前日の些細な作戦を終えたヤトは、セバスに背負われて宿へ帰った。組合長は両手放しで喜んでおり、深夜に大騒ぎしていた。宿に戻ったセバスはヤトをベッドへ寝かせ、彼が目覚めるまで椅子に座って待機をしていた。
日中、冒険者組合からの使者が来たが、ナザリックの支配者の一柱を起こすなどセバスには畏れ多く、気持ちよく眠っているのに可哀想だ。用件だけ聞き、後ほど顔を出すと伝えてお引き取りいただいた。
午後も大分回ってから、ベッドの中の黒髪黒目の男がもぞもぞと蠢きだした。
「んー………ふあ……あーぁ。よく寝たー……あ、おはようセバス」
「おはようございます。ゆっくりと眠れましたか?」
「ああ、おかげさんで。昨日は疲れた。それにしても、もうこんな時間か」
「早速ですが、いくつか報告したいのですが」
「食事しながらでもいいか」
二人は酒場食堂へ移動する。有料の朝食はパンとシチューだった。恰幅の良い中年の女性は、誰よりも遅く目覚めた彼らに呆れていたが、善意で食事を大盛りにしてくれた。
「ヤトノカミ様、先ほど冒険者組合の使者がこちらに。後ほど顔を出すと伝え、お引き取りいただきました」
「そうか……すみませーん、おかわり」
「まだ食うのかい、じゃあ、また大盛りにしとくよ」
ガガーランを小さくしたかのような女性は、見た目通りに気前が良かった。
「ありがと、おばちゃん。セバス、今は何時だ?」
「食事を終えてから行かれるとちょうどいいかと思われます」
「え? そうなの?」
考えていたよりも時間が経過していた。パンをスープにぶち込んで口に一気に流し込む。大そうお行儀が悪いが、咎める相手は存在しない。
「ふほうふ」
口に詰め込み過ぎて何を言っているのか不明だ。出掛ける意を汲み取り、セバスは付き従った。夜は図書館に忍び込む予定だったので、昼間の雑用をする時間は減らしておきたかった。
仮面もつけずに冒険者組合へ向かった。
◆
冒険者組合に着くと、応接間にてアズスと組合長が談笑しながら待っていた。
「お疲れのところ、悪かったな。まずは昨日の首尾に礼を言いたい」
「いえ、お構いなく」
「どうやって迅速に焼き払ったのだ?」
「まぁ、マジックアイテムッスね。機会があればお見せします」
「そうか……それは残念だ」
アダマンタイト級は寂しそうに顔を伏せた。
(たっぷり寝てそれなりに食ったので、次に気になるのは女だけです)
ろくでなしに相応しいことを心の中で呟いた。
「ヤトノカミ殿、我々冒険者組合としては、あなたを昇格させることで合意をした」
「おお、ありがとうございます。アダマンタイトですか?」
「はっはっは、流石にそれは無理だろう」
「あなたの実力は私達の知らないような領域なのでしょう。そこで提案なんですが、今回は3階級昇進させて頂きます。銅、鉄、銀、金の序列なので
「ありがとうございます」
特に不満はない。3階級も駆け上がれば、エ・ランテルで冒険者をやっている相方よりも早い昇進だ。現実には悲しいことに、既にあちらはミスリル級まで上がっており、現時点で2段階も差をつけられていた。それを知っていれば、この場で大そうごねていた。
(ミスリル級まで行けば宿の払いが冒険者の仕事だけで済むから、早くそこまで上げないと)
「ただし」
「ん?」
組合長は思考へ被せるように続ける。
「アズス様の条件を飲んでいただきたい。それが大前提となります」
アズスと組合長は目で合図をして頷いた。
「今後も八本指の力を削ぐために協力を仰ぎたい。その依頼を優先的に受けてもらいたい。これが条件だ」
「そりゃ構わないですが、今度は報酬が出るということでいいんですかね?」
「もちろん、そう考えてもらって構わない。冒険者としての昇級も早くなる。それほどの功績となるからな」
「了解です。それは楽しみです」
「楽しみか……ははは」
組合長の笑いは乾ききっていた。ヤトは彼らの理解を超えていた。実力だけでなく、行動原理が彼の知る冒険者の常識とは違い過ぎたのだ。
「じゃあ、私はこれで失礼します。また明日、依頼を受けに来ますので」
事も無げに護衛を連れて退室してく。重要で難解かつ危険な仕事だったが、ゴブリンの討伐でも請け負ったような軽さだった。アズスは苦笑いで組合長を見た。
「大したものだな。知らないというのもあるのだろうが、彼は八本指をゴブリンと同じ程度に考えているように思えてならない」
「本当に知らないのではないでしょうか。六腕などの存在を考慮すると、早々にお教えした方が」
「いや、その調整はこちらでやろう。彼を下手に刺激すると突っ込んで行きかねない」
「……よくわかります」
アズスは豊富な経験の背景に、冷静な分析で大人の対応をしていた。彼の言う通り、強い用心棒がいるなどと聞けば、依頼とは関係なしにヤトは突っ込んでいった。アズスはアダマンタイトに相応しい器で、ヤトの本質を見抜いていた。
「彼に何をさせるかはこちらで考えよう。早めにラキュースと引き合わせて、組織の壊滅のために連携を取ってもらわねばならん」
「冒険者組合が儲からなくて困ったものですな」
組合長の言葉にやっかみは感じない。
「そういうな、組合長。彼らが消えて町の治安が戻れば、若い冒険者達で溢れるだろうからな」
「そうなるといいんですがね」
二人は強引に明るい未来を想像して笑った。
◆
ヤトは図書館に向かう道と宿へ戻る道の十字路に差し掛かり、セバスと別れた。
「セバス。俺は図書館へ行って本を盗んでくる。二人だとバレるから、自由行動で解散」
「護衛の手配は御済で?」
「シャドウ・デーモンはまだ影にいる。エイトエッジ・アサシンを大量に呼んであるから安心してくれ」
「出過ぎた真似をお許しください」
(嘘だけどな! こんな面白いこと一人でやらせてくれよ!)
ヤトは相変わらず単身だ。細かい嘘を吐くのが面倒になりだし、いつも通りの適当な理由が推し通された。セバスの紳士な対応はその都度、彼の心に罪悪感の棘を刺した。
「流石でございます。では、私はこれで」
「好きに遊んでいいからね。人助けとかは有益だからいいかも」
「はい、ありがとうございます」
セバスは宿の方角へ向けて歩き出した。
(なんか楽しいね。ただの泥棒だけど)
図書館に忍び込むものなど居ないと判断されているのか、重厚な扉があるだけで見張りの姿は見えない。
「不用心だなぁ」
扉の鍵を造作もなく開けて、音もたてずに中に入っていった。闇と静寂に支配された図書館内部は気持ちがよかった。ヤトは水晶フレームの美しいメガネを取り出す。翻訳するメガネが無いと、本のタイトルがミミズののたくったようにしか見えなかった。
「ふんふんふーん。ふふふふーん」
鼻歌交じりで、図書の山を物色する。歴史関係の本が置いてあるエリアを、ごっそり全て盗みとった。
「他に面白そうな本は、と……お?」
手に取った本には、《よくわかる。帝国雑学》と書いてあった。
「あー、バハルス帝国と戦争してるって言ってたな。この棚、全部そうなのか」
《鮮血帝の恐怖》、《腐敗貴族の消し方》、《帝国の魔法学》、《魔法科学院の優等生》など、様々な帝国関係の本が並ぶ中、より強く彼の興味を引いた一冊があった。
《必勝!帝国の賭博》と書いてある本を手に取り、しばらく動きが止まった。
「帝国の賭博ってなんだ? ちょうどいいか、これは個人的に貰っていこう」
ユグドラシル内で行う賭博やカジノは大好きだった。
賭場で優位に稼ぐため、戦闘で大した効果のない《ギャンブラー》の職業を取ったものだ。彼は文献での知識はあったが、賭場に行ったことは無かった。憧れていたことの一つでもある。賭場があるのかでさえ、現実世界では不明だ。
「これはアインズさんの勅命よりも重要かもしれない……。帰ってゆっくりと研究するか」
大量の本をアイテムボックスに放り込み、大事な本を一冊だけ抱えて図書館を後にした。
最初から最後まで人影さえ見つからなかった。
◆
宿に帰るとセバスはまだ帰って来ていなかった。
彼はベッドに横になり、先ほどの本を開く。帝国は公営賭博として、闘技場がある。見世物小屋の意味もあり、連日多くの見物客が訪れる。戦う者たちの実力差によって、賭けの倍率が変わる。換金するときの手数料は10%で、それで運営費を賄っている。賭けが偏った時に限って大穴が出るので、運営側に操作されている可能性もあるが、それを踏まえて賭けることが重要だ。
以上の内容まで読み進めた。
「公営ギャンブルかー。ナザリックの誰かに戦ってもらって、持ち金を全て掛けちゃえばぼろ儲けできるな。アインズさんが許してくれればだけど……怒りそうだな」
更に闘技場の勝率、手固い賭け方などを読み進めていった。
厳密にいえば、賭け方にもいくつかの手法がある。ダメージ量や、何回連続で勝利を挙げられるかなど、大穴の狙い方も様々だ。
「そういうの……メンドクセ」
簡単に一戦の勝敗を考える方が簡単そうだった。
やがて、彼は本を読む姿勢のまま、心地よく眠りに落ちていった。
◆
カツカツと彼の靴が、石畳の街に響く。
聞き覚えのある音が、風に乗って耳に届いた。
人の拳が人を殴る時の音。彼は音の出どころを見つけた。倒れている子供、それを庇う白い鎧をきた若い騎士、対峙する屈強な男達。カルマ値がヤトの三倍も善性に寄っているセバスの体は、極めて自然に反応した。
鉱物並みの拳と、相手の装備した鎧の金属がぶつかり、金属の甲高い音が路地に響く。
セバスが正拳を放った賊は、壁に激突して気を失った。
「助太刀を致しましょう」
若い騎士に声を掛け、残り二名の男と対峙した。いきなり目の前に現れた執事らしき老紳士。本来であれば怒号を放つはずだったが、仲間の一人が一撃で地に臥し、見せつけられた武力に尻込みをしてしまった。
先ほどまで気に入らない子供を蹴飛ばしていただけだった。若い騎士が割り込んできたので、日々の鬱憤を晴らそうと思っただけだ。彼らはたまたま通りかかった心優しい
ただそれだけのことだ。
「どなたか存じ上げませんが、感謝します!」
白い鎧を着た若き騎士は、剣を構えたまま返事をした。
「いえ、助けるのは当然です。さあ、かかってきなさい」
先ほどの威圧に加えた殺気。敵の心は思ったより簡単に、しかも完璧にへし折れていた。
「す、すすすまない。俺たちが悪かった。許してくれ」
「死にたくない。助けて」
セバスはため息を吐いて、構えを解いた。
「そこの者を連れて消えなさい」
その言葉を聞くが早いか、気絶した男を拾い、賊は夜の闇に消えていった。
セバスは倒れた子供にポーションを飲ませた。常に一つは携帯しておくように渡されている。元気になった少年は礼を述べ、自らのねぐらに戻っていった。共闘した若い騎士は、目を輝かせて聞いてくる。
「あ、あの、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「私はセバス・チャンと申します。冒険者チーム、ナザリックのヤトノカミ様に仕える執事です」
「あ、ああ、あなたはガゼフ・ストロノーフ様が勝てなかったヤトという御方の執事なんですね! お噂はお聞きしております」
「おや、左様ですか。失礼ですがあなたは?」
主の話を聞き、少しだけだが機嫌が良くなった。
「私はクライムといいます。この国の兵士です。先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
「これはご丁寧に。それでは、主人がお待ちしていますので、これで失礼」
「あ、あの! 待ってください! 私に稽古をつけてください!」
「困りましたね。私は執事である身、いち早く主の下に戻らねばなりません」
「お願いします! 私は強くなりたいんです。主人の為に」
セバスは少し悩んだが、主の言葉を思い出した。
(好きに遊んでいいと仰っていましたね……人助けなどはいいかも、とも)
「わかりました、時間の都合上、簡易的なものでよろしいですか」
「ありがとうございます!」
「本当にどうなってもいいのですか?」
その意味が分からず、クライムは黙った。
「私はこれからあなたを殺します。強い意志を持って立ち向かえるのであれば、多少の修羅場も生き残れるでしょう。それでよろしいですか?」
「……」
己の主人を守りたい意志は、自分を守ろうとする意志より強い自信があった。セバスの言葉を深く理解せずに受けた。クライムは深くお辞儀をして、これから待つ簡易的な地獄に進む。
「わかりました。私は主人を守るために強くなります。よろしくお願いします」
「では、いきますよ、身構えてください」
クライムは改めて剣を抜き、相手の攻撃に備えた。
気が付くと、品の良く礼儀正しい執事は化け物に変わった。
セバスはただ立っている。クライムの体の芯まで貫きそうな殺気を出し、静かに立っている。相手の体が十倍以上に大きくなった錯覚を受けた。明確な死の恐怖を感じ、全身が震えだし、歯はガチガチとぶつかり、鎧もガチャガチャと擦れあっている。
純粋な死の恐怖に抗えるものは少ない。クライムは恐怖で倒れてしまった。動かなければ死んでしまうのに、体は自分の意思の支配から離れたように動かない。頭は何も考えられない。やがて死を受け容れ、目が少しずつ閉じていった。
「ラナー……王女……」
彼の頭に愛すべき主人、ラナー王女の笑顔が浮かぶ。目を見開き、立ち上がった。その顔は涙、涎、鼻水で汚れており、見るに堪えない有様だ。震える身体を必死に動かし、死の恐怖から目をそらし、剣を拾って身構えた。
「お見事です」
セバスは強い殺気を解く。途端に騒がしいほどの静寂が戻り、穏やかな夜の街が見えてきた。
「え……?」
本当は色々聞きたかったのだが、口からはそれしか出てこない。
「私は本気で貴方を殺そうと、全力の殺気を放ちました。貴方が倒れたところまでは私の想定通りです。そこから、良く立ち上がりましたね。貴方はなぜ立ち上がったのですか? 起きたら私に殺されるとわかったでしょう?」
静かにクライムに問いかけた。
「そ、その、私は主人の為に強くなりたいんです。主人を守るために、私の主の為に」
まだ冷静になっていない頭で、必死に言葉を考えた。嘘偽りない、若き剣士の本心を聞き、セバスは満足そうに頷いた。
「それでいいのです。死を乗り越え、己の命を投げ出して、それでも守る相手がいるからこそ強くなる意味があるのです。さて、もう一度やりましょう。今度は手を出しますよ」
「は、はひ!」
先ほどの殺気に加え、執事が手を出す。それだけでクライムの全身は総毛立った。
稽古は30分で終わった。それ以上の続行は、クライムの体がもたないと判断されたからだ。クライムは地面に跪いている。足が震えて立つことも難しい。
あれから、セバスの手加減をした正拳をまともに食らってしまい、しばらく地面を転がり続けた。手加減しているという言葉が信じられないほど、セバスの拳は重かった。体にのしかかる濃厚な密度の殺気を跳ねのけ、ぼろぼろと涙を流しながら立ち上がったクライム。そこが彼の限界だとセバスは無抜き、温情を掛けられた。
それ程までに彼は消耗していた。
殺気を解除したが、彼は立っているのが精一杯だ。彼の剣が振られたところで、少しの力も込められない。
「時間のある時に、黄金の林檎亭にお越しください。日中は冒険者をしておりますが、夜ならば大丈夫ですよ」
「黄金の……あ、蒼の薔薇さんたちと同じ宿なんですね」
「私の主人にも伝えておきましょう。あなたのような人は好きな筈です」
「……あの、セバス様の主人は、どのような方なのでしょうか」
セバスは二柱のどちらを話すか少し悩んだ。
「慈悲深く叡智に優れた御方が我々の王です。ヤトノカミ様は自分の考えた道を全力で走る方です。それで自分を犠牲にしたとしても」
どちらも、本人が聞いたら赤面しかねなかった。
「わかりました。お会いするのを楽しみにしております」
まともに動かない顔を捻じ曲げ、笑顔を作った。口角がひくひくと引き攣ったので恥ずかしかった。
「それでは、私はこれで」
ツカツカと靴音を響かせ、夜の王都の闇に消えていった。
「はあー……死ぬかと思った」
クライムは改めて地面に座り込んだ。立ち上がろうとしても、太腿が大笑いして力が入らない。
「ストロノーフ様のお話の通りだ……人間ではないのかもしれない」
セバスと殺し合いをする想像をしたが、生き残れる想像ができない。まだガゼフと本気の立ち合いをした方が生存率が高い。
体力の尽きた彼は、しばらく動けなかった。
セバスが宿に戻ると主人は眠っていた。
読みかけの本を抱いて眠っている彼に思わず微笑む。
こうしていると本当に子供のように見える。
そんな不敬とも思われることを考え、セバスは主人に毛布を掛けた。
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