書記の藤沢さんが一人待つ生徒会室に戻った俺は、席に着くなり部活動名簿を漁り始めた。
その唐突とも見える行動に、藤沢さんは怪訝そうな表情を向けてくる。
「ふ、副会長、なに……してるんですか?」
「ん? ああ、ちょっと気になることがあって」
「へえ、どんなことですか」
「うん。新聞部の部員をね……」
書記の藤沢さんが顔を寄せて覗き込むのを少しだけ避けながら、俺は新聞部の名簿に目を通す。
「そうなんですか。あっ、それって今回の盗難事件と何か関係が……」
「ちゃんと調べないと分からないけどね」
「そう、ですよね……あっ」
何かを思いついた様に呟いた藤沢さん。何故顔が赤いのか。風邪かな。
しかし……可愛くなったな、藤沢さん。
以前から可愛かったけど、最近は何というか、庇護欲をそそるっていうのかな。
あの会長の下で働く者が共有する疲労感が、元々儚げな藤沢さんを一層か細く見せているのかもしれない。
一種の吊り橋効果って奴だな、これは。
「そ、その、今度……あの、甘い物でも……」
へえ、藤沢さんって中々博識だね。
疲れた脳の回復には糖分摂取が良い。
「そうだね。甘い物を食べると脳の働きが良くなるよね」
「そう、じゃないんです、けど……そうですね」
ならば善は急げだ。
校内で手に入る甘い物といえば、あいつが飲んでいたあのコーヒー。
「ごめん、ちょっと購買に行ってくる」
俺は校舎一階、購買の自販機へと急いだ。藤沢さんも疲れているだろうから、何か甘い飲み物を買って行ってあげよう。
購買の自販機に着くと同時に、ベンチに見知った顔に出会った。
──比企谷八幡。
表面上は、悪い噂の絶えない嫌われ者。だがその実態は、非常に頭の回転が速く、聡明な人物。
単独行動を好み若干捻くれてはいるが、自分の手柄を鼻にかけない、実に控え目な人物だ。
冷静沈着。決断力があり、自分が泥を被るのを厭わない。
彼の様な人物こそ、真のナンバー2に相応しい人物なのかもしれない。
その彼の目が俺を捉えた。
「おう、便所で尻を副会長」
「……小遊三師匠だね」
古いネタだ。
生徒会副会長になったと聞いた親戚の叔父さんが酔って云ってたけど、高校生の口から聞いたのは初めてだ。
しかし、まさか比企谷がそんな軽口を言うなんて。思いもしなかった俺は、少々驚く。
奉仕部として、幾多の依頼をこなしてきた比企谷。
ここで彼に相談するのは簡単だ。
そして、きっと彼なら独自の視点と持ち前の頭の回転で、解決の糸口を見つけてくれることだろう。
だが、俺のちっぽけなプライドがそれを邪魔した。
小さい人間だな、俺は。
そんな愚考を重ねていると、比企谷から話題を振ってきた。
「おたくの会長さん、奉仕部に入り浸ってるんだけど。早い内に引き取りに来て欲しいんだが」
やはり会長は奉仕部か。
よっぽど居心地が良いのか、はたまた比企谷が目的なのか。
クリスマスイベント以降の会長は、何やかんやと理由を作っては奉仕部に行っている。時には比企谷を連れて生徒会室に戻ってきたりした。
その時の比企谷の嫌そうな表情は傑作で、笑いを噛み殺すのに苦労したものだ。
もしかして会長は……などと、少々下世話な興味も湧いてくる。
「奉仕部では会長は何を?」
「別に。ただ雪ノ下が淹れる紅茶を飲んで寛いでるだけだ」
「はあ、要はサボりか」
呆れて乾いた笑いを零すと、比企谷は意外な言葉を喋り出した。
「ま、一年生で生徒会長になっちまったからな。さらにサッカー部のマネージャーもしてるし、色々大変なんだろうよ」
……。
今日は驚いてばかりだ。
まさか比企谷の口から、あの会長を擁護する発言が出るとは思わなかった。となると、嫌そうに会長の手伝いをしているのも満更でもないってことなのか。
比企谷って、俺と違って女子の気持ちに鈍感そうだからなぁ。
「そう、だね。意外とやる事多いからね、生徒会って」
俺も同調して軽くフォローを入れておく。
比企谷は、甘ったるい例のコーヒーを飲みながらそんな俺を射抜く様に見つめてくる。
光の無いその目は、まるで万物を見透かす様に思えてしまう。
「──つーか、何で会長に立候補しなかったんだ。お前なら会長に適任だったろうに」
またまた驚いた。
比企谷が俺にそんな質問を投げかけるとは。
単なる興味本位かもしれない。ただの話題提供かもしれない。
だけど、何故か俺は語りたくなってしまった。
「俺はさ、昔からナンバー2が好きなんだよ。
「ほう、
「ちょっと何を言ってるか分からないけど……軍師っていうのかな、そういうのに憧れてたんだ」
「──中二病か」
一瞬でバレた。
かつての俺は、三国志の世界に憧れていた。
魏、呉、蜀の三国に分かれて繰り広げられた戦乱。
そこには数々の武将と共に何人かの軍師と呼ばれる知恵者が登場する。
魏でいえば
そして、蜀漢には言わずと知れた名軍師、
結局統一を果たしたのは魏の軍師、司馬懿の血筋だったけど。
おっといけない、頭の中が三国志で満たされてしまう。
「
慌てて訂正するも、時すでに遅し。比企谷はにんまりと笑っていた。
「へぇ、副会長が中二病だったとはな。今度、その治療法を材木座に教えてやってくれ」
「材木座って、うちのクラスの……あいつか」
「ほう、あいつにもクラスメートが存在したのか」
思わず苦笑してしまう。確かに材木座は一人でいることが多い。というか、存在が浮いている。
何せ、あの格好だ。夏場でもコートを羽織る肥満体は、一般の生徒から見れば異質過ぎる。
「……で、何を悩んでいるんだ、副会長」
──は?
なんで?
「な、悩んでいる様に見えたか?」
「ああ、あの会長のナンバー2をやらなきゃいけない時点で悩みだらけだろ」
「まあ、そうだな」
思わず納得して、深く頷いてしまう。こんな所を一色会長に見られたら、二週間はぐちぐちと言われ続けてしまうだろう。
それは構わない。
トップのストレス発散の捌け口も、ナンバー2の役目だから。
ただ、その時の書記の藤沢さんの憐れみの目だけは耐えられない。
「あいつ……いい性格してるからな、苦労が目に浮かぶ」
いい性格、か。
まあ、一年生で生徒会長をやれるだけの
例えるならば、小覇王と呼ばれた
気を取り直して比企谷をみると、彼も疲れた様な笑みを浮かべていた。
「比企谷も同じ苦労をしてるんだろうけどな」
「俺は、あれだ。あいつを生徒会長にさせちまった責任、って奴だ」
その経緯は俺も聞いている。というか、頼んでもいないのに会長から幾度も聞かされた。
「ずいぶんと律儀だな」
「ま、それも今年の秋、生徒会の任期が終わるまでだな」
「先は……長いな」
「ああ、まったくだ。だから早めに引き取って貰えるとすっげぇ助かる」
俺は、答える代わりに力無く笑っておいた。
そういえば、比企谷とこんなに話すのは初めてだ。
初顔合わせは、新生徒会にとって初の大仕事となった、去年のクリスマスイベント。
あの時は痛快だったな。
うちの会長が攻めあぐねていた海浜総合の
あれで俺の中での比企谷の評価は一変したんだ。
「比企谷」
「あん?」
「お前さ、新聞部の壁新聞って読んだことあるか」
気づけば語っていた。もう俺の安いプライドなんて、どうでも良かった。
「いや、無い。壁新聞を読む行為は目立つからな」
「そうか。あれって結構読んでると目立つよな」
掲示板の前に立って読んでいるだけで目立つ。ならば、貼る時もかなり目立つよな。
それを剥がして持ち去るとしたら、もっと目立つだろう。
そこまでして盗む理由が犯人にはある、のだろうか。
そして、盗まれた壁新聞には、一体何が書かれていたのだろう。
「まあ、新聞部も大変だよな。ほぼ誰も読まない新聞を毎週発行してるんだから」
「そうだな。たまに壁新聞の存在意義が分からなくなるよ」
「存在意義? そんなもん無いだろ。あるのは読まれない事実だけだ。そんな新聞、俺ならまず発行すらしないけどな」
辛辣な物言いだけど、比企谷の言い分も一理あるな。
誰も読まない新聞を作り続けるだけのモチベーションは、維持するだけでも大変だろう。
──あれ。もしかしたら、解決の糸口が見えてきたかもしれない。
少なくとも、先程よりかは幾分気持ちが軽い。
「なんか、比企谷と話しているとすっきりするな」
「あ? どういう意味だよ」
「いやね、さっき──」
俺は、先ほど新聞部を訪ねた時の顛末を比企に話した。
「ほーん。そういうことがあったのか。最近壁新聞が掲示板に無いと思ったら、新聞部がサボってたのかよ」
──!
そうだ。盗まれたのではない。元々発行していなかったのだ。
そう考えると、原稿が残されていないのも納得出来る。
だとしたら、何故そんな嘘を吐いたのか。
それは明日の聞き込みで解明するしかない。
「ま、頑張ってくれや」
「ああ、ありがとう」
「素直に礼なんか言うんじゃねえよ、気持ち悪いから」
いや、本当に助かったんだよ比企谷。
あと書記の藤沢さんにもお礼に何か飲み物を買っていこう。なんか風邪引いてるみたいだし。
* * *
翌日の昼休み。
俺は昼食もそこそこに席を立った。
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