大洗への旅   作:景浦泰明

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第十七話 『静岡県 大学選抜チーム』

 

 

 神奈川県を抜けて一夜。俺はさらに西に進み、静岡県に近づいていた。千葉、東京、神奈川と進んできたときにあれほどうんざりさせられたビルの群れは摘み取られたように少なくなり、海辺にはみかんの畑が多くなる。斜面を段々に切り抜いて作られたみかん畑には収穫を忘れられた果実がぽつぽつと残り、それが美しい彩となっていた。

 

 俺は箱根を越えたあたりで道を逸れ、御殿場に向けて北上していく。目指しているのは戦車道の聖地、東富士演習場だ。これまでの人生で何度来たかはもうよく覚えていないが、今回は大洗と黒森峰の決勝戦以来なのでそんなに期間は空いていない。それでもあそこに向おうと思えるのは、いつもどこかしらが戦車道の練習試合を行っていることと、その近くのブルワリーレストランが出してくれるスペアリブがとても美味しいからだ。

 

 幼い頃にはよくあそこで戦車道の試合を観て、それから家族全員であのレストランに行って食事をした。父さんはあまり酒に強くはなかったが、母さんはそのぶんも埋めるように大量のビールを飲み、その様子を見て姉さんたちが「私も飲みたい!」と主張していたことを思い出す。中学生になってふたりが学園艦に行ってしまってからはそういうことも少なくなったが、あのことは俺の中に大切な思い出としてしまってある。

 

 まあ大切な思い出はそこそこにぼーっとスペアリブのことを考えていると、猫も荷物のなかから身体を出してきて背中をびしばしと叩いてくる。大方俺にもよこせといったところだろうが、おそらくあの店は猫を入れてはくれないだろうなと考えた。ばれないように骨だけくすねて食べさせてやろうと考える。

 

 猫をなだめながら走り続けると次第に民家が少なくなり、道路の片側が山肌に変わっていく。セミたちが一斉に鳴きだすとまるで森全体が鳴動するように感じられる。猫はうるさくてたまらないというような表情をしていたが、俺はこの旅で何度目かの夏の雰囲気を存分に味わっていた。この夏がいつまでも続けばいいと思い、すぐに自嘲するような笑いがこぼれた。

 

 

 

 東富士演習場にたどり着くたび、その広大さと背後に見える富士の威容に驚く。俺は目的地にたどり着いただけで意味もなくわくわくし、所々の出店で軽食を買いながら猫とふたりで食べる。猫も俺と同じものを食べたがったが、動物に人間と同じものを与えると早晩くたばってしまうため猫用のカリカリで我慢してもらう。たいそう不満そうな顔をしていたが、夜にはスペアリブの骨をあげるので勘弁してもらいたい。

 

 観覧席にたどりつくと大スクリーンに今日の組み合わせが映し出されており、すでに席が少しずつ埋まり始めていた。俺は手近な席を選んで座り込むと、スクリーンに映し出された『大学選抜対社会人』という文字をまじまじと見る。どこかの高校同士の練習試合かと思ったが、今日はどうやら交流目的のような試合なのかもしれない。俺は気持ちを少し落ち着けて椅子に深く座り込み、隣の席に寝転んだ猫をわしわしと撫でた。のんびり楽しめればいい。

 

 そう考えていたが、試合が始まってほどなくすると、俺は周囲のおじさんたちと一緒にまるでフーリガンのような叫びをあげていた。

 

『強いですねこれは! 強すぎます! 島田愛里寿選手、圧倒的な強さで社会人チームを圧倒します!』

 

 開始と同時に隊長機のセンチュリオンが一機で敵陣に突っ込むというあまりにも異様な展開で幕を開けた試合だったが、経過はさらに信じがたいものだった。斥候との接触から二十分。林に隠れていた斥候を瞬殺するとセンチュリオンはそのまま敵陣深くに突っ込み、自機を取り囲んだ小隊を圧倒的な戦車さばきで下していく。単機で特攻した敵機に対して社会人が油断していたことは否めないだろうが、それにしてもあの戦車に乗っているメンバーの熟練度は圧倒的だ。まるでコンピューター制御されているような動きで砲身が動き、一発たりとも撃ち漏らすことなく敵戦車を駆逐していく。

 

 俺の周囲はいまや狂乱と呼べるほど盛り上がり、さながら乱打戦と化した甲子園球場のようなありさまとなっていた。

 

『ついに社会人チームの最後の一機から白旗があがりました! 大学選抜チームの勝利です!!』

 

「うぉぉおおおおおおお!!!」

 

 俺や周囲のおじさんたちが一際大きく叫び声をあげ、上空にいくつものタオルが舞う。まるでノーヒットノーランが達成されたかのような盛り上がりだ。大洗対黒森峰のような緊張感のある試合もたまらないが、こういった痛快なスーパープレイが見られる試合もたまらない。興奮状態に陥った猫が足元で狂ったように動き回っていて笑う。

 

 俺は試合の喧騒も冷めやらないうちから、これからは大学生の試合もチェックしていかなければいけないと決意を新たにしていた。

 

 試合が終わってからしばらくは御殿場の風光明媚な景色を楽しみ、昔姉さんたちと遊んだところをぐるぐると歩き回っていた。地ビールの工場なども公開されており、物珍しく見て回る。しばらくして外に出るともうひぐらしが鳴き、やがて世界は夏らしい薄暮に染まって青色に包まれた。俺はすっかり涼しくなったのを感じ、舗装された林の道を抜けてレストランを目指す。季節の移り変わりは素晴らしいが、俺はこの夏の夕暮れにある青色がたまらなく好きだ。まるで自分が映画の世界にいるように思える。

 

 林を抜けた先にレストランがあり、広い芝生の中に建てられたそれが煌々とした灯りで輝いていた。外観からはまるで大きなコテージのように見える。レストランのすぐ前までくるといつも通り猫がそっぽを向いて歩き出す。その背中が「兄弟、絶対骨だけは拾ってこいよな」と言っているような気がして、俺も襟を正してレストランの扉をくぐった。今日はこの旅最後の贅沢としてホテルに部屋までとったのだ。何が何でもスペアリブを満喫するつもりである。

 

 レストランのなかは広々としており、温かみを感じさせる木造の机と椅子が並べられている。天井は見上げるほどに高く、程よい喧騒の中に楽団が奏でる音色が溶け合っていた。俺は案内されながら嬉々として進み、その途中オープンキッチンで調理されている巨大なスペアリブを発見する。心は完全に肉食獣だった。

 

 席に着いてから注文するとすぐにノンアルコールビールとザワークラウトが運ばれてくる。まほ姉さんが黒森峰で覚えてきて以来、俺もノンアルコールビールにハマってしまった。俺はまずビールで口をしめらせ、ザワークラウトを半分だけ食べる。思わず顔をしかめるほど酸味が強いが、それがすっきりとした清涼感になった。昼間ジャンクフードを食べたせいか胃が少しもたれ気味だったが、ザワークラウトの酸味とビールでいくぶん気分が良くなる。そうやってしばらく楽しんでいると、ついにスペアリブが運ばれてきた。

 

「うぉぉ」

 

 とつい声が出てしまう。巨大な皿からはみ出すほど大きなスペアリブはまだ表面がしゅうしゅうと音を立て、つい先ほどまで網で焼かれていたのだとこれでもかと主張してくる。俺は添えられたナイフとフォークを手に取ってそのあばら肉の一本を切り分け、辛抱溜まらずすぐに口に含んだ。猛烈な熱さに一瞬ひるむが、かまわず噛み続けると中からとめどなく肉汁が染みだしてくる。漬けられたタレと肉自体の濃厚な味わいで、家にいたら間違いなくご飯三杯おかわりしてしまうタイプの味だ。俺はじっくりとそれを味わい尽くし、それからビールで流し込む。

 

 驚くほどの多幸感である。

 

 俺はほとんど時間もかけずにスペアリブを次々と口に放り込み、時折ザワークラウトを間に挟むことでとめどなく食事を続けた。ザワークラウトで二倍食える! と豪語する父さんのことを思い出す。ニ十分もしないうちに皿は綺麗に骨だけとなり、俺は大きく息を吐いて椅子に座り込んだ。

 

 こんなに美味しいものをひとりで食べたのは久しぶりだと思う。この旅の色々な人と道程をともにし、美味しいものをたくさん食べた。

 

 俺は満腹感に包まれながらもわずかな寂しさを覚え、すぐに店を出た。骨は渡せないと言われて、心の中で猫に謝る。

 

 

 

 店から出てきた俺の姿を見て、猫はずいぶんご立腹のようだった。レストランの前の大きなステップに腰を下ろすと、猫は背中を山なりにして肩をいからせながらにじり寄り、ガンを付けながら「おいおい兄弟。こいつぁちょっと話が違うぜ」とすごんで見せる。俺が苦笑してポケットからカリカリを取り出すとものすごい勢いで威嚇される。カリカリを差し出すと一応食べてはくれたが、その姿にもどこかやけくそな雰囲気が漂う。

 

 困ったなあと苦笑いしていると、背後から扉が開く際の鐘の音が響く。猫がその音に反応してふしゃあと鳴くのを聞き、あまりにも神経過敏であると心配になった。食べ物の恨みは恐ろしいようだ。

 

 扉のほうを振り返ると、そこに灰色のベストを着て熊のぬいぐるみを持った少女が立っていた。彼女もまたこちらを見詰めており、少しのあいだ目が合う。そして彼女が歩き出した瞬間、木組みの隙間に足を取られてぬいぐるみを手放してしまった。

 

「あ」

 

 と声をあげる暇もなく、俺のすぐ隣から流星のように猫が飛び出した。空中で落ちていく途中のぬいぐるみをとらえて地面に叩き付け、まるで高速でまり玉をつくように何度も何度も強烈なパンチを食らわせる。よく見るとすこしずつ打点が移り変わり、効率よくダメージを与えようとしているのがわかった。これは効いていますよ!

 

 俺が突然の出来事に呆然としていると、すぐに気を取り直した少女が体勢を立て直す。両手の拳をぎゅっと握りしめる様子に泣いてしまったらどうしようと不安になるが、その口から出た言葉は俺が実家で散々慣れ親しんだものだった。

 

「がんばれ! がんばれボコー!」

 

 本日何度目かの驚愕である。よくよく見ると彼女の持っていたぬいぐるみはあの「ぼこられ熊」であり、それを示すように全身に痛々しい包帯がまかれていた。自分のぬいぐるみが刻一刻とメタくそにされているというのに一切動揺しないこの精神性、間違いなくぼこファンの姿である。

 

 その応援によって火がついたように、ついに猫のラッシュも終盤に差し掛かった。まるでステーキ肉をやわらかくするために全体を叩くかのごとく続いていたラッシュだが、それがひと段落する。ぬいぐるみの全身をひっぱたきおえると、猫はついにその牙でぼこの首筋に食らいついた。そして犬猫が水にぬれた時に全身を震わすときにそうするように、猫もまたぼこを咥えたままで全身を左右に振ってぶんまわす。最後にぬいぐるみを地面に叩き付けると、まるで普段自らの糞尿にそうするように後ろ足で蹴りを入れた。まさに完全勝利といった結末である。

 

 静寂。痛いほどである。俺は先ほどまで猫に対抗するように隣でぼこを応援していた少女に近寄り、おそるおそる声をかけた。

 

「あ、あの、すみません……」

 

「あなたの猫ですか」

 

 きっ、と気の強そうな瞳でこちらを見詰めてくる少女に思わずたじろぐ。これだけのことをされて怒っていないわけがない。俺は泣かれなかったことに感謝をしながら恐る恐る彼女に謝罪する。

 

「はい、あの、ごめんなさい」

 

 その言葉を言い終えるか終えないかの瞬間に彼女の言葉が放たれる。

 

「とっても利発な猫さんですね!」

 

 目の前で嬉しそうに笑う少女の姿をみて、俺は顔全体が苦笑いにゆがむのを感じる。一仕事終えてのんびりモードに入った猫が地面にべったりと張り付くのが見えた。

 

 

 




ようやく終わりが見えてきました。

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