大洗への旅   作:景浦泰明

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第七話 『洋上 続プラウダ高校』

 カチューシャさんからの命令は多岐にわたった。

 

 戦車の洗浄と掃除。なんだかよくわからない大量のはんだ付け。隊長室の掃除。お昼寝をする際に布団が乱れたら直す。カチューシャさんの身体をぶら下がり健康器まで持ち上げる。ロシア歌謡『カチューシャ』の合唱。お茶くみ。雪合戦用の雪玉をひたすら作り続けるなどの過酷な作業である。

 

 俺は朝からひたすらカチューシャさんのそばについてあらゆる指示を受け、一時間の休憩の間は燃えカスのようになっていた。だがそんなときにはいつもプラウダの生徒たちがよってきて、お菓子や紅茶を差し入れてくれるのでとても助かった。

 

「あのちびっこ隊長ば無茶ばっかりさせるからなぁ」

 

「ほれ、これも食べ! カチューシャ様についてこうと思ったらたくさん食べねば!」

 

 俺は彼女たちによる田舎のおばちゃんのような猛攻を受け、毎回口いっぱいに食べ物を詰め込まれていた。それは休憩時間だけではなく食事の時もそうで、彼女たちは毎回俺のぶんだけとんでもない量をついでくれる。校風は節制! 規律! といった様子なのに生徒たちはほがらかで人懐っこく、雪中という過酷な環境にもかかわらず笑顔が絶えなかった。

 

「カチューシャ様は他人に厳しいけど、自分にはもっと厳しいからなぁ」

 

 食事の最中にニーナさんがそう言った時のことをよく覚えている。

 

「ちっこい背ぇして、誰よりも頑張ってきたから隊長になれたんだ」

 

 他人のことを語っているのに、その声のようすにはそれを我がことのように誇る雰囲気があった。すぐそばで聞いていたクラーラさんがすかさずそれを肯定する。

 

「カチューシャ様、偉大なお方です。私は日本に来てカチューシャ様と一緒に戦車道ができることが何よりもうれしい」

 

「かーっ! クラーラさんそれ絶対カチューシャ様の前で言うんでねえぞ!」

 

「んだんだ! ちびっこ隊長はすぐ調子に乗るかんな。大洗に負けたのだって優勢になって調子に乗りすぎたからだ!」

 

「まあ、そういうところがオラたちで支えねばって思えるとこなんだけどな」

 

「んだなぁ。すーぐ無理すっかんなあの隊長は」

 

 隊員たちはその後も休憩時間まるごとカチューシャさんの話で盛り上がっていた。口は悪くとも彼女たちの口調には親密なものがあり、ネタにしていても彼女を愛する気持ちがこもっているようである。

 

 

 

 その日の昼下がり。俺は「ぬるい!! もっと熱く!!」と叱責を受けながらカチューシャさんの紅茶を淹れ終え、ようやく一息ついたところだった。美味しそうにジャムを舐めながら紅茶を飲むカチューシャさんを見ていると、先ほど隊員たちが口々にたたえていたのと同一人物とは思えなくなる。

 

「カチューシャさんはすごいひとなんですね」

 

 だしぬけにそう言うとカチューシャさんは即座に硬直し、そして膝の上にスプーン一杯のジャムをこぼした。

 

「あぁぁ! ちょっと西住! あんたが突然変なこと言うから!」

 

「俺のせいじゃないと思う……」

 

「うるさい!」

 

 もう! と悪態をつきながらズボンを拭くカチューシャさんをみてしばらく笑う。

 

「で、いきなり何なわけ? いやしいこ。私のお菓子がほしくなったの?」

 

 ズボンを拭き終えたカチューシャさんが呆れたような表情でこちらを見る。俺が昼間あったことをかいつまんで話すと、カチューシャさんは一瞬喜色満面といった風に口角を釣り上げたが、何故かすぐに目を伏せてしまう。

 

 俺はてっきりいつものようにふんぞり返って自分を讃えると思っていたので動揺し、何か気に障るようなことを言ったかと心配になる。

 

 結局それきりカチューシャさんは何もしゃべらず、その日は思いつめたような表情のまま一日を過ごしていた。

 

 

 

 翌日、俺はプラウダのガレージでパンターの整備をしていた。

 

 継続高校でアキがしっかりと整備してくれていたのでほとんどやることはなかったが、命を預ける以上自分でも見ておきたいと思うのは当然だ。ひとつひとつ項目をリストアップして点検し、最後に綺麗に磨いているところで後ろから声をかけられた。

 

「なによこれ、ぼろぼろじゃない!」

 

 そこにいたのはしかめっつらをしたカチューシャさんだった。

 

 いきなり何ともな言いようだけど、ぼろぼろなのは事実なんだから仕方ない。俺はパンターを磨く手を止めないままでカチューシャさんに挨拶をする。

 

 カチューシャさんはぶっきらぼうに挨拶を返しつつ、なんだか疑わしげな眼差しでパンターをじろじろと眺めた。

 

「こんなんで本当に走るの? 実は特殊なカーボンでできてるとか?」

 

 ぶしつけにそう尋ねるカチューシャさんに昨日の思いつめた雰囲気はない。結構気分屋なひとなのかもしれないが、こうやって元気なほうがいくぶんかやりやすい。少し安心して返事を返す。

 

「いや、これはずっと昔から同じのを使ってるからそんなことないですよ。それでも多分俺がヨボヨボになっても動くと思う」

 

 実際、特殊なカーボンじゃなくても、トンデモ機構で動いているというのは否定しきれない。圧倒的な燃費。ビルから突き落としても動き続ける不死身さは、創業者の特殊な念で動いているという説にも信憑性がある。

 

「それにしたってよくこんなので旅しようと思うわ! カチューシャが戦車で送ってあげましょうか!」

 

 そういう言葉を言われたのはサンダースに続いて二回目で、なんとなく笑ってしまう。いつの間にやら青森にまで来てしまって、今更ながら俺の旅はいったいどうなってしまうんだろうと思った。

 

「ありがたいけど、今回は自分で走りたいんです」

 

 もし機会があったら今度一緒に連れてってくださいと笑うと、カチューシャさんは「このカチューシャ様の厚意を無碍にするなんて」とかもごもご言っていたが、やがて黙って俺の隣に腰をおろす。俺がパンターを磨く様子を見るカチューシャさんはいつのまにかまた思いつめたような表情になっていた。

 

 こうなると俺はどうにも困ってしまい、なんだかカチューシャさんのほうばかり気になってしまう。こういう浮かない表情の女性がそばにいるとなんだか家にいるような気持ちになってくるのだ。なんとかしてこの空気を打破するような気の利いたことを言えたらいいのだが、そんな器用な真似ができるならそもそもこんなよくわからない旅に出て風邪ひいて青森まできてないんだよなあと考える。

 

 マンガの主人公みたいにいろんなことを上手にできたりとか。みんなを勇気付けたりするようなことがすぐ言えたりとか。そういうことができたらなあなんて、馬鹿な無いものねだりで胸がいっぱいになってきた。

 

「何!? そわそわしてないで言いたいことがあるなら言いなさい!」

 

「うえ、いや、なんか元気ないですか」

 

 突然カチューシャさんから声をかけられ、しどろもどろになりながらなんとかそう返す。

 

「黙ってバイクふきなさい!」

 

 にべもない。結局また重苦しい空気の中で黙ってバイクを磨くことになってしまい、俺は小さくため息をつく。このちびっこ隊長はいつもこうなんだろうか。なんにせよ俺にはアキみたいに優しくしたり、ミカさんみたいにカッコいいことは言えないらしい。

 

「なんで旅なんかしてるわけ」

 

 黙って作業をしていると、今度はカチューシャさんからそんなことを聞いてきた。なんでと言われても困るんだが、たぶん姉さんに会いたかったからとかそういう言葉では納得してもらえないんだろうということがなんとなくわかる。俺はしばらく悩んだ後、だいたいそういうことなんだと思える言葉を見つけることが出来た。

 

「俺にできることが何かって思って」

 

 カチューシャさんはそれでも納得できないような表情をしてこちらを見ており、俺は困って髪をぐしゃぐしゃと押しつぶす。自分でもよくわからないことばかりだし、この旅をおえたところで結局「なんでそんなことしたの?」といろんな人に首をかしげられるような気がしている。

 

「旅自体はまだ達成できるかどうかわからないですけど。でも優勝した姉さんのことを見てたら、とにかくなにかやらないとっていう気持ちになって旅に出ようと思ったんです」

 

 照れて笑ってしまう。なんだかとても恥ずかしいことを言っている気持ちになり、先ほどよりも力をこめてパンターを磨く。

 

「……あんたはみほーしゃみたいになりたいの」

 

 その言葉に心臓が大きく跳ねる。そう考えたことは無かったが、それは姉さんの試合を見ていたときの気持ちとほぼ間違いないような気がした。みほ姉さんは自分の道を見つけて、俺もきっと旅路の先にそういうものがあると思っていた節がある。俺は苦笑してパンターを磨くための布巾をたたみ、カチューシャさんに向き直る。

 

「多分そうでした。だけどいまはなんか違うなあって」

 

「どういうこと!?」

 

 ここにきて予想外の食いつきに驚く。カチューシャさんはなんだか怒っているんだか不安なんだかよくわからない表情でこちらを見つめており、その表情には曖昧な返事は許さないという強い意志が宿っているようだった。俺は何度か呼吸に意識を向けて気分を落ちつけ、これまでのことを考える。

 

「姉さんのできることと俺のできることはきっと違うんですよ。これまで旅をしてきて、みんな自分にしかできないことがあるんだって。俺もいつかきっとそういうものが見つかると思ったんです。だからもう、姉さんみたいになりたいっていうのは違うかなって」

 

 「ひねくれたりせずにいればいつか」とは言わずにおいた。

 

 継続の連中と会う前と今では自分の気持ちが随分変わっているように思った。旅を続けられるならこのまま最後まで行きたいが、継続高校に連れられるまでの「何が何でも行かなくては」という気持ちはすでに薄れているように感じる。それよりも今こうしてプラウダ高校に厄介になっているような、旅の途中で起こるひとつひとつの出来事を大切にしていきたいと思えた。

 

 カチューシャさんの表情はいまだに晴れていないが、それでもいくらか納得はしてくれたようである。俺はもしかしたら怒ってるのかもと恐々としていたが、ノンナさんをけしかけてくる様子もないのでおそらくシベリア送りは免れたようだ。それよりも自分が偉そうなことを言ったことや、なんだかしゃべりすぎたことに照れてしまう。

 

「……まっ、カチューシャはなんだってどんなことだってできるんだから、みほーしゃなんて関係ないけどね!」

 

 突然元気を取り戻したカチューシャさんがそう叫び、俺のすぐ隣で精いっぱい胸をそらす。

 

「イチーシャも何か困ったことがあったらどんどん頼りなさい! この頼れる同志のカチューシャ様がなんでもしてあげちゃうんだから!!」

 

 俺はカチューシャさんの言葉に苦笑しつつ、ありがとうございますと礼を言う。

 

「カチューシャさんには頼れる同志が沢山いるから、みんなでやればそれこそどんなことでもできちゃいますね」

 

 そういうとカチューシャさんは輝くような笑顔を浮かべ、大きな声で「あったりまえじゃない! プラウダ高校は最強なんだから!」と宣言した。最強は俺の姉さんのどちらかだと思ったが、笑って頷いておく。

 

 

 

 

 その日の晩、俺は昼間の会話を思いだしながら、カチューシャさんはきっとすぐに胸の裡に秘めた悩みを克服するだろうと考えていた。

 

 

 カチューシャさんのまわりには彼女を支える多くの人たちがいる。ノンナさん、クラーラさん、そして多くの後輩たち。彼女たちを率いて進むことで、カチューシャさん自身も成長する。何故か俺はそう確信していた。

 

 それは不安に揺らいでいたカチューシャさんが最後に見せた笑顔のせいだと思う。

 

 

 

 おまけ

 

 七月一四日。

 

 西住一意は成功。カチューシャと同じように悩みの中に立つ彼ならばと思いましたが、予想以上の働きをしてくれたようです。

 

 カチューシャの悩みはまだ完全に解決したとは言い難いが、それでも時間の問題といえるでしょう。夕食の時には食欲も取戻し、満腹になったのか寝つきも非常に良かった為、西住一意には感謝しなければなりません。

 

 明日は帰港の日。

 

 




なんだかいつまでも気に入らなくてずいぶん長くかかってしまいました。
待っていてくださった方、大変お待たせして申し訳ありません。
これからもがんばります。

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