モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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狂気を告げる鳩時計

 

  落下とは生物の根源的な恐怖だ。

 

 

 生きとし生けるもの全て、誰しもそこへ死を予見する。単純な墜落に恐怖を感じない生物はいない。

 

 それが盲目ならなおのこと。

 

「ギャアアアアアアア!」

「姉ちゃん、うるさいよ!」

 

 鳥の足にしがみつく桃色のスライムは、この世の者とは思えぬ絶叫を放った。およそ、嫁入り前の独身峠越え(アラサー)女子が放ったとは思えぬ汚い叫びだ。声を商売道具にする人間にしては随分と品が無く、喧しかった。

 

「死にたくないよおおおお! お嫁に行かずに死にたくないよぉぉぉ!」

「うるせえ!」

 

 速度が上がれば風の音も上がる。五月蠅すぎて会話は成立しないが、彼女の動揺は本物だ。桃色の姉は精神が沈静化されない。

 

 不慣れな体で辛うじて滑空しているため、速度は尋常ではない。目が見えなくとも体で受けている風がそれを立証している。彼女の感じている恐怖は弟よりも大きかった。

 

 とはいえ、見えているからと言って怖くないことはない。

 

 飛行機になった気分を味わう弟も、死の恐怖を少なからず感じていた。

 

「くそ、どうやって止まればいいんだよ……」

 

 彼方に見えていたはずの都市が恐ろしい速度で近づいてくる。頭の中では都市を囲う城壁に激突し、衝撃で空中分解して散り、壁に内蔵の絵を描く未来まで見えてくる。羽毛で覆われた鳥の全身を文字通り鳥肌が駆け抜けた。

 

 せっかく異世界に来たというのに、いきなり死んでは堪ったものではない。必至の抵抗を試みて翼を動かしても、左右の軌道が逸れただけだった。

 

 腹部の羽毛と皮膚を犠牲にして不時着するしかないが、何しろとても痛そうだ。他に何かないかと目を凝らすと、城壁の手前で浮遊する何かが見える。距離が近づくにつれて見えてきたのは、アンデッドが老婆へ槍を突きつけている場面だ。ゆらゆらと空中に停止するそれは、素晴らしい衝撃緩和材に思えた。ついでに老婆も助ければ一石二鳥だ。

 

「姉ちゃん! お婆さんがアンデッドに襲われてるぞ! 衝突に備えろよ!」

「たああすけてええええ!」

「この役立たず!」

 

 ペロロンチーノは姉の意見を諦めた。幸い、こちらは超高速だ。槍の切っ先が老婆を貫く前に、体当たりくらいはかませる。 足に纏わりついて大騒ぎしている、色艶の欠片さえも見当たらない卑猥なる姉もろとも蹴りを食らわせてやろうかとも思ったが、滑空中の体制変更までは出来なかった。

 

(痛そうだよなぁ……)

 

 数秒間の思案後、ペロロンチーノは覚悟を決めた。何はともあれ、痛いだけなら死ぬよりましだ。全速力で頭からぶつかるべく体制を整える。

 

 突如、彼方から恐ろしい速度で接近する、減速する気配のない弾頭に、アンデッドが気付いた時には遅い。何ら防御策を講じる間もなく、ペロロンチーノの頭突きをまともに受けた。衝撃は全てアンデッドに流れ、ペロロンチーノは優雅に宙を舞った。

 

「ギャアアアア!」

 

 他の誰でもない、姉の声が周囲に轟く。彼女は体当たりの衝撃で足から離れ、花畑をヘッドスライディングして土塗れになっていた。

 

「叫べる元気があるなら大丈夫だな」

 

 顔を衝撃緩和材に戻す。黒騎士は体をくの字に曲げ、身に纏う漆黒の鎧がひしゃげ、魚の骨から落下していた。黒い鎧の裂け目から白い骨が見えた。即座に反撃に転じるような様子はないので、ペロロンチーノはズキズキと痛む頭に手を触れた。大きなたん瘤ができていた。

 

 弾頭になった鳥もそれ相応に激痛ではあったが、HPの減少は微々たるものだ。体も問題なく動くし、不便なく滞空していられる。

 

「姉ちゃん! ヘイト管理ぃ!」

「……」

「くっ、この役立たず!」

 

 今は姉を落ち着かせることより、アンデッドへの対応が優先だ。ぶくぶく茶釜は過度のストレスで精神が撃墜されていた。ペロロンチーノは四枚羽を広げて宙を舞い、姉を掴んで老婆の近くへ放り投げた。

 

「いたっ、なにす――」

「敵だよ! いつまでも寝ぼけるな!」

「あ……ごめん」

 

 らしくないと思った。滞空するペロロンチーノが弓を構える最中、姉は遠慮がちに老婆へ話しかけていた。

 

「あ、こ、こんにちは。決して怪しいものではないんです」

「っ……」

 

 酸欠の金魚が見たら真似するなと怒りたくなるような老婆は、縦笛のような音を出して息を吸い込んだ。

 

 ギルド最硬とも目される桃色の肉棒が放つ、外見と裏腹に可愛い少女の声を聞いて老婆が怯えている。卑猥なる姉は彼女を守ろうと近寄った。そして老婆は離れていった。それを更に姉が追う。自然とペロロンチーノから距離が離れていくが、これからまさに技を撃とうとしている彼には好都合だ。

 

 ぶくぶく茶釜が近くにいれば、本気で打っても問題ないだろう。所持している弓は粗悪品で、あちらまで甚大な被害が及ぶとも思えない。花畑もさほど被害を受けないはずだ。

 

 この時、もっと冷静になるべきだった。

 

 彼は生まれながらの天才や、正義を愛する者、悪に寄るあまり人間性を失った者とはほど遠い場所にいる。どこにでもいる、いわゆる一般人だ。

 

 愚者の楽園(ディストピア)を抜け出して、気分が上昇気流に乗って大気圏を目指し、英雄然とした役割演技(ロールプレイ)や、中二病に片足を突っ込んだ振る舞いになるのは致し方ない。

 

「あ、が、あなたさまは――」

「問答無用!」

 

 アンデッドがひしゃげた鎧を出鱈目に振り回し、身振り手振りで何かを伝えようとしていたが、不死者(アンデッド)の知り合いは一人しかいない。

 

「行くぞ! 人に仇なすアンデッドめ!」

 

 構えた弓へ、MP消費で光の矢の束が装填される。指を引いて照準を合わせると、自身を頂点とした赤い円錐が現れ、指先の動きに合わせて動いてくれた。おかげで照準は楽に定められた。

 

「《断罪の雨(シューティング・ジャッジメント)》!」

 

 照準として定めた円錐の中を、無秩序に赤い光の矢が落ちる。両手を上げて何かを叫んでいる敵の意向を無視し、飛び出した最初の数発で、地を這う黒騎士と漂う魚の骨を炭に変えた。範囲攻撃を選んだのは彼の失策といえる。敵を滅し、なおも降り注ぐ赤い炎の矢は花畑に燃え広がり、瞬きする間に花畑は焦土と化した。

 

 全てが終わってから事態を把握した。

 

「……やらかした」

 

 焼け野原に降り立つと、そこかしこでブスブスと火が燻る音が聞こえる。

 

 振り返って姉を見れば、ぶくぶく茶釜は老婆を背負って炎から逃げ出し、老婆の僕である魂食い(ソウルイーター)も馬のように後を追った。燃やす相手がいなくなった炎が諦めて消えたころ、老婆は焼け野原を眺めて膝から崩れた。

 

「ああぁ……私の……花畑が……」

 

 焼け野原に降り立った弟へ、姉がのろのろと這い寄り、笑っているかのような声で言った。

 

「加減しろよ、弟」

「無理だよ……危なかったし、呑気に技を選んでる余裕なんてないから」

「取りあえず謝って」

「許してくれるかな……」

「許してくれなかったら謝んないの?」

 

 それもそうだと、ペロロンチーノは老婆の隣で頭を深く下げた。

 

「……あの、ごめんなさい。本当に、すみませんです」

「弟がご迷惑をおかけしました」

 

 両手を前にお辞儀する爆撃の翼王と、同じように頭を下げる桃色の粘液盾に、老婆は反応を示さなかった。

 

 火の神官長、ベレニスの見回り担当領域、見渡す限りの花畑は、皮肉にも彼女が受け持つ炎によって、黒煙がそこかしこから立ち上る焦土と化した。土に触れると、まだ熱を帯びていた。

 

「あのー……」

「花畑が……」

 

 ペロロンチーノとぶくぶく茶釜は顔を合わせて一緒に困り果てた。

 

 

 

 

 

 神官長の役職が彼女の怒りと悲しみを地底深くまで抑え込み、矢を使わずに爆撃する恐ろしい顔面を持つ天使と、それを顎でこき使う桃色の粘体生物を別宅へ招いた。異形種に排他的な法国の神官長とは思えぬ対応だ。

 

 種族さえ不明な二人を見て、大騒ぎになるのを恐れたのだ。目まぐるしい変革を遂げる法国で、彼女も少しずつ変わりつつある。それに、彼女は少なからず彼らの正体を把握している。家族が出入りする自宅ではなく、別宅に招いた彼女の判断は正しい。

 

 首や頭を振り回し、物珍しそうに周囲を見回す両者へお茶を出してから一息ついた。

 

「ようこそ神都へ、天使様」

「あ、はぁ……」

「ぷっ……くく」

「笑うなよ……」

「どうかなされたか?」

「あ、いえ、すみません」

 

 先ほど、道端の子供たちが予言していたのは間違いなくこの二人だ。どちらも六大神の使いの天使とは思えぬ容姿なので、導き出される答えは一つしかない。

 

「ゆっくりしてくださいませ。ただいま、簡単な食事をお出ししますので」

 

 彼らの緊張をほぐさなければ話が先に進まない。簡単に調理した食事を出すと、二人は美味しそうに貪っていた。

 

「美味しい!」

「ありがとうございます。つまらないもので恐縮ですが」

「美味し……あ、いえ、本当に、お構いなく」

 

 純白の四枚羽を持つ、顔面が恐ろしい天使は申し訳なさそうに頭を下げた。未だ、彼の顔面を直視できない。

 

「タブレットなんかに戻れないよね! こんなご飯食べちゃったらさー」

「姉ちゃん……ちょっとは遠慮しようぜ」

「無理無理! お婆ちゃん、お金は後で返すから、もっと食べさせてください!」

「はい、はい、少々お待ちを」

「なんか……本当、すみませんです」

 

 意外にもペロロンチーノは大人しい。

 

 異世界での最初の出会い(ファーストコンタクト)なのだから、隣の姉と同様に盛り上がってしかるべきだが、出会い頭に管理していた花畑を焼き払った件がある。焼き畑を耕すにはそれ相応の時間と労働を要するだろう。

 

 借りてきた猫が横暴に見えるほど、件の天使は畏まっていた。

 

「慌ててたんで、辺り一面が燃え上がるとまで考えられなくて……」

「ごめんなさいね、お婆ちゃん。弟が馬鹿野郎で」

「おと……弟?」

「あ、そか、もう人間じゃないから見た目じゃわかんないよね。私たち、実は姉弟です。今はこんなですけど、元は人間ですから安心してくださいね」

 

 得体の知れない術を使い、種族が不明な点を考慮すれば、何ら驚くことはない。

 

(やはりプレイヤーか……と、今さら驚くこともあるまい)

 

 アインズだってプレイヤーだ。彼がこの世界に来た時点で、別の場所へプレイヤーが転移している可能性は考慮している。

 

「ユグドラシルから来た方々を、この世界ではプレイヤーと呼んでおりますのよ」

「プレイヤーかぁ。何をプレイするんだろうね」

「知らねえよ」

「なに? なんか機嫌、悪くない?」

「元気がねえの」

「お婆ちゃん、あの畑は、私が責任もって耕させるからね。だから許してあげてください。私も手伝いますから」

「いいえ、結構ですよ。彼がいますからね」

 

 指さされた魂食い(ソウルイーター)はこちらを一瞥したが、すぐに中空へ視線を戻した。見えない蝶を目で追っているようだった。

 

「そっか、アンデッドの方がコイツよりも役に立つよね。それに比べてこの役立たずがっ!」

「うぅ……」

 

 酷い言われようだが、彼は反論をしなかった。

 

「本当にお気になさらないで。花はまた植えればいいのです」

「なんか……本当、すみません。明日からあそこを耕します。あと、なんかできることがあれば言ってください。何でもやりますから」

「こんなアホ、ガンガンこき使ってください! 姉の私が鞭打って監視しますから」

「おい」

「文句あんの?」

「いや、あるだろ」

「この場でエロゲーの台詞、全力で叫んでやろうか。お兄ちゃん! らめ――」

「やめろよ!」

「なんだよー。それか、12歳のときにしでかしたことをばらしてもいいのか」

 

 ぶくぶく茶釜は桃色の体をプルプルと震わせた。笑いをこらえているように見えた。

 

「汚い。さすが姉、汚い」

「この通り、やる気を見せていますので」

 

 どういうわけか、とても楽しそうだ。

 

 とはいえ、プレイヤーを顎でこき使うのは良心が咎める。アインズと無関係なら気にする必要はないが、万が一、彼らがアインズの探している仲間だった場合、後でどんな目に合わされるか分かったものではない。ベレニスは自分の立ち位置がよくわからずにいた。

 

 労働の現物支給で賠償を押し売ろうとする両者を諫め、彼女は話題を変えた。

 

「お二人はアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下を御存じでしょうか」

「ギルドじゃん」

「誰ですか?」

「アンデッドが収める大国、魔導国の国王です」

 

 魔導国、アインズ・ウール・ゴウンの話をしても要領を得なかったが、アインズの様相を伝えると二人は即座に納得した。

 

「モモンガさんだよな」

「モモンガさんだね」

 

 二人は顔を見合わせた。

 

「国王だって」

「しかも神に近いってなに」

「……私ら、邪魔じゃね?」

「なんか俺もそんな気がしてきた」

「呼ばれて飛び出て、はい、帰れ! みたいな」

 

 目的地こそわかったが、建国した友人は国王だ。後から出てきて馴れ馴れしく王の友人顔をするのはいかがなものかと、ヘロヘロと同一の思考に陥る。すぐに合流すべきなのは明白だが、モモンガの考えがわからない。ヘロヘロ帰還の情報もナザリック外へ回っていない。

 

 これまでは、手紙を出してくれたのだから会いたがっていると思っていた。それではなぜ手紙にそう書かなかったのか。もしかすると、かつて一緒にゲームをした相手なら、異世界に呼んでやってもいいかくらいの考えかもしれない。それなら、会いに行くのは却って不都合になる。

 

 そんな相手が突然に現れ、建国した国で幅を利かせるのはいい気分がしないだろう。

 

 転移先が魔導国ではなく、属国にした法国という点も気になる。そこに意味があるかはわからないが、もしかすると、二人にはこの地で何か成すべきことがあるのかもしれない。

 

「って思うんだけど」

「うーん……いや、モモンガさんなら違うと思うな」

 

 アインズは蒐集家だ。実践では何の効果もない魔法や武器、アイテムなど、珍しいというだけで大量に集める癖がある。作った国もいわゆるコレクションの1つで、自慢したいだけかもしれない。

 

 ペロロンチーノからすれば、先ほどの説よりもモモンガらしいと思えた。

 

「って思うんだけど」

 

 畏怖する魔導王の至極個人的な情報をあけすけに暴露され、ベレニスはそういう話は自分のいないところでしてほしいと思った。

 

「そうかぁ? なんか邪魔者扱いされたら傷ついちゃうかも」

「そんなたまかよ」

 

 早々に合流するか、連絡だけでもすべきだと思ったが、彼らは賠償の押し売りを優先した。敵対者がいないのなら合流を急ぐ必要もない。旅は目的地に着くだけが全てではない。

 

「あの、お婆ちゃん。お名前は」

「私はベレニス・ナグア・サンティニと申します。スレイン法国の責任者、火の神官長の役職です」

「偉い人だったんですね……」

「しばらく、その、ここにいてもいいですか? 何でも手伝いますから」

 

 ペロロンチーノは現アインズ、旧モモンガと仲が良かった。彼に会ってみたいのは本心だが、何しろ情報が少なすぎる。ベレニスの話に登場するアインズと、記憶のモモンガの人物像が一致しない。

 

「好きなだけいてくださいませ」

「ありがとう!」

「ただ……その……外出は避けていただけませんか」

 

 神官長の使役する魂食い(ソウルイーター)を除き、人間国家で異形種が闊歩している前例はない。

 

 ここは人間愛を語る宗教国家、スレイン法国だ。顔面がえげつない天使と、形が卑猥な桃色粘液体は、ただそこら辺を歩くだけで国を揺るがす騒動へ発展するだろう。

 

 ベレニスはまだ彼の顔面を直視できない。

 

「そんなに変な顔してますかね……」

 

 自分の顔は見えず、姉の視界は当てにならない。

 

「鏡ならそこに」

「ちょっと借りますね」

 

 数秒後、ペロロンチーノの悲鳴が別宅に響き渡った。

 

 

 

 

 人の花畑を焼き払った件に加え、顔面偏差値がマイナスに落ち込んだペロロンチーノは意気消沈している。異世界に来て盛り上がっていた気分も、こうなってしまえば見る影もない。

 

「ぷっ……くく」

 

 姉の笑いを指摘する余裕も見られなかった。

 

「ひひ……顔面かぁ……私には見えないんだよねー。あんた、そういえば仮面はどうしたの? 黄金の奴」

「……引退した時に、売ってもOKって言っちゃった」

「あーあ、やらかしたー。もう恋愛とか無理だね」

 

 ペロロンチーノの肩が桃色の触手で叩かれた。

 

「取りあえず、紙でも張っておきなよ」

「紙……?」

「誰かわかるように、ペって書いておくからさ……うひひ」

「……殴りてぇ」

「後で紙とペンを貸してね、ベレニスさん。それから、スライムに人間的視覚を与えるアイテムがほしいんだけど、知ってますぅ?」

「……いえ、聞いたことがありません」

「そうなんだ……そっかー……そうだよねー……うーん……」

 

 ぶくぶく茶釜はブツブツと言いながら露骨に肩を落とし、声を沈ませた。人間を辞めても動作は人間らしい。

 

「魔導王陛下は異形種を人間に化けさせるアイテムを開発していたようです。もしかすると、仮初の姿として人間になれるやもしれませんね」

「マジっすか! やったよ、姉ちゃん」

「知るか、アホ」

 

 途端にペロロンチーノの精神状態異常は回復する。ベレニスが彼らの性格を分析していると、ペロロンチーノの顔が彼女に向いた。

 

「あ、ベレニスさん。敬語じゃなくていいんですよ。俺たちはこう見えて30そこそこですから。なぁ、姉ちゃん」

「ん? あぁ、そうそう、異世界に来ただけの一般人ですから。それに、世話になってるのに困るじゃない?」

「姉ちゃんはもっと謙虚になれよ」

「うっさい。その方がベレニスさんも話しやすいでしょ」

「うーん……しかし」

 

 懸念しているのはアインズの動向だ。ペロロンチーノが焼き払ったのは魔導国上層部の使者で、じきに彼らもこの事態を把握する。懇意にしていたかつての仲間が、属国の老人と馴れ馴れしくしている姿は彼にどう映るだろうかと、考えただけで鳥肌が立った。

 

「私にも立場がありますもので」

「もーっ! そういうの止めましょうよ! ほら、私たちはベレニスさんの畑を間違って焼き払った厄介者で、お詫びに居候しながら畑を耕して、ついでに何か仕事を手伝いますから! それでいいじゃない。ね? だからもう、やめようよ。別に、神様でも何でもないからさー!」

「し、仕方ありませんね」

 

 ぶくぶく茶釜は反論を許さぬとばかりにまくし立て、うっかり承諾してしまった。考えている視点を変えれば、彼女にとって好機となりえる。分裂しかけている法国を正すには、力なくして成り立たない。この二人を上手く利用すれば、魔導国、六大神、どちらにも足で砂を掛けず、万事、穏便に済ますことができるのだ。

 

「二人がアインズ・ウール・ゴウンのはぐれた仲間、41人の神々だとはわかったよ。どれほど強いのかしらね」

 

 桃色のスライムが触手を伸ばして腕を組んだ。

 

 悩んでいるようだ。

 

「うーん……強さ、かぁ……あんた、たっちさんに勝てる?」

「無理言うなよ……」

「ウルベルトさんは?」

「それも無理」

「弱いね」

「あの二人は別格だろ? モモンガさんだって勝てないと思う」

 

 ベレニスは反射的に足が痙攣した。もうちょっとでテーブルを蹴り上げるところだった。

 

「強さの順位かぁ……考えたことなかったなー。私は何位かな?」

「20番目くらいじゃね?」

「あんたは?」

「良くて10位以内とか」

 

 ゲームの楽しみ方は人によって違し、集団で担う役割にも差が出る。ペロロンチーノは強さを追求し、スキル構築や職業構成に脳みその大半を割く力の追及者だ。その自己評価はあながち間違っていない。すかさずベレニスが疑問を提示した。

 

「1位はアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下かい?」

「アイ……モモンガさんね。強かったっけ?」

「うーん……単純な強さなら姉ちゃんに毛が生えた程度なんじゃないの?」

「は? 今、なんて?」

 

 老婆の反射的な声は抑えられずに出ていた。

 

「だから、モモンガさん……あ、魔導王ですね。そんなに強くなかったような」

「だよね。1位はたっちさんかウルベルトさんだもん」

 

 ペロロンチーノは頷いて肯定した。

 

 椅子から転げ落ちてもおかしくない動揺を、良くぞ堪えたものだ。アインズの部下の話をかいつまんだ通説は、アインズこそが世界の頂点だ。世界最強の魔法詠唱者で、彼に勝てる者は存在しない。結果だけ見れば、あの番外席次でさえ彼にあっけなく敗れ去っている。

 

 そのアインズをたやすく越える絶望的な暴力が、目の前で穏やかな青年然としている天使なのだから狂気の沙汰だ。嘘だと断じるのは簡単だが、使者のアンデッドを容易く屠った爆撃が照り返し(フラッシュバック)する。降り注ぐ一本でもベレニスにあたれば、絶命は免れなかった。それは、彼が自身の武力を自覚していないということだ。改めて目の前に座っている二名が、取り扱いを間違えれば世界まで崩す劇薬に思えた。

 

 理性にされた重厚な蓋を破壊し、今にも狂気が飛び出そうとしているのがわかる。

 

「ソ、その……魔導王陛下の御友人だとはわかるが、どれほど仲が良いのかね」

 

 最初の言葉が裏返り、言いながら唇が震え、合わせて声まで震えていた。

 

「まぁ、それなりに」

「所詮はゲーム友達だもんね」

「結構、仲は良かったけどなあ。異世界に呼んでくれるくらいには」

「あ、そうか。だから神降臨! って奴なんだね! 確かに神だよ、モモンガさんは」

「そうじゃないだろ。つーか、ネットスラング使うのやめろよ、痛いから」

 

 彼らの会話は意味が理解できないことが多々あるが、個別に突っ込んでいては会話が進まない。優先して知るべきは、目の前にいる彼らの武力だ。洗脳アイテムの使用や、アインズの悪評を吹き込んでこちらの良いように操る手段が脳を掠めたが、支払う負債(リスク)は命を以てして安すぎる高額だ。

 

 彼らに牙を剥いた陽光聖典がどんな目に遭ったか、話を聞いただけで怖気(おぞけ)が走ったのだ。

 

 それに、彼女が望む理想的な未来に洗脳は必要ない。

 

「二人とも、結婚はしていらっしゃるの?」

 

 途端、じゃれていた二人の口が閉じ、開く気配が見えなくなった。

 

「ど、どうなされたかね」

 

 何か失言をしたのではと慌てるベレニスに対し、二人は暗い声で言った。

 

「どっちもしてませんよ……」

「どうせ独身アラサーだもん」

「あ、あらさ?」

「英語は通じないみたいだな、姉ちゃん」

「変な世界!」

「まぁ……つまり、どっちも独身です」

「ご予定はおありかね?」

「この世界で探しますよ。その方が楽しそうなんで」

 

 心なしか瞳が輝いているように思える。その返答でベレニスは安堵の息を吐いた。魔導王のように得体の知れない考えのプレイヤーよりも、彼のような欲求が分かりやすい者の方が操りやすく、人間のような考えは理解と対応が簡単だ。

 

「あんた、エロゲは引退したんじゃなかったの?」

「実機でやるんだよ」

「この好色め!」

「やめろよ! 誤解されるようなこと言うな!」

「なに、違うの? 私の目の届く場所でハーレムとかしたら殺すよ?」

「ハーレムも悪くないけどさー、恋愛がしたいんだよ、恋愛が」

「その顔面で探すのか?」

 

 先ほどと同じく、ぶくぶく茶釜の体が小刻みに震えている。押し殺した笑いで声が乱れていた。

 

「……」

「それに相手は鳥? 弟がケモノ好きとか、えぐいんだけど」

「もう黙れ」

 

 ベレニスからしてみれば、姉の容姿こそ困ったものだ。法国に唯一残された神人に薦めても難しいだろう。スライムと人間の間に子が生まれる可能性は皆無だ。当然、そんな奇跡が起きた前例もない。

 

 しかし、弟は別だ。

 

 容姿に拘らず、強者を求めている番外席次ならば、アインズより強い天使に興味を示さないはずがない。魔導王の友人でその力も底知れない天使と、六大神の末裔の結婚ならば、子が成せないとしても不穏な気配が立ち込める法国を吉報として走り回るだろう。

 

 隠匿されている彼女の存在を国民へどう説明するかが難点だが、少なくとも腹に一物抱えている責任者たちは納得する。ベレニスは座ったまま頭を下げた。

 

「お願いがあります」

「はい?」

「助けてやってもらいたい女性がいます。プレイヤーの血を引き継ぐ、200歳になる少女なのですが――」

 

 番外席次の話を知る限り話したつもりだが、ペロロンチーノの顔色は良くない。

 

「うーん……」

 

 200歳になる少女と言われても困る。異形種なり、長命種なり、考えられるのは幾つかあるが、可能性(フラグ)を乱立させると回収が大変だ。ペロロンチーノの頭に浮かんだのは、作り込み過ぎて黒歴史となった少女だ。

 

 頭に少女がちらついて気分を萎えさせ、あと一歩が踏み出せない。

 

「ちょっと……初っ端から濃いかなぁ」

「意外だね。やっぱりケモノ好きなのか?」

 

 姉が触手を伸ばして羽毛の生えた弟の胸をつつき、一枚だけ引っこ抜いた。

 

「痛っ、ちょ、毟んなよ。そうじゃなくて、エロゲーをプレイしてさ、最初に出会ったキャラが濃いのに、その後に出会うキャラが薄いと萎えるだろ。他のキャラが際立たないじゃんよ」

「知るかよ」

「最初に会う相手はさー、やっぱ幼馴染とか、隣に住む女子高生とか、なんか安心する相手がいいわけよ。恋人と妻は別のタイプが良いって言うだろ? わっかるかなぁ?」

「わっかんねーなぁ。美味しいものから先に食べたら、他の料理の味がしなくなるってこと?」

「まぁ、だいたい合ってる」

「えげつない顔面に惚れる女の子がいるといいな」

「……いるよ、多分」

「ケモノ好きとか?」

「もう死ね」

 

 現時点で、該当する人物はナザリックにいる。自分で作ったキャラはナザリック内におけるキャラの濃さで言えば上位に入るが、それゆえの黒歴史であり、この場で省みることはない。思い出せば気分が萎えてしまい、NPCのことはそれっきり考えるのを止めた。

 

 そんな話の最中、老婆の顔は海底まで沈んでいた。

 

「駄目でございますか……? 先代の神官長が兵器として教育を施し、異形種の殺害に利用したせいで、性格が歪んでいるのです。何とか正してはもらえないものでしょうか」

 

 そこまで言っても、関心を示す態度は見られなかった。

 

「別に……俺たちはカウンセラーじゃないッスよ。正してと言われましても」

「彼女は、我ら宗教国家の犠牲者なのです。同じ女性として、あれの母親を含めて考えると……やるせないのです」

「だってさ。愛で地球でも救ってみるか?」

「そんなんで救えるならリアルがディストピアにならないから」

「なかなかの美人で」

「美人……?」

 

 美人という言葉に反応してペロロンチーノがこちらを向いた。どことなく身を乗り出しているように見え、ようやく老婆の思惑が成就した。

 

「この火の神官長、ベレニスの名で保証します」

「そうですかぁ……考えておきます。縁があれば会うこともありますから、その時にまた」

「でもさー、他のメンバーも来るんでしょ? じゃ、別にこの馬鹿じゃなくてもいいと思うよ、ベレニスさん。強い人、他にもたくさんいるし」

「ほー……詳しく聞かせてもらえるかい」

 

 過去を手探りで思い出し、転がり出た思い出に談笑する二人は和やかであった。

 

「恋愛初心者は学園モノからはじめたいんだよな」

「学校があるといいな」

「スーラータンさんとかがいればいいのに。ラブコメやろうぜ、学園ラブコメ! そのバンガイって子も入学させて、みんなで誰がその子を落とすかやろうぜ!」

「魔導国では教育の場として学び舎を建設中とか」

 

 ペロロンチーノの偏見でモモンガの意図が勝手に創造される。

 

「モモンガさんも青春したかったんだな! 甘酸っぱい青春ができるよ!」

「いや、違うだろ、馬鹿弟」

「水を差すなよ、姉ちゃん。自分だっていい男に壁ドンされたいとか思ってんじゃねーの?」

「ねーよ! この恋愛脳が!」

「悪いか! 愛が世界を救うってさっき自分で言っただろ!」

「んなもんで救えるか!」

「うわ、この女、酷過ぎる……」

「色んなヒロインの声を当てすぎて、恋愛は食傷気味ー。アニメとか、美少女ばっかりだし、そろそろそんな年でもないしー」

「リアルで擦れてるな」

 

 この日、夜遅くまで彼女の別宅では明かりが灯り、談笑する声が止まなかった。それは姉弟の声だけであり、ベレニスは相槌を打つのが精一杯だった。

 

 初体験の食事と酒に浮かれるあまり、過去を暴露する二人は和やかなものであったが、話を掘り下げていくたび、アインズの41人の仲間への恐怖が心の中で肥大していく。

 

 今まさに、この世界の人類は頼りない小舟に乗って荒れ狂う海原へ繰り出そうとしている。世界を破壊しても何ら不思議ではない41人の性格と、プレイヤーの常軌を逸した武力が判明し、ベレニスの正気が削られていくようだった。

 

 

 翌日、狂気に耐え続けて燃え尽きたベレニスが理性を取り戻した頃、神官長だけで会議を開催する旨の伝令が届いた。

 

 


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