モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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殺戮描写は後編。特に残酷な場所はなし




晴れときどき血の雨、所により闇と光と虹 ―前編―

 

 

 

 太陽の寵愛を受ける世界に明けない夜はなく、夜のどん帳は常に太陽が上げる。眩い星空で野宿をした大蛇の化身が、一つの夜を越えると灼熱の太陽が待っていた。まるで戦争を望んでいるかのように燃え滾る太陽が憎らしい。太陽を忌み嫌うものが存在したのなら、精神面(メンタル)に大打撃を受けたと踏んでいた。太陽光(ソーラー)は忌々しい原罪のごとく降り注ぐ。

 

 初秋の空気は湿気の足りない空っ風でヤトの鼻を乾かした。獣と人間、弱肉強食の摂理に則って戦争をするには相応しい秋晴れ。つまり、絶好の戦争日和だ。

 椅子に寝そべってデミウルゴスの報告を聞く。特大のハンバーガーを齧るヤトの口端に赤いケチャップが付いていた。デミウルゴスが布巾を差し出した。

 

「……ありがとう」

「いえ。話を戻しましょう。彼らの装備品はナザリックの品を貸与するには分不相応かと思い、王都から調達いたしました。能力の数値を考慮すれば、これでも簡単に負けはしないでしょう」

 

 駒の彼らは久方ぶりに武器を取り、戦闘に向けて士気を上げていた。円陣を組んでいるものや叫ぶものなど、やり方は様々だ。陽光聖典が手にしたのは法国の(メイス)短杖(ロッド)で、元は自分たちの正規装備だ。ヤトによって王都の武器屋に売り払われ、巡り巡って自分たちに帰ってきた装備品を我が子のように抱擁していた。

 

「士気は順調に上がっています。死力を尽くし過ぎて圧勝しても困ります。先に心をへし折っておきますか?」

「やめとけって。圧勝するならそれはそれでいいじゃないか。まったく、悪魔のような奴だな」

「はい。生まれと育ちのみならず、造物主様まで悪魔でございます」

「そうでしたね……」

 

 笑顔で物騒なことを言う彼を見て、創造主(ウルベルト)は手を叩いて喜ぶに違いない。

 

「獣さんの様子は?」

「本隊の準備は正午を目途に、それを前後して整うでしょう。先遣隊は三個小隊、三手に分かれてこちらに侵攻する予定だそうです」

 

 総力戦を挑むビーストマンの目標は、あくまで竜王国の王都だ。高い城壁を破壊すべく、彼らは投石機を準備していた。先遣隊に課せられた使命は敵、つまりこちらの戦力の確認、及び伏兵の発見である。斥候の役割を担い、後方の伝令兵へ付近一帯の安全を知らせるために一足先にこちらへ侵攻するようだ。

 

 こちらの戦力は程なくして臨戦態勢となる。陽光聖典と六腕は戦闘準備を終えて士気を高めている。デミウルゴスにもぎ取られた牙を生やしていた。

 

「例年通りであれば、我ら陽光聖典だけで撃退が可能だ。汚らわしい罪人どもの助力は必要ない」

 

 しかし、一枚岩ではないようである。ニグンが偉そうに胸を張って拳を掲げた。

 

 

「言ってくれるな、犬。その汚らわしい罪人が、お前らを滅ぼす場面を見せてやろうか」

 

 ゼロとニグンは睨みあう。相性が良いとはお世辞にも言えない。エドストレームがゼロの後ろからヤジを飛ばした。

 

「隊長さんさあ。敵が総力戦で一歩も引かない状況だってのに、あんたらの部隊だけでなんとかなるわけ? 馬鹿じゃないの?」

「お前らの部隊だけで何とかなるならそうしてくれよ。俺たちゃ見てるからよ」

「あの蛇野郎も生き残れば勝ちって言ってたからな。じゃ、そういうわけで、あとは頑張ってくれや」

 

 ニグンは蘇生されても融通の利かない自信家の性格に変化はない。六腕からしてみれば、戦わずして勝てるならそれに越したことはない。生き残ればヤトはどんな願いでも叶えてくれると言い切っている。ニグンは今さら引けず、声高らかに言った。

 

「私は構わん! 例年通り、由緒正しき六色聖典が一角、この陽光聖典が獣人どもを叩きつぶ――」

「隊長。協力できないなら消えてくださいよ」

「は?」

 

 彼の部下は冷え切った目を向けた。裸で南極大陸横断でも果たした後のように、彼の瞳は人間の温度を感じさせなかった。尊敬の念は存在せず、冷ややかで無機質な目は生ゴミでも見ているようだった。次々と彼の部下は不満を口にした。

 

「隊長、あんた確か、真っ先に裏切ったよな?」

「以前と同じように尊敬されてるとか思うなよ」

「あんたの指示は聞かない。俺は六腕さんと組むから」

「偉っそうに、上から言わないでもらいたいね」

「……」

 

 誰かが唾を吐いたような音が聞こえた。戦闘開始前から不穏な空気である。部下の換えはあって自分の換えはないと思っていたが、ニグンの換えこそ幾らでも利きそうである。今のニグンは裸の王様だ。噴飯ものの茶番にやはりゼロが噴き出し、六腕側の空気だけが緩んでいた。

 

 マルムヴィストは手を叩いて険悪な空気をどこかに流した。

 

「はいはい、決まりだな。それじゃあ仕切り直そうか。エドストレームの武器は周りにいると危険だから、補助の魔法詠唱者は多めにつけようぜ」

「あら、ありがとう。あんた、死んでからいい男になったねぇ」

「ありがとよ。サキュロントは俺と組めよ。ゼロ、あんたはどうする?」

「そうだな。俺はこの馬鹿を盾にでもするか」

 

 この馬鹿とは言わずもがなニグンのことである。ゼロは馴れ馴れしくニグンと肩を組んだ。

 

「罪人風情がよくもほざいたな!」

「そんじゃあ、他を当たんな。お前と組んでくれる奴がいればな」

「うぅ……」

 

 ゼロは両手を広げてため息を吐いた。実にわざとらしく、嫌味な呼気がニグンの顔にかかった。ニグンは縋る目線を周囲へ投げかけたが、皆が露骨に目を逸らした。自然とパーティが結成された。

 

「みんなよろしくねぇん。生き残ったらい・い・こ・としてあげるから、頑張って助けてぇ」

《うおおおおお!》

 

 エドストレーム率いる右舷。敬虔な宗教家たちは簡単に抱かせてくれそうな女(ビッチ)に闘志を燃やした。彼女のように下品に着飾った色気ある女性は、今は亡きスレイン法国に存在しない。信仰と宗教に肉欲は必要なく、以前はそれを求めることもなかったのだが、自制という名の腐食したたがが外れ、彼らの表情は明るい。

 

「しっかし、薔薇の棘(ローズ・ソーン)を再び振るえる日がくるとはね」

「お、おれも、あいつらがくれた短剣がすげえ武器だったんだよ。見ろよ、この装飾! 売り払ったら幾らになるか!」

「やめとけって……どんな拷問されたか忘れてねえよな」

 

 筆舌に尽くしがたい残虐な拷問が思い出され、気分は海溝の底へ沈んだ。対してサキュロントの気分は上昇気流に乗って大気圏を目指している。体を細かく分解され、どの程度まで回復による復元が可能かという実験をされたとは思えない。

 

「今なら獣を八つ裂きにできる気がしてきた!」

「気のせいだ」

「報酬は何をもらおうか。俺は女がいいんだけど。それも飛び切り極上の。いや、娼館を一軒丸ごと任せられるのもいいよな。いや、待てよ……それより一生遊んで暮らせるだけの金貨を――」

「好きにしてくれ。おーい、こっちに集まってくれ。お前さんたちの使える魔法を教えてくれよ」

 

 サキュロントとマルムヴィスト率いる左舷。盛り上がるサキュロントにマルムヴィストは冷たかった。所詮は六腕最弱である。子供が強い武器を持って喜んでいるのと変わらず、改めて自分が頑張らないと生き残れないのだと決意を新たにした。

 

「ニグン、俺の邪魔をするなよ?」

「そちらもな、セロ」

「俺はゼロだ。宗教の犬め」

「お前こそ、王国のちんけな罪人が」

 

 中央はゼロとニグンが持ちこたえ、手の空いた魔法詠唱者が左右から補助を行う。

 ニグンと同パーティを忌避しても、排除しようとは誰も言わない。ニグンが近くにいれば、召喚した天使は彼のタレントで強化される。蘇生されたとはいえ、たった一つしかない命を懸けた戦いに油断は許されない。

 

 ゼロとニグンは無言で睨み合い、与えられた武器を抱えて瞑想を始めた。

 

 ヤトは優雅にリクライニングしながら、下位種族の闘志が燃え上がるのを冷ややかに眺めた。

 

「なんかあいつら楽しそうだな……」

 

 口に差し込まれたストローがちゅーっと音を出す。何の緊張感もなく、彼らが人としてその手に未来を得るべく決起する姿を望んでいたが、一向にその気配はない。ブリーフィング中の彼らに時おり笑みが浮かんでいた。

 

「やはり粛清を――」

「いらんいらん。だが、おかしいな。もっとこう、なんというか……鬼気迫る地獄変を期待したんだけど」

「いえ、あれは空元気でございます。ふとした瞬間、浮かび上がる表情が……下劣ながら、湧き上がる悪魔の愉悦を誘います」

「そうなんだ……」

 

(……俺も戦いてえ)

 

 ふと、人間の自分はこんなにも好戦的な性格だったのかと疑問が浮かんだ。過去の記憶を辿るも、誰かと喧嘩した記憶は見当たらず、戦闘狂は種族の性質なのだと納得させた。

 

 天を仰げば太陽が燃えている。

 定刻はゆっくりと、だが確実に近づいていた。

 

 

 

 

「王女様、子供たちは馬車に乗り込みました」

「うむ、ご苦労」

 

 竜王国王都の中央広場に噴水はない。国民の避難は順調に進み、上空から見た中央広場は黒く染まった満月に似ていた。王都に住む人間は、全てがこの場に集められていた。

 

「おかあさん……一緒にきてくれないの?」

「大丈夫よ、後で必ず会えるからね。いい子にしてるのよ?」

「うん……」

 

 今まさに、最後の子供が親に見送られて馬車に乗った。幼い姿の女王の目に、優しくも穏やかな感情が宿った。

 

「平和に暮らしたい。幸せになりたい。お腹いっぱい食べたい。愛するものと結ばれたい。穏やかに生きていたい。ただそれだけの希望も許されんのか、人間には……」

「陛下、これが終わったら魔導国へ感謝の挨拶に出向かなければなりません。早急に行かなければ、次の侵攻が始まってからでは遅いのです」

「お前もしつこいな。だが……そうだな。あの蛇にも、少しは優しくしてやろう」

「いえ、優しくしていただきましょう。主にベッド上で、と前置きが必要ですが。発情するのは竜王国の女王として大いに結構ですが、今は公衆の面前です。毅然とした態度でお願いします。その体に見合わぬ態度で」

「……一発でいいから殴らせてくれんか」

「お断りします」

 

 毅然とした態度でお断りされた。

 

 国の存亡を心配する宰相に欠片ほども優しさを感じず、そろそろ誰かに優しくしてほしかった。蛇の化身と出会ってから胃の辺りにちくちくとした痛みが出始め、日を追うごとに強くなっている。

 

 腹部を撫でていると、アダマンタイト級ロリコンがこちらに走ってくるのが見えた。

 彼も胃痛の原因の一つであるのは疑うべくもない。あまり至近距離に近寄ってほしくなかった。ロリコンは安い椅子に座った幼女の前に跪き、国民の避難準備の完了を告げた。

 

「全ての国民がこちらに集まりました。陛下、この後のご予定は」

「う、うむ。転移魔法で安全な場所に送ってくれるそうだ」

「なんと! そのような転移魔法が存在するのでございますか!」

「は、はぁ……タブン」

「はい?」

「国民を待機させよ。直に魔導国の使いの者が現れる。お前に任せたぞ!」

「はっ! 陛下、お任せください!」

 

 よく働くところだけは好きだったが、行動原理の下心は好ましいと思えない。強引に会話を打ち切り、声が聞こえない場所まで去ったのを確認してため息を吐いた。

 

「……ふぅー」

「陛下、気を抜くのはお止めください。何度もしつこく申し上げますが、国民の目がある場所で気を抜くのは――」

「私も限界だと思うのだ」

「それは私の台詞でございます。対外的には幼い女王を支援する優秀な宰相を演じているのです。積年の悩みも深くなりましょう。早々に蛇殿の妾になっていただけると、私も内務に集中できるのですが」

「……うるっせえ、靴投げんぞ」

 

 件の男は間違いなく本来の姿が好みのタイプだろう。今回の戦争で首尾よくやってくれたら、一晩くらい枕を共にしてもいいかと思われた。下らない話だったが、胃の痛みから目を逸らすにはちょうど良かった。

 

 上空に現れた化け物によって空気が変わる。怨念を粘土のように捏ねまわして一塊にしたアンデッドは、体のあちこちに生えた全ての口を動かした。

 

《竜王国民よ、これより全員を安全な場所へ移動させる。広場からはみ出た者は助けない。全員が身を寄せ合い、広場の範囲からはみ出ること無きよう、一塊になれ》

 

 こちらの事情などお構いなしの物言いだ。異形種は人間に対する配慮と優しさに欠けた。

 反論する気にもならず、そこかしこに配置された役人が指示を出した。やがて足元が輝き、巨大な魔法陣が展開された。

 

《始めるぞ、人間ども。地獄へようこそ》

 

「なんだと?」

 

 返ってきたのは返事ではなく視界の暗転。数秒間、人間は明けることなき暗黒に放り込まれた。五感の全てが遮断された常闇に眩い光が差し込み、徐々に強くなっていく。

 視野は突然に明転し、光に目が眩んで何も見えない。目が慣れてから改めて周囲を窺うと、竜王国の百万近い国民は草原に立っていた。

 

 女王の背後で緊張感のない声が聞こえた。

 自然と全ての視線はそちらへ向く。

 

「転移された具合はどうだ?」

 

 注目を浴びていると微塵も感じさせない男は、黒いボトムのポケットに片手を突っ込み、グラスに入った何かをストローで飲んでいる。気怠そうでやる気を感じない、黒髪黒目の優男だ。腰に携えた刀が太陽を浴びて輝いた。

 

「なんだ、どうした? 転移されてだるくなったか?」

「だーるいな……ひぅっ」

 

 小さなお尻を宰相に思いっきりつねられた。国民の衆人環視の中で、気怠い振る舞いは許されないらしい。国民の大多数は状況が掴めず、頭を振って周囲を窺っていた。

 

 女王は痛みを堪え、わざとらしい咳払いをして椅子を降り、貴族らしい優雅な一礼をした。

 

「魔導国の蛇様。此度の助力、女王として国民を代表し、感謝を申し上げます。誠にありがとうございました」

「対外的な目線があると猫被るのも大変だな」

「オホホホ、何のことでございましょう」

 

 目は雄弁に語り、余計なことを言うなという意志は伝わった。それ以上の追撃はなされなかった。

 

 改めて女王は周囲を窺い、自分たちがどこに転移されたのかがわかった。遠くに見える瓦礫の山は自国の砦、反対側に展開されつつあるビーストマンの大軍。では砦の方角にある黒い草原は何なのか。

 ヤトの背後に従う異形の従者が見えた。小さくて黒い蟲人を見て全身の鳥肌が立った。

 

「っ! ぁ!」

「どうした?」

「い、いいえ。初めて見る種族の方がいらっしゃったもので」

「どいつだ? 挨拶させようか?」

 

 ヤトの口角が歪み、分かってやっているのだと知れた。

 

「け、結構です!」

「そうか、残念だ。敵の軍隊が戦闘準備を終えるまでもう少しだけ待っててくれ」

 

 ヤトは部下の方へ歩いていった。お尻をつねられたお礼に、宰相の足を踏みつける。彼は涼しい顔で笑っていた。

 

「陛下。私の靴を踏んでいますよ」

「知っている」

「酷い御方だ」

「おい、ここが安全な場所か? 最前線じゃないか。どう見ても私たちを獣に捧げる予定だろうっ! すぐに逃げる段取りをせんか!」

 

 宰相は間抜けな幼女をせせら笑う。彼は蛇の思惑を得ていた。

 

「落ち着いてください、陛下。これは蛇殿の理です」

「りー?」

「安全な場所とは言え、これだけの国民を魔導国へ送るわけにはいきません。竜王国の王都に住む国民の数は非常に多い。それならば、獣を殲滅できる自分たちの手が届く場所へ送るのは自然な流れでしょう。魔導国総大将のお膝元は、この世界で最も安全な場所ではないでしょうか。蛇殿はご自身と部下の武力にそれほどの自信がおありのご様子。なるほど、確かにそれも頷けます。ご覧ください、あの青銅に輝く蟲人の武器は、この世のものとは思えぬ逸品ではありませんか」

「……そうか?」

 

 女王は懐疑的だった。宰相の見解に一理あるが、それならば初めからそう伝えておけばよい。こちらが誤解して烏合の衆となって分散するのを防ぐ意味でも、どこに転移させるのかは先に説明しておくべきだ。

 女の勘は警笛を鳴らしている。未だ説明の成されていない、物騒な思惑がある予感がしていた。

 

「しかし……」

「あ」

「うん? ……あ、法国の応援部隊だ」

 

 離れた場所で円陣を組んだ人間が決起を誓っていた。仲間外れにされたニグンが体育座りでいじけていた。彼には見覚えがあったが、海馬に記憶された彼の姿は毅然とした凛々しい宗教家だった。

 

 天使の召喚にも混ぜてもらえず、背中から哀愁を漂わせている見知った顔の彼にかける言葉はない。

 

 女王の警戒心は少しだけ緩んだ。

 

 

 

 

 

「ヤトノカミ様、敵の先遣隊が拠点を出ました。本隊も投石機の移動に合わせて進軍を開始します」

「そうか……やれやれ、ここまでか」

 

 ヤトは演説のアンチョコを放り投げた。手に持っていた酒を飲み干した。口から零れる雫を手の甲で拭う。

 

「始めよう」

 

 ヤトは人間の姿で群衆の前に立つ。羊の群れは状況が把握できず、困惑してざわついていた。

 

《竜王国の国民諸君》

 

 マイクテストとばかりに呼びかけた。ヤトの声はデミウルゴスによって反響され、百万を超える人間に届けられた。スタジアムのグラウンドなら容易に埋め尽くせそうな数の人間が、一斉にヤトを見ている。本番の緊張で少しだけ足が震え、せっかく覚えた演説の長台詞も薄れていった。

 

《俺はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の蛇、邪神ヤトノカミだ。そこの女王陛下に国民を助けてくれと頼まれた。魔導国と対等な同盟を結ぶ手土産に助力しよう》

 

 水を打ったように静まり返っていた。そこに流れる邪神の顕現の演説。少なくとも敵ではないと知り、彼らは口を閉ざして話を聞いた。顔に浮かぶ血色は安堵、敵でないどころか自分たちを食い殺そうとする獣を滅ぼしてくれる味方と知り、皆が一様に油断していた。

 

 ヤトの口は加虐心で大きく歪む。

 

《だが……簡単に助かっても面白くない。こちらで用意した人間が戦闘するのをその目で見ろ。自分たちが勝ち取る平和が、どんな犠牲を出して築き上げられたものなのか、永遠に忘れないようにな》

 

 ここで群衆がざわめきだす。

 

《それから、背後に見える黒い国境線は人食いゴキブリの群れだ。逃亡者は容赦なく食えと言ってある。残酷な現実から目を逸らしたいのなら、ゴキブリに食われて永遠を満喫してもいい。敗北主義のクズを殺して選民し、戦の勝利を以て魔導国と竜王国は同盟国となろう》

 

「なっ!」

 

 女王が怒りだす前にヤトは言葉を続けた。言い切ってからの方が対応を取りやすい。

 

《先に言っておくが、こちらが用意した戦力が全滅した場合、我々は君たちを見捨てる。そこまで手間がかかる相手と対等な同盟は結べん。一応、武器や防具は有り余っているのでそこにおいてある。戦闘に参加するのは自由だ、好きにしろ。自らの手で立ち上がる道は残してある》

 

 我が子を積んだ馬車の姿がないと気付き、親の称号を持つ人間は叫んだ。

 

「こ、子供は! 私の子供はどこ!?」

「おい! ウチの子もいないぞ!」

 

《騒ぐな、鬱陶しい。子供たちは安全な場所に避難させた。君たちが死んだとしても、彼らは助けると約束しよう。以上だ》

 

「ふぅぅざぁぁけるなぁっ!」

 

 竜王国の女王の怒りは頂点に達した。彼女はヤトが馬鹿だとは思っていたが、外道だとは思っていない。裏切られたと思った幼女は立ち上がり、肩を震わせてヤトへ詰め寄る。宰相は自分の予想が外れた衝撃で開いた口が塞がらず、思考能力まで奪われていた。

 

 いかり肩の幼女を誰も止めなかった。

 

「話が違う! お前らは竜王国を助けると言ったじゃないか!」

《今まで誰かが何とかしてくれると自分で戦ってこなかった人間に、そんな都合いい話があると思うか? だいたい、助けないと言ってないじゃないか》

 

 小さい彼女はヤトの胸倉を掴む。身長差は大きく、女王は背伸びしており、ヤトにさほど怯んだ様子はない。優男のきょとんとした真顔で女王の怒りは熱くなる。デミウルゴスは面白くなった展開に《伝言(メッセージ)》を解除しなかった。討論する声は全ての人間にも聞こえた。

 

《この外道が!》

《人は、報いを受けなければならない。神罰も報いなら、報奨も報いだ》

《報いだと!? 私たちが何をしたというんだ!》

《人は自らの意思で立ち上がり、未来を勝ち取らなければならない。お前たち竜王国は与えられるだけの幸せに縋った。これがその報いだ》

《戦ってきた! これまでどれほどの犠牲を出したと思っている! ただ幸せに暮らしたいだけのささやかな願いさえ、私たち人間には許されないのか!」

《戦争とは惨たらしく、絶望に満ちている。どれほど犠牲を出しても、未来を手に入れるために戦うべきだ》

《下衆野郎がぁ!》

 

 「パァン」と女王の平手で乾いた音が場に響いた。百万近くの人間は、鼓膜が残響で震えるのを感じた。ヤトにダメージはなく、配下の将にも動揺は見られなかった。

 

《獣に家族や同胞を食い殺され、どれほどの絶望を味わったか貴様にわかるか! 過去に縛られ、未来に光が見いだせず、獣を呪いながらそれでも生きたいと願う人間の苦しみが、貴様のような外道にわかるものか!》

《戦えばいいんだよ》

 

 女王は胸倉を掴む手を掴んで持ち上げられた。ヤトは少女の顔に頭を近づけて至近距離で叫ぶ。

 

《剣を持って立ち上がれ! 最後の一人になるまで剣を振れ! 四肢を捥がれても剣を咥えて振れ! 生きるということはそういうことだ! それさえもできないのなら、今ここで死ね! 蘇生を拒否して二度とこの世界に生まれ変わるんじゃねえ!》

 

 幼い女王は放り投げられた。竜王国を起点とするアダマンタイト級冒険者、セレブライトは剣を抜く。両目を怒りで燃え滾らせ、邪神の顕現と対峙した。

 

「女王陛下への度重なる無礼、これ以上は許せません。魔導国の蛇殿、立ち会っていただきたい」

「雑魚は引っ込んでろ。おい、誰かこいつを捕まえろ」

 

 ソリュシャンとナーベラルは即座に反応し、凄まじい力で羽交い絞めにした。口も塞がれて言葉が出せず、竜王国最強の戦力は魔導国側に没収されてしまった。女王の絶望は更に深まっていく。

 

 ヤトは腰に携えた刀をゆっくりと抜く。高く掲げた刀剣の切っ先は太陽を反射させ、国民の顔へ光を差した。

 

「獣に踏み躙られた誇りは、獣を踏みにじって取り戻せ! 子に未来を託す貴い犠牲となれ! 自らの意思で困難な未来へ立ち向かってみせろ!」

 

(ヤトノカミ様……フフッ。それでは愚民の啓蒙ではなく、兵隊の鼓舞になってしまいますよ。何と言いますか……そう、不敬ながらわくわく致します)

 

 デミウルゴスは肩を震わせて笑いを堪えている。既にデミウルゴスの想定から外れだしていた。彼の想定では、愚民が啓蒙されるのは戦況が追い詰められてからだ。

 既に彼らの表情は変化を始めている。敢えて蘇生すると言わないことで、人間はたった一つしかない命を差し出そうとしている。これは想定よりも大分早かった。

 

《いま戦わずしていつ戦うんだ! 今日を戦い、明日を子供たちに残せ! 我が子にお前のために戦って死んだんだとあの世で言えるように死ね!》

 

 水を打った静寂。耳ではなく脳に直接叩き込まれた言葉は、国民の体内で残響する。鼓膜が破れそうな静寂に、誰かが呟く声がはっきりと聞こえた。

 

「俺……戦う」

 

 それは周囲に感染し、その拡大範囲を広げていく。

 

「どうせ、放っておいても殺されるんなら、獣一匹くらいぶっ殺してやる!」

「奴らの腕一本くらい、墓場に道連れだ!」

「蛇様、子供たちは助けてください!」

「ちくしょおおおお! やってやるよぉおお!」

 

 まばらに漏れ出した決起は着実に周囲に感染し、感染拡大(パンデミック)は百万を超える群衆の叫びを呼び、やがて明日を勝ち取る兵士の咆哮となってヤトの体を震わせた。

 心が何かを叫び、まるで鷲掴みにされたように奮えた。

 

「それでいい……人間がここにいると奴らに教えてやれ。困難な未来は、己の手で掴むものだ」

 

 自分に言い聞かせる呟きは誰にも聞こえない。ヤトは彼らと共に剣を取って戦いたい衝動を必死で抑えた。心の奥で燃える感情が何なのかわからないが、黒い憎悪でないことは確かだった。

 

「ヤトノカミ様、敵の先遣隊が見えて参りました」

「ちょうどよかった。全員、戦闘開始! 三方向に分かれて進軍しろ!」

 

 ビーストマンはアルファベットのWの形、鶴翼の陣を二つ繋げた軍隊で進軍してくる。

 所詮は先遣隊である。最も後方にいる兵隊が伝令兵。戦闘を進むは捨て石の兵隊で、数も少なかった。こと露払いに関しては、初めから人間に分があった。

 

 開戦の狼煙もなく、戦争は始まった。

 

 《雄ォォォォォオオオオオオオ!》

 

 用意した人間勢力は叫びながら突撃していく。武器を取った竜王国国民まで戦力に加え、三方向から走り出した。

 まさか神風のように反撃してくると想像しておらず、ビーストマンの進軍速度は大きく低下した。

 

 陽光聖典は獣の戦法を熟知しており、敵が少数なら負ける可能性はない。人間などただの餌と油断する獣は剣の露と消えた。

 

「オラァ! 根性見せろや、宗教家ぁ!」

「舐めるな! 天使たちよ! 獣に突撃しろ!」

「く、ぎゃあああ!」

 

 ゼロの剛拳は獣を空中まで巻き上げ、ニグンの天使は獣を串刺しにした。

 

 これが分水嶺となった。これまで順調に勝利を挙げてきたビーストマンも、敵の強さが理解できず、部隊としての統率が解かれた。

 

 武器を手にした人間は手にした順番に用意した兵隊の後方から追撃する。

 獣がいかに人間の十倍の身体能力を有しようと、レベルは人間に分がある。加えて人間の数は獣の十倍以上だ。敵の先遣部隊が崩壊するのにさほど時間はいらなかった。

 

「援護して!」

「はい! 《早足(クイック・マーチ)》」

「《呪われし言葉(ワード・オブ・カース)》!」

 

 エドストレームが作り出す剣の結界。本来は敵の突撃を待っているだけで良いのだが獣の数が多い。その場にいるだけでは愚策と判断し、エドストレームは結界ごと進軍させた。

 後方支援の魔法詠唱者は、少しでも数を減らそうと後方から投石、《魔法の矢(マジック・アロー)》で援護する。

 

「エドストレームさん一人に血を流させるな! 《魔法の矢(マジック・アロー)》」

「うふふ、ありがとうね。生きて帰ったらいいことしましょ」

「え、へへへ……」

「おい! 戦場で気を抜くな!」

 

 どことなく雰囲気が緩んでいるのは二つ隣で交戦するマルムヴィストとサキュロントにも感じ取れた。

 

「俺もあっちがよかったな……」

「よそ見するな!」

「う、うわああ!」

「女抱きたいなら生き残ってから死ぬほど抱け! 馬鹿!」

「ちょっ、サキュロントさん、もうちょっと持ちこたえてくださいよ! 天使の召喚が間に合わないですよ!」

 

 竜王国民が駆けつけ、天使を召喚する時間稼ぎが始まった。多少の手傷を負い、深手を負ってその場に伏せながらも、確実に敵の数は減っていた。

 天使の召喚が一体でも終われば、それを殴られ役(タンク)として利用すればいい。

 

 いずれの駒も順調に獣を殺し、苦戦を強いられる予定は破棄された。デミウルゴスは肩に刀を乗せて戦況を観察するヤトへ、酒の入ったグラスを差し出した。

 

「どうぞ」

「ありがとう」

 

 ヤトの視界の片隅で、泣き崩れる女王の姿が映った。涙の意味は分からない。自分の統制力を否定されたが故か、それとも蛇に苛められたからか、いずれにしてもヤトの鼓舞で人間は未来を勝ち取るために立ち上がった。

 今さら女王に掛ける言葉もない。

 

(ちょっとやり過ぎたかな)

 

「先遣隊を殲滅するまでそうかからないでしょう。本隊の姿だけなら見えてくる頃合いかと」

「いいもんだな……俺も混ざりたいくらいだ。なぜこうも血が騒ぐんだろう」

「想像なのですが、異形の御体に心が引き摺られているのでしょうか」

「不思議な体だ」

 

 優男は胸に手を当て、自らの心臓の鼓動を肌で感じた。衣服越しでもはっきりとわかる強い鼓動が刻まれていた。

 

「デミウルゴス、敵の数は?」

「計算したわけではありませんのでわかり兼ねます。ヤトノカミ様が敵の数を前もって減らしてありますので、およそ竜王国民の半分以下かと」

「50万くらいかな」

「偃月の陣形で真っすぐこちらへ向かってくる部隊が一つだけあります。恐らくは切り込み隊でしょう。斬り込んで隊列を崩し、そこへ本隊が突入します。順調に推移すれば犠牲者の数は当初の予定よりも大きく増加しますが、いかがなさいますか?」

「そうなんだよねぇ……」

 

 死体が想定した山よりも高く積み上がるとヤトにもわかっていた。

 人間は戦闘の途中で決起させるはずだった。戦争開始前の独特な雰囲気に引き摺られてついつい言い過ぎてしまった感は否めない。自分でやっておきながら、デミウルゴスの立てた緻密な計画を破棄する自分の出鱈目を心底から悔いた。MP回復の手段は譲渡しかなく、しかも限られた者にしか使えない。大量に蘇生魔法を行使するのはそれ相応の時間を要す。それは法国から持ち帰った孤児の両親を蘇生したときの経験で分かっていた。

 

 問題を打破すべき何らかの出鱈目な奇跡を考えたが、知恵汁(ワイズ・スープ)は一滴も絞り出せなかった。

 

 例のごとく酒をストローで飲み干すころ、ヤトの視界に敵の大軍が黒い地平線となって見えてきた。こちらの陣形に突撃せんとする切り込み隊の先頭、剣を持って疾走する小さな白虎は見覚えがあった。

 

 「デミウルゴス、あと頼む。彼らが死なないように適当に助けてやってくれ」

 

 デミウルゴスにグラスを渡し、助走をつけて大きく飛んだ。黒づくめの青年は前線部隊の頭上を、弧を描いて飛んでいく。ドンと音がして草原が大きくへこんだ。

 敵の切り込み部隊は突然に舞い降りた影を警戒し、その進軍を止めた。黒髪黒目の男は見覚えのある白虎に声をかけた。

 

「よう。元気そうだな、白虎の子」

「人間に知り合いはいない!」

「馬鹿、俺だよ俺」

 

 草原に大蛇の邪神が顕現した。異形の姿と見たことない巨大な武器に兵隊が身構えた。

 若き白虎だけが彼と顔見知りだった。

 

「あ……ヤトノカミさん。お久しぶりでした」

「お前と戦場で会うとはな」

 

 世話になった彼の顔は覚えている。

 人間を殺す兵隊となるため、ペットという大切な友人を食い殺した彼は忘れられなかった。こびりついた返り血を拭いてくれた恩もある。

 

 背後から何かが飛んできた。着地音とともに大地を震わせ、巨躯を狩る青銅の蟲王(ヴァーミン・ロード)と小さな体の闇妖精(ダークエルフ)はヤトの両側に着地した。

 

「ゴ助力イタシマス」

「あ、あの、お一人にしないようにって」

「……あ、悪い。こいつと話をしたらすぐ戻るから、先に戻っててくれ」

「……シカシ」

「大丈夫だよ、戦闘はしない。それより、お前らも戦闘準備しておけよ」

「は、はい! わかりました!」

 

 去り際、コキュートスとマーレは獣に対して強い殺気を放った。ヤトに何かしたら許さないという意思表示は、十分な脅しとして効果があった。短い滞在時間で今にも飛びかかろうとしていた獣は、大半が大人しく話の動向を窺った。

 

 大蛇は白虎に近寄り、その頭を撫でた。すぐ隣にいた黒い狼が牙を剥いて唸る。

 

「グルルル……」

「待って。この人、知り合いなんだ。すぐ済むから待っててよ」

「若……わかった」

 

 黒狼は誰なのか分からずとも強さを肌で感じ、脳は危険信号を発した。彼は幼い白虎を助けるお目付け役で、いかに相手が強かろうと引けない立場だ。

 

「なあ、お前ら獣人は宴と称して人間を惨殺する醜悪な獣だ。だが、一部の奴らがそうしているだけで、気高い崇高な戦士はいるんだろ? 戦場で女を犯したり、子供を嗤いながら殺すのは人間にもいるからな」

「あなたが殺した指揮官は獣人の未来を心配してたです。互いに共存は無理でも、必要最低限の数にしなければ人間と僕らは滅びるって」

 

 改めて余計な殺しをしたと後悔した。ヤトが殺した軍の司令官を生かしておけば、人間を商材とした国交条約を結んで戦争を締結する手段もあったかもしれない。

 どんなに法律を厳しくしても人間は必ず過ちを起こす。人間が醜く悪しき種族だと、かつて人間だったヤトがよくわかっていた。罪人の遺棄場所としてビーストマン国家は相応しく、犯罪抑止力にも最適だった。

 

「……俺はさ、お前は誇り高い戦士寄りの奴だと思ってる。だからここは引いてくれないか」

「だ、駄目です」

「生きろ。命を粗末にするな」

「駄目! 僕がここで引いたら、食い殺した友達の死が無駄になるです。死ぬのは怖くない。友達が死んだのが無駄になるのが怖い! 僕みたいな獣を戦士にするためだけに殺されたあの子が、命が無駄になるのが怖いんだ!」

 

 若き白虎がそう言うだろうとわかっていた。それが彼の大義であり、獣なりの忠誠だ。傷を負ったものほど後には引かない。新たに手に入れたヤトの大義と真っ向から対立していた。

 

「同じ大地で一緒に生きたかった。けど、僕はあの子を殺して食べちゃった。だから戦うんだ! 友達を殺した薄汚い獣の僕は、戦場で死ね!」

「なっまいきだなぁ……」

「ごめんなさい……」

 

 虹色の話を思い出していた。直感で脳が厳戒警報を発令した。全ては後手に回り、口は言葉を紡いでいる。

 

「お前さ、もし生まれ変わるなら、次は何になりたい?」

「……人間……がいいな」

 

 大蛇にやりきれない感情が溢れた。

 

「ビーストマンが……そんなこと言っていいのか?」

「お家に帰ってオカアサンが作ってくれたオヤツを食べるんだ。夜になるまで外を走り回って泥だらけでお家に帰って……オカアサンとオトウサンとご飯を食べるの。あったかいフトンで眠って、また朝ごはんを食べて外を走りに行くんだ」

 

 白虎の腰で血のこびりついたオカリナが揺れた。

 

 七彩の竜王の指摘通り、ビーストマンの劣等は追い風となる。互いに手を取り、協力関係を構築する選択肢は存在したが、選ぶことはできない。それは、今さらもう後に引けないことを意味する。

 ヤトには守りたいものと欲する困難な未来があり、それを信じて突き進むしかない。

 この程度で再び迷うのなら、初めから何もしなければいい。

 

 出会いが違えば、幼い戦士とは良好な関係を築けただろう。大蛇の部下として若きビーストマンは頭角を現し、人間を守る存在としてもてはやされる強戦士となれた。

 

 だが、現実はそうならなかった。

 

「本当に死ぬぞ……?」

「ごめんなさい」

 

 大蛇は人間を利用する邪悪なるものとして、人間を食料とする獣の戦士を殺すべく殺意を向け、若き戦士もそれに応じて剣を構えた。

 

 蛇の長い体から絶望のオーラが立ち上る。長い体は黒く禍々しい闇に覆われ、彼だけが夜に覆われたようだった。赤い二つの目が局所的な夜の闇に光った。

 

「ば、はぁぁぁぁぁ……」

 

 蛇の形をした闇は口を開き、肺を汚染する瘴気を吐いた。

 

「獣人ども、このまま攻めてこい。アインズ・ウール・ゴウン支配者の一柱、邪神ヤトノカミが相手になってやる」

 

 ヤトは背を向けて本陣へ戻った。

 

 大蛇がなぜかビーストマン方向から現れ、ゼロとニグンは交戦中にもかかわらず動きが止まった。天使への指示は止まり、優雅に空中を漂っていた。獣は背後から現れたおぞましいものへ襲い掛かる。

 

「どけ」

「ぎゃあああ!」

 

 長い刀の一閃でビーストマンの肉塊が草原に血だまりを作った。草原を黒く染める人間の兵たちは、闇を纏った大蛇に怖れを覚え、その道を無言で開いた。

 

 人だかりが一直線に割れ、デミウルゴスへと続く人垣の裂け目をヤトは静かに這っていく。先ほど人間を鼓舞した優男と同一人物とは思えず、物言わぬ赤い瞳はビーストマンへの殺意で鮮やかな紅に染まっていた。本来の姿を取り戻した支配者に、配下の将は顔を伏せて跪く。

 

「コキュートス、マーレ。俺についてこい。中央で俺が見せしめに殺すから、左右の数を減らしておけ」

「はい!」

「仰セノ通リニ」

 

 コキュートスは至高の41人と肩を並べる歓喜に身を震わせ、マーレは少しだけ緊張した。

 

「デミウルゴス、奴らの後方に恐怖公の眷属を転移。獣の退路を断て」

「畏まりました。それでは、人間を左右に広げてよりよく見えるように致しましょう」

「任せる」

「すぐに実行いたします。さあ、竜王国の女王陛下。特等席をご用意しますので、こちらへどうぞ。宰相殿とそちらのセレブライト殿も、ご遠慮せずに特等席をご用意いたしますので、こちらへ。他の人間は御方の戦いから目をそらすことは許しませんよ」

 

 デミウルゴスの悪意はヤトに聞こえていなかった。

 女王は子供のように駄々をこね、宰相はされるがままだ。竜王国の女王と宰相、そして竜王国お抱えのアダマンタイト級冒険者セレブライトは、人骨で作られた観覧席に座らされた。

 蛇の形をした闇に赤く光る二つの瞳、異形種として相応しい姿に戻ったヤトに女王は呟いた。

 

「どこで間違ったというんだ……」

「陛下、耐えるのです。落ちている金貨を拾おうとして犬の糞の臭いを嗅いだようなものです。不快感を堪えて起き上がればその手に金貨が握られています」

「陛下……なんと痛ましいお姿。私で良ければ力になり――」

「ここにいる国民は人間だ……残酷極まる殺戮に気が狂わない保証はないぞ」

「私もそろそろ限界です。それでも我々は歯を食いしばって耐えるしかない。弱者は与えられるものから目を逸らすことさえ叶いません」

「陛下、私で良ければ手を握って――」

「曾祖父様……なぜあ奴を竜王国へ差し向けたのですか……」

「陛下……」

 

 セレブライトは徹底して無視された。

 

 

 黒い闇に覆われた大蛇はスキルを多重発動して身体能力を高め、己が内にある攻撃性を高めた。それでも憎悪に囚われて理性を無くすことはない。心の中で黒い憎悪と交わらぬ、赤い何かが燃えていた。

 

 今のヤトには心の闇を照らす道しるべが見えている。

 

「殺戮こそが俺の生き様。アインズ・ウール・ゴウンの神話に獣の出番はない」

 

 かくして大蛇は舞台に飛び込み、蛇の邪神は己が獄道を白日の下へ晒す。

 デミウルゴスは気を回し、全員に指示を出した。

 

「人間種は獣との交戦に備え、臨戦態勢にて待機。これより、御方の殺戮の時間(killing time)が始まる」

 

 ナザリック勢が放つ鮮やかな波動は天に昇り、雲に穴をあけて殺戮の時間を告げた。

 

 光と闇、聖と邪、生と死、表があれば裏がある。光が強くなれば闇も濃くなり、相対するものに相応しき振る舞いとして残忍で冷酷なる殺戮を選んだ。王として正道を進むアインズに相対すべく、種族に邪神を選んだヤトは邪道で応えただけのことだ。

 

 そして殺戮の舞台が幕を開ける。

 

 

 太陽は天頂に差し掛かっていた。

 

 

 





次話は週末に何とかしますね
途中、残酷描写がありますが、まるっと読み飛ばし可能です。

◆◆ここから残酷描写の場所、閲覧注意、読み飛ばし可◆◆
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◆◆ここまで残酷描写の場所、閲覧注意、読み飛ばし可◆◆

と書いてあります。

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