大洗への旅   作:景浦泰明

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第十六話 『神奈川県 続々聖グロリアーナ女学院』

 

 

「うわあつっ!」

 

 真夏の温室である。

 

 入った瞬間に猛烈な熱気に襲われ、一瞬中にはいることをためらってしまう。入り口まで案内してくれたローズヒップさんが逃げ出していったのはこれが理由だなと思い、あの優雅さからほど遠い赤毛をなんとかぎゃふんと言わせようと決意する。

 

 俺は意を決して温室に足を踏み入れ、いくつもの畝と高く仕立てられた野菜の壁を潜り抜けていく。トマトやナス、オクラなどが所せましと並んだ奥にきゅうりをみつけた時にはすでに額に汗が浮かんできていた。

 

「た、たいぎゃ暑かけん……」

 

 俺は大きくため息を吐きながら声をしぼりだす。あまりの暑さに故郷の言葉が漏れ出し、それからすぐに後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。

 

「たいぎゃ暑かけん……ふふっ、く、くくく、たいぎゃ暑かけんですって……」

 

 俺が少しだけびっくりしながら振り返ると、そこで金髪のお姉さんがおなかを抑えて苦しそうにしていた。

 

 恥ずかしさから顔が熱くなってくるのを感じるが、それよりも彼女の顔に見覚えがあってまじまじと見つめる。大きな帽子でよくわからないが、間違いなくどこかで会っているような気がした。

 

「あー、困っちゃう。こんなに笑うのは久しぶりですわ」

 

「あたげんハウスばたいぎゃ暑かったけん……」

 

 悔しかったのでさらに追い打ちをかけるとさらに激しく笑いだし、俺は少し溜飲が下がった気分になる。もう二度と熊本弁出さないぞ。

 

「まっ、まったく、さすがおやりになるわね……」

 

 しばらくして落ち着くと彼女はそう言って目に浮かんだ涙をぬぐい、ようやく平静を取り戻したように俺と向きあう。そうしてまじまじと顔を見てやっと俺も思い出すことが出来た。昼間横浜の公園で気分が悪くなった際、ハンカチを差し出して汗を拭いてくれた女性である。

 

「お久しぶりですわね」

 

 聖グロの生徒の方だったんですねと声をかけたところ、彼女の表情に花のような笑みが浮かぶ。

 

「普段は園芸部の部員としてこの野菜たちの世話などをしておりますの」

 

 おしとやかで綺麗で、そのうえ自然を愛することのできる素晴らしい女性なのだと感じ入る。迷子になったり迷子が増えたりなんだか口が悪かったりして聖グロは変なところだなと思っていたが、どうやら戦車隊の人たちがおかしいだけらしいと考え直す。こんなにも優しく美しい、令嬢の見本のような女性もいるのだ!

 

 俺が戦車隊のひとたちに頼まれてきゅうりを収穫しに来たと事情を説明すると、やはり彼女は優しげに頷き、快くそれを手伝うと申し出てくれた。

 

 野菜の世話の邪魔じゃないでしょうかと尋ねると「今日の仕事はもう終わったから構いません。ふたりで終わらせて、暑いところから抜け出しましょう」と笑いかけてくれる。俺は彼女から収穫に適したきゅうりやスーパーで選ぶ際のコツなどを教えてもらいながら、手に手をとられてきゅうりの収穫について教わった。

 

「食物に対する愛より誠実な愛はないと言いますわ」

 

 きゅうりのへたをはさみで切り、収穫したばかりのきゅうりを掲げて見せる。俺も自然とその姿に笑顔がこぼれ、ふたりでにこにこと笑いながら温室を後にする。一瞬彼女の笑顔に怪しげな策謀のようなものが混じったような気がするが、これこそ気のせいの最たるものである。

 

「ありがとうございます。本当に助かりました。……あの、よろしければお名前を」

 

 来た道を彼女とふたりで戻り、紅茶の園の近くにまで戻ってくる。俺が彼女とはここでお別れかと思っていると、意に反してそのまま俺のことを追い抜き、逆に振り返ってこちらを先導してきた。

 

「その必要はありません。さあ、みなさんがお待ちです」

 

 どういう意味だろうと思って彼女についていくと、やがてこちらに待たせていたメンバーがこちらに気が付き、その中からローズヒップさんがこちらに向かって駆け出してくる。これまででいちばんのダッシュだ。

 

「ダージリン様ー!」

 

「あらローズヒップ、よく一意さんをここまで連れてきてくれたわね」

 

「ダージリン様のおっしゃる通りにやれば余裕ってもんですわ!」

 

 あらあらとローズヒップさんの頭を撫でる彼女。直後にこれまでと別人のように颯爽と俺の横を通り抜け、そばにいたローズヒップさんもそれに従う。いつのまにかルクリリさんやアッサムさんは定位置のように円卓につき、通路から見て一番奥の席だけを開けていた。そしてツカツカと風を切るようにして歩いていた彼女が、まるで羽が舞い降りるように静かにその席に座る。

 

 こちらを見据える表情は、いたずらが成功して喜ぶ子供のようにウキウキとして、笑みを隠しきれない様子だった。

 

「はじめまして一意さん。聖グロリアーナ女学院戦車道の隊長、ダージリンと申します」

 

 やっぱり変なひとばかりだったらしい。

 

 

 

 

 白磁の皿にならんだサンドイッチを、美しい装飾のあしらわれたサンドイッチトングで取り寄せる。薄いパンにきゅうりが挟まれただけの、そのものずばりキューカンバーサンドである。イギリスではこれを紅茶と一緒にいただくそうだが実際に現物を食べるのははじめてだ。俺の家でもサンドイッチが朝食として出されることがあってもきゅうりのほかに他にハムやマヨネーズが入っているし、完全にきゅうりのみというのはあまりなじみがない。

 

「是非お召し上がりになって。ペコさんのキューカンバーサンドは絶品よ」

 

 丁度俺の正面に座ったダージリンさんからそう声をかけられる。先ほど正体を隠してからかわれた件について少しすねていたが、そういわれると目の前のサンドイッチに対する好奇心が抑えられなくなってきた。

 

「ダージリン様、これぐらい誰にだって作れます」

 

「いいえ。こういったものにこそ奥深さがあるの」

 

 あはは、と困ったように笑うペコさんを横目に見ながらサンドイッチに口を付けると、すぐにその深い味わいに驚く。きゅうりだけのサンドイッチでこんなにも美味しくなるのかと思い、一口食べてまじまじとサンドイッチを見詰める。きゅうりの向きに対して直角に切られた断面から、皮の濃い緑と実のライトグリーンがコントラストをなして美しい。きゅうりは塩コショウされており、更に酢をかけたのか少しだけ酸味を感じることが出来る。パンの内側にはバターが塗られており、それが口に含んだときに野菜だけのサンドイッチとは思えない濃厚な印象を生み出しているのだとわかった。

 

「ほらね」

 

「とても美味しいです。ほんとうに。すごいです」

 

 俺の言葉にペコさんは困ったような照れたような表情で頬をかき、これぐらい頼まれればいくらでも作れますから、と答えた。

 

「おふたりが良いきゅうりを取ってきてくれたからですよ」

 

 ペコさんを見るダージリンさんの目が少しだけ細くなるのが見えたが、俺と目が合うとすぐにこれまで通りの正体の知れない表情になる。

 

「そういえば、一意さんはこれからどうなさるの?」

 

 目を合わせないように紅茶を飲んでいると、ダージリンさんがそんなことを尋ねてきた。

 

「このまま国道沿いに走って行って、たぶん静岡の途中でフェリーに乗って熊本に帰るんじゃないかなと思います」

 

「あら、姉思いの一意さんだから飛んで大洗に戻るかと思いましたのに」

 

「え、なんでですか?」

 

 そう尋ねた瞬間時が止まったような気がしたが、すぐにアッサムさんから「弟くんは携帯電話とか持っていないの?」と声をかけられ、思い違いだろうと気にしないことにする。俺が母に交渉しているところですと話すと、彼女からカチューシャさんが「連絡する術を持て!」と怒っていたことを知らされた。そんなこと言われても困るのだけど、あのひとにそんなことを言ってもきっと理解してくれないだろう。そんな話をしていると、ダージリンさんが何事かを小さな声でつぶやくのが聞こえた。

 

「いえ、エキシビションで負かされたみほさんを慰めに行くと思っていましたの」

 

「わざわざそんなことしませんよ。勝つこともあるし負けることもあるでしょう」

 

「あら、西住流らしくない言い方」

 

 信じられないぐらいの強さで痛いところをついてくるひとだと思い、俺はじっと紅茶を飲むことにした。

 

 

 

 

 その後アッサムさんがローズヒップさんとふたりで彼女の携帯電話を捜しに行き、それに伴って他のひとたちもそれぞれの用事を済ましに行く。部屋に残ったのはただ俺とダージリンさんだけで、俺は一言も発さずににこにこと笑っている彼女と向き合うことになった。これまでずっと床でごろごろしていた猫が俺の膝に飛び乗ってくる。

 

「本当にみほさんそっくりね」

 

 膝の上の猫を撫でいているとダージリンさんからそう声をかけられた。これまでの人生で数えきれないほどかけられてきた言葉ではあるので、俺は気のない返事を返しながら猫の肉球を押して爪を出したり引っこませたりする。

 

「みほさんが転校してきたらこんな感じなのかしら」

 

 彼女が夢見るように発した言葉で意識が引き戻される。戦車道の名門である聖グロでは姉さんが転校する見込みはなかったかもしれないが、なるほど確かにこの状況はそういうシミュレーションとしてみることもできるのだろうか。

 

「戦力過剰ですよ……」

 

「あら、そんなことありませんわ。うちは二年生の層が少し薄いから。……そうすればペコさんにももう少し余裕が生まれますわ」

 

 彼女は一切音をたてずにティーカップをソーサーに戻し、耳にかかった髪をたぐって直す。それから両手の指を組んで机に肘をつき、伏し目がちに顔を伏せて部屋の隅をみた。なんとなくアンニュイな雰囲気だ。

 

「ダージリンさんは後輩想いなんですね」

 

「ふふ。かつて私がアールグレイ様……私の前の隊長ね。あのひとにしてもらったことをあの子にも返してあげたいの。きっとそういう風にしてこの聖グロリアーナの戦車道は続いてきたのよ」

 

 先ほどの物憂げな雰囲気をかき消して、再び不敵な笑みを浮かべて笑う。その姿には何か大きなものを背負っているような、圧力といえるような雰囲気があった。

 

「誰だってそう。あなたもまだ気が付いていないだけで、きっとそういった大きな流れの中にいるわ」

 

「……そういうことに気が付けるようになりたいと思っています」

 

「そう考えられることが最も素晴らしいことですわ」

 

 腕の中の猫が俺の掌に猫パンチをくりだし、俺は両手で粘土をこねるように猫をもみしだく。普通こういうことをされると嫌がるものじゃないかと思うのだが、こいつに関しては嬉しそうにニャアニャア鳴いている。

 

 ダージリンさんの言葉を考えるが、俺にはまだうまく実感できないことだと思った。姉さんに会えば森に日差しがさすようにそういうことが全て明らかになるかと思っていたのだが、実際そう上手くはいかないと旅の途中でわかっていた。俺は部屋に差し込む西日を眺めながら、そろそろ夏休みが終わることについて考えている。

 

「可愛い猫さんね」

 

 ダージリンさんがにっこりと笑う。

 

「ダージリンさん、みほ姉さんよりも見る目がないですよ」

 

「あら、光栄ね」

 

 もうちょっと狼狽えてくれてもいいのにと思って悔しがると、俺の手の中で猫が大きなあくびをする。

 

 

 

「絶対にアンツィオに立ち寄るように」

 

 とダージリンさんから厳命を受けつつ来た道を戻る。あのあと用事を済ませたメンバーがぞろぞろと戻ってくると、俺は西陽が差し始めたのをみて暇乞いをさせてもらった。ローズヒップさんからは少し惜しまれたが、ダージリンさんの「旅の途中ですものね」という言葉で一同見送ってくれることとなる。前述の言葉の意味はよくわからないが、とにかくアンツィオには寄らなくてはならないらしい。そうなると帰りは清水港からフェリーだろうか。

 

 学園艦を出た後、タラップの前でダージリンさんが「では私たちはここで」と声をあげた。

 

「色々と大変だと思うががんばれ。色々と」

 

 ルクリリさんから背中を叩かれ、そう声をかけられる。車内での表情があまりにも悪人っぽかったため当初は怖いひとなのかとも思ったが、単に口調がちょっと荒っぽいだけらしい。なんだかよくわからないしゃべり方をするローズヒップさんといい、聖グロも多様性にあふれているようだ。 

 

「引き留めてしまってごめんなさいね。旅の無事を祈っているわ」

 

「ありがとうございます。……ダージリンさんのおっしゃっていたこと、よく考えてみます」

 

 俺がそう返事をすると、彼女はハンカチをくれたときのように優しく笑い、隣にいたペコさんの頭を撫でる。突然の行為にペコさんが驚くが、結局なすがままにされていた。

 

「一意さん、あなたにこの言葉を送りますわ。『人生は誰かのために生きてこそ価値がある』」

 

「アインシュタインです」

 

 頭を撫でられながら出典を教えてくれるペコさんの姿に笑い、俺はタラップをおりるために足を踏み出した。横浜港に降り立って振り返ると、タラップの上で五人がまだこちらを見ている。俺が全身で大きく手をふると、ローズヒップさんが負けじとさらに大きく手を振り返し、他の四人が苦笑したように見えた。

 

 

 




聖グロ編改訂版です。
そんなに変わっていないんですが、なにはともあれ。
今回は私のわがままで読者の方にご迷惑をおかけして申し訳ありません。

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