モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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鳥無き里の蝙蝠たち

 

 アダマンタイト級冒険者のリーダー、ラキュースは晩年、家から出ることもままならず、22才という若さでこの世を去った。

 

 訃報を聞いた直後、イビルアイの取り乱しようは酷く、遅かれ早かれ訪れるはずの別れが、前触れもなく唐突に訪れたもので、覚悟を決める猶予がなかった。誰も理由はわからないが、彼女の死体は死亡直後にナザリックへ運ばれ、何らかの処置をされて王都へ帰還した。

 

 葬儀の日、イビルアイは泣き腫らしても止まることのない涙を隠そうと仮面をつけた。”蒼の薔薇”は献花で満たされたラキュースと、呪いが解けてから行く当てもなく彷徨っていたところを彼女に拾われた義理の妹、元帝国四騎士レイナース、二つの棺が埋められていくのを見送った。

 

「帝都の……あ、帝国四騎士はなんで王都に来たんだっけか」

「覚えてない」

「呪いが解けて彷徨っていたところをリーダーが拾った」

「あー! そうかそうか、そうだったわ」

「イビルアイ、旦那に聞いた?」

「……かつての友達が帰って、とても喜んでいる。邪魔するのも悪い」

「……でもよぉ、二人が同じ日に死ぬなんてな……まだ原因もわからねえんだろ?」

「わからない。死体は綺麗だった」

「目立った外傷もなく、魂を抜かれたというのも理解できる」

「私は帰る……出歩く気分になれない」

「イビルアイ……」

 

 アダマンタイト級の冒険者、英雄級ともなれば、人心は無関心でいられない。ラキュースの死は多くのものに悼まれたが、依然として得体の知れない死因に関して、根も葉もない風説が流布していた。

 

 実は妊娠していて子供はどこかで生きている。

 異形種に恋をして殺された。

 魔剣の代償で命を取られた。

 世界を冒涜するものと遭遇し、魂を抜かれた。

 

 無神経にも彼女らにラキュースの死因を尋ねる者もいたが、それらの全てを無視して”蒼の薔薇”は喪に服し、悲しみに暮れた。

 

 ”蒼の薔薇”におけるラキュースの存在は大きい。ティアとティナがイジャニーヤを裏切ってまで仲間になった一件も、イビルアイが仲間になった件も、偏にラキュースが頭を張っていたが故だ。

 

 ナザリックに引き籠って泣き続けるイビルアイを慮り、チームの行動は無期限に凍結された。

 

 彼女を慰めることができるのは、一人しかいない。

 

 

 

 

「アルべド、ヘロヘロさんはまだ出てこないか?」

「御方の創造した一般メイド、全員の相手を終えるまでは、難しいのではないでしょうか」

「……イビルアイは何をしている」

 

 アルベドは無言で首を振った。

 

「そうか……」

「イビルアイの部屋を訪ねるのは夜までお待ちください」

「なぜだ?」

「女同士でなければ話せないこともありますので」

「そうか………頼んだぞ、アルベド」

「お任せください」

 

 彼女は深々と頭を下げてから、一枚の書類を差し出した。

 

「こちらをご覧ください。スレイン法国の支配状況を確認するに、アンデッドの使者を送り込もうと思うのですが」

「なぜだ。属国となったのだから彼らの土地は好きに使える。後は食料が生産されるまで放っておけばいいのではないのか?」

「そう簡単な話ではありません。彼らはアインズ様への嫌悪こそありませんが、これまで崇めてきた六大神への信仰もまた捨てられないでしょう。問題は、どのような形で収束するのかです」

 

 アインズは無言で悩んだ。

 

 考えられるのは新勢力として反魔導国派が生まれる線だが、今さらアインズに弓を引く愚か者がいるとも思えない。アインズへの信仰や崇拝を強要などしてはいない。六大神を表立って否定はしていないが、肯定もまたしていない。「信じたいものを勝手に信じろ」という意志は示したつもりだった。

 

(演説でやり過ぎた節はあるんだよなぁ……)

 

 お気に入りの超位魔法を使えると思い、浮足立って調子に乗った自覚はあった。何と言ったか、自分でも記憶が怪しい。

 

「使者を飛ばすのは問題ないが、表立って行動するのは避けよ」

「心得ております。アインズ様の御意思通りに行動して見せます、正妻として!」

 

 両手を組んで微笑むアルベドに、邪神という言葉が浮かんだ。

 

 

 

 

 イビルアイの涙は止まっていない。

 

 他の誰かではなく、再会の目のない別れの苦痛の味を知るアインズに慰めて欲しかった。

 

 円卓の間の扉を隙間だけ開いて室内を窺えば、彼は黒い粘液生物と嬉しそうに話をしている。再会に浮かれる気持ちが痛いほどわかる自分が、慰めてくれと甘ったれて邪魔はできない。

 

 今日も彼女は、ベッドで泣き続けた。

 

 涙がどしゃ降りの寝室にアルベドが訪れたのは、ラキュースが死んで半月ほど経過した日だ。

 

「イビルアイ、迷ったのだけど、あなたには話しておこうと思うの」

「…………」

「ラキュースは生きている」

 

 イビルアイが驚いて体を起こすと、涙で摩擦抵抗を失った仮面が落ちた。泣き腫らした彼女の顔は酷いもので、目は腫れ、乾いた涙が塩の結晶となって頬に溜まっていた。見かねたアルベドが純白のハンカチで彼女の顔を拭いた。

 

「あ、ありがとう……」

 

 礼を言っても鋼鉄の無表情は動かず、返事の代わりに顔が近づいてきた。

 

「しっかりしないと、殺すわよ」

「あ、はい……ごめんなさい」

 

 お礼を言ったことを後悔した。

 

 アルベドはため息を吐き、女の子座りをするイビルアイの顔を見つめ、ベッドのへりに腰かけた。身長差があり過ぎて、大人と子供ほどの差があった。

 

「ラキュースは生きている。恐らく、魂だけとなって」

「なぜ……」

「理由は問題ではない。それは、決して掘り起こしてはならない、隠匿されるべき世界の真実。あなたがそんな状態では、彼女が心配するわ。悲しむのは今日で止めなさい」

 

 理屈でどうにかできるなら涙などとっくに止めているが、アルベド相手に文句を言えるほど恐れ知らずでもない。彼女はナザリックの内外に関わらず、殺すと言ったら本当に殺す。

 

「あなたの行動は彼女に筒抜けよ。見られていると知りながら、それでも泣き続けたいのなら後は勝手にしなさい」

 

 吐き捨てるように言い、魔女は部屋を出て行った。その裏にはアインズへの愛と、塵芥ほどの心配が隠されていると、イビルアイにも見て取れた。

 

「見ているのか……ラキュース!」

 

 立ち上がり、量の拳を握って天井へ叫んだ。

 

「よくも私を悲しませてくれたな! 次に会ったら覚えていろ!」

 

 仲間にこの事を伝え、薔薇を動かさなくてはならない。いつか、目に見えないほど微細な確率で、彼女が帰ってきたらすぐに復帰できるように。根拠はないが、そうならないと知っていた。それでも、泣いている姿を見られるのは恥ずかしいものだ。

 

 手始めに、体液でボロボロになった顔を洗い、珍しく化粧を始めた。身支度を終え、下界へ戻ろうかと思っていた矢先、アインズが部屋を訪ねた。

 

「キーノ、入るぞ」

「あ、サトル」

 

 アルベドの根回しで元気を取り戻していたイビルアイは、骸骨を笑顔で迎え入れた。それがアインズの疑問を呼び、彼は頸骨がへし折れそうなほど首を傾げた。

 

「元気そうだな……」

「いつまでも悲しんではいられません」

「そうか……強いな、キーノは」

 

 頭を撫でると、白い顔が赤くなった。

 

「済まなかったな、顔を出すのが遅れてしまった」

「気にしないでいいんです。大事な仲間と再会できたんですから」

「本当に、悪かったと思っている」

「それだけで十分です」

 

 イビルアイは剥き出しの肋骨目がけて飛び込んだ。ごつごつと肌触りは悪いが、アインズの匂いで口が緩んだ。

 

 しばらくの間、二人は無言で重なっていた。

 

 精神的(プラトニック)に絡み合う情交の室外、アルベドは壁に寄りかかってため息を吐いた。

 

「やれやれ……世話が焼ける。ここまで私の役目だというのなら、次は私の愛情も満たしてもらいたいものですわ」

 

 誰となく呟いてから、彼女は立ち去った。

 

 

 

 

 そうしてイビルアイは復帰し、アインズの懸案事項が減った。他にやるべきは王都の政治の報告書に目を通すことだが、そちらは急ぎではない。ヘロヘロも一般メイドたちと2週間に及ぶ蜜月を終え、円卓の間を訪れた。

 

 元よりスライム種に骨はないが、心の骨組みを解体されたかのようにヘロヘロは名前通りに緩んでいた。

 

「へへー……モモさん、お久しぶりぃー」

「ヘロヘロさん……」

「楽しかったですー」

「見ればわかります」

 

 不適切な挨拶を切り上げ、議題は今後の予定へ移った。

 

「そのCと交戦したとき、海の彼方に海底神殿らしきものが見えましてね」

「白金の竜王がそんなことを話していましたよ。えぇと……彼女は夢見るままに待ちいたり……だったかな。詳細までは話せなかったんですけど」

「竜王かぁ。まだ会うのは後回しかなぁ。モモンガさんの知らない竜王はあと何匹ですか?」

「うーん……聖天の竜王(ヘヴンリー・ドラゴンロード)しか名前は聞いてないですね。評議国の議員にも竜王がいるようなんですけど」

「それじゃあ、海の中を散策しませんか? 僕ら、酸素、要りませんし」

「言われてみれば、海底の散策はまだでしたよ。早速、護衛を集めて散策にいきましょうか。呼吸の必要のない種族を選べば問題ありませんから」

 

 纏まりそうな話を打ち砕くべく、扉が乱暴に開かれ、アルベドが飛び込んできた。

 

「アインズ様、御報告したいことが」

「あ、奥さん。こんちは」

 

 ヘロヘロはからかい混じりに頭を下げた。

 

「はい、ヘロヘロ様、ご機嫌麗しゅう」

「と、いっても朝会ったけどね」

「アルベド、何か起きたのか? 内務はラナー王女がこなしていると思うが、そちらで何か問題が起きたか?」

 

 アルベドとラナー王女は順調に仲を深め、ラナーはアルベドが外出するためにナザリック内の内務に従事している。睡眠・飲食が不要なアイテムこそ与えたが、対価の一切は支払われていない。ラナーが望むのはクライムとの生活で、アルベドはそれを与えただけだ。

 

 互いの利益は驚くほど一致しており、報酬が無くても彼女は嬉々として仕事をこなし、アルベドも彼女の仕事ぶりに満足していた。

 

「アインズ様、ラナーは十分に仕事をこなしております。これからのご予定についてお話が」

「ああ、私はヘロヘロさんと海底の探索に出ようと思うのだが」

「お止めください」

 

 反論は許さないとでも言いたげな微笑みだ。

 

「アルベド?」

「実は……何日かの時間が経っているのですが、スレイン法国に差し向けた使者が滅ぼされました。漆黒聖典の隊員級のアンデッドを倒せる存在が、法国近郊に現れた可能性があります」

 

 アインズの眼窩に怪しい光が宿る。

 

「漆黒聖典の隊員級ってなに?」

「レベル50以上ってことですよ」

「あぁ……そういうことか」

「アルベド、敵の情報はあるのか?」

「ございません。あるのは使者が倒されたという事実のみです」

「なんでしたっけ、法国って。バンガイさんの出身国で、宗教国家でしたっけ?」

「そうです。支配国にはしましたが、別に、俺を崇めろなんて言ったつもりはないんですけど」

 

 これまで六大神に熱心な信仰を捧げていた彼らの宗教を、踏み躙るような真似はしなかった。誰にでも土足で踏み込んでほしくない領域がある。それはアインズも同様で、かつての仲間、あるいは帰還した仲間を侮辱するものには容赦ない鉄槌を下すと自覚があった。

 

「新たなプレイヤーか……? 第一席次や番外席次が誤って殺した可能性は?」

「それはあり得ません。彼らは王都から一歩も外へ出ていません。そちらは確認済みです」

「未知なる強者……か。しかし、今までどこにいたというのだ」

「仲間だったりして」

「それはないと思いますよ。いくら何でも……」

 

 そんなに都合よく考えられるなら、寂しく感じたりしない。ヘロヘロが帰ってきたこの事実さえ、渇望するあまりにアンデッドの生理構造を超越して見ている夢ではないかと思うこともある。

 

「詳細まではまだわかりかねます。現地へ向かい、神官長たちの話を聞いてみてはいかがでしょうか」

「ふむ……」

 

 六色聖典の長として采配を振るっていた神官長には、僕としてアンデッドが与えられている。

 

 アインズの演説は、緊張も相まって言い過ぎた感が否めない。過程はどうあれ、結果として刃向かいもせず、服従もせず、属国として両者に相互利益のある関係しか望んでいないと提示し、前払いの報酬にと差し出した伝説級のアンデッドに神官長たちは飛びついた。

 

 押し殺しながら喜んでいる様子を思い出せば、謀反を企てたとは考えにくい。

 

「そういえば、あの時は神官長にだけアンデッドをくれてやったんだったな」

「はい。あの場には他の責任者もおりましたが、最高責任者は神官より排出されます。それでよいかと判断した結果でございます」

「全員にくれてやっても良かったがな」

「仰ることもわかりますが、こちらの判断で、領内への村へ用心棒として最優先に回すべきかと判断いたしました」

「……いつもながら感謝する」

 

 こうして話してはいるが、アインズの心には彼らへの関心がない。目的はナザリックの維持費を賄うことだ。カルネ村で大盤振る舞いをし過ぎた補填もできていないのだ。

 

「敵がプレイヤーである可能性を考慮し、シャルティア、アウラ、マーレを連れて行こう」

「私も同行させていただきます」

「ソリュシャンもいいかな……?」

「構いません。護衛は多いに越したことはありません」

「ありがとう、奥さん」

「くふっ、いいえ、こちらこそ」

 

 奥さんと呼ばれることに慣れておらず、アルベドの口から変な呼気が漏れ、アインズの口からため息が出た。

 

「俺もまだぽっと出の支配者だから、助けてくれるとありがたいよ」

「見に余る光栄でございます」

 

 ため息を吐いている合間に、ヘロヘロの後押しでアルベドの同行が決定づけられていた。

 

「参謀に名を連ね、知性が高くあれと創られた私であれば違和感に気付き、その場で対応が可能です。フォローはお任せください」

「あれ? そういえば、アインズさんの息子さんは?」

「置き去りにしましょう」

 

 アインズは即答した。

 

「どうしてぇ?」

「黒歴史というものが、誰にもありますから」

「可哀想じゃないですか?」

「いえ……特には」

「だって、NPCにとって創造したプレイヤーは親であり、恋人であり、王なんでしょう? 作っておいて、そりゃあないんじゃないですか?」

「えぇ、まぁ……追々」

 

 パンドラの話になると途端に歯切れが悪くなる。それを知っていたので、ヘロヘロはそこで止まった。

 

「アルベド、準備が終わり次第、法国近郊へ転移する。ナザリックの警戒レベルを最大まで引き上げ、同行者へ可能な限り武装をしろと指示を出せ」

「はい、即座に。それでは、失礼します」

 

 アインズの中で様々な意見が宙ぶらりんになっている。

 

 アルベドは寝込みを襲おうと同行する公算が高い。そんな心中を知りつつ、わざわざ自分が行く必要があるのか疑問に思える。そちらの件は憂鬱だが、相手がプレイヤーの可能性を考慮すると自分が行かないのも不自然だ。敵が本物のプレイヤーで、微細な針の穴を通すような確率でワールド・チャンピオンが降臨した場合、全員を集めても足りないかもしれない。

 

(相手がたっち・みーさん級だと、俺たちでは死の覚悟を決める必要がある。ルベドを起動するか……)

 

「知ってる誰かだったらいいですね」

「そうですね……」

 

 そんなことはあり得ない。そこまで楽天家ではなく、演じようと思っても彼の中に楽観思想が無い。アインズの声は穏やかでありながら、とにかく暗い。

 

 それらは淫魔の微笑みに押し込められ、ナザリックが誇る守護者たちが同行し、2日後に法国へ出発することになった。

 

 アルベドが自身の重大な失態に気付くのは、騒動の渦中に飛び込んでからだった。

 

 

 

 

 魔導国の属国、スレイン法国。

 

 大神殿の会議室で、光の神官長、イヴォン・ジャスナ・ドラクロワは、うんざりした様子で腕を動かし、書類を端へ避けた。

 

「もうたくさんだ」

 

 スレイン法国の最高位、最高神官長を含めた最高執行機関。総勢十二名が揃う中、勝手な発言で会議を止めるなど、通常であればあり得ない無礼な行為だ。誰も咎めないのは、各々の思惑が彼に賛同していたからである。

 

「いつまで、このような不毛な会議を行わなければならないのか」

 

 かつては自分も同様、異形種というだけで反発していたのだと考えれば、神経の上を蟻が這うような痛痒感が背筋を中心に広がった。居心地の悪さに肩を後ろへ下げ、首を左右に振って骨を鳴らした。

 

「いい加減、御免被りたいものだ」

 

 呟いた彼に、同席した面々は頷いて同意を示す。光陰に等しい泡沫の長き人生で、宗教家の持つ精神の堅牢さにここまでうんざりしたことはない。

 

 魔導国の属国となってから、スレイン法国は変わりつつある。

 

 それは決して、進化と呼べる高尚なものではない。国内の情勢は落ち着かず、刻一刻と爆弾に火薬が詰め込まれ続け、いつ導火線に火がついてもおかしくない状況だ。

 

「また彼らの手を借りるか?」

「誰が頼むのだ。私は御免だ」

「しかし、国の崩壊は彼らの望むものではあるまい」

「彼らは国の崩壊を望まないが、それは余っている土地の利用価値にある」

「魔導王陛下は土いじりが好きなアンデッドだからな」

「極論を言えば、国が滅びようと大した問題ではない。敵がゴブリンかオークかなど、今の我らに差がないことと同様にな」

「困ったものだ……いっそ、支配でもしてくれればよかったものを」

 

 およそ数か月前の彼らが想像できない意見が飛び交っていた。

 

 魔導国は属国化したスレイン法国へ、最低限の指示しか出さなかった。彼らが六色の宗教を続けようと、アインズを崇めようと、異形種に反発して魔導国の情勢さえ乱さなければ好きにしてよいと言われている。

 

 彼らの目的は余っている土地と、資産家の持つ鉱山だ。見方を変えれば、法国が王政となって国家の在り方が変わったところで、農業と採掘ができれば魔導国には何の問題もない。しかも、不用品は法国へ提供すると、ご丁寧に折衷案まで書かれていたのだ。

 

 法国からすれば自由が約束され、繁栄まで付属しているので、一見して与えられる平和に従えば良いとも思える。

 

「魔導国へ亡命しようとする者は後を絶たず、人口は順調に減っている。彼らの全てが無事、魔導国へ辿り着けていると思うか?」

「近郊の村にさえ逃げ込めればよいのだが、難しいだろう。人類に仇なす魔獣や異形種の数は減っていない」

「漆黒聖典と陽光聖典を失った穴埋めはまだできていないからな」

「現在の人口は?」

「概算ですが、1200万人かと」

「亡命者は300万人か……」

「帝国が羨ましいものだ」

 

 小耳に挟んだ情報によれば、皇帝とアインズは親交を深め、今では友人と呼べる関係だという。王の首が挿げ替わる、または王より上の階級ができるならば、下々の民はそれを受け入れるだけで済むが、法国は王政ではない。

 

 最高神官長は咳払いをし、会議を先へ進めた。

 

「いま一度、確認を行いたい。国内情勢の割合の反証を」

「それでは、本日2度目となるが、改めて繰り返させていただく」

 

 元帥が立ち上がり、手元の資料を取り出した。

 

 現在、スレイン法国の情勢は悪い。

 

 信仰の出発地点は六大神だ。人間を保護し、人間の立場を向上させた彼らこそ始祖たる神で、捨てるなど考えられない。到達地点はアインズだが、過程と思想が分かれ始めていた。

 

 アインズを信仰し、六大神への信仰を破棄するか、聖書の内容を大幅に書き換える改革派。

 

 六大神を崇め続け、アインズへも協力的な姿勢を取る穏健派。

 

 宗教そのものを捨て、絶対強者の治める魔導国へ移民する過激派。

 

 全ての割合は等しいが、悪いことに治安を乱す輩は3つ目に属している。信仰が崩れた者や神の代弁者を騙る外道は、容易に悪事に手を染める。神や天国を信じる者は同様に悪や地獄を信じ、地獄を恐れるあまりに神を信じる者から信仰を奪えば、残るのは大量殺人鬼(シリアルキラー)だ。

 

 現段階では小競り合い、酒場の喧嘩の域を出ない論争だが、国内の治安が悪化するにつれて犯罪発生率が跳ねあがるのは容易に想像できる。同じ鍋にぶち込まれた水と油と黄金が混ざり合うことはない。それに加え、枝葉末節では更に分岐する。

 

 魔導国で売られているアンデッドを購入し、法国の責任者に取って代わろうとする野心家。

 魔導国で売られている武器を入手して軍事力を強化し、徒党を組んで法国の首に収まろうとする革命派。

 魔導国へ恭順し、彼らの指示通りに動いて自身の立場を良くしようと画策する単純な能無し。

 六大神の意志は、異形種を信仰し、アンデッドを賜って軍事強化することだとのたまい、中途半端な信仰を布教する背徳者。

 

 上げればきりがない。

 

 国内はそうして三分割され、その中から細かい派閥ができつつある。下手をすると内紛、最悪は法国そのものが消えてなくなる。異形種への恐怖に脅かされなくなった傲慢な人間の所業に、責任者たちはため息が癖になっていた。

 

「うんざりだ……」

 

 再び、光の神官長、イヴォンが呟いた。

 

「そう言いたくなる気持ちもわかる」

 

 唯一の女性、火の神官長ベレニス・ナグア・サンティニも慈母のような顔を歪めて同意した。

 

「耳のない彼らへ、対応策は出ていない」

「漆黒聖典を呼び戻せないか?」

「あれらは魔導王の管轄する自警組織とやらに組み込まれている。確認をしていないので噂の域は出ないが、かなりの高給取りだと聞いている」

「我等よりもか?」

 

 場へ小さな笑いが起きた。

 

「彼女はどうだ。金では動くまい」

「逆に聞く。彼女が強者のいないこの国に、何らかの興味を示すと思うか?」

 

 漆黒聖典の番外席次は、理由はわからないが魔導国で隠居している。魔導国へ飛ばした使者は、訪れることのない誰かを待っているようだったと語った。

 

「せめて魔導王、あるいはその御友人がこの国にいればな……」

「陽光聖典はどうしたのだ」

「彼らは全員蘇生され、各々が自由に行動している。こうなった経緯、帰還した彼らが魔導王の布教活動をしたことも大きな要因だろう」

「あの……馬鹿どもが」

 

 陽光聖典はカルネ村で皆殺しにされたが、竜王国の支配時に蘇生され、属国とした後に放逐された。家族がいるものは法国へ帰還し、再会に涙した。

 

 そこで終わっていれば魔導国の評判を上げるだけの耳当たりの良いうわさ話だ。

 

 各々は法国の秘法級の武器や防具を与えられ、アインズがいかに素晴らしい力と慈愛を持っているかをあちこちで語り歩いた。旅の吟遊詩人も、木々に洞に住む小鳥だってそこまで押しつけがましい囀りはしない。徐々に噂は浸透し、その甲斐あってアインズに反感を抱く者は少ないが、どういうわけか別の派閥ができてしまうのが厄介だ。ビリビリに破られた聖書を形だけ糊でくっつけても、信仰心は元には戻らなかった。

 

「法国の体裁に害を与えるものを、どうにか陰で粛清できないか?」

「残っている聖典に頼んではいかがかね」

「問題が、それだけで済むのならな」

 

 国防の軍事責任者、大元帥が目を光らせて睨む。

 

「神官長の方々は、魔導王陛下より前回の功績としてアンデッドを与えられ、武力を強化している。その六名の中で、この国を支配下に収めようとする野心を持たない者がいると、誰が保証してくれるのだ」

「無礼者! 口を慎め!」

「我らは神官長だ! 国民の手本とならなければなら――」

「そう、神官長だ。そして、アンデッドは神官長にしか与えられていない。我ら軍事関係者、魔術組合、各機関長には、あれほど有り余るアンデッドは渡されていないのだ」

「神官長ではないものは裏切ると言いたいのか?」

 

 元帥だけではない。その場に居合わせながら、アンデッドを与えられなかった他の6名は、懐疑的な視線を向けている。

 

「思い込みで物を言うのは慎んでいただけないだろうか。甚だしいやっかみだ。そんなに欲しいのなら、魔導王陛下へ直談判すればよかろう」

「そちらはアンデッドを利用して何かを企んでいないと、胸を張って言えるのか?」

「当然であろう!」

「本当かね。この国の強者、神人の血を引く第一席次と彼女は魔導国へ籠絡され、武力の順位でいればアンデッドを使役する神官長、蘇生された陽光聖典が上位を独占している」

「何が言いたい」

「なんでも、影では新たに冒険者組合を誘致し、未だに命令効果のある陽光聖典、あるいは陛下より拝借したアンデッドを引き連れ、自らが英雄になろうと企てる者がいるとか」

 

 テーブルが叩かれ、光の神官長イヴォンが立ち上がった。こめかみに浮き上がった血管と、信号機のように赤へ早変わりした顔色で、怒っているのは明白だ。

 

「貴様らはそうやって我らの行動を阻もうとしているだけだろう! アンデッドを授けられなかったのはお前らの働きが足りないからだ!」

「我らの行動とはなにかね。神官長で結託し、議会制度を作り上げることか?」

「あるいは、このような内部分裂を狙っているか……だが」

「全てアインズ・ウール・ゴウンの仕業……か」

 

 その発言で僅かな間ができた。彼の言う通り、アインズを含めた魔導国の首脳であれば、そこまで見越してもおかしくはない。

 

 しかし、同情するほど武力が低く、土地を提供するだけの属国と考えられている法国に、そこまで興味を示すかという点もはなはだ疑問が残る。

 

 魔導王、アインズ・ウール・ゴウンは土いじりが好きなアンデッドなのだ。

 

「土竜系の土を掘る亜人種を支配下に入れたというのも、そういった嗜好が影響していたのかもしれないな」

「ドワーフはおまけだったのか」

「どうでもよい……」

 

 不毛な口論が続き、火の神官長の老婆、ベレニスは深い溜息を吐いて立ち上がった。

 

「どこへ行く。まだ話は終わっていないのだ」

「今日は体調が優れない。申し訳ないが、ここで失礼する」

 

 彼女が立ち去ったのを切欠に、会議はうやむやのまま解散となった。

 

 彼女は専属護衛の魂食い(ソウルイーター)を引き連れ、都市郊外の見回りを兼ねて郊外の花畑へ向かった。表立って騒動はなく、国内の音量は静かなものだ。

 

 道中、都市の外れで子供たちが上を眺めているのが見えた。

 

「こんにちは」

「あ、火の神官長様! こんにちは!」

「はい、こんにちは。上を見て何かあったのかね?」

「天使さまが」

 

 幼い子供たちは一斉に南西の空を指さした。

 

「天使?」

「天使様が来るよ」

「……?」

 

 スレイン法国はプレイヤーの血を保護する国家で、稀に影響を受けて勘のいい者が生まれてくる。幼少期だけに発揮される特殊な察知能力というものもあるだろうと、ベレニスは挨拶をしてその場を去った。振り返ると、子供たちはまだ空を眺めていた。

 

 都市の門を出ると、管理している花畑が見えてくる。今は荒んだ心を治めたかった。そうやって心を落ち着けていないと、自分まで野心に囚われてしまいそうだ。

 

「強者がいない国とは、哀れなものよな……」

 

 花畑に咲く美しい絨毯はそよ風で揺れて返事をし、魂食い(ソウルイーター)は一般的な馬のような動作でその場へ腰を下ろした。ベレニスも一休みしようと、腰を下ろして彼にもたれかかった。

 

「人間とは業が深いものよ」

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王は、人間の平和のために力を貸してくれるだろう。しかし、感謝するつもりは毛頭ない。スルシャーナと同じ場所から来たプレイヤーの彼は、元を正せば人間だ。人間ならば、六大神と同様に人間を守ってしかるべきと思えた。仮に、自分が彼と同等の力をつけ、人間を辞めたとしても同じことをする。

 

 光の神官長などは元帥の指摘通り、国を我が物にしようと画策している節がある。帰還した陽光聖典を手中に入れるには、かつて直属の上司だった彼ならば容易い。とはいえ、彼に限った話ではなく、全員がそう考えていてもおかしくはない。

 

「ろくでもない男どもだ。お前もそう思わないかい?」

 

 彼の頭を撫でたが、何の反応もなかった。魂食い(ソウルイーター)にはそこまでの知性がない。彼は四六時中、休憩もせずに立っていられる。食事も睡眠の必要もないが、話しもできない。だからこそ、密かに愚痴をこぼすにはうってつけの相手だった。

 

 何かの不穏な気配を察知し、魂食い(ソウルイーター)が顔を上げた。つられて見上げれば、見覚えのある不死者(アンデッド)が宙を漂っていた。

 

 中空を優雅に漂う魚の骨、それに跨った黒騎兵、手に持った三叉槍(さんさそう)は彼女へ切っ先を向けていた。

 

「我輩はいと貴き御方、アインズ・ウール・ゴウン様の参謀、アルベド様の使者である。火の神官長で相違ないか?」

 

 初対面こそ恐怖に震えたが、今さら驚くこともない。魔導王や直属の部下に比べれば、彼は随分と優しい。ベレニスは腰に付着した雑草を払い、ゆっくりと立ち上がった。

 

「相違ございません」

「感謝する。国内の情勢に不穏な気配が出る頃だと、アルベド様より指示を賜っている。何か報告すべきことがあれば、お聞かせ願いたい」

「はい、はい、畏まりました。実は国内のことで――」

 

 言いかけた彼女は、予期せぬ事態が起きて開いた口を止めざるを得なかった。

 

 

 花畑が焼け野原になる数秒前のことだった。

 

 

 


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