドは逃げ出したが、クライムの足取りは全く分からなくなってしまった。
――このとき、蒼の薔薇は『追跡を邪魔された』のではなく、『帰路についたところを襲撃された』のだが、そんなことは彼女達以外には分からない。そして、彼女達自身もこのアンデッドが火傷顔の魔術師のシモベであるとは知らない。アンデッドに襲撃されたタイミングで戦士団が来たため、これ幸いとばかりに話を合わせてクライムを見失ったことにしたのだ。流石に王女が禁忌の技術で人間をやめましたなど言えるはずがない。
「王女の死体など何に使うつもりだ? 王家の血が古代の悪魔でも復活させるというのか?」
言ってから面白くもない予想だと切って捨てる。この予想が当たっていた場合、レエブン侯に出来ることなどない。証拠も理論もない思いつきなのだ。人も金も動かせない。
それより問題なのは、『王女の死体』が『平民以下の生まれである兵士』に盗まれたということだ。平民出身の戦士長に飛び火しただけではなく、他の多くの者が信用面での被害を受けた。
「八本指が解体され、新しい組織に再編成されたという噂もあるが……。大人しくしているうちにどうにかしてしまいたいところだ」
あるいは、これまでの経緯を考えるとヤルダバオトに乗っ取られたという可能性もある。最初から犯罪組織を潰すことではなく、吸収することが目的だったとしても不思議ではない。その場合、魔王の手下が国中に散っていることになるため、非常に厄介なのだが。
「つまり、解決すべき事象は王都の復旧、強奪された物資の穴埋め、戦力の補充、八本指の内部状態の調査、空いた領主の選出、治安回復、王国上層部の不信感の払拭だ。いや、どうにかして第二王子を次期国王にしなければなるまい。今の王では力がなさすぎる。これらを全て解決できる手段はあるだろうか?」
結論、そんなものはない。
「どうして私ばかりがこんな目に! ……いや、生きているだけマシか」
裏社会や他の貴族の情報を収集するために、レエブン侯もある程度は八本指と関係を持っていた。そのため、モンテ・クリストの復讐の対象になっても不思議ではなかったはずだ。実際、彼も間接的な被害はかなり受けた。だが、家族も主要な財産も無事だ。
彼は知らない。狂った王女から彼の人物像を聞いた星の裁定者が気まぐれを起こしたからこそ、慈悲で生きていられるということを。
子どもが生まれて、王位簒奪という野心を捨てた。蝙蝠の汚名を被ってまで、王国を守るために知恵を絞った。周囲の貴族に合わせるために、強欲な貴族という演技を続けた。全ては、自分の子どもに最高の状態で領地を譲るための行為だった。
そんな生き方が神もどきの琴線に触れたなど、レエブン侯は知らない。これから先も知ることはない。自分の血統が星の加護を受けたことなど自覚せずに、その生涯を送ることになる。
それは極めて真っ当な意味で、いっそ第三者から卑怯だと罵られるくらいに幸福なことだった。彼も家族も部下もそう思うことはないのだが。むしろ苦労の多い生涯だと認識する。――その苦労が報われ過ぎることなど気にもしないが。努力や誠意が必ず報われるなど、ずるいにも程がある。
「帝国が例年のように戦争をしようとしないのが、せめてもの救いだ。どうせなら帝国にも出没してくれ、悪魔ども」
おそらく帝国の方でもヤルダバオトやモンテ・クリストに対して警戒心を抱いている。いや、もっと前の事件が飛び火するかの心配をしているのだろう。帝国は王国の領土も人材も欲しいだろうが、帝国の治安より優先すべきものではない。実際、王国はこれ以下がないほどに弱体化してしまったのだ。国としては、八本指が蔓延っていた方がマシなレベルである。
だからこそ、貴族の数名が革命を起こし、新しい国を建てようとするような動きが見える。王国貴族でなくなり、知らぬ存ぜぬを通すつもりだ。まあ、国がそんなに簡単に建てられるはずもないのだが。
「私は負けんぞ。リーアたんのためにもな!」
身分。地位。血統。国。領地。経歴。未来。家族。
このしがらみは呪いに近いのだろう。
■
自分の選択に間違いもなければ正解もなかった。こうして生きていられるのは、運が良かっただけだろう。
元リ・エスティーゼ王国第三王女ラナー専属の兵士、ただクライムという名前しかなかった少年はそう思う。
クライムは孤児だ。親の顔など知らないし、愛情など受けたこともない。助け合える仲間もおらず、掃き溜め同然の場所で人間でさえない何かとして生きていた。そして、そのまま大人になることもなく、死ぬはずだった。不幸ではあるのだろうが、決して王国では珍しくもない身の上だった。彼の何よりの不幸であった点は自分が不幸だという自覚がなかったことだ。
しかしあの運命の日、彼は王女に拾われた。食べ物を与えられた。服を、剣を、鎧を与えられた。寝る場所を与えられた。生きる意味を与えられた。彼は人間になった。
このことを語ったとき、大恩人となった魔術師は涙した。それは同情というよりは同調だった。聞けば、彼もまた地獄のような場所で生きていたそうだ。そして、一人の女性によって救われた。彼がクライムに気をかけてくれた理由が分かったような気がする。特別なことではない。シルク・タングステンの半生は、クライムに非常に似通っていたのだ。違いがあるとすれば、シルクは失ったままで、クライムは取り戻せたということだろう。
なぜ、クライムが己の人生を振り返っているかといえば、自らの内の煩悩を殺すためだ。
場所はトブの大森林の北側某所にある小さな泉。かつて『黄金』と呼ばれた姫君が、裸になって水浴びをしていた。
「~~♪」
ラナーは一度死んだ。クライムがいない場所でだ。クライムがラナーの傍を離れたのはラナーからの命令に従ったからであるし、クライムがいたところでラナーの死を免れたとも思われない。しかし、それは理屈であって、クライムが己の無力を呪うには十分だ。
だからこそ、水浴びでも近くを離れたくはなかった。またあの時のように失ってしまいそうで怖いのだ。しかし、だからといって一緒に水浴びするわけにはいかないし、裸になったラナーを見つめるわけにはいかない。ラナーは構わないと言ったし、安全のためにもその言葉に従うべきなのだろうが、如何せん彼は童貞だった。身も蓋もない言い方をすれば、女性の裸に免疫がない。
このような感情を抱くこと自体間違いであることは自覚している。守れなかった分際で、国も王も裏切った分際で、何を考えているのか。しかし、頭では分かっていても押さえが効かないのが人間だ。
最終的に、目隠しをした上で、ラナーに背中を向けた状態でこまめに声で安全を確認するという方法に落ち着いた。なお、この方法のことはシルクや蒼の薔薇にも話したが物凄い顔をされた。
「ラナー様、御無事ですか?」
「はい。大丈夫ですよ。……そんなに気になるなら、見てもよいのですよ?」
「そんなわけにはいきません」
「あと、いい加減『様』はやめなさい」
「それもお許しください」
何でもトブの大森林は現在、北と南で支配者が違うらしい(支配者の所属は同じだが)。そして、シルクは北側の支配者と懇意らしく(南側と仲が悪いとは言っていない)、この場所に魔術師としての工房を作ることができたらしい(工房を作ったのは事実だが使ったことなどない)。
控えめに言って、クライムは最も愚かな選択をした。誰も救われず、誰も報われない。一見すると幸福に見えるが、クライムにとって生きることは心を抉ることになった。
かつてラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフだった女は人間ではない。それは心の問題ではなく、身体的な問題だ。
奇跡の御業とも禁忌の奥義とも言うべき力で、人間ならざるものとして甦った。種族は天使の一つ、
この天使の特殊技術の一つ、聖なる加護。その字の通り、対象者に特殊な加護を与えるというものだ。
人間でなくなったラナーは老いも寿命もないからだ。つまり、クライムはラナーと時間を共有できない。そうでなくなるために、クライムは加護を受けた。これから文字通りの意味で永遠の地獄を味わうことになることを覚悟の上で。
――余談だが、この
なぜこのような種族に転生させたかといえば、シルクとしてはラナーに余計な付加価値をつけたくなかったからだ。もし高等な種族に転生させた場合、この女ならばその能力を無二の次元まで使いこなすことができるだろう。そうなった場合、いくら作り直すといっても勿体無い精神が働いてしまう。
このことはラナーには伝えてある。これはつまり『てめえはその上等な脳味噌だけ動かしてろ。価値がなくなったらすぐに殺すからな』という遠回しな脅迫である。
だから、ラナーは少し焦っていた。気味の悪いスライムからの警告もある。自分の価値を上げておかなければ、いつ殺されるか予想できない。シルク・タングステンにはこれ以上の感情は期待しない方が良い。それよりは、大悪魔やもう一人の支配者に何かしらのアプローチをすべきだ。
そんなことを考えながらも、クライムに物理的な意味で首輪をつけるタイミングを探している。そういう部分がシルクは大嫌いなのだが。
「クライム、もういいわよ」
許可が降り、クライムは目隠しを外す。そこにはどんな詩人にも表現できない美しさの天使がいた。服装こそ村娘が着るような質素なものだが、それが一層彼女の美しさを引き立てる。生前から美しかった王女は死から甦ったからこそ輝きを増した。だからこそ、現在のラナーは生きているだけでクライムの罪の証なのだ。
無力さと裏切りの体現だ。そして、主人をそのような対象として見ていることが余計に彼の罪悪感を重くする。自分の心を誤魔化そうと、少年は自らを呪うのだ。お前はもう後戻りなどできないのだと。
「戻りましょうか」
「はい」
シルク・タングステンの魔術師としての工房。外見こそは大きめのログハウスだが、中身はちょっとした砦よりも堅牢である。素材はトブの大森林の樹木だが、そこに付与された魔法がとんでもない性能ばかりだ。装飾も地味に見えるが、見る者が見れば気付く気品のある高級品ばかりだ。確かに、シルク・タングステンほどの大魔術師の工房に相応しい。また、番犬代わりに魔物を手懐けている上、家の周囲には落とし穴のような罠も大量に配置してある。
シルクはほとんどこの工房にはいないらしく、二人は留守番を頼まれた。この工房には魔法に詳しくないクライムにも貴重だと分かるマジックアイテムがごろごろしている。蒼の薔薇の面々など目を丸くしていた。
シルクは出したこの家を貸す条件として、二人に仕事を与えている。しかし、この仕事はほとんどラナーだけでやっているため、クライムができることなどない。彼の現在の仕事はほとんどラナーの世話を見ることだ。王族であったラナーには多くの不満を感じさせてしまっているはずだが、彼女は文句を言わない。その優しさがまたクライムの胸を抉る。
時折、シルクの知り合いだという人物が物資や食料を持ってくてくれる。それは人間だったり、リザードマンだったり、スライムだったり、ゴブリンだったりするが、皆がシルクに対して畏怖を抱いていることは明らかだった。
そんな工房の前に、小さな人影があった。番犬代わりの魔狼は威嚇していないが、それは警戒する必要がない相手だからだ。彼女も勝手にこの家に入ってよいと持ち主に言われているのだが、それをしないのは他ならぬ家主がここにはいないから。彼女はクライムやラナーではなく、シルク・タングステンに逢いに来ているのだ。もっとも、ほとんどいないのだから逢えることは稀だが。
「お久し振りです、イビルアイ様」
「様などやめろ。今のお前はそんな礼儀を尽くす必要などないだろう」
リ・エスティーゼ王国に三組しか存在しない冒険者チームの一つ、『蒼の薔薇』の魔術師イビルアイ。その正体は伝説の吸血鬼『国堕とし』。十三英雄に倒されたとされていたが、実際は彼らとともに戦っていたそうだ。伝説が現実とは違うことは理解していたが、そこまで乖離があったことは驚きだ。
イビルアイの視線はクライムの手の目隠しに向けられる。
「その目隠しは相変わらずなんだな。もしも私と同等以上の怪物が出現したらどうするつもりだ? 以前ならばそんなものはいないと言えたが、あのヤルダバオトやモンテ・クリストのことはお前だって覚えているだろう。いや、あれほどでなくともガゼフ・ストロノーフ級がくればお前など瞬殺だろう。いや、そもそも私が本当にイビルアイかは分からないぞ? 同じ声の怪物かもしれない」
彼女を守る為に傍にいるというのに、視界を塞いで行動能力を鈍らせるのは本末転倒だと言わざるを得ない。滑稽を通り越して馬鹿である。
「そこまでするならいっそ見てしまえ。別に見ても咎める者などいないぞ」
「そういう問題ではないのですが……。では、お聞きしますが、イビルアイ様はタングステン様の裸を直視できるのですか?」
「何を言っているんだ、お前は」
小さな吸血姫は呆れたように首を振るう。
「無理に決まっているだろう!」
「無理なんですか」
「お前も知っているだろうが、あいつは魔術師のくせに肉弾戦が出来るからな。服の下はさぞや立派な身体だろうよ。想像しただけでこっちが恥ずかしいわ! そもそも私は生娘なんだよ! 彼が私の身体を求めてきたとしてちゃんと応えられる自信がない! 経験もないし、こんな貧相な身体で彼の性欲を解消してもらうのは難しいだろうな。こんなことなら酒場の与太話をちゃんと聞いておくんだった。いや、彼が特殊な性癖の人間である可能性は高い! 私にも普通にチャンスはある!」
「何言ってんだこの人。……あ、申し訳ありません。タングステン様のがうつりました」
「あいつの名前を出したら何とかなると思ったら大間違いだからな!?」
アンデッドでありながら息を荒げるイビルアイ。温度を宿さないはずの肌は真っ赤になっていた。
「……私はどうしたらいんだろうな。あの異形の姿になればなるほど、彼は人間ではなくなるという。最終的にはあちらの姿の方が本来のものになるらしい」
シルク・タングステンが特殊な魔法陣で行うことができる、擬似的神格化。本人曰く、人間が神の贋作に成り下がる禁忌の儀式。その力は絶大だ。それこそ蘇生ならぬ転生を実行できるほどに。だが、当然、代償が大きい。力の行使ではなく、擬似的神格化そのものに大きなリスクが伴うのだ。
それは使えば使うほどに人間ではなくなるということ。最終的には、紫炎の怪物の姿がシルク・タングステンの本来の姿になってしまうらしい。言ってしまえば、仮面が本当の顔になるようなものだ。
「本人は否定しているが、彼は人間が好きだろう?」
「はい。間違いないかと」
「人間主義の法国でもあそこまでの奴はそういないぞ。だからこそ、そんな奴に言われたから嬉しいんだ。初めてだったよ。この身体になってから、私が人間だと言われるなど」
二百年前の十三英雄達も、イビルアイ――キーノ・ファスリス・インベルンを仲間としては扱ってくれた。倒すべきアンデッドだとは言わなかった。そのことに不満などない。キーノを仲間として受け入れてくれたし、自分も彼らを愛していた。
そんな彼らでもキーノを人間と言ったことなどなかった。当たり前だからこそ、意識したことさえなかった。だが、キーノはシルク・タングステンという男を知ってしまった。二百五十年生きてきた中での初恋である。
「笑ってくれ。私は彼に人間を捨てて、ずっと生きていて欲しいと思っている。私を人間だと言ってくれた彼に、人間ではなくなって欲しい。……彼が純粋な人間であればそう思わなかっただろうが、そうではない。彼には人間でなくなる手段がある。人間を愛している彼にとって、それはどれだけ醜い願いだろうな」
「それは……」
クライムには賛成も反対もできない。問題が難しいというのもあるが、相手はあの捻くれた魔術師だ。シルク・タングステンの思考回路と倫理観は複雑かつ歪曲しているため、クライムだけではなく他の誰にも理解できないのだ。だからこそ、イビルアイを人間だと言い切ったのだろうが。案外、それもまた人間らしいと言って喜ぶのではないだろうか。
全員が無言だ。足音と小鳥の囀りだけが周囲に響く。静けさがうるさいとはこういう状況を言うのだろう。
やがて、イビルアイは踵を返す。
「ではな。顔を見に来ただけだからな。私は王都に戻る」
「ええ。ラキュースによろしく伝えておいてください」
「ああ。エ・ランテル近くで依頼が入ったら寄るよ」
別れを言うと、イビルアイは魔法で空中に上がり、さっさと行ってしまった。その姿に残念そうな雰囲気があることはクライムにも分かった。
「ラナー様、ああ言っていますけど、イビルアイ様は……」
「もう、また『様』が出ているわ。ええ、多分、タングステン様に会いに来たのでしょうね」
見詰め合って、悪戯っぽい笑いを吹き出す二人。
かつて姫だった女とかつて戦士だった男は、その方向性さえ違えど同じことを考える。
地獄だとしても夢幻だとしても、この
八本指・・・形式上は別の組織となったが、すでに使い捨てが決定している。いずれ支配者である「ヤルダバオト」ともども英雄によって消される予定。
レエブン侯・・・実は拙作的には勝ち組。ただし、苦労は絶えないため、本人には全く自覚はない。
ラナー&クライム・・・多分、アーサー王伝説の「湖の乙女」的なポジションに落ち着く。クライムは永遠に真実を知らずに、いつの間にか調教されるんじゃないかなー。