大洗への旅   作:景浦泰明

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第二十一話 『西住流』

 

 

 『待ったー!』

 

 遠くで姉さんの叫び声が聞こえた。

 

 「黒森峰の隊長ってあんなでかい声でるんすね」

 

 「でもなんだかちょっと変な感じですね。あんまり大声を出すのは慣れてないのかも」

 

 「うちの姉さんのこと変な風にいうのやめてください。っていうか人間なんだから大きい声ぐらいでるに決まってるでしょ」

 

 「そろそろ誰か交代してくれないか」

 

 その言葉に三人で振り返り、CV33の後部に箱乗りして踏ん反り返っているアンチョビさんを見る。精いっぱいの威厳を見せつけようと顎を逸らして腕を組んでいるが、風の寒さに耐えかねて震えているのがまるわかりだ。

 

 「だから俺が上に行きますって言ったじゃないですか。なのにアンチョビさん『ドゥーチェが一番目立つところにいくからな!』って」

 

 「こんなに寒いとは思わないだろうが! おい! 頼むから一意代われ!」

 

 やだなあと思いつつ身を乗り出して後部にしがみつき、空いたスペースにアンチョビさんのことを押し込んでいく。うー、ぶるっちょさぶさぶだー! とか言いながらもぐりこんでいくアンチョビさんを眺めつつ、俺はジャケットの前を閉め、バイク用のゴーグルを目にあてた。

 

 遠く、大洗チームのそばに黒森峰の戦車が停まっているのが見える。それをめざすようにサンダース、プラウダ、聖グロ、知波単が並んで進む。俺たちは豆戦車らしい軽快なスピードで他の戦車たちを追い抜いていく。途中で知波単の先頭を走っていた西さんと目があい、彼女が燃えるような強い眼差しでこちらに敬礼をする。俺はただそれに頷くだけで応え、CVがさらに加速していく。

 

 知波単を追いぬいていくなか、一両の見覚えある戦車が目に映った。小柄ながらずんぐりむっくりして可愛らしい、思い出深い戦車だ。風に乗ってカンテラの音が聞こえるような気がして耳を澄ました。CVが隣に並ぶと少しだけあちらのスピードに勢いが乗り、きっとあいつが対抗しているんだろうなと思って笑う。CVがさらに加速する。

 

 やがて会場が近づき、俺たちはちょうど聖グロの戦車隊のすぐ後ろあたりで巡航速度に落とす。他の戦車隊と足並みをそろえるように走っていると、すぐ目の前を走っていたチャーチルのキューボラが開き、その中から見覚えのある金髪の女性が現れる。少し見なかっただけだが、相変わらず紅茶を手放さないでいるようだ。あくまで上品な挙措で紅茶を飲んでいるが、戦車から身体を出して紅茶を飲んでいるのは結構シュールに見える。俺が大きく手を振るとダージリンさんもにっこりと笑顔になってこちらに手を振り返し、そしてまた戦車のなかへ戻っていった。

 

 アンチョビさんがマイクを手に取るのが見えた。他の戦車隊も走りながら名乗りをあげているし、自分もやってやろうと思ったらしい。

 

 「大洗の諸君! ノリと勢いとパスタの国からドゥーチェ参戦だ! 恐れ入れ!」

 

 そのセリフに苦笑が漏れる。いつから静岡県はノリと勢いとパスタの国になったのだろう。ぺパロニさんと「今度は間に合ってよかったっすね」と笑い、全くだとため息を漏らした。実際今朝も起きた時には結構危険な時間に差し掛かっており、走り出しながら昨日の夜騒ぎすぎたのが悪い、全部一意のせいだと責任を押し付けられていたのである。そのうえ会場に向かう途中では「実は以前大洗の決勝に一番乗りしようとして寝過ごしちゃって……」と縁起でもない話を聞かされたのだ。俺は遠くに見える大洗の戦車をみてやれやれと深く息を吐いた。

 

 アンチョビさんのあと、カルパッチョさんによるカエサルさんへの呼びかけが終わり、彼女から笑顔でマイクを渡される。はい、と言われても何も言うことなんてないのだが、カルパッチョさんの笑顔には有無を言わさないところがあった。俺はしぶしぶマイクを受け取って手の中でもてあそびつつ、迫りつつある大洗戦車チームの姿を見る。

 

 様々な戦車による混成部隊の中に、見覚えのあるⅣ号がまじっていた。俺の胸が大きく高鳴るのを感じる。なぜだか姉さんなら絶対大丈夫だという自信が湧いてきた。

 

 「姉さん、……応援に来たよ! がんばって!」

 

 俺の声が空に響き、そして二十二両の戦車が雪崩のように会場へとたどり着いた。

 

 

 

 「イチーシャのばか!」

 

 CVから降りた瞬間に待ち構えていたカチューシャさんにそう怒鳴られ、俺の目が濁流に流されるように泳ぎまくってしまう。カチューシャさんはそんな俺の様子がさらに気に食わなかったらしく、源義経のような軽快な動きで俺の膝をステップにしてくるりと肩に飛び乗り、ヘッドロックをかけてきた。

 

 「私の出る試合は全部見るようにって言ったじゃない! それが何よ! 戦車道のある学校ばっかりまわって女の子に囲まれてでれでれしちゃって! そのうえアンツィオと一緒に来るなんてどういうこと!? 困ったら最初にカチューシャ様を頼りなさいって言ったわよね!」

 

 強力なヘッドロックにふらつきながらカチューシャさんのマシンガントークを受け、俺は早速満身創痍になってふらふらとよろけまわる。そのうえカチューシャさんの攻撃を新しい遊びだと思った猫が加わり、突然猫にひっつかれたカチューシャさんが悲鳴をあげて暴れまわった。俺はふたりしてバランスを崩し、カチューシャさんをかばいながら地面に倒れこんだ。

 

 ぬわー! と叫んで突っ伏す俺を見てカチューシャさんは「ふんっ!」と鼻を鳴らす。

 

 「良い、イチーシャ! エキシビションでの活躍を見られなかったんだから、今度こそ私の活躍をしっかりその眼に焼き付けること! あとで朱肉に付けてぺたってやったら紙に写るぐらいしっかり焼き付けるのよ!」

 

 よく覚えておきなさい! と言い残してカチューシャさんが去っていく。俺はよろよろと起き上がりながら、相変わらず恐ろしい暴君ぶりだぜと舌を巻いた。試合に出るわけでもない、そもそも試合も始まっていないのにボロボロの俺のもとに、知波単から西さんが歩み寄る。

 

 「仕方ありません。カチューシャ殿はエキシビションのときも一意さんに見せつけてやると息巻いておりましたから」

 

 どうやらカチューシャさんは大洗にたどり着いた俺がそのまま滞在していると思い、俺に見せつけるつもりで獅子奮迅の活躍を見せたらしい。それは悪いことをしたなあと頬をかいていると、西さんもまた「隊長同士で作戦会議があるそうですのでこれで」と言って去っていく。アンチョビさんもぺパロニさんとカルパッチョさんに戦車を移動させておくように指示を出しており、俺もそろそろ観客席に行かなければと立ち上がる。

 

 「一意」

 

 そこに非常に聞きなれた人物の声が届く。落ち着いた印象を与えるハスキーボイスだが、いまはその声がなんだか冷徹に響く。恐る恐る振り返ると、やはりというかなんというか、そこに我が家の長姉が仁王立ちしていた。後隣に立った逸見さんがにやにやと笑いながらこちらを見ている。

 

 「ま、まほ姉さん」

 

 「……安斎に連れてきてもらったようだな」

 

 後ろで「アンチョビだ!」とか聞こえるが、いまはそんなことに構っている場合ではない。まほ姉さんが俺に向ける視線は氷のようにするどく、大変お怒りになっているのがよくわかった。つかつかとまほ姉さんが俺の目の前まで近寄り、無遠慮に全身をぺたぺたと触ってくる。頬をなでたり髪をひっぱられたり、俺はまるでライオンに舐められるウサギのように凍り付き、直立不動でまほ姉さんのなすがままにされていた。

 

 「随分日に焼けたな。髪も伸びた。……心配をかけたとわかっているのか。怪我などないな?」

 

 俺はその声に「ひゃい!」と間抜けな声をあげ、緊張から背中を冷や汗が伝うのを感じる。まほ姉さんは俺の言葉に満足したのか「よし」と呟き、それから優しく俺を胸に抱いて「気づいてやれなくてすまなかった」とささやいた。

 

 その言葉に動揺する暇もなくすぐにまほ姉さんが俺から離れ、観客席に行くように促してくる。俺は颯爽と踵を返すまほ姉さんに追いすがり、必死に声をかけた。

 

 「まほ姉さん、その、大丈夫かな」

 

 何が、とは言わなくても伝わったらしい。まほ姉さんは先ほどの優しさなど幻だったかのような厳しい瞳で俺のことを見据える。

 

 「お前にはいろいろ言いたいことがある。が、今は黙って観客席へ行け。お母様もいらしている」

 

 その言葉に立ち止まって小さくうなずくとまほ姉さんが身体をこちらに向け、力強く肩を掴まれた。

 

 「心配するな。お前やみほが悲しむようなことには、この私が絶対にさせん」

 

 言葉もなくまほ姉さんの瞳を見詰める俺にふっと柔らかな笑顔を向け、そしてまほ姉さんは二度と振り返らずにまっすぐに去っていった。その後ろをついていく逸見さんが俺のことを見て悔しげにハンカチを噛み、恨めしそうにしているのが見える。

 

 俺は彼女たちと反対の方向に歩きだし、そのあとに猫が続く。

 

 

 

 観客席には満員のひとが押し掛けてほとんどの席が埋まっていたが、緊張からか通常の戦車道の試合にあるような和やかさは一切ない。そもそも通常の試合ではないのだから当然で、この観客席にいるひとたちもなんらかの形で大洗と大学選抜に関係のあるひとたちなのだろう。とくに前者とかかわりがあるならば、なおのこと和やかな雰囲気であはいられないはずだ。俺は大スクリーンを囲むようにして作られた観客席をゆっくりと練り歩き、そしてそのはずれ、一番西側の最上段に目的の場所を見つけることができた。

 

 「……母さん」

 

 そこに俺の母、西住しほが座っていた。まるで鋼鉄の柱のように背筋を伸ばし、堂々と座るその姿はまさに西住流そのものである。母さんがいつから気が付いていたのかは知らないが、気が付いたときには既に視線をこちらに投げかけており、俺がまっすぐに見つめ返して近づいていく間も一度たりともその眼を離すことはなかった。俺がすぐ隣に立つとようやく視線は外れ、目の前のスクリーンに移った。

 

 「座りなさい」

 

 その言葉に従い、俺は母さんの隣に正座する。逆隣りには赤いドレスに身を包んだ女性が日傘をさして座っており、俺の方を見てにこやかにほほ笑んだ。俺はその笑顔に軽く会釈をするだけで答え、母さんと同じようにスクリーンを見詰めた。

 

 母さんの隣に座り、自分でも緊張しているのがわかる。いや、緊張だけだろうか。心臓が小刻みにはね、手汗が止まらない。こうして母さんと並んで座るなんていつ以来だろうかと思う。旅に出る前、高校に入って家を出る前、――いや、あの夜以来か。俺は母さんが姉さんのことをひどく叱りつけ、そして俺を一喝したあの夜のことを思い出す。俺はあの時以来母さんのことを恐れ、そして家の中で母さんから逃げ回ってきた。

 

 俺は母さんの隣に座りながら何度も何度も呼吸を繰り返した。

 

 一生このままなんて嫌だ。

 

 そう考えたとき膝に猫がじゃれつき、それからのっそりとした動きで俺の脚の上によじのぼる。身体が重いためか途中何度か登るのに失敗して脚から滑り落ち、何度目かの挑戦でようやく成功した。俺は下腹部で丸くなる猫を撫で、それから掌にじゃれつかせる。いつしか呼吸が整っているのを感じ、俺は決意を固めた。

 

 「母さん、この試合が終わったら話があるんだ」

 

 隣を見て震える声で話しかけると、母さんの切れ長の瞳がこちらをとらえる。

 

 「……聞いてくれる?」

 

 そう尋ねると母さんは一瞬ひるんだような表情を見せたが、すぐにそれをかき消すようにまばたきをする。

 

 「それはこちらのセリフよ」

 

 その瞳や言葉にどんな感情も見出すこともできなかったが、俺の胸で滞っていた血がようやく全身に流れ出すのを感じた。

 

 俺が安心して頬を緩めると母さんはすぐにまたスクリーンに視線を戻し、それきり口を開きはしない。

 

 膝の上に寝転がる猫を抱き上げ、いつか誰かがそうしたように胸に抱きしめる。あまり良い匂いのするようなものではないが、だがそれはどこか心地よかった。猫はやれやれといった表情でこちらを見上げ、小さくあくびをした。

 

 

 


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