大洗への旅   作:景浦泰明

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第八話 『青森~大洗 西住一意』

 旅は続く。

 

 今朝方プラウダ高校の面々と別れた後、俺の旅はまたひとりになった。

 

 じめじめした夏を走りながら俺は朝のことを思い出す。別れの時にはみな俺のことを激励してくれ、何故かノンナさんからは頭を撫でられて「よくやりましたね」と褒められた。格納庫での会話といい、俺のなかでのあのひとはよくわからないひとということになる。戦車道をやるひとはやっぱり変なひとばっかりだ。

 

 カチューシャさんからは「私の出る試合は全部見るように!」ときつく言い含められた。「カチューシャ様がいまよりもっと偉大になるところをすぐそばで見せてあげる!」ということだったので、楽しみにしていますと言うと「西住流なんてけちょんけちょんにしちゃうんだから!」と言われてこのクソガキと思った。

 

 俺は笑顔で手を振り、そして振り返される。

 

 ここから先は全く想定もしていなかった道だ。最初に立てたコースは今では全く役に立たない。俺は途中で何度も地図を広げ、そして次の街にたどり着くたびに期待で胸が膨らむのを感じた。

 

 青森、岩手、宮城。最短の距離を行くならきっとそうなのだろう。だけどどうなるかはわからないし、どうなってもいいやと思う。幸いながら夏休みはまだまだ終わらない。途中でタイヤがパンクするのも良い。もしかしたらまたどこかの誰かの厄介になるかも。とにかく美味しいものをたくさん食べるのがいいと思ったからそうする。

 

 わざと大回りして三陸海岸沿いを走る。海沿いに走れば水平線に沿ってジグザグの大地が見えるかと思ったが、どうやらそういうものではないらしい。だががっかりすることはなく、旅路の合間に新鮮な魚介類に舌鼓を打つ。良く晴れた日に鳴き砂の浜辺を歩き、潮風を全身に感じながら遠く高いところを飛ぶカモメを眺めた。

 

 堤防で釣りをしてたくさんの魚を釣ったこともあった。近くの海の家で貸してくれた釣竿でサビキ釣りをやり、びっくりするほどのイワシが釣れる。隣にミッコがいたらずいぶん喜んだだろう。俺はそれを近くの民宿で揚げてもらい、アキがそうしてくれたようにレモンを絞って食べた。

 

 仙台でたらふく牛タンを食べ、残金が軽くなって冷や汗をかく。思う存分楽しむのはいいが、この後も旅は続くし、あまり減るとそのぶん母さんからの叱責が大きくなるような気がする。

 

 ふと、旅が終わったらどうしようかと考えた。愚かなことだが、旅に出た時はそれが終わったら完全無欠のハッピーエンドが訪れてファンファーレがなりまくり、やったー! と叫んでエンドロールが流れるような気持ちでいた気がする。だけどいまはこれからのことを考えている。

 

 母さんに会って何を話せば良いのだろう。まずは謝ればいいんだろうか。答えは出ない。

 

 仙台を抜けて福島にたどり着いたころ、俺はまた体調を崩して立ち止まることになった。

 

 今度は夜風にあたったとかではなく、ただの疲労による発熱のようだ。俺はそのとき山中で野宿をしていた最中で、目が覚めてテントの中で体調の悪化を覚えた。

 

 どうしようもなく不安な気持ちになる。今回は意識を失うような高熱ではないが、それだけに寂しさが募っていく。今回は継続の連中はいない。俺はひとりでこの状況を脱しなければならない。

 

 いくつめかの街で買っておいた風邪薬を飲み、チョコレートを長い時間をかけて舐める。食欲は湧かないがとにかく栄養は摂らなければならない。

 

 もしこのまま悪化したらどうしようと考えた。テントの天井を見つめながら、もしかしたら次に目が覚めた時は意識がもうろうとして何も判断できず、それきり起き上がれずに死んでしまうかもと思う。こんなことならもうちょっと母さんとの交渉を粘って携帯を買ってもらえばよかったとため息を吐いた。うまくいかないものだ。

 

 眠りに落ちたときは底に落ちるようだった。眠っている最中、継続の戦車に乗ってカチューシャさんに追いかけられる夢を見た。あと、女の子として生まれた俺が母さんと二人の姉さんと一緒に戦車に乗って出かける夢も見た。これは少々気味が悪かった。

 

 

 

 目が覚めてテントから抜け出すと、夜明け前の白い空に薄靄がかかっている。

 

 俺はすっかり体調が回復したことにも気が付かないまま、夢の内容を思って一人で笑う。腹が痛くなるほど笑ったのは久しぶりだった。

 

 

 

 走り出すと雨が降り始め、やがて雷が鳴って豪雨になった。

 

 俺はリュックの中にしまっていたレインコートを二枚重ねにして着込み、誰もいない道を走りながら何度も水分補給を繰り返す。レインコートの下はまるでずぶ濡れになったような汗だ。熱中症で倒れると本当につらいと教えてくれたのは、どこかの街で会った自転車乗りのお兄さんだった。

 

 前も見えないような雨の中をひたすらに走る。風景を楽しむ余裕なんてないし、頭の中でいろいろなことを考え始めた。

 

 姉さんたちは今頃どうしているだろう。まほ姉さんは朝起きてもぬけの殻になった俺の部屋を見て、みほ姉さんはそこから連絡を受けて俺がいなくなったことを知るだろうか。心配しないでくれと書いたのだから心配してほしくないが、まあ無理だろう。姉さんにあったらそのまま実家へ強制連行される可能性も視野に入れる必要があるなと考えた。

 

 この旅で何度目かもわからないぐらいみほ姉さんのことを思う。

 

 カチューシャさんと話したことで、ずっと俺の心の中に溜まっていたものの正体がわかったような気がする。

 

 結局俺は寂しかっただけだったのだなと笑う。いや、妬ましかったと言ってもいいかもしれない。全てを失って家から出て行った姉さんが新しい土地で素晴らしい友人に囲まれて、笑顔で優勝旗を掲げていた姿にひねくれた嫉妬を覚えていた。

 

 だけどいま旅が、ひととの出会いが俺の中からその気持ちをすっかり取り除いてくれた。

 

 いつしか雨があがり、雲の切れ目から太陽が顔を出す。広い草原に続く一本の道に点々と天使の梯子のような陽の光がさした。俺はレインコートを脱いでTシャツだけになり、全身に風を感じながらまた走り出す。

 

 果てしない道の向こうに虹が現れる。

 

 

 

 あっけないほど唐突に茨城県の標識が現れ、俺はこれといった感慨もなく目的地にたどり着いた。

 

 数日前に姉さんの住むアパートに向けて「そちらへ行きます」という手紙を出したからそこまで驚かれないとは思うのだが、俺はまたこれで姉さんに会いに行ったら母さんとまほ姉さんが待ち構えていたりしたら笑えないと思う。とはいえ、よくよく考えてみればみほ姉さんに限ってそれはないだろうなとも思う。

 

 茨城に入っても海は変わらない。俺は特に何も考えずに海沿いを走りながら、いくつもの街を抜けていく。

 

 茨城県に入ったのは十四時ごろだったが、渋滞に巻き込まれて大洗についたのは十六時ごろになってしまった。港につくとどう考えても異彩を放つ巨大な空母が停泊しており、見慣れたつもりでもやはりその異様さに驚いてしまう。

 

 大洗の学園艦は黒森峰よりはかなり小さいだろうか。それでも周囲の船と比べれば鷹と雀のような差があり、港全体に大きな影を落としている。ここにみほ姉さんがいるんだと思うとなんだか怖くなってきた。やっぱり迷惑じゃないかとか、いや迷惑に決まっているだろうという気持ちで胸が侵されていく。

 

 どれほど帰ろうかと思ったが、なんとか勇気を振り絞ってパンターを押しながらタラップを登った。

 

 登り切った先にはセーラー服を着た少女がいて、俺のことをいぶかしげに見つめて「乗船許可証はお持ちですか?」と尋ねてきた。

 

 俺は船内に姉がいて彼女に会いに来たのだが、乗船の許可はもらえないかと尋ねる。セーラー服の少女はいぶかしげにしていたが、俺が財布から学生証を出して西住みほの弟だと名乗ると顔をまじまじ見た後で信じてくれた。女顔でどうも気に食う顔ではないが、たまには役に立つものだと感じる。彼女は快く乗船許可をくれた上で、大洗女子学園の生徒にも引き合わせてくれた。

 

 園みどり子さん。大洗女子では風紀委員をしており、大洗の戦車チームではルノーに乗り込んでともに戦ったと説明された。もちろん全部知っている。

 

「はじめまして。俺は西住一意といいます」

 

「……普通なら西住隊長も呼んで身元の確認をするんだけど、これだけ似てるとそんな必要ないわね」

 

 彼女はぽかんとした表情でそんなことを言い、俺を快く案内してくれた。

 

 船体を登り、甲板に出る。そこには地上と変わらないように見える街並みが広がっていて、やっぱり地上と変わらない潮風が漂っていた。少しだけ風が強いかもしれない。

 

 園さんにこれまでの旅の話をして呆れられたりしながら、大洗女子学園の街並みを歩く。いつのまにか西陽が差しつつあって、俺は予想外に時間を食ってしまったのだなと後悔する。みほ姉さんはどうしているでしょうかと尋ねると、いまごろは戦車道の練習が終わるころで、おそらく学校へ行けば会うことが出来ると言われた。

 

「姉さんはどうですか。友達とか、楽しくやっているんでしょうか」

 

「あなたお母さんみたいなこときくわね。もちろん私たちの隊長だもの。みんなに慕われているし、今日もきっとあんこうチームの仲間たちとどこか寄り道して帰るんじゃないかしら。風紀委員としてはあんまり褒められたことじゃないけど」

 

 その言葉に安心するが、俺はどこかそわそわして落ち着かない。瞼の裏に暗い顔で家を出て行った姉さんの姿が浮かぶ。黒森峰で副隊長として活躍しながらも、思いつめたような疲れた表情を浮かべていた姉さんを思う。胸の周りに毒虫が這い回るようにぞわぞわする。園さんと会話をしながら夕暮の街を歩きつつ、俺の気持ちはどこか遠いところにあるようだった。

 

 やがて大洗女子学園が見えてきた。

 

「ほら、ここが私たちの学校よ、って、何後ずさってるのよ」

 

 気が付くと俺は学園の前から少しずつ離れて行っていた。ここまできてなんだか逃げ出したくなっている。園さんからみほ姉さんが元気なことは聞けたし、俺はこのまま実家に向けて走り出せばいいじゃないかと思った。

 

「いや、なんか俺帰ります。もう大丈夫です」

 

「はあー!? あなた何言ってるの!? せっかくここまで案内してあげたんだからさっさときなさい!」

 

 無理です無理ですとうめきながらも園さんに腕をひかれ、じりじりと校門に近づいていく。

 

「ほら! 西住さんいるわよ!」

 

 いやだいやだと抵抗しているとふとそんなことを言われ、いつの間にか校門の向こうに女子生徒の集団がいるのが見えた。その中には確かに見慣れた栗色の髪がある。俺はすぐさま園さんを抱えて校門に身を隠す。

 

「ちょ! ちょっとあなた非常識じゃない!?」

 

 俺は校門の陰から学校を覗き見ながらその身を硬直させてしまっていた。しばらくして腕の中で園さんがもがくのを感じ、慌てて腕を離す。

 

「まったくもう、ここまできてなんだって……」

 

 ふと園さんが俺の顔を見て言い淀み、それで俺も園さんのことを見つめ返す。その拍子になにかが零れ落ちて俺の頬を濡らした。

 

「……ほら、ここまできたんだから来なさい」

 

 俺は園さんに優しく腕を引かれ、やがて力なく歩き出した。校門をくぐりぬけてグラウンドを歩く。少し離れたところで「……そどこだ」「ほんとだ! 誰か連れてるよ!? もしかして彼氏」「あら、追い抜かれちゃいましたねぇ」と声が聞こえる。俺はどうにも涙を止めることができず、それでも顔をあげて前をみる。

 

「え!? みぽりんがふたり……」

 

「どっ、ドッペルゲンガーぜよ!」

 

「すわ、ロームルスとレムスか!?」

 

 まわりの女子が口々に騒ぎ出す中、姉さんは驚いて口に手を当てたまま固まっている。

 

 俺は園さんに手を引かれたまま歩き、そして最後には背中を押されて姉さんの前に立たされた。その拍子にパンターを支えていた手を放してしまい、背後でパンターが音を立てて倒れる。

 

 俺の両目からは依然として涙がこぼれつづけ、やっと会えた姉さんには何を言えばいいかわからないままだ。だけど俺の目の前で硬直する姉さんをみて、やがてひとりでに口が動き始めた。

 

「姉さん」

 

 嗚咽交じりで上手く言葉を発することができない。だが何を言っているかは伝わったようで、みほ姉さんの周囲がざわつくのを聞いた。

 

「ずっと、ずっと旅をしてきたんだ。姉さんに会いたくて、熊本から。だけど俺、さっきそこで園さんに連れられて、顔が似てるって、いや、その、校門から姉さんのことをみたら、本当によかったって。姉さんが新しい学校で楽しそうで、家を、家を出るときにじゃあねって」

 

 それ以上は言葉にならなかった。

 

 俺の名を呼ぶ声が聞こえて、それからみほ姉さんに抱きしめられた。いつも優しいみほ姉さんからは信じられないような強い力で抱きしめられ、俺はうめくように声を出てしまう。心地よい香りがして、それから耳元に「ありがとう、ありがとう」と絞り出すような声が届く。

 

 俺はこの旅に出てよかった、と心の底からそう思っていた。みほ姉さんに抱きしめられ、やがて周りに人が集まってくる。何も気にならなかった。みほ姉さんに会えてよかった。体調を崩してもあきらめずに旅を続けてよかった。俺はここまでこの旅を通じていろんな大切なものを手にすることができた。

 

 涙は止まることなく、俺は姉さんのことを強く抱きしめ返す。

 

 西陽がグラウンドに長い影をひいた。

 

 




ここからはタイトル詐欺になります。

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