俺は竜王国と魔導国の会議を眺めていた。
俺と番外が座る対面、上座に女王と宰相が腰かけていた。会話の途切れた合間に女王と目が合えば、頬を染めて露骨に目を逸らし、俺は真顔でそれを眺めていた。埒が明かない二人に、宰相が先に進めていく。
「蛇様、大臣、官僚は昨日の政策を断固拒否しております。獣とは生理的に相容れないようですね。懐柔するにあたり、何か名案はございませんか?」
「うーん……」
「おい、勝手に発言をするな」
会議を押し進めた宰相を女王が咎めた。
「小っちゃい方の女王陛下は黙っていてください」
「誰が小っちゃい方だ!」
「ブフッ……」
俺が噴き出し、女王が睨んだ。
「彼らを懐柔しなければ、反逆の芽を残すことになります。牧場建設前に何らかの手を打つべきかと」
「何とかするよ。俺は数日間、国を空けるからよろしく」
「二度と来るな……」
「いいのか? お前のひい爺さんと同じように竜王国を放置しても。自分の家で嫁さんとくんずほぐれつするぞ」
「……また来いよ、絶対だぞ」
「フン、小っちゃい方の女王陛下よ。次はもうちょっと素直になるんだなー」
前日に引き続き、ドラウディロンが切れた。お茶の入っている湯呑を放り投げ、それだけでは足りずに椅子まで放り投げようとして、椅子の重さに耐え切れずに転倒して下敷きになった。小さい体に豪勢な椅子は重すぎた。誰も助けようとしなかった。
「大臣、アホがいるぞ」
「アホは否定しませんが、私は大臣ではなく宰相です。官僚、役人への説得は演説で?」
「考えておく。この国に犯罪組織はいないのか?」
「いませんよ、そんなご高尚なもの。この国はビーストマンに脅かされた期間が長く、少々卑屈になっておりますので」
「そりゃ難儀だなぁ」
「はやぁく……ぐぅっ……助けろぉぉ……」
女王はまだ椅子に下敷きになっていた。
◆
その日の俺は自分の家に帰っていた。
「なに考えているか当てましょうか」
「何だよ」
「番外さんと竜王国の女王様のことじゃない?」
「まあ、似たようなもんかな」
「あの二人は後妻なの?」
返事がないのは的中を意味する。俺は目を閉じて眉間に皺を寄せ、ラキュースは俺の反応を見て笑った。
「あなたは私たちにこだわり過ぎているもの。普通の男性はね、そこまでの地位まで上り詰めたら後宮を作ろうとするものよ。好みの女性を領地からかき集め、手の付けられるメイドにした貴族もいらっしゃるのよ」
「お盛んだな」
ラキュースは笑った。
「手がかり、教えてあげようか?」
嬉しそうに俺の上にのしかかってきた。声は悪戯を仕掛けるそれだ。浮気を進めているくせに、顔は嬉しそうだ。
「何のことだ?」
「困ったら立ち止まって振り返って。答えはいつもそこにあるのよ、あなたの場合はね」
「……はぁ?」
「自分を見て。相手は自分を映す鏡なの。だからあなたの疑問や違和感もあなたの手が届く場所にある」
顔をひん曲げる俺を見る限り、理解できたとは思えない。見ている俺も理解ができていない。
「シャルの卒業式が近いのだから、それまでに片づけてね」
「片づけてって……亡き者にしろと言いたいのか?」
「馬鹿ね。あなたがどうしたいのか結論を出せってことよ」
「結論……ね。ずっと後でもいい気がするがな」
「蛇なら全て飲み込みなさい。牙を突き立てれば、あとは飲み込むだけ。飲み込んでからゆっくり溶かせばいい」
年を追うごとにラキュースの中二病が進む。やはり進行性の病のようだ。扉が音を立てて開き、二人の視線がそちらへ向けられる。
「私も……一緒に寝たい」
枕を抱いたパジャマ姿のレイナースが突っ立っていた。ベッド上の二人は顔を見合わせて笑い、それに合わせてレイナースが膨れた。場面の選択は正妻に厳しく、これから楽しくなりそうだったのに場面は一気に飛んだ。
◆
その日の俺は、夜の中庭の岩に腰かけて酒を飲んでいた。夜が俺の姿を闇に溶かしている。駆け寄る小さな影法師を見て、物憂げな顔で酒瓶を口にした。番外席次は素早く駆け寄り、欠かさずに持ち歩いている十字槍が、犬の尻尾のようにピコピコと左右に振れた。
「ね、ねえ……どうしたのかな。こんな場所に呼び出しちゃったりして……」
体の白い方に月光が当たって半分だけ輝いた。彼女そのものが半月みたいだ。
「よう」
「あ、うん……」
愛の告白でもするように見えた。少なくとも、番外席次の方はそれを期待している。俺は鞘から刀を抜き、鞘を放り投げてから切っ先を番外席次に突きつけた。
「番外席次。殺すつもりで俺と戦え」
声は敵対者へのそれだ。愛の告白をすると思っていた俺は、自分の考えがわからなくなった。
「え……」
俺はいまだかつて、ここまで絶望した人間を見たことがない。彼女はこの世の終わりを迎えたかのように口を開いき、顔を青くした。
「ど……どうして!? 私、何かまずいことしちゃったの? あなたの言いつけ通り、帰ってくるまで誰とも戦わなかったんだよ?」
「関係ねえよ」
「じゃ、じゃあ……その、酔っぱらっちゃったのかな。ねえ、今日はもう寝ようよ。添い寝したいとか、頭撫でろとか言わないから」
俺は答えない。表情も変わらず、鋼鉄に小石でも投げているようだ。まるで俺の意図が見えてこない。
「どうしてよぉ……私が何かしたなら謝るからぁ……お願い、許して。あなたに嫌われたら私、どうすればいいの」
番外席次も俺が理解できず、今にも泣きそうな声になっていた。彼女に同情したくなった。
「戦いたくないよぅ……私はあなたに愛されたかっただけなのに……どうして? お願い、もっとお淑やかになるから、戦いだって捨てるからぁ」
「ごちゃごちゃと……うぜえんだよ!」
《
衝撃波は本気で番外の首を狙っていた。紙一重で身を躱した番外席次の頬、一筋の赤い線が走った。細い指で触り、出血を確かめていた。それでも、彼女の瞳に闘志が点火されたようには見えず、想い人に縋る少女に見える。
「ご、ごめんなさい! わたし、あなたの機嫌を損ねちゃったんだよね!? しばらくこの国から消えるから、だから……」
目を背けたくなる痛ましい笑顔だった。俺はため息を吐いて上着を脱いだ。
度肝を抜かれたのは、生ちょろい俺の背中だ。赤い角を生やし、額から刀を突き出し、今にも飛び掛かって食らいつこうとする大蛇の彫り物があった。どうやら俺は夜と裏の世界の住人になったようだ。蛇を背負った俺の隻眼は本気の殺意に塗れていた。深い傷跡の左目は白く濁って、その思惑を悟らせない。こうして向かい合うと、白黒の両目が鏡でも見ているようだ。
「俺たちは似た者同士なんだよ。お前は俺に惚れてるんじゃない。俺の中に見える自分に幸せになってほしいんだ。普通の人間みたいにな」
「ち、違うよ。私はラキュースとレイナースに――」
「違わない」
俺は口を歪めて笑った。
「なれるわけねえだろ! 人間、異形種、何匹殺したと思ってんだ。死体と鮮血に彩られた出来損ないの異形種に、平和で穏やかな愛情なんか手に入らねえよ! 人は報いを受けなければならない。お前の掴み取る未来は血に染まったままだ。俺も人間や異形種を大量にぶっ殺している。殺したものだけじゃなく、俺でさえも俺を許さない」
「だったら……だったらなに! 私が、し、死ねば満足なの!?」
番外席次は泣いていた。白と黒の瞳の端から水滴が滲んでいる。俺は両手で刀を構えた。
「構えろよ。俺たちは鏡映しの自分を殺さなきゃならない」
「……世界から消えた十年で頭に蛆でも湧いたの?」
「俺はこんなやり方しか知らねえ。みんなが納得する普通の生き方はできねえんだよ、俺も、お前もな。今さら、遅すぎる」
まだ番外席次は交戦を避けようとしていた。彼女は武器を持った俺を見つめながら、一向に構えようとしない。
「ほら、早くしろよ。死に場所を探してたんだろ、数百年も。ハーフエルフのガキ」
「あなたは……私とは違うじゃない。ラキュースとレイナースがいて、他に何を望むの?」
「……俺は」
武器を構えておきながら、俺は目を閉じた。唇を噛みしめ、何かを必死で堪えている。隻眼の剣士が月下で泣いているように見えた。
「俺には背負うものが多い。自分の過去の報い、家族の幸せとかな」
「………ふー」
俺はそれ以上に語らなかった。番外は目を閉じて首を振った。馬鹿の相手でもしたようにため息を吐いた。吐息はいい匂いがしそうだ。
「……あなたって、本当に馬鹿ね。戦いたいなら戦ってあげるわよ。死にたがりにつける薬はないからね」
番外席次は両手を組み合わせ、ゴキゴキと鳴らした。彼女の笑みは血に塗れ、俺の顔も歪んだ笑みを浮かべた。二人は出会った頃に戻った。
「確認しておくけど、そのままの姿でいいの?」
「今の俺は十年前の俺じゃない」
「別人みたいだからね。前よりちょっと暗いし」
「十年は人が変わるには十分すぎる。子供だってあんなに大きくなるんだからな」
「頭の悪さは変わってないみたいだけどね。私が勝ったら、シャルにあんたの首を突き出してあげる!」
それが挑発と本気のどちらなのか判断つかなかった。
戦いは拍子抜けするほどすぐに決着がついた。
俺は番外席次の十字槍を躱さず、胴体の中ほどに風穴を拵えた。見ている俺よりも、貫いた番外席次の方が驚いていた。俺はむせ返り、
「ど……どう……して……」
「武器は……殺意を込めて突き込め。お前、ここで死ぬ気だっただろ」
「……だって……私には何もないもの」
「約束、守ってやらないとな」
俺は刀を番外席次に首に押し当て、刃で首を一周するように回した。赤い線が白い首を一周し、番外席次の首の薄皮が切れ、血が滴った。
「これで、お前は死んだ」
俺は武器を引き抜き、栄養ドリンクのように回復薬を飲み干した。傷は塞がり、背中の入れ墨に乱れもない。背負った蛇はこちらを威嚇していた。
「ふー……勝った勝った。さて、寝るかな。明日は竜王国の役人どもに話をしなきゃいけないし」
ほろ酔いのおっさんよろしく、俺は上機嫌で歩き出した。当然、見ている俺と番外席次は納得ができない。
「待ちなさい。説明、してほしいんだけど」
「お前は首を落とされてさっき死んだ。」
「……はぁぁ?」
「俺もさっき、心臓を貫かれて死んだ」
「もしかして、あなたの憂さ晴らしに付き合わされたの?」
「少し違うな。どちらにせよ、俺たちは戦ってたよ。ラキュースが死んだあと、お前が俺の嫁になろうと動いたときに。先に面倒なことを済ませてすっきりさせただけだ」
番外席次は微笑んだ。微笑みを維持したまま額に青筋が立ち、むかつきマークを形作った。彼女は微笑みを維持しながら素早く近寄り、俺の頭を拳骨で殴った。手加減のない一撃に頭が墜落し、むち打ちになりそうだった。見ていた俺はすっきりした。
「いっ……てえなこのアマ!」
「冗談じゃない! 私は……本気で死んじゃおうかと思ったんだよ! あんた本当に、馬っ鹿じゃないの!」
「それでいいんだよ。お前はあれな、スレイン法国の漆黒聖典番外席次は死んだから、今日から俺の後妻な」
真剣な表情で決め台詞を言ったつもりだろうが、膨らんだたん瘤が真剣味に欠けた。
「俺もお前も……同じだよ。みんなが納得できるような生き方なんかできやしない」
俺の言葉は俺に引っかかった。何か、とてつもなく重要な未来を暗示している気がした。番外席次が人差し指と中指を立てた。
「2つ、わかったことがあるわ」
「あん?」
「あなたは本当に馬鹿ということ。もう一つは、あなたは私に合わせて歪んでいるということ」
「今の俺は、な。十数年前の俺はこんなに歪んでなかったよ」
「何があなたをそうさせたの?」
答えようとせず、俺は小さな少女へ近寄った。背の高さは俺の方が頭二つほど高く、月の逆光で顔面が黒く塗りつぶされていた。俺は屈んで唇を合わせた。
「お前、近くでよく見ると可愛いんだな」
ていよく彼女はあしらわれたようだ。唇を奪われた少女は口を開いて硬直していた。半開きになった口が唾液で光り、火星と交信しているように見えた。はっと我に返り、震える指が唇に当たってから瞳に光が戻る。
「もっとしたい」
番外席次は頭から飛び込み、今度は逆に奪われた。
今度は長かった。
俺は徐々に抵抗を始め、番外席次を突き離そうとするも、渾身の力で体を固定されていた。塞がれた唇を強引に開いて文句を言い始めた。
「ふぁ、な、ながい! ふぁなせ!」
爆発でもしてしまえば気が晴れたものだが、夜空は晴れている。番外席次が唾液の糸を引いて名残惜しそうに離れたのはそれから数分後だ。呼吸困難だったのか、俺は肩で息をしていた。
「ごほっ! すー……はぁぁぁー……なっげえんだよ、あほか!」
「うん……ごめんなさい。でも、もっとしたい……」
「忘れんなよ。お前は後妻だから、正妻が御存命のうちは――」
「待つ。あなたと会うまで百年以上も待ったんだから。消えてから帰ってくるまで十年くらい。ここから数十年なら苦痛じゃないもの」
嬉しそうに笑った。
「そうか」
「ふふ……夜の風が気持ちいいね」
適度な距離感で、二人仲良く月を見上げた。二人で一つの満月に見えた。
「昔に教えてくれた、誰かのために何かをしてやりたいって、わかった気がする。今なら、あなたのために何でもしてあげたいもの」
「……俺は、わからなくなったよ」
そう言った俺の顔は、急激に色を失った。
「どうして? 王様のために仲間を探すんでしょ?」
「もう……いいんだよ。アインズさんの仲間は永遠に戻らない。だって、俺が――」
よりによってここで場面が飛んだ。
◆
朝の寝室。竜王国の客間に朝陽が差し込み、宙を舞う埃が白く光っていた。捲れたシーツの海に、眠そうに目を擦る番外席次が見えた。彼女は服を着ていた。俺は番外席次を見つけて動揺していた。
「お、お前、何してんだよ。昨日の今日で」
「うーん……おはよう。なんか恥ずかしいね」
「何がだ」
「ん……別にぃ……」
番外席次は態度を改め、しっとりとしたものになっていた。色白の肌にうっすらと赤みが差していたが、俺の顔色はいつも通りだ。奴は現地妻よろしく後ろからジャケットを着せ、手を振って俺を送り出した。
「いってらっしゃーい」
ここは竜王国の客間だというのに、すっかり愛の巣に変わってしまった。扉の前で俺は振り向き、訝しむ顔で聞いた。
「寝てる俺に何かしてないだろうな?」
「ふぇ? 何もしてないよ。抱き着いて寝ただけ。あ、唇は貸してもらった……かな」
「……やっぱり後妻はドラ公にしようかな」
「ごめんなさい、許してください」
お辞儀をしていたが、反省はしていなそうだ。遅咲きで夢中になると厄介だというが、その典型例だ。殺戮少女がここまでひっくり返ると思っていなかった。微笑み続ける番外席次へ、慎むように念を押してから未来の旦那は出ていった。
廊下の途中でアイテムボックスから青いサングラスを取り出し、隻眼の傷を隠した。青では傷が隠れず、かえって傷の存在を際立たせた。腰の刀といい、隻眼の傷とサングラスといい、背中の入れ墨といい、全体的に黒い服装といい、危ない筋の人間にしか見えない。逆にそれ以外の何に見えるかと考えたが、何も浮かばなかった。
竜王国の官僚、貴族が勢ぞろいした大きい会議室に俺が入室してから、今後の方針を決める会議が始められた。獣に虐められ続けた弱小国家の官僚たちの挨拶もそこそこに、宰相が演説を始めた。
「我々、竜王国は疲弊しきっています。ビーストマンの脅威が取り除かれてから早十余年、食料自給率は大幅に向上しているにもかかわらず、未だ民の顔に光は差していません。必死で生きるのが精一杯……いえ、この場ではっきり申し上げましょう。精一杯生き抜かなければ、過去に囚われて進めなくなってしまう。我々は失い過ぎたのです。世界を救って消えた魔導国の蛇様が、竜王国近郊にて発見されたのは偶然ではないでしょう。ヤトノカミ様の提案する人間牧場計画、並びに打ち出される竜王国強化政策を採用し、国の未来を眩い光の溢れるものへ導くべく、この場の皆様におかれましては理解ある採択をお願いいたします」
演説を終えた宰相は席についた。上座に座っている小さな女王が、居並ぶものへ意見を求めるも、煮え切らない態度が多かった。俺の眉間はすぐに皺を作った。
「しかしですなぁ……人間牧場とはまた、斬新と言いますか」
「反対か?」
女王が意見を求めたが、言い出した貴族は両手を振って否定した。
「滅相もありません。それで国が良くなるのなら、それに越したことはありません。いえ、反対と言うわけではありませんが、先の他の政策をお試しになっては」
「ビーストマンと交易は難しくありませんか。誰が交渉するのでしょう。我々にはできませんぞ」
「新たな戦争をする力はありません。もっと穏便にいかないでしょうか」
「誰か代替案はあるのか?」
沈黙。
誰もはっきりとした物言いをしない。彼らの意見をまとめると、「やってもいいけど責任は取らないよ」だ。回りくどい言い方と主体性のない態度に、見ている俺も鬱陶しくなった。
「蛇様の実力は把握しております。先の戦いで世界を救うより以前、竜王国の民を奮い立たせた経緯があります」
「あの戦いは素晴らしかったですな。圧倒的武力に確約された勝利の戦。あれ以来、食人種どもが表立って事を構える動きは見られなくなった」
「女王陛下、竜王猊下は魔導国で暮らしていらっしゃいます。ここは蛇様と契りを結ばれてはいかがでしょうか」
徐々に論点が逸れ、俺と女王は困った顔をした。どことなく困り顔は似ていた。
「今はその話ではない。今後の竜王国の未来を担う政策に、皆の賛同が必要だ」
「しかし、侵攻していた獣の国家は既に崩壊したと聞いています。遠方のトロール、獣人国家がこちらに不可侵であれば、放っておいても問題ないのでは?」
「資料によると、税収と食料自給率そのものは上昇傾向にあります。冒険者に英雄級がいないのが心もとないですが、蛇様が竜王国で暮らしてくだされば」
「ですが、わざわざその策を取らずとも、女王陛下と蛇様が婚姻を結ばれるのが最適ではありませんか」
「活気がないのは国力が回復しきっていないからで、遅かれ早かれ魔導国のようになるのではありませんか?」
「下手に動いて獣に目をつけられたら堪りませんからねえ」
卑屈だ。
ことなかれ主義と呼ばれる、現状から変化を拒む者。これでは冒険者や兵士が育つのも遅れる。いっそ、俺の提案に怒鳴り散らしてくれた方がやりやすい。
「ドラウディロン」
「な、なんでしょうか。魔導国の蛇様」
偉そうな態度の俺に、小さい方の女王がどもりながら返事した。
「英雄級は何人いる?」
「一人もいません」
「アダマンタイト級も?」
「自信を失って国を出ていきました」
「あの、ロリコンめ……」
竜王国の冒険者は、俺が獣人を相手取って暴れたとき、美人メイドのプレアデスに拘束されて自信を失っていた。俺は世界に帰ってきたが、彼の自信は今日も帰っていないようだ。
「冒険者の数は?」
「他国と比べると少ないな。食人種との小競り合いは稀に起きるのだが、一番近い法国から援軍を募っている状況だ」
「まだ金を払ってんのか?」
「……正直、かなりの額を支払っている」
「魔導国の属国同士で主従関係を作ってどうすんだよ。アホか」
俺は女王の隣に座る宰相を見た。彼はため息を吐いて首を振った。繋がった視線を遮り、一人の貴族が答えた。
「蛇様、それも仕方ありますまい。この国は疲弊しきっているのです。我々のような年寄りにこれ以上は――」
腕を組んで椅子に深く腰掛けた俺の両脚が、高く上がってテーブルに叩きつけられた。
「リ・エスティーゼ王国の引退した元国王は、冒険者になって前線で戦おうとしてたな。お前らは魔導国に頼るしかない屑か何かか」
貴族の話を踵落としで破壊し、ふんぞり返った俺は腕を組んで口を開く。テーブルに亀裂が走り、ひび割れが対面の端まで届く寸前で止まった。ひびが最後まで辿り着けば、テーブルは真ん中からへし折れる。
「女王。魔導国、及びその属国から武器と人材を輸入し、武器屋と宿屋を開かせろ。法国に払っていた金を内側へ向けろ。当面の収入は罪人をとっ捕まえて魔導国に売れ。がたいのいい男ならいい値段を付けさせる」
「お、お止めください、蛇様。民は疲弊しています。これ以上、無理難題をかせられては――」
俺は茶々を入れようとする役人を無視した。
「その辺の政策すり合わせは宰相に任せる。貴族は領地に帰って冒険者を募れ。当面の援軍は、墓場からアンデッドを掘り起こして国境線と人手不足の村に立たせる。平和を乱す魔物をぶち殺すように命令しておけば、余程のことが無い限り大丈夫だろ」
「……これ以上、家族を失う苦労を懸けさせるわけには参りません。どうか、お止めくださいませんか」
俺の眉間に皺が寄り、口角が痙攣した。あと一回でも余計なことをすれば怒りの嵐が吹くが、彼らにそれを察した様子はない。
「当面はそれで大丈夫だろ。それでも大した数がいるわけじゃないから、早めに冒険者が強くなることに賭けるしかないな」
「魔導国ではないのです。そんな無茶な方法が竜王国に通用するはずが――」
俺の脚が高く上がること二回目。断頭台よろしく振り下ろされた俺の踵落としが、四角いテーブルの天板を砕いた。そのまま俺は立ち上がり、サングラスを放り投げて刀に手をかけた。
「こんな奴らのために俺は帰ってきたんじゃねんだよ。生きたくない奴は前に出ろ。生を諦めた奴はアンデッドに変えて国を守らせてやる。未来永劫、国民を守ることができるんだぞ。素晴らしいじゃないか」
「ま、待て、頼む、流血沙汰はやめてくれ」
女王が俺を抑えようと駆け寄った。それは飛び火するための手段で、止める手段じゃない。俺は女王を怒鳴りつけた。
「女王のくせに情けなくねえのか! 虹色の竜王はこんな連中のために国を作ったんじゃねえんだぞ。お前も竜王の血を引く女王なら、卑屈な部下を卑屈なままにすんなよ! これじゃいつまでもこの国はちんけな国にままだぞ。それでも虹色の曾孫か!」
「……その通りだ」
女王は俺の足元に跪いた。いわゆる三つ指を床に付け、土下座の格好で真っすぐに俺を見つめた。いつもの気怠い雰囲気は消え、凛々しい女王がそこにいた。暴挙に出ようとする俺の動きを強い視線で止め、迫力を感じる声で言った。
「魔導国の蛇、ヤトノカミ様。竜王国の女王としてではなく、一人の人間としてお願いします。もう一度だけ、貴殿の力を貸してください。これは私個人の頼みで、国家は関係ありません」
俺は人間と対峙した化け物のような構図になってしまい、目を背けたかった。夢の中の俺は女王の眼差しを正面から受けている。今の俺にはできそうになかった。
「私があなたの手足となって、国民一人一人を激励して回りましょう。どうか、あなた方のお力を、竜王国の未来のためにお貸しください。そのうえで、我々は属国として魔導国へ税を納めます。恩は、何百年かかろうとも必ずお返しします!」
女王の頭は着地し、額は床に密着していた。俺は女王を見ていた視線を外し、口を開けて呆然としているお役所体質どもを眺めていた。白濁した白い目が赤く濁りだしている。宰相はそれに気づき、女王の隣に続いた。
「蛇様、このように卑屈な有様は、偏に魔導国という強国へ甘んじてしまった我々全体が負う責。この私も、女王陛下と同等に使い潰しください。たとえこの身が粉と砕けようと、国家の安泰、繁栄の未来こそ我らの悲願。いいえ、我らのような古きものは消え去ってしまえばいい。魔導国の管理下で、竜王国は平和を掴み取れるでしょう。その礎となって、子々孫々へ未来を残せるのなら、何を躊躇うことがありましょうか」
さりげなく、だが聞き逃さぬよう、宰相の発言は「この場の全員引退してしまえ」という意味が入っていた。狭苦しい会議室の上座に、官僚たちは女王と同様に跪いて首を垂れた。派手な音を鳴らし、額が割れるほど土下座するものまで出る始末だ。
全員の頭が下がってからドラウディロンは顔を上げ、真摯な瞳で俺を見つめた。
俺は何も言わず、刀から手を離した。
「急ぎ、冒険者組合の体制を早急に整えろ。牧場建設は用地の打ち合わせをしろ。最低限、それだけはすぐにやれ。それさえもできないのなら、本当に死ね」
俺は返事を待たずに会議室を後にした。
それから何を話し合ったのかはわからない。
◆
場面は夜になっていた。瞬く間に時間が飛ぶので油断ができない。薄暗い室内で、半裸の俺はドアに背もたれて座り、片手を上げてドアノブを押さえていた。扉の向こうから強く叩く音がした。犯人が誰かすぐに分かった。
「入-れーてーよー!」
番外席次の夜這いを阻止しているらしい。
「っるせえ! 後妻はすっこんでろ!」
「先っぽだけでもいいからー!」
「ったく、グラウンドゼロって気分だ」
(何を言ってるんだ、
それから数十分に渡って番外席次が夜這いを仕掛けたが、俺は扉を開かなかった。彼女は扉を破壊して強引に押し入ることはなかった。静かになっても俺は油断せず、片手を上げて器用に居眠りを始めた。
ほどなく時間が経過した頃、扉が小さくノックされた。俺の両目がゆっくりと開いていき、大欠伸をした。
「ふあ……あーあ……ったく。お前なぁ、いい加減にしないと――」
「私だ」
「んだよ、ドラ公かよ。まだなんかあんのか?」
「話をしたい」
会議の無礼を怒られるんだと思った。扉の隙間から彼女の寝間着を見るまでは。
「……お前も夜這いかい」
肌触りの良さそうな生地のネグリジェは下着が透けていた。両手を後ろに回して恥ずかし気に目を伏せている。そんな年齢とは思えないが、顔は生娘のように赤かった。大きい方の女王は上目遣いでこちらを窺い、拒絶の意思がないのを確認して室内に入った。
ソファーに腰かけ、背中に隠していたお菓子を机にばら撒く。
「酒ばかりじゃ体に悪いぞ……と思ってな」
「プレイヤーは風邪とか引かねぇんだよ」
「私は少し寒い」
「じゃ、そんな格好でくんなよ。わけわかんねー奴だな。後妻は間に合ってるぞ」
俺はソファーの対面に座って菓子の袋を開けた。大人の女王は机の上に置いてあった飲みかけの酒を口にした。思った味と違ったのか、すぐに口を離した。
「これは前に飲んだ酒じゃないな。王都から取り寄せていると思ったんだが、違うのか」
「今は酒なら何でもいいんだよ」
俺は大きな音を立てて腰かけ、酒瓶を奪い取った。
「あ……私も口付けたぞ」
「子供じゃあるまいし。大人がそんなの気にするか」
「……女王も大変なんだよ」
女王は俺を正面から見ない。色気のある寝間着を着た上目遣いの女と、半裸で酒を飲む男。いつ濡れ場が始まってもおかしくない雰囲気に、見ている俺は冷や汗が出そうだ。
「んで、何のようだ」
「昼間、ありがとう」
「本気で何人か殺してやろうかと思ったぞ。そうすれば卑屈な精神を打破できるからな」
「でも、お前は殺さなかった」
「十年前とは違うのさ」
俺は横を向き、窓から覗く月を見上げた。
「つーか、お前は何で当たり前のように俺の部屋で菓子食ってんだよ。愚痴なら大臣にでも言え」
「私も話す相手は選ぶ。いつまでこの国にいてくれるのだ」
「来月、子供の卒業式なんだよ」
「なぜ帰ってきたことを隠して竜王国にいるんだ」
「俺があいつの近くにいたら、あいつは魔導国を背負って立てないからな」
「子供はそんなの望まないだろう。噂によると、会いたがっていると聞いたが」
「あいつはこれから冒険者になる。そしたら、あちこちを旅して成長する。じゃないと、どうしょうもないからな。魔導国が第二のスレイン法国なんて落ちは避けたい。人間が人間のために世界を治め、あいつはその女王にならないと。魔導国の王ってのは太陽みたいにあちこちを照らせるような奴にならないと駄目だ」
「押しつけがましいな……」
「親なんてそんなもんだろ」
間が流れた。
互いに無言で見つめ合ってから、俺は酒瓶を置いて立ち上がった。
「酒もなくなったから寝る。お前も自分の部屋に帰れよ。これ以上、ここにいると手や足だけじゃなく口まで出すぞ。なんなら舌でも出してやろうか」
「……人肌恋しくなる夜もある」
「本っ当に面倒な奴らだな。お前も、番外も。だいたいなぁ――」
俺は女王の隣に座り、彼女の鎖骨あたりを人差し指で何度か突いた。不意打ちで撫でられた猫のように、突くたびに体をビクッと強張らせた。
「お前は女王だろ。こんなろくでもない男の寝室に、しかも夜に滞在してあらぬ疑いをかけられても知らんぞ。自重しろ、ジチョー」
「私は女王だ。七彩の竜王の血を引く正当な血族の女王だぞ。好きな相手と肌を重ねる自由くらいはある」
「つまりお前は、俺に抱いてくれと言ってんだな? もう22、3歳の餓鬼じゃねえんだから、一晩だけの付き合いってのに理解はあるんだぞ」
「み……耳掃除、してやろうか」
大きい女王は怯みながらもどこからともなく耳かきを取り出した。俺はベッドで素直に耳かきをされた。平和な光景に机の上の酒瓶でも投げてやりたくなった。俺が目を閉じて気持ちよさそうなのが余計に気に食わない。
「なあ、竜王国の女王なら、アインズさんの嫁にでもなれよ。竜王国は俺が何とかするし、困ったら虹色に会いに行けばいい」
「お前が馬鹿だと思うのはこんなときだ」
「はぁ?」
「確かにどちらかと言えば、魔導王陛下が相応しい。あちこちで神と崇められ、その求心力は並ぶ者がいない。魔導王が手を付ければ土地が繁栄するとまで言われている。聖王国も手中に収め、スレイン法国に新たな宗教が生まれた。陸海空、その全てが魔導王の所有物となり、誰もそれに文句をつけられないだろう」
「だったら――」
「あ、白髪だ」
「いてっ」
ドラウディロンは俺から引っこ抜いた白い頭髪をふーと吹いて飛ばした。俺は毛根を労わって自分の頭を撫でていた。
「女王がいつまでも独身ってのも評判悪いだろ。周辺国家から相手を募集しろよ。虹色も子だくさんな国家を望んでんだろ?」
「私がこの年まで独身を貫いているのは趣味じゃない。相手がいないのだ」
ドラウディロンは取れた耳垢を紙に乗せた。
「取れたぞ、起きろ」
「なんだよ……」
起き上がった俺の顔を、女王は真摯に見つめた。会議室で見た凛々しい瞳だ。
「私は人間に生まれた。竜王の血筋を引いているが、他に何の取り得もない。お前の異形種になって歪んでしまった心はわからない」
「……まあ、若さゆえの暴走ってのも含まれてたけどな」
「今は、わかりたいと思う。人間でありながら人間を辞めたいと思った私の気持ちも知ってほしい。私を見てほしい。女王でも竜王の曾孫でもなく、一人の女性として」
「……」
俺は何も言わず、体の向きを反転して膝の上に頭を落とした。
「反対側も」
「気持ちよかったか?」
「フン……」
「今度、お前の妻に会ってこようと思う。後妻になってもよろしいでしょうかと。人間の生は儚く短い。生きているうちに認めてもらいたい」
「どいつもこいつも、アインズさんを口説けよ。あの人が魔導国の王だろ。俺みたいのにしつこく構いやがって」
俺は俺に同意した。異世界転生者はハーレムというのは通過儀礼の付属品みたいなものだが、どこにでもいる奴が異世界に逃げ出して上手くいくものか。俺だって現実に戻ったら生きる意味のない生活が待っている。複数の女に口説かれるような魅力はない。
「女はな、誰にでも憧れる殿方に恋をする、とは限らない」
「じゃ、なんだよ」
「自分の手の届く男に、隣にいてほしいと思うものだ。誰もが神の寵愛を求めるとは限らん。分不相応だ」
「……そうかな」
「お前の妻はそう考えているな。前に会ったが、あれらはいい女だな。お前が手の届く存在で、自分の掌の上から出ていかず、自分のもとへ帰ってくると信じている」
「……そうかもな」
「……少し、お前の妻が羨ましい」
俺は何も言わなかった。無言で時間が流れ、俺の口から寝息が聞こえ始めた。
「……眠ったか?」
当然、俺の両目は開かない。女王は俺を起こさないように注意しながら膝と枕を入れ替え、隣に転がって肘枕で俺の顔を眺めた。大人の姿だと俺と身長に大差なく、頭は至近距離を維持していた。
「生を呪われし人の子の、明けることなき昏き夜、月となってあなたの道を照らせるよう、
女王は呟くように言い、左目に走る俺の
「ドラ」
直後に俺の唇が動き、ドラウディロンは目を見開いて飛び上がらんばかりに驚き、すぐに冷や汗を流した。言葉を吐き出す俺の唇は自分で思うよりも薄かった。
「ばっ、なっ、お、起きていたのか! ああ、恥ずかしい……何をやっているのだ、私は」
俺は逃げ去ろうとした女王の腕を掴んだ。
「なっ、なにを……」
「左目の傷が疼いて、裏切り者と叫ぶんだ……俺は、自分勝手な人間だ」
ドラウディロンは起き上がりかけた体を倒し、目を閉じて泣き言を漏らす俺を抱いた。
「……俺は生き方を間違えた」
「泣いているのか?」
「だから……こんな俺なんかに構うなよ。お前も一応は竜王の名を持つ女王だろ」
女王は微笑んだ。大人の女性に相応しく、受け入れてくれるような笑顔で。
「ふふっ……そうやって悩み、苦しんでこそ人間らしいと言える。お前は、自分中心に考えればいい。妻に先立たれたら竜王国で暮らせ」
「竜王が蛇を囲っていいのか」
暗い部屋に、女王のくすくすとした笑い声が転がった。目を閉じた俺は眉間に皺を寄せていた。
「竜王の曾祖父様もな、尻尾の先は蛇のように細いのだぞ。私は、私が一緒にいたいものと時間を共有する。曾祖父様だって、私に自由で素直であれと教えてくださった。力の無い竜王の曾孫というだけの私には、強者のくせに人間に固執するお前くらいがちょうどいい」
「先のことは約束できない………もう本当に寝るからな」
女王は俺に抱き着き、枕を外して自分の腕を差し込んだ。俺は女王の腕を甘んじて受け入れ、腕枕で本物の寝息を立て始めた。
「おやすみなさい……私の腕の中で良い夢を、呪われながらも祝福されし人の子よ」
俺の唇が奪われた。
「今夜だけ、あなたは私のもの」
女王は俺の寝顔を自分が眠るまで見続けた。
場面の選択に何らかのメッセージ性を感じずにはいられない。俺は生き方を間違えたのだろうか。子供を見守りながら女に言い寄られる俺は、充実した人生を送っている。それ以上に何を望むというのか。
考えていると場面が飛び、見慣れた魔導国の王都が見えた。
◆
ラキュースが眼鏡をかけ、喫茶店のテラスで本を読んでいた。背表紙に《ヴァン・ヘルシング》と書いてあった。栞を挟んで本を閉じ、甘そうな飲み物を口にした。カチャッと音を立ててカップを置いたところで、誰かが向かいの席に腰かけた。
「待ったー?」
金髪のボブカットで生意気そうな顔をした少女がいた。ラキュースはいつもの優しい笑顔を向けた。
「卒業、おめでとう」
「いやー疲れちゃったよー。生徒会長の演説なんて冗談じゃないっつーの! 誰、私を生徒会長に推薦したの。見つけ出して路地裏に連れ込んで好き放題やってやんよ」
「それ、私よ。あなたの所業に苦しんでいた校長先生に相談されて、生徒会長に置いて仕事をさせてくださいって」
「あんの……糞ジジイ。皇帝と同じようにハゲてしまえ。何なら私が毛を毟ってやるし」
「止めなさい。日頃の行いが悪いからよ。あまり望んだ効果はなかったみたいだけどね」
信じたくないが、この生意気そうな少女が俺の娘らしい。子供を見れば感動すると思ったが、真っ先に感じたのは恥ずかしさだった。世界に転移した当初の俺もこんな感じだったのかもしれないと考え、余計に恥ずかしくなった。
「シャルロッティ、確認だけど、本当に冒険者になるの?」
「あー、そうね。だって、他のは面倒くさいし、楽して稼げるし」
「……最後は聞かなかったことにするわ」
ラキュースはため息を吐いた。
「私も冒険者だから止めはしないけど、国外を旅するのは大変なのよ? 魔物も凶暴性が増すわ」
「へーきへーき。だって私、強いもん」
「強いのは否定しないけど。虹色先生とティラ先生からサボりすぎって苦情がきてたわよ」
「自由がほしかったの」
「いつも自由じゃないの……自由じゃない時間があなたにあるの?」
「ほらー、“漆黒”と“髑髏”も手伝ってくれるっていうしー、やったもの勝ちみたいな」
「……モモン様にも困ったものね」
(髑髏って何だ? 冒険者チームか?)
俺の疑問は置き去りにされた。
「法国のおじいちゃんたちも法国に立ち寄りなさいってしつっこいんだよー? ここまでお膳立てされちゃったらもう、旅に出るしかないっしょ!」
「シャル、口調は崩さないで。あなたは魔導国の蛇の娘よ。恥ずかしくない振る舞いをし――」
「恥ずかしくない振る舞いをしなさいね。薔薇と蛇の娘が馬鹿だなんて評判が立ったらお父様の評判にまで傷がつくのよ……でしょ?」
人差し指を振り回す口真似はよく似ていたので、見ている俺は感心した。ラキュースの額に青筋が立っているのは見なくても分かる。
「……このガキャ」
ラキュースの口調が壊れた。
「船に乗って待っててよ!」
「大船に乗ったつもり……よ」
「レイナ母さんはどうしたの?」
「家で御馳走を作って待っているわ。今日は武器屋に寄ってから帰りましょう」
「武器はいいや。モモンのおじちゃんからたくさん貰ったし」
「モモンさま……甘やかしては癖になると……。それじゃあ、雑貨屋に行って野営の道具を」
「馬車で行くから荷物はいいんだぁ。ソウルイーターの馬車と旅の道具一式もおじさんからもらっちゃった。卒業祝いだってさ」
「……」
ラキュースが怒っている。微笑む顔に青筋が立っているのは、爆発する前の兆候だ。別に娘は何もしていないが、母親の役目を取られて怒っている。
「いい加減に――」
「お父様を探して帰ってくるから。お母様がもう寂しい思いをしないように」
怒ろうとした出鼻をくじかれ、ラキュースはきょとんとしていた。すぐに笑顔に変わり、娘の成長を喜んでいた。もう誤魔化されている。
「あのね、あなたには旅に出る前に話しておかないといけないことがあるの」
「んあ? なに? 浮気して隠し子でもいたの? 弟か妹なら弟がいいな」
「私はあの人一筋よ」
「えー。も、いいじゃん。帰ってこない蛇さんなんか捨てちゃえば? お母さんってあちこちで人気あんだよ?」
(そうなのか……)
俺は衝撃を禁じ得ない。
「やかましい! 話を聞きなさい!」
「はーい……」
ラキュースの怒鳴り声は周囲に響き、通行人の全てが足を止めて驚いていた。すぐに動き出したので、いつものことなのかもしれない。馬鹿娘もしおらしくなり、隣のテーブルに座っている貴族のご婦人が口に手を当てて笑った。
「あなたのお父様は帰ってきている」
「……なんで家に帰ってこないの?」
「あの人はね、成長したあなたが自分の住処を探し出すのを待っているの。旅をして、仲間を集め、強くなりなさい。自分であの人のいる場所を見つけ出しなさい」
「ふーん……そっか、そうなんだ。魔導国の英雄の一人、魔導国の蛇は生きてんだ」
「嬉しい?」
「お宝、持ってるかな」
「……ま、まあ持ってるでしょうね。あの人は人間に装備できない武器を持ち、宝の山に囲まれて暮らしてい――」
「よっしゃああああ!」
突然、拳を握って立ち上がった娘の声に、ラキュースが椅子ごと跳ねた。先ほどの怒号を上回る少女の叫びは、はるか遠くまで響いた。娘は腰の剣を引き抜き、空へ向かって掲げて叫んだ。
「私は、薔薇と蛇の御子、シャルロッティ・アルベイン・アインドラ! これより魔導国の蛇を狩り、財宝を奪う旅に出る!」
「シャ……シャル?」
「つーわけで帰りまーす」
中二病らしき口調は消え、声はやる気を失った。言い終えて早々、娘は走り出した。置き去りにされたラキュースが慌てて立ち上がるが、既にかなり遠くを走っていた。足の速さは父親似だ。
「ちょ、ちょっと、待ちなさい!」
「レイナ母さん、お腹空いたー!」
「待てこらああ!」
止まることは疎か、振り返る素振りすら見せない。先行き不安なまま、母と娘の語らいは終わった。飲み終えたカップを片付けるラキュースが愚痴を零す。
「まったく……どうして会ってもいないのに似るの。そういう血筋なのかしら」
これまでのしっとりとした雰囲気が数十分でぶち壊された。
ここから馬鹿娘の悪行を長期に渡って見せつけられると思ったら、途端にやる気が出なくなった。
走り始めたラキュースの背を最後に、夢は急に暗転した。
※
魔導国編75話でヤトが使用するアイテム変更
《猿の手 → 人の心が聞けるラジオ》→蛇の知性がちょっとアップ
異形編104話でヤトの暴れ方針変更
《
それ以外はすべて同じ世界です。
次回予告
底に残った永劫の孤独が赤い炎となって昏い夜へ放たれ、
二つに分かたれた鋼鉄の魂にねじが巻かれ、脱皮した邪神は未来へ咆哮する。
黄金の逆十字を背負い、蛇神が夜に吼えたとき、平野に
次回、「旧支配者のレクイエム」
第8話、「脱皮する螺子巻式の夢」
「こんな……こんな終わり方……こんな結末、俺は許さない」