モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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※残酷・猟奇描写は一 切ない閲覧注意



脱皮する螺子巻式の夢

 

 

 何しろ唐突に場面が飛ぶので時間経過は不明だが、随分と長く俺は夢と付き合っていた。いい加減、面白みに欠けて取り留めのない俺の夢から覚めてほしかった。何しろ“見る”以外の行動は制限されている。苦痛な時間の最果てはまだ見えず、退屈しのぎに気の触れた俺の行動分析をして、なんら有益な解が得られずに文句を垂れようとも、俺の意思で夢は終わらなかった。

 

 何と無しに、詰まるところ全て、俺は発狂していた。

 

 娘が旅に出てからというもの、王都の自宅と竜王国にいる間を除いて、ナザリックに籠って娘の動向を気にする俺の行動は荒んでいた。

 

 図書館に籠って魔術書の類を天井へ積み上げんばかりに何日も読みふけったかと思えば、突然に走り出して宝物殿の奥の仲間(ギルドメンバー)の姿を模したゴーレムを眺めて何日も過ごした。パンドラと協力して鉄の輪を組み合わせた変な帽子を作ったかと思えば、それを頭に嵌めて何日も眠り続けた。お次は、宝物殿にて色鮮やかな球体が大量に描かれた絵画に手を当てて蛇の頭を垂らし、すすり泣くような声で誰かに謝り続けた。

 

 一週間以上も宝物殿に引き籠ってから、今度は国外に出て共同墓地の墓荒らしを始めた。それにも飽きたのか、大量のNPCたちを引き連れて竜族狩りに出かけ、とっ捕まえた竜族の高慢なプライドが粉微塵に砕け散るまで殴り続け、泣いて命乞いをする竜の顎を掴んで笑いながら引き裂いていた。同行したNPCは喜んでいたが、歪んだ笑みの俺はちっとも楽しそうではなかった。

 

 乱獲をツアーに咎められたのでナザリックへ逃げ帰り、バーで最高強度の酒を飲み続け、千鳥足でベッドに倒れ込んで数か月も眠り続けた。目覚めたら態度が一変し、上機嫌の俺は酒瓶を抱えて極寒のコキュートスの(ねぐら)を訪ね、雪女郎の純白の肌がどこまで赤くなるのかと歯の浮く台詞で褒めちぎった挙句にセクハラまがいの行為に出たり、執事室を訪問してペンギンのナザリック転覆計画を真面目に捏ね繰り合わせたり、ルベドと子供の教育について語り明かしたりした。

 

 全身黒づくめで周囲を戸惑わせる行動を繰り返すそいつは、魂を回収する営業成績が悪くて生活が乱れる死神に見えた。態度が荒れれば荒れるほど、それに反して娘は順調に旅を続けていた。

 

 見ている俺まで発狂しそうになったころ、俺はナザリック内のバーのテーブル席で、砂糖の塊にブランデーをぶっかけたかと思えば、ガリガリと騒々しい音を立てて美味そうに丸齧りを始めた。デミウルゴスがバーを訪れ、気が触れた俺の対面に腰かけた。

 

「ヤトノカミ様、精糖はいかがですか?」

「ん、悪くないかな」

「光栄です。魔法で作り出した砂糖を精製し、より純度を高めた精糖は御身の脳を満足させるに相応しいかと」

 

 忠臣は眼鏡を正して満足げに笑った。

 

「興味本位でお伺いしますが、蛇様の濡れたコンピュータは御身に何を要求していらっしゃるのですか」

「胸に突き刺さった棘を抜けって言ってんのさ」

「ならば、直に満たされるでしょう。ご息女は二日後にナザリックへ侵入してきます」

「それじゃないんだが……まあいいか」

 

 俺は残った砂糖を丸呑みにして、酒で体内深くへ押し込んだ。酒が零れて顎を伝ったが拭く気配はなく、濡れた鱗がぬらぬらと光った。

 

「予定より早かったな。仲間は何人だ?」

「学校の同級生であるアウラとマーレ、身分を偽っているプレアデスを除き、五名です」

「強さは?」

「正攻法では第一階層の半分も進めず、しゃれこうべをナザリックの廊下に転がる調度品としますね。ヤトノカミ様のご息女は先に進めますが、恐らくそうはなさらないでしょう。仮に進んだとしても、シャルティアに阻まれます。御子様のレベルはプレアデスに毛が生えた程度です」

「……仕方ない、いつもの手を使うか」

「畏まりました。いつもの、でございますね」

 

 デミウルゴスの眼鏡が輝いた直後、視界は暗転した。

 

 

 

 

 小高い丘の上、ここはナザリック地下大墳墓の入り口があった場所だ。土で埋め立てられたナザリックの跡地に、墓碑がぽつんと残されている。一人の少女が墓碑に酒を振りかけ、しゃがみ込んで拝んだ。

 

「世界を救った蛇神ヤトノカミ、ここに眠る……か」

 

 少女は夜に呟いた。

 

 月の逆光が顔面は黒く塗り潰していたので表情はわからないが、俺を父親と呼ぶのは一人しかいない。少女の後ろから小柄な人影が声をかけた。

 

「シャル、何をしてるんだ?」

「お祈り」

「……邪魔したな」

「いいよ、もう戻っから」

 

 娘と少年は連れ立って野営地へ戻った。闇の中に浮かび上がる焚火の周囲に複数のテントが並べられていたが、全員が眠っているようだ。炎を挟んで少年と娘は腰かけた。互いに無言で火を眺めていたが、沈黙は娘の鼻歌(ハミング)で儚く消えた。

 

「恵みあれーこのー愛しき地にー、紡がれし、想い湛え。光あれーこのー優しき空。生くる者にー……愛をー……永久にー……」

「綺麗な声だな」

 

 確かに歌声は澄み切っていた。歌い終えて満足した小娘は、マシュマロを木の枝に刺してたき火で焼いていた。焦げ目がついた甘ったるそうなそれをほお張り、予想以上の熱さに驚いて口からマシュマロ弾を撃ち出し、対面の少年は頭を振ってそれを躱した。

 

「……何をやっているんだ」

「あっち! ふーふー……あんたさ、これが終わったら人殺しなんて止めなよ」

 

 小娘は直前の失態をなかったことにした。どうやら娘の仲間は人殺しらしい。そんなのを仲間に選ぶ娘もどうかと思ったが、そちらの俺も番外席次に手を付けていたので言及は控えた。

 

「俺は人を殺さずにいられない。自分でもどうすればいいのかわからないんだ。お前の父に会えば何かが変わるかもしれない」

「ぶっ殺されるよ?」

「俺には、他に何もないから」

「頭悪すぎぃー」

 

 娘は深い溜息を吐いた。俺によく似ていた。

 

「別にいーじゃん。誰にも認められなくったって」

 

 娘は立ち上がり、両手を広げて微笑んだ。

 

「耳をすませば聞こえてくるでしょ。草木のさわめき、水のせせらぎ。焔のゆらめきと風のささやき……朝になれば小鳥が囀り、太陽は光を降り注ぎ、たまに碧玉の雨が降る。大地は私たちの足跡を残してくれる。見て、この世界は、こんなにも優しい」

 

 俺は娘の所作にラキュースの面影を見て、その美しさに見惚れた。対面に座った少年も同じく、微笑む娘に見惚れていた。

 

「罪を背負って彷徨うあんたの足跡はきっと、別の誰かに繋がっていく。世界はそうして回り続ける。だって、こんなに美しくて、優しい世界なんだから、きっと誰かが罪を赦してくれる。生きた証は世界のどこかに残るんだよ」

「そんな生き方、俺にはできない」

「してるよ、今」

 

 娘は少年の隣に腰かけ、至近距離で顔を眺めた。微笑みは崩壊し、小馬鹿にするように嗤いながら少年の肩に手を置いた。ほろ酔いの中年男性が絡み酒をする顔だ。

 

「弱いくせに生意気なんだよ。強い弱いってのは力じゃなくて、心が弱すぎんの。わっかるかなぁ?」

「……」

「憎悪と愛情に踊らされし咎人に、薔薇と蛇の祝福を」

 

 少年の手の甲に唇を触れさせた。振りほどいた少年は涙を拭ったように見えた。俺の子は、デリカシーをラキュースの胎内に置き忘れて生まれたようだ。

 

「いつかあんたの子供を産んであげよっか。世界に残すあんたの足跡。虹色先生が言っていた蛇の生命の大樹」

「……死ね、馬鹿」

「ナザリック地下大墳墓の攻略だよ? 死ぬかもしれないんだから。生きて帰ったらあんたは私の彼氏ね。財宝の管理と私の面倒を見てよ、死ぬまで」

「……お断りだ」

 

 それは俺も同感だった。子どものくせに恋をしてほしくない。

 

「はぁ!? 人が甘い顔してりゃ、つけあがりやがって! 薔薇と蛇の御子を舐めんなよ!」

「うるせえ! みんなが起きるだろ! 働けクズ!」

「このくそラヴレス! 私のお父さんに助けてもらったくせに!」

「黙れ馬鹿シャル! お前の知ったことか!」

 

 どちらも馬鹿だ。

 

 ラヴレスの名に聞き覚えがあったが、記憶の扉は開かなかった。可愛げのない少年にはぴったりな名前だと思ったが、それが娘の彼氏とは認めたくなかった。糞餓鬼同士の喧嘩をひとしきり眺めたあと、視界は暗転した。

 

 

 

 

 それから、あたら早回しで時間が流れた。

 

 俺はナザリック地下大墳墓の第六階層の闘技場で娘と殴り合い、俺のせいで満身創痍の娘を抱きしめて和解した。逆境に立たされた娘はレベルアップした。あと僅かでも娘を痛めつける時間が長ければ、闘技場の隅で待機していたアインズさんと殴り合いになっていた。彼は腕を組んで壁に寄りかかり、娘を痛めつける俺に赤い瞳を光らせていた。

 

 ラキュースがその場に駆けつけ、俺は正座させられて懇々と説教された。レイナースが止めるのも聞かず、気が付けば娘まで隣に正座させられて父子仲睦まじく怒られ、見ていたアインズさんは苦笑いしていた。説教が終わって足が痺れた俺は、レイナースの肩を借りてようやく立ちあがった。何をしても格好がつかない状況で、娘に人差し指を突きつけて言った。

 

「俺は、お前を選んだよ。可愛い俺様の馬鹿娘」

「うっさいよ、馬鹿親父」

 

 彼氏の肩を借りてようやく立ち上がった娘は笑った。俺は家に帰り、娘や妻と酒を飲んだ。彼女らは俺の空白を埋めようと、魔導国の情勢や知人の今を事細かに話してくれた。唯一、俺は娘の彼氏を認めず、彼女は不満そうだった。

 

「だってー、父さんがあいつを助けたんだよー?」

「今でこそ言うがな、俺は殺そうとしたんだぞ」

「生きてりゃ、なんかいいことあるってばー」

「お前は魔導国の次期女王だ。相手は慎重に選べ」

「自分だって身分なんかありゃしないくせに、お母様と結婚したんじゃん。おじいちゃんから聞いてるよーだ。ばーか、ばーか、ハゲ親父ぃー」

「……ハゲてねえぞ」

 

 俺は青筋を立てながらも無理して笑ったが、唇が引き攣っていた。後で合流したアインズさんは、ナザリックに娘専用の部屋を設けてくれた。改めて翌日、娘はナザリックの玉座に呼び出され、AOGの指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)の授与式が行われた。ほぼ全てのNPCたちが参加し、皆一様に感動して見守った。

 

 翌日から、改めて娘に会わせろと騒ぐNPCたちが、俺の自宅をひっきりなしに訪れた。大半は世間話や挨拶だけで終わったが、コキュートスだけ問題を起こした。

 

「オォ……御子ヨ! 薔薇ト蛇ノ御子ヨ! ドウカ、コノ私ヲ“(じい)”トオ呼ビクダサイ!」

 

 ちょっと自分に酔っている節があった。

 

「あー……えぇー?」

「早速、明日カラ剣ノ稽古ヲ致シマショウ!」

「コキュートス……あまり興奮しないでくれ、寒い」

 

 彼はその荒い息を吐き出すたびに邸宅の温度を下げて、俺が冬眠する寸前まで温度を下げ続けた。コキュートスが夢の世界から帰ってきてくれたのは俺がぶっ倒れた音が聞こえてからだった。娘は寒くなって早々に、煙幕を焚いて逃げ出していた。

 

 

 それからの日々は、本当に楽しかった。

 

 

 

 

 魔導国の蛇の邸宅、この日に起きた騒動の引き金は一通の請求書だ。寝間着姿で欠伸をしながら寝癖の立った頭をかき回す俺は、使者の届けた請求書を見るなり両の目をひん剥いて意識を覚醒させた。

 

《会員制レストランの付けが溜まっております。御子様の飲食代、合計額は白金貨13枚です》

 

 ご丁寧に日本語で書かれていた。白金貨だとわかりにくいが、金貨に換算して130枚だというから狂っている。一撃で頭の血管がぶち切れた俺は、絶望のオーラに全身を覆われた大蛇となってナザリックに単身突入した。

 

 該当人物は与えられた自室のベッドで寝転がり、鼻歌を歌いながら漫画を読んでいた。枕元にポテトチップスの袋が置いてあり、シーツに散らばる食いカスが自堕落な生活態度を垣間見せ、大蛇の怒りを煽った。アインズさんと大喧嘩したときと同程度に怒っていた。

 

「このクソガキがぁああ!」

「え、わ、うわああああ!」

 

 躊躇いなく放たれた《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》はベッドを破壊して突き進み、壁に巨大な切り傷を付けた。紙一重で飛び退いた娘は漫画本を手放すことなく、口にはポテトチップスが咥えられていた。

 

「モグ……どうしたの、お父様」

「てめえ、俺の名前でどんだけ飲み食いしてんだこのガキャ!」

「申し訳ございません、お父様……お腹が空いていたもので、つい。反省しておりますわ」

 

 漫画本を床に置き、跪いて頭を下げた。態度だけは反省しているように見えたので、俺の声は落ち着きを取り戻した。絶望のオーラに変化はなく、怒りが冷めたようには見えない。

 

「そうか、なら仕方ないな。ちょっとこっちこい」

「え? えへへ……お父様ぁ」

 

 大蛇は不用意に近寄った娘の頭を鷲掴みにして、空中へ放り投げた。

 

「死ねぇ! 《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》」 

「甘い! 《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》」

 

 二本の衝撃波がぶつかり、入口の扉が破壊された。扉の影から事態を見守っていた一般メイドが泣きそうな声で言った。

 

「ああ……またドアが壊れてしまった。これで16回目ですぅ」

 

 いつものことらしい。すぐに彼女はどこかに走っていったが、親子喧嘩は続いていた。

 

「なんだよ! いいじゃん別に! 食べ盛りだし!」

「人の金で飲み食いすんなっつってんだよ! 自分で働いて稼げ!」

「支配者の娘なんだからそんくらいいいじゃん!」

「いつまでも甘ったれてんじゃねえぞ!」

「私の前に出てきたのは最近だし! ぽっと出てきて父親面すんな糞ジジイ!」

「てめえ言わせておけば……表出ろこの野郎がぁ!」

「上等だぁ! 馬鹿親父がぁ!」

 

 闘技場で武器の火花を飛ばしながらしのぎを削りあう親子は、ラキュースが怒り心頭でナザリックへ乗り込むまで喧嘩を続けた。

 

「お前もいっぺん死んでみろっ!」

「そっちが先に死ね!」

「なぁあああにやってんだコラアアアア!」

 

 ラキュースの怒鳴り声が一番大きく、二人の動きは瞬間凍結した。俺と娘は冷や汗を流し、ラキュースに言われるがまま正座をした。メイドの動きは手慣れたもので、ラキュースの後ろに椅子を持ってきた。闘技場の入り口で見守るアインズさんをしり目に、正妻は椅子にふんぞり返り、人差し指(タクト)を振って長い説教を始めた。

 

「シャル! あなたは魔導国の次期女王として、他国へ顔を出したり、政治で手腕を振るったり、時には領内を荒らす魔獣の討伐に乗り出したりするの! お父様だけでなく、ナザリックの皆さまへ多大な迷惑をおかけするなど許されません!」

「メンドクセ……」

「あぁん? なにか言ったかクソガキがぁ!」

「ヒッ、何でもないです……ごめんなさい、お母様」

 

 青筋を立てて怒る彼女は、さながら不動明王だ。レベルはさておき、迫力だけなら絶望のオーラⅤを超えていた。怒鳴られた娘の体が跳ねあがり、隣で見ていた俺の口角が歪んだ。ラキュースはそれを見逃してくれなかった。

 

「馬鹿蛇! あなたがしっかりしないから娘が真似するんでしょ! 恥ずかしくないの? 支配者として跡を継ぐ自分の娘がこんな自堕落なアホ垂れで! あなたがアインズ様の半分でもしっかりしていれば、シャルももう少しまともになったはずなのに! あなたがしっかりしないからじゃないの!?」

「……酷くない?」

「……ちょっと酷いよな」

 

 俺と娘は共通の鬼に出会って通じ合っていた。片方が怒られればもう片方に飛び火するので、自然と共振(シンパシー)も生まれる。

 

「きっと女の子の日だよ。あ、でも、お母様は熟女の日かな」

「おま……言い過ぎじゃね?」

「……そろそろ帰ろっかな、彼氏が待ってるし」

「まだあいつと付き合ってんのか?」

「うるさいなぁ、暇なら私に弟か妹でも作ってなよ」

「おい、意味わかって――」

 

「聞いてんのかコラぁ!」

 

 俺と娘も手慣れたもので、即座に土下座した。

 

「お母様、すみませんでした」

「ラキュースさん、ごめんなさい。二人目は早く作ります」

「ああ!? 反省が足りないわね! ヤトだけ居残り!」

「やったー!」

「えぇー……」

 

 どの場面でも似たようなものだった。俺と娘は喧嘩ばかりして周囲を巻き込む大騒ぎを起こし、最終的にラキュースが激怒して場を治め、怒るラキュースはレイナースが宥めてくれた。ラキュースの絶対王政を敷く、バランスのとれた家族とも言えた。時おり番外席次が家に訪れ、王都の裏組織とか、竜王国の報告をして、一泊して帰っていった。それ以外はいつも通りに俺が娘と喧嘩していたが、どの場面の俺も楽しそうに笑っていた。見ている俺も楽しかったので、口が緩むのがわかった。

 

 

 だから――

 

 

 本当に楽しかったから、俺はこれから先に起きることに気付いてしまった。俺に都合よく物事が進んだことは、これまで一度たりともない。そして、俺が気付いたことに夢の作成者も気づいたらしく、俺の夢は一気に飛んだ。最も見たくなかった、世界の真実が描かれた未来へ。

 

 

 

 

 ベッドに臥せる黒髪隻眼の男の傍ら、椅子に腰かけたアインズさんが悲しい声で言った。イビルアイとアルベドが後方壁際に佇んでいた。

 

「ヤト、なぜアンデッド化を拒む。今からでも遅くない、私と共に来い」

 

 俺の姿は何も変わっていない。老けもせず、若返りもせず、歳月を感じさせない若いままだ。返事代わりに、俺は口角を歪めた。

 

「ヤト、私を残して逝くのか。お前は、ゲームを引退したときのようにまた私を置いて行くのか」

「アインズさん……アルベドと二人にしてほしい」

「私の質問に答えろよ……アルベド、私は外にいる。何か起きたら声をかけなさい」

 

 アインズさんはイビルアイを連れて出ていった。番外席次とドラ公の姿も見えず、室内には俺とアルベドだけが残された。俺が老衰で死ぬという歳月の経過を考えると、ラキュースとレイナースは死んでいる公算が高い。アルベドは椅子に腰かけ、体を少しだけ傾けた。

 

「何でしょうか、ヤトノカミ様」

「お前の望みは、俺が叶えた。だから、これから先はお前たちの番だ」

「私の望み……」

「至高の41人は永遠に戻らない。俺は自分の子供に会いたくて、他の世界との接続を全て消して帰ってきた」

 

 見ている俺に驚きはない。俺が後悔するとしたら、アインズさんがもっとも望まない展開、仲間の帰還に何らかの影響を与えたと予想はついていた。その範疇から逸脱せず、俺の言葉は理解できる。納得は到底できそうになかった。

 

「……あの方のためを思うのであれば、怒るべきなのでしょうね。かといって、嬉しいとも感じませんが」

「お前も魂があんなら自分の欲望のために生きろ。前に自分で言っただろ、NPCこそアインズさんの家族で、かつての仲間は必要ないって。俺も今ならそう思える」

「……歳月は人を待たず。私も年を取りましたわ」

「頭いいくせに馬鹿だな。見た目は年取ってないだろ、俺も、お前も」

 

 口角を歪めた俺は嬉しそうだった。

 

「アルベド……俺は……ずっと後悔してる。だから、後はお前に任せたい。これからお前はあの人と長い時間を共有する。あの人の、仲間への執着を愛で塗り替えろ」

「私にできるでしょうか……種族特性として執着していらっしゃいますが」

「やるしかないんだよ。俺はもし、人生をやり直せるなら、お前と一緒にアインズさんのために生きたいと思う。彼の執着心が消えれば、きっと楽しいラブコメ的な物語になるから」

「ヤトノカミ様は、なぜそこまでアインズ様のために」

「一人の友人として、アインズさんのために命を捧げて生きたい。そんな奴が一人くらいいてもいい。現実で取るに足らない無価値な俺が、同じように天涯孤独の身のあの人のために、友人として何かできるならしてやりたいと思う」

 

 俺が現実世界で充実した人生を送っていたら、絶対にそうは思わない。俺は、現実に何もないアインズさんに、異世界転移したのであれば今度こそ幸せになってほしいと思った。それは夢と現実で共通する俺の考えだ。

 

「……羨ましいです。私はあの方の最愛にさえなれずにいる」

「頑張れよ、アルベド。失敗したら、あの世からまた喧嘩しにくるからな」

「お待ちしております」

 

 アルベドは立ち上がり、室外のアインズさんを呼びに行った。すれ違いですぐにアインズさんが入室してくる。たかだが友人の一人が死ぬだけなのに、彼の動作は慌ただしい。

 

「ヤト、アルベドに何を」

「俺が死ぬまでまだ時間があります。最後になると思うから、全て話しておこうと思うんです。まず、俺たちが魔王と戦ったあたりから」

 

 魔導国が落ち着いてから、俺とアインズさんは仲間を探す手段を探し続けた。遂に叶わないと知った俺たちは最後の手段、《星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)》を発動した。結果は無残なもので、世界を破壊する魔王とその眷属アバターを召喚してしまう。娘の出産時期が今の俺とずれている理由がようやくわかった。

 

「懐かしいな、数十年の歳月が経っている……。お前は自分を犠牲にして異次元に消えたんだったな。娘の暮らす世界を守るために」

「……アインズさん、俺は……その……帰ってくるために酷いことを」

「それが死ぬ理由ならば話してほしい」

 

 俺はこの世界に帰還するため、他の世界との接続を遮断した。門の出入り口は一つだが、行き先が一つとは限らない。俺は自分に関連する次元に引き寄せられないよう、他の世界との接続を根絶する必要があった。中には俺たちがいた現実世界も含まれていた。最悪の判断と選択肢の果て、俺は我が子と同じ時代を生きたかったと、暗い声で説明した。

 

「プレイヤーは二度とこの世界に来ないのか……」

 

 俺は頷いた。

 

「ごめんなさい。俺がみんなの帰ってくる可能性を消してしまったんで」

「気にするな。可能性があっても、再会できたとは限らんからな。私はお前と共に歩めただけでも楽しかったよ」

「……ごめんなさい。ごめんなさい……ごめんなさい。俺が……」

 

 俺はすすり泣くようなか細い声で、震える手を伸ばした。

 

「ずっと、後悔していたのだな……」

 

 震える俺の手を、アインズさんは両手で掴んだ。

 

「ヤト、私はお前を責めはしない。我が子に会いたいと願うお前を、誰が責められるのだ。いつものように、俺の子供のために全部捨ててから帰ってきてやったんだと言えばいい。それでこそ私の友人だ」

「ごめんなさい。俺が、俺なんかが、アインズさんの未来を――」

「NPCといい、お前といい、正気とは思えんよ。私みたいなもののために命を賭けてどうする」

「……好きだからでしょ」

「私にその筋の趣味はないのだが……」

「へっ、相変わらずアホ垂れですね。成長が少しも見られないのは天然記念物モノですよ。あんたが幸せにしてるのを見んのが楽しいってやつですよ。俺だけじゃなくてNPCも、アインズさんがオとした女全員も、きっとブレインやガゼフとか、アインズさんを知っている全員がそう思うでしょうね」

「……困ったものだな」

 

 返答の内容の薄さが、彼の困惑度合いを表していた。

 

「俺が死んでも、どうか悲しまないで。魂は生まれ変われるなら、いつか再会できるから」

「そう願いたい。ナザリックの玉座で、生まれ変わったお前と再会しよう。何度も、何度でも俺たちは永遠に友になり続けよう、世界が終わる瞬間まで」

 

 それから、アインズさんは番外席次とドラ公、娘夫婦が孫と曾孫を抱いて現れるまで、徐々に弱っていく俺の手を無言で握っていた。程なくして俺は、後妻と娘と孫に見守られながら息を引き取った。

 

 無慈悲にも夢は終わってくれなかった。

 

 

 

 

 今日も変わることなく、ナザリック地下大墳墓の玉座に座るアインズさんの隣に、隻眼の大蛇が佇んでいた。アインズさんは大蛇を振り返った。

 

「ヤト、今日はシャルの子がアダマンタイト級になったぞ。お前も私も年を取ったな」

 

 アンデッドとなった蛇神の体に魂は入っていない。

 

「お前もたまには王都へ顔を出せ。魔導国の蛇は永遠に不滅だと国民に教えなくては」

 

 どれほど呼びかけようと、徐々に体が朽ちていく俺は無言で指示に従っている。それ以外の感情や意識は存在しない。

 

「シャルも随分と立派になった。お前が死んでからというもの、自他ともに認める立派な女王だ。人間が暮らす大陸の僻地は一枚岩となり、我らの力を借りることなく異形種の侵攻を何度も跳ねのけている。あれは、我々の可愛い娘だ」

 

 俺の赤い瞳に意思が宿ることは永遠にない。

 

「早くも次期国王として、お前の孫が推薦されたよ。しかし、お前に似て暗い性格なのが不安だ。隔世遺伝なのだろうか。彼はお前によく似ているよ。どちらかと言えば、裏組織の頭目の方が似合っているかもしれん」

 

 今日もアインズさんは、玉座の隣に佇んでいる俺のアンデッドに話しかける。返答は永遠に返ってこないと知りながら。

 

「アインズ様」

 

 美しい所作でアルベドが入室した。

 

「アルベドか。どうした」

「……シャルが来ました」

「お久しぶりです。アインズおじ様」

 

 成長した娘は顔立ちや金髪のくせ毛までラキュースによく似ていた。俺と喧嘩していたあの日の気怠さは、魔導国の女王となった彼女には見られない。凛々しくも強い魔導国の女王だ。

 

「お父様の死体を、解放してくださいませんか」

「……」

「魂はここにないと、おわかりのはずです。今のアインズおじ様を見たら、お父様はとても悲しむと思います。ですから、どうか……もうお止めください」

「……シャル、済まないが、その話は」

「……それでは、先に魔導国の情勢について報告を」

 

 娘は業務連絡をし、悲しい顔で俺の死体を一瞥した。すぐに表情を締め直し、改めてアインズさんに願い出た。

 

「おじ様。私に子供ができた今ならお父様の心がわかります。お妾をあちこちに作ったのも、深酒で弱気になっておじ様へ謝り続けたのも……。我が子と過ごす時間を選んだだけのことが、お父様にとってどれほど地獄だったのか」

「……」

「父は私を心から愛してくださいました。私の成長を見守り、共に過ごす時間を選んでくれたお父様を疎ましく思ったときもありました。今は、父を心から愛しています。しかし、死ぬ最後の瞬間までお父様の見えない涙が止まることはありませんでした。お父様もまた、おじ様へ執着しているのです」

「………私は……仲間に執着することを止められないのだ。これは種族の特性が変質したもので、私個人の感情ではない」

「お父様が穏やかに眠るため、おじ様もその執着心を捨ててください。その汚らわしい肉塊を、お願いですから破壊してください」

 

 アインズさんが立ち上がった。眼下に宿った赤い光点に優しい色は無い。明確に怒っている。

 

「友を捨てろというのか! お前にとっては愛する父親だが、私にとってもかけがえのない友だ!」

「おじ様はアインズ・ウール・ゴウンでしょ! 種族の特性なんて、いつもみたいに踏み潰せばいい! それが、お父様の捨てきれなかった願いなんだから!」

 

 アインズさんは力尽きたように玉座へ座った。

 

「私は過去を乗り越えられない……弱い人間だ」

「っ……」

 

 シャルロットは歯を食いしばって立ち上がった。

 

「どうして……お二人はそうも馬鹿なのですか……。他に幸せになる選択肢が、この世界にいくらでもあるというのに……」

 

 魔導国の女王となった娘は、ドレスを翻して出ていった。アルベドは娘の暴言も咎めず、悲しい顔で娘の背中を見送った。アインズさんはぜんまいが切れた玩具のように、しばらく動かなかった。

 

 翌日も、その翌日も、翌日も隻眼の大蛇は玉座の隣に立ち、玉座のアインズさんは俺に話しかける。

 

「ヤト、私は間違っているのか。友の死を乗り越えられない私を、お前はどう思う。王のくせに間抜けだと笑うだろうか」

 

 俺は答えられない。

 

 翌日も俺は答えられない。

 

 俺が答えられる日は永遠にこない。

 

 

 

 

 ある日、虹色と白金が訪れた。

 

「アインズ……ヤトの死体を……」

「アンデッド化した。彼が忘れられて本当に死ぬことのないようにと思ってな」

「魔導王……君の友人がこの姿を見たら、さぞかし荒れ狂うに違いない」

「なぜだ。彼の魂は――」

「魂は再利用される可能性が高いが、確約された法則ではない。私は、妻の転生者と未だ巡り合えずにいる」

「ヤトは、最後まで君のことを心配していたよ。こうなってほしくないとね」

「放っておいてくれないか……私が好きでやっているのだ」

 

 アインズさんは立ち上がり、白金と虹色に背を向けた。彼の顔が振り向くことは彼らが退室するまで遂になかった。

 

 今日もアインズさんは俺に話しかける。しかし、死体のアンデッド化は体の状態を永遠にする魔法ではない。ゆっくりだが、俺の体は確実に朽ちていた。

 

「ヤト、シャルもそろそろ100才だ。祝いの品は何がいいか」

 

 口から垂れていた俺の舌が腐って落ちた。

 

「……修復を頼まなければ」

 

 アインズさんは部屋を出ていった。部下の手で強引に補修され、ホチキスでつぎはぎされた俺の舌。これは俺ではない。見るも無残な肉の人形だ。精神を掻き乱し、尊厳を冒涜する汚らしい肉塊に見えた。

 

 翌日、アルベドが玉座の間にて申し出た。

 

「アインズ様。どうか執着をお止めください。御身にはイビルアイと私がいます。人間の妾は先立ちましたが、我らはアインズ様と共にあります」

「……アルベド。ヤトの生まれ変わりは見つけられたか?」

「いえ、残念ながら……」

「頼む、アルベド。他のことは後回しでよい」

 

 アルベドは自分の胸に手を当てて叫んだ。

 

「私たちでは力不足でしょうか! 私もイビルアイも、こんなにアインズ様のことを愛しているのに、御身の心は永遠に私たちへ向けられないのですか!」

「アルベド……」

「いつまで……そんな蛇の形をした肉の塊に執着なさるのですか! これはヤトノカミ様ではなく、蛇の形をした肉の塊です! 御身ができないのならばいっそ、私がこの手で葬って差し上げます。いつかのように!」

「っ!」

 

 アインズさんは長柄斧(バルディッシュ)を持って近寄るアルベドの頬を張った。彼女は瞬時に涙を浮かべ、武器を放して泣き崩れた。わかっていたが、こんな場面は見たくなかった。俺は、ただただアインズさんが悲しかった。

 

「……うぅ……うわああああ!」

 

 泣き崩れる彼女を、アインズさんは黙って見ていた。イビルアイが騒ぎに駆け付け、悲しそうな目でアインズさんを眺めたが、何も言わずにアルベドの手を引いて出ていった。扉が閉じてアルベドの泣き声が途絶えた玉座の間で、アインズさんはいつまでも立ち尽くした。大蛇の肉塊は何も映さない瞳で眺めていた。

 

 

 数日後、アインズさんは俺の前に立ち、聞こえるように呟いた。

 

「ヤト……私は、間違っているのだろうか」

 

 死体の俺は答えない。

 

「私の話を聞いているのか?」

 

 魂はそこにはない。

 

「答えろ!」

 

 肉の塊の右手を掴むと、元から腐っていた俺の右手が捥げた。

 

「ヤト、私を置いて行くなよ……私は現実だけでなく、異世界でも独りぼっちじゃないか」

 

 互いに知っていたはずだ。俺の体をアンデッドに変えたところで、生命体に死は万遍なく平等に訪れる。魂が剥離した肉体は肉の塊で、それ以上、それ以下の価値なんかない。

 

「こんなの……ユグドラシルよりもよほど寂しいじゃないか。どこにもお前がいないなんて、悲しすぎる。私を置いて行くなよ。私は仲間の残したNPCたちを置いて死ねないんだ」

 

 知っている。

 

 いっそのこと全員、死んでしまえばいいのに。

 

 

 

 

 暗雲とした気配が立ち込める玉座の間に、アルベドが呼び出された。

 

「アルベド、私は何のために生きているのだろうか」

「……」

 

 頬を張られてから今日まで、アルベドにフォローをしていないようだ。彼女はこれまで見たことない悲しい顔をしていた。

 

「二度と仲間に会えないことが決まり、唯一のヤトは永遠に戻らない」

「私の愛ではご不満でしょうか。お願いです、どうかこれ以上、ヤトノカミ様を苦しめないでください」

「私を残して死んだあやつが、苦しんでいるとも思えんが……」

「今わの際、あの方は最後の最後までアインズ様の友であろうとしました。自分が裏切り者だと苦しみながらも、最後までアインズ様を心配していました」

「……」

「執着を愛情に塗り替えることこそ、蛇様より私に課せられた命題です。そうでなければ、御身の妻である資格がございません。私は、永遠にヤトノカミ様に勝てませんもの」

 

 アインズさんは立ち上がり、あちこちにガタがきている俺の前に立った。

 

「寂しいはずなのに……悲しいはずなのに、この体は涙も流れない。私は本当に悲しいのだろうか」

「アインズ様……」

「本当は少しも悲しくないのかもしれない。唯一の友人だというのに、こうして死体をいつまでも残している。彼の後妻が死に、彼の娘が死に、孫が死んだというのに、私はいつまでもヤトへ執着を続ける……私は化け物だ」

 

 アインズさんは俺の体を黄金の杖で殴った。

 

「何がナザリック地下大墳墓だ!」

 

 朽ちた俺の頭が取れ、玉座の奥へ飛んでいった。首を捥がれながら、蛇の肉人形はそこに立ち続けた。指示が無ければ朽ち果てることもできない、腐乱した哀れな肉塊の俺。

 

「仲間と一緒に冒険ができれば、それだけで良かったのに。私が共に歩んでほしかったのはこんな肉塊ではない。こんなに苦しいのなら、初めから誰も帰ってこなければ良かった! 私は永遠に一人で、みなを見守るだけでよかったのに!」

 

 アルベドは涙を流して俺の体を砕いていくアインズさんを見ていた。俺も涙の流れない両目でアインズさんの激痛を眺めていた。

 

「それとも、自分でも気づかぬうちに俺は死んでいて、過去へ執着するだけの亡霊に――」

「アインズ様!」

 

 アルベドは背後からアインズさんに抱き着いた。両手を腰に回して死体の破壊を止めた様子は、抱き着いたというよりも捕まえたという方が正しい。

 

 扉が小さく開き、とててっと音を出してイビルアイが掛けてきた。

 

「アルベドさん」

「イビルアイ、下がっていなさい。これはナザリックの問題よ」

「違う。これはサトルの問題だ」

 

 彼女の強い目で、アルベドは拘束を外した。アインズさんは振り上げた拳を下ろし、静かに振り返ってイビルアイを見た。いつも通りの髑髏の顔が、唇を噛みしめて両目から涙を流しているように見えた。

 

「キーノは……ラキュースが死んでも悲しくなかったのか」

「とても悲しかった……」

「お前はずっとこんな苦しみの中で生きてきたというのか。なぜ耐えられるんだ。そしてなぜ、私は耐えられないのだ」

「サトル……」

「友人の死を背負って前に進めない自分が情けない。あいつがいたら、きっと俺を笑うだろう。支配者のくせに馬鹿だなと。これがかつてのギルドの名を冠した魔導王、アインズ・ウール・ゴウンだというのだから笑えるな」

 

 俺はそんなこと言わないし、思わない。死別という永遠に千切れぬ鎖がどれほど罪深いことなのか知った。イビルアイとアルベドには荷が重すぎた。

 

「虹色に……会いに行こう」

 

 歩き出した彼の方角が後ろか前か、まだわからない。

 

 

 

 

 パタンと音がして、アインズさんを見つけた虹色は本を閉じた。本に埋もれた書斎で、虹色の少年は手を差し出して座るように促した。貸し与えられているくせに偉そうだった。

 

「君が私を訪れると、大分前に予想はついていた。もっとも、私の予想より遥かに時間がかかっているところを見ると、私が考えるよりも辛抱強い性格だったようだな、魔導王」

 

 虹色もソファーへ腰かけた。お茶は出てこないようだが、互いに気にした素振りはない。

 

「君の聞きたいことは把握している。この世界は生まれ変わりという現象がしばしば起きるが、すべての魂が転生するとは限らない」

「そこまでは知っている。私の考えでは、魂になったものは未練があればこの世に留まるようだ。転生した者、未練の無い者は蘇生を拒否するが、それ以外で確実に蘇生ができない死に方がある」

「老衰……だな」

「そうだ。寿命を終えたヤトは、本人がどう考えようとも蘇生できない」

「君が既に試した前提で話を進めさせてもらう。結論を言えば、転生の法則は不明だ。神の采配、運命の裁定、因果律の趣旨は、我らの叡智と経験を嘲笑う。君たちの所持する書物を読み漁ったが、取っ掛かりさえ見つからない。昔は全ての魂が再利用されていると考えていたが……私の妻の魂は、今ごろどこで人生を謳歌しているのやら」

「愛していたのか?」

「君に自覚があるか不明だが、最近の君は大蛇によく似てきた。過去に囚われ、苦悩にのた打ち回り、前に進めず同じ場所を彷徨っている」

「文字通り、生ける屍(リビング・デッド)だとい言いたいのか」

 

 虹色の少年は不敵に笑った。

 

「人間くさいと言いたいのだ」

 

 アインズさんは首を傾げていたが、不快に思ったようには見えなかった。

 

「私は妻と再会を果たしたい。あの叡智が対等に渡り合えるもの同士に許された、削り合う知の火花に焦がされたいのだ。ラナー王女でも楽しめたが、彼女は持って生まれた性格が妻と違い過ぎた。我が妻は無色透明なる叡智の塊だ。やはり彼女でなければならない」

 

 アインズさんは腕を組んで悩んだ。彼の頭骨内を把握しているように、虹色は話を続けた。

 

「何よりも考えるべきは、どうすれば人間に生まれることができるのか、だ。人間とは特質な生物なのだよ。これほどまでに弱く、猜疑心に囚われやすく、頭も悪く、醜く、愚かだが、彼ら以上にプレイヤーへ近い存在はない。食料としての人気が高いが、千年近くも続いているこの世界で絶滅していないのが不思議でならない」

 

「人間に生まれるには何か条件が必要だと言いたいのか?」

 

「然り。生半可なものが人間に生まれるとは思えん。この世界の種族数は君たちの世界と比べ、秀でて多いわけではない。問題なのは、人間を容易に殺害できる種族が多い点だ。この世界における人間とは、荒れ狂う海原に小舟で放り出された蝋燭のようなもの。風、波の飛沫、雨、その程度のもので吹き消される儚い存在(フレイル)、守護されるためだけに産まれた被保護者(クリエンテス)、異形なりし世界の愛玩動物だ」

 

「そうか……人間に生まれる可能性は数百年後、あるいはもっと先かもしれないな」

「長い時間の暇潰しに相応しい」

 

 虹色は声を上げて笑った。彼が穏やかに笑うところを初めて見た。

 

「私と君は種族こそ違えど、悠久を生き永らえる異形。今は亡きラナー王女の言葉を借りるならば、“醜く長き生”なるもの。プレイヤーが二度とこの世界に現れないということは、言い換えれば君たちの脅威は永遠に現れない。世界を征服し、全ての種族を管理下に収めてから蛇の生まれ変わりを探せばよかろう」

 

「世界征服はしないって……」

 

「いいや、ただちに成すべきだ。征服ではなく、管理下におけばいい。白金も今となっては何も言うまい。白金はどちらかと言えば君寄りだ。本心では、かつて共に旅をしたプレイヤーと再会できるものなら試したいと考えている。財宝でも与えてやればすぐに動くだろう。私にしても、妻を探す命題が捗り助かるのだが」

 

「むしろそちらが目的だな? ただでさえ知性の高い参謀三名に、虹色まで加われば世界征服は容易に可能だろうがな」

 

「ドラウディロンは蛇との間に子を儲けられなかった。当時はさして気にしなかったが、今となっては悔やまれてならない。彼女は蛇の死で変わった。未だに蛇へ操を捧げている。私の持つ生命の樹も直に途絶えよう。蛇の残した生命の樹が羨ましいものだ」

 

 アインズさんは世界征服については言及せず、虹色と協力関係の握手を交わした。

 

 それから――

 

 アインズさんは俺への執着を背負い、虹色やツアーやリグリッド、NPCを伴って世界中を回った。冒険の旅といえば言葉の響きはいいが、結局は俺への執着心を捨てられないのだ。

 それから更に数百年が経過しても、アインズさんは俺を見つけ出すことができなかった。知っている顔が誰もいなくなった世界で、盲目の忠誠を捧げるNPCたちに跪かれ、アインズさんが呟いた。

 

「寂しいなぁ……過去に戻れたらいいのに。またヤトに会いたい……もう一度、この世界をやり直したい……あと何百年……何千年待てばいいのだろうか」

 

 場面は徐々に暗転していき、世界は闇に覆われた。次の情景が始まる気配はない。

 

(こんなもんを見せやがって、どこのどいつだ……絶対に殺してやるからな……)

 

 いくら執着心が強いとはいえ、ここまで強いとは思えない。見たくないものを延々と見せられた俺は、血管がふっ切れかねないほど腹が立っていた。

 

(こんな……こんな終わり方……こんな結末、俺は許さない)

「こんな……こんな終わり方……こんな結末、俺は許さない」

 

 俺の声は、よく似た声と寸分たがわず重なった。

 

 視点は声がした方角へ動いていく。遠くで小さな明かりが見えた。近寄ると、淡い光を放つ光の玉が、大きな鏡の前で浮いていた。鏡の中に先ほどのアインズさんが映り込んでいた。距離が詰まるに従い、光の玉は人間に変わった。

 

 跪いて涙を流し、謝り続ける黒髪隻眼の男。

 

 これは、俺だ。

 

 魂だけになってもアインズさんに執着し続ける、どうしようもない馬鹿で、不器用な生き方しかできない俺が、許してくれと泣いている。

 

「アインズさん……俺はっ……ぅぅっ……うああああああ! 俺だけが救えたのに! 俺だけがあの人を幸せにできたはずなのに!」

 

 鏡の中のアインズさんへ縋りつきながら、俺は自分の顔を書き毟っていた。左の傷痕から出血し、白濁した目が赤く染まった。左目から血の涙を、右目から透明な涙を流し続けていた。

 

「あぁ……あああ! 俺だげが! 俺に‟じがでぎながっだのにいい!」

 

 何の価値もない俺みたいな屑に、命を投げ出してくれるアインズさんが何を望んでいたか、誰よりも近くで見てきた俺は、誰よりも深く知っていた。我が子会いたさに負け、俺が永遠に叶わぬ願いに変えてしまった。

 

「……こんな未来のために帰ってきたんじゃない……やり直そう……もう一度……よぐ・そとおす! よぐ・そとおす! いあ! いあ! よぐ・そとおす! おさだごわあ! 副王! もう一度だけ召喚に応じろ!」

 

 闇の中、色鮮やかな球体がいくつも浮かんで消えた。上空に開かれた巨大な二つの瞳が、泣き喚く俺を見下ろしていた。穏やかな声の何かが、泣き虫の俺に聞いた。

 

禁断の地(クン・ヤン)で哭いた邪神。何を望む》

 

「モモンガさんの未来を変えたい。世界をやり直したい。仲間を呼び戻し、世界のイベント全部をやり直したい! 最後に敵のいない世界が欲しい。モモンガさんが永遠に幸せな世界が欲しい!」

 

《何を捧ぐ》

 

「俺の全てを捧げる! 俺はどうなっても構わない!」

 

《世界隔絶後、再構築開始……アクセス承認。哭いた邪神は、これより世界の創造主なりせば》

 

 穏やかな声でアナウンスが流れ、鏡の中の世界が消えた。紅と無色の涙を流す俺は、両手を組み合わせて祈った。

 

「頼む、次の俺。今度は間違えないでくれ」

 

 言い終えた俺が消え、後には真の闇が残った。

 

(これが……世界の真実……か? もしかするとこれも、そうであればいいと願った一つの未来かもしれないな)

 

 俺は、これが真実であればいいと思った。

 

 いま見た俺は1つ前の俺。

 

 そして、俺は2周目の俺だ。

 

 思えば初めから、この世界はアインズさんに都合が良すぎた。考えれば考えるほど、初めからアインズさんのために行動していたような気がしてくる。当たり前だ。一つ前の俺がそう造り替えたからな。

 

 俺が結婚したのは、アインズさんに結婚させるため。

 俺が妾を作ったのは、アインズさんに女を教えるため。

 俺が人間を殺したのは、アインズさんの手を汚させないため。

 俺が暴れ回っていたのは、アインズさんの国を繁栄させるため。

 俺がこの世界にいるのは、アインズさんの世界征服を阻止するため。

 俺が竜王国で暴れたのは、アインズさんだけに忠誠を集約させるため。

 俺がここにいることこそ、2回目も間違えようとした馬鹿な俺を正すため。

 

 全ては仕組まれていた。1つ前の俺から、2回目の俺に託された未来。俺の命は、アインズさんの未来を変えるため、たったそれだけのために生まれ直した生だったんだ。

 

 それが真実でなくても、俺の信じる真実であればいい。生きる理由と死ぬ理由を見つけた俺は、全ての疑問がどうでもよくなった。

 

 思い出すのは、獣人(ビーストマン)を虐殺した、あの日の決意。

 

 嫁や子供と一緒に楽しい余生を過ごしたい。それは今でも変わらない。だが、そうして選んだ未来は、永遠に続くアインズさんの孤独だと知ってしまった。これまで見た俺の比でないほど後悔し、自分を責め続け、死ぬまで苦痛の余生を生きるなんて、俺には耐えられない。どの面下げて可愛い娘に、お前のためにアインズさんを裏切ったと言えるんだ。

 

 闇の中、穏やかな声が聞こえた。

 

《問う。友、夫、父、どれを望む》

 

 俺は問いを与えられた。答えは随分と昔に出ていた気がする。俺の口は自然に動いていた。

 

 

「   」

 

 

 視界に蜘蛛の巣状のひびが入り、ガラスが割れるように視界が砕けた。

 

 

 

 

 ―――俺の夢は唐突に終わった。

 

 

 目を開くと周りは霧で埋め尽くされ、周囲の景色は少し先も見通せない。見通せる範囲の少し先、黄色い布切れが転がっていた。

 

「おい、黄色。俺はどんくらい寝てた」

 

《二日だ》

 

 数百年が経ったというのに、実際には48時間しか経っていないのだから、夢とは便利なものだ。俺は体を起こし、黄色い布切れを見下ろした。

 

「なあ、お前は自分が何周目か知っているか?」

 

 黄色いのは答えなかった。

 

 俺の仮説が正しければ、この世界は俺によって都合よく作られた二周目だ。邪神を自称するこいつなら何か知っているかと思ったが、どうやら自覚はないようだ。こいつも、俺に都合よく造り替えられた道具でしかない。俺の目的は門を開いて消えることだ。そこには、モモンガさんの求めるものがある。逆に言えば、そこにしか存在しない。

 

 黄色いのは記憶を改変され、俺をここへ連れてくるためにあった。俺が母親の顔を覚えていないのも、数百年が経過していれば忘れて当然だ。もしかすると、デバッガーチームの存在自体が嘘かもしれない。世界のどこかにいる何かは、こいつを傷つけて俺に夢を見せるため、またはモモンガさんたちをここへ導くためにあった。

 

「なあ、この世界の主役は俺の友人だと思うか?」

 

《主役とは、己が信念に則り、夢と理想を実現させる者。これまでにたどった軌跡を思い出せ。お前は何を願い、何を守ろうとした。これからお前は、何を選ぶ》

 

 そう考えると、現状で有利なのは――

 

「……俺、か」

 

 主役という響きは重苦しかったが、仮説の証明の1つになった。俺の物語とは、モモンガさんを世界の主役に据え、彼の未来を平穏な幸福にする物語だ。なんて楽しい物語なのだろう。得も言われぬ充足感が胸に溢れ、俺はこれまでの人生でこんなにも自分が生きていると実感したことはない。

 

《教えてくれ。貴様の目的と敵を》

 

「俺の目的は門を開いて俺の未来を消し去ることだ。俺の敵は、オーバーロードのアインズ・ウール・ゴウン」

 

 黄色いのは立ち上がり、ひび割れた仮面で俺を見た。

 

「それと、彼の記憶を改変したいんだが、面倒なことにワールドアイテムが体内にあるんだ。何かうまい手は無いか?」

 

《私が対象の体に触れる必要がある。次元隔絶の魔法を設定し、行使と同時に私が憑りつかなければならない。他の全てを犠牲にする覚悟はあるか?》

 

「覚悟……ねぇ。そんなのとっくにできてるよ。数百年前からな」

 

《ふむ……? これより突貫工事の調整を行う。門を仮召喚し、活性化されるまで小一時間。それを耐え忍べば貴様の勝ち。そこで倒れれば門が閉ざされて負けとなる。仮召喚と同時に霧が晴れ、我らは君の同胞に捕捉される。それが闘争の狼煙となろう》

 

 俺は黄色いマントを装備した。体が徐々に造り替えられ、俺の人間性が崩れていくのが分かる。とても心地が良かった。当たり前の行為として誰かを思い、自分を犠牲にしているどうしようもない馬鹿を、今なら好きになれそうだ。

 

 

 モモンガさん。

 

 

 世界に一人くらい、あんたのために死ぬ奴がいてもいいと思わないか。

 

 

 俺はここにいる。

 

 

 あんたが幸せになる未来のため、あんたを打ち倒すためにここにいる。

 

 

「ああ……気持ちがいい。もう、ここで死んでもいいや」

 

 

 開戦の狼煙はそれから数時間後の夜、門の召喚と同時に上がった。

 

 

「最後の戦いを始めるぞ。俺とモモンガさん、いい加減にどっちが主役か決めよう。自分の未来を賭けて、相手の未来を掴み取るのはどっちなのか」

 

《本当に良いのだな》

 

「頼んだぞ、相棒」

 

《この世界に武器破壊者がいないと祈っている。私の耐久力は大きく落ちている》

 

「安心しろよ。アイテム破壊マニアのヘロヘロさんはいないから」

 

 

 黄色いマントが俺の全身を覆い、体が得体の知れない何かに変わっていく。

 

 

《自動操縦》

 

 

 俺の意識が途絶える直前、邪神になった俺は夜に向かって咆えた。

 

 






次回予告

逆十字の冒涜者は黙して語らず、世界を閉ざす魔王(ロキ)は壇上に上がる。
今宵、カッツェ平野に雨が降り、誰かが消えた彼誰時(かはたれどき)に吹く一陣の風。
見える景色は同じであれど、俺たち全員の胸の内、決して同じではない。

夜と月は去り、朝陽(かぎろい)に残るは切なさと、もういないという記憶


次回、「旧支配者のレクイエム」

第9話、「泣いた赤蛇」


どうか、全て忘れてください

俺が勝手にしたことだから



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