大洗への旅   作:景浦泰明

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第十九話 『静岡県 アンツィオ高校』

 

 

 富士で野宿をした翌日、まだ暗いなかをパンターに乗って走り出す。あまり遅くまでゆっくりしていると起きた時にご老人の集まりに覗き込まれてしまうとか、下手すると警察の方にもしもしされてしまう可能性もある。旅を続けるうち、俺は必然的に早寝早起きの生活を身に付けるようになり、折角の夏休みだというのに自堕落な生活リズムとは無縁だった。

 

 昨年の夏休みはどのように過ごしていただろうか。高校受験を控えて毎日夏期講習にいそしんでいたような気がするが、今思えばあれも実家の雰囲気の悪さから目を背けるための現実逃避だったのかもしれない。おかげさまで志望校には合格したが、俺はその間ほとんど母さんと話すことをしてこなかった。母さんと話そうとするたびに頭の中にあの時の声が蘇り、委縮してしまうことがたびたびあった。

 

 山沿いの道だからか、何度も坂道と下り坂が繰り返す。パンターはそのたびに焼けつくような悲鳴をあげながら坂を登っていくが、これに関しては単に言っているだけなので何の問題もない。スーパーカブは坂道に弱いからものすごい悲鳴を上げるが、その実全然問題にしていないのだ。

 

 いくつかの坂道を越えて夜が白みはじめ、そして由比にたどり着いたころ左手側でいままさに海から太陽が生まれるところを見た。水平線と溶け合った中から逆再生で雫が生まれるように見える。太陽と溶け合った境界線は、まるではちみつを垂らしたように地球の形に沿って世界を輝かせ、やがてその全てが真球として中空に浮かぶ。朝焼けに海がキラキラと輝き、周囲の民家たちが長く影を曳く。涼しげな風が吹き抜け、昨日夕食を食べたそば屋のテレビで天気予報士が言っていたことを思い出す。

 

 『真夏のピークを過ぎました。これからは緩やかに気温が下がり、過ごしやすい日が続いていくしょう……』

 

 旅が終わる。俺は母さんのことを考えなければいけないと思っていた。

 

 

 

 静岡東部にいるうちはずっと折れ曲がった狭い道が続いていたが、清水にたどり着くと次第に大きい道が増えてくる。海沿いにいくつもの巨大な工場や流通関係の会社が並び、車やバイクと並ぶように海鳥の類が飛んでかしましく騒ぐ。清水港に近づくにつれてその数は多くなり、猫が爛々と目を輝かせて彼らのことを眺めていた。野鳥は確か法律で保護されていたはずだが、例えば飼い猫が捕まえて食べてしまったりするとどういう扱いになるのだろう。なんにせよ俺は今すぐにでも飛び出していきそうな猫を抑えておかなければと思った。

 

 清水港にたどり着いてバイクを停めると、いつも通りリュックから猫が飛び出して大きく欠伸をする。俺が支度をする間きょろきょろと周囲を見回して尻尾を左右に振りつける猫を見ながら、こいつもしかして家までついてくる気なのだろうかと心配になった。母さんは許してくれるだろうか。というか家には既に犬がいるし、こいつの性格では絶対あいつのことをからかって喧嘩になるだろうというのは目に見えている。俺はどうしたものかと思って頭を掻くが、まあなるようになるだろうと早々に諦めた。こいつならとにかくどんなところでも大丈夫だろうという気がするし。俺が歩き出すと猫もその後をついてくる。

 

 歩き出した俺の横を食料が大量に積み込まれたトラクターが横切り、驚いて少しだけよろける。トラクターの進んでいった方向に進んでいくと次第に人通りが多くなり、やがて港の広場を利用した屋台村が現れた。聖グロを発つ前にダージリンさんから聞いた話だと、ここの屋台村でアンツィオのひとたちが屋台を出しているだろうということである。いったいなんだってあそこまで俺に「アンツィオに行け!」と勧めてきたのかはわからないが、多分キューカンバーサンドをもりもりたべていたから食事に意地汚い奴だと思われたのだろう。大体間違ってはいないので何も言うことは無い。

 

 屋台村は基本的に新鮮な魚介を使った海鮮系のものを扱ったものが多かったが、それにまじってちょこちょことイタリアンの屋台がある。アンツィオ校の寄港地なのだから珍しくもないが、その屋台にかかれた各部活の名称を眺めていると、そんなことしてないで練習しなさいよという気持ちにもなってきた。とはいえアンツィオは貧乏な高校らしいし、活動資金がなければ活動もままならないということなのだろう。世知辛い世の中である。

 

 「おにーさん! アクアパッツァ食べてきなよ! 清水港獲れたての魚を使ってんだよ!」

 

 「そっちの奴は家庭の成績2だよ! うちのピザにしときな!」

 

 「おめーなんて家庭以外全部ボロボロじゃねえか! そんな馬鹿が作った料理なんて食わせられるか!」

 

 身を乗り出して喧嘩を始めるバレー部とソフト部の間に挟まれて苦笑いする。アンツィオはノリと勢いと聞いていたが、どうやら気性の荒さも中々らしい。口喧嘩にすっかり夢中で俺のことなんか忘れているようだったのでそっとそこを抜けだし、猫とふたりで海沿いを歩く。

 

堤防沿いに等間隔に並んだひとたちが同じように釣り糸を垂れている。猫がのっそりのっそりとそのうちのひとりに歩み寄ると、おじさんが鬱陶しそうに舌打ちをひとつして小魚を猫に放った。強かなやつだなあと笑い、それから岩手のあたりで釣りをしたことも思い出す。ここでも同じような魚が釣れるのだろうかと思って散歩を続けていると、少し離れたところから「ぬわぁ~んもぉ~!」という叫び声が聞こえてきた。

 

 「ぜんっぜんお金足りないっすねえ」

 

 「どうすんだー! このままじゃカッコよく『アンツィオに任せろ!』って言ったのに会場にも到着できないぞ!!」

 

 「そうは言ってもお金は湧いてきませんからね……」

 

 屋台のそばで三人の女性が頭を抱えてうんうん唸っているというのは、あまり見ない光景である。屋台には大きく「鉄板ナポリタン」と書かれていてそれなりに結構客入りも良いようだが、それを他のメンバーに任せたまま彼女らは「金がない」「金が……」とうめき、暗澹たる雰囲気を漂わせていた。俺はそのなかのひとりにどこか見覚えがあり、ふらふらとその屋台に近寄っていく。

 

 不審げにこちらを見る三人に対して手をふると、そのうちのひとり、ボリュームのあるツインテールの安斎さんがこちらに気が付く。

 

 「一意! ようやくここまで来たのか!」

 

 「安斎さん、久しぶりですね」

 

 そう答えると「アンチョビだ!」と怒られる。俺が小学生の頃、初めて姉さんがうちに連れてきたときはこんなこと言ってなかったくせに、高校生になってアンツィオに入学したら途端にこれだ。あの頃から優秀な選手として姉さんとも交流があったりしたようだが、身一つでアンツィオの戦車道を立て直したあたりからちょっとおかしくなっちゃったんじゃないかと思う。

 

 「ドゥーチェ、その方が?」

 

 「あぁ、西住一意だ」

 

 アンチョビさんと話しているとそばにいた二人も近寄ってきて、俺は二人に頭を下げる。金髪のひとがカルパッチョさん、黒髪でぴんぴん髪がはねているひとがぺパロニさんというらしいだから本名じゃないでしょって思う。

 

 俺が興味深そうに屋台をのぞきこんでアンツィオの屋台について質問するが、三人は苦い表情で黙りこみ、それに答えてはくれなかった。どうしたんですか? と質問すると、アンチョビさんが一歩前に進み出てくる。

 

 「いいか一意、驚かないで聞け。大洗女子が廃校の危機にある」

 

 その言葉の意味がわからず、一瞬頭のなかが真っ白になる。

 

 全員の顔を見回すが、その表情に嘘や冗談を言っているような様子はない。心臓の鼓動が大きくなるのを感じ、俺はゆっくりと息を吸って深呼吸を繰り返す。何度かそれを繰り返してから質問したところによると、優勝すれば廃校を取り消すというのは確約ではなかったらしく、俺が大洗を後にしてすぐ姉さんたちは学園艦から追い出されてしまったらしい。

 

 胸の裡に黒々とした感情がともるのを感じ、それと同じぐらいの無力感が全身を包む。俺は姉さんの邪魔をする大きな何かに対しての憤りを感じ、頭痛がしてくる。だが俺に何ができるのだろう。俺には何もできない。まるで旅に出る前のようなどうしようもない気分が全身を支配する。

 

 だが、と思う。こんな裏切りのような真似が許されるわけがない。そしてあの大洗のひとたちが、母さんが、これまで出会ってきたみほ姉さんの友人たちがそんなことを許すわけがないと思った。俺は無力感に支配されそうな気持ちを押さえつけ、悲痛そうな表情をしているアンチョビさんのことをまっすぐ見つめ返した。

 

 「それだけじゃないですよね」

 

 そう問い返すとアンチョビさんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに不敵な笑みを顔全体に浮かべてもちろんだ! と言葉を返す。

 

 アンチョビさんの話すところによると、大洗の会長や母さん、それから蝶野さんの活躍によって大洗は大学選抜チームとの試合を取り付けることに成功し、これに勝利すれば廃校は取り消されることに決定したらしい。だが、なんと文科省が提示した試合ルールは殲滅戦。大洗と大学選抜の戦力差を考えればあまりにも無茶である。

 

 「だが、そこで我々の出番だ。我々他校の選手が大洗女子に短期転校することでチームとして戦い、大学選抜との戦力の差を埋める。もちろんお前の姉や、このドゥーチェアンチョビも参戦するぞ!」

 

 それは――、なんというか燃える。俺は姉さんたちと一緒にカチューシャさんやダージリンさんたちが並んでいる姿を想像し、胸にたぎるものを感じた。

 

 「じゃあ、すぐに向かわなきゃいけないですよね! お願いします。俺も、俺のこともぜひ連れて行ってください!」

 

 頭を下げて三人にそう願い出ると、途端に三人からさっきと同じ暗い雰囲気が漂い始めた。

 

 「そうしてやりたいよ、もちろん」

 

 「こんな美味しい役目、ウチらが逃す手はねえんだよ」

 

 「けど……」

 

 燃料費がないらしい。

 

 「燃料費がないんだ」

 

 二度も言われた。

 

 「なんでこんなにお金がないんでしょうねえ……。三度のおやつを二度に減らして必死に倹約しているのに……」

 

 「金、金だ。所詮この世は金なんだよ」

 

 「ちきしょう。姐さんほどのひとがこれほど悩んでみたって金はちっとも湧いてきやしねえんだ」

 

 よよよ、と崩れるカルパッチョさんのことを眺めながら、俺は全身から力が抜けるのを感じた。先ほどの燃え上がる気分はすでにどこかへ霧消してしまっている。金か、お金じゃあ仕方ないな。あんまり実感したことはないが、お金ばっかりはどうにもならないと聞いたことがある。

 

 「我々も精いっぱい頑張った。だが、どうしても足りなくて」

 

 「ギリギリまで屋台を出して稼いできたんすけどねえ。やっぱりあの、あれの修理費がかさんでいるのが」

 

 「やめろぺパロニ、あれの話だけはするな」

 

 アンチョビさんが必死そうな様子でぺパロニさんを押しとどめ、その様子を見てまたカルパッチョさんがよよよと泣く。考えなしに近寄った猫がカルパッチョさんに抱き上げられ、ものすごい力で抱きしめられて泣かれている。

 

 俺はしくしくと泣き続ける三人を横目に見つつリュックの中に手を突っ込み、一番奥から擦り切れた封筒を取り出す。随分残ったものだと思う。そんなに無駄遣いもしなかったし、基本的に野宿が苦にならなかったことが良かったと思う。継続やプラウダ、それから姉さんたちが途中で良くしてくれたことも理由のひとつだ。けち臭いとは思ったが、これまでほとんどこいつに手を付けずにきたのはこのためだったのだなと思った。

 

 俺はへたりこむアンチョビさんに向って封筒を差し出す。不審気な顔で受け取るアンチョビさんに隣のふたりがなんだなんだと顔を寄せ、そして封筒の中身を見て表情を変える。まあなんとか足りるぐらいはあったようだ。

 

 「じゃあ、すぐに出発しましょう」

 

 すぐに三人が飛び上がり「おぉ~!」と叫んだ。

 

 

 




すっごく悩んでるんですが、アンツィオってあのトラックで北海道まで行ったんでしょうか。いやたぶんフェリーだろうけど……

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