大洗への旅   作:景浦泰明

1 / 25
第一話 『逸見エリカ』

 愛用の原付。スーパーカブだけど、名前はパンターだ。この名前はふたりいるうちの上の姉が付けた。姉さんの好きな戦車の名前だけど俺はなんだか間抜けな感じがしてこの名前が好きじゃない。だけど俺が高校に上がってバイクで通学するとなったとき、姉さんはあの仏頂面をぴくりともさせずに「良いバイクだ。パンターと名付けよう」と言って、俺がちょっと引いてるのも無視して強行した。今ではそれなりに気に入っている。

 

 ぼろではあるが父さんがいつもしっかり整備してくれていて、彼は「これだけぼろになったなら、お前とどっちが先にダメになるか勝負になるかもしれないな」と言った。悪い冗談だと思ったが、聞くところによれば父さんが大学生のころにもこれで旅をしていたらしいのであながち間違っていないのかもしれない。

 

 そう、俺も旅に出ることにした。この熊本から大洗まで、原付で1300㎞の旅だ。

 

 お年玉の貯金を崩した費用三十万を封筒に入れて、リュックサックの一番深い場所に詰めこむ。着替えはそれぞれ三セットもあれば十分だろう。熊本から大洗までだ。とにかく準備はどれだけ入念に行っても悪いことはない。思いつく限りの荷物を詰め込んではそれを背負って部屋を歩き回り、重すぎると感じては何度も内容を精査していった。

 

 ふと、なぜこんなことをするのかと考えた。

 

 三十万円も用意したのになぜ原付なんかで旅をしなければならないのか。そもそもなぜ旅に出なければならないのか。ぼんやりと考えてはみたけれど、これまでと同じように答えが出ることはなかった。だが、なぜだかいまみほ姉さんに会わなければいけないと心のどこかで強く感じている。その気持ちだけでこの旅を計画した。

 

 時計が十二時に差し掛かったころ、旅の用意が済んだ。明日必要になるすべてを部屋の片隅にまとめ、机の上に置いた手紙に目を通す。何度も書き直したが、気に食わず、結局そこには「夏休みを利用して旅に出ます。新学期までには帰ると思うので、心配しないでください」とだけ書かれている。

 

 心配しないで下さいと入ったが、きっと母さんは心配するだろう。もしかしたらどこかで連れ戻されるかもしれない。その時あの母さんがどれだけ怒るかと考えると身震いした。みほ姉さんを勘当すると言った時のように、俺も勘当されるだろうか。あれほど戦車道に精通している姉さんすらあんな厳しいことを言われるんだから、俺なんかそれはひどい目にあわされてしまうかもしれない。そう考えるとなんだか怖くなって不安と旅に出ることへの期待がごちゃまぜになり、胸のあたりがぞわぞわし始めた。

 

 布団の中に入ってもそれはおさまらなかったが、それでもがんばって目を閉じているとだんだん意識が遠のいていった。頭の中のどこかが妙にさえていて、遠い昔のことを夢に見た。

 

 まほ姉さんがみほ姉さんに戦車のことを教えてあげていて、俺はそれを縁側に座って眺めている夢だ。俺の隣に座る母さんも二人を温かい眼差しで見つめていて、なんだか寂しくなって手に持ったアイスの棒をがじがじと噛む。ふとみほ姉さんがこちらを見て手を振る。これは記憶と違うことだ。ぼくも手を振りかえす。ぼくらは双子のように顔が似ているのに、立っている場所は全然違っていた。

 

 いつのまにか隣の母さんがいなくなっている。空間が歪むようにしてまほ姉さんとみほ姉さんが遠くなっていく。全てが闇の中に消えていき、俺がゆがんで小さくなっていく。

 

 旅立ちの日の目覚めはじっとりと汗ばんだ最悪のものだった。

 

 

 

 

 出発はまだ朝もやが出ているような時間だった。うちの人たちはどうも朝に強いのでこれぐらいの時間でないと見つかってしまう。この大荷物だから、見つかったら最後全ての計画が発覚して「まだ宿題も終わっていないでしょう」「黙って出ていこうとするなんて」と夏休み中軟禁の憂き目にあってしまうかもしれない。

 

 俺は誰にもみつからないように静かに玄関から出ていき、大事をとって家からしばらく離れるまではパンターのエンジンを入れることもしなかった。

 

 家の前の坂道を下りきると広い国道に出て、俺はようやくそこでパンターにまたがりエンジンを入れた。排気音とともに車体が振動する。手首を回転させると車輪が回転し始め、ゆっくりと俺を運び始めた。

 

 早朝の風はまだひんやりとしていて気持ちいい。車も少なく、パンターのエンジン音の隙間から聞こえるセミの鳴き声も日中とは違っている。俺は少しずつスピードを出しながら、道の真ん中を走り始めた。軽快な旅の始まりだった。

 

 しばらく国道を走ると横道にそれ、幼い頃何度も通った神社に立ち寄る。特に信心深いほうではないが、これからしばらくはここに寄ることもないのだと思うとそういうことも必要に思えた。思えばほとんど九州から出ることもなく暮らしてきたのだ。

 

 石段のそばにパンターを止め、境内に向けて登り始める。

 

 ふと階段を見上げると、女性がひとりすごい勢いで石段を駆け上っていくのが見えた。この神社の石段はかなりの急こう配で段数も多く、運動部がよく練習に使用していると聞いたことがある。

 

 こんな朝早くから練習熱心だと思いながらのんびりと登っていくと、ほどなくして鳥居にたどりついた。鳥居から伸びる石畳のそばではスポーツウェアを身に着けた女性が息を弾ませながら歩き回っており、ちょうど練習を終えてクールダウンしているところだとわかった。

 

 俺は先客に軽く会釈をして通り過ぎようと思ったのだが、そこで彼女に見覚えがあることを思い出して立ち止まる。すると向こうも怪訝な顔をしながらこちらを向き、ややあって口を開いた。

 

「あなた、隊長のところの」

 

 まほ姉さんが連れてきて何度か家で見たことがある顔だった。名前は確か逸見エリカ。まほ姉さんと同じ戦車チームの副隊長で、かなり信頼が厚いらしい。

 

「おはようございます。逸見エリカさん、でしたよね」

 

「おはよう。えぇ、っと……」

 

「西住一意です」

 

「ありがとう。一意君ね。早起きじゃない」

 

 俺はそう言われてあいまいに笑う。普段はこんなに早起きじゃないんだが、面倒なのでそういうことにしておいた。

 

「逸見さんこそ、こんな朝早くからトレーニングなんて、戦車道っていろんなことが必要なんですね」

 

「違う違う。これは私の趣味のボクササイズ。中には装填のために筋トレとかする子もいるけど、普通そんなに力を入れて筋トレしたりしない」

 

 笑いながら水筒を開ける彼女の頬を大粒の汗が伝う。うちに来てた時からカッコいい人だとは思っていたけれど、こうしてみるとまるで軍用犬のような凛々しさだと感じる。俺は父親似、というかどういう遺伝子のいたずらか下の姉によく似ているから、こういうかっこよさみたいなものには憧れてしまう。

 

 ぼくが感心しきっていると逸見さんにまじまじと見つめられ、なんだか照れくさくて顔をこすってしまう。

 

「あぁ、ごめんなさい。その、前に見た時も思ったけどあまりにも下のお姉さんに似ているから」

 

「まほ姉さんに似ていたほうが、女の子にもててよかったんですけどね」

 

「そんなの大変なことになる」

 

 逸見さんに即答されてつい笑ってしまう。事実まほ姉さんは黒森峰で絶大な人気があるらしく、同じ女性から告白されたりといったこともあるらしい。最近は共学の学校がめっきり減ったからかもしれないがそういう話を聞くと妄想をたくましくしてしまうのが男というもので、クラスの男子からよく話を仕入れてこいと頼まれる。

 

「逸見さんもまほ姉さんが好きなんですか」

 

「そそそそういうわけじゃないから! ただ学校でのモテ方を見てるとあんな男の人がいたら大変なことになっちゃうよっていう意味だから勘違いしないでよ!」

 

「早口だなあ」

 

「うるさい!」

 

 いつもまほ姉さんと同じように厳しい顔をしているところしか見たことなかったのでこの反応は新鮮だった。俺は逸見さんが落ち着くまで顔を赤くして照れる様子を眺めてけらけら笑っていた。

 

「ところで、あなたはなんでこんな早朝に神社になんかきたわけ? 運動部の練習ってわけじゃないでしょ」

 

 それを訊かれてちょっと口ごもってしまった。一応家族には秘密の旅を始めているわけで、ここで逸見さんに正直に話すのはどうなのかと考えたからだ。ぼくが口ごもると、逸見さんから「考える顔までアイツそっくりね……」という声が聞こえてきた。

 

「夏休みを使って旅に出るんです。みほ姉さんに会おうと思って」

 

 結局、正直に話すことにした。どうせ旅に出た以上こっちのもんだし、すぐにわかることだ。

 

「みほに、って。何で行くの? 新幹線?」

 

「原付で」

 

 答えを聞いた逸見さんはしばらくぽけっとしていたが、やがて事態を理解すると猛然と食いついてきた。

 

「本気!? あんた、ここから大洗までってどれだけあると思ってるの!」

 

 その言葉からは本気で理解できないという風と、すこしの心配が混ざっていて俺は気分が良くなった。まほ姉さんの副隊長で、みほ姉さんの友達が優しいひとだとわかったからだろうか。逸見さんはまた笑い出した俺のことをみて本当の馬鹿だと思ったみたいだが、悪い気はしなかった。

 

「わかってます。だけどどうしてもみほ姉さんに会わなきゃいけない気がするんです」

 

 俺がそういうと逸見さんはまだ少し思うところがあるような顔をしていたが、ややあってから大きく息を吐き出した。

 

「あんた、やっぱり隊長たちの弟ね。あのふたりがやるって言った時と同じ顔してる」

 

 その言葉にはすこしびっくりしてしまって、うまく言葉を返すことができなかった。

 

 俺がふたりの姉さんに似ているところが顔のつくり以外にあるなんてこれまで考えたこともない。逸見さんは予想外のことを言われて困っている俺の顔をみながら少し微笑み、それからぼくのことをせかして参拝させた。こんなところで油売ってないでさっさと行きなさいだそうだ。(賽銭箱に一円だけ投げ込もうとしたら、みみっちいことするなと五百円入れさせられた!)

 

 石段を下り終えてパンターの姿を見ると、こいつ本気でやる気なんだ、と言わんばかりの表情で逸見さんが苦笑した。またパンターにまたがってエンジンをかける。

 

「ま、精々気を付けなさいよ。隊長たちに心配かけたら許さないからね」

 

「それに関しては手遅れかもしれないですね」

 

「……あんたちゃんとこのこと伝えてるんでしょうね」

 

 ぼくはそれに答えず、大きな声で逸見さんに礼を言って走り出した。後ろで逸見さんが何か叫んでいるが、聞こえないことにする。

 

「逸見さんも練習頑張ってくださーい!」

 

 だんだんと逸見さんが小さくなって、俺はまた来た道を戻って国道に乗った。来た時よりもずいぶん車が多くなっていて、日差しも強くなっている。空のかなたに巨大な入道雲が鎮座しておりまるで山の上に腰を下ろしているように見えた。スピードをどんどんあげると、生まれた町の面影がどんどん消えていった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。