「その道の先に何があったのですか」
そう尋ねる彼女の真剣さに俺は思わず姿勢を正す。膝を突き合わせて向かい合い、彼女の視線を正面から受け止めた。
道の先に何があったか、というのは今回初めて受ける質問だった。正直に言えばまだ旅は終わっていないし、何があったとはっきり答えられないように思える。
「今の段階で、ですが」
前置きすると、黙ったまま少し頷いた。それでもかまわないという意味だろう。
俺の頭の中にカチューシャさんや継続高校の面々、サンダースのみなさんや逸見さんの姿が思い浮かぶ。
考えながら、つかえつつ言葉を紡ぎ、しゃべり終わって視線をあげる。
彼女は少し微笑んで、「とても素敵な答えです」と言った。
「猫だ」
「猫?」
練習が終わった後、みほ姉さんたちが校舎に荷物を取りに行き、俺は冷泉さんと五十鈴さんから大洗の戦車道について話を伺っていた。全員で戦車を探したこと、聖グロとの練習試合、全国大会出場……。そんな話を聞きながら三人で格納庫を歩いていたところ、大洗の格納庫でⅣ号の上に猫が身体を投げ出して寝ているのを見つけた。
すぐ近くで声をあげても起きる様子を見せず、猫のくせに警戒心のかけらもない。浅黒い不細工な猫だ。俺は何故かその猫に引き付けられるものを感じて近づいていく。
おかしな話だ。まるで恋する乙女のような表現だが、俺とこの猫はずっと前から出会うときを待ち続けていたように思える。そっと顎の下を撫でると猫は薄く目を開き、やがてやれやれといった表情で起き上がり、すっくと姿勢を正してこちらを見据えてきた。
「なんだか不遜な感じのする猫だな」
「あんまり可愛くないですねえ」
冷泉さんと秋山さんから厳しい評価をいただくものの、猫は特に気にせず俺の手を受け入れてあくびをする。
大したやつだと思って引き続き撫でていると、相手はやがてのっそりとした緩慢な動きで戦車から降りてきて、俺の足元にすり寄った。
「あら、一意さんのこと気に入ったんですね」
「パンターに乗るかなあ」
そう呟いて、俺はすでに自分がこの猫を旅に連れて行くつもりになっていることに苦笑してしまう。
「バイクに猫を乗せるのは危なそうだな」
そうだよなあと残念がりつつ、俺はその場に座り込んで猫を膝に乗せる。それに続いて五十鈴さんと冷泉さんもすわりこみ、俺の膝の上でだらけきった態度をしている猫を撫でた。
「ひとり旅だと道連れがほしいものなのか?」
冷泉さんに尋ねられてふと考えてしまう。思えばこの旅もほとんど道連れがいたし、行く先々でひとと交流があったためそこまで寂しい思いをすることはなかった。
「俺の場合あんまりそういうのはなかったんですが、一度熱を出して寝込んだ時は少しさびしかったですね」
「えっ、それって大丈夫なのか」
「謎の熱病ですか? 日本に隠された最後の秘境で絶滅したはずの毒虫に足を噛まれたとか」
「大丈夫じゃなかったけど、五十鈴さんの考えるほど大丈夫じゃない状況ではなかったですね」
この人何かにつけて物事を大きく深刻に考える癖があるみたいだけど、多分常識が足りないとかじゃなくて夢見がちなだけなんだろうな。いやもしかしたら本当に世界にはそういうものが残っていてもおかしくないのかもしれないが。
「風邪薬とか飲み物は沢山持っていたので。でも眠るときは怖かったかも」
「波乱万丈だったんですね」
「あまり無茶をしてご家族を心配させないほうがいい」
冷泉さんの言葉にはどこか神妙な響きがあり、俺は猫を撫でる手を止めて顔をあげる。冷泉さんはなんとも言えない渋い表情でこちらを見詰めている。
「……わからないかもしれないが、会えなくなることもある」
悲痛な雰囲気があり、俺はただただ頷く。資金に余裕があったのにバイクでの旅を選んだのは単に俺の冒険心だ。実際に二度も熱に倒れることがあったし、これはしなくても良い無茶なのだろう。たぶん、まほ姉さんや母さんも心配している。
「まあまあ麻子さん。心配するのはわかりますが、一意さんも男の子ですから」
五十鈴さんがにこやかにそう言って場をとりなしてくれる。そのよく言えばおっとりとした響きになんとなく場が和む。
「旅路を安全なものにすることも大切ですが、時には危険に飛び込む勇気も大切です。無駄なことなんてないんですから」
そうでしょう? と笑う五十鈴さんに頷き、なんだか力づけられる。
今朝もみほ姉さんから「帰りは新幹線で早く帰ったほうがいい」とたしなめられていた際、五十鈴さんがそれとなしにその場をとりなしてくれてなんとかなったのだ。
「……いつも心配してくれているひとがいること、忘れるな」
最後には冷泉さんからもそう言葉をかけられ、俺は笑顔でうなずいた。膝の上の猫が間延びした鳴き声をあげる。
出発の日。
俺は来た時と同じようにパンターを押して学園艦のスロープを降りる。戦車道の練習を休んで姉さんが見送りに来てくれてありがたいばかりだった。
港に降りるとパンターのエンジンがかかることを再確認し、ガソリンもしっかり入れてあることをチェックする。
よく晴れて、再び旅に出るには最高の日和だった。
「ありがとう。この数日間本当にたのしかったよ」
そう伝えると姉さんは浮かない表情で返事をする。あれほど言ってもまだ心配しているようだが、仕方のないことだろう。
「チームのひとたちにも、ありがとうって伝えておいてよ」
姉さんは相変わらず浮かない表情のままだ。
どうしたら良いんだろうか。俺がしばらく悩んでいると、足元に突然何本もの巨大な影が差した。
「うわ……」
俺の感嘆の声に続いて、姉さんも同じように空を見上げ、それから声をあげた。
視線の先では大洗の戦車たちが揃って学園艦から砲身を突出し、綺麗な一列横隊を作り出していた。数秒の間があってから轟音が響き、各車が一斉に空砲を撃つ。砲身から勢いよく煙が飛出し、風に流されて白く細長い雲を作り出した。
俺は無茶をするひとたちだなあと苦笑し、きっと園さんなんか最後まで抵抗したんだろうと思って同情する。隣をみると、姉さんも俺と同じように困ったような表情をしていた。
「姉さん」
俺は姉さんのことを見つめる。
いったい何を言えば良いのかわからない。元気そうでよかった? 優勝おめでとう? 全て無意味に思える。
俺が姉さんに言えることはいったいなんだろうと考えて、そしてついにひとつだけその言葉を見つけることが出来た。
すこしだけ呼吸を整える。
「待ってるから。またいつでもうちに帰ってきてね」
そう言うと姉さんはまるで花が開くように美しく笑った。
俺はまた旅に出る。
出発してしばらくたったころ、車体に違和感を覚えた。
普段エンジン音しかしないはずの車体後部から謎の甲高い音が聴こえ、俺はすぐ路肩にパンターを停める。自動車部のメンバーと念入りに整備を行ったはずだが、もしかしてどこかに不調が残ったままだったろうか。
だが、その音はバイクから降りてもやむことは無く、そして静かに耳を澄ますことでその音はすぐに最上級の嫌な予感に変わった。
「お、お前……」
座席後部に縛り付けた荷物から不細工な猫が顔を出す。俺はそいつを引きずり出し、目の前に掲げながらまじまじと見た。
こいつ、いったいどうやって入り込んだんだ。いや、そんなことは問題ではない。
俺はすぐにそいつを地面に下ろすが、そうするとすぐに高速三角ジャンプで荷物の上に乗られてしまう。意地になって引きずりおろすが、まるで俺を置いていこうなんて無理だと言わんばかりの態度で再び荷物の上に舞い戻られる。最後には手を出そうとした瞬間に手の甲を引っかかれ、挙句の果てにあくびまでされてしまった。
俺はついに途方に暮れたままふらふらとバイクにまたがりエンジンをかけた。
走り出す前に振り返って猫の様子を見ると、そこにはちゃっかりと荷物に入り込んで首だけを出した猫がいた。
面倒なことになってきた。
大洗編、ずいぶん長い時間がかかってしまいました。