モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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長いです


盲者に仕込むは毒の味

 

 

 常日頃の行いは決して悪くない。それどころか、清廉潔白とも思える真面目な生き方をしているにもかかわらず、何をやらせても上手くいかない。そういった手合いがいる。

 げに恐ろしきは人の心なり、自覚なき悪は真の邪悪に通じる。ここ最近の漆黒聖典の隊長は、まさにそれであった。最も()(はばか)るは、当初の目的を見失ったままに手段を(えら)ばないことである。

 

 邪神を自称する大蛇への嫌悪は盲目の宗教家の身をやつし、畜生まで堕とした。取った選択肢は未だ最悪の一手を辿っていく。彼を巡る一切の事象は負の波動を以て逆しまに廻る。

 

 打って変わって執務室は朝から平和である。

 

「ねえ、さっきから丸呑みにしてるけど、味わかってるの?」

「当たり前だろ。これでも嗅覚は鋭いんだぞ。モグモグとできないのが残念だが、体の中でゆっくり溶けていくのは、それはそれで新たな快感というか」

「変態だ」

「放っておけ」

「美味しいね、このはんばあがあ」

 

「失礼、お食事中でしたか。御報告がありますが、よろしいですか?」

 

 執務室にて番外席次と和やかな朝食を摂っていた大蛇は、漆黒聖典の隊長の入室で今まさに丸呑みにしようとハンバーガーへ齧りつこうとする動きを止めた。彼の話を聞いて室内の空気が変わる。この場にいる三名は全員がレベル100であり、その程度で怯む者はいない。

 

 ヤトは急激に低くなった声で少年に問う。

 

「……お前、今なんつった?」

「昨晩、エルフが殺されたのです。殺したのはワーカーでしたが、彼は人間です。エルフの娼婦と料金のことで揉め、激昂して突き飛ばしてしまい、頭の打ちどころが悪かったそうです」

「なんで逃がした」

「これは事故です。娼館に所属せずに客を取るエルフにも非はあります。エルフは魔導国の所有物で、被害者はあなた方が蘇生するから問題ありませんが、容疑者はあなたの手で人間牧場に送られるでしょう。それが我慢なりません」

「だからまともに確認もせず逃がしたって……お前、喧嘩売ってんのか?」

「人間に喧嘩を売っているのはあなたでしょう」

 

 「ピシッ」とガラスに亀裂を入れたような音が何もない空中から聞こえた。

 

 ヤトは朝食を止める。番外席次がおでこに手を当て、「あちゃー……」と呟く声が聞こえた。朝食くらいはのんびり摂りたかった。

 

 大蛇は立ち上がり、唾を吐き捨てて出ていった。

 

 番外席次はため息交じりに少年へ文句を言う。

 

「ねえ、あなたもしかして、蛇のこと好きなんじゃないの?」

「それは絶対にありえません」

「そうかな。私には認めてほしくて駄々をこねているように見えるんだけど」

「私は明確に彼が嫌いですよ」

「ふーん……まぁ、まだ若いからしょうがないか。喉渇いたから食堂でも行こうっと」

 

 執務室には少年だけが残された。

 

 

 

 

 ヤトが王都の警備兵へ確認したところ、該当事件の死体はすぐに見つかった。悲観に暮れる森の妖精(エルフ)たちは、仲間の死体を中庭へと丁重に運んだ。ルプスレギナとアルベドを王宮へ呼び出し、死者蘇生の手はずを整える。

 

 ヤトは隊長の首根っこを掴んで引き摺るように連行し、損壊の苛烈な死体を突きつけた。

 

 罪人を見逃した重罪人は、損傷の酷さに冷や汗を流す。

 

「これは……酷い」

「酷いじゃねえよ。お前は罪人を見逃した報いを受ける。もし何の報いも受けなかったら、俺が罰を与えてやる」

「それは間違っています。私が彼を捕まえる如何に関わらず、彼女は既に死んでいました」

「……差別主義者め、これがエルフじゃなくて人間だったら同じことが言えんのか。お前みたいに自分を正当化するクズはいっぺん死ねよ」

 

 ヤトが背中の大鎌を構え、隊長に絶命する一撃を加えようと予備動作を開始したところで、両名の人となりを知る者が王宮に飛び込んでくる。中庭に繋がる廊下を走り抜ける口ひげを生やした中年男性、娼館の主は血の気をどこかに置き忘れていた。

 

「へ、蛇様、ちょうどいいところに。お話があります」

「……見ての通り忙しい」

「うちの娼婦が殺され、昨日の売り上げを奪われました。娼婦はそちらの少年も知っている娘です」

「……なに?」

「き、昨日、私は地域の寄り合いに出なければならず、戸締りをあの娘に任せたのです。少年の接客を終えて片づけをしているだけでしたので油断していました。朝、鍵が開いているので中に入ると彼女が……」

「まさか!?」

 

 隊長は飛び出していった。

 

 大蛇は蘇生したエルフを応接間で待機させるように指示を出し、店長を連れて王宮を出ていく。娼館に着いたのは、隊長がついてから大分経ってからだ。営業時間は午後からなので出勤している娼婦はいないが、店の周囲は野次馬に囲まれていた。人込みをかち割って店の中へ入ると、そこは十分に荒らされていた。

 

 入り口付近で倒れている娼婦は顔色が悪く口から血を流していた。隊長は一晩かけて冷たくなった彼女を抱き、努めて静かに欷泣した。

 

「うぅ……どうして……どうして……」

 

 ヤトは彼を無視し、改めて店長に事情を聞く。エルフの件と組み合わせた事件の概要はこうだ。

 

 漆黒聖典の隊長は娼館で想い人と逢瀬し、帰り道でエルフを殺害したワーカーと遭遇する。その辻は娼館からさほど離れておらず、周囲には貴族の邸宅もない。逃走する資金を得ようと思ったら間違いなく娼館に入る。さっさと片づけて帰宅しようとした彼女は油断し、戸締りをせずに罪人を招き入れた。ごく自然な流れで、命と当日の売り上げを奪われる。推理通りであれば、犯人は前日のうちに王都を出ているだろう。

 

 思いのほかつまらない事件であった。ヤトが苛立ったのは、此度の事件を未然に防ぐ役目を放棄し、悲観に暮れる隊長に対してであった。

 

「私があのとき、彼女へ戸締りの注意をしておけば……」

「店長、責任はあんたじゃない。すぐに罰を受けるべき人間はこいつだ」

 

 ヤトは少年を引き摺り、縋りついていた女性の死体から乱暴に引き剥がす。間髪容れずに胸倉を掴んで持ち上げた。全身脱力した彼は驚くほど軽かった。

 

「おい、よく見ろよクズ野郎。この娘はお前が殺したんだ。お前が犯人を捕まえておけば、彼女は死なずに済んだ。お前が殺した!」

「うぅ……あぁ……私は……」

「お前が殺したんだ! 現実から目を逸らすな。相手がエルフだからと許し、大切な人を間接的に殺した最低のクズ野郎だ!」

 

 店長は彼女の死体をシーツで包んだ。

 

「可哀想に……いったいこの娘が何をしたというんだ。店でも評判が良く、他の嬢とも仲良くやっていたのに」

「店長、蘇生できなければエルフを雇いなよ」

「駄目なんですよ。その少年もそうですが、彼女でなければならない方は多いのです。顔に傷を負った客や、家族を失った心の穴を埋めたい客は、彼女でなければならない何かを求めてここを訪れるのです。私は責任者として、彼らになんて詫びればいいんだ」

 

 ギリリと歯ぎしりの音と、店長の唇が悲痛に歪んだ。髭の店長の無骨な手が、顔色の悪い彼女の頬を撫でる。驚くほど彼女は冷えていた。

 

 少年はゆっくりと降ろされた。すぐに彼女へ縋りつこうとしたが、鋼鉄の鞭に似た大蛇の尾で跳ね飛ばされた。肋骨の折れた音が全身を駆け抜け、彼は刹那に失神した。意識はヤトの檄で肉体へ戻る。

 

「罪人のてめえが気安く触ってんじゃねえぞ! 人類至上主義の負け犬がぁ!」

「……ぅ」

「《眷属召喚》」

 

 大きさでヤトに劣るが、彩り鮮やかな大蛇が召喚された。

 

「お前ら、彼女の死体を王宮へ運べ。丁重に扱えよ?」

 

 蛇の眷属たちは「キューッ」と鳴き、協力して死体を背負った。

 

「店長、王宮で彼女を蘇生させる。もし、駄目だったら……エルフでも雇ってあげてくれ」

「……どうか、よろしくお願いします」

 

 口髭の店長は深々と頭を下げた。大蛇とその眷属が立ち去り、店長が荒れた娼館の掃除を始めても、隊長はその場を動けなかった。店長も彼に何と言っていいのかわからず、悲しむ邪魔をせぬように奥へ引っ込んだ。

 

 わずか半日前、笑顔で別れた彼女はもうこの世にいない。甘い香りの髪、体の温もり、柔い肌、全てを優しく受け入れてくれるような彼女は、半日で冷たい肉塊となった。少年は髪を掻きむしり、信仰の証であったロザリオを引き千切り、両手で頭を掴んで床に打ち付けた。

 

 額から血が滲んでも彼は止めなかった。流血に涙が混ざり、嗚咽が混じっても彼は止めなかった。

 

 今はただ前日の自分が許せず、殺してやりたいほど憎んでいた。

 

 

 

 

 数時間後、執務室でルプスレギナとアルベドの報告を受けていた。ヤトの食べなかったハンバーガーは番外席次に処理されており、お腹の膨らんだ彼女はひしゃげたソファーで居眠りをしていた。寝顔は知性の欠片も感じさせず、安心して眠る子供がするそれだった。

 

 起こしても面倒なので、傾いた机に座ったヤトは彼女をそのままに、ルプスレギナとアルベドの報告を受けた。

 

「はあ!? 蘇生拒否ぃ?」

「そーなんす!」

「ルプスレギナ、砕けた口調は止めなさい。ヤトノカミ様の御前ですよ」

「いや、気にするな。ルプスレギナらしくていい。それで、話の続きを」

「はいっす!」

 

 エルフは無事に蘇生され、事情聴取の必要があるため応接間で休憩をさせている。しかし、人間の娼婦は蘇生を拒否。彼女の死体は体温を取り戻すことなく、シーツに包れて中庭に安置されている。

 

「チッ、気分わりいな……それにしてもなぜ蘇生を拒否するんだ。娼館の客だけじゃなく、自分の死まで受け入れたのか? 強盗に殺されたってのに」

「どうすればいっすか?」

「ダメもとで聞くが……アルベド、手段はあるか?」

「蘇生を拒否する者を強制的に蘇生させる手段は、現時点で開発されておりません」

「そうだよな……」

 

 ありのままを店長に報告するのは気が重い。前日に番外席次の懐柔を終え、ついでに書類整理も手伝わせ、このまま何事もなく仕事が終わると思っていたところから急展開である。

 胸糞悪さは未だに心臓のあたりでチリチリと燃えていた。彼の害意は一人の少年に向いている。

 

「彼はどうしまっすか?」

「………殺す」

 

 

 シーツに包れているうら若き女性の死体の傍ら、少年は膝を抱えて蹲る。蛇神の部下で人間に見える聖職者(クレリック)は、蘇生が拒否されたと諦めてしまった。彼ら以上の蘇生魔法を使えるものはこの世界にいない。もう二度と、優しい彼女は帰ってこない。どれほど神に祈っても、祈りは天に届かない。信仰も教典も、死という恒久の自然現象を前に無価値だ。ロザリオを握る手から力が抜けていった。

 

 なぜ彼女だけが蘇生されないのだろう。ビーストマンに襲われ、我が子を逃がして満足しながら死んでいった孤児の親は問題なく蘇生できたのに、強盗に襲われた彼女はどうして拒む。神は何を考えている。自分のこれまでしてきたことは何だった。

 

 「なぜ?」の多い彼の思考は先に進むことはない。(おもんぱか)る思考の始点、自分が見逃したから彼女が死んだ自責の念から先に進まなかった。

 

「何が宗教だ………私は……最低だ……」

「そうだな、最低だ。お前が殺した」

 

 呟きに返事が返ってきた。相手が誰かは考えずとも分かる。少年は顔も上げなかった。

 

「お前らスレイン法国の下衆野郎どもは、そうやって異形種を差別して人間までも殺してきた。今さら娼婦の一人が殺されたって何を悲しむんだよ。人類至上主義の宗教家で盲目の犬っコロ」

「……」

「なんとか……言えよっ!」

 

 大蛇は少年を持ち上げ、顔を全力で殴った。頭が吹き飛んでも構わない、全力の一撃だった。王宮の壁まで飛ばされ、脱力した体は抵抗力もなく壁に叩きつけられた。邪神に慈悲はなく、一切の手心を加えない。誰よりも自分を憎んでいる少年は涙を流し、甘んじてそれを受け容れた。

 

 悲観のあまりに疲弊した少年の魂を、大蛇は容赦なく殴り続けた。吐く血反吐が尽きても涙は止まらない。ひときわ強く壁に打ち付けられ、四肢から力が抜け、絶望した魂が出ていくすんでのところ、騒ぎを聞いて駆けつけたブレインとガゼフが大蛇を止めた。

 

「おおい! ヤト! 何をしている!」

「子供相手に馬鹿かお前は! 死ぬぞ、こいつ!」

「死んじまえばいいんだよ! こんな奴!」

 

 少年の前に立ちはだかった二名の戦士を避け、大蛇の尾は少年の足を鞭打つ。該当部位の骨が砕けたが、彼は悲鳴も上げなかった。

 

「何が人類至上主義だ! 種族にこだわって弱者を助けずに何が宗教家だ! そんな当たり前のこともわからねえ犬は、魔導国にいらねえんだよ!」

 

 二人を押しのけ、素早く少年の胸倉を掴む。殺してしまうつもりだった。ブレインの一撃が大蛇の手を打つと少年が地面に落ちる。ガゼフは血塗れの少年を庇って剣を抜いた。

 

「止めろ! お前はそんな奴じゃないだろ!」

「つ……へへ、ヤトを止められるくらいにはなったぜ……おいおい、蛇公。子供相手にらしくないな。少し落ち着けよ」

「ガゼフ、ブレイン……今回は違う! 俺はそいつを殺さなければならない。宗教、信仰、教典、人類至上主義、もううんざりなんだよ。人間愛を語って人間を殺すスレイン法国は滅亡しちまえ。こいつらは人間の形をした糞、肥料としても使い道のないただの汚物だ」

 

 武技を多用してヤトを止めた影響で、ブレインは立っているのもやっとだ。耐え切れずに尻もちをつくと、クレマンティーヌがどこからともなく駆け寄り、彼を連れてどこかへ逃げていった。

 

 一人残されたガゼフは血だらけの少年を庇い、剣を構えて対峙する。

 

「なぜそこまでこの少年を殺そうとする! 自分を見失うな!」

「我慢にも限度ってのがある。俺も許せないことはあるんだよ、ガゼフ」

「どうしてもというのなら、私を倒してからにしろ!」

「ならお前から殺すまで」

 

 ヤトはガゼフを押しのけようと前進する。ガゼフがどれほど力を入れて押しても、ヤトの体は止まらない。

 

「待ちなさい!」

 

 漆黒聖典の隊員が大蛇と隊長の間に割って入った。大剣を構えた戦士、両腕に巨盾を装着した戦士は盾になろうと立ちはだかる。傍らで鎖を操るものが、いつでも蠢く鎖を放とうと構えていた。ガゼフより彼らの方が強いが、大蛇を相手に何の効力もない。

 

「隊長に何をする!」

「この異形種、法国の武力を削ぐことが目的か!」

「いやあああ! 隊長! 隊長! しっかりしてよぉおお!」

 

 虫の息の少年に女性隊員が縋りつき、傍らで隙を窺う他の隊員も大蛇への敵意を剥き出しにした。隊長が息絶えれば、彼らは即座に襲い掛かるだろう。一撃も加えられずに殺されたとしても。

 

 大蛇は無言で大鎌を構える。虫唾が走る宗教家はこの場で皆殺しにすればいい。彼らにさしたる用途はなく、取り立てて使い道も決まっていない。ヤトが絶望のオーラを放って開戦の合図を告げようとする寸前、番外席次の声が聞こえた。

 

「止めときなさいよ。あなた達じゃ勝てないから」

 

 番外席次“絶死絶命”の声で隊員たちは動きを止める。絶対強者の彼女に体が(おのの)いていた。少女は食堂から持ってきた果実汁を飲み、縁石に腰かけてこちらを眺めていた。見た目はただの少女で雰囲気も緩んでいるが、彼女は漆黒聖典をして絶対強者らしい。

 

「……みんな……このま、ま……死なせ、てく……れ」

 

 掠れながらも少年の声が聞こえ、全員が振り向いた。息も絶え絶えの少年は、自らの愚かさと醜さを嘆き、絶望の淵に立つ。飛び込む号令さえあれば、躊躇わずに闇へ堕ちるのみ。

 

「隊長! なに言ってんだよ!」

「だめええ! 私たちから隊長を奪わないでよぉ!」

「もう……いい。神……は……死ん、だ……」

 

 どれほど子供が弱々しい声を出そうと、邪神は容赦しない。立ちはだかる戦士たちをあっさり横に除け、瀕死の少年の胸倉を掴んで持ち上げた。

 

「殺し……て……」

「楽に死ねると思うんじゃねえぞこの野郎!」

 

 激しく空中で揺さぶられたが、声帯は思うように動いてくれない。「もう生きたくない」と叫ぼうとした少年の口からは、「あっあっ」と掠れた声しか出なかった。

 

「お前は死んだら解決すると思っているかもしれないが、それは逃げるだけだ。魔導国でそれは許されない。これからお前を殺し、しばらくしてから蘇生する。蘇生を拒否するなら、お前の仲間を皆殺しにしてやる」

「……」

「わかったらあの世を見てこい。お前には責任を取る仕事が残っている。お前が見逃した犯人を捕まえろ。その後でお前が何も変わらないなら、仲間の目の前で発狂するまで拷問して人間牧場の家畜一号にしてやるからな」

 

 激痛で首がまともに動かないが、微かに頷いた。大蛇は大鎌を少年の首に押し当てた。

 

「死ね!」

 

 右手を引くと、中庭に一つの首が落ちた。

 

 

 

 

 スレイン法国の大神殿、最奥の会議室でアインズは物思いに耽る。回想はのめり込み過ぎれば白昼夢に等しい。アインズは法国の行動予測に集中して、周りがまるで見えなくなっていた。竜王国から帰還後、執務室でヤトと交わした会話が全ての発端だった。

 

《虹色が言ってましたけど、スレイン法国は俺たちの後継者を籠絡したいらしいッスよ。大義名分のために畜生になって死体をたくさん作るって》

《なるほど……手っ取り早く魔導国を手に入れるにはそれが一番だな。……七彩の竜王、か。大した知性だ。興味が湧いたぞ》

 

 あの場は七彩の竜王の話題へ移行したが、ヤトが休んだ翌日、デミウルゴス、アルベド、パンドラを交えて真剣な会議を行なった。大蛇が休みなのはかえって好都合であった。ここ最近、体調を崩しているラキュースの身に何らかの変化が生じたとすれば、原因は一つしかない。法国をこのままにしておくにはあまりに危険であった。

 

 大切なものを失った人の心には亀裂が入り、魔が流れ込んで侵食する。

 

 ラキュースとレイナースの身に何かあれば、蛇神は人類の天敵になる。有り余る憎悪を人間全体へ向け、理性を取り戻すことなく一個の殺人機械と化す。主犯の法国だけ滅びるのなら何の問題もないが、彼は荒れたら手が付けられず、時と場合によってはアインズにまで牙を剥く。妻を失った亀裂は黒くドロドロした憎悪で穴埋め補強され、二度と正常な心を取り戻さないだろう。

 

 アインズが法国に来たのはハネムーンではなく、イビルアイも口を尖らせてナザリックで待機している。最優先されるはヤトが話していた虹色の仮説、後顧の憂いを排除するためであった。

 

 現在、スレイン法国は魔導国派と反異形種派で分かたれている。国の最高責任者たちの良からぬ企みはさておき、表面上は魔導国派である。彼らの話によれば、引退した漆黒聖典が反異形種派の筆頭で、仲間を増やすために闇に紛れて暗躍している。私刑(リンチ)、制裁、脅迫、誘拐、宗教の大義名分へ殉ずる彼らはあらゆる犯罪行為に手を染めた。

 

 アインズの肋骨内で膨らんだ不快感がチリチリと燃えた。

 

「魔導王陛下、以上が現状の報告でございます」

「現在、人数でいえば遥かに魔導国派が多い。エルフ国の壊滅、孤児の親の蘇生、ビーストマン軍隊の全滅、スルシャーナ様に酷似したアインズ様への崇拝、持ち前の武力など、今はまだこれらに好感を抱くものが多いのです」

「しかし、このままでは遅かれ早かれ優勢がひっくり返されて――」

 

 彼らの声は白磁の髑髏に聞こえていない。アインズはヤトの気持ちがよくわかる。ヤトにとってラキュースが死ぬということは、アインズにとってヤトが死ぬことと同義だ。怒りや憎しみは推し量れる程度のものではない。

 

 思わず、口が勝手に呟いた。

 

「不愉快だ……」

 

 アインズの声で皆が押し黙り、室内の温度が明確に下がった。責任者の顔に冷や汗が滲む。彼がその気になれば、法国そのものを一発の魔法で消し飛ばせる。

 

「デミウルゴス」

「はい。皆さま、ここからは私がご説明を致しましょう。本来であれば、我々異形種に敵対しようとするものは人間牧場へ納品すべきですが、誰よりも慈悲深く、最高位の主神であらせられる御方は、一度だけ機会を差し上げようと仰っています」

「……はい」

「法国に残っている国民を全て大神殿前に集めなさい。招集に応じない者は反異形種派と断定し、こちらで殺害します。ソウルイーター500体を各門から侵入させ、隠れている人間を絨毯方式(ローラー)で食べて回ります。国民にはそのようにお伝えください」

「500体!?」

「そんな……特級アンデッドが」

「ソウルイーター程度で驚かれても困りますよ。あなた達は井の中の蛙どころか微生物以下のか弱きもの。大海から来た我らの感覚が理解できないのもわかりますが、宗教で目が曇るのなら信仰など捨ててしまえばよろしい。あなた達の六大神はどこにでもいる元人間、世界の主神となるべく生を受けたアインズ様とは格も質も違います。じきにあなた方は知るでしょう。最高位の叡智と武力、常軌を逸した剛運が混在するアインズ・ウール・ゴウン様の御力を」

「デミウルゴス、言葉が過ぎるぞ。その辺にしておけ」

 

 アインズが彼を止めたのは最後まで言い切ってからで、止めたことに意味はない。老齢の神官長たちは、アインズが法国へ侵攻した会談で心をへし折られている。微かな希望は宗教をそのままに属国となれることだけだが、これではそれさえも封じられてしまう。

 

 唯一の縋るものさえ奪われそうな彼らは、更に一回りも老けて見えた。

 

「私たちはこれから沈黙都市へ向かい、跳梁跋扈するアンデッドを支配する。我々が戻るまでに君たちは全てを終わらせなければならない」

「お時間を……もう少しいただけないでしょうか」

「一日で終わらせたまえ。私は二日後、再びこの地を訪れる」

「無理です! 法国を離れ、魔導国へ逃げ込んだものは多いですが、それでもかなりの人数がこの神都に残され――」

「ならば君たちに生きる道はない」

「……」

「信じる神を間違えた愚か者として歴史に名を刻みたくなければ、死力を尽くせ」

「ご安心ください。アインズ様は41人の支配者の頂点にして最高の慈悲をお持ちです。皆様の成果如何によっては、報奨としてソウルイーターかデスナイトをお授けになるでしょう」

 

 若干だが、彼らの顔色が好転した。

 

 漆黒聖典と陽光聖典不在の現状、神官長たちは手の空いている六色聖典を総動員し、血相を変えて神都中を走り回る。自らの命と敬虔な信者たちを救い、法国の未来と特級のアンデッドという僕を得るために。だが、敬虔さが災いして、生真面目な信者ほどアインズを嫌悪し、情報伝達は難航した。

 

 夜通し走り回っても捗らない招集命令に、同じ宗教でありながら、神官長たちは真面目な宗教家に辟易した。

 

 

 

 

 ヤトは静かに待機という行為が苦手であった。酒瓶片手に絡んでくるヤトを見て、ガゼフが「先ほどの修羅場はなんだったのだ」とため息を吐いた。隊長にはしばらく涅槃を彷徨ってもらわなければならず、暇であった。隊長への暴行を輝く瞳で見ていたルプスレギナは、退屈そうに欠伸をしていた。

 

「ブレインとクレマンティーヌはどこいった。さっき逃げ出してから姿が見えないぞ」

「彼女は番外席次殿が苦手のようだな。昔の恐怖を思い出すと話していた」

「また番外か……素行不良だな」

「呼んだ?」

 

 名前を呼ばれ、彼女はすぐに背後を取っていた。動きの俊敏さが彼女の退屈度合いを表していた。ていよく追い払う妙案は、意外とこんな時に思いつく。

 

「……おまえ暇なら海に行ってこい。怪しい生物の被害が出てるらしいぞ。ルーリエ村っていったかな……詳しく覚えてないが。執務室に書類があったから、それ持って人間に害成す敵を倒してこい」

「えぇ? また真水の海に行くの?」

「場所は聖王国との国境付近の漁村だったと思う。ここでダラダラしてもしょうがないだろ」

「うーん……暇だからそっちの方がいいかな。どうせ雑魚ばかりだろうけど」

「急いで戻ってこなくていいぞ。俺はしばらく執務室だし、アインズさんは一週間くらい戻らないから」

「何か追い出そうとしてない? まあ、いいか。お腹もいっぱいになったから、ちょっと出かけてくるね」

「一応、気を付けろよ。相手が強ければ帰ってこい。余計な怪我をするな」

「わかったー」

 

 揉め事を起こしそうな最重要監視対象を追い払い、ヤトは一息つく。今日は家に帰っても彼女が訪ねることはないだろう。しかし、国の中枢とは立っているだけで回りが放っておかない。蘇生した八本指を伴ってアルベドが中庭へ出現した。騒々しい犯罪組織が中庭になだれ込み、隊長の死を悼む粛々とした雰囲気が喧騒で砕かれる。

 

「ヤトノカミ様、八本指をお連れしました」

「何か用か?」

我らの(・・・)新組織設立、旧八本指復興の説明を」

「……新組織?」

「はい、彼ら八本指の組織概要は次元が低すぎます。ここは我らが梃入れし、他国に負けない裏組織を作りましょう。表と裏を支配してこその統治です」

「ちょっと待てなんだその話は! 聞いていないぞ!」

 

 八本指の元ボスは瞬時に沸き立つ。六腕から聞いたのはビーストマン相手に戦った報酬として八本指幹部を蘇生し、異形種の彼らが復興を支援するまでであった。

 

 アルベドとヤトは彼らに構わずに続けた。既にボスはいないものとして扱われ、それに苦言を呈すものもいない。全てが水泡に帰すからだ。

 

「具体的にはどうするんだ」

「窃盗、密輸、麻薬は一般市民と他国への被害が出るので最小限、あるいは廃止してしまいましょう。賭博、金融、奴隷、暗殺、警備をより強固なものとし、王都を四分割して各所へ配置します。ここで上手くいけば、他国で既存の組織を排除してから我らが裏へ収まります。人間牧場の羊皮紙の売り上げは彼らの収益にします」

「ああ、人間でそれができるなら確かに楽だな。俺たちもいつまでも相手してられないし」

「たまにヤトノカミ様が顔を出して様子を見てくださいませ。売り上げは50%でも抜けばよろしいでしょう」

 

 黙って入れないのは幹部たちである。六腕は既に諦めていた。ビーストマンとの戦争でヤトに食って掛かったゼロでさえ、無慈悲な女神を前に何も言えなくなった。大蛇はともかく、彼女は人間を虫けらか生ゴミでも見るような目をしている。

 

「ふざけんなよ、コラ!」

「てめえらが勝手に俺たちを殺したんだろうが!」

「散々おれたちを弄びやがって! 縄張り(シマ)まで取んのか!」

「ゼロ! お前も何とか言えよ!」

「……特にない」

 

 会話を邪魔されて苛立つヤトが一喝する。

 

「うるせえ! 罪人風情が黙ってろ! またぶっ殺されてえのか!」

 

 ガチョウの群れは一撃で静かになる。ヤトはこの日、よく怒鳴っていた。それから誰も口を開かなかった。

 

「ヤトノカミ様。彼らの情報網が生きているか確認するに、今回の犯人を捕えさせてはいかがでしょう。彼らの持つ人脈、情報網は今後の国家運営に有効活用できます。そちらにいる法国の聖典たちとは違い、こちらは柔軟な対応が可能ですわ」

「……言われてみればそうかな」

 

 ヤトはしばらく黙り込む。

 

「ルプスレギナ、そろそろ隊長を蘇生させてくれ。俺はエルフの事情聴取に行く」

 

 ヤトは応接間へ消え、中庭は意外と静かだった。

 

 

 

 

 死と蘇生は魂と肉体に負荷をかける。ペナルティのレベルダウンは体から内臓の一部が抜けていような感覚を味わわせてくれた。彼がそこで見たのは白昼夢だったかもしれない。そう信じたかった。

 

「うーん……私ってあんまり頭よくないからわからないけど、これも運命ってやつ? 私はここで死ぬべきだったんだよ。だから気にしないで」

「行かないで! 待って! お願いだから待ってください!」

「ごめんね、もう時間みたい。みんなと一つにならないと。ビーストマン、亜人、妖精、悪魔、竜、魂の形は同じ。だから私はもう行くね。君も頑張りなさい、坊や」

 

 毎日を一生懸命に生きていた彼女が、理不尽な死を簡単に受け入れると認めたくなかった。もしそうであれば、死に方に満足して死んだ孤児の親はどうして蘇生できたのだろうか。

 

 大蛇の言う通り、信仰と宗教は役に立たない。漆黒聖典の隊長でありながら、女性の一人も救えなかった。少年は自身へ向ける憎悪を、これまでの信仰と神にも向けた。

 

 目が覚めると、漆黒聖典の同輩が覗き込んでいた。隊長が蘇生されて安心したのか、瞳を潤ませる。これから涙袋まで凍り付くのに、そう時間はいらない。

 

 離れた場所では、大蛇が森の妖精(エルフ)に詰め寄られている。

 

「犯人を許せません。蛇様、犯人を渡してください。私たちの手で」

「だーかーらー、殺すなっつってんだろ。犯人は皮を剥いで羊皮紙にする。回復の薬か魔法があればいくらでも皮を剥げるからな。そいつの手持ち金が奪った金から足りなかったら、羊皮紙の売却費で娼館に補填しなきゃならないんだよ」

「蛇様! 私たちがどんな思いで日々を必死に生きているか知っていますか!」

「じゃあ娼館でも作れよ! 街で体を売ると危ないのがわかっただろ。魔法が使える奴は冒険にでも出ろ。なんなら牧場の従業員で使うぞ」

「娼館の場所がありませんわ!」

「空き家を勝手に使え! そんなこと俺が知るかっ!」

 

 少年はゆっくりと立ち上がる。蘇生の負荷は続いており、体が重たかった。それでも少年は動かずにいられない。彼の瞳は黒い炎で焼かれている。

 

「蛇様……」

「ああ、起きたのか。む……ああ、面倒くさい! エルフは解散! 娼館の件は後で担当者を寄越すから待機! 散れっ! おら、さっさと散れ!」

 

 不満をなめくじ並みに垂れ流し、美しいエルフたちは立ち去った。どこまで納得したのか知るところではない。

 

「ガキ、死んだ気分はどうだ?」

「二度目はご遠慮願いたいものです」

「死ぬ前と何か変わったか?」

「わかりません……少なくとも私は、大らかで優しい彼女を私利私欲で金を奪うためだけに殺した輩を、絶対に許しません。私自身が招いた結果なのですが、罪は断罪されなければなりません。私は私なりの私情を交えた方法で」

「お前、自分が何を言ってるのかわかってんのか? それはつまり、俺たちと同じ場所に堕ちるという意味だ。人間愛という下らない信仰を捨てて、人間を平然と殺害する異形種と同じ考え方になるが、それでもいいのか?」

 

 少年は右手にロザリオを握っていた。スルシャーナの紋章が記された銀の十文字。それを地面に放り投げ、足で踏みつけた。

 

「たっ、たた、隊長!?」

「ちょっと! 隊長! あんた、蘇生の後遺症でおかしくなってるんだよ!」

 

 即座に同隊員が慌てふためくが、少年の瞳に彼らは映っていない。

 

「こんなもの私には必要ない。これまでの信仰、神、教典、全て闇に葬る。そうでなくては、私は自分を許すことはできない。いや、それをしても彼女が帰ってこない限り、私が自分を許すことは永遠にない」

 

 今の彼は暴走するヤトと同じ、憎悪で瞳を漆喰に塗りつぶしている。心の亀裂には魔が流れ込み、蘇生されたのは敬虔な宗教家ではなかった。隊長は口角を歪める大蛇に詰め寄る。

 

「私はあなたが悪だと思っている。この先も好きになることはない。しかし、罪人を許すことはそれ以上の悪道だ。優しいあの人を無残に殺した者を、私は決して許さない! 彼女を殺した男は必ずこの手で殺す!」

「駄目だ。仲間を殺されたエルフも身柄を欲しがってる」

「私が捕まえてきます」

 

 隊長は剣を抜いた。唖然とする仲間が見えていないように、隊長の動きは自然であった。

 背中に伸びる長い髪を一束に、まとめて剣で斬り落とした。

 

「私は生まれ変わった。責任を取って私が犯人を捕らえる」

「隊長! そんなことをして、本国に知れたら――」

「私は漆黒聖典を抜ける。邪魔する者は叩き潰す。一人で暗黒の道を行く」

 

 ヤトの口角は歪んだままだ。同様に事の成り行きを歪んだ笑みで見たアルベドは、ヤトへ助言する。耳打ちを受けたヤトの口角は、さらに高く歪んだ。

 

「まあ、待て。八本指も組織を復興する資金を得たいので手柄を欲しがっている」

 

 ヤトは今回の事件の犯人、エルヤー・ウズルスの人相書の束を放り投げた。

 

「さあ、早い者勝ちのゲームをしよう。誰が犯人を捕まえるかで競え。俺たちが強力に後援する組織は、爆発的にその力を蓄えて王都を裏から支配する。隊長と八本指はどちらが早く犯人を捕えるか競え。八本指が勝ったら先ほどの話の通り、俺たちが支援する。隊長が勝ったら、組織のボスは彼に変わる」

 

 その場にいた全員がどよめきだした。

 

「俺は王宮で待っている。何やってもいいけど、犯罪に手を染めたら牧場送りにするからな。隊長、お前は一人だけどエルフかワーカーでも雇うか?」

「必要ありません。私は一人でもやり通します」

「そうか、せいぜい頑張れ。後はアルベドから説明を受けてくれ」

 

 アルベドはヤトと目配せをして、人間の彼らに微笑んだ。ヤトは彼女の隣を通過時、呟く声をかけてその場を去る。

 

「さっさと始めろ」

「ルールは至ってシンプルです。犯人をこの場に連れてきなさい。手段と生死は問いませんが、犯罪行為に手を染めるのはほどほどにしなさい。アンデッドを有料で貸し与えましょう。金貨が必要な方は貸付けますので申し出なさい。以上、解散」

 

 ゲームはあっけなくはじまった。八本指は我先にと蜘蛛の子を散らすように去っていく。

 シーツに包れた死体、信仰を捨てた少年、立ち尽くす漆黒聖典が残された。

 

「みんな……さようなら」

「あ、ちょ、たた、たいちょ――」

「待ってよぉおお!」

 

 少年の足は緩やかであった。彼らの表情を金色の両目が読み解く。さして興味のなかった漆黒聖典だが、アルベドには羽化する前の蛹に見えた。スルシャーナに捧げる漆黒の繭が、異次元の色彩を纏うまで今しばらくの時間がある。

 

 猶予をいかにして有効活用すべきか、王の妃は怪しく笑った。自らが最後に勝利するために。

 

 

 

 

 夜、ナザリックから取り寄せた食事をヤトへ配膳し、アルベドは破壊された扉付近の壁に寄りかかる。腕を組むと豊満な胸が持ち上げられ、淫らな色気を醸し出す。ヤトでなければ脳を焼かれていただろう。

 

「アルベド、どっちが勝つと思う」

「これは判断が難しゅうございます。八本指は自分たちの繁栄を固く決意し、想い人を殺された彼は執念に凝り固まっています。今ごろ八本指は王都で情報収集を行い、第一席次は王都を飛び出して行方を追っているでしょう」

「そうなの?」

「元より路地裏は八本指の領分。情報網がどれほど生きているかわかりませんが、漆黒聖典の第一席次は単身です」

「……隊長が負けたら他国で冒険者でもやらせてスパイ活動させるかな」

 

 アルベドは妖しく嗤う。左右に広がる裂けた口は、到底、アインズには見せられない。

 

「ヤトノカミ様。どちらが勝つか、私と賭けていただけませんか?」

「賭けるって、何をだ?」

「私が勝ったら、ナザリックの封鎖後、至高の41人の方々が帰還したらナザリック外で暮らすように取り計らってください。今の御身と同様に妻を娶らせ、人間国家で暮らさせるのです」

「……またその手の話か」

 

 ヤトは齧りかけたステーキを置き、頭を抱えた。彼女の愛という名の宗教も法国に負けずとも劣らない。ヤトとあれほどの激戦を繰り広げ、大蛇を瀕死に追い込みながら愛情に気を取られてしまい、あと一歩で脳天に大鎌を突き込まれるところだった。彼女は歪みなく、揺るぎもしない。初めから歪んで作られているからだ。

 

「んで、俺が勝ったら何をしてくれるんだ」

「はい、ヤトノカミ様が勝ったら、私の体を好きにして構いません」

「いーらーねぇぇー……」

 

 その場はいいかもしれないが、後の遺恨を考えると一つもいいことがない。何より、ベッド上で首をかっ切られそうであった。

 

「賭けは成立しないだろ、それじゃ」

「冗談ですわ。貞淑な妻は浮気を致しませんもの」

「……」

「ヤトノカミ様が勝った場合、ナザリックを封鎖して旅立つ準備を手伝います。私は至高の41人の捜索に全力を注ぎ、甘んじて御方々の帰還を受け容れます。ナザリック地下大墳墓こそ相応しき住処となるでしょう」

「ふむ……」

 

 ここで後の遺恨を断つのは悪いことではない。アルベドはプレイヤー視点で最も危険な存在。アインズを愛するが故に他の仲間と敵対するという、愛情を拡大解釈した魔女。賭けに負けても人間国家で暮らすように取り計らうのであれば、さほど問題ではない。切った張ったの展開にならないのであれば、あながちハイリスクとも言えない。これが公正な賭けであれば、だが。

 

「アルベド、お前、事前に何かしたな?」

「はい」

「はいって……イカサマじゃんよ」

「御身もスキルがございます。何もしないで勝負するのは愚行ですわ」

「つまり、何かはしてるけど、そっちも何かしていいよって?」

「はい」

 

 遊び人の固有スキル、《必勝法》は相手のイカサマまで見抜く。彼女が何かしてもスキルはそれを考慮して判定する。それで負けるはずもなく、アルベドの考えが分からずに沈黙で答えた。

 

「ご安心ください。私の解答は決まっておりますが、それが確実なのかは不明です。安心して賭けてくださいませ」

「……怪しいが、まあいい。遠慮なくスキルを使うからな」

「どうぞ。どちらが先に犯人を確保するか、スキルでご確認ください」

 

 ヤトは一枚の紙を取り出す。《先に王宮へ戻るのはどちらか》と紙に記入し、その下に八本指と第一席次と書いた。

 

「《必勝法》……見えた」

 

 結果は八本指であった。生まれ変わった少年が成果を上げると期待したヤトは、多少なりとも残念に思う。だが、スキルは絶対で、これまでも外れたことがない。賭けは成立し、ヤトは八本指、アルベドは第一席次に賭けた。表は後で書き直しができないように壁に貼られた。

 

「それでは、結果がでるのを待ちましょう」

「くれぐれも、これ以上のイカサマはしないように」

「はい、もちろんでございます。ですが、それは御身も同様だとご認識ください」

「わかってるよ」

 

 彼女はいそいそと退室した。

 

「さっぱりわからん。あいつは何を考えてんだ……」

 

 

 

 

 翌日の昼、元漆黒聖典第一席次が帰還した。顔は返り血に塗れ、引き摺る死体は彼がどれほどの制裁を加えたのか的確に、そして雄弁に物語った。

 

 エルヤーは物凄い力で首をねじ切られ、体中の骨を砕かれていた。左手に掴まれた頭部は大きな肉塊であり、辛うじて頭と判断できるのは髪が生えているからだ。顔の原型は幾ばくも残されてはいない。頭を除去された死体は右手で首を掴まれ、全身の骨を砕かれてくたびれた風船のようになっている。返り血を少しも拭くことなく、少年を目撃した民衆に悲鳴を上げさせた。

 

 勝利を得た少年は帰還を果たした。

 

 その表情は、今までの彼がしてきたそれよりも、遥かなる高みへ移ったかのように穏やかであった。

 

「遅くなってしまい申し訳ありません。罪人を確保いたしました。少々損壊が激しいようで、蘇生をお願いします」

「少々じゃねえ、やり過ぎだろ……とりあえずお疲れ」

 

 心中穏やかでないのはヤトである。エルヤーの死体など初めから興味が無く、隊長の心境の変化も今は後回しだ。どうあってアルベドに負けたのか納得できない。スキルまで騙す手腕が気になり、少年への対応よりも先にアルベドへ詰め寄った。

 

「おい、アルベド。何をしたんだよ、きたねえぞ」

「あら、おかしなことを仰ってますわ。私は賭けを終えてから何もしておりません。ヤトノカミ様もスキルをお使いになったではありませんか」

「ぐぬぬぅ……」

「嘘偽りなく、賭け終えてから何もしておりません。もっとも、負けても構わないと思っていましたが、ここまで上手くいくと拍子抜けです」

「説明を要求する」

「私はただ、彼らに耳打ちをしただけです。第一席次を取り戻したければ、八本指に犯人の情報を売りなさい、と」

「おかしくねえか……」

「彼らの行動に説明が必要ですね」

 

 アルベドは漆黒聖典第十一席次、情報収集役の占星千里に耳打ちしただけだ。彼女であれば対象の発見は容易く、躊躇わずに八本指へ情報を売るだろう。彼らは第一席次を見限った素振りもなく、未練のあるあの場でこそ効果があった。後は部下に指示を出し、第一席次が情報収集に立ち寄りそうないくつかの村へ手紙を送ればよい。

 ”八本指は犯人を捕えた”とでも書いておけば、宗教と人間愛を捨てた彼は八本指のアジトへ乗り込み、力で幹部をねじ伏せて標的を奪う。不明瞭な点が多かったが、どうやらうまくいったらしい。

 

 上手くいったのはいくつかの偶然が重なった結果であった。アルベドはヤトと賭けをしたのではない、自分の運に賭けたのだ。アインズの剛運に相応しき妻として自らの運を試し、策の成就を以てしてギャンブルで勝利を拾う。

 

 

 そうしてアルベドは敗北した。

 

 

 ナザリック地下大墳墓、至高の41人の暗殺に最適な場所は、言わずもがな大墳墓の最奥、それぞれに割り当てられた自室。微かな歯ぎしり音はヤトの文句で掻き消え、その美しい口元から二度と発せらない。ユグドラシルのスキルを過信した魔女の誤算であった。

 

「これは仮説ですが、スキルは短い未来しか予測できないのではないでしょうか。賭けが翌日、翌々日まで持ち越される長い賭けには不向きの可能性がございます。現に、スキルをお使いになったあの場では八本指の勝利だったでしょう。この結果………非常に残念でございます」

「そんな……ご都合主義な」

「これもまた、運命とやらの導きかもしれませんわね」

 

 アルベドは女神に相応しい笑みを浮かべた。理解はできたが納得はできず、大蛇の顔は不満そうであった。魔女の奸計は魔女のみが知るところである。

 

「くそぅ、負けた。なんて女だ、悪魔のような女め」

「お褒めにあずかり光栄ですわ。ナザリックの封鎖準備は既に開始しています。アインズ様が戻られましたら、これからのお話を」

「俺も早く仕事から解放されたいから、封鎖はまあいいんだけどな。おかげで仲間が戻ったら嫁探しを手伝わないといけないじゃないか。相手によっては婿探しだぞ。余計な仕事が増えた! メンドクセ! 女性陣三人の婿探しとか無茶言うなよ!」

 

 一人で盛り上がっているヤトに何も言わない。負けたくせにどことなく嬉しそうであった。

 

「ところでアインズさんは何してるんだ?」

「本日の午後、スレイン法国の会議室にて神官長たちへ反異形種派への対応を迫る予定です。明日は沈黙都市にてアンデッドの獲得、翌日はスレイン法国の国民を攫って自らの行いを突きつける予定です!」

 

 アルベドの声量が尻上がりになった。興奮しているのかと思いきや、表情は冷静そのものだ。なぜ叫ぶのか意味が分からず、大蛇は首を傾げる。第一席次が死体を引き摺って声をかけたとき、ようやく意味が理解できた。

 

「そのお話、本当でしょうか」

 

 血塗られた第一席次は、一切の感情が浮かばない顔でアルベドに聞いた。魚が死んでしばらく経つと、このように瞳の光が完全に消え去る。

 

「本当よ。あなたたちも協力してくれるのかしら? 同郷の人間を殺す必要があるかもしれないわよ。祖国と宗教に弓を引く可能性もあるわ」

「構いません。私は魔導国で暮らす人間の幸せのため、手向かうもの、刃向かうものを残らず殺します」

「おいおい、人間愛はどうした」

「反吐が出ます。彼らは思い込みと勘違いに凝り固まった正義を気取る真の邪悪、法国を中心とした人間世界の幸福のために他者を殺戮する彼らは制裁を受けるべきです。人は報いを受けなければならないと、あなたが教えたのです」

「それは結構。明日の正午、賛同する仲間を連れて王宮に来なさい。いなければあなた一人でも構わないわ。法国の反異形種派を、恐怖と絶望のどん底へ叩き落としなさい」

「畏まりました」

 

(まるで別人だな……入れ上げていた娼婦が死んだだけでここまで変わるのかよ)

 

 幼き精神が深い傷を負ったようで、彼の成長が危ぶまれた。腕を組んで彼の変化に思い巡らすヤトの視界の片隅、アルベドが嗤う。大蛇は彼女のすぐ後ろで呟いた。

 

「アルベド、お前、初めからこれを狙ってたんじゃ……」

「買い被り過ぎですわ」

「怪しいな……」

「私はアインズ様を愛する一人の女、御方の幸福のためだけに存在しています」

 

 愛に満ちた笑顔に押し切られたが、ヤトは彼女ならここまで想定していたに違いないと踏んでいた。その真意は定かでない。知らぬところで至高の41人暗殺計画がとん挫しているが、ヤトはそれを察することもないだろう。

 

 少年は血に塗れた顔で頭を下げた。

 

「大蛇様、私は他に用が無ければこれで帰ります」

「飯でも食いに行かないか?」

「申し訳ありません。折角ですが、私はまだやることがあります。恨みは晴らしましたが、彼女が帰ってこない限り、悲しみは永遠に続きます。最後までやり通させてください」

 

 自らの意思で毒を食らった彼は、血の足跡を滴らせて去っていった。

 

「変われば変わるもんだな」

「人のみならず、我々も変わるものです。私も変わらなければならないのかもしれません……」

「?」

 

 

 

 

 少年はその足で娼館へ向かう。鉄錆混じりの体臭を撒き散らす彼は、臭気に顔を歪める店長から入店早々につまみ出された。

 

「幾らなんでもそれで出入りされると困る」

「あの人は、いらっしゃいますか」

「あの人って誰だ……あ、君を相手した彼女か?」

「はい」

「悪いが接客中だ。嬢が一人減ったので店は忙しい」

「そうですか……私は彼女の墓参りに行きます」

「夜の墓場はアンデッドで溢れているぞ」

「ご安心ください。私は蛇様の足元に及ぶくらいには強いのです。墓場で彷徨っている程度のアンデッドには負けません」

「……一応、終わったら伝える。その後でそちらに行くかはわからんぞ」

「それで構いません」

 

 町はずれの共同墓地、夜になって彷徨っていたアンデッドは追悼の邪魔だと一体残らず殲滅された。霧の立ち込める墓地は不気味な静寂が支配する。

 

 少年は粛々とした雰囲気で墓に手を合わせた。

 

 共に自分を教育してくれた女性の片割れが花束を持って到着しても、黙とうに集中して気付かない。業を煮やした彼女はしゃがんで合掌する少年の肩を叩く。

 

「や、元気? あ、髪、切ったんだね」

「……失礼。集中していました」

「そう……」

「人は必ず死ぬ。だから私は、彼女のことを永遠に忘れません。悲しみを背負い、向き合い、そうやって彼女は永遠に生きていきます」

「ふーん……なんか変わったね、君」

 

 若い娼婦も墓前に手を合わせた。彼女の死体をアンデッド化する手段もあったが、隊長の脳内で即座に棄却される。こうやって話すのは最後になるだろうと覚悟を決め、少年は隣の彼女へ尋ねる。

 

「え? ごめん、もう一回言って」

「引っ越していただきたいのです」

「えー……それって結婚してってことぉ? 彼女が死んじゃったからそんな気になれないんだけど」

 

 目は変わり身の早い少年を責めていた。

 

「私の目が届く場所へ移動してください。大切な人が永遠に去るのは二度と御免です。私はそれ以上のことを求めません。あなたはそのうち愛するだれかと結ばれればいい。魔導国の人間とは、世界という名の箱庭で幸せを守られる存在であるべきです。私がどれほど神を信じても神には遠すぎた。だから、人間らしく仲間と大切な人を守るのです。どれほど汚いことに手を染めようとも」

「……重たいなぁ」

「やはり難しいですか……」

「ねえ、私がそれを断ったらどうなるの? やっぱり、そこまで考えてない子供のままなの?」

「ご安心ください。そうおっしゃられることも織り込み済みです」

 

 彼女は初めて少年に興味が湧く。それは、光を映さない漆黒の瞳が眩しかったのかもしれない。彼女の胸が少しだけ高鳴る。

 

「どうするの?」

「決まっています。私があなたの近くに住めばいいのです」

 

 女性が噴き出す音で雰囲気が緩められる。ねじが外れた空気は二度と締まらない。少年は笑う彼女の笑顔につられて微笑んだ。

 

「なあに、それ! あっはっは」

「私はまだ子供で、あなたとは釣り合う自信はありません。女性を囲うには若すぎるのです」

「ははは……はぁーあ、馬鹿だね。たとえば、私とあなたが交際したとしてぇ、全財産をむしり取られちゃうかもしれないよ? 近くに住んでたら余計にその可能性が高いでしょ。私が大事なのは恋や愛じゃなくてお金なんだから」

「望むのなら全て差し上げます。私は宗教家、お金は最低限だけあればいい」

「宗教、辞めたんでしょ?」

「今の私の神は、ここに立っている私自身です。信念こそ正義、平和を維持するために一人で国の暗黒面を担いましょう」

「ふーん」

 

 娼婦は立ち上がって少年の前に移動する。前かがみになって顔を近づけ、少年の顔を至近距離で覗いた。彼の表情は一変し、動揺をするのが楽しかった。こうして見るとやはり年相応のあどけない少年だ。娼婦はボブカットになった少年の頭髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。

 

「もっと女性慣れしないとね。経験豊富なお姉さんを口説くのは百年早いよ」

「善処します」

「よーし! 飲みに行くかぁ、少年! 君の奢りでね! あの娘の弔いだ!」

「はい、喜んで」

 

 

 少年が八本指の幹部と六腕を使い、ナザリックへ貢献するのは今しばらく先である。

 

 彼が悪に堕ちたのか、それとも新たな正義を手に入れたのか、それを判断するのは彼自身である。

 

 毒蛇(バイパー)に注入された猛毒は彼を侵し、改宗した漆黒聖典はアインズの手伝いをするべく、翌日の正午にスレイン法国に向かう。自らの正義という信仰と、人間の平和を守る大義名分に基づき、未だに六大神を崇める信者へ自ら浸された毒を打ち込むために。

 

 

 毒の甘さは食した者だけが知っている。

 

 

 

 

 





次回予告

希望が不定形のまま、執着と報復の邪神は無常の果実を望む。
七彩と黄金の夜会(サバト)は、秀でた知性で最上位者の存在を晒す。
最悪の鬼札(ジョーカー)は憎悪を呼び寄せ、夢の国(ドリームランド)から大蛇を補足する。
今日も今日とて箱庭へ太陽が昇り、生命の大樹に虹がかかる。

次回、「モモンガさん、世界征服しないってよ(モモンガさんとオリ至高(蛇))

最終回(完結とは言ってない)

『そこで生きるだけの奇跡』


「ねえ、あなた、名前は?」
「……ノワール……かな」



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