モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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伏線の回収話

彼の帰還ですが、読み飛ばし可能です。



梟の首と鉄鎖

 

 

 

「例えば、魔法を使う時に感じる力が神だとして、その神の正邪は誰にも分らない。下手をすると、邪悪なるものを崇拝してしまう可能性もある。余計なものを信じる必要はない。信じる必要はないのだから、それが神だと考える必要もまた、無い」

 

 失態を演じたのは、自分の配役(ロールプレイ)だった。異世界へ飛ぶということで、やはり少しは舞い上がってしまっている。よりによって教師を演じるとは。

 

(教師はもういるもんなぁ……)

 

 そう思いながらも、悪くない気分だった。三角帽子を被った二人の教え子は、全く同じ顔でこちらを見ている。片方が挙手にて発言権を求めた。

 

「先生は神様を信じてないんですか?」

「信じていない。神がいるとするのなら、それは人間だよ。……あ、ここで言うところの人間とは、世界を支配している種族という意味だ」

「そうなんだ……」

 

 双子は信じられないものでも見たように呆けて口を開いている。今一つ、彼女らの年齢がわからない。若くはなさそうだが、かといって年寄りとは思えない。出会い頭にそれを聞きそびれたのは失態だった。

 

「信仰はときに人間の力になるかもしれないが、概ね、宗教という間違ったモノに昇華されることが多い。そうなれば、信仰対象は神である必要さえもない。血みどろの戦争は常に、人間の手で起こされるのだ。強すぎる信仰は種族の害に成り得る」

「強すぎる信仰……?」

「強いのは悪いこと?」

 

 腰の後ろへ両手を回して教え子を眺めていた彼は、右手を前に出して人差し指を立てた。

 

「そう……ブラックホールの誕生に似ている。巨大な星は強すぎる自分の重力に耐え切れず、その身を内側から潰してしまう。物質はおろか、光さえ脱出できない天体となり、宇宙の物理法則さえ乱してしまう」

「それが戦争なんですか?」

「ちょっと怖いかも……」

 

 なおも彼は続けた。

 

「もっとも、広い宇宙の中で一つの惑星が潰れようと、大した問題ではない」

 

 

 

 

 身内の生々しい話は、精神を冒涜する背徳的な事案である。黄金マスクの彼はそう信じており、宴の場でそのように論じた。今もなお繰り広げられている姉の姿から、露骨に顔を背けながら。

 

「冒涜……って」

「いえーす」

「いえ……そんなに生々しい場面じゃないと思いますけど。酷くないですか、ペロロンチーノさん」

「むしろ甘いくらいですけどね」

 

 アインズとペロロンチーノは、宴が始まってから常に隣り合わせだ。ひそひそと囁く陰口も、至近距離であればこそ成立する。陰口は当の本人まで届かないが、それは幸運でもあった。

 

「うふふ……かぁわいーいーねぇ」

 

 噂の彼女は、だらしない声で触手を伸ばし、闇妖精(ダークエルフ)たちの頭を撫でている。双子は気持ちよさそうに目を閉じていた。やがて触手が引っ込み、双子の片割れである男の娘が空の皿を持ち上げる。

 

「あ、あの、茶釜様。次は何を持って来ますかぁ?」

「もういっぱい食べたから何でもいいのよー」

「でも! いっぱい食べないと大きくなれないってアインズ様が!」

「私はもう大きいのっ!」

 

 黒歴史という言葉とは無縁のようだ。詰め込んだ設定量という境界線一つで、こうも明確に差が出るものかと、彼岸まで突っ走ってしまったペロロンチーノは感心する。あるいは、天まで伸びている彼女の精神状態が成せる業だろうか。

 

 どちらにせよ、長時間、直視できるような光景ではない。

 

「あぁ、良い匂い! それにこのぷにぷにとした健康的な褐色と、子供のやわ肌。なんて羨ましいんだ!」

「あ、あの、茶釜様もぷにぷにっとしてます」

「私たちなんかよりよっぽどぷにぷにしてます! 人間だったお姿も見たいです!」

「それは流石に見せられないよ……」

「見たいです!」

「そ、そうです! きっと美人です!」

「アルベドなんか足元にも及ばないですよー!」

「きっと! 女神様みたいな――」

「やめて! ハードル上げないで! その無邪気さが痛いの!」

 

 桃色の粘液体は、現実世界の姿を決して双子には見せないと固く決めた。人間を辞めた彼女の姿は、姿形と同様に好色な貴族そのものだ。実の姉をそう形容した弟へ、友人が苦言を呈す。

 

「好色な貴族……さっきから随分な物言いですね、ペロロンチーノさん」

「逆に、他に何に見えるのかと聞きたいんですがね、モモンガさん。あの姉野郎に甘くないですか? そんな恩赦を掛けたら余計につけあがるだけで、あの馬鹿姉は落ちませんよ」

「いや……そんなつもりはありませんが……。それを言うなら、ヘロヘロさんはどうなるんですか」

「う……」

 

 二人の視線はぶくぶく茶釜の座っている部屋の角から対角線上へ移動する。黒い粘液体は大型ソファーに腰かけ、一般メイドに四方八方を囲まれながら、娯楽としての食事(物質を溶かす悦楽)に舌鼓を打っている。

 

「ヘロヘロ様ぁ、あーん」

「ずるい! 次は私の番!」

「あははー、喧嘩しないでねー」

 

 メイド()が14人も集まれば取り合って喧嘩になりそうだが、采配上手なヘロヘロの手腕は水際の均衡を維持させていた。人間を辞めてしまった姿であれど、どこからどう見てもハーレムを築いた異世界転生者だ。

 

 黒い粘液の中に浮かんだ食べ物が、小さな気泡を立てながら溶けていった。

 

「くっ、殺せ!」

「なに言ってるんですか……隣にシャルティアがいるでしょう」

 

 アインズの指摘した通り、シャルティアは付かず離れず、ペロロンチーノの隣にいる。

 

 宴の開始から一貫し、微笑む少女は黙して語らず、無言の重圧で彼の精神が擦り潰されそうだ。NPCたちの挨拶も一通り終わった今は談笑時間だ。鳥人(バードマン)の精神耐久力は均衡を崩しかけていた。

 

「あ……ところで、パンドラの姿が見えませんね。どこ行ったんですか?」

「一応、声は掛けましたが、アルベドの不在ということで、何か用事があるみたいです」

「ふーん……残念。是非、動き回る彼を見たかったのに」

「まぁ……それはまたの機会に。いつでも会えますから。そういえば、彼は人間化の――」

「おぉ! バンパイアブライドだ!」

 

 シャルティアの側で待機すべく、宴の場に参じた部下が1名。吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)は、声をかけられて複雑な表情を浮かべた。

 

 所詮はシャルティアの配下であればこそ、この場に居合わせることができるが、直属の上司であるシャルティアを飛び越え、最上位者のペロロンチーノと話すなど許されるのか。声を掛けられた嬉しさで舞い上がりかけるも、シャルティアの前で感情を素直に表せない。彼女の機嫌を損ねたらナザリック産、不死者製挽肉にされてしまう。

 

「髪、綺麗だね。確かに、生きてるっていいよね」

 

 ペロロンチーノの手が吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)の髪に触れた。彼女の困惑は増し、表情は抽象画になりかけている。口元が小刻みに痙攣していた。

 

「アンデッドですよ……」

「あ、そっか。死んでるっていいよね!」

「いえ、特によくありませんが……」

「ああ、モモさんもアンデッドでしたね」

「ペロロンチーノさん……いい加減にしてもらえませんか? ボクの言いたい事、分かりますよね?」

「……」

 

 言われなくても分かっている。

 

 ギルド長の地位は伊達ではなく、厳しい監視は万力のように締め上げられている。包囲網を解除するには、そろそろシャルティアに応じなければならない。ヤツメウナギに酷似した真の姿を持ち、自身の恥部がここぞとばかりに詰め込まれた彼女へ、何をどう応じろと言うのか。”応じる”と、その場しのぎの言葉さえ紡ぐ気になれない。

 

 途端、彼のやる気は萎れて枯れた。

 

「はぁ……」

 

 脇机に乗せられたコーヒーカップを持ち上げた。仮面のせいで飲食に支障をきたしているが、下手に零そうものならシャルティアは舌で舐めとると言い出しかねない。細心の注意を払ってコーヒーを啜った。

 

「そろそろ宴もタケナワのようですね」

 

 ぶくぶく茶釜が闇妖精(ダークエルフ)の二人に介抱され、どこかへ引き摺られていく。体内に大量の料理を詰め込んだ影響で体積が大幅に増えていた。食べ過ぎた彼女は動きが鈍化し、自分ではまともに身動きができないようだ。

 

 うめき声が聞こえてきた。

 

「馬鹿姉め……」

「ナザリックに戻ったばかりですからね。多少、羽目を外すのは仕方ないですよ。食事も美味しいですからね」

「これが多少だったらいいんですけどね」

「モモンガさん、ペロロンチーノさん。俺も部屋で寝てきます」

「あ、はい。おやすみなさい」

「おつでーす」

 

 ヘロヘロが簡単な挨拶をし、メイド達を引き連れて出て行った。彼はとても忙しそうで、余計な雑談に割く時間もないらしい。アインズには小さな不満でもあった。メイドたちの仕事のローテーションにも支障が出てくるだろう。

 

「眠りに耐性のあるのにどうやって寝るんでしょうね」

「ルビが違うんでしょうね、ルビが。寝るに卑猥なルビでも振ればそれらしくなりますよ」

「……はぁ、そうですね」

 

 今晩は姉弟へ教授すべき内容を一人でまとめる羽目になりそうだと、彼のため息が物語っていた。

 

「じゃ、俺も寝ます。ヴァンパイアブライドちゃん、俺の部屋に案内してよ。君、名前はなんていうの?」

「あ、ちょっ、ペロロンチーノさん!」

 

 まさに油断大敵であった。ため息を吐いた僅かな隙を彼は見逃さず、鳥人は吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)を攫って羽ばたいた。素早さはそこまで高くなかったはずだが、一枚の羽毛(フェザー)だけが宙を舞っていた。

 

「ペロロンチーノさん……」

 

 羽毛は右と左の行ったり来たりをひとしきり繰り返し、床に落ちた。

 

 最初から最後まで、彼はシャルティアと目を合わさなかった。創造主(父親兼想い人)から挨拶もされず、案内役まで部下に奪われ、友人(アウラ)の喜ぶ姿をこれ見よがしに見せつけられながら、シャルティアは微笑みを続けている。

 

 彼女はペロロンチーノの羽を拾い、静かに退室していく。

 

「シャルティア……」

 

 彼女の小さな背中にモモンガの声が届いたか定かではない。ペロロンチーノへ圧力を掛けぬよう、無言を貫いた彼女が不憫だ。これまでの行動や性格を考えれば、どれだけの想いを押し殺して精神の均衡を保っていたのかわかる。

 

 しかし、ペロロンチーノのつれない態度は自分にも覚えがある。

 

(俺もパンドラに対して、あんなに冷たかったのかな……?)

 

 

 

 

「信仰にさほど意味はない。対象が存在しないからこそ、信じる力は強まっていく。その信仰も崇高である必要はない。信じることで満足するのなら、勝手にやらせておけばいい。即ち、信仰という“娯楽”だ」

 

 

 

 

「私はエンリちゃんを推すわ。早く都市長に就任をしてもらいましょう」

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王の名を冠すると自称する村。カルネ・アインズ・ウール・ゴウン、正式名称カルネ村の村長夫人は、人差し指を立てて得意げに言い放った。

 

 既に姉弟の帰還から一月余りが経過していた。

 

 村長夫人が推す議題は、カルネAOGの都市長についてだ。それ以外にも解決しなければならない事案は多く、中年男性の村人はため息を吐いた。

 

「いえ……ですから、村長夫人」

「私は未亡人よ」

「……どっちでもいいですわ」

 

 村長はアインズの手で惨殺され、村を守護するデスナイトへ変えられている。別の誰かを頭に据えれば、自身は御意見番として収まることができる。そう言い張る彼女の気持ちがわからないでもない。

 

「もしかして……エンリに立場を明け渡して諸問題から逃げようとしていませんか?」

「そうはいきませんよ」

 

 誰も納得はしていない。夫をデスナイトにされた彼女は未亡人なのか、アンデッド村長の夫人なのか、立場の説明がややこしいが、そんなことはどうでもいいのだ。

 

「未来の都市長問題も結構ですが、また汲み取りが間に合わずに便所が溢れましたよ。公衆手洗い場が、少なくともあと三つは必要です」

「汲み取り役だって足りていません。村人全員が持ち回りでやるべきなんですよ、本来は」

「種族を問わず、急激に人口が増え過ぎましたね。未だ、半野宿や倉庫で雑魚寝している者も少なくありません」

「スライムの設備改修は時間とお金がかかるものねぇ……」

 

 公衆トイレを間に合わせで作ったとしても、下水のスライム浄化設備が整っていなければただの穴だ。排泄物はすぐに穴を満たし、気が付けば溢れかえっている。持ち回りで汲み取りを行いながら畑の肥やしに利用しているが、汚れ仕事を率先して行うのはゴブリンやオーガたちだ。

 

「食事する場所だってそうです。そこいらの屋外とか、汚い倉庫の床に座って食べるのはいかがなもんでしょう。家屋の建設を急がなければ、次期都市長の仕事ばかり増えてしまいます」

「ここは大森林へ向かう者が立ち寄る中継地点です。バレアレ氏のポーション目当てに冒険者も頻繁に訪れます。彼らは村内の空いている場所で適当にテントを張って野営をしています。外貨の獲得という面でも、宿の建設が必要でしょう」

「いっそ神殿を誘致してはいかがですかね。孤児院も併設すれば、それなりに大きい建物一つで間に合うでしょう」

「夜の森から魔物が出てきます。防衛戦力の補強も急ぎましょう。ゴブリンさんたちに戦闘を教わっていますが、ものになるにはまだ時間がかかります。デスナイト村長さんに、もう少し気張ってもらわないと」

「薬草の採取にだって、デスナイトさんがいないと奥までいけませんよ。今はゴブリンさんたちが浅い場所で採取をやってくれていますが、隕石とやらが大森林へ落ちて、何が起きるか分かりませんから」

 

 村人たちからまくし立てられ、村長夫人は口を噤んだ。急激に人口が増加したこの村は問題が多すぎる。万能手札のデスナイトは、急ピッチで森の伐採を行なっている。不死者(アンデッド)は昼夜を問わず森から資源を確保してくれているが、その資源を生かすのは睡眠・飲食が必要な人間・ゴブリンたちだ。

 

 ここまで問題が表面化したのは、ネムの死が引き金だ。

 

「妹を亡くしたばかりの彼女に丸投げするのは、酷じゃありませんか?」

 

 エンリは天性の統率力と指揮能力を持っている。妹の死以来、態度こそいつもと変わらぬよう振る舞っているが、妹の死を乗り越えられていないのだと村内情勢は明白に語っている。

 

「ゴブリンさんと村人同士で小競り合いがありましたね……エンリが収めましたが」

「エンリには本当、申し訳なくて合わせる顔がないわね」

「ネムの死からそう経っていないというのに、彼女は強いですね。彼女がいなければ、この村はどうなっていたことか」

「はぁ……」

 

 ため息も吐きたくなる。

 

 信仰と忠誠は方向が違えば一種の温度差だ。プロテスタントとカトリックよろしく、少しだけズレた意見が一致することはない。ゴブリンたちは出身地が違う影響なのか、妙な場所で意見を違える。

 

 例えば、ゴブリン同士で意見が食い違う。

 

「俺たちぁモモン様に命を拾って貰ったからよ、村をでかくして人間たちと仲良くすんのはいいが、森からの魔物まで面倒見れるかよ」

「おめえさん、馬鹿か。村の発展ってのは、魔物の討伐まで含んでのことだ。俺ら、率先して森の魔物まで狩ってやるぜ」

 

 ここで終われば、ゴブリン同士のじゃれ合いだ。どちらがモモンの部下により相応しいかという論争に発展し、拳で青春を語る暑苦しい場面が展開されるが、血生臭い状況にはならない。これまではエンリが両者を諫め、なんとなく丸く収まってきた。

 

 放っておけばいいものを、出しゃばりな村人が落ち込んだエンリの代わりに諫める。

 

「ゴブリンさんよ、俺たちぁアインズ・ウール・ゴウン様に忠誠を誓ってんだ。あんたらがモモンさんに忠誠を誓おうが構わないがな、この村の流儀には従ってくれよ。モモンさんなんて、所詮は冒険者じゃねえか」

 

 決して悪意があって言ったつもりではない。彼の意識は途切れ、最後にゴブリンの赤く光る目を見た。彼はゴブリン数名によって袋叩きにされ、エンリが誰かに呼ばれて登場するまで殴られていた。

 

 召喚者とは、被召喚者から絶対の存在であり、それを貶めるような発言はご法度だ。それは村人側も同義で、この村で暮らすのならアインズに忠誠を誓って貰いたい。両者、理屈ではどうにもならず、血生臭い争いにまで発展してしまえば、それは一種の宗教戦争となる。発展途上の村が滅びるにはうってつけの事案だ。

 

 ボコボコにされてのびていた村人は、ンフィーレアにポーションを振りかけられて正座をさせられる。説教役のエンリはゴブリンと村人へ、頭から最高速度(フルアクセル)で怒鳴った。

 

「喧嘩させるためにみんなをここに集めたわけじゃない! 喧嘩したいなら村から出て行ってもらって結構です! そんなことで喧嘩して恥ずかしくないんですか!? そんな情けない姿をモモン様に見せられるんですか! アインズ様に見せられるんですか!」

 

 彼女の説教は誰よりも迫力がある。まるで、彼女だけが特別な何かを知っているかのような素振りだ。

 

「そんなことのために……ネムは犠牲になったんじゃない。恥ずかしくて顔向けできないよ……」

 

 涙目でそう呟く彼女に、どんな声をかけていいのかわからない。自然と喧嘩は丸く収まるが、エンリの腹の虫は暴れ始めると手が付けられない。説教が始まってしまえば、終わりが見えないほど続く。

 

 これも全て、召喚者を曖昧にしたままゴブリンを懐柔し、カルネ村へ丸投げしたアインズ・ウール・ゴウンの仕業である。モモンとアインズが同一人物と知るンフィーレアは、アインズの深い考えが見えず、その事実を誰にも言えずにいる。

 

 そんな均衡を保つカルネ村に、異変は前触れなく起きた。

 

 

 

 

「現在、村、湖、森は、ナッシュ均衡にある。しかし、森の資源は一時的な減少傾向に陥るだろう。これは、植林を担う蛇の数と資源の成長時間に対し、村と湖へ必要な資源量が釣り合っていないためだ。長い目で見れば森は必ず再生するが、その前に君たちの平穏が乱されるかもしれない。さて、君たちは、これからどうする?」

 

 

 

 

「お姉ちゃん……痛いよ……苦しいよ……」

 

 闇の中、姉を求めてさ迷う幼い少女が浮かんだ。眼球のない眼窩には、底のない闇が広がっている。空洞から流れ出すのは真紅に染められた血の涙だ。ネムは人の姿を失いながらも、姉を求めて震える手を伸ばす。姿形が変わろうと、可愛い妹に変わりはない。

 

 エンリは妹へ手を伸ばして叫んだ。

 

「ネム! 私はここにいるよ!」

「助けて……お姉ちゃん……」

 

 一直線に伸ばされた指先が触れるまであとわずか。お互いの指先がチッと掠った。

 

「ネム!」

 

 そうして飛び起きるのも幾度目か、悪夢は妹の死を忘れさせまいと繰り返す。寝間着は汗でじっとりと湿っていた。

 

「また……夢か」

 

 荒い呼吸を整えていると、隣のンフィーレアが体を起こした。

 

「あ、ごめんね。起こしちゃった?」

「ううん、眠れなかったからちょうどいいよ」

 

 ネムの死後、二人は同棲を始めている。結婚を前提としたと言えば聞こえはいいが、毎夜、悪夢に苦しめられるエンリを心配した配慮だ。

 

「何か飲む? お茶でも煎れようか」

「……ありがとう」

 

 リビングで暖かいお茶を飲みながら考えるのは、死んだ妹のことだ。

 

「私……馬鹿だよね。いつまでも……」

「仕方ないよ」

「こんなんじゃあ、次期都市長なんて無理だよ。妹のことを引き摺っている馬鹿な私が、都市でまとめ役をやるなんて。アインズ様にどんな顔をすればいいの。お姉ちゃん失格だよね……」

「エンリ……」

 

 ンフィーレアはそっと彼女の肩を抱いた。肌を伝わる温もりで、少しだけ落ち着く。優しい慰めでは、彼女の呪縛は千切れない。

 

 

 

 窓の外には、まだ夜が居座っていた。

 

 

 

 

 とある夜、大森林出身のゴブリンリーダー、ジュゲムがエンリの邸宅を訪れた。

 

 夜分、神妙な顔で訪れた彼を無下にはせず、エンリは邸内に招いてお茶を出した。ンフィーレアは居候のフェアリーに散々な悪戯をされ、くたびれて先に寝ている。ネムの死前後、森の異変から逃げてきた彼らはリィジー・バレアレと共に工房で暮らしているが、居候の癖に悪戯癖が止まらない。

 

「はい、ジュゲムさん。暖かいお茶です」

「ああ、こりゃすいません」

 

 武骨な手がカップを掴んだ。息つく間もなく一気に飲み干したが、熱さを感じないのだろうか。

 

「ふー……御馳走さんです。旦那はどうしやした?」

「先に眠っちゃいましたよ。妖精さんに付き合わされて疲れてるみたい」

「あのいたずら者どもめ。今度、とっちめてやりますよ」

 

 ゴブリンは慎ましさを知らない居候をそう吐き捨てた。

 

「そんで、エンリさん。薬草採取に向かったゴブリンたちが戻ってないんですわ」

「……え?」

 

 デスナイトは森林の伐採、資源の運搬に駆り出されている。自然と、薬草採取に森の奥へ向かうのはゴブリン小隊の役目だ。

 

 今回は遠くまで足を向けてみると、スレイン法国近郊出身のゴブリンリーダーは言っていた。

 

 朝早くに出掛けた彼らの姿は、それから誰にも見られていない。

 

「これはあっしの勘ですがね、嫌な予感がしますぜ。森で何かが起きているのかも」

「また……?」

 

 前回、森に異変が起きたときは、ネムが死んだ。

 

「でも……私に言われても。そういうのは、村長の奥さんに――」

「エンリさん、この際だからはっきりさせておきますがね」

 

 ゴブリンは身を乗り出し、真摯な両眼で見つめた。

 

「あっしら、エンリさんとンフィーレアさんには最低限の敬意を払ってますが、他の村人はどうなろうと知ったこっちゃないんですわ。この村は人間が多いんで、誰かが死んでも代わりはいるでしょう」

「どうして、私とンフィーに?」

「誰かが俺らの名前を呼んでるの、見たことありますかい?」

 

 思えば、ゴブリン・オーガの個体名まで識別しているのはエンリとンフィーレア、それに近しいものたちだけだった。異形種と共存共栄を目指し、都市へ発展を目論む村としては由々しき事態である。

 

「それに、誰にだって宝物はあるんでさぁ。俺たちに取っちゃ、モモン様への忠誠がそれですわ。こっちだってモモン様へ敬意を払ってくれるなら、アインズ様を立てながら恩は返します。住まわせてもらってる身で贅沢かもしれやせんがね。宝物に泥をかけられたら誰だって怒るでしょうよ。エンリさんだって、ネム嬢ちゃんのことを馬鹿にされたら怒りやせんか?」

 

 ネムの死には不自然な点もあるが、事故死と理解している。アインズなら蘇生魔法が使えてもおかしくないが、一介の村娘風情には大それた申し出だ。既に余りある恩赦を賜って何の恩返しもできていない現状、差し出せるものは自らの命くらいだ。あまりに我儘な振る舞いであるし、それこそネムは望まないだろう。

 

 言い訳を並べて誤魔化し、感情を押し殺して表層を取り繕うと、可愛い妹と死別という不動の現象は消化しきれずに(はらわた)をじくじくと煮凝らせている。

 

 誰かがネムの死を馬鹿にしようものなら、激昂して何をするかわからない。最愛の妹の死というどす黒い呪縛はまだ断ち切れない。

 

「エンリさん、俺ら、あんたがボスになってくれたらいいと思ってます。俺らゴブリンだけじゃなく、オーガや、森の蛇たちまでひっくるめて。それが一番、丸く収まります。モモン様の命を守って命を張るのはやぶさかじゃありませんがね、上に立つやつは重要なんですわ」

「はぁー……」

 

 エンリは大きなため息を吐いて立ち上がった。淀んだ空気を吹き飛ばすべく窓を開くと、涼しい風が飛び込んでくる。

 

「何も変わらない、村の生活がずっと続くと思ってたのになぁ……」

 

 ついこの前まで、家族と平和に暮らしているだけの田舎娘だった。気が付けば、最愛の妹は死に、自分は発展途上の都市で、新たな長として求められている。

 

「過去に戻れたらいいのに……。ネムとあの方は、もうどこにもいない」

「その、たまに口にする、”あの方”ってのは誰なんですかい? モモン様ですか? それとも、皆が崇めてらっしゃるアインズ様ですか?」

 

 エンリは首を振っただけで、何も言わなかった。

 

 夜の森はゴブリンを護衛につけても危険だと判断し、対応は翌朝に回された。森全体が蛇の縄張り(シマ)だと知っていても、蛇に従属しない野良の魔物はいる。

 

 早朝、エンリの父親を含む村人とゴブリンで捜索隊が編成された。

 

 同行するゴブリンたちに油断はなく、戦場へ赴く顔だ。

 

「おめえら、気を付けろ。何か起きたら逃げろ。死んだらそこでおしまいだ」

「モモン様のため、こんなところで死んで堪るかよ」

 

 太陽の光が差し込んでいる森の前で、エンリの父親は笑っていた。夜まで採取に時間がかかり、野宿して帰ってこなかったのだろうと、父親と村人は油断している。

 

「お父さん、気を付けて」

「心配するな。今回は安全だ」

 

 神妙なゴブリンたちを護衛につけ、笑いながら森へ入っていった。

 

 

 そのまま誰一人、帰らなかった。

 

 

 

 

「我が子、伴侶を惨たらしく殺された者は、職業貴賤を問わず敵を許さない。目には目を、歯には歯を――つまり、苛烈な報復の遺恨を回避するために、殺しは最低限に済ませなければならない。逆に言えば、それさえ守れば何をしても構わない。なぜなら、これは戦争だからだ」

 

 

 

 

 村人たちはアインズへの忠誠に甘んじて平和ボケしていた。

 

 ひょうたん型の湖へ向かう一本道が建設され、樹木が伐採されて森が後退したことで、薄暗かった大森林が明るくなったと錯覚していた。濃密なオゾンを吐き出す陰森に、光の届かない場所はいくらでも存在する。地下洞窟の入り口、大木の洞、木々が密集する薄暗がりに、人間を餌とする魔物が潜んでいても不自然ではなく、むしろ必然だ。

 

 トブの大森林は、初めから人間の味方ではない。

 

 事態を重く受けた村長夫人は村人たちを集め、緊急会議を開いた。当然、エンリとンフィーレアも参加する。

 

「エンリ、お父さんはきっと生きてるよ。大丈夫だから」

「……うん」

 

 エンリよりも母親の方が取り乱していた。お腹を痛めて産んだ下の娘に続き、伴侶まで失いかけている。平静を保つ方が難しいだろう。そんな彼女の前で自分が取り乱すわけにはいかず、エンリは必死で堪えている。

 

 ンフィーレアからすれば、感情を目いっぱい抑え込んでいる彼女こそ心配だ。

 

「くそ! デスナイトを護衛に付けるべきでした」

「……舐めてましたね、森を」

「しかし、まだ死んだと決まったわけでは――」

「早朝に出ていって、今は何時だと思ってるんだ!」

「はいはい、反省はそれまで!」

 

 村長夫人は両手を叩いて村人を諫めた。

 

「デスナイトさんの捜索隊を結成すべきだわ。ゴブリンさんはどう思う?」

 

 意見を求められたジュゲムが顔を上げた。

 

「その、言いにくいんですがね……真っ先に行方不明になっちまった連中に、ゴブリンのリーダー(カイワレ)も含まれてます。そいつを殺せるってことは、人間じゃ勝てませんぜ? それでも捜索隊を作るんですかい?」

 

 モモンがスレイン法国近郊の森から召喚したゴブリンは、レベルが高い順に上から消えてしまった。リーダー、クレリック、兵士、メイジ、アーチャー、有事の際は村へ帰還して異変を知らせる伝令役のライダーと狼まで戻らない。

 

 もうじき、魔物の蠢く夜が来る。夜の森に入るとなれば、それなりの準備が必要だ。デスナイトのレベルは35相当だが、異変対応レベルの上限がわからない。敵の姿はいまだ見えず、不気味な神隠しだけが続く。

 

 事態の把握ができないまま、危機感と夜だけがすぐそこまで迫っていた。

 

「困ったわね……まだまだ、森の資源に頼らなければこの村は成り立たないのに」

「これから冬が来ます。食料の備蓄だって、予定よりも遅れてるんです」

「森に出入り禁止となれば、我々は死ぬしかないですね」

 

 ご丁寧に、戦う口実だけは揃っている。この状態で放置すれば、森林の資材や食料に手が付けられず、蜥蜴人(リザードマン)集落へ助力を求めに向かうこともできない。食料不足のまま手を(こまね)いて冬を迎えれば、餓死者が出るのは間違いないだろう。養うべき民、異形種の数は多い。

 

「デスナイトだけで捜索に出すのはちょっと……ねぇ?」

 

 村長夫人の指摘通り、知性のないデスナイトは命令されたことしかできない。臨機応変に対応するには頭となる指揮官が必要だが、タクトを振る者は生贄となる必要がある。

 

 最悪の事態に直面したとき、自らの命を犠牲に時間を稼ぎ、デスナイトを村へ帰さなければならない。アインズから賜ったデスナイトはかつての村長であり、村を発展させるに必要不可欠な存在だ。まして、それを失うなどアインズへの不敬にあたる。

 

「仕方ないわね。私が行きましょう」

 

 村長夫人がため息を吐いた。

 

「村長夫人……何が起きているのかわからないのに」

「犠牲になるのは年寄りの方がいいでしょう? あの人(デスナイト)も私が一緒だったら頑張ってくれるかもしれないじゃない」

 

「あの……」

 

 全員の視線が発現者に集められる。おずおずと手を上げたエンリは、暗い顔で言った。

 

「もういいんじゃないですか?」

「は?」

「ですから、戻ってこない人は切り捨てましょう」

「……は?」

「は?」

「は?」

 

 素直な疑問に、全員が同じ言葉を吐く。

 

「生き残った人たちで村の防衛を立て直しましょう」

 

 つまり、生死のわからぬ現状で、実の父親を見殺しにするのだ。エンリの手前、そう考えた者でさえ言い出せなかった言葉を、よりによって実の娘が簡単に吐き出した。誰もが絶句する中、エンリは言葉を続ける。

 

「これ以上、誰かが死ぬのは村の戦力として厳しいです。食料の備蓄は少ないかもしれませんが、細々と冬を越すしかありません」

「エンリ……自分が何を言っているか、分かっているの?」

「お父さんはきっと、私たちに生きていてほしいと思っています。だから、その思いを無下にしてはいけないんです。お母さんも諦めてくれます」

 

 恋人のンフィーレアは口を開いて固まっていた。

 

 ネムが生きているなら、彼女の言い分も分かる。エンリが最も愛していた妹を生かすため、エモット一家はそうするだろう。しかし、ネムは既に死んでいるのだ。

 

 ゴブリンのジュゲムだけが、挙手にて発言権を求めた。

 

「エンリさん、その、言いにくいんですがね。恐らく、今回の騒動は裏で糸を引く奴がいる。そいつらは必ず、次に訪れた人間も人質にするでしょう。ゴブリンと人間が一人も帰ってこないのは、異種族が暮らす村でどれほどの人質を取ったらいいか、分からないから適当に攫ったと考えりゃあ納得がいきます」

 

 そうなれば、人質が十分にそろった現状、敵はそろそろ姿を現す頃合いだ。

 

「え、と、黙って待っているのは……」

「あまりに危険すぎます」

「じゃあ、朝まで待ってからでも」

「夜の森は危険でしょう。それは恐らく、相手も同じことを考え、こちらが夜に来ないと考えている可能性が高いんじゃありませんかね」

「そっか……相手と同じじゃ駄目なんだ……」

 

 エンリはどこでもない何かを見ていた。

 

「ジュゲムさん、他のゴブリンさんを人質に取られたらどうするの?」

「そいつぁ決まってるでしょう。見殺しにします」

 

 所詮は異形種だなとでも言わんばかりに、人間たちの一部からため息が漏れた。

 

「今、ため息を吐いたのは誰ですか? ゴブリンだから人間とは違って情に薄いからって、ため息を吐いたのですか?」

 

 エンリは眉間に皺を寄せて立ち上がり、聞こえた方角を強く睨みつける。

 

「私たちは村を守らなければならない。それがアインズ様たちへの恩返しに通じるから。もしここで、人質を助けるために村人やゴブリンさんを失えば、命を救ってくれたあの方々へ捧げる忠誠が壊れてしまう。ううん、もしかすると初めからそんなもの無かったのかもしれない」

 

 彼女は怒りを隠そうともしない。剥き出しの感情は、正直に顔面に現れていた。いつも以上に鬼気迫るその振る舞いは、鬼神でも乗り移ったかのようだ。

 

 エンリは机を叩いた。

 

「それでいいんですか!」

 

 誰もが黙る中、エンリの怒号が外まで漏れるほど響く。

 

「ゴブリンさんたちはモモン様へ忠誠を尽くす戦士です。自分の身を犠牲に、仲間さんたちを失おうと、モモン様への忠誠を尽くして村に協力してくれている。あの日、犠牲になった村長さんたちと同じです。それに引き換え私たちは、王国が消えてアインズ様が収める魔導国になってから崇めるだけになってしまった。今の私たちは、神様を崇めている法国の人たちと何も変わらない」

 

 エンリは歯を食いしばり、ギリリという音が近くの者へ聞こえた。

 

「私は……それが許せない。この村を壊そうとした人たちと私たちが同じなんて、絶対に許されない。ネムは、そんなことのために死んだんじゃない!」

 

 誰も反論を言えなかった。

 

 村長夫人が立ち上がり、首を深く垂らした。

 

「……ごめんなさいね、エンリ。きっと、アインズ様の御姿が見えなくなったのも、そういう事情を察したからなんでしょうね。今の私たちに支配するは価値ない……って」

 

 魔導王から与えられる平和が居心地よく、そして長すぎた。

 

 村長夫人の夫は、自ら進んで不死者となった。心臓を握り潰された夫の表情は恐怖とともに海馬へ刻印され、いつまでも彼女の記憶から消えない。しかし、同時に羨ましくもある。

 

 彼は永遠にこの村を守り続ける守護者で、アインズへその身を捧げた殉教者だ。アインズの手で作り出された、誇り高いアンデッドとして、この村を永遠に守り続けるだろう。

 

「私たちはいつまでも、アインズ・ウール・ゴウン様へ忠誠を誓う者であるべきだわ。死ねと言われれば、率先して自ら死ねるほどの。ゴブリンさんたちが、モモン様を誇りに思っているようにね」

 

 ジュゲムは頷いた。やがて、村長夫人に同調した村人が立ち上がり、エンリへ頭を下げた。

 

「忙しくて……久しく忘れていましたね」

「命を捧げるという行為が、どれほど誇らしいのか」

「ありがとう、エンリ」

 

 非人道的な狂信者たちは、獅子のような瞳で目を覚ます。この場を支配しているのは忠誠と同量の怒りだ。

 

 アインズへの忠誠を誓っている村への敵対行為は、アインズへの敵対へ直結する。アインズの耳に入る前に敵対者の存在が把握できるなら、彼の役に立つ絶好の機会だ。どれほどの死体を積み上げようと、犠牲者の数が彼らの忠誠を表してくれる。

 

 ただ一人、ンフィーレアだけが違う事を考えていた。

 

(エンリは本当にそう思っているのかな……考えたくないけど、もしかして――)

 

「ンフィー、ポーションの準備をしてもらえる? ありったけをもって森へ行きましょう」

「あ、え、うん……わかった」

 

 どうやら、このまま森へ入るらしい。ンフィーレアは止む無くその場を去り、在庫品のポーションをかき集め始めた。

 

 彼が立ち去ってからジュゲムが嬉しそうに笑った。

 

「久しぶりに暴れますぜ。さぁて、エンリ族長。このまま何の作戦もなしに突っ込むってのは反対ですがね、何か作戦がおありですか?」

「族長はやめて……」

「そうですかい? そんじゃ、エンリ都市長。作戦がなければ、俺らの仲間を呼んで作戦を立てます。オーガどもにも働いてもらいましょうか」

「実は考えていることがあってね、ジュゲムさんの意見も聞きたいな。多分、敵はデスナイトさんより弱いと思うの。だから――」

 

 

 既に夜の帳は降りている。

 

 

 

 

「怒りは冷静さを消し飛ばしてくれる。そこで警戒すべきは、強者ではなく弱者の方だ。混沌の中でこそ、天才は真価を発揮する。それは新たな指導者の誕生を意味し、執拗な復讐者なんかよりもよっぽど厄介だよ。そうなれば、こちらにとって損害と成り得るだろう」

 

 

 

 

 ブリーフィングから外れて回復薬の支度をしていたンフィーレアは、作戦内容を聞いて酷く動揺した。

 

「だ、駄目だよ! エンリにもしものことがあったら――」

「ンフィー、私は大丈夫だから。もしもの時は、ポーションで治してね」

 

 なぜ自らの命を最前列に押し出しておきながら、屈託なく笑えるのか。アインズが所持する真紅のポーションと違い、自分の物は開発途上だ。深すぎる傷まで治る保証はない。ンフィーレアに最悪の想定が浮かんだ。

 

「エンリ……まさか、君はここで――」

「あ、ごめん。みんな準備ができたみたい」

 

 村長夫人に女子供を託し、選定された村人たちは松明に火を灯す。ジュゲムは部下やオーガに指示を出していた。

 

「さあ、行きましょう」

 

 どこから敵が来るかもわからないが、彼らは一列に森へ入っていった。最前列にはエンリとジュゲム、その後ろにンフィーレアだ。

 

「見ててね、ネム……」

 

 ンフィーレアは呟いた彼女の内心が、自殺に偏っていないように祈った。

 

 夜の森は想像よりも暗い。小さな松明では遠くまで見通せず、いつどこから魔物が襲い掛かってくるかわからない。デスナイトの姿は見えないが、誰も彼も恐怖心はない。

 

 虫たちの大合唱と梟たちの讃美歌が奏でられる大森林。少しだけ開けた場所の中心へ焚き火がされ、周辺には黒焦げの死体が転がっていた。

 

「ジュゲムさん、これは……」

「ああ、最初に消えたゴブリンたちですわ」

 

 ジュゲムが燃え尽きた死体に駆け寄る。炎系の魔法で殺されたらしく、付近に苦しんだ痕跡がある。自ずと、敵の存在が確認でき、レベル差も知れてくる。

 

「おめえとはよく殴り合ったが……忠義は受け継ぐからな」

 

 ジュゲムは小さく祈り、剣を構える。周辺に広がった村人たちも、全員が剣を構えた。戦闘準備が整ったと確認し、ジュゲムは目で合図を送った。

 

 エンリは深く息を吸い込んだ。

 

「出てきなさい! いるのはわかっています!」

 

 彼女の怒号が広場へ響いた直後、四つの小さな光が宙に浮かぶ。

 

 黒の外套で身を覆う二人の女性が、両眼を光らせてこちらを見ていた。木製の杖はよく使い込まれている。顔は全く同じで、双子のようだ。

 

「誰?」

「なに、あんたら。何か用?」

「私はカルネ村の都市長、エンリ・エモットです。あなたたちと交渉をするために来ました!」

 

 双子がくすくすと嗤う。

 

「エモットだって」

「エモットって言ったね」

「なにがおかしいんですか!」

「うしろ」

「うしろ」

 

 寸分狂わぬ鏡写しの動作で、二人は人差し指を突き出した。広場に広がる村人たちの後方へ視線が流れる。暗闇に目が慣れた眼球は、彼女らの所業を明らかにした。

 

「お父さん……」

 

 簀巻きにされて蓑虫よろしく大木に吊るされているのは、早朝に出発した人間とゴブリンたちだ。死んでいる顔色ではないが、それぞれの顔面には手荒い尋問の痕跡が残されていた。

 

「あんたのお父様、よく頑張ったよ」

「エンリィって、なさけない声を上げて」

「面白かったよねー」

「ねー」

 

 双子は嬉しそうに空中を回転してから、片方の掌を合わせた。打ち合わせでもしているかのように、鏡写しの所作に歪みはない。笑顔はみっちり歪んでいた。

 

「あんたらアインズ・ウール・ゴウンって骸骨を崇めてンの?」

「アンデッドを崇めてるなんて、馬鹿なんじゃないのぉ?」

 

 挑発しているのは明白だ。

 

「黙れ! この無礼者!」

「ふざけんじゃねえぞ!」

 

 激昂した村人が怒鳴った。彼らを抑制するように、異種族混合パーティの代表者エンリが言う。

 

「私たちは争いを望みません。彼らを開放し、死者を弔う手伝いをし、村の発展に協力しなさい」

「……は? なに?」

「喧嘩売ってんの?」

 

 露骨に顔を歪ませている。拒否と否定の感情だけはすぐに理解できた。

 

「我々、カルネ村に住む人間は世界の支配者アインズ・ウール・ゴウン様の使徒。ゴブリンは英雄モモン様の使徒です。村の発展を阻害したあなたたちを、私たちは許しません」

「あ、そ」

「ふーん」

 

 どういうわけか、双子は一向に近寄ってこない。

 

 怒りを抑えて痙攣するエンリのこめかみあたりを、一筋の冷や汗が流れた。

 

「エンリさん、やはり――」

 

 ジュゲムの見立てだと、そこに見えているだけの敵、双子のレベルはそう高くない。レベル差はあれど、彼女らを地へ落とせばデスナイトで倒せる。問題は、本当に敵が二人だけであれば、だが。

 

「あなたたちは、村の発展に協力しなさい。そうでなければ――」

「後ろにいるデスナイトでも特攻させるの?」

「私たちが気付かないで降りると思った?」

「っ……!」

 

 デスナイトはこちらの切り札だった。その存在を知られていると知り、エンリに寒気が走った。

 

「ちっ! 弓兵! 打てぇ!」

 

 ジュゲムの怒号で、松明を持たず、草むらへ四方八方に広がっていた村人は立ち上がり、弓の照準を魔女へ絞る。しかし、弓の低品質さと双子の高度は噛み合わず、放たれた矢は彼女らに届かない。

 

 それはエンリの想定内だ。

 

 足元にもかすらない矢を見て、双子は嬉しそうに笑う。年齢はよくわからないが、声と態度は若そうで、馬鹿そうだ。

 

「馬鹿が! やっちまえ!」

 

 カルネ村に空中戦が得意なものはいない。飛び上がる魔法も使えず、上空の敵を倒す手段は限られている。草むらから二体のデスナイトが立ち上がり、隣にいたゴブリン兵士を掴んで投げた。

 

 まるでそれを見越していたように、双子はさらに高度を上げた。敵の高度が上がれば命中精度も低くなる。∞の字を描きながら、双子はゴブリンを躱した。投げられたゴブリンの空中で振られた剣は、敵の衣服にさえ掠らなかった。

 

「気付かれてた!?」

 

 やがて玉切れを起こしたデスナイトは、周囲をオロオロと彷徨っている。全力で放り投げられたゴブリンたちは、しばらくこちらへ戻れないだろう。

 

「次はどうする?」

「次はこっちの番」

「みんな逃げてぇ!」

「て、撤退だ! 引けぇぇ!」

 

 エンリとジュゲムの叫びが、森の闇へ虚しく消えた。我に返った多くが撤退を始めたが、時すでに遅く、敵は呪文の詠唱を終えている。

 

「《火球(ファイヤーボール)》」

「《魔法の矢(マジックアロー)》」

 

 空中から多量の火球、光の矢が降り注ぐ。無秩序に降り注ぐ火球と矢の雨の命中精度は低いが、戦列を崩壊させるに足りた。出鱈目に撃っているので犠牲者はそう多くない。敗走の肝は、生存者を一人でも多く確保して次に繋げることだ。それに、この戦いはまだ終わっていない。

 

「オーガさんはみんなを守って! デスナイトさんも!」

「エンリ! 危ない!」

 

 撤退の指揮を執っていたエンリへ燃える球体が迫った。ンフィーレアが彼女を庇って飛び込むも、背中に惨たらしい火傷を負った。

 

「ああっ! つぅぅ!」

「ンフィー!」

 

 肉の焦げる臭いがエンリの鼻を突く。恋人の焼ける匂いを嗅がされ、彼女は冷静さを失って逃げ遅れた。

 

「逃げ……て……」

 

 それだけ言うのが精一杯だ。死ぬつもりは毛頭、無いにせよ、立ち上がる力が一瞬で奪われた。ここで自分が死んだら、エンリを呪縛するどす黒い死別の鎖が増えてしまう。今度こそ彼女は立ち直れないだろう。

 

 そうかといって、慰めるための愛想笑いさえ浮かべられない。

 

「待ってて、すぐにポーションを」

 

 ンフィーの鞄を漁ってポーションを振りかけてくれた。黒い傷は徐々に薄くなり、赤みを帯びた火傷痕に変わった。痛みは緩和されたが、まだ体に力が入らない。

 

 振りかえると、村人とゴブリンたちは撤退を終えていた。焚火の前で地に臥すンフィーレアとエンリだけが、この場に残っていた。

 

 圧倒的な数の敵を蹴散らし、自らの優位を悟った彼女たちは降りてくる。敵の頭が田舎の小娘だと知り、こちらを明らかに侮っていた。見下した笑いがそれを物語っている。

 

「まさか村長がこんな小娘だったとはね」

「よくも森を散々に破壊してくれたわね」

 

 エンリとンフィーレアの退路は残されていない。敵の戦力数が不明な現状、撤退を宣言した彼らが、再び戻る保証はない。デスナイトの存在を知りながら戦争を仕掛けてくる者が、たった二人のはずがない。そこかしこの暗がりから得体の知れない異形の兵隊たちが、今にも現れるような気がする。

 

 所詮は村娘の浅知恵だった。

 

 ンフィーを庇いながら顔を上げれば、双子の片方がエンリの前方まで降りてきている。今なら手が届くかもしれない。

 

「あなたたちは……何が狙いなの?」

「森の再生に」

「人間が邪魔」

 

 やけに片方の声が上から聞こえたと思い見上げれば、双子の片方はエンリの遥か上空から見下ろしていた。

 

「あんたらが好き勝手に森を伐採したから、森に住む動物たちの生態系が崩れてる。悪霊犬(バーゲスト)の相手をさせられるこっちの身にもなってよ」

「私たちの住む北の方まで影響が出ているからとても困ってる。蛇に木を植えさせんのはいいけど、その木が育つまでどれだけ時間かかるか知ってる?」

 

 それはどうにもならない。

 

 発展を続けるカルネ村は大量の資源を必要とする。広大な大森林に手を伸ばすのは当然だ。

 

「それなら、私たちも木を育てま――」

「あんたらはもう負けたんだよ。負け犬の言葉を聞くと思う?」

「カルネ村を明け渡すか、二度と森に入らないなら考えるけど?」

 

 即ち、死ねということだ。

 

 森に入らない場合、近隣で開発されている村へ人材を回して食料の消費量を抑える必要がある。カルネ村の人口は多く、無駄な食い扶持を増やす余裕は、開発途中の他の村には無いだろう。

 

 そうかといってカルネ村を明け渡すことなどできない。それは、助けてくれたアインズへの忠誠に泥をかける行為だ。村を救った彼に対し、仇を以て応じるくらいなら死んだ方がましだ。

 

 何も答えられなくなったエンリを見て、目の前の女性の顔が歪んでいく。

 

「ソレ、恋人だったのかな?」

「父親と恋人、どっちが大事?」

 

 背筋に寒気が走った。

 

「わ、私の命を差し上げます。だから、お父さんとンフィーは助け――」

 

 上の方からドスッという音と、うめき声が聞こえてきた。双子の片割れが、吊るされた父親の腹部を三角ブーツで蹴っていた。尖った足先はとても痛そうだった。

 

「止めて!」

「ありゃ、意識が戻らないね。ちょっとやりすぎたかな」

「うるさいから、他よりも余計に殴ったし蹴ったからね」

「どうして……こんなひどいことを……」

 

 エンリはまだ諦めていない。ジュゲムたちなら戦える者達を集め、再び戦場へ戻ってくる。このまま犬死は許されない。伏兵がそこかしこにいるかもしれないが、デスナイトがいれば対等以上に戦える。

 

「妹が死んだんだって?」

 

 エンリの目が見開かれた。

 

「アンデッドなんか崇めてるから妹が死ぬんだよ」

「ほんと、化け物を崇めるなんて妹が可哀想ねぇ」

「さぞかし苦しんだでしょうね」

「もしかすると、あんたを恨んでいるかも」

 

 最愛の妹に執着するエンリは、ゆらりと立ち上がった。村の会議室で彼女に宿った鬼神が、再び目を覚ました。血走った瞳は明確な怒りで燃え、嘲笑う女性へ向けられている。

 

「許さない……」

 

 エンリは踏み出し、魔女は気圧されて下がった。

 

「許さない!」

 

 エンリは走り出した。全てを奪い取ろうとする運命に抗うよう、エンリの瞳が炎を反射させて輝いた。

 

「ち、近寄るな! そこの恋人をころ――」

「馬鹿っ! 飛べ!」

 

 父親を痛めつけていた双子の片割れの叫びも虚しく、追い詰められた魔女は掌を差し出して叫ぶ。

 

「うわあああ! 《火球(ファイヤーボール)》!」

 

 放たれた炎はエンリの右側へ落下し、彼女の半身を焦がしていく。先ほどのンフィーレアと同様に、エンリは力を失って膝をついた。

 

「うあああ! エンリィィ!」

 

 ンフィーレアが叫んでいる。右半身が燃やされる激痛に発狂しかけると、誰かの声が意識を繋ぎ止めた。

 

《お姉ちゃん……苦しいよぅ……》

 

 人間の姿を失いかけたいつものネムだ。今なら手を伸ばせば彼女に届く。右の視界が炎に撒かれながら、可愛い妹を燃える右手でそっと優しく抱きしめた。

 

「ネム……私はここだよ」

 

 本当に、可愛い妹だった。ネムではなく、自分が死んであげればよかった。妹の死を乗り越えられなかった愚かな姉は、アインズへ何の恩返しもできずにここで死ぬ。

 

 やがて抱きしめたはずのネムが消え、最後に浮かんでくるのは自分への疑念だ。もしかすると、自分は初めから死ぬつもりだった。アインズへの恩返しを放棄し、妹に執着する自分が楽になりたいがために。

 

 本当に、それでいいのか?

 

(いいわけが……ない!)

 

《お姉ちゃん……》

 

 再び浮かんだネムの亡霊は、顔面を焼き払われた髑髏になっていた。赤くて長い舌が、細長く伸びていた。

 

「あなたはネムじゃない!」

 

 燃え上がる右手に力が戻ってくる。彼女が見ていたのは可愛い妹ではなく、妹の姿を借りた自らの執着心だ。ずっと昔に乗り越えなければなかったものを振り払った右手は、妹の幻を掻き消した。

 

 途端、右半身は激痛に支配される。

 

「きゃあああ!」

 

 身を焦がされる激痛。それでも立ち上がらなければならない。ここで倒れたら、馬鹿にされたネムの死を無為にした上、アインズへの敬愛まで崩れてしまう。

 

(痛い! 痛くて、痛くて、泣きそう……)

 

 鎖で呪縛されているかのように重たい体を動かし、歯を食いしばって立ち上がった。

 

(だけど、ネムはもっと苦しかった!)

 

 起き上がると、鎖の千切れるような音が聞こえた。

 

 同時に、体を覆っていた重たいものが弾け飛び、自分の中で何かが解放された感覚。体の奥から戦う力が湧き上がり、敵を迎え撃てと追い立てる。

 

「あー……やっちゃった……どうしよう」

 

 双子の片割れは失態を演じたような顔で相方を見上げていた。反撃するには今しかない。炎を半身に纏い、エンリは魔女へ飛びこんだ。

 

「え?」

 

 彼女が把握する間も与えない。振り上げた炎の拳が、彼女の顔面に直撃した。人を全力で殴ったのは生まれて初めてだ。

 

「あああああつい!」

 

 殴られた魔女は後ろへ飛ばされ、顔面を抑えて地面を転がり回る。

 

「私はアインズ様へ忠誠を誓う都市長です! 敵対するのなら、私は絶対に許さない!」

 

 炎は体を炭と化し、その勢いを収束させていった。意識を繋ぎ止めるのも必死に立っていると、すぐ後ろで舌打ちが聞こえた。振り向くと、父親を痛めつけていた魔女がこちらへ魔法を放とうとしている。半身を炎に包まれながらも辛うじて立っているが、次の魔法で今度こそ絶命するだろう。

 

「おっと、待ちなよ、嬢さん」

 

 魔女の首に剣が当てられた。ようやく戻ってきてくれたジュゲムの顔を見て安心し、エンリはその場へ崩れ落ちた。直後、気が狂いそうな激痛が戻ってくる。今度は堪えられず、エンリは地面をのた打ち回った。

 

「きゃああああ! 熱い! 熱いよぉぉ!」

「ンフィーの旦那! 早くエンリさんを治療してやってください!」

「は、はい!」

 

 炎は服まで燃やし、剥き出しの半身は炭になっている。生きているのが不思議な状態で、一瞬たりとも予断を許さない。ンフィーレアがありったけのポーションを投入し、可能な限りの魔法で治療してくれた。

 

「くっ、駄目だ足りない! みんなもポーションを全部持ってきて!」

 

 村人たちが慌てて駆け寄る中、ジュゲムは剣を押し当てる女性を見上げて笑った。

 

「すげーよ、あんたら。二人だけで攻めて来たんだな。伏兵を探して潜んでたんだが、誰一人もいやしねえ」

「ちっ……」

 

 所持している者全員、武器を放り投げてポーションを振りかけてくれた。そこまでしてようやく、痛みだけは治まった。所々、黒々とした炭の跡が残る右半身へ、ンフィーレアは黒いマントを掛けてくれた。

 

「あぁっ、エンリの顔が! アインズ様のポーションが必要だ! 早く、村へ戻って治療を――」

「ンフィー、先にあっちへ連れて行ってくれる」

「あ、う、うん……」

 

 肩を借りて立ち会った彼女が指さした方角。

 

「痛い! 痛いよぅ! 先生! 助けて!」

 

 炎の拳で渾身の一撃を食らった女性はまだ悶絶していた。

 

「彼女にもポーションをお願い」

「……はぁ?」

 

 ふざけるなとでも言いたげだ。最愛の恋人を変わり果てた姿に、しかも女性の顔に消えない傷をつけた彼女にかける慈悲など持ち合わせがない。

 

「お願い、ンフィー」

「……どうして?」

「だって、可哀想だもん」

 

 冗談ではないと思ったが、当事者のエンリに強くは言えなかった。そもそも燃えた右手で殴られたが、レベルでは魔女に軍配が上がる。彼女の傷は瓶の半分程度、振りかけただけですぐに落ち着いた。

 

「ジュゲムさん、その人を放してあげて」

「本気ですか? こいつらは敵ですぜ」

「いいの。元はと言えば、森の人たちのことを何も考えずに木を伐採した私たちにも非があるもの」

「ちょっと、優しすぎるんじゃありませんか?」

「お願い」

「……」

「ジュゲムさん。カイワレさんたちの弔いは、みんなでやるから」

「ちっ……」

 

 ジュゲムに突きつけられた剣から開放され、女性は苦しんでいた双子の片割れを抱きしめに行った。

 

「痛いよぉぉ!」

「大丈夫、もう大丈夫だから。傷は治ってるよ、落ち着いて」

「うあああん!」

 

 妹が苦しんでいるのなら、変わってあげたいと思うのが家族だ。泣いている片割れをもう片方が優しく抱きしめている。少しだけ、羨ましかった。

 

 エンリは微笑みながら双子へ聞く。

 

「ねえ、もしかしてあなたたちは、誰も殺す気が無かったんじゃない?」

「はぁ? 皆殺しにするつもりでしたが?」

「本当に?」

「……」

 

 村人たちはオーガと協力し、吊るされた者を助けている。エンリが木から降ろされた父親を見ると、顔面は酷い暴行の跡を物語っているも、よく見ると化粧のような痕跡が見える。村人を怒らせるためにそのような化粧をしたのであって、本当は暴行などしていないのではないかと、都合の良い解釈も否定はできない。

 

「……えと、エンリ都市長?」

 

 疑問には答えず、双子はこちらを見上げた。

 

「森の伐採をもっとゆっくりやってよ。森に住んでいるのはあんたら人間だけじゃない。困る生き物はいくらでもいるんだ。今回はこれでも手加減してやったんだ。村に忍び込んで子供たちを人質にしたり、備蓄の食料を焼き払うことだってできたんだから」

「でも、あなたたちはそうしなかったよね」

「……」

「ありがとう」

「ふん……」

「今後、木々の伐採は蛇さんたちと相談しながら、森を労わってやります」

「ふーん……まぁ、今日はそれでいいや。ほら、あんたもいつまでも泣いてないで帰るよ」

「……うん」

 

 太々しい方の魔女は、泣いている方の魔女を慰めながら空へ舞い上がった。

 

「約束破ったら、次は本気で攻め込むから」

 

 捨て台詞を言い残し、魔女たちは飛び去った。

 

「ふぅ……」

 

 軽い気持ちでため息を吐いたつもりだった。意識はため息と一緒に吐き出され、彼女は頭から崩れ落ちた。

 

 ンフィーレアが何かを叫んでいたが、今は休みたかった。

 

 

 

 

 視界は闇に閉ざされている。

 

 エンリは呑気なものだ。顔に傷が残るくらいなら仕方ないかもしれないと、平和に考えていた。

 

 夢と現実の境界線のような場所。見渡す限りの闇の中、薄明かりが見えてくる。目を凝らしてよく見ると、体全体が薄く発光するネムが笑っていた。

 

「ネム?」

「んー?」

「ネム!」

「あー! お姉ちゃんだぁ!」

 

 見慣れた悪夢、人間としての姿を失いかけたネムではない。明るく活発で、記憶通りのネムが笑った。小さな妹は嬉しそうにエンリの周りを走り、目の前に立ち止まって見上げている。

 

「お姉ちゃん、見つけてくれてありがとう!」

「どうしたの、ネム?」

「大好き!」

 

 妹が叫んで笑った直後、何度目かの鎖の千切れるような音が聞こえた。目を覚ましたエンリが体を起こすと、そこは見慣れたベッドの上だ。

 

「おや、目が覚めたかい?」

 

 ンフィーレアの祖母、リィジーが椅子に座って林檎を剥いていた。

 

「大変だったねぇ、エンリ」

 

 負傷した半身を覆い隠そうと、彼女はミイラのような姿になっていた。全身をぐるぐる巻きにする包帯の半分に赤黒い血が滲んでいた。

 

「体の傷はなんとか治ったんだけどねぇ……」

「どうしたの、お婆ちゃん」

「その……まぁ、自分で確認しなさい」

 

 リィジーは顔の包帯を解き、鏡を持ってきてくれた。特に傷は残っていないように見える。何の変哲もないいつもの田舎娘の顔に、どことも分からぬ妙な違和感があった。思わず腕を組み、鏡と睨めっこをしてしまった。

 

「うーん……?」

「……」

「なーんか変だなぁ……」

「目……がね」

「んー……ん? ああ!」

 

 片目だけ、瞳の色が赤くなっていた。茶色かった瞳孔が、燃えるような真紅に変わっている。

 

「あらー……」

「ほほ、珍しいこともあるわい。傷はどうにか治ったが、瞳の色だけが変わるとは」

「ふーん……この瞳の色、まるで誰かと同じような――」

「エンリぃぃぃ!」

 

 雄叫びと同時に扉を蹴破ったンフィーレアは、ベッドへ飛び込んだ。抱き着いたンフィーレアに、病人を労わるという気遣いはなさそうだ。

 

「ちょ、ちょっと、ンフィー」

「うぅ、ごめんね、エンリ。僕が弱いから……エンリを守れなかったんだ。だから、これから剣の稽古をするから」

「お目覚めですかい」

「ジュゲムさん! 大丈夫だった?」

 

 入口では、ジュゲムをはじめとしたゴブリンたちが笑っていた。いつまでも抱き着くンフィーレアに、恥ずかしくて顔が赤くなっていく。

 

「問題ありません。敵はそもそもあの二人だけでしたからね、将軍」

「しょ、将軍? 誰のこと?」

「勿論! エンリ都市長のことでさぁ」

 

 どうやら再び、ありがたくない称号を手に入れたようだ。

 

「違うだろ! 炎の将軍だ!」

「違う! 炎熱王エンリだ!」

「いいや、俺はエン・リさんと呼ぶべきだと思うね」

「紅蓮の支配者、エンリではどうかね」

 

 それぞれ好き放題言ってくれている。燃えながら人を殴った場面は見られていたようだ。

 

「それで、紅蓮のエン――」

「私はエンリです!」

 

 ンフィーレアは彼女の声が耳に響き、しばらく何も聞こえなかった。

 

「エンリ将軍、実は家の建設と村の領地につい――」

「エンリです」

「灼熱の姐さん。スライムの下水設備の件ですが――」

「お願いだから普通のエンリと呼んでください……」

 

 このやり取りはしばらく続きそうだった。

 

 改め、公の場で彼女は都市長を継承すると決まる。カルネ村はアインズの名を地名に継承すべく、改めて村の開拓へ取り掛かった。

 

 

 今日もカルネ村は平和だ。

 

 

 

 

 植物系モンスターは仮宿(ホームステイ先)の扉を開いた。

 

 地底洞窟に住む魔物の生態調査に赴き、駒として使う選定を終えた現状、双子の戦果の確認をしなければならない。

 

「ただいま」

 

 双子の表情は暗い。その程度の情報で結果は見えている。とはいえ、報連相も重要だ。椅子に腰かけ、彼女たちの報告を受けた。言い訳の一つもせず、彼女たちは敗北を謝罪した。

 

「なぜ、押し込みPKを使わなかった。最初のゴブリンを焼き払ったのは、悪霊犬(バーゲスト)をおびき寄せる撒き餌だろう? 囲まれた時点で君たちは姿を見せず、森に巣食う魔物どもをおびき寄せ、ぶつける予定だったんじゃないのか?」

 

 疑問はそれだけではない。村と本気で戦争をしようと思えば、デスナイトとゴブリンたちが出掛けている村を急襲し、兵糧を焼き払えばよかった。女子供を人質に取って降伏を迫る手段も使えた。それらの知識は授けてある。

 

 真正面から攻めてくる相手に、こちらも早々に姿を見せたのは最悪手であり、明らかに勝利への道を踏み外している。

 

「教え方が足りなかったかな……やはり、全部は理解できなかったか?」

「いえ……きっちり全部、わかっていました……」

「うーん……? それじゃあ、圧倒的優位に慢心したのか?」

「いいえ、その……だって」

「なんか可哀想になってきちゃって」

 

 所詮、大森林の僻地で隠遁生活をしていた双子の女性だ。知識(ちから)を得たとはいえ、容赦の無い戦争を仕掛けるほど彼らに恨みがあったわけではない。実際のところ、森の伐採など今のところ好きにやっても構わないと思っているし、それに対する弊害だって湖を挟んだ北側にはない。

 

「……甘いな」

 

 言葉と反し、彼女らの意見には同意できた。相手を思いやるのは彼女らの性格だろう。強大な力の行使を畏れるのは、一般的な精神論では大事なことだ。慢心は油断を呼び、油断が死に繋がることもある。初戦の敗北でそれを打ち砕くことこそ望みだったが、彼女たちは更に先に進んでいた。

 

「それで、おめおめと敗走してきたのか?」

「……ごめんなさい」

「……許してください」

「よくやった」

 

 彼は椅子に座ったまま、小さな拍手をした。双子は顔を上げる。彼の表情を探ろうとしているのだろうが、人間を辞めた彼の感情は読めない。それも、今の姿は植物だ。植物の喜怒哀楽を読み取れる人間などいない。

 

「人は敗北からこそ学び、成長する。君たちの敗北は予定調和だったんだよ」

「あ、はぁ……」

「表向きは確かに敗走だった。これで村は安心して発展ができるだろう。しかし、見方を変えれば、俺の存在を悟らせず、相手の主導者と戦力を把握し、情報戦という見地で圧勝して帰還した。これは見事な戦果といえる」

「はぁ……」

「次、攻め込むのであれば、そのエンリという娘を殺し、旅人を装って情報工作しながら内紛を誘発すればいい。天才が生まれ、あの地で能力を発揮するのなら、まず天才から消しさってやろう。頂点かつ均衡役の彼女が死ねば、次はデスナイトたちの無力化、あるいは隔離だ。なんなら首でも斬り落とし、蘇生を交換条件に降伏を迫ってもいい。愉快にも彼らは肝心な情報をこちらに明け渡し、生殺与奪の権利を勝利の対価に売り渡してくれた」

 

 頭に浮かんだ過去の回想に、自身の知識を与えた友人のアバターが立っていた。冷静な骸骨の彼なら、やはりそうするはずだ。

 

「……先生、えげつない」

「臆病なほど慎重だと言いなさい」

「いや……えげつないと思います」

「ちょっと村が可哀想になってきちゃった」

「ねー」

「いや、だから……ん、まあいい。昔の友人も同じこと言ってたよ。だが、彼女は指揮官として成長してしまった。真正面からぶつかるのは得策ではない。自然と次の手段は暗殺に限られてくる。もしかすると、そう誘導された可能性もあり、裏に本物の指導者が隠れているのかもしれないが……考え過ぎだな。ところで、彼らの崇めているのは何だ?」

「アインズ・ウール・ゴウンと」

「モモンとかいう人でしたぁ」

「……なんだと?」

 

 場の空気が一変した。植物系モンスターの顔に相当する場所に、赤い二つの光が浮ぶ。睨まれたように錯覚し、双子は肩をすくめた。

 

「ふ……はは……はははは! こ、これは、なんて面白いんだ!」

 

 分かりやすく笑っているのに双子の怯えは増していた。

 

「ふっ……ふふっ……そうか、お遊びの練習には勿体なかったな……まあ、そちらはいつでも落とせるが」

「先生……?」

「さて、十分な情報を得て、駒も手に入った。次の標的は蜥蜴たちだ。負けても構わないと思っていたが、次は必ず落として見せよう」

 

 声は明確に浮かれていた。お祭りに向かう子供のような彼に従って双子は立ち上がり、家を出ていく彼に続いた。

 

「陣頭指揮は俺が取る。早速、これから情報調査に行こう」

「はい、先生!」

「食事は森で済まそうか。たまには肉でも食べたいからな」

「わかりました、先生!」

「モモンガさんの内政力、測らせてもらう。やっぱり大事なことは自分でやらなくっちゃ。ああ……なんて楽しみなんだ」

 

 

 この日、蜥蜴人たちの集落周辺では、危険を告げるように梟たちが鳴いていた。

 

 

 

 蜥蜴人たちが降伏したのは、ここから僅か一週間後のことだった。

 

 

 

 

 








注釈※アインズさんの内政力は蜥蜴族長以下らしいです。蜥蜴族長はそんなに無能じゃないと思ってますが、ジルの足元には及びませんね。
 蜥蜴人の話は書きません。あまりに手間なんで、そっちを真剣に書こうと思ったらまた一月くらいかかっちゃいます。勘弁してください。

はー……疲れた
もっと短いのにします


次は、ちょっと閲覧注意です


「アルシェ in NIGHTMARE」


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