大洗への旅   作:景浦泰明

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最終話 『Jubilee』

 

 ここがあいつにとっての果てだったのか。

 

 心の中で問いかけてもそれがわかるはずもない。あいつが何のためにここまで俺と旅することを決めたのかもわからない。だが、ここが全ての終わりだとして、あいつはここで明日を迎えることを選んだのだろう。

 

 どれほどの間ここで呆けていたのだろう。いつのまにかすぐ隣に見覚えのある帽子をかぶった女性が立っていた。

 

 「うまくいったみたいだね」

 

 「……えぇ、なんとか」

 

 俺がそう言葉を返すと、ミカさんが手に持ったカンテレをぽろぽろと鳴らし、愉快そうに口元をゆがませる。なんだかミカさんに会うのがとても久しぶりのように思える。それだけ密度の濃い時間を過ごしてきたことも間違いじゃない。

 

 「次はどうするんだい」

 

 「熊本に帰って、夏休みの宿題をやります」

 

 「あぁ、それはいい」

 

 俺の言葉にミカさんは満足そうにうなずき、それから踵を返して「後でまた会おう」と声をかけてきた。

 

 その言葉に俺はただ首肯するだけで返す。

 

 そうだ、夏休みの宿題をやらなくてはならない。

 

 果てしなく広がる平野を、それから雲間に広がる青空を眺めた。俺はゆっくりと平野を歩きだし、しばらく歩いた先で小高い丘の上に腰を下ろし、試合会場を見下ろす。先ほど感じた硝煙の匂いが少し強くなったように思う。カールの打ち込んだ砲弾の名残がまだ消えないでいるのだろう。

 

 これほど多くの出会いと別れを経験し、そしてどうしようもないように思えた家族の和解を目にした。それでも風は吹き、空に雲が流れ、太陽は次第に傾いていく。明日は否応なしにやってくる。俺の心はいつエンドロールが流れても良いような気持ちでいるのに。

 

 こんなときあいつがそばにいたら、あくせくする人間を笑うようにあくびするのだろうな。それなら俺もあいつみたいにあくびしてやろうと思った。

 

 「イチーシャ!」

 

 くだらないことを考えていると、突然すぐ後ろからカチューシャさんの声が聞こえてくる。俺は反射的にその場で立ち上がり、自分が歩いてきた方を振り返った。視線の先にカチューシャさんを背負ったままのエリカさんがいて、彼女と目があいなんとなく同情的な視線になる。俺が自分たちの方に気が付いたと見るや、カチューシャさんがエリカさんに向けて「エリツィン! さっさと降ろして!」と声をかけ、それに対してエリカさんが「その名前でだけは呼ぶな!」とキレる。俺はその様子をみてげらげら笑う。カチューシャ大地に立つだ。

 

 エリカさんから降りたカチューシャさんがこちらに歩み寄り、その向こうでエリカさんがやれやれと観客席の方へ戻っていく。対するカチューシャさんは喜色満面といった様子でずんずんと進み、誇らしげな様子で俺のすぐ隣に並んだ。

 

 「何か言いたいことはある!?」

 

 俺のことを視界の端にとらえつつ、精いっぱい胸を反らして放たれる言葉。なんだか笑ってしまう。だがこの態度も当然の活躍をしたことも確かだ。俺は勝者に対する当然の権利としてめいっぱいの祝福を送る。

 

 「ものすごい大活躍でしたね。流石偉大なる同志カチューシャさんです」

 

 「そうでしょ!? イチーシャもちゃんと見てたみたいじゃない!」

 

 「……うん、カチューシャさんに釘付けでしたよ」

 

 うぇえ! とカチューシャさんが驚愕の声をあげる。自分で言わせておいて驚くのだから変なひとだ。猛攻を受けてカチューシャさん以外のプラウダの選手がやられてしまったこと。それに挫けずに混成チームを率いて大活躍したこと。全てが本当に素晴らしかったと伝えると、カチューシャさんは少しだけ頬を桃色に染め、俺のことを見上げてくる。

 

 「でも、それもこれもみんなイチーシャのおかげよ」

 

 唐突にかけられた言葉に思考回路が完全に停止する。挙動不審といえるほど狼狽えてしまい、それから「俺は何もしてないですよ!」と全力で手を振ってカチューシャさんの言葉を否定する。カチューシャさんはそんな俺の様子を見て優しげに笑い、それから思い返すような表情で言葉を紡ぐ。

 

 「私に言ってくれたじゃない。みんな自分にしかできないことがあるって」

 

 俺の否定すらもカチューシャさんは笑って否定し、いつか暗くて寒い格納庫で俺が言った言葉をもう一度声にだしてくれる。

 

 「私もみほーしゃみたいになれないみたい。だけど私には私のできることがある」

 

 そう宣言するカチューシャさんがとてもまぶしく映り、俺は胸が大きく高鳴るのを感じる。この一日の試合で、そしてどうやら俺の言葉で、カチューシャさんはいつのまにかその姿を大きく変えていた。

 

 「あんたの言った通りだったわ。私は自分のできることを見つけた。あんたがそう言ってくれたおかげよ」

 

 「俺の……」

 

 「そう! ありがとうイチーシャ! だから頑張れたわ!」

 

 その言葉に胸が締め付けられるようになり、俺は痛みに目をつむって着ている服の胸元を強く握りこんだ。カチューシャさんが心配して不安げな声をあげるのが聞こえる。俺はいつのまにか頬を涙が伝っているのを感じ、片手で胸を抑えたままそれを指でぬぐう。カチューシャさんがおろおろと慌て、俺のすぐそばにまで駆け寄ってくる。

 

 「イチーシャ、大丈夫? 痛いの?」

 

 ――痛くなんかない。

 

 俺の手に添えられた小さな手の温かみを感じながら、両目からぼろぼろと止め処なく涙がこぼれる。

 

 何も痛くなんかない。そう答える代りに俺は目の前のカチューシャさんの小さな身体を引き寄せ、両の腕の中にとらえた。俺が突然とった行動にカチューシャさんが硬直しているのを良いことに、俺は彼女が身体を反らしてしまうぐらいに強く抱きしめる。カチューシャさんはそれに少しだけ苦しげな声をもらしたが、すぐに「ばかなんだからっ」といつもの強気な声をあげて抱きしめ返してきた。

 

 随分長い時間俺たちはそうしていた。

 

 

 

 カチューシャさんとふたりで観客席に戻ったところ、まほ姉さんの突き刺さるような視線を感じ、一瞬遅れてノンナさんが目にもとまらぬ速さでカチューシャさんを抱き上げて去って行った。ノンナさんにしがみついたカチューシャさんがこちらに向かって困ったように手を振り、その間も俺はノンナさんから凍てつく波動を向けられる。まあ、相も変わらず変なひとだ。

 

 戻ってきた観客席はいまや大量のひとであふれかえり、その中で料理のできる人たちがてんやわんやと動き回っている。どうやら残っていた人たちがいつの間にか盛り上がり、アンチョビさん主導で即席の大洗存続祝賀会と化しているらしい。周囲を見渡すと大学選抜のひとやとっくに帰ったと思っていた継続の連中までが残っていた。こちらに気づいた継続の連中がふらふらと近寄ってきて、ミッコが俺の肩をびしびしと突く。

 

 「女連れなんてやるようになったなァ。しかもプラウダの暴君なんてさ」

 

 相変わらず下世話なミッコを無視し、苦笑いしながらみなさん帰ったんじゃなかったんですかと尋ねる。

 

 「折角来たんだから一意君に会っていこうって言ったんだ。美味しいものも食べられるし、良いことばっかりだね」

 

 その言葉に嬉しくなり、継続の三人に礼を言う。大洗を救ってくれた礼と、あのとき一緒に過ごしたことへの礼だ。

 

 祝賀会の様子をぐるりと見渡していると、その途中で母さんに捕まえられ「すぐに帰るわよ」とつれないことを言われる。唇を尖らせながら母さんも参加していこうと提案すると、いつの間にか母さんの後ろに隠れていた赤いドレスの女性も同じように母さんを引き留めてくれた。試合中もずっと母さんの隣に座っていた人だ。

 

 ここにきてようやく知ったのだが、こちらの赤いドレスの女性は愛里寿のお母さん、つまり島田流の家元らしい。娘がお世話になりましたと挨拶され、俺は少しだけ緊張する。三人で固まって話していると、少ししてみほ姉さんが愛里寿を連れてやってきた。だが愛里寿は俺の顔をみてぱっと笑顔になった後、申し訳なさそうにみほ姉さんの後ろに隠れてしまった。

 

 「一意、その」

 

 愛里寿がこちらを見上げ、不安そうな表情で言葉を探している。俺は彼女と目線を合わせるように目の前でしゃがみこみ、ゆっくりとその言葉を待ち続けた。

 

 「あのとき、あなたのお姉さんと試合するって言えなくてごめんなさい。……こんな条件の試合だってわかったら、せっかくできた友達なのにもう会えないと思って」

 

 俺は愛里寿の言葉に黙ってうなずき、それから愛里寿に手を差し出す。困惑している愛里寿にそのまま手を向け続けると、やがておずおずと俺の手を握ってくれる。俺はまっすぐに愛里寿の目を見詰めたまま、素晴らしい試合だったとほめたたえた。愛里寿もきっと俺のことをだましているような気分になって辛かっただろうと思うと、誰のことを恨む気にもなれない

 

 「愛里寿がみほ姉さんの敵だって、俺たちはずっと友達だよ」

 

 その言葉に愛里寿がにこやかに笑って、うん! と返事をしたので俺も笑顔になる。と、いつのまにか俺のいる場所が陰になり、母さんとまほ姉さんがこちらを見下ろしていた。俺が恐る恐る立ち上がると母さんが深いため息をついた。

 

 「まほ、こういう男に気を付けなさい。この子は本当に常夫さんそっくりよ。こういう男よ」

 

 「はいお母様。実によくわかります」

 

 ふたりから向けられる視線がやけに冷たい。俺は居心地の悪さを無視するために長机に広げられた料理を手に取り、そこでも「ああやって食事に逃げるところも常夫さんそっくりよ」という言葉にさらされる。父さんが出張中で心配なのはわかるが、その心配を俺にまであてはめるのはどうなのだろう。俺は恨みのエネルギーをどこかにいる父さんに向けて放射し、くしゃみでもして戦車に頭をぶつけろと念を込めた。

 

 祝賀会はいつまでも続く。

 

 サンダースのひとたちが大きな声で歌い、プラウダ校がそれに合わせてコサックダンスを披露した。

 

 ミカさんがそれに対して合っているんだか合ってないんだかよくわからないカンテレの音色を合わせる。

 

 聖グロのひとたちが大学選抜のひとたちに紅茶をふるまっているのが見えた。

 

 アンツィオのひとたちは相変わらず料理を持って忙しく動きまわる。

 

 知波単のひとたちと大洗のメンバーが叫び声をあげ、それが天にこだました。

 

 俺はすぐそばに立っているみほ姉さんの顔を見る。みほ姉さんがにっこりと幸せそうに笑う。

 

 「すぐにあんこうチームのメンバーを連れて、実家に遊びに行くからね」

 

 俺も笑った。

 

 

 

 西陽が差す頃には宴もたけなわとなり、俺は母さんの乗ってきたヘリに同乗して熊本へ帰ることとなった。

 

 乗り込むときにはこれまでの旅で出会ったひとたちから盛大に見送られ、俺はヘリが飛び立って見えなくなるまで彼女たちに手を振り続ける。感傷に浸っていると隣に座った母さんから「帰ったらじっくり話をします」と告げられ、俺はがっくりと首を落とす。

 

 後日、大洗女子の秋山さんから俺の家に写真が届けられた。俺と母さん、まほ姉さん、みほ姉さんの四人で料理を食べている、ただそれだけのものだ。俺はそれを誰にも知られないようにこっそりと自分の部屋に持ち帰り、ここ数週間で溜まり始めた手紙とともに大切に引き出しへとしまった。たとえ夏が何度めぐっても、俺は幾度となくその写真を取り出してあの夏のことを思い出すだろう。

 

 海を泳いでいるときに海の広さを知ることを出来はしない。今自分が何をしているのかわからなくても、いつか岸辺にたどり着いたときにはその成果を確認することができる。俺は無駄な寄り道を沢山していたつもりだったが、そのうちのいくらかは、――もしかしたらその全てがあの試合の大切な要素になっていたのかもしれない。

 

 勉強机の前で椅子の背もたれに深く倒れこみ、机の上に並べられたものを見る。額に入った美しいカミツレの押し花と、その隣にあるあまり可愛らしいとはいえない、悪く言えばとても不細工な猫の置物。……この先の人生で絶対に猫を飼うことは無いだろう。だがそれでも、この程度のものをそばに置いて、時折甘ったるい感傷に浸るのも良いような気がしたのだ。そのままさらに深く倒れこむと視界が天井に移り、俺はそれを眺めながら長い時間をかけてこの夏のことを思い返す。

 

 俺はまた何度でも旅に出るだろう。

 

 

 


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