モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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(人の夢)


儚くも乾いた喉を潤す上昇気流と蒼天

 

 

 ――栄光への愛着は全てを許す――

 

 

 

「青空の向こうには何があるんだろう」

 

 ヘロヘロは呟いた。

 

 この日、ナザリック地下大墳墓へ緊急招集が走った。

 

 手の空いたNPCではなく、可能な限りのNPC全てが玉座の間へ集められ、何らかの非常事態かと僕たちは戦々恐々としていた。一まとめになったナザリックは一時的に警備の網が緩み、ナザリックを埋め立てて造った小高い丘で、空を見上げるにうってつけだった。

 

 一部、上昇気流で破壊された雲が、水を掛けられた綿あめのように散っていた。時おり、雲間から覗く巨大な浮遊物も、もしかしたら大きなドラゴンや、浮遊する大陸かもしれない。

 

「ヘロヘロさん、準備ができたそうです」

 

 気が付くと、アインズに背後を取られていた。

 

「や、モモンガさん……じゃなくて、アインズさん」

「モモンガでいいですよ。ギルドメンバーなら」

「でも、奥さんのアルべドはアインズさんって呼んでるんでしょ? 僕がモモンガって呼んだら立場がないでしょう」

「……そうですか?」

「そうですよ」

「そうですか……」

「だから、そうですよ」

 

 髑髏で表情の判別はできないが、雰囲気はどことなく寂しそうだ。

 

「……そろそろ行きましょうか」

「……」

 

 NPCたちの前で演説するのは気が重い。

 

 41人中2人、精神の沈静化を持っているヘロヘロとアインズならば、いかなる状況でも冷静に対処ができる。頭でそう理解していても、緊張しないわけではない。何より、ソリュシャンの顔を忘れていた自分に、そんな態度を取る資格があるのか疑問に思えた。

 

 数日間も待ったをかけた現状、これより先延ばしはできない。ヘロヘロは観念してため息を吐いた。

 

 満を持して玉座の間。

 

 一向に現れないアインズに、集結した(しもべ)の緊張は最高潮に達している。数えきれない参列者が待ち構える荘厳な玉座の間。皆が最も怯えるのは、アインズが他の至高なる41人と同様、このナザリックを去るという事態であった。この場を支配しているのは、唾を飲み込もうなら音が周りに響き渡る静寂だ。ヘロヘロの帰還を知っている参謀三名が中央に跪き、顔を伏せて王の到着を待っていた。

 

 アインズとヘロヘロが、導火線が爆弾に達する寸前、玉座へ転移した。アインズは何も言わず玉座へ向かい、黄金の杖を突く音がカツン、カツンと響く。誰一人として、声を上げるものはいない。魑魅魍魎、百鬼夜行、そんな言葉ではあまりに陳腐である異形の参列者は、双眸を限界まで見開き、黒い粘液体へ視線を収束する。

 

 アインズから離れること数メートル、なめくじのように這うヘロヘロを見て、遂にどよめきが起きた。ホムンクルスの女性たちは小さな悲鳴を上げる。王は沈黙を保ち、玉座に腰かけた。

 

 黄金の杖を傍らに待機させ、椅子に寄りかかって片手を差し出した。

 

「みな、静かにせよ」

 

 その一言で、全ての僕が口を閉ざす。ヘロヘロは精神の沈静化を図り、友人の行動を称賛した。たった五ヶ月で、よくぞここまで練り上げられるものだ。どれほど自分が崇められ、称えられる存在だと知っていても、役割演技(ロールプレイ)と割り切ったとしても、彼のように堂々とはできない。

 

(随分、手慣れたよなぁ……俺も)

 

 人間くさい心の声は本人にしか聞こえない。

 

「ヘロヘロさん、今日の主役なんですから、こちらへ」

「あ、はい、すみません……」

 

 精神の沈静化を図った彼を、玉座の前まで促した。彼の一挙手一投足におびただしい視線が集まり、絡みついて動きを鈍くした。

 

「アルベド、これで全員か?」

「はい。第四階層守護者のガルガンチェア、桜花聖域のオーレオール・オメガとその配下、私の妹、第八階層のアレら、現世より登用したラナー王女とクライムなど、一部の僕を除き、あらゆる僕が御身に平伏し、お言葉を賜りたく待っております」

「そうか」

 

 アインズは立ちあがった。

 

「みな、面を上げよ」

 

 伏せていた顔が一斉に上がる。

 

「急な招集、よくぞ集まってくれた。彼を見れば、その理由も知れよう。既に知っているものもいると思うが、今は私の話を聞け」

 

 アインズは片手をあげ、ヘロヘロを見るように促した。一般メイドの3割が、唾を呑む音が聞こえたような気がした。

 

「ヘロヘロが帰還した」

 

 静寂、そして同時に、ヘロヘロに作られた一般メイドおよそ13名が、静かに涙を流した。

 

「ヘロヘロが帰還した!」

 

 すすり泣きが聞こえてくる。なおもアインズは繰り返す。

 

「ヘロヘロが帰還した! ヘロヘロが帰還したのだ!」

 

 心が叫ぶまま、アインズは同じセリフを繰り返した。

 

「っこ……これが……これが何を意味するか……お前たちにわかるか!」

 

 刹那、泣いているような声になったのは聞き間違いだと思われた。それほどまで、アインズの声量はいつになく大きい。

 

「どれほど渇欲し、焦がれたかわからぬ。ナザリック地下大墳墓を作り、ユグドラシルの世界へ名を轟かせた至高の41人が、その一人がここにいるのだ!」

 

「ヘロヘロ様ぁ……」

「うっぅぅ……」

 

 女性の泣き声が漏れてくる。

 

「ナザリック地下大墳墓を作り上げた至高の41人、これは過去の栄光ではない! お前たちは自らの創造主がナザリックを去ったと思っていただろう。それは私も同様だ。既に記憶にある創造主は、過去の遺物、破り捨てられた聖書、色褪せた黄金…………などではない!」

 

 声は尻すぼみになったが、怒号にも似た声に皆が体を跳ね上げた。

 

「どれほど自分を誤魔化し、言い訳をしようと、無かったことになどできはしない! 彼らとの日々は、お前たちと同様、この私の胸にも燻っているのだ! ヘロヘロが帰還した今日こそが! ……今日こそが、ナザリック地下大墳墓の栄光を取り戻す刻だ!」

 

 パンドラが小声で何かを呟いた。

 

「ペロロンチーノ、ぶくぶく茶釜、たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっち餅、ぷにっと萌え、タブラ・スマラグディナ、音改、武人建御雷、ばりあぶる・たりすまん、源次郎、ウルベルト・アレイン・オードル、やまいこ、明美……」

 

 アインズの声は一時的に震えたが、すぐに普段の声色を取り戻した。

 

「……一人として、一日として、考えない日は存在しなかった。お前たちと同様、私も彼らの帰還を渇望している」

 

 アインズは拳を握り、下から突き上げた。

 

「聞け、僕たちよ! ヘロヘロが帰還した今日こそが、大墳墓の黎明だ! この私に、もはや迷いはない!」

 

 アルベドが唇を噛み、涙をこらえているのが見えた。

 

「お前たちに厳命する! 探せ! この世の果てまで、世界の終りまで、陸海空の彼方まで、草の根かき分け、至高なる41人を、私の友を、お前たちの創造主を、世界を統治する41人の神々を見つけ出せ! お前たちの求めるものと、私が求めるものは同一だと知れ!」

 

 ヘロヘロの気分が演説により昂り、精神の沈静化を図った。

 

「至高の41人が揃い、我が名がモモンガに戻る日こそ、我らアインズ・ウール・ゴウンの名を世界へ知らしめるときだ! 覚醒の銅鑼を鳴らし、希望の沈黙を打ち破れ、渇望者たちよ! 至高の41人を集め、アインズ・ウールゴウンに輝きを取り戻せ!」

 

 アルベドが涙をこぼすまいと唇を強く噛み、アインズの呼びかけに応じた。

 

「っ……ご……御下命、受け賜りました。これより我らは、未だ消息の知れない39名の捜索に入ります。アインズ・ウール・ゴウンに、栄光あれ」

 

《アインズ・ウール・ゴウンに、栄光あれ!》

 

 みなの声が反響して体の奥へ響く。

 

 アインズは手慣れたもので、その程度で精神の沈静化を必要とせず、ヘロヘロを促した。

 

「ヘロヘロさん」

「は、はい!」

「皆に声をかけてやってくれないか」

「あ……はい」

 

 緩慢な動作でレッドカーペットの中央に立つと、彼らの視線で体が動かなくなった。

 

 思い返せば、世界へ転移したヘロヘロが感じたのは、自由と同量の孤独だった。ヘロヘロは他人の目を気にしなくて済んでいたが、アインズは大量のNPCたちに慕われ、敬われ、支配者として君臨するよう求められたのだ。彼は自由さえ満足に与えられず、仲間の残したNPCに応じ続けた。決して、誰にも心が許せない状況で150日間、生者への憎悪という種族特性を、恐らくは戻ってこないであろう仲間たちへの執着に変えて。

 

 今のアインズは、ギルドマスターとして記憶にあるアインズよりも人間らしかった。同時に、早々と合流できなかった過去を心から悔やんだ。

 

「なんか……すみませんです。アインズさん」

「?」

「あー……ゴホン。みんな、ただいま」

 

 ヘロヘロはNPCを眺め、わざとらしい咳払いをした。全員が口を閉ざし、自分の言葉を待っているのだ。

 

(どうしよう。何か、何か言わなくっちゃ……あ、鎮まった)

 

 冷静になったヘロヘロの前に、複数の選択肢が存在する。

 

 支配者としての態度。これは一般企業の社長をアインズとし、取締役か部長クラスに収まり、彼らを一般社員として扱う。アインズとヘロヘロで命令の優先順位が曖昧になるのが欠点だが、NPCたちはそれを望んでいる。

 

 アインズの友人として振る舞う。こうなった場合、接しやすく、話しも聞いてくれる学校の先輩に近い立ち位置だ。ナザリックの運営には直接的に介入せず、アルベドを初めとする参謀たちの立場を尊重できるし、NPCと距離も近くなる。それは同時に、自身がナザリックに何の貢献もしないということだ。

 

 もう一つは、至高の41人を降りる。これは命令伝達系統がわかりやすい。アインズを組織の頂点とするナザリックというピラミッドの形成。頂点にアインズがいる以上、余計な軋轢は生まれない。しかし、理由は不明だがこれだけは選んではいけないという危機感があった。

 

 そして、最後は――

 

「おr……私はしばらく席を外してしまった。その点を、改めてみんなとアインズさんへ謝らせてほしい」

 

 ヘロヘロは過去のわだかまりを解消し、アインズの意向に従う選択肢を選んだ。言い終えてから、最良の選択肢だと思えた。黒い粘体色のスライムは目を光らせ、小さい球体のようになって座りこんだ。

 

「ヘロヘロさん! それはだ――」

「アインズさん、今は俺の番ですよ」

「……」

 

 何をしようとしたか察したアインズが止めるも、ピカピカと明滅するヘロヘロの両眼に押し戻された。そのまま両手を床につけて、頭を赤い絨毯に擦りつけた。土下座しているのは明らかだった。

 

「本当に、済まなかった。生きるためとはいえ、ナザリックを去った私を許してほしい」

 

 空気を伝わるのは全員の動揺だ。彼の行為は、いわば王が下々の者へ土下座をすると同義で、敬愛するNPCからすれば信仰が揺らぐある種の冒涜的な行為だ。沈黙が支配する場に流れるは、ヘロヘロの謝罪文句のみ。

 

「あちらの世界で飼い殺しにされ、メイドたちの名前さえ忘れていた俺は、支配者失格だ」

 

 ヘロヘロはアインズに向き直り、改めて頭を下げた。

 

「アインズさん、俺はソリュシャンの名前と顔さえ忘れていた。アインズさんがこの150日、もしかするとそれよりも前から、どれほど寂しくて、苦しかったのか、考えもしなかったよ。現実に何もない俺たちには、何か縋るものが必要だったのに、それを察する想像力さえ失っていた」

「……」

「俺を、許してくれますか?」

 

 アインズは黄金の杖を掴み、末端を地に叩きつけた。衝撃波が参列者へ襲い掛かり、全員がそれを受け入れた。

 

「ナザリック地下大墳墓の栄光は、我らを含めた41人と共にあらなければならない。彼の謝罪を否定する行為は、アインズ・ウール・ゴウンの過去へ泥を塗り、ナザリック地下大墳墓を冒涜し、自らの尊厳までも貶める行為である! この中でヘロヘロの帰還に異を唱えるものがいれば、速やかに申し出ろ!」

 

 デミウルゴスが立ち上がり、眼鏡を正した。

 

 アインズとヘロヘロの内心に冷や汗が滲み出たが、予期したものとは違った。

 

「恐れ多くも申し上げます。このナザリックに属する者、生きとし生けるもの全て、死を拒絶せし不死なる者ども、意思無き魑魅魍魎、外部から招き入れた僕、果てはこの大墳墓の空気まで、全てがアインズ様へ忠誠を誓っております。しかし、ナザリック地下大墳墓の黄金時代。至高の41人の御方々がこの墳墓内で行動なされた過去は、どれほど踏みつけられても色褪せぬ一級の美術品、他の何物にも代えがたき至宝でございます」

 

「然り!」

 

 急に立ち上がったパンドラに二人は驚いた。

 

「至高の41人の御方々の帰還を以て、大墳墓は幸福に統治されることでしょう。それはアインズ様の未来と直結していると知った今!」

 

 彼は拳を握り、アインズの動作に似せて高く掲げた。

 

「よもや誰が口を出せましょうか! 41人のぅ御方々の帰還により、この大墳墓の規律や主義は塗り替えられ、真の黄金時代を迎えるのでございます! これぞまさしく、アインズ・ウール・ゴウン神話体系! 世界へ新たな神話が生まれる物語の序章!」

「う、うむ、そうか……」

 

 アインズはそう答えるのが精一杯だった。これまでは仲間がいなかったので彼の仰々しい振る舞いも看過できたが、今はヘロヘロがいる。手を伸ばすと届く場所にヘロヘロがいるのに、自らの手で創造した彼が恥ずかしかった。

 

 誤魔化すように最後の一人、アインズの懸案事項の一つ、アルベドに問う。彼女の涙の意味も、慈愛に満ちた眼差しも、内に秘めた謀も、アインズには見通せない。

 

「アルベド」

「私の答えは決まっております。一人の女として、最愛の夫の幸福を願わない女が存在しますでしょうか」

「う、うむ……」

「改めて、申し上げさせていただきます」

 

 アルベドは微笑んで立ち上がり、ヘロヘロにお辞儀をした。

 

「おかえりなさいませ、ヘロヘロ様」

「ありがとう、アルベド。俺を受け入れてくれたアインズさん、ソリュシャン、俺が作った他のメイドたち、NPC全員に、心からお礼を言うよ。本当にありがとう」

 

 ヘロヘロが頭を下げた。

 

 長く、本当に長い間、彼は頭を下げていた。メイドたちのすすり泣く声が聞こえはじめる。それに当てられて、メイド以外の創造物のすすり泣く声も混じった。

 

 ヘロヘロは頭を上げ、改めてNPCたちを眺めた。

 

「だから、みんなで探そう。みなの言う、至高の41人を探そう。連絡して、こちらへ呼び寄せる手段を探すんだ。俺は支配者としての態度はよくわからないし、頭もそこまで良くはない。俺はアインズさんのために、みんなを呼び戻す方法を探すから、みんなにも手伝ってもらいたい」

 

 ヘロヘロはアインズへ近寄っていく。

 

「ただいま、モモンガさん!」

 

 出来の悪いシイタケのような黒い触手が伸ばされ、アインズは歩み寄ってその手を取った。

 

「おかえり、ヘロヘロさん」

「もうどこにも行きませんよ」

「そう願いたいです」

 

 やがて握った手は離された。

 

 

《おかえりなさいませ、ヘロヘロ様》

 

 

 僕たちが泣いている。自身の造物主と再会を夢見て、ヘロヘロの帰還に歓喜し、生まれて初めてアインズが自らの感情を吐露してくれた光栄に、それぞれの想いに差はあれ、満場一致で歓迎されていた。

 

 彼らの感情は昂り、ナザリック全体が上昇気流のような興奮に揺れた。未だ彼らの声は玉座の間に轟いている。

 

「本当に、戻ってきて良かった。これから他のみんなも探さないと。この世界にいるかもしれない、他の誰かとか。彼らとコンタクトを取る手段を探さないと」

「そう……ですね」

 

 アインズは内心ではわかっていた。ヘロヘロはここにいるだけの理由がある。サービス終了間際に再ログインをし損ねたからこそ、彼はやや遅れてここにいられる。それでは、その行動さえしなかったものは、この世界に来られる理由がないのだ。可能性があるとすれば、ヘロヘロの後にログアウトした蛇と、アルベドに《真なる無》を渡したタブラ・スマラグディナ、自分の与り知らぬ場所で転移しているかもしれない数名だけだ。

 

「またみんなで遊べたら楽しいでしょうね」

 

 ヘロヘロの声は弾み、想像力が勝手に動き出した。たとえば、最初に戻ってきてほしいのは誰か考えたが、すぐに結論が出た。アインズと最も交流の深かった、姉によく怒られていた男だ。アインズが喜ぶ最良の選択は、彼しかあり得ない。

 

「本当に……そうですね」

 

 寂しそうにアインズは呟いた。

 

 すぐに頭を振って感傷を振り切り、僕たちに呼びかけた。

 

「ヘロヘロに作られた創造物のみ、私の権限で自由行動を許可する。他は解散して構わん。彼に抱き着きたいもの、胸を借りて泣きたいもの、頭を撫でてほしいもの、自由にせよ。私はここで眺めていよう」

「へ? ちょっ」

「以上、行動開始!」

 

 ヘロヘロの受難は唐突に始まった。そのぬめぬめぷるぷるした神々しい姿を見てからずっと我慢してきたため、メイドの動きは異様なほど素早かった。当然、ヘロヘロは自分が作ったメイド達に取り囲まれた。

 

「ヘロヘロ様ぁ!」

「ちょっ、うわあああ!」

「二度とお側を離れませんわ!」

「お忘れになられたのなら、もう一度、覚えてくださいませ!」

「二度と忘れられないようにして差し上げますわ!」

「ちょっとぉぉ! アインズさーん!」

「ヘロヘロ様ぁ、今夜、お部屋にお邪魔してもよろしいでしょうかぁ」

「ちょっと! 抜け駆けは駄目!」

「うふふ、私は既にご寵愛を――」

「ソリュシャンさま! あんまりですぅぅ、うええええん!」

「ちょっと、みんな落ち着いて話を――」

「無理です!」

 

 黒いスライムを核にしておしくらまんじゅうをする美女のメイドたち。玉座に座るアインズは微笑ましいものを眺めるように、穏やかに見守っていた。一部のNPCたちは名残惜しそうに持ち場に戻ったが、大半の僕が自信の創造主が戻ったときの参考にすべく、ことの成り行きを見守った。

 

 最前列を一瞥すると、シャルティアがなにやら不穏な動きをしている。赤い光点の瞳を凝らしてようく見ると、メモ帳に鉛筆で何かを書き込んでいた。

 

「なるほど、あのようにすればいいでありんすね」

「シャルティア、あんたメモを取るのはいいけど、色々と書き込み過ぎじゃないの? 後で読み返してもわかりにくいから、重要な場所だけ書けばいいのに」

「お、お姉ちゃん! 茶釜様に会えるよ! きっとこの世界にいるよ!」

「あ……ぅ………うん」

 

 守護者たちは特に過熱している。手始めに周辺を捜索するに当たり、シャルティアとアウラ、マーレは連れて行ってやろうかと思った。特に、シャルティアはドワーフ国で失態を演じている。それ以上の実績を上げたので遺恨はないが、彼女が気にしていないとも限らない。

 

(それに、シャルティアがこういう性格なのは、元を正せば彼の仕業だからな)

 

 彼女の暴走を加味するとアウラは必須で、妙に盛り上がってるマーレも息抜きにいいかもしれない。

 

「たす、助けてくれええ!」

 

 ヘロヘロがどれほど助けを求めようと、アインズは一切を無視した。本気で助けを求めていたが、これから異形の支配者として君臨するものには相応しい経験だと思っていた。いざとなれば、一国を任せるような状況に陥るかもしれない。ハニートラップを防ぐには女性慣れしておかなければならないのだと、独特の持論(ドクトリン)に基づいていた。

 

(まぁ……これじゃあ、しばらくヘロヘロさんと外へ遊びに行けそうにないな)

 

 彼の想定通り、ヘロヘロはここから14日間、自室から一歩も出てこなかった。

 

 

 これは、希望を騙る果てしない別れの物語ではない。

 

 鈴木悟という人間を辞めてしまった一般人の、夢が実現する物語。

 

 

 世界に異変が起きたのは、そこから10日後のことだ。

 

 

 

 

 人間とは、年を取るごとに一日の体感が早くなる。10代は一日が随分と長く感じたものだが、30代に差し掛かってからというもの、おむすびが坂道を転がるように過ぎていった。

 

 あれほど熱中したゲーム、漫画、アニメなど、全ては過去の遺物だ。30代になった彼は、まずゲームを辞めた。

 

 クリア済みでもシナリオが好きだったからインストールしたままになっていたエロゲも、滅多なことでは起動しなくなった。

 

 アニメも見なくなった。漫画はたまに見るが、それでも三十路を境にめっきりと頻度は減った。

 

 それが大人になるということなのだろうが、つまらない人生だと思っていた。

 

 帰宅してから翌日の出勤時間まで、家で過ごす僅かな時間は、ネットサーフィンで下らないニュースを読んだり、買いもしないエロゲの攻略記事を読んでいた。

 

「はぁー……」

 

 不意に目に留まったネットニュース記事を見て、彼はため息を零した。一日一回、この手の記事で気分が沈む。

 

 死神の手が肩へ乗っているような気がした。

 

 玄関のポストに紙が投函された音が聞こえる。スライムのような緩慢とした動作で体を動かし、封を破いた。内容は眉唾物で、荒唐無稽な空想(ファンタジー)への招待状だった。セールスや闇金のダイレクトメールかと思ったが、差出人の名も、連絡先さえ書いていない。

 

「寝よう……」

 

 手紙を机に放置して、ベッドに入った。

 

 この日、過去にプレイしていたオンラインゲームの夢を見た。

 

「だから、シャルティアの切り札はエインヘリアルなんですよ。極端な話、複数でPVNをやるなら、それさえ何とかしちゃえば大丈夫だと思うんです。結局、ガチビルド系になっちゃいましたけど、モモンガさんのNPCはなかなか強いと思うんですよ。たとえば、モモンガさんと彼で組んでシャルティアに挑めば……」

「……」

「モモンガさん?」

「……」

「モモンガさん、どうしました? 寝落ちですか? モモンガさーん」

「……後はお願いしますね、ペロロンチーノさん」

 

 明らかにモモンガの声ではなかった。

 

「モモンガさん!?」

 

 自分の叫び声で目が覚め、気が付くとベッドで体を起こしていた。

 

 汚染された大気を突き破り、朝陽が顔に差し込んだ。

 

 昨日の手紙といい、その日に見た夢といい、やはり手紙は本物なのだろうかと、胡坐をかいてしばらく考え込んでしまった。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに、栄光あれ……か」

 

 言い得て妙な台詞だ。そんな台詞は誰も言わなかったのに、自然と口から出ていた。

 

 悩み過ぎて身支度する時間が無くなり、寝癖を直す間もなく家を飛び出した。休憩時間、久しく連絡を取っていない姉にメールを送った。

 

 

 

 

 両親の一周忌が目前まで迫った週末、彼女の電話が鳴った。仕事以外の電話は久しぶりだった。連絡の末、弟は姉の部屋を訪れ、一周忌の打ち合わせを兼ねた雑談になった。

 

 会話が途切れた合間に、弟はいつになく冷静に言った。

 

「なあ、姉ちゃん」

「なに?」

 

 弟は言葉を躊躇っていた。言いたいことがあるならはっきり言えばいいものをと思い、弟の顔を久方ぶりに正面から見据えた。ゲームで馬鹿をやっていた時と比べて随分と落ち着いたものだが、それは彼女自身にもいえることだ。

 

「もう、いいんじゃないか?」

 

 「なにを」とは聞かなかった。

 

 「もう(仕事、辞めても)、いいんじゃないか?」と言いたいのだ。彼は印字されたネットニュース記事を、紙飛行機にして放った。軌道がうねって頭から垂直落下し、彼女の隣へ落ちた。翼には《声優業界の闇。GやHをはじめとして枕が横行》と書かれていた。

 

「ネットニュースなんて大半が捏造だろうけどさ、こんなに多いと」

「なーに? 心配してんの? 弟のくせに生意気だな」

「いや、気分悪いんだよ。そのGって姉ちゃんだろ?」

「多分……ね」

 

 このような場合、否定しても嘘だと判断される。肯定したら素直に信じられてしまう。対応に困り、敢えて言及は避けた。

 

「働かなきゃしょうがないじゃん」

「明日、父さんと母さんの一周忌だよ」

「わかってるよ。それが何?」

「どんな顔して墓参りする気だよ」

「真面目に仕事してる私を、天国で喜んでくれるよ」

 

 弟は声を荒げた。

 

「もう見てらんねえんだよ。ここ最近、鏡を見たことあんのかよ! 自分がどんな顔してんのかわかって言ってんのかよ!」

 

 彼に言われるまでもない。彼女自身がよくわかっている。最近では怖くて鏡の前に立てない。それでも働かなければ生きていけない。彼女が「お兄ちゃん!」と叫ぶことで喜ぶ男性が、世界のどこかにいるのだ。

 

「……だって、仕方ないじゃん。生きてるんだから」

 

 記事の真偽は、互いにそれ以上、口にしなかった。

 

 彼は胸ポケットから一枚の手紙を取り出した。彼女にも同じものが届いており、内容は知っていた。

 

「試してみないか?」

 

 提案した弟を目を細めて眺めた。

 

「あんた、エロゲーやり過ぎて頭おかしくなったんじゃないの? ただの悪戯じゃん」

「俺は試してみる。行方不明になったら異世界に飛んだと思ってくれ」

「ちょっと、なに馬鹿なこと言ってんの。明日は一周忌だよ」

「それが終わったら行く。だから、姉ちゃんも来いよ」

「駄目だよ。そんな現実逃避みたいな真似。だって、ウイルスとかでPC壊れたら買い直す余裕ないし、犯罪に巻き込まれるようなことになったら――」

「姉ちゃんはさー、今の仕事を続けるより、少なくともマシだと思うぜ。俺たちだって、もうそんなに長生きできないんだから」

 

 彼はそう言って部屋を出て行った。

 

 手紙に書いてあった日時は明日、一周忌を終えた週末の夜だ。

 

 

 

 

 ――Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game

 

 D M M O R P G、通称《Yggdrasil(ユグドラシル)

 

 このオンラインゲームは、五ヶ月ほど前にサービス終了した。かつては姉弟で遊んでいたが、今では思い返すのも稀だ。そんな彼女と彼の自宅へ、差出人不明の手紙が舞い込んだのは数日前。

 

 封蝋など見るのも珍しく、赤い蝋の花びらが薔薇を思わせた。物珍しさに惹かれて爪で叩くと、コンコンと鉱物のような音が出た。封を破ると、一枚目にデフォルメされた蛇の絵。全体から緩い雰囲気を漂わせ、知性の欠片もない顔で舌を出していた。一枚目には絵しか描かれていなかった。

 

 二枚目を取り出すと、表題にユグドラシルを元にした異世界への招待状と書いてあった。

 

 差出人の名前は書いていなかったが、アバターで蛇を選んだメンバーがいたような覚えがある。それが誰だったのか、手紙を読んだ二人には思い出せなかった。41人の全員と深い中ではない。会えばかつてのように会話ができるだろうが、所詮はゲーム仲間で縁は薄い。

 

 思い返せば1クール以上も前、ギルドマスターから連絡が入っていたような気がする。

 

 

《三日後の日付が変わる直前、ユグドラシルをクリックください。二人同時に待ってます》

 

 初めの挨拶も、敬具さえも書いていない、随分と簡潔な内容だ。受取人を安心させようとする材料は一切なく、不安と疑心だけが残った。

 

 弟は本気にしていたが、姉は誰かがオフ会でもしようと仕掛けた悪戯かと思っていた。声優なるお仕事の彼女は多忙で、手紙は一度だけ目を通して放置した。

 

 アニメでその手の役は、ヒロイン、サブキャラ含め、呆れるほど演じてきた。だからこそ、現実に異世界なんてあるはずがないのだ。

 

 弟が帰ってから、彼女は鏡を見てやろうと立ち上がった。

 

「あちゃー……随分と劣化しちゃったなー……」

 

 さほど美人ではないと思っていたが、いまやブスと呼んでも差し支えない領域だ。

 

 人間を辞めたような顔をみて、自分の桃色のアバターを思い出した。

 

「異世界なんて……あるはずないじゃん」

 

 言い聞かせるような言葉が室内に響いた。

 

 

 

 

 黒スーツで簡易的な一周忌を終え、目玉が飛び出る額のお布施をぼったくりの生臭坊主に渡してから、姉弟は弟の部屋へ直行した。

 

 時刻の指定はなく、喪服の二人はPCの前で席を取り合った。

 

「姉ちゃん、なんでそんなにくっつくんだよ」

「いいから、もっとよく見せてよ」

「ゴーグルは一つしかねえよ! 返せ!」

「ケチ!」

「っせー! だいたい、なんで俺の部屋にいんだよ。自分の部屋でやれ」

「PC壊れたらやだし」

「俺のはいいんかい」

 

 彼女の中で、現実逃避したいという欲求と、手紙の真偽を危ぶむ理性がせめぎ合っていた。そうした白と黒の押し合いの末、彼女は弟の部屋で成り行きを見守るという、灰色(グレー)な手段に出た。

 

「だって、事務所からメール届くんだよ。私のPC、壊れたらいやじゃん?」

「鬼畜め……」

 

 他にもアニメ原作者、スポンサー、マネージャーから仕事の打診の連絡が入るのだ。彼女にとってPCの破壊とは命綱の寸断に等しい。ファンレターは事務所で管理しているので、そちらは問題ない。

 

「どうせエロゲーのセーブデータしか入ってないでしょ!」

「もうやってねえよ!」

 

 それは意外だった。

 

 思い返せば、弟について真に理解していないと思った。

 

「なんでそんなにノリノリなんだよ。この前はテンション駄々下がりだったくせに」

「ほら、吹っ切れた! ってやつよ。手紙の内容には興味あるし」

 

 彼女は照れ隠しにゴーグルを嵌めている弟の頭髪をくしゃくしゃと撫でた。

 

「まー、私もさー……そろそろ体がきついなーって思ってたわけよ。枕営業とかで噂されるアイドル年代層は圏外だし、やっかみでそんな噂流されるのも年齢的に辛いしさぁ」

 

 万が一の保険として、引退を検討している旨だけ、所属事務所に伝えてある。その状況下で彼女が消えても、この社会では取り立てて珍しいことではない。

 

「チッ……ほら、やるからそこで見てろよ」

「ふふん、PCが爆発したらあんたの死体を見て笑い転げてやるよ」

「いや……それだと姉ちゃんも死ぬだろ」

 

 そうは言っても、弟の口は笑っていた。

 

 弟の指がアイコンをクリックした動作をしてから、二人の意識が遠のいた。

 

 寝不足で電車に乗り、立ったまま居眠りするとこういう感覚だ。

 

 

 視界は暗転し、回復しなかった。

 

 本当に、いつまでたっても回復しなかった。

 

 

 

 

 彼女は闇の中で目を覚ます。

 

 最後に見たものは、銀色の門だ。

 

 くぐり抜けると吸い込んでいる空気が変わった。弟のむさ苦しく、ゴミ箱から異臭がする部屋の空気が、門を潜ると同時に清々しい臭いに変わったのはわかる。

 

 意識は明瞭で、体を動かせば手も足も指先まで自由に動かせたが、視界はいつまでたっても回復しない。

 

「長い! 長いなぁ。異世界転移ってこんなに時間がかかんの?」

 

 終わらない闇に辟易し、退屈過ぎて独り言を呟いた。自分の上方で、弟の声が聞こえた。もしかすると、異世界の夜は真っ暗闇なのかもしれない。そう考え、声のした方へ歩を進めた。

 

「姉ちゃん、危ねえぞ」

「ああん?」

 

 何かに掴まれ、姉の体は宙に浮いた。体を掴む何かを擦ると、艶々した手触りの脚らしきものがキュッキュッと音を立てた。

 

「ちょ、くすぐったいからやめれ」

「あんた、弟?」

「他に誰がいんだよ」

 

 どうやら鳥人になった弟の足だったらしい。記憶の貯蔵庫から彼のアバターが浮かんだ。自然と自分の選んでいた桃色粘液体の姿も浮かぶ。皆が陰で卑猥だと言っていたが、どういう意味だろうか。

 

 そんな過去を思い出していると、体が地面に落とされた。

 

「いたっ、なに?」

「おろしたんだよ、わかるだろ」

「ワカンネ」

 

 改めて目を開くと、黒の闇に白い線で物体を描いた、非常に無機質な視界が見えた。数百年前のゲームだって、ここまでつまらない視界ではないはずだ。体を触ると、プヨプヨした感触がした。決して贅肉の感触ではない。

 

「姉ちゃん、卑猥だな……」

「あんたは、鳥?」

「おう、鳥になってるぜ」

「ここ、どこ?」

「ワカンネ」

 

 既に異世界に来ているらしいが、彼女の視界は無機質なままだ。片手を突き出せば、確かに涼やかな風を感じる。体全体が澄んだ空気を感じている。

 

「綺麗な空だなー……あ、彗星だ」

 

 黄金のマスクが無く、剥き出しのえげつない顔をした鳥人の見上げる蒼天。長い尾を引く彗星が、三方向に飛んでいった。それぞれが西、北、北北東の三方向へ別れて落ちていく。隕石など世界滅亡の大惨事だが、魔法的常識が適用されている世界では、物理や科学など役に立たない。そんなことも日常茶飯事なのだと思い、珍しいこともあるものだと、のんびり日向ぼっこをしながら空を眺めた。

 

 鳥になった弟は嬉しそうに周囲を見渡し、興奮気味にまくし立てる。

 

「にしても、すげー眺めだな。すっげ遠くまで見渡せるよ。空気も美味しい、自然が豊か、まさに異世界って感じ。魔物とかいるかなぁ。そういえば夕飯、食ってなかったし、喉も乾いてき――」

「少し黙れ、アホ弟」

 

 絶景だと思うのにスライムの視界は無機質なもので、しかも自分を中心とした半径数メートル圏内の、間近な物体しか描写されていない。遠くの景色は真っ暗闇だ。唯一、視界に感じるのは鳥人とごつごつした岩らしき何かの白い線だけ。

 

「なんで目が見えないの」

「スライムだからじゃね?」

「はあああ? せっかく異世界に転移したってのに、何も見えないとかなに!? 騙されたぁぁ!」

 

 異なる世界に来て早々、姉は不満をぶちまけた。

 

「落ち着け、誰も騙してないぞ」

「だってさぁ! 目が見えないんだよ! 何が異世界だ!」

「スライムに人間的視覚を与えるアイテムがあっただろ。もう忘れちまったのか?」

「忘れるわ!」

 

 駄々をこね、地面を転がって暴れる桃色粘液体を冷ややかな目で眺めながら、鳥の弟はアイテムボックスへ腕を突っ込んだ。五月蠅いのでスライムに人間的視覚を与えるアイテムでもないかと探ったが、安っぽい弓が出てきただけだった。視覚アイテムも今ではどんな形をしていたかさえ、記憶も曖昧だ。

 

「姉ちゃん、俺、弓持ってた」

「それより視覚アイテムは?」

「ねーな……」

「いやぁぁぁぁ!」

 

 絹を裂くような女の金切り声が小さな山脈に轟く。やまびことなって彼方へ進んでいった。

 

 これも異世界に来て舞い上がっている証拠なのだと、弟は生温い目で眺めた。崖に落ちないようにそこらを転げまわり、体が砂だらけになってようやく姉は落ち着いた。彼女は精神が沈静化されないのだ。ぶつぶつと文句を垂れ流しながら、彼女はアイテムボックスに手を突っ込み、ゴソゴソと漁っている。

 

「うーん……やっぱりアイテムボックスにはなんもないかぁ。引退してアイテム渡しちゃったしね」

「取りあえず、移動しねえか?」

「ここ、どこ?」

「なんか山の上」

 

 彼らがいるこの場所は、エルフ王国があったエイヴァージャー大森林の南。南方の砂漠と大森林を隔てる小さな山脈だ。魔導国王都からは随分と南南西に位置する。

 

「ここは適当に、南か?」

「南がどっちかわかんねーって。後ろには砂漠しかないぞ。なんか空中に浮いてる都市があるけど……あれはダンジョンじゃね?」

「じゃ、上かな」

「北か? せめて前と言えよ」

「何があるの?」

「森がある」

「街や村はないの?」

「うーん……遠くになんか街みたいなのがあるような……」

 

 姉は頭から湯気を出し、ぬるぬると地団駄を踏んだ。

 

「もーっ。地図とか送ってくれればよかったのにぃ」

「無茶言うなよ。俺たち、引退組だぞ。ゲーム友達なんて大した友人でもないのに、呼んでくれただけでも感謝するわ」

「まーね……神降臨! ってやつ?」

 

 引退を告げたとき、当時のギルドマスターだった骸骨さんはとても寂しそうだった。プライベートで交流の少ない自分のようなものを呼んでくれたとするなら、なかなかの人格者だ。本物の神になっているとまでは想像が及ばない。

 

「でもゲームだから引退は当たり前じゃん。ゲームじゃ食っていけんぜよ!」

「テンション高ぇ……うざいわ」

「あぁん! なぁにか言ったかぁ、弟よ」

「別に……」

 

 手紙には、異世界の情報は書いていなかった。目的地が不明な現状、何よりも情報を集めなければならない。

 

「さて、あっちの街みたいなとこでも見に行くか?」

「あっち?」

「あっち」

「どっち?」

「こっち」

「こっちか」

「そっちじゃない」

「見えねえよ!」

 

 姉弟間で下らないやり取りができるのも、現実社会という枷を外したからこそだ。目が見える弟は、そこら辺の木の枝を拾い、プルプルと震える姉をつつきまわした。

 

「ざまぁ! 弟の恨みを思い知れ」

「チッ、一人だけずるい。私のアイテムボックス、空っぽなんだけど。そっちのにナックルとか、盾とかない?」

「ねえよ。俺は弓あるぞ。撃ってもいい?」

「ぶっ殺す」

 

 やや本気で苛立ってきたらしく、体から物騒な波動が立ち上る。

 

「ま、まぁ、これで敵が出てきても大丈夫だな」

「もういいよ、どうでも。街にいって視覚アイテムでも探そうよ」

「そ、そうか……そうだな」

 

 異世界に来たまではよかったが、目が見えなくなった姉に本気で同情した。何物にも穢されていない、あるがままの美しい景色が見えないとは、哀れ以外の何物でもない。

 

「オラ。さっさと飛べ。タクシー」

「ナザリックの場所さえわかればなぁ」

「あれ? 手紙にナザリックが残ってるって書いてあった?」

「書いてなかったけど、残ってるんじゃねえの? いや、知らんけど」

「あんた、ハンドルネームなんだっけ?」

「ペロロンチーノ」

「私は?」

「でぶでぶ茶釜」

「……あ?」

「ごめん、嘘。ぶくぶく茶釜」

「あー、そうだそうだ。そういえばそうだった。……にしても、よく覚えてんね、感心するわ」

「夢で見たからな」

「あ……そうか。つまり……人の夢はぁ、終わらねえ! ってことね」

「……はぁ?」

 

 姉の体が浮かび上がった。

 

 彼女の非人間的視野から一切の物体が消えた。描写可能な範囲から離れたのだろう。全身に感じるのは気持ちの良い風だ。新たな世界と新たな出会い、そしてゲーム仲間との再会を期待し、桃色の心が高揚する。

 

「ふははは! これが新型(ニュータイプ)というや――」

「小ネタはいいから暴れるなよ! アバターに慣れてないんだからさぁ」

「堕ちろ!」

「うるせー! 舞い上がるからしっかり捕まってろよな」

 

 弟が四枚羽を広げると、羽ばたきもせずに高く上がった。絶叫マシン独特の、全身が重力を失った浮遊感が、彼女の気分を大気圏まで噴き上げた。

 

「進め! ともに夢を見よう、我が飛空艇、ファルコンよ! ぶるぁぁああ!」

「誰がファルコンだ! ハイになって暴れんなよ、姉ちゃん! 落っこちても助けねえからな!」

「うむ、まさにスカイ・ハイと言いたいのだな、弟よ」

「違ぇよ!」

 

 小さい山脈を越え、大森林の上空に差し掛かったとき、下から強い風が舞い上がった。

 

「わあああ! 気流がぁあ!」

「のわああああ!」

 

 鳥人(バードマン)の両脚にぶら下がった桃色の粘体生物(スライム)。二人で一つの彼らは、エルフ国付近、エイヴァージャー大森林南西の山脈上空、噴き上がった上昇気流にぶつかり、純白の四枚羽は浮力を失って急激に落下した。

 

 必死で体制を整え、北に見える都市を目指して滑空した。

 

 

 滑空の速度は想像したよりも高速で、何かに激突して死んでしまう恐怖に、二人は恐れおののきながら北西へ飛んだ。

 

 

 






この話以降、(ラック)値改変

ヘロヘロ 1d20×5 → 45

モモンガ
90→9999999999999999………(endless 9)………


次はチラ裏描きますんで間が空きます


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