モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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超長い


そこで生きるだけの奇跡 ―詰―

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 

 

 二人のプレイヤーが降臨し、好きなように動き回り、手前勝手に暴れたい放題した結果、この国は他国の追従を許さない豊かさと楽しい未来を内包する大国へ変貌する。

 

 

 スレイン法国の完全従属化を終え、アインズは帰還した。途中、ナザリックで膨れているイビルアイを申し訳程度に機嫌を取ってから、仲良く手を繋いで転移する。到着早々に感じたのは王宮全体が暗い点と、アインズに対して誰もがよそよそしかった。イビルアイと手を繋いでいるせいかと思い手を放すが、彼女の機嫌が下降しただけだった。

 

 

 妙な臭気に誘われて、足は食堂へ向く。黒焦げにされた食堂を見て、落ちた顎も治さずに呆然としていると、背後で大蛇の気配がした。反省しているのは首を垂れているので分かるが、使用不能まで追い込まれて「気にするな」と軽く流せない。

 

 このままだと王宮勤めの騎士とメイド、その他の公務員は食糧難民だ。

 

「またお前か……」

 

 アインズはそれだけ言い残し、どこかへ去った。

 

 大蛇は何も言われないので逃げ出すべきかと悩む。

 

 十分後、執務室の荒れた様相を発見し、怒りを新たにしたアインズはなぜかイビルアイを肩車して戻った。再会の出会い頭に《心臓掌握(グラスプ・ハート)》を見舞われ、目が覚めると王都を一望できる眺めの良い場所にいた。空気の綺麗な異世界ならでは、王都が遠くまで見渡せる絶景であった。

 

 場所は王宮で高い塔、アインズの寝室がある棟だ。荒縄で簀巻(すま)きにされ、蓑虫(ミノムシ)よろしく宙づりにされていた。

 

「ヤト、一週間、王宮から外出禁止。反省のため、ここで24時間」

「フレイミングショットって知ってます? 酒に火をつけて飲むらしいんですけど」

「他の人間から聞いた。むせ返って竜王国の女王を火だるまにしたらしいな。食堂を火事にしただけでは飽き足らず、友好国の女王を燃やす馬鹿がどこにいる。料理長から正式なレシピを聞け、阿呆」

「すんません……」

「支配したアンデッドを総出で改修するが、お前は明日にでも女王陛下へ謝れ。土下座してこい。国交断絶されたらどうする。場合によっては体を使って許しを乞え」

「いや、ほんと、すんません……ミノムシの刑はちょっと勘弁を――」

「ソリュシャン・イプシロン、見張りは任せたぞ。私は食堂が封鎖して食事に困るものへ、周辺の空き家を使った臨時食堂を作らねばならん。くれぐれも、私の許可なく降ろさないようにな」

 

 ヤトの御付きをすべく転移したソリュシャンに与えられた最初の仕事は、王宮の従業員に兵糧攻めを企てたS級政治犯の監視だった。彼女は、三角形のとんがり屋根の上で器用にお辞儀した。少し顔の位置を動かせば下着が見えてしまいそうだ。大蛇は動かした顔を慌てて伏せた。

 

「蛇公、24時間、猛省せよ」

「おーい……そりゃないッスよー! アインズさーん!」

 

 遠ざかるアインズは、ヤトの遠吠えを黙殺する。こちらを見上げているイビルアイのもとへ緩やかに降下する彼は、それ相応に怒っていた。

 

「ヤトノカミ様、ちょうどよい機会なのでご相談があるのですが……」

「なに、ソリュシャン。下ろしてくれるの?」

「それはいけません。私が怒られてしまいますわ」

「うーん、そうだよなぁ……」

「実は、このところ胸騒ぎがするのです。私はここにいていいのでしょうか」

 

 大蛇は彼女の意図が掴めず、簀巻きにされたまま器用に首を傾げた。

 

 体調不良と聞いていたが、「ここにいていいのか」とはどういうことなのだろうか。

 

「原因不明の胸騒ぎがするのです。種族、職業のどちらによるものかと思いましたが、生憎とどちらも詳しくないもので」

「種族は不定形の粘液(ショゴス)だよな。なんだっけ、それ」

「とある神話にて、《テケリ・リ!》と叫ぶ、不定形の生命体です。スライムのようなものです。そういえば、アルベド様も……」

 

 アルベドのことを噂するのは危険と判断し、言葉の途中で口をつぐむ。幸い、簀巻きの大蛇には聞かれていなかった。

 

「うーん……詳しくないから、わからないなぁ。今でも胸騒ぎはするの?」

「いえ、今はしていません。どういう周期か不明ですが、前触れもなく始まります。自分がそこにいてはいけないような感覚です。何なのでしょうか……」

「何なんでしょう……」

「ヤトノカミ様でもわからないのですね……」

「ごめん……」

 

 蛇神の声が露骨に暗くなり、ソリュシャンは慌てて話題を転換する。

 

「ところで、簀巻きにされてぶら下げられるのはどんな気分ですか?」

「うーん……ミノムシの気分?」

「まあ、貴重な体験ですわね。流石は至高の41人、ヤトノカミ様」

「なんかふざけてない?」

「はい、御身の退屈を少しでも凌げればと」

「ありがとよ………ところで、好みの……あ、食べたいって意味じゃなくて、ソリュシャンにとって異性のタイプってのはどんなのだ?」

「ヘロヘロ様です」

 

 ソリュシャンはプレアデスの中でも柔軟な思考をしており、部下としては優秀だ。見た目はカールした金髪、ミニスカートを思わせるメイド服、瞳がくすんでいるのが唯一の欠点ともいえるが、人によってはそれさえも長所となる。

 

 精巧に作られた彼女の容姿に、ヘロヘロの思い入れが想像できた。

 

「じゃあ、ヘロヘロさんから人間食うなって言われたら止める?」

「勿論、止めます。お隠れになってからどれほどの歳月が流れても、作っていただいたこの体は永遠の誇りでございます。再び相見える機会があれば、私は二度とお傍を離れぬ所存です」

「そうなんだ……ラブラブカップルだな」

 

 胸に手を当てて空を見上げる彼女は、心なしか頬が赤いように見える。

 

 彼女のお陰で退屈せず、吊り男(ハングマン)は宙づりの24時間を終えた。

 

 

 これ幸いと、ラキュース邸宅は忙しい。

 

 

 聴診器というものはこの世界に存在しない。病、怪我、果ては死の治療まで、神殿が一手に管轄する。万病の治療を管理するので費用は張るが、そうでなければ神殿の神官、併設している孤児院の子供たちが食べていけない。勝手に病人を治療するワーカーと相容れることはない。神殿はラナー主導で公共事業化が計画されており、神殿の費用を抑える計画が動いていた。

 

 医者と呼ばれるものはナザリックにしか存在しない。

 

 ヤトが蓑虫のCostume play(コスプレ)をしているこの日、朝食を食べて一息ついたところでラキュースは目隠しされた。

 

 ナザリックから招かれた医者が入室すると、途端に寝室は花の芳香で満たされ、目隠しで強張った心が自然と解れていく。未知なる施術でありながら、目隠しをされた彼女は得体の知れない誰かに身を委ねた。

 

「レイナース、セバス様、どうして目隠しを?」

「ラキュース様。か……彼女は、少々、特殊な容姿を……いえ、恥ずかしがり屋なのでございます」

「失礼しちゃうわねん、私なんか正真正銘、純潔の乙女よん。お妃様にもみていただきたいわん」

「ニューロニスト様……ラキュース様の状況はいかがでしょうか」

「んもう、せっかちねん!」

 

 よりによってニューロニストであった。

 

 医療系の職業《神の手(ゴッドハンド)》を取得し、拷問部屋《真実の部屋(pain is not to tell)》の責任者、ナザリックに五つある最悪の一つだ。診察を終えた彼女は早々に連れ出された。顔をひきつらせたレイナースが代わりに入室し、ラキュースの目隠しを外す。ニューロニストがばら撒く花の香りは、レイナースでも思わず惚れてしまいそうなかぐわしさで、名状しがたい気分になった。

 

「お疲れ様、ラキュース」

「ふぅ、どうして目隠しなんかするのよ」

「あ、その、万が一ということも」

「何が万が一なの? 突然にセバス様と誰かを連れてきてなんの話?」

 

 アインズはセバスに「ラキュースの体調を確認しろ」と指示を出していた。セバスはペストーニャと比べてやや鈍感であったが、さすがの彼も気が付く。これは最大にして最高の吉兆であると。

 

 役目を終えたニューロニストを強引に転移させ、満を持してセバスは蛇の正妻の寝室へ入る。

 

「ラキュース様、突然に不躾な対応、失礼いたしました。御報告がございますので、落ち着いてお聞きくださいますよう、お願いします」

「はい?」

「おめでとうございます。ご懐妊です」

「……え?」

 

 束の間の静寂。ラキュースは笑いながら困るという複雑な表情を浮かび上がらせる。それに不安を感じたのはレイナースだ。

 

「ラキュース、嬉しくないの?」

 

 心の準備ができておらず、ラキュースは凍結(フリーズ)していた。彼女は珍客が屋敷を訪れるまで氷漬けだった。突然の呼び鈴でレイナースは退室していく。

 

 残ったセバスもまた、不安な顔でラキュースを見た。

 

「ラキュース様?」

「はい、嬉しいんですが……」

「何か心配事でございましょうか」

「……喜んでくれるかしら。彼はそろそろ旅立つ時期、そんな時にこの話をしてしまえば、彼はアインズ様と旅に出るのを延期してまで、ここにいてくれるでしょう。それは支配者の妻としてどうなのでしょうか……」

「ラキュース様………旅など後に回せばいい、あなたの胎内で新たな支配者、ヤトノカミ様の後継者が命の鼓動を刻んでいるのです。これは御二人だけの問題ではなく、ナザリックに所属する全ての希望となるでしょう」

 

 セバスは穏やかな笑顔、というよりは緩んだ笑みを浮かべ、ラキュースの背中に手を当てた。生命としての形を得ていないにせよ、モンクの職業上、彼であればまだ見ぬ蛇薔薇(じゃばら)の御子を探れるかもしれない。

 

 数秒。

 

 たった数秒だが、セバスの顔色は変わり、慌てて手を放した。額から水滴が滲み、寄り集まってだらだらと滴り落ちた。

 

「レベルが……1ではない………」

「どうなさったのですか?」

「はっ……」

 

 ラキュースの不安な視線を感じて我に返った。ラキュースのレベルは知っている。彼女はこの国では強者に分類されると、それは重々承知している。その前情報を考慮したとしても、感じ取った御子のデータは未だ胎児の形さえ成していないにもかかわらずレベル10相当だ。宿って間もなく、既にレベルが設定されている。

 

 そんな話は聞いたことがない。

 

(末恐ろしい……これが至高の41人の御子、世界の後継者ですか。アインズ様の御子はどれほどになるのでしょう……)

 

 セバスは感動と驚愕で鳥肌が立った。

 

「セバス様?」

「……失礼、嬉しさのあまり取り乱してしまいました。他に見たことも聞いたこともないくらい、非常に元気な子です」

「そうですか。やっぱり………あの人に伝えるのは後にしますわね!」

 

 満面の笑みだった。

 

 やはり身籠ったことは嬉しいらしく、つられてセバスも顔が綻ぶ。

 

「生まれるまで、まだまだ時間があります。彼らはこれから旅に出る身、余計なことを言って邪魔をしてはいけません。帰ってきたら、ゆっくりと話します。最初の旅路でさほど遠くまでは行かないでしょう……多分」

 

 「あの馬鹿ならいきなり遠方へ行きかねない」という含みがあった。

 

「しかし……ラキュース様はそれでよろしいのですか?」

「セバス様、心遣いありがとうございます。支配者の足を引っ張りたくありません。大人しくここで帰りを待ちましょう。護衛はお願いしますね、セバス様」

「畏まりました。お腹が目立つようになりましたら、ナザリックかご実家へ帰省することをお勧めします。今は栄養を取らなければなりません、林檎の皮でもお剥きしましょう」

 

 セバスはそのままラキュースに付き従う。レイナースは来客の対応に時間を取られ、未だに戻ってこない。ナザリック産、森の妖精(ドライアード)が作った林檎の皮を剥きながら想像を膨らませる。

 

(種族……私が見た、御子様の種族。《邪神の落とし子》とは……?)

 

 聞いたことのない種族に、期待していいのか心配していいのか分からず、考えに没頭しすぎて林檎の皮は際限なく剥かれ続けた。

 

 ラキュースは昼食を林檎で済ませる羽目になった。

 

 

 時間は僅かに巻き戻る。

 

 レイナースは応接間で来客の対応をしていた。妻としての振る舞いもすっかりと慣れたもの。彼らは応接間に通され、瞬く間に人数分のお茶が並べられた。蛇の絵が描かれているフリル付き白エプロンも立派に着こなしていた。

 

 お盆を膝に突き立てて、レイナースはゆっくりと腰を掛ける。バハルス帝国、現皇帝のジル、愛妾のロクシー、四騎士雷光バジウッド、お茶好き(激風)ニンブルはレイナースを上から下まで見ていた。

 

「本当にお久しぶりです、ジルクニフ皇帝陛下。今日はロクシー様、雷光と激風まで引き連れてどうなさったのですか?」

「久しいな、レイナース。ヤトはどうした?」

「彼は王宮で何かやらかしたそうで、天罰覿面(てんばつてきめん)中だとアインズ様から連絡が。しばらく戻ってこないそうです」

「やらかした……あのアインズ相手に好き放題できるのは、世界広しといえど彼だけだろうな」

「お恥ずかしい限りで……」

「いや、久しぶりに君と会えてよかった。レイナース、顔の色つやが良いようだな。剣の腕は磨いているのか?」

 

 再会を喜ぶ談笑は、いわゆる前座だ。彼らはなかなか本題に入らない。

 

 レイナースは確実に苛立っていた。ラキュースが懐妊しているかもしれないという有事の瀬戸際に、無駄な時間を取りたくない。女性同士で通じるものがあったらしく、ロクシーは彼女の引き攣る眉間を察した。

 

「陛下、本題に入りましょう。レイナース様は何やらお忙しいご様子です」

「う、うむ? そうか……レイナース、折り入って相談なのだが、アインズがもっとも大切とするものは何だろうか」

「ア……はぁ?」

 

 「アインズ様に聞け」と反射的に言いかけて止めたが、口が開いて一文字だけ物申していた。意図が分からずに怪訝な顔をしていると、ロクシーがため息を吐いて続けた。

 

「ロックブルズ様、下手に隠し立てしても仕方ありませんので、はっきり申し上げます。皇帝陛下は魔導王陛下とご友人になられたのです。ですが、陛下にはご友人という方がいらっしゃらないので、魔導王陛下とどうやって距離を詰めて良いのかわからないのです。そこで、もっとも近しい蛇様のご友人、そのお妃で旧知の仲のあなたに知恵をお貸し願いたいと、こうして事前連絡もなしに不躾ながら伺った次第です」

 

 「ジルに友達いないから、どうやって仲良くなればいいの?」ということであった。ロクシーとは顔見知りだが、帝国と魔導国で立場が違う身。その彼女がここまで腹を割って話してくれるのが不思議だった。

 

(帝国の立場は追い詰められていないと思うのに……どうしてだろう)

 

「……少々、表現が不適切であるが、概ね相違ない」

「友達、いないんですね」

「不適切だ……」

「陛下? どなたかご友人がいらっしゃいましたか?」

「不首尾だ……」

 

 ジルの顔はひん曲がってそっぽを向いていた。彼がこの顔をするときは困っている。かつて拾ってくれた恩があり、レイナースは自信のない脳みそをクルクルと回し、何か役に立てないかと考えた。

 

「アインズ様はなんと?」

「友人で構わん、と言っていたが、こちらへ心を開いているとは言い難い。女性関係で何らかの足掛かりを掴もうとしたが、虫の居所が悪かったのか怒らせてしまった。和解はしたのだが、依然として人物像が掴めていない。あれで本当に元人間か?」

「あの方は別格な気も致しますが……」

 

 レイナースの知能は決して低くない。その程度のことであれば答えは出ている。大蛇は情報を隠す素振りが無く、むしろ嬉々として情報を駄々漏れにする。食事中、ベッド上、雑談で、どこでもかしこでも彼は情報を垂れ流し、レイナースへ蓄積させていた。

 

「アインズは私との約束通り、帝国を融通するように采配をとってくれた。送られてきた属国化要件は帝国へ適切な便宜を図ったものだ。礼も兼ねて伺ったのだが、手土産だけでは心もとなくてな」

 

 ジルは恥ずかしそうに頭をポリポリとかいた。そうしていると、年相応の美青年に見える。友達が少ない、と前置きが付いているが。

 

「皇帝陛下、アインズ様と夫は仲間を探す旅に出ます。国を誰かに任せてまで探し出したいのです。もしかすると、国と仲間を天秤にかければ、仲間の方が重いのではないでしょうか」

「……そんなに、重要な仲間がいるのか? 家族や妻でもないのだろう?」

「陛下、元人間とはいえ今は異形種です。異形種の心を理解しようと思っても難しいです。独自の価値基準で物事を判断しているようです。蛇もそうですが、アインズ様も敵対者へ一切の容赦をしません。先日、頭に血が上ったアインズ様に、私は誤って殺されてしまいました」

「………え”?」

 

 ジルの返事が濁った。

 

 余計な一言で話題は彗星のように逸れていく。そこから1時間余り、法国とエルフ国の騒動を説明し、更に余計な時間を食った。レイナースは自らの失言を悔やんだ。

 

 帝国の知らないことは多く、彼らの会合は夕刻まで手を伸ばそうとしていた。

 

「まさかエルフ国まで支配し、レイナースが犠牲になっていたとは……この国では誰も安全を保証されていないのか」

「あれは事故でした。全て丸く収まるのであれば、支配者の妻の一人としてそれくらいは」

「まあ、素晴らしいですわ。その身を犠牲に夫とその国を守ろうとする、まさに妻の鑑です」

「ロクシー様、褒め過ぎです」

 

 ロクシーは会話の合間、ジルにとげとげしい視線を送った。話題を転換したからさっさと続きに入れと、小さい瞳が責め立てている。ここ最近の彼女は手厳しく、ジルの新たな悩みであった。

 

「レイナース、先ほどの続きだが、アインズの仲間とはそれほどまでに重要なのか」

「はい。ヤトもそうですが、アインズ様は人間を辞めてから仲間に固執しています。元いた世界では身寄りのない天涯孤独、大切な仲間と生き別れたアインズ様は、これから仲間を探す旅に出られるとか」

「そうか……彼も人間らしい一面があるのだな」

「元を正せばどちらも人間ですわよ」

「未だに信じられんよ。どうすればあのように世界に愛されるのだろうか。私も世界の恩恵を賜りたいものだ」

 

 正真正銘の本音だった。

 

 冷ややかな笑みが久方ぶりに浮かび、冷めた紅茶を口にした。

 

「陛下、失礼ですが、既に十分な恩恵を授かっています。アインズ様と敵対する法国、怒らせたエルフ国をみれば、アインズ様と友好関係にあるだけでどれほど幸運かわかります」

「彼らが帝国の近郊に飛ばされていれば、帝国こそが魔導国になっていただろうな。馬鹿の多い王国で助かったよ」

「帝国は人員を割いて仲間探しに尽力なさってはいかがでしょう。この先、アインズ様がいらっしゃる限り、戦争は起きず、兵隊も必要ありません。領内の村、街、大都市にアインズ様が求めている仲間の情報を流してはいかがですか?」

「どれほど効果があるのか不安だが、アインズの心が少しでも開かれればよい。都市国家連合にも協力を求め、そちらにも情報を流そう。手は多くそして長いに越したことはない。現在、聖王国とは交易がないのか?」

「そういえば、すぐ近くなのにそちらとは交易がございませんわね。アベリオン丘陵が邪魔なのでしょうか。海から迂回して行けば早いと思いますが、単純に興味が無いのかもしれません」

「それは朗報だ。この機にアインズの懐へ深く入り込もう。アインズが旅に出ているあいだ、法国と竜王国を交えた帝国・魔導国の領地を管理するのは我々だ。首都リ・エスティーゼからの距離でいえば、帝国は不利だからな。もっとも近しい聖王国と互いに無関心であるのならこちらにとっても好都合」

「……そういう本音は、私のいないところでお願いしたいのですが」

「……申し訳ない、忘れてくれ。気が急いてしまった。感謝するぞ、レイナース。この礼は必ず」

 

 ジルは立ち上がり、足早に退室しようと扉へ向かったが、誰もついてこない。

 

 不思議に思って振り返ると、ニンブルがナザリック産紅茶の美味しさに感動して身を震わせ、バジウッドは蛇の女性関係を面白おかしく揶揄い、ロクシーは仲間の情報をさらに深く聞き出そうとしていた。

 

「お前たち、何をしている。これ以上、迷惑を掛けるわけにはいかん」

「あら、事前情報は多いに越したことはありませんわ、陛下。ロックブルズ様、魔導王陛下の戦友に女性はいらっしゃらないのでしょうか。独り身であれば、帝国の皇帝を婿にいかがでしょうかとご提案は可能ですか? その方々の容姿も美しければ言うことなしですが」

「容姿……」

 

(あいつは、何て言っていただろうか……確か……)

 

「41人のうち、3人は女性です。容姿は話だけなので確証はありませんが、一人がとても凄いそうです」

「凄い? まぁ、蛇様が凄いと仰るので、さぞや素晴らしい美貌をお持ちなのでしょうね。世界を支配なさる方々の女性ですもの、女神のような方なのでしょうね。陛下、他の方に取られてはなりません。これから端正な容姿に更なる磨きをかけ、武と知、美貌までも兼ね備えた後継者を産まなければ」

「ロクシー! 口が過ぎるぞ!」

「帝国のためです」

「ですから……そういうお話は私のいないところで……」

 

 困り眉のレイナースに、これまで我慢していたバジウッドとニンブルは堰を切って質問攻めを始める。

 

「よう、レイナース、蛇様の女性関係はどうなったんだ? あれだけ強いと妾はそこら辺から拾ってくるだろう」

「雷光、奴はそういう輩ではない。どれほど人間に化けても中身は蛇だ」

「でもよ、強者は周りが放っておかないんじゃねえのか?」

「そんなことよりレイナース! こ、この茶葉はどこで入手した! 入手先を教えてくれ!」

「激風……相変わらずお茶で我を失うのだな……」

 

 レイナースが蛇の正妻ご懐妊の朗報を聞いたのは、深夜を回ってからだった。

 

 吉報はすぐさまアインズへ届けられ、彼は傾いた机に座って嬉しそうに祝ったという。

 

 簀巻きにされながら夜景を見ている蛇には知らされていない。

 

 

 

 

 それから7日後、指示されるままに必死で政務をこなし、ヤトの外出禁止令は解かれた。

 

 炎上する大蛇が跳ねまわって使用不能にした食堂は、代替えとして王宮近くの空き家を食堂として利用した。臨時食堂は、食堂の改修が終わってからもヤトが提案した会員制レストランとして利用される。茸頭の料理長と副料理長は、雇われた料理人志望の若者へ厳しい指導をしていた。

 

 日々、ナザリックで食事が必要なメイドのために通常業務をこなす料理長、副料理長は忙しく、教育時間の限られた中で順調に成長しているとは言い難い。

 

 この日、アインズとヤトが旅に出る打ち合わせを行うので、既に予約が入っていた。

 

 生憎と料理長と副料理長は時間が合わず、雇われ料理人たちは初めて自分たちだけで魔導王と蛇に接客するので、極度の緊張が全身を硬質化させていた。初陣で緊張するのは闘争に限ったことではない。

 

 執務が長引いてしまい、定刻より遅れて到着したアインズはゆっくりと扉を開く。

 

 異臭が鼻の奥へ突き込まれ、同時に誰かの叫び声がした。

 

「くっさっ! 臭いよ! なんだこれ! 汚物かオイ!?」

「ひっ、蛇様が試しに出してくれと仰ったのですよ!」

「俺か!? 俺が悪いのかぁ! ああああ! 鼻が! 鼻が捥げる! さっさと下げちまえ!」

「……なんだ、この臭いは」

「ま、ままま、魔導王陛下!」

 

 異臭騒ぎが起きていた。

 

 騒動の発端は常に大蛇である。刺激の強いものをと頼んだ彼の前に出されたのは、納豆、キムチ、とろろ、オクラ、ブルーチーズ、くさやなど、料理人が独自の裁量で選んだ刺激臭の強い食べ物を載せた丼だった。異臭は周囲の家屋まで浸透し、後日、近隣住民から猛抗議の怪文書が王宮へ届けられた。

 

 せっかく作った異臭料理は、料理人の(まかな)いへ回された。

 

 これも後日、判明したことだが、大蛇の基準で味はさほど悪くなかった。

 

「またお前かぁ! もう一度ミノムシにしてやろうか!」

「だって、刺激の強いものって頼んだらこれが」

「もうちょっとまともな頼み方をしろ、この糞馬鹿蛇野郎!」

「メニューないからしょうがないでしょ!」

「も、申し訳ありません、魔導王陛下! どうかお怒りをお鎮めください!」

「むぅ……みな、窓を開けてくれ。空気を交換しよう」

「はいっ!」

 

 雇われ料理人の若者は土下座せんばかりに怯えている。一同総出で窓を開け、空気の入れ替えを行うまで、アインズとヤトは本題に入れなかった。

 

 黒髪黒目の男は麻痺した鼻を治そうと、甘めの酒を飲み干し、黒いチョコレートを齧った。

 

「ふー……落ち着いた。それで、旅の打ち合わせってどこへ行きますか?」

「聖王国が無難だな。王都からもっとも近い都市で、仮に仲間がログインに失敗して同時転移したとすれば、この周辺にいる可能性が高い。最初は聖王国に冒険者として行ってみよう。こちらの政務は放置しても問題ない」

「誰がやるんですか?」

「ザナック第二王子、レェブン候、レイ将軍、他に貴族の数名で円卓を開く。評議国形式を見習って議員制にした。評議国を視察しておいてよかったよ」

 

 ザナック第二王子とレェブン候は王都へ招集され、大量の仕事が与えられた。当面の目標は、学校建設、闘技場建設、異形種都市の建設と、建設関連の仕事が多く、領内で油を売る人間は激減している。

 

 全てが終われば、アインズはあちこちのイベントで引っ張りだこになる。パンドラが提示した武闘大会、学校の開校式、クアゴアとドワーフの同盟都市で演説など、イベントの予定だけは積もり積もっていた。仲間を捜索する旅に出るに、今を逃すとしばらく難しい。

 

 アインズはレェブン候の話を思い出した。

 

 

「レェブン候、自領内の食料自給率が安定したそうだな。この分なら、余剰分を王都へ回して税金として使える。王都の国民すべてに無償の食料を提供するとまでは難しいが、自給率は向上する」

「帝都からお越しのフェメール侯爵のお陰ですよ。彼らが精を出してくれていますので、領民も落ち着いて暮らしています。あちらは私がいなくても問題ありません」

「そうか。安心して王都勤めができるな。家族はいつ頃こちらへ呼ぶのだ」

「明日には到着するでしょう。ここで生活の地盤ができれば、領地などフェメール候へ差し上げても構わないのですがね」

「子供はどうだ?」

「ええ、本当にアインズ様の御蔭で無事に懐妊いたしました。性別はまだわかりません。次は女児だといいのですが」

「生まれたら性別に関係なく連れてくるといい。魔法の祝福を授けよう」

 

 ザナック第二王子は最後まで王宮勤めに反抗していたが、狂気を帯びた妹に絡め捕られ、最後は泣く泣く服従した。

 

 

 

 レェブン候の回想から復帰し、反射的にヤトへ声をかけた。

 

「ヤト、ラキュースが……」

「なんスか?」

「ん……そうだな」

 

 懐妊はまだ知らせないでくれと、ラキュースの希望はセバスから聞いている。教えてやれば暴れまわる彼も少しは落ち着くだろうかと思ったが、やはり家族の話を勝手に話すのは気が引けた。魔導王とはいえ、自分は彼の幸福を願う一人の友人に過ぎない。

 

 それでも、想像すると肋骨内で期待が昂る。

 

 生まれてくる彼の子が、我が子のように楽しみだった。

 

「なんスか? なんか機嫌よくなってます?」

 

 アインズは咳払いで仕切り直した。

 

「私もこど……ゴホンッ! 聖王国ではモモンとして行動しようと考えているのだが」

「またですかぁー? そのまま聖王国も属国にしようってんでしょ? そういえば聖王国は女王でしたっけ? 女もついでにいただくつもりですね、このスケベ、変態、ケダモノ」

「……今、この瞬間、久しぶりにお前をぶん殴りたくなったよ」

「酷いなぁ。もう暑苦しい青春は御免ですよ。それより人間化アイテムは?」

「……思い出したくない」

「?」

 

 

 竜王国の女王、ドラウディロン・オーリウクルス。他に類を見ない、人間でありながら人間化する術が使える女性。

 

 先日、食堂でヤトにドレスを燃やされたが、火傷の程度は浅く傷跡も残らなかった。彼女はさほど怒っていなかった。土下座せんばかりにアインズの監視の前で謝らせられるヤトを見て、内心でほくそ笑んでいた。曾祖父の言う《生命の大樹育成計画》に、彼女は強力な選択肢(カード)を得た。

 

 蛇と子を儲けるに際し、魔導王の後援は最適な手段であった。

 

 協力を惜しまないと申し出た彼女に、パンドラは両手放しで飛びつき、人間化アイテムの開発は少しだけ進んだ。試作品は完成したが、アインズの心へ最新の心的外傷(トラウマ)を残していた

 

 あれは完成直後の王宮の執務室。目を輝かせて見守るパンドラ、期待するイビルアイとアルベドが同席した。試作品を掴み、アインズは杖状のアイテムを掲げた。体中が光に包まれ、目が眩んで何も見えなくなる。恐る恐る周囲を窺いながら目を開き、両手を確認した。骨だった手には確かな肉が付き、成功したようだ。

 

 しかし、視界に強烈な違和感があった。

 

「ふむ……パンドラ、視線が低くなっているな。身長が小さくなる効果でもあ――」

「モ……モモンガ様ァァァ!」

「うわぁっやはりこうなった! アルベドさん! 止まれ!」

 

 アルベドは闘牛が得意とする角を突き出した突進で、いつかのように押し倒した。イビルアイは高速を爆走する大型ダンプに飛び込んだように撥ね飛ばされ、運悪く窓を突き破って階下へ落ちていく。微かに窓の外から悲鳴が聞こえてきた。

 

 頭を打って動作と思考と視界が鈍る真っ只中、押し倒された自分の体は衣服がだぶついて大きさが合っていない。

 

 アルベドは肉のついた胸に顔を埋め、小さな体に舌を這わせた。パンドラが持ってきた鏡に映し出されたのは、イビルアイと同世代、12才から15才くらいの少年だ。誰だと思いながら体を捻ると、鏡の中の少年も体を動かした。

 

 どうやら身体年齢が若返っているらしい。

 

 事態は最悪で、アインズは第二夫人にマウントを取られてから状況を把握する。アルベドに新たな性的嗜好が生まれかけていた。淫魔は涎を垂らし、金色の瞳を見開き、御馳走を前に飢えた魔獣と化す。大胸筋の辺りへ這わせていた舌を引っ込め、少年アインズへ肉迫する。

 

 互いの鼻息がかかるほどの至近距離、顔を赤くするアルベドは美人だった。しかし、今は飢えた魔獣に相違ない。アインズはアルベドの額と顎がそれ以上進まないように押さえた。

 

「モモンガ様ぁ……いえ、モモンガくんとお呼びした方がよろしいでしょうか! ああん! もう! 我慢できないぃぃぃ! いただきまぁぁす」

「パンドラァ! アルベドを引き剥がせ! ぶちのめせ!」

「お、おぉ、これはまさか謀反! 愛にも越えてはならない一線がある! ……ということでございますね。お任せあれ! このパンドラズ・アクター、至高の御方々の頂点、アインズ・ウール・ゴウン様のため、主神の正妻であろうと剣を交えてみせましょう! いざ、アルベド殿、正妻の一人であろうとも容赦は致しません! 尋常に、勝負を――」

「パンドラァァ! 早くしろぉぉぉおぉおお!」

 

 パンドラの芝居がかった長台詞のおかげで、事態は危機的状況に陥っている。全力で王宮を駆け上がって再登場したイビルアイが、アインズを着ていた服から引き抜く。当然、サイズの合っていない装備品は脱げてしまい、少年は全裸になった。裸の少年を連れて屋外へ逃げ出し、アルベドが恐ろしい形相で追いかけるという騒動に発展した。

 

 アインズの中で重度のPTSDが発症していた。間違いなく少年の裸体は大勢の人間に見られている。思い出すだけで精神の沈静化を要するほどに恥ずかしくなった。

 

 

「これは…………大幅改良中だ。子供になる」

「ふーん……それは残念。やっぱり虹色の知恵が必要ですかね」

「いや、パンドラの調整次第だろうな」

「ねえ、それ貰ってもいい?」

 

 いつの間にそこへいたのか、番外席次が物欲しそうにアイテムを見ていた。自然に彼女は同じテーブルに座り、ヤトが眉をひそめた。

 

「何に使うのだ」

「お前はまだガキだろ、見た目が」

「使うのは私じゃないよ」

 

 意味ありげに笑い、アインズとヤトは不思議そうに顔を見合わせた。

 

「使っても構わんが、それは試作品の使い切りアイテムだ。人間化は一度しかできんぞ」

「わかった。ねえ、私も何か食べていい? お腹空いちゃった。お持ち帰りもできるのかな?」

「何かって……まだ料理人は修業中だぞ。あまりこき使うなよな。つーか、金は持ってんだろうな」

「へーきへーき」

 

 彼女は杖を大切に仕舞い、料理人へ注文するべく席を立った。

 

「はんばあがあ、たくさん作ってよ。余ったら持ち帰るから」

「は、はんばあがあ……おい、はんばあがあなるものは何だ?」

「あ、先輩! この《メルティ・リッチ》ってやつじゃないですかね!?」

「わからないの? じゃあ取りあえず肉焼いてよ。お腹空いちゃった」

「は、はい! すぐに!」

 

 厨房は一気に忙しくなったようだ。

 

 顔を戻したアインズとヤトは、旅の話へ戻る。

 

「八欲王の空中都市を視察したいのだが」

「お宝、埋まってそうですもんね」

「当面の目標は視察だ。入口に門番のガーゴイルやゴーレムがいると面倒だからな。本格的な攻略は誰かが帰ってきてからでも遅くはない。時間はたくさんある」

「バンガイは連れて行くんですか」

「あ、私は次でいいや。ちょっとやることあるから。法国にも顔を出さないと、あの子(責任者)たちだけじゃ色々と大変でしょ」

「肉焼けるの早くね?」

 

 彼女の持ってきた皿には肉汁滴るステーキとパンが載せられていた。熱せられた鉄板で肉が焼ける音と、香り立つ肉の匂いが食欲を刺激した。口内の涎を誤魔化すように、ヤトは酒をあおった。

 

「番外席次よ、執務室にシャドウ・デーモンを潜ませている。彼に言えば転移魔法が使える。移動はそちらへ頼むといい。移動時間が無くなる」

「わかったわ」

 

 それから彼女は食うことに精を出し、ヤトは酒瓶を交換しに行った。

 

「そういえば、ラナーはあちらで上手くやってるんでしょうか」

「問題ない。内務の確認はしたが、アルベドと遜色ない。この分なら、あちらは確認だけすれば問題ないだろう」

 

 現在、ラナーはアルベドに代わってナザリックの政務に従事している。衣食住の保証をしてくれれば報酬は必要ないと、本人から希望があった。それだけでナザリックからすれば十分な利益がある。相互利益の共生関係が成立したが、現地を生きている人間で彼女こそが欲しいものを全て手にしたと言える。

 

「クライム……ああ、私の可愛いクライム。もっと私を見てください。あなただけの女王を」

「ラナー……今日もお美しい。目が眩んでしまいそうです」

「ふふっ。その輝く瞳に私を映して。私だけを永遠に輝かせて」

 

 今日も貸し与えられた私室でクライムを飼い慣らしている。

 

 蜜月はまだまだ続きそうだ。

 

 

「なーんてことをやってるんでしょうね、あのバカップル」

「しかし……これで良かったのだろうか……倒錯した愛を助長させてしまった責任を感じる。とてもランポッサ三世には話せないな」

「いいんですよ、本人が良いなら。暗黒聖典だって法国を捨てたでしょ」

「あ、そういえば、第一席次はまだ怒ってたよ」

 

 番外が口の端にソースらしきものを付着させ、思い出したように顔を上げた。

 

「何が?」

「あ、来た」

「何がではありません……」

 

 噂をすれば影が差す。

 

 大蛇と少年の相性は悪い、というよりかえって仲良しに見えた。

 

 第一席次の少年は元漆黒聖典の同輩、六腕、その他の元八本指幹部を伴って店を訪れた。公共の息がかかった悪の組織のボスである少年に会員権は渡していた。会員の紹介なら入店可と言ったが、ここまで大勢連れてくるとは思わなかった。

 

「おい、人が多すぎるぞ、お前馬鹿か。つーか、いつまで俺と同じ服着てるんだよ。真似すんな」

「あなたもしつこいですね、蛇だからですか? 以前にあなたが私の財布から買った服です。使い込んだ金貨と銀貨を御返却してもらってませんが、何か問題でも?」

「じゃあ、離れて座れ! おら、行けっ! さっさと行け、糞ハゲども! ぶっ殺すぞ!」

「みんな、大丈夫だ。お金は気にせず自由に飲んでくれ」

「さっすがー! ありがとうね、ボス!」

 

 エドストレームを初めとする女性陣は、新組織に順応しているようであった。六腕と他の幹部、エドストレームと漆黒聖典の女性、漆黒聖典の男性と、三つの卓へ分かれていった。

 

 ただし、第一席次は大蛇の隣に座る。

 

「なぜ仲が悪いのに隣に座るのだ……いつからこのテーブルはレベル100専用になった」

「どこに座ろうと私の自由ですよ、魔導王陛下」

「他の席も空いてんだからそっちいけよ。つーか、会員制だからって部下をまとめて連れてくんな、アホ。俺はお前らの付けは死んでも払わないからな」

「私は正規会員です。先日、あなたが勝手に決めたんですよ。何か問題でも? また殴り合いで決めますか?」

「お前、俺に勝ったことないじゃん」

「装備が違うのですから、それも当然の結果でしょう。本来の装備であれば、あなたと対等に打ち合えるはずです」

「一度死んだくせに口の減らない奴だな。負け惜しみはもっと上手く言え」

 

 彼らの口論は取り留めがない。敬虔な宗教家を捨てた少年は、相変わらず蛇が憎らしかった。常に一矢報いてやろうという考えがまとわりつき、突っかからずにいられない。さながらデミウルゴスとセバスであった。

 

「バンガイよ、何かあったのか?」

「ああ、それはね―――」

 

 

 

 

 アインズは復興させた“八本指”を、“八岐大蛇(やまたのおろち)”と改名させた。

 

 公共の息がかかった新組織、“八岐大蛇”の頭目、元漆黒聖典第一席次の少年は組織の頂点で采配を振るう。実年齢こそ若いが、彼のレベルは100でそれなりに修羅場を越えている。エルヤーを巡る一件で、六腕のゼロは彼に一撃で殴り倒され、数日間も生死の境を彷徨っていた。それ以来、実力への評価は高く、復興した彼らの商売も順調だ。

 

 階層ピラミッド(ヒエラルキー)の頂点、少年の頭上に蛇がいなければ、まだ幼さを残す彼を懐柔して売り上げを誤魔化せるので、幹部からすれば言うことなしだ。復興から数日後、視察にきたヤトはボスの机にふんぞり返り、売り上げの数字を確認していた。

 

 眼鏡を外したヤトは開口一番こう言った。

 

「売り上げが悪い」

 

 瞬間、少年の眉間に皺が寄り、額には青筋が立ち、噛み合う歯がギリリリと鳴った。

 

 八本指の幹部が管理していた縄張りは、特に問題なく復興ができた。元より八本指のボスや縄張りを管理していた幹部がどこへ消えたのか市民には知らされておらず、彼らの蘇生によって管理する縄張りはすぐに息を吹き返す。

 

 ナザリックの資料を参考に復興を手伝い、彼らは以前よりも力をつけている。裏組織が力をつけるには、国民全体が豊かな国に根を生やせばよい。もっとも効率よく財と力と情報網を構築できる。

 

 賭場は遊べる遊戯の種類が格段に増え、鉄火場は遊戯する国民で溢れている。

 金融は金利を少しだけ下げて大きく貸し出し、多重債務者を様々な用途で利用する。

 奴隷は罪人や多重債務者、魔物、アンデッドなどを調律して販売する。

 暗殺は依頼を受けて対象を殺害する、とその前にひと手間加え、対象者へ全財産を没収されるか命を取られるか選ばせた。相手がどうしようもない屑でない限り、亡命する国家は複数の選択肢がある。

 

 唯一、警備にはまともな人材がおらず、六腕の部下は使い物にならない雑魚ばかりであった。しばらくは漆黒聖典でも対応できるが、仕事が増えると手が足りなくなる。

 いずれは雑魚に装備を貸し与えて地下ダンジョンへ放り込み、生きて帰った者を採用する目途が立っていた。

 

 数日間の営業で売り上げの目途は立っていたが、ヤトの顔は難色を示した。

 

 先の見えない短絡的な顔を見て、頭目の少年が怒るのも無理はない。

 

「こちらはあなた達に搾取されるとわかっていながら頑張っています。何か問題でも?」

「売り上げが、悪い……」

「たかだか数日しか経っていませんが」

「悪い……」

「いい加減にしなさい!」

「うるせえな、だいたいお前はなんで俺と同じ服着てるんだよ」

 

 ヤトは穴の開いた黒ジャケットに黒シャツ、奇遇にも喧嘩する少年は同じ服を着ていた。違うのは靴だけで、少年は先の丸い革靴、ヤトは先の尖がった紐付きブーツだ。ボトムも似たような色で、衣装だけで見れば兄弟に見えた。

 

「あなたが私のローブを捨てて、この服を買ったのですよ。しかも、私の財布から。この服を着ることに何の問題があるのですか」

「新しい服買えよ、アホ」

「そんなことよりも、私の新組織を馬鹿にしないでいただきたい! 普段、我々がどれほど頑張っていると」

「売り上げが全てだ」

「ならば、しばらく経つまで待ちなさい! まだ数日しか営業してないでしょう!」

「俺の予想だと、以前の八本指のひと月分の売り上げくらい行くと思ってた」

「机上の空論ですね。知能の足りない蛇公の言いそうなことです」

「んだとコラ」

「何ですか? 喧嘩なら買いますよ?」

 

 暇を持て余している護衛の番外席次が、外で待機するのに飽きて呼びに来るまで、“八岐大蛇”の頭目とナザリックの小悪党(チンピラ)は口論を続けた。少年は新たな使命と立場をくれた魔導王に感謝していたが、ヤトには微塵も感謝していなかった。

 

 彼が尊敬するに値する人物は、この世界に存在しない。

 

 互いに相容れることなく、堂々巡りの無意味な口論に辟易し、六腕と幹部は立ち会う必要なしと判断してその場を去った。

 

 番外席次が二人の脳天に拳を付き下ろすまで、彼らは一触即発の喧嘩を続けていた。

 

「……と、いうわけなのよ、王様」

「そうか、仲良しだな」

「でしょ!? 私もそう思うのよ!」

「喧嘩するほど仲がいいというが、少年と喧嘩するヤトの精神年齢が危ぶまれるな」

「馬鹿だよねー、二人とも」

「ところで漆黒聖典の隊員は十二名だっただろう。人数が少ないのはなぜだ」

「ん、法国から家族を連れて王都に引っ越してくるんだって。家庭持ちは留守だよ」

 

 そこから大きく離れた席、組織の女性陣が陣取る席は盛り上がっていた。彼女らの引率者、エドストレームは拳を握って小さめに叫ぶ。

 

「陽光聖典の若い子、可愛かったわぁ。あんたたちも手をつけちゃいなよ!」

「えぇ……勘弁、してよぅ」

「あんた、その反応はもしかして処女? いやだねぇ、元とはいえ宗教家って潔癖でさぁ。男遊びもしないで何が楽しくて生きてるんだか」

「楽しいことは他にもたくさんあるわよ!」

「なに?」

「う……た、たとえば………押し花?」

「女はね、求められていれば輝くのよ、おほほほ。だいたい、そんな膜、さっさと捨てないと蜘蛛の巣はっちゃうよ?」

「たいちょう……いつか、私が正しい道に戻してあげるから……」

「あんたさ、それだけは止めときな。いい人がいるんでしょ、ボスにはさ」

「グスン……」

 

 猥談するこちらとは違い、六腕を交えた幹部たちは組織の奪取を虎視眈々と狙っている。

 

「ゼロ、お前、あとどれくらい強くなったらあのガキを殺せる?」

「せっかく蘇生されたのに売上を搾取されるなんて冗談じゃない。何とかしてくれよ」

「無理だ……」

 

 少年に倒されたゼロはすっかり弱気になっていた。サキュロントとマルムヴィストは、口々に不満を言う幹部を冷ややかな目で見ていた。

 

「元ボスさんよ、何が楽しくて連中に逆らうんだ。裏切るなら俺は降りるぜ」

「そうだよなぁ……このまま売り上げが上がれば、奴らに半分とられても前より羽振りが良くなりそうだし」

「お前ら面子(メンツ)ってもんがねえのかぁ!」

「ない」

「ないな、命と金が大事だ」

「だいたい、あのガキ。ゼロを一撃で殴り倒してよ、数日間も目を覚まさないんだぞ」

「二度と御免だな。それに、俺は今の方が強い。この妙な形をしたナックル、一撃で壁に穴をあけた」

「お前ら………」

 

 六腕のゼロ、サキュロント、マルムヴィストを除く幹部の顔色は悪かった。諦めが人を殺すというが、六腕は息を吹き返したようだ。

 

「一人師団、魔獣は集まったかい?」

「まだまだだ……バジリスクが一体いるが、手が足りない」

「妹はどうしたのかね」

「私に妹はいない」

「いや、双子の妹が」

「裏切り者がね」

「うるさい! あんな奴、私には関係ない!」

 

 大声をあげたクインティアは、番外席次に睨まれて大人しくなった。

 

 場はレベル100のテーブルに戻る。

 

「まったく、あいつら騒々しいわね」

「あまり睨まないでいただけませんか……」

「あ、そういえば、ジエットが入学させる予定の子供たちを見に行って身ぐるみ剝がされたって、聞きました?」

「話だけ聞いたが、あれはどういう状況だ」

「孤児院の子供はソウルイーターを使役するギャング団ですよ。ジエットは戦いの力はついてないし、悪戯の延長で服を脱がされたんでしょ」

「哀れな……」

 

 ジエット主導で学級崩壊しては困ると、新たな懸案事項であった。ジエットの学友、パナシスの妹のネメルが同行していなければ、ジエットは全裸にひん剝かれてアインズと同じ心的外傷(トラウマ)を作っていたに違いなかった。

 

 孤児院のマスコットキャラクター、魂食い(ソウルイーター)は子供を可愛がるという職務を全うしたに過ぎない。今ごろ、王都の神官長は彼の白骨体へ磨きをかけているだろう。

 

「ナザリックから体罰用の講師を呼ぶべきかと検討するか。孤児院にはユリが出入りしているからな」

「そういえば、虹色を最近見ませんが」

「私を呼んだかね、蛇神」

「元気か、馬鹿蛇」

 

 七彩の竜王の化身、虹色の少年が曾孫を連れて食事に来ていた。

 

「お前らどこかで自分たちの名前が呼ばれるのを待ってたんじゃねえだろうな……」

「会いたがっているならそう言えばいいのだ」

 

 二人はさも当然に腰かける。ドラウディロンはヤトの隣に小さく腰かけ、飲んでいるグラスの匂いを嗅いだ。

 

「当然のように隣に座んな。あと、俺の酒に触んな」

「いいじゃないか。同じ戦場で肩を並べた仲だろ」

「国に帰れよ」

「ロリコンが待ってるからいやだ」

 

 

「七彩の竜王、ツアーは何をしている」

「彼の本体が昼寝すると全身鎧は支配から逃れ、無造作に床へ転がるようだ。先ほど部屋を訪ねたが、動く者の気配はなかったので本体が昼寝しているのだろう」

 

 ツアーが全身鎧を操り、王都を訪れたのは今から二日前のこと。到着早々、番外席次と第一席次の少年がプレイヤーの子孫だと聞き、彼はスレイン法国の神都へ始原の魔法(ワイルドマジック)を打ち込みかねないほど怒っていた。

 

「500年前の盟約が裏切られたよ。酷く気分が悪い。私はこれから法国へ向かう、竜王を舐めた罪、その命を以て贖いを――」

「ツアー、落ち着け。一体、何だというのだ」

「プレイヤーの血は世界を汚す。調和を乱すプレイヤーの子は乱立させないという盟約を彼らの祖先と結んだのだよ。それなのに、ここには二人もプレイヤーの子孫がいる。一人はエルフと混血で長命種だと……これを裏切りとせずに何とする。絶対に許さな――」

「おーい、ツアー。財宝持ってきたぞー」

「……」

「あん? なんだ、どうした? いらないのか?」

「……見てからにしようかな」

 

 やはり竜の特性には逆らえないようだ。怒り狂って暴れ出しそうであった自称世界の守護神は、法国から奪ったアイテム一つ一つを楽しそうに値踏みしていた。

 

 勝手にコレクションを持ち出され、黙っていられないのはアインズである。

 

「ヤト! おまえ、それは法国から奪った私のコレクションだろう!」

 

 そこで激昂する人物が入れ替わった。

 

 混迷する事態を治めたのは旧知のイビルアイであった。

 

「ツアー、いつまでもこだわってどうする。私の夫に余計な手間をかけるな。怒るぞ」

「おこ……そうか、インベルンのお嬢ちゃんは怒るのか……」

「お嬢ちゃんじゃない! 一人の良妻だ! いつかは賢母が付く!」

「……キーノ、アンデッドの君には難しいだろう」

「人間化アイテムが開発されれば、私とサトルを人間化して良妻賢母になるのだ!」

「あー……そっか……そういうことか……イビルアイにも使えるんだったな。アインズさんも子供欲しかったんだね」

「違う。アイテム開発はお前が勝手にパンドラへ指示を出したのだ。それより、コレクションを返せ!」

「いいじゃないスか、これで全部丸く収まるんだからぁ。ケチケチすんな魔導王」

「君たちは騒々しいな……」

 

 ツアーの怒りは何となく収まった。

 

 今度はアインズの不満が順調に伸びていき、ツアーと魔導王のあいだで盟約が結ばれた。

 

 「財宝は独り占めしないように」と。

 

 通りかかった虹色は、「俗物どもめ」と一言だけ言及して興味を失った。彼の部屋はナザリックから持ち出した本が積み上がり、用がなければ部屋から出てこない。

 

 何らかの会合や相談事で知恵を借りることもあるが、作業の分担を終えた現状、彼の日課は読書一択だ。彼の弟子、太った竜のヘジンマールは、お下がりの本を庭で読み耽っている。

 

 見た目で損をしている知恵者は、部屋が与えられなくても貴重な本を入手できて満足しているようであった。下手に虹色の部屋を訪れようものなら、体重で部屋が揺れて本の塔が倒壊し、論理的な説教でやり込められてしまう。読書の合間に人間たちの評議で知恵を求められ、上位者として相応しき知恵と態度で臨んだ。

 

「リグリットを呼び出して旅に出るか悩んでいたな」

「あれ、常闇はどうしたっけ?」

「穴掘って埋めてたわよね?」

「竜王を生き埋めにするとは……魔導王陛下にしかできませんね」

「勘違いをしないでほしいが、彼がそれを望んだのだ。あそこまで太陽を憎むのは、過去に何らかの逸話を感じさせる。今は光の差さない地下で眠っているだろう。地下ダンジョンの隠し扉を開くと彼の場所へ行ける。問題は食料なのだが……七彩の竜王、闇の中で自動生成する茸でも食べて、繁殖する家畜を作る必要がある。そんなもの、この世界にあるだろうか」

「ふむ、真偽に関係なく地下洞窟の逸話はそこかしこに転がっている。調べれば類似する伝聞くらいは出てこよう。暇なときにでも探しておこう」

「暇なときって、お前、いつも暇じゃん」

 

 これがヤトの失言であった。

 

 虹色の少年の眉がピクッと痙攣する。最高度の知性を誇る虹色は、王都で知識を格段に増やしていた。ナザリックの書物が与える知識は彼の饒舌さを向上させ、蛇にとっては違う意味で天敵となりつつあった。

 

「蛇神、脳は見た目以上に電気信号を消費している。表面だけで暇だと断定するのは、君の知性がそれだけ浅はかなのだ。以前より考えていたが、君は自身への理解が足りない。自己啓発の本をいくつか見繕っておく。それを読んで少しは成長したまえ。運命は君を必要とするかもしれないが、君にその器がなけれ――」

 

「わかったわかった! もういい! 一言が十倍になって返ってくるんだから……ったく」

 

「待ちたまえ、まだ話は終わっていない。君から吹っかけた喧嘩だ。君には私の話を聞く義務がある。私と黄金の魔女は、君の存在こそが世界の終末を紐解く鍵だと仮定している。そもそも、君は自身の種族をニホンのヤトノカミだと断定しているが、それは誤りではないのかね。先日、読んだ神話体系に酷似した種族を発見した。シーザルフ神話、と読むのか不明だが、その神話に出てくる蛇神イ――」

 

「もういいっつってんだろ! 酒の席で小難しい話をするなっ! ドラ公、何とかしろよ!」

 

 悪戯が見つかった幼女は体を跳ね上げた。彼女はヤトの飲みかけたグラスを奪い、ちびちびと嗜んでいる。幼い容姿で頬を赤く染め、口元が緩み、行き遅れただらしない淑女の顔をしていた。そうやっていると、竜王国の玉座の間で色気に見とれたのは何かの間違いだったと断言できた。

 

「おまえはお前で俺の酒を飲むなよっ!」

「……美味しい、このお酒。ふぅー」

 

 幼女は酒の臭いがする吐息を吹きかける。

 

 ダメージとステータス異常は起きなかった。

 

「いいから、さっさと、返せよ」

「ふん、奪い取ってみなさいな」

 

 グラスを奪おうとする幼女と馬鹿の小競り合いが始まり、アインズはため息を吐いて虹色を止めた。彼は放っておけば幾らでも話していそうだ。

 

「七彩の竜王、その話はまた今度にしてくれ。今は旅立ちの打ち合わせ中だ」

 

「む、そうか……なるべく早急に時間を作りたまえ、魔導王。北欧神話とは世界の終末に立ち向かう神々の物語だ。主神オーディンは世界中から神々を集結させ、来たるべき最終戦争ラグナロクに備える。しかし、集った神々は最終戦争に為す術もなく次々に滅んでいく。魔導国に人が集まっている様相は、北欧神話の集結する場面と類似点が多い。主神にあたる君が、数多の浮名を流している点までご丁寧にも酷似している。心せよ、この世界が北欧神話の原理に基づいているのであれば、いずれ必ず最後の戦い、即ち、ラグナロクの足音が聞こえてこよう」

 

「興味深いが、今はそんな話をする気になれない。わかったら二人とも別席へ移れ。番外と第一席次もこれだけ広い店で一つのテーブルに密集するな。せめてそちらの卓へ移れ。私たちは旅の打ち合わせをしなければならないのだ」

 

 思惑はそれぞれだったが、机の移動に関しての感想は“不満”で一致していた。アインズの周りには放っておいても人が集まる。二人になった自分の卓を見て、蛇と骨はため息を吐いた。

 

「なんか疲れた……」

「私もだ……全然、話が進まん」

「おーい、料理人、新しい酒持ってこーい」

「人が集まるのも考え物だな……私は、41人だけ集まればそれでよかったが……」

「人気者は辛いッスねぇ。三人の竜王も好きなもの手に入れられて喜んでるし」

 

 彼らは忘れているが、竜王は四体いる。霜の竜王(フロスト・ドラゴンロード)はアゼルリシア山脈とドワーフ・クアゴア国を行き来する定期便、時にはタクシー扱いされている。

 

 人使いが荒く、彼は燃費の悪い自分の体に疲れていた。養う食費も馬鹿にならず、アインズは人化するアイテムができたら貸し与えると約束し、今日も彼らは霜の竜王(フロスト・ドラゴンロード)便として飛び回る。

 

 彼らを重宝しているドワーフ、クアゴアの評判は悪くなかった。

 

 クアゴアは土を掘ることに関しては他の追従を許さず、数十名単位で各地の鉱山の採掘を手伝う目途が立っている。次期氏族王が歴史に名を遺す最強の王になると信じて疑わず、余計な諍いをせず、他種族とも争うことなく炭鉱都市計画、貴族の炭鉱採掘の人員調整の会議が行われている。元より、彼らは雑食だ。食料問題で頭を悩ませる必要もなかった。

 

 あとはルーン技術の開発だが、そちらは時間が解決してくれるだろう。ゴンドを筆頭にルーン工匠たちは腕を磨いている。ドワーフ王都は返還されたが、クアゴアが占拠している都市の返還は、彼らの移住先が建設されるまで延期された。摂政会はとても喜んでいるという。

 

 

「思い出した、お前が考案した残酷にして残忍極まりない人間牧場だがな、アベリオン丘陵の小さな森へ建設したぞ。労働者の宿舎と一緒にな」

「エルフ国の砂漠でよかったんじゃないスか」

「駄目だ。労働者には人間が多い。同じ人間の皮を剥ぐのに過度のストレスが出る。王都の近くで働かせ、休日にガスを抜かないとストレスで死んでしまう。そもそもだな、お前は元人間なのに人間牧場とか作らせるなよ」

「でも羊皮紙の供給と犯罪の抑止力になりますよね」

「……まあ、な。低位の魔法は人間羊皮紙で足りる。魔導国の収入源にもなって助かっているが……仲間に言い訳ができない」

 

 悪い噂は早く広まるもので、魔導国の刑期は皮を剥いだ回数で賄えると情報(ゴシップ)好きの間で流布していた。皮を剥がれる程度なら安いものだと、軽く考えて偵察に近寄った者は、この世のものとは思えない絶叫を聞いて逃げていく。働いている人間はスレイン法国の反異形種派閥だったが、彼らの思考能力は極度に落ちていた。

 

「すっかり忘れてましたけど、帝国勢はどうなったんですか?」

「ジルがな、仲間の捜索に協力してくれるそうだ」

 

 ラキュース邸宅でのやり取り後、ジルは御付きにロクシーを連れて執務室を訪れた。彼が提案したのは、仲間の捜索に協力したいから彼らの人相書きや名前、性別などの個人情報を教えてくれというものだ。

 

 アインズも仲間の話をするのは楽しかったので、際限なく時間を消費した。

 

 文字通り際限ない話が終わったのは、12時間が経過してからだ。

 

 

「申し訳ないが、アインズ。今日はもう遅くなってしまった。続きは明日にしてもいいだろうか」

「む……そうだな、私はアンデッドで疲労がない。配慮に欠けていた。済まなかったな、ジル」

「いや、気にする必要はないよ。私も君が心を開いてくれたようで楽しかったよ」

「魔導王陛下、2、3、お伺いしたいことがございます」

 

 ロクシーは控えめに手を上げた。

 

 ジルが額に手を当てて顔の半分を隠した。

 

「ロクシー……」

「皇帝陛下、一つだけでもお願いします。質問の御許可を」

「……仕方のない奴だな。アインズ、少しでいい、彼女の話を聞いてあげてくれないか」

「構わん。何でも聞くといい」

「先ほどお話に出た、41人のお仲間の女性についてなのですが、容姿は端麗でございましょうか」

「……」

「……」

 

 外で鴉が鳴いた。

 

「いや、異形種だ。私の仲間は種族もバラバラで」

「人間化した場合、美人になるのでしょうか」

「……不明だ」

「それでは、独身ですか?」

 

 それから簡素なやり取りを数回、繰り返した結果、至高の41人の一人をジルの妻にしたいとロクシーが暴露した。正確には、ジルを婿に迎えて帝国の次期皇帝を孕んでほしいということだ。ロクシーは自身の立場を弁えており、あくまで帝国側が魔導国の格下という態度を崩さない。

 

 困ったのはアインズだ。

 

「三人とも、独身だと思うが……いや、しかし、どうなのだろうか」

「駄目、でございましょうか……アインズ様の御后様になるご予定でも?」

 

 アインズの脳裏に浮かんだのは、三人の女性陣ではなかった。

 

 口を左右目一杯に引き裂いて、殺意の波動を垂れ流すアルベドが浮かぶ。ヤトと殺し合った過去は伊達ではない。「妾を増やす」のではなく、「至高の41人の誰かを妻にする」などと言おうものなら、ナザリックを破滅へ導く大戦争が勃発するだろう。

 

 アインズは、自分が彼女と結婚したのは破滅の抑止力であるような気になった。

 

(アルベドは美人だけど……対応が難しい。タブラさんが帰ってくれば変わるのだが)

 

「私は自分の妻にするつもりはない、とだけ言っておこう」

「不躾な質問ながら真摯な御対応、ありがとうございました。お戻りになられましたら、その際は是非、謁見をお願いします。皇帝陛下の容姿は決して他に後れを取らないと思っております」

「……すまんな、アインズ」

「……気にするな、ジル」

 

 「お互い女に振り回されて苦労するな」と、相手が言っているような気がした。この日を境に、ジルとアインズの関係性は少しだけ深まった。

 

 場面は酒場へ戻る。

 

「すげーな……女性陣はアインズさんラブじゃないから、いいんじゃないスかね。ジルはいい男だから、結婚してもらいましょうよ」

「私は彼らに対して異性間の感情があるわけではないからな。強者として異世界転移したのなら好きにすればいい。また一緒に、冒険さえできれば……」

「アルベドが至高の41人が現地で結婚できるように協力しろって言ってましたよ。ナザリックはアルベドとアインズさんだけの愛の巣だそうで。誰か帰ってきたら一気に仕事が増えますね。まずはお見合いパーティですか」

「それはそれで楽しそうだ」

 

 表情はわからなくても、アインズが嬉しそうに笑ったのがわかる。

 

「他の帝国勢はどうしたんスか。フールーダの爺さんとか」

「そうだな……帝国を裏切ったレイ将軍は王宮の評議員へ回した。フールーダは帝国の教育省から何人か引っ張ってくると言って帝国へ帰った」

「陽光聖典は?」

「彼らは解散した」

 

 隊長のニグン曰く、戦略的解散だという。

 

 陽光聖典は異世界に転移してから最初に殺戮した現地人である。蘇生されるまで100日の空白が存在し、法国は彼らを死亡したものと断定していた。

 

 家族がいるものは法国へ帰還し、アインズの布教活動に専念。報酬にアイテムや武器を与えられたものは冒険者やワーカーへ転職し、魔導国の息がかかっていない国家で布教活動。それ以外の者は王都へ残り、八岐大蛇か王宮勤めの兵士かで意見が割れている。

 

 唯一、ニグンは学校関連のジエットに接触し、魔法技術の講師を兼ね、アインズ()の威光を伝える伝道師になって布教活動に殉じるという。

 

 培ったものは一度、死んだ程度では治りはしない。彼らは各地で布教活動のために散っていった。ニグンは疑わしいところもあるが、隊員は骨の髄まで宗教家であった。

 

「そういえば、アインズさんの妾はどこに」

「妾……なんかいたか?」

「なんだそのおとぼけは。いま、酷いものを見た」

 

 アインズの妾の帝国勢とは、アルシェとティラだ。ティラには手を付けたが、アルシェには手をつけていない。そこのところはどうなっているのかと、大蛇の化身は問う。

 

 当然、アインズの顔色は浮かない。

 

「もういい、妻二人、妾二人もいるから。これ以上、望むのは我儘というもの――」

「なーにが我がままだ。二人も手を付けておいて、あと一人増えるのも、二人増えるのも変わらないでしょ。だいたいねえ、本妻はどこにいったんですか、本妻は」

「アルベドはナザリックだ。イビルアイは冒険者組合から頼まれ、畑を荒らすキマイラの討伐に出た。仲間を連れてな」

「噂をすれば……あいつらも来たりしてないスか」

「どこにもいないぞ……」

「あれ? そうですか」

「もういる」

 

 声のした方へ顔を向けると、忍者の三姉妹が席に座って酒を飲んでいた。顔が同じ三名がそこにいると、合わせ鏡でも見ているような錯覚に陥る。声が聞こえなければ気付かないままだっただろう。

 

「会員権、イビルアイにだけずるい」

「いや、ずるいって、肝心のイビルアイはどうした」

「足が遅いからおいてきた」

「ひでー仲間だ」

「ティア! 私の会員権を返せ!」

 

 イビルアイは乱暴に扉を開き、店内へ駈け込んできた。

 

 話していた相手がティアだったと知った。やや遅れてガガーランが、ブレインとクレマンティーヌを伴って現れる。

 

「お? よう、旦那と王様。調子はどうだい」

「ぼちぼちだな」

「冒険、ご苦労」

「キマイラってのは強いんだな! 初めてやりあったけどよ、危なく死ぬところだったぜ。ブレイン様様だな!」

「おいおい、褒めても何も出さないぜ?」

「無事で何よりだ」

 

 クレマンティーヌは終始無言であった。彼女から見える位置に、番外席次と第一席次、漆黒聖典の面々が座っているので無理もない。

 

「ティア! 早く返さないと、本当に怒るぞ!」

「私の分は?」

「サトルに言え!」

「サトルって誰?」

「王様の愛称?」

 

 イビルアイは忍者たちに翻弄されている。このままだと彼女の得意技、《水晶の槍(クリスタル・ランス)》が店を蜂の巣にしそうであった。

 

「キー……イビルアイ。店の中で暴れるな」

「あ、うん……はい」

 

 小さな彼女の頭から立ち上る湯気は、アインズの一言で即座に鎮火される。彼女はアインズを一瞥し、何やら残念そうに忍者三姉妹のテーブルへ腰かけた。

 

「ティア、この店が会員制なのは料金が高価だからだ。アダマンタイト級の冒険者のお前たちも、欲しいならくれてやる。王宮へ受け取りに来い。飲み食いし過ぎて破産するなよ?」

「はーい」

「はーい」

「はーい」

「騒々しい客ばっかりになりますね。五月蠅い連中の火消しに、用心棒でも雇っておきましょうか」

「その必要はねえだろうぜ、ヤト」

「そうか?」

「お、じゃあ、俺はあっちの卓へ行くぜ。ブレインとクレマンティーヌ。また暇なときに手伝ってくれや」

「高いぞ?」

「ガッハッハ! そりゃ頼もしいな!」

 

 ガガーランは高笑いしてブレインの方を何度か叩き、蒼の薔薇卓へ向かった。

 

「ガガーランは変わらないな」

「ブレイン、蒼の薔薇に混ざったのか?」

「暇だったんでな、キマイラ討伐なんて珍しいから、腕試しに同行したのさ。クレマンティーヌのリハビリも兼ねて」

「どうだった?」

「以前の俺なら苦戦したかもな」

「クレマンティーヌは?」

「まだまだだな……」

 

 彼女は口を開いて衝撃を受け、メソメソと泣き始めた。

 

「ごめんなさい、ブレインさま……お願ぃ……捨てないで……」

「泣いてるぞ」

「……あー、またか」

 

 ブレインとクレマンティーヌの関係は良好なようだ。少女のようにすすり泣く彼女の頭を、ブレインは優しく撫でていた。

 

「ガゼフはどうした?」

「ランポッサ三世さんと飲んでる。冒険者になるにはどうすればいいのかと言い出したので、全力で阻止しに行った」

「……頑張れ、ガゼフ」

「私もそれは御免被りたい」

 

 前国王に重大な役目はないが、冒険者になられて余計な尻拭いは御免である。国民の中には、彼が存命であるからこそ魔導国で暮らしている者もいる。年老いたとはいえ、それ相応のカリスマ性は持ち合わせているのだ。

 

「どこかに座って飲めよ、ブレイン」

「いや、今日は……ああ、いたいた。バンガイとタイチョーに怯えてるから、謝らせて昔の遺恨を無くさせる。少しは自信もつくだろうからな」

 

 クレマンティーヌの記憶は穴だらけで、大事なのはブレインに尽くすことだ。しかし、番外席次と第一席次の化け物じみた強さと、彼らに何かよからぬ行為を働いた記憶は残っている。王宮にいるときの彼女は集中力がなく、どこかで番外の声が聞こえようものならまるで使い物にならない。

 

 本格的なリハビリは、過去の遺恨を解消してからだった。

 

「早く復帰して嫁にしなきゃいけないもんな、ブレイン・エログラウス」

「うるせーよ、馬鹿蛇」

「ブレイン、この店は高いぞ。油断して好きにあれこれ頼み過ぎないようにな」

「あいよ、ほら、行くぞ、クレマンティーヌ」

「あのぅ、や、やっぱり、あたしはー……」

「いいから来いって。じゃないと、冒険に連れてってやらないぞ?」

「あぅ……でもぉ……やっぱり怖いよー」

 

 注射を嫌がる子供の腕を引く親のように、ブレインは強引に番外と少年が座るテーブルへ向かった。

 

 数日後に聞いた話だと、第一席次の少年は渋々ながらそれを承諾した。番外席次に至っては、彼女を覚えていない有様で、クレマンティーヌは怯える必要がなくなった。

 

 ブレインとの蜜月を満喫するに相応しき職場環境を手に入れた。

 

「大丈夫かねぇ」

「後は彼らの問題だ。私たちは少し、手伝ったに過ぎん」

「まあ、そうなんスけどねぇ。ブレインもいい男になったなぁ」

「同性愛か?」

 

 ヤトは返事の代わりに舌打ちを見舞った。

 

「そういえば、ワーカーってどうなったんですか? 冒険者との差は?」

「それは未対応だ。ただ、アルシェはワーカーを引退してこちらの仕事一筋になった」

「へえ、愉快な仲間たちは?」

「ああ、それはな――」

「ご歓談中、失礼します。アインズ様、ヤトノカミ様」

 

 ナザリックの仕事を終えた料理長が、新品のエプロンとコック帽で立っていた。

 

「あ、料理長、仕事終わったの?」

「はい、メイドたちの料理は無事に終わりましたので、今日は私が彼らの指導に」

「ご苦労。この馬鹿の我儘に付き合わせるようで申し訳ないが、よろしく頼むぞ、料理長」

「勿体なきお言葉。ヤトノカミ様、何か食べたいものはございますか?」

「そうだな……甘いのが良いな」

「少々お待ちください」

 

 彼は厨房へ入り、これまで出された料理の確認、新たな注文(オーダー)を彼らに伝達した。

 

「蜂蜜はどこにある」

「蜂蜜……?」

「蜂蜜がないのか!? この世界にミツバチはいないのか! どうやって花は受粉しているんだ!」

「キラービーとか……」

 

 珍しく茸の料理長が動揺しているので、ヤトとアインズは苦笑いをした。

 

「話の途中だったな。帝国の商人だったオスクは魔導国へ拠点を移し、首狩り兎を護衛に諸国を回っている。次に王都へ立ち寄ったときは、珍しいコレクションを持ってきてくれるそうだ。ゴ・ギンとも酒を飲みたいと言っていたな」

「そのゴ・ギンは何をしてるんですか?」

「暇なので兵士たちを鍛えている。旅に連れて行く選択肢もあるが、人間都市に行くのは難しい。意外だったが、自分と立ち会えるに相応しき強さの戦士を作ると楽しんでいたぞ」

「そうですか……ん? いや、アルシェは?」

「そうだったな、アルシェとワーカーはな」

 

 アルシェはアインズに言われてワーカーを引退した。フォーサイトの欠員は、ビーストマンの死体を使って作成した魂食い(ソウルイーター)で穴埋めし、彼女の仕事は一つだけ減った。それでも妹の面倒と学校関連、ワーカーの地位向上、冒険者と神殿の制度改正など、王都を東西奔走している。

 

 はっきりと形になっていない、アインズへの恋心を維持したままに。

 

 ワーカーと冒険者の間にあった溝というべき、ワーカーの犯罪行為。冒険者の制度改正で、命を張る者がより融通されるよう改正し、ワーカーと冒険者の垣根を取る必要がある。

 

 冒険者より日銭の高いワーカーだが、裏の仕事は“八岐大蛇”が取り仕切っている。そんな王都でワーカーを続ける意味もなく、冒険者組合の制度改正で王都の冒険者は一気に増えることになるだろう。

 

「ふーん」

「神殿の仕事を取らなければ、別に冒険者でも変わりない。非合法、犯罪行為に関しては八岐大蛇が管轄する。裏の秩序を乱すものは、第一席次が制裁するだろう。勝手に病人を治療するものへの制裁として、それ相応の対価を支払わせる。強制的に債務者にとなるわけだな」

「そりゃ酷い。ゴリ押しですね、相変わらず」

「だが、これで治安の維持と不要な軋轢が回避できる」

「ご歓談中、失礼します。ヤトノカミ様、お待たせいたしました」

 

 茸頭の料理長が料理を持ってきてくれた。カップにパンケーキを押し込んだような、香ばしい香りのする料理だった。

 

「これ、なに?」

「スフレ、でございます。大変申し訳ございませんが、蜂蜜の入手が困難です。簡単な砂糖で代用しましたが、やはりこの世界の素材入手は難しゅうございますね。安い砂糖で代用してありますので、甘さは控えめにしてあります」

「ありがとう、料理長」

 

 ヤトはスプーンをふっくらと焼き上がった真ん中に突っ込む。小さな湯気が上がり、上品な甘さが漂ってきた。中身はクリーム状になっており、スプーン一杯に掬い上げ、口へ近づけた。触れると同時に口内へ吸い込まれるように消えた。

 

「……美味しい」

 

 料理長の本気を見たような気がした。

 

「料理は腕だな……」

「あとは愛情でございますね」

「この分だと、ここは終日満席になってしまうな。料理長、今日はこちらの相手をする必要はない。我々は旅の打ち合わせをしなければならないのでな、彼らの指導に尽力せよ」

「はい、畏まりました、アインズ様」

 

 料理長の本気に魂を抜かれ、恍惚と宙を漂う大蛇の化身はまだ復帰していなかった。

 

「おい、ヤト、復帰しろ。明日の朝から聖王国へ行くぞ」

「あ、はい」

「冒険者と言えばな、お前が簀巻きになっているとき、アインザックが仲間を引き連れて地下ダンジョンへ繰り出していったぞ」

「ああ、そうですか。そう伝えておきましたからね」

「ガゼフ級の強さが必要とか彼らに言っただろう? それ相応の人数こそいたが、どいつもこいつも弱すぎて駄目だ。レベルの詳しい理解が必要だな」

「まあ、全員足してガゼフより強くなったーじゃ駄目ですよねえ。デスナイトの一撃で半分以上、ぶっ殺されちゃいますから」

「仕方がないから、ナザリックから応援を呼んだよ」

「誰ッスか?」

 

 呼び出すものは限られていた。適任はプレアデスだが、ユリは孤児院に出入りする準備をしており、ソリュシャンはヤトの御付き、ナーベラルは人間嫌い、ルプスレギナは人間を助けない、エントマは食人種、と消去法でシズ・デルタに決まる。彼女は冒険者組合にも出入りがあり、その人気で後援会(ファンクラブ)ができている。命令遂行に関して、他に適任者はいないだろう。

 

 

 翌日、それさえも失敗だったと知る。

 

 

「重体3名、重傷9名、軽傷者10名」

「なんで?」

「全てシズの流れ弾だ」

「そんなに命中率低かったでしたっけ?」

「低位冒険者の寄せ集めだ。経験不足で連携が取れていない。シズが引き金を引いた瞬間、右往左往して銃の軌道上に飛び出したそうだ。連携の取れていないチームの護衛は前衛でないと駄目だな」

 

 昔は冒険者として活躍していたアインズザックと相棒テオ・ラケシルは、無傷で帰還した。彼らは最奥に置いてあったルーン武器の試作品を手に入れ、満面の笑みで帰還していった。怪我人は王都へ残され、神殿に放り込まれた。

 

 

「雑魚が多すぎるなぁ。まったく、世話が焼けますよね」

「ダンジョンは改良しない。シズがいなければクリアできなかったような人員で来るほうが悪い」

 

 絡みつく何かの気配を感じ、アインズは振り返る。顔面から数センチの至近距離、顔を赤くしたティラが釣り目を垂れ目に変化させて立っている。

 

「ねえん、王様ぁ。次はいつ抱いてくれる?」

「ティラ……酒臭いぞ」

「お前、その酒瓶……俺のエストニア、じゃねえか!」

「こっちも、飲み終わったから返す」

 

 ティラは空になった酒瓶を渡した。

 

 表記にXOと書いてあった。

 

「俺のブランデー! この糞呆け料理人どもめっ! 俺様の酒を一般販売してんじゃねえぞこの野郎がぁ!」

 

 ヤトは料理人を苛めようと厨房へ殴り込んでいった。

 

「ひぃぃぃ! ももっ、申し訳ございません! 字が読めなかったのです!」

「ヤトノカミ様! お怒りをお鎮めください! 厨房で暴れては店が――」

「問答無用!」

 

 料理人と料理長の悲鳴をバックグラウンドミュージック(BGM)に、ティラが骸骨へ絡みつく。

 

 肋骨をキャンディーのように舐め、骨の髄までしゃぶりつくされようとしていた。力業で押し切ろうと首根っこを掴むと、入口の扉が乱暴に開かれる。ここしばらく誰にも相手されなかったブリタが、半泣きで仁王立ちしていた。

 

「ティラさん! どうして仲間外れにするんですか!」

「知らない」

「ブリタ……」

「あ、アインズ様を独り占めにして! アルベドさんに怒られたらどうするんですか! なぜか私とティラさんは一括りにされてるし、アインズ様だって釣った魚にも餌をください!」

 

 どうやら既に一杯ひっかけてきたらしい。彼女の顔色は頭髪の赤さと同様、真っ赤になっている。そして現地では入手不可能な酒、最高強度の酒を飲んでしまったティラも、僅かな時間でバッカスの加護を受けていた。

 

 纏わりつく女が一人から二人に増え、面白くないのは正妻(イビルアイ)である。彼女はアインズの背後へ移動していた。

 

「サトル……私の前で他の女と……」

「二人とも離れなさい。今は旅に出るための大事な打ち合わせをしているのだ!」

「王様ぁ……」

「アインズ様ぁ……」

「サトル! 私の話を――」

「酔っ払いの相手をする気はない!」

「なっ!」

「サトルゥゥ……」

「アインズ様ぁ、お願いしますぅ」

「二人とも離れろ! 打ち合わせの邪魔だ!」

「サトルの浮気者っ! 子供になっちゃえ!」

 

 イビルアイは二人きりの逢瀬に利用しようと、懐に忍ばせていた人間化アイテムを取り出し、アインズ目がけて使用した。一切の抵抗なく、アインズは少年になる。

 

 身長が縮み、服が自重に耐え切れずに後ろへ逸れ、幼さを面影に残した半裸の少年が出現した。

 

 魔導国の主要人物が集まる最中で、これは大失態と言えた。助けを求めようにもヤトは若き料理人を苛め、酒の説明を行っていた。逃げようにも女性が纏わりつき、転移しても場所を変えるだけだ。

 

 突如、正妻の手で窮地に追い込まれ、アインズの心的外傷が抉られた。

 

「イビルアイ! 何をしている!」

「私の目の前で他の女と浮気するからだっ!」

「うきゃあああああ! 可愛いいいい!」

「私のだ。触るな」

「私だって妾ですよ!」

「たまには独り占めしたい、女心」

「私も同じですよっ!」

「離れろ! さっさと離れんか! おい、ヤト!」

 

 友人へ助けを求めるも、彼は忙しい。腕を組んで成り行きを眺めている料理長と、正座させられている若き料理人へ講釈を垂れている。

 

「だからな、この酒はゲップに火が付くから、一般人には駄目なんだよ。だいたい、蜂蜜はなぜ無いんだ。どこぞのメイドが蜂蜜酒、飲んでたって聞いたぞ」

「うぅ、す、すみません。キラービーの蜜は高価で、とても王都では手に入らないんです」

「冒険者を雇って食材の調達から始めないといけないのか。やる事が多すぎるが、とりあえず俺の酒には名前書いておくから、相場の十倍でなら売ってもいいぞ。誰かマジックペンもってこい!」

 

 

 ヤトは手が離せないようだ。

 

 

 その場に居合わせた全てがアインズの少年姿を目撃し、誰も彼もが余興の傍観を決め込んだ。それがもっとも楽しいと判断したからだ。

 

 

 番外席次と第一席次は、珍しく笑顔で見ていた。

 

 

「へえ、ああなるんだ。人間化って面白いね」

「失敗作でしょう。それにしても、魔導王陛下は南方の特徴なのですね。どこぞの愚か者と同じ特徴なのはどうかと思いますが。ところで、そのお土産はどなたへ贈られるのですか?」

「うーん……友達? ねえ、私、ちょっと急用を思い出したから帰るね」

「え? あ……行ってしまった。あの人は……呼んだら来てくれるだろうか……」

 

 

 女性三名から纏わりつかれ、身動きが取れないアインズの絶叫が店内へ轟く。

 

 

「いい加減にしろ! いつになったら旅に出られるんだ!」

 

 

 彼らの旅はまだ、始まってもいない。

 

 

 月と太陽は絶えず入れ替わり、光と闇を循環する。

 

 

 アインズの悲鳴とヤトの苦悩は国民を幸福にする運命の歌(ファド)として、繰り返し流れ続ける。

 

 

 ヤトはこの先も悩み、慌て、暴れまわり、アインズが事態を制定し続けるだろう。

 

 

 彼らが旅に出て歴史を人間の手に返すのは、今しばらく先のこと。

 

 

 今日も魔導国に陽が昇る。

 

 

 

 

◆◆epilogue?

 

 

 

 

「こうして、アインズ・ウール・ゴウン様を初めとする神々はお隠れになりました。魔導国の人たちが困ったとき、彼らは世界に現れて私たちを助けてくれるのです。世界中を旅するために魔導国を去りましたが、いつか必ず帰ってきます。私たちはその日を夢見て、毎日を必死で生きなければいけないのです」

 

 老年の女性は、孫に読み聞かせていた本を閉じた。

 

「めでたし、めでたし」

 

 暖炉の傍らで揺れるロッキングチェア、そこへ腰かける老女の膝の上。ちょこん腰かけている金髪おかっぱ頭の女の子は振り向き、大きな瞳で祖母に尋ねた。

 

「エンお婆ちゃん、どうして神様はいなくなっちゃったの?」

「神様はね、いつまでも自分たちが守っているだけでは駄目だと思ったのよ。幸せな未来は必死で生きて作るものなの」

「ふーん……あれ? でも今の女王様は……」

「その話はとても長くなるから、また別の日にしましょう。今日はもう遅いから先に眠りなさい」

「えぇー……」

「明日は虹色先生の授業でしょう? 早く寝ないと、面白いお話が聞けないわよー?」

「うん、わかった。おやすみなさい!」

 

 唇を尖らせて不満を言ったが、彼女は聞き分けの良い子だ。孫は膝の上から飛び降り、自分の寝室へ走っていった。彼女が寝室へ移動したのを見計らい、台所で水仕事をしていた夫が紅茶を持ってきてくれる。

 

 少しお酒を垂らしてあるのが、夫婦二人の時間の特権だ。

 

「眠ったかい?」

「聞き分けのいい子ね」

「まったく、自分の子を私たちに預けて、あいつ()は何をやっているんだ」

 

 彼は不満げに言い放った。

 

「仕方がないわよ、冒険者になったから。アインズ様と蛇様の祝福の影響かしら」

「いい年して情けない……ポーション製造を手伝ってくれればいいものを」

「そう言わないで、ンフィー。あの子は命の大切さを知っている。暴れて人を傷つける魔獣を放っておけなかったんでしょう。小さいときから人のために突っ走る子よ」

「わかっているよ、エンリ。だけど、君は甘すぎる。子が生まれたのなら、小さいときこそ自分の子に集中して愛情を注ぐべきだよ。あの子も本当は寂しがっているんだ」

「そうね……少し甘いのかもしれない」

 

 アインズと最後に会ったのは何十年前だっただろう。

 

 ンフィーレアとエンリは結婚して最初の子が生まれ、生命の樹は順調に伸びている。

 

 長女は冒険者として各地を飛び回り、なかなか家に帰ってこない。婿はンフィーレアの弟子として厳しく扱かれ、今日も子供と遊ぶ体力まで使い果たして眠ってしまった。

 

 彼がこの家でもっとも苦労しているに違いない。

 

 長女に不満はあるが、決して不幸ではなかった。

 

 これもアインズの祝福の影響か。

 

 彼らの顔を思い出すと、胸にとげが刺さったような痛みがする。彼女は、アインズを愛していたわけではない。妾になれと言われたら受け入れたかもしれないが、どこにでもいる町娘に神の側室は荷が重い。

 

 だからエンリ・エモットは、ンフィーレア・バレアレを伴侶に選んだ。父親に苛められると知りながら、幼馴染の彼は自分の全てを受け容れてくれた。若い時分に時おり枯れ果てた顔をしていたが、三人目を産んでからそれも見られなくなった。

 

「私たちは平和に暮らさなければならない。人間のみならず、種族全てが協力して平和を守っていかなければ、御方々へ顔向けできないからね」

「大丈夫よ。クアゴアやドワーフ、森の蛇やフェアリーたちとも仲良くやっている。フェアリーはたまに悪戯するけどね」

「昨日も試作品のポーション、紅茶に混ぜられたよ……妙に体の調子がいいなと思ったら。どこから湧いてくるんだ、あの悪党ども」

 

 愚痴を零すンフィーレアは、精神的に疲れている。連日のように作業の邪魔をされては、怒りを通り越して徒労感しかないだろう。

 

(あれは現実だったのだろうか。今でもあれらの全ては夢で、起きたら若いままの私がいたらどうしようと思う……いや、心のどこかでそうあってほしいと願っている)

 

「ここで生きているだけで、あの人たちは喜んでくださるかしら」

「勿論だよ。あの方々と出会い、平和に生きているなんて奇跡なんだから」

「そうよね……」

 

 日々、老いていく自分の体。動きも鈍くなり、視界が悪くなり、言葉が出てこなくなることもある。そんなとき、必死で生きてきたこれまでも過去を思い出す。彼らと同じ時間を共有した、たったそれだけの奇跡を懐かしむのは、それだけ年老いてしまったのだろう。

 

 本当は、また彼らに会いたい。

 

 悲し気な顔をしていたのか、同じく年老いたンフィーレアの手が肩に置かれた。

 

「それを飲んだら私たちも寝よう。明日は建国記念日だ、私たちも王都へ行かないといけないよ、元都市長殿」

「ええ、そうね……寝ましょうか」

 

 彼女は微笑み、伴侶の手に自分の手を重ねた。

 

 こういうとき、決まって考えるのは一つだけ。

 

(アインズ様、蛇様、あなた方は今、幸せですか?)

 

 

 暖炉の炎が激しく動き、「幸せだ」と答えてくれた気がした。

 

 

 粉雪のように降り積もっていく積年、死という無慈悲な自然現象は誰にも平等に訪れる。

 

 

 三年後に息を引き取ったンフィーレアの後を追うように、エンリは翌年の冬、眠りながら息を引き取った。

 

 

 晩年に、アインズと再会することは遂になかった。

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の現女王。

 

 

 ――シャルロッティ・ラヴクラフト・アインドラ。

 

 

 

 彼女だけが、優しくも無慈悲な墓守たちの今を知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

モモンガさん、世界征服しないってよ(モモンガさんとオリ至高(蛇))

 

 

END?

 

 

 





読者のみなさん、長々とお付き合いありがとうございました。


作者の次回作へご期待ください。







※※※※※※※※ 警 告 ※※※※※※※

   この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ

                   ――ダンテ・アリギエーリ


これはいわゆるノーマル(打ち切り)ENDです。

敢えてこの先の補足をするならば……

無限大論ルートとは、もっとも平和なルートのことです。
彼らはこれから旅に出て、空中都市、海底、南方の日本人などを巡りますが仲間は発見できません。
現地の仲間を増やして力をつけた魔導国で、ヤトの子供を面白おかしく育てていきます。
ヤトの子供(女、馬鹿、金髪、やる気なし子)の最終目的は封鎖されたナザリック地下大墳墓の攻略です。
諸国を回ってザリュースの子とか、ゴ・ギンとか、ハゲ散らかしてしまったジルの息子とか、半泣きのマーレとアウラとか、人間になりすまして偽名を使うプレアデスとか、ビーストマン編で家畜小屋にいた赤子を彼氏にしたり、色んな仲間を集めてナザリック地下大墳墓へ攻め入ります。虹色と常闇とティファは彼女の先生です。

勝敗に関わらず、彼女はナザリックの自室ベッドで寝転がってポテチを食いながら漫画を読むという、実に自堕落なヒロインになります。
父と子の仲は最悪で(ある意味最良)、いつも殴り合いの喧嘩ばかりしてナザリックの僕は戦々恐々としています。実母は常にキレていて、叔母は優しく諭します。

それが無限大論√の結末です。

つまり、この先、絶対にそうなりません。



次話からクトゥルフ神話ルートに入ります。そういうネタが出てきますが、元ネタを知らない人でも気にせず読めます。彼らは本物ではありません。

無慈悲、絶望、残酷描写の苦手な人は、極限までご注意ください。平和に終わったこの話で見切りをつけるのも一つの幕です。

★マークは描写が危うくなる警告です。

あなたに、星辰の導きがあらんことを………




◆◆次回予告◆◆


モモンガさん、世界征服しないってよ(モモンガさんとオリ至高(蛇))・裏」


次回、「旧支配者のレクイエム(旧支配者編)


第一話、「デバッグモード」


「愛する人と結ばれたい……なぜ、そんなことも叶わないのでしょう」
「結婚してるからだよ、バカタレ!」
「あーらら、やっべーバレちった? この勢いで抱いてくれると思ったのにぃ!」

※次章に出てくるオリキャラは、文字通り二度と出て来ません。

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