作者発狂中、何が閲覧注意なのか分からないからご注意
義は尊きわが造り主を動かし、聖なる威力、比類なき智慧、 第一の愛、我を造れり
永遠の物のほか物として我より先に造られしはなし、しかして我、永遠に立つ
汝等ここへ入るもの、一切の望みを棄てよ
―――ダンテ・アリギエーリ
姉弟の帰還を祝う宴が終わってから、シャルティアは誰にも姿を見られていない。部屋へ引き籠り、何をしているのか誰も知らない。彼女がこなすべき仕事はなく、仕事を頼む者もいない。
そんな
孤立するのに都合がよかった。
ペロロンチーノが訪れるまで束の間の静寂。今日も彼女は部屋の中、正座をして主を待つ。
そして扉は開かない。
「これは……放置プレイというやつかしら」
少女の呟き、静寂に乾ききった部屋を潤す、一滴の清涼。すぐに虚空に溶けていき、再びの静寂が訪れる。
「……で、ありんすー」
この時はまだ余裕があった。
◆
ペロロンチーノ主体による、蒼の薔薇護衛・魔獣遊撃
アインズお手製の要塞内で、蒼の薔薇とペロロンチーノは夕食を交えて談笑する。
「俺も正式に仲間に入れてよ。俺たちの仲間にも忍者がいるし、超、強いよ」
「そっちに興味はある」
「俺には?」
「普通」
「私は無い」
ゲーム内友人と割り切っていたやまいこ、餡ころもっちもちとは違い、攻略可能な異性への免疫は、順調に経験値を蓄積しているようだ。
要塞内部はそれなりの広さがあるにせよ、壁も隔てていない同じ空間で会話は良く聞こえる。人間と鳥専用卓から離れた場所、生温く見守っている三名が、互いの私見を照らし合わせた結果、三つ子の好感度を上げて同時攻略を目論む腹積もりは読めた。
「アウラとマーレも連れてくればよかった」
「シャルティアも一緒に連れてくれば、さぞかし賑やか……いえ、面倒くさい旅になったでしょうね」
「そろそろ可哀想になってきましたよ……シャルティアが」
「ゴミのような腐れラブコメでいうと、幼馴染を全力で無視してるみたいな?」
「腐れラブコメとは……いったい」
「まー多分、そんな感じでしょうね」
鳥の恋愛ゲームは、最も手っ取り早く、踏まなければいけない手順を無視している。そこまでわかっていながら三名は、冷ややかに眺めつつ邪魔することもしない。
「もうちょっと、俺にも興味を示してもよくない?」
「だって、鳥だから」
「人間に化ければ?」
「それはちょっと興味ある」
「え、う、うーん」
ペロロンチーノの顔面偏差値は酷い。異形種ギルド構成員、41人中、顔面が存在しない種族も含まれているが、純粋な顔面の偏差値で言えば、今の彼は最下層に位置する。食事のときでさえ、鳥を模した黄金の仮面を外さない。
そこで気になるのは、人間に化けたらどのような顔になるのか、だ。
仮面まで含めた顔面偏差値なら、まだ救いがある。
現実は無慈悲なもので、十中八九、仮面を貫通して素顔の偏差値が人間化されるはずだ。
想像しても、地獄絵図でしかない。怯えるヒロインたちに、恋愛ごっこは銀河の彼方へ飛んでいく。女性慣れしていない自分を必死で奮い立たせて会話パートを繋ぎ、ここまで押し進めた恋愛アドベンチャーゲームが、難易度未知数、難攻不落にして不動の糞ゲームに早変わりする。
鳥人の背筋に、文字通りの鳥肌が立った。
「どうした? 急に黙った」
「仮面の下がちょっと……」
「変な顔?」
「強さでカバーすべき」
「見た目は二の次。女なんか
「王様の友達は奥ゆかしい」
「そうかな」
この世界は人間を殺す外敵が多く、外見よりも強さが求められる。おまけに彼は、魔導王アインズ・ウール・ゴウンが最も重視している友人だ。
そう考慮してもなお、ペロロンチーノは顔面を晒せない。先に顔面を晒してから好感度を上げるという選択は、経験不足で思いつかない。素顔に怯まないのが判明しているのは、身内である41人とナザリックの部下だ。シャルティアなら彼の顔面など気にせず、望めば永遠の愛を誓ってくれる。それはヘロヘロとソリュシャンを見ればわかる。
(だから……それは嫌なんだよ)
いっそ過去の自分を殴って設定量を減らしたかった。
◆
正座して待つこと7日目、今日もペロロンチーノは来ない。
そう結論付けようとした日付変更直前、扉がノックされた。
すぐさま立ち上がり、扉を隙間だけ開いた。あざとくも意図的に、頬を赤く染め、やや俯き加減で、瞳を潤すのも忘れてはいない。ほんの少しでも、ペロロンチーノに喜んでもらうために。
「ペロロンチーノさm――」
「シャルティア様」
「……」
宴の席でペロロンチーノに髪を撫でられた
命の危機を実感したのは、室内へ引きずり込まれ、掴まれた首が何度も扉へ押し付けられてからだ。自分の顔面から数センチの距離で、鬼女が睨んでいる。先ほどまでの可憐な少女は蜃気楼のように消えていた。
「……なに?」
「その、ペロロンチーノ様を含め、御方々は現在、下界へ出かけております」
「だからぁ何?」
「ひっ、で、ですから、シャルティア様も後を追いかけたほうが」
「あの方がそう言ったのかぁ!」
「ひ、ぃぇ」
「ああ?」
弱者から強者へ、迂闊な善意は逆効果だ。生殺与奪を決定する小さな手へ、徐々に力が込められていく。
「そうしたほうがよろしいので――」
「だからぁあ! あの方々がそう言ったのかぁ! 付いてきていいと!」
「言っでばぜん……」
吸血鬼の頭部は、首から頭頂部の方向に圧迫され、顔に存在する穴から体液が漏れ出した。さらに力を込められれば、頭蓋が皮膚を突き破って飛んでいきそうだった。
「なら黙ってろ!」
「は、い……申し……わけ」
「ふん」
紙一重で、
しばらくむせ返ってから立ち上がると、もう先ほどまでの苦痛を忘れていた。大人しく引き下がっておけばよいものを、犠牲者は犠牲者として存在し、最初から最後まで余計な真似をする。
「あの、もしよろしければ、私の方から御方々へご進言を――」
「あぁ!?」
二度目は加減しない。まして、彼女は宴の席でペロロンチーノに声を掛けられた部下だ。すぐさま頭部を鷲掴みにされ、重厚な扉へ叩きつけられた。三半規管が麻痺し、視界がどろどろに蕩けた。頭蓋を満たす髄液が揺れている。
「が、あぁぁぁ、お許――」
「私の先を越したからって調子に乗るなぁ!」
きっちり最後まで、頭部を握り潰された。シャルティアの尖った爪が頭蓋を煎餅のように砕き、桃色の脳をずたずたに引き裂く。命尽きたそれを、尚も彼女は許さない。無様に死んだ程度で、噴き上がった怒りは鎮火しない。
「ゴミがぁぁあああ! あの方に声を掛けられたくらいでぇぇ! 髪を撫でられたくらいで偉そうにぃぃぃ!」
いつの間にか、
室外で部下が待機しているなら皆殺しにしてやろうと思い、扉を蹴破った。思惑は外れ、誰の気配もない。地獄の門がそびえ立つ黄泉の国へ飛び込むような者は、舞い上がった身の程知らずだけだ。
鼓膜を震わせる静寂は、自分一人だけで遠くに来たような不安にさせ、彼女を人間形態へ戻した。
「……糞が。二度とそのツラ見せるな」
綺麗な円形に形成されたひき肉を室外へ放り投げ、再び部屋へ戻っていった。
放り投げられた不死者ハンバーグの種は、べちゃっと壁に貼りついて血を滴らせていた。血抜きもせずに製造されたそれから、しばらく血が流れ続けていた。
◆
翌日、シャルティアご乱心を発見した一般メイドは、アウラを経由してアインズへ連絡をしてもらった。
《あの馬鹿ったら、ちょっと舞い上がっちゃってるんですよ!》
《そうか……わざわざ連絡ありがとう、アウラ》
《いいえー、お安い御用です! 早く皆様がお戻りになれば、また元に戻ると思いますから、ですから……その、お仕置きは御許しいただけませんでしょうか……》
アウラの言葉の端々に見て取れるのは、シャルティアへの
(本当は自分だってこっちに来たいのに……アウラはいい子だな)
口を開けば喧嘩ばかりしているが、創造主が姉弟だけあって仲が良い。創造主と同様、種族・武力・知性・性格・序列を越えた、特別な関係のようだ。
《心配しなくてもよい。この件でシャルティアを怒るつもりはない。全ては、ペロロンチーノさんの仕業だからな》
《シャルティアが馬鹿だからだと思います!》
《アウラ、それを言うなら、そう作ったのはペロロンチーノさんだ》
《あ……あたしったら、何て失礼な……》
《お前に悪意がないのはわかっている。シャルティアを心配していることもな。お前の気遣いは茶釜さんに伝えておこう》
《えぇ……でも……えへへ》
茶釜の名前が出た途端、スライム並みに雰囲気が緩んでいく。だらしない顔で笑っているのが目に浮かぶようだった。
《あとはこちらに任せておきなさい》
全ての元凶はペロロンチーノにある。彼はナザリックへ帰還して真っ先に、シャルティアと二人で過ごすべきだった。急に切迫した事態に、アインズは白い頭を抱えてしまった。
「……やはり、先延ばしにすべきではなかった」
両隣のスライム二体が、不安そうに両眼を点滅させている。
「誰からでした?」
「アウラからです。シャルティアが、部下のヴァンパイアブライドをひき肉にしたそうです」
「挽肉……グロいッス」
「被害者は、宴会の席でペロロンチーノさんが声を掛けた彼女でしょうね」
「あの……馬鹿野郎」
三名の視線が向かう先は、別卓で三つ子と談笑しているペロロンチーノだ。
「ちょっと私、あの野郎を呼んでくる。薔薇ちゃんは先に寝てもらうからね」
「お願いします、茶釜さん」
これまで精神が落ち着くのを避けてきた茶釜も、今回ばかりは真剣だ。
これ以上の被害を防ぐべく対策を講じるなら今しかない。蒼の薔薇を口説いているこの状況が、シャルティアの耳に入ればどうなるのか、火を見るよりも明らかだ。どういう経緯でシャルティアが引き籠っているのか不明だが、出歩かないなら情報に触れる機会は激減する。ラキュースを失った蒼の薔薇が、口に出すのも憚られる凄惨な最後を迎えてはいけない。
有無を言わさぬ姉の態度に、ペロロンチーノはさしたる文句も言わなかった。
態度こそ従順だが、話を聞いた彼の反応は理想と正反対だ。
「いや、そんな……俺に言われても困るよ」
「あんたがシャルティアちゃんに答えないからこうなったんでしょう!」
「なんでプレイヤーは自分の作ったNPCと結婚しなきゃいけないんだよ。そんなん、自家発電じゃんか」
NPCは創造主が娶るべきか、否か。
それは、アインズも考えたことがある。同性はともかく、異性であればこの問題は避けて通れない。ヘロヘロの実例を考慮した末、創造主への特別な想いをNPCたちは押し殺すことができないので、何らかの対応をすべきだというのがアインズなりの結論だ。人間と結婚しても異種婚なら、ナザリックのNPCだって異種婚だ。特別、現地の人間に拘る必要はない。
「だから、どういう形になるにせよ、シャルティアと話すべきだと思いますよ、ペロロンチーノさん」
「別にいいじゃん! 自分で結婚しなくても、同じアンデッドのよしみで、似たような吸血姫を娶ったアインズさんがシャルティアに応じても、何の問題もないんじゃありませんかね!」
「いえ、それはどうでしょうか……」
「同じ黒歴史を持つ者としてわかってくださいよ……」
「……それは、まぁ……確かに」
そう言われると弱い。両隣にいるヘロヘロと茶釜が「なぜそこで引く」と抗議しているが、黒歴史を持たぬ者に気持ちはわからない。強く言えば、言った分だけブーメラン状に跳ね返ってくる。
例えば、同じようにNPCを作り込んだウルベルトあたりは、この世界にきて悪行をするにせよ、結果善の手段悪に取り掛かるにせよ、その前段階でペロロンチーノと同様にデミウルゴスを見て悶え苦しむだろう。何をするにせよ、受け入れるに多量の時間を要するはずだ。
黒歴史とは、自分自身にのみ適応される
ペロロンチーノの心情を探る仮定の話として、パンドラズ・アクターが女性だったのなら、自分もまたソレに応じなければならない。
(ぐぇぇ……無理だ)
反射的に浮かんだ妄想が
全裸の
(性別を女にしなくてよかった……)
過去の自分を褒めてやりたかった。
「姉ちゃんも、マーレと結婚しろとか言われても困るんじゃねえの?」
「まぁ……そう言われればそっかな」
茶釜が同意した。マーレの容姿や性別もそうだが、彼の創造時に込めた感情を考慮すれば、手を付けようなど思える筈がない。
(茶釜ァ! そこはいつもみたいに根拠もなく強気に反論するところですよ!)
ここでペロロンチーノに一理あると決まれば、シャコ貝並みの頑強さで持論を曲げられなくなってしまう。既にアインズは説得ゲームから離脱している。いわゆる落としどころは、尚も遠ざかっていく。
残る希望は、優しいヘロヘロだ。
「可哀想ですよ、いくらなんでも……もう彼女たちは、ゲームキャラじゃないんです。生きているんですよ? そんな無下にしなくても――」
「でも俺はパス!」
「ペロロンチーノさん、彼女は――」
「無理です!」
「いいから聞けよっ!」
珍しくヘロヘロが声を荒げ、全員が目を丸くした。彼が怒っているのは初めて見た。感情が抑制されたのか、怒鳴った次の声は随分としょげていた。
「すみません……でも、俺は今でも後悔してます。ソリュシャンを……俺はあの子を泣かせてしまった。俺たちプレイヤーがちょっと忘れていた程度のことでも、彼らにとっては存在さえも揺るがす大きなことなんですよ」
「はあ」
「ペロロンチーノさんがシャルティアを見るのも嫌だなんて知ったらどうなるか……別に俺は、結婚しなきゃいけないとは思ってないんです。ただ、一度でも真剣に向き合ってみてはどうなんですか。そんなに人の気持ちを踏みにじって面白いですか? 現実から逃げ
「……いや、そこまでは」
「だったら、せめて口先だけでも優しい言葉をかけたらどうなんですか? 一人の男として、彼女を作った創造主として。茶釜さんだってアウラとマーレに優しく対応してたじゃないですか」
「え? えへへ……」
唐突に名前を出された茶釜が照れ笑いをしていた。
「ここで終わったら、あまりにシャルティアが不憫ですよ」
4名の中で真実の常識人、ヘロヘロにここまで言われ、引き下がるのは難しい。意見を変えるなら今しかない。忌避していた嫌な想像が鳥の頭上へ浮かぶ。
ヤツメウナギを相手に童貞を捨てると言うなら、今しかない。
目も当てられない黒歴史を抱くと、意見を変えるなら今しかない。
自分にとっては何の利益もないが、彼女を助けるなら今しかない。
誰のために?
「……ちょっと待って、それ、俺じゃなくてもよくね?」
「はぁ?」
「だってさ、シャルティアは何も言ってないじゃん。俺に抱かれたいとか、結婚し――」
「それはもう言いましたよ! 彼女はペロロンチーノさんの花嫁になるためにこれまで――」
「俺は言われてませーん! 俺はシャルティアから一切、言われておりません!」
「あ、ちょっと!」
「それじゃあ、また明日!」
言い捨ててから逃げていき、追いかける間もなく自室へ閉じこもってしまった。
「ぅぅ……うがああああ! ヘタレの甲斐性無しがぁ!」
茶釜は身内の不甲斐なさに激昂し、無言でそびえる寝室の扉へ、
「ちゃ、茶釜さん、落ち着いて!」
「ヘロヘロさん、そっち抑えてください!」
「ぶっころーす!」
「落ち着いてくださいよ! 茶釜さん!」
「ぐぉらああ! さりげなく胸を触るなぁ!」
「ぎゃー!」
「俺たちに八つ当たりしないでください!」
「このロリコンどもめ!」
鳥人の寝室は静かなもので、室外の喧騒がはっきりと聞こえてくる。ペロロンチーノは部屋のベッドへ横たわり、ぼんやりと天井を眺めた。
「美人なんだけどな……」
損得勘定で考えれば、恋愛という過程をすっ飛ばして簡単に手を付けられる女は、性欲の発散という面で利便性が高い。事後、愛を囁く必要さえなく、終わったらその場を立ち去ればいい。
そうはさせまいと必死に阻んでいるのは、感情だ。
何がここまで躊躇させているのか考えている内、眠りへ落ちた。
◆
「本当……馬鹿なんだから」
マーレ、一般メイドを巻き込んでシャルティアお手製ハンバーグ種の掃除を終えてから、アウラは呟いた。シャルティアの部屋の扉は、この世ならざる瘴気を放つ地獄の門だ。病んでいる彼女に構う意義が見いだせない。
このままここを去るべきだが、体は真逆の行為に移った。
「お姉ちゃん、どうするの」
「……」
百の魔獣を束ねる指揮官だけあって、彼女は面倒見がいい。シャルティアの部屋の前に立ち、深呼吸をして扉を開いた。
鉄錆の香りが鼻孔へ叩きこまれてむせ返る。ハンバーグ種となった被害者は、この部屋で殺されたのだ。扉からそう離れていない場所にいるのは、顔にこびりつく返り血を拭うこともせず、正座している顔色の悪い少女。
「シャルティア!」
彼女を見て感情がこみ上げ、駆け寄って拳骨で殴った。
「いたい!」
「あんた馬鹿じゃないの! 部下を殺しちゃうなんてなに考えてるの」
「何って……なに?」
これは、アウラの期待した反応と違う。一撃食らわせてやれば、いつも通りの喧嘩になって丸く収まると考えていた。その友人は、明確な敵意を以てアウラを睨んでいる。かつて、アウラを見る目にここまで拒絶が浮かんだことはない。
怯んだアウラの目の前で、シャルティアはゆらりと立ち上がる。
「満足?」
「なに?」
「ペロロンチーノ様に相手にされない私を笑いに来たの?」
「何言って――」
「さっさと失せろ!」
後ろのマーレが体を跳ね上げたのがわかった。
何も言えないアウラに、吸血姫は冷笑し、せせら笑う。
哀れな自分自身を。
「良かったわねえ、茶釜様に構って貰えて。私はまだ構って貰えていないけど、自分は満足しているから、様子を見にきたんでしょう? さぞかし、いい気分でしょうねぇ」
「ち、違うよ、馬鹿! あたしは――」
「そうやって晒し者を笑ってろ!」
アウラとシャルティアでは、個人の力量に格差がある。アウラは群れ、シャルティアは個としての闘争を好む。真正面からぶつかればどうなるのか、結果は見えている。
アウラは片手で持ち上げられ、扉の外へ放り投げられた。壁に体がぶつかり、衝撃が全身を掛けていく。手加減しなかったらしく、どこかの何かにヒビが入ったような音が聞こえた。
「私はここで待ち続ける。何年だって、何百年だって、あの方が迎えに来るまでここを出ない!」
「ッゥティァ……」
アウラから掠れた声が出た。
「私とお前たちは違う! お前たちが忘れ去った至高の御方より、花嫁になるべく仰せつかった身。だからここで待てばいい」
「や、やめてよぅ、シャルティアさん! お、お姉ちゃんを苛めないでよぅ……」
動けないアウラの前に、マーレが立ちはだかった。そもそも追撃を加えるつもりはなく、シャルティアが放っていた殺気が緩んでいく。
「二度と来るな……で、ありんす」
シャルティアはそう言い残して部屋へ戻っていく。
「ばか……」
アウラの呟きを擦り潰すように、重厚な扉が閉まった。
◆
厄介事は重ねて抱えるものではないが、往々にしてアインズに折り重なっていく。ミルフィーユ、ラザニアの類が好物でもないのに、彼はそういう星の元に生まれ、生まれてしまったのなら逃げられない。
新たな問題が発覚した場所は、王都でも、評議国でも、竜王国でも、またはナザリックでもなく、アインズの
蒼の薔薇とペロロンチーノの
夜も更け、三つ子とガガーランが寝静まってから、議論の滞っていたところにペロロンチーノが顔を出す。アインズとヘロヘロは、昨日の件でしばらく口を利いてくれないかなと考えていたので意外だった。
とはいえ、ギルドで最も”和”を重んじていた彼らしいとも言える。
「あんだよ、ヘタレがぁ! 昨日のことを謝れやぁ!」
ぶくぶく茶釜の気分はいつだって空高い場所にある。のっけから全力で怒鳴りつけられていたが、ペロロンチーノは素直だった。
「あ、昨日はその、悪かったよ……悪いけど、ちょっと、席外してくんね?」
「何でよ、別に私がいたっていいじゃ――」
「いや、男同士で話したいから」
「はぁ?」
「頼むよ」
「……ちっ……くしょおおおお! 私だって女子会したいよぉぉ! あんちゃんもやまちゃんも帰ってこないしさぁぁ!」
ひとしきり駄々を捏ねまわし、彼女は寝室へ向かった。この先、41人の4名だけで過ごすのなら、彼女の孤独は時間経過で際立っていく。アインズへ何らかの対応策が求められていた、ような気がしていた。
(俺が女装するわけにいかないし……どうしよう)
ふと、竜王国の女王が頭に浮かんだ。ふてぶてしい幼児形態の彼女なら、茶釜と友好関係が築けるかもしれない。
シャルティアと茶釜の心理を
「ふー、行った行った。あの三人の服装ってムラムラするよね。なんか基本的にエロいっていうか、くのいちってみんなあんな感じなのかな。背中に乗せると、柔らかい胸の感触が凄くて」
「それは役得でしたね」
「本当、鳥にしてよかったですよ。ちょっと過激すぎるのが難点ですけど」
「それじゃあ、いつも前かがみですか?」
「そうそう! さすがはヘロヘロさん!」
「いや……失礼しました」
「何ていうか、今まではゲームだから触れなかったけど、今は手を伸ばせば触れるでしょう? ちょっとそこでどぎまぎというか、ドキドキというか」
「どうしたんですか。恋愛相談は出来ませんよ。俺の彼女はナザリックのメイドたちなもんで」
「あ、いや、そうじゃなくて、実はさぁ――」
人間とは勝手な期待し、勝手に裏切られ、勝手に失望する、存在そのものがつくづく勝手な生き物だ。裏切られた当事者2名、星の核まで沈みそうなため息を吐いた。
「はぁぁ………」
「はぁー………」
「え? なんで、そんなに落ち込むんですか」
彼が姉を追い払ってまで真剣に語ったのは、三つ子の嗜好についてだ。
「ティアがレズで、んで、ティナがショタ、ティラがバイってんですよ……それじゃ、俺はティラしか脈ないんですよね」
「知るか……」
「はい? ヘロヘロさん、何か言いました?」
「いえ……別に」
正直なところ、アインズもヘロヘロと同意見だ。恋愛ゲームは未経験だが、登場人物全てに手を付けられるのなら、随分と倒錯し、背徳的な世界観になる。女など、そうそうあちこちに手を付けるべきではない。制限が増えるし、友人同士で遊びに行く時間も削減される。
どのような切り口で彼に臨むか考えていると、アインズの頭骨上にひも付き電球が浮かんだ。妄想上で手を伸ばして紐を引けば、ペカーと電球が輝き、彼にとっては素晴らしい名案が浮かんでくる。
「ペロロンチーノさん。実は、前から思っていたんですよ。ボクは、運命というのを信じていませんでしたが、ことここに至って初めて信じてもいいかと思ったんです」
「なんですか、妙に勿体つけて」
「実は、偏った彼女らを攻略するために必要なアイテムは、ナザリックに揃っているんです」
「はあ」
パンドラが竜王国の女王を参考に制作した異形種人間化アイテムは、小児化する。これはティナを攻略するにちょうどいいのだと、凡人化しつつあるアインズは自慢げに言い放った。
「いや、それは確かに……でも、ティアは? ティラだって女の子相手に浮気するかもしれませんよ。なんてったってバイですから」
「そこで重要になってくるのが、シャルティアですよ」
ヘロヘロはこの先の展開が読めたらしく、頭を抱え込んだ。
(そんなにおかしかったかな……)
「ティアの好みは同性とはいえ、彼女の性別は女性です。シャルティアにも同性愛という設定がありましたよね?」
「あーっと……まぁ」
「だからつまり、シャルティアとティアがよろしくやっている場所に混ざればいいんですよ。シャルティアはこの世界基準で言えば……いえ、この世界基準じゃなくてもなかなかの美人です。性の対象が女性なら、彼女を無視できる人間はそういないでしょう」
流石のペロロンチーノも、アインズの言いたいことは把握できた。つまり、1対1ではなく、1対2で対峙すればいいと言いたいのだ。思わず苦言を呈したヘロヘロは間違っていない。
「アインズさん……下品」
「え?」
「まさか、アインズさんがそんなことを言うとは……」
「あ、あの」
「失望しましたよ……日ごろから女性に興味ないような振りしてたくせに、実はむっつりスケベだったんですね」
「俺もちょっと引きますね」
どうやら失言だったようで、羞恥心で顔が熱くなっていく。
(俺は、何てことを……ん? ……ちょっと待て)
恥じていたのは感情が抑制されるまでの短い時間だ。彼らの言っていることはブーメランでしかない。アインズはその動きに合わせ、論理を跳ね返す。
「ちょっと待ってくださいよ。ヘロヘロさんは、この世界に来て早々、メイド達に手を付けましたよね? 全部で何人ですか?」
「じゅ……14人ですー」
「ペロロンチーノさんも、3人を同時攻略しようとしてましたよね? 俺の1対2より、自分は1対3を目指してたわけですかぁ……はー、そんな人に言われたくないんですが」
「……バレちゃいました?」
「当たり前でしょう! だいたい、俺の言ったのは本当に名案だと思いますよ。まるで、3人はペロロンチーノ、シャルティアの両名に攻略されるためにこの世界にいたようじゃないですか! 違いますか!?」
声を荒げてアインズは立ちあがった。しばらく睨み合っていると、ペロロンチーノが笑った。
「ははは! 確かに! そっか、そのためにシャルティアがねぇ。それは思いつきませんでしたよ」
「じゃ、じゃあ、ナザリックに戻ってシャルティアに――」
「それは嫌です」
机に置いていた掌が滑って転びそうになった。
「まぁ、一つの攻略法だと思っておきます。ティナとティラだったらシャルティアは必要ないし、もうちょっと会話を押し進めたほうがいいかも」
「ちょ、ちょっと待ってくださ――」
「それじゃあ、お休みなさーい」
どうやら、今しばらく黒歴史に応じるつもりはないらしい。
彼が去ってから、要塞の応接間では二人のため息が何度も吐かれ続けた。
言葉を忘れた金糸雀は、獄門前で待ち続ける。
◆
待っている時間が長いと期待だけが膨らみ続け、結果を喜べないことがある。
また、望んだ結果になる保証がなければ、期待と同量に不安も膨らんでいく。
今日も彼女は扉の前、我に返って前を見る。
「あ……」
時間の感覚を失っていたようだ。
身を改めれば、こびりついた返り血が生臭い。その姿でペロロンチーノを待つのはどうかと思ったが、身支度を整えている間に彼が来たら目も当てられない。
だから彼女は動かない。
ふと、なぜ
(ああ、そっか……自分がされたいんだ)
おずおずと伸ばした指先をへし折られたい。
愛撫しようと突き出した舌を切り落とされたい。
抱きしめられたのなら、背骨まで砕いてもらいたい。
彼の弓で全身を射抜かれたのなら、そのまま絶命しても構わない。
創造主の手にかかって終焉するは、終わりの無い悦び。主に翼を捥がれた小鳥は、墜落して大地へ啜られる。身に余る光栄を想像しては、体の内側が濡れていく。
アインズの椅子になった過去は、今となれば妄想にも劣る。ペロロンチーノの姿を見た今、以前と同じ忠誠は尽くせないだろう。
”あの”アインズが彼の側を離れなかったのは仮説の立証。引き籠ってから幾度となく頭をかすめる、アインズよりペロロンチーノが優れているという誇りと不敬だ。
シャルティアはスポイトランスを取り出し、自らの手を貫いた。
「ひっ! つぅぅ……」
アインズへの不敬に対する、ささやかな詫びだ。引き籠っている自分には、そんなことしかできない。
既に覚醒の銅鑼は鳴らされた。知ってしまえば、知る前に戻ることはできない。彼女が覚えている限り、ペロロンチーノの嫁になれと言われた事実は動かない。一度でも芽生えた愛情の種火は、再び会いまみえることで強く燃え上がっている。鎮火するには、その身を永遠に凍結させるしかない。
「ペロロンチーノ様……」
ペロロンチーノが、アインズへ嬉しそうに自慢してくれた過去は消えない。目の前で談笑する彼らを、赤い両目で見ているのだ。アインズがモモンガと名乗っていた過去、頬を赤らめながらも身に余る光栄に浮かれたのは事実。
彼女はペロロンチーノを愛している。
先に愛してくれた、ペロロンチーノを愛している。
《ほら、見てくださいよ! なんて美人なんでしょう! 胸……はちょっとアレなんですけど》
《アレ?》
《いや、まあ、あんまり言うと運営にバンされちゃうんで。まぁ、やりたい放題やってやりましたよ! 設定なんて運営が確認しないらしくて、もうやりたい放題。しかも、この見た目でガチビルドですよ? ほとんどのプレイヤーはシャルティアにぶっ殺されちゃいますよ! ナザリックの防衛も盤石ですね。あー、早く敵が攻めてこないかなー》
《随分と入れ上げてますね……》
(えへへ……褒め過ぎでありんすぅ……)
時計の針が動き、日付が変わった音が聞こえた。瞬間、胸が暖かくなる薄紅色の蜃気楼は消えた。静寂が際立たせる孤独に震え、体の芯が無性に寒く思えてきた。
「寂しい……」
今日も、扉を開いて彼が訪れるのを待っている。
ペロロンチーノはいつか、この扉を開いて迎えに来てくれるのだ。
そうやって自分を誤魔化すにも限界がある。
彼女は待っているのではない。外に出るのが怖くなったのだ。扉はいつでも開くのに、依然として小鳥は鳥籠に籠っている。あれほど自由奔放だった彼女は、飛び方さえ忘れてしまったようだ。
ペロロンチーノの正妻でありたいなら、そう公言して歩かなければならない。わき道に逸れることなき一途な愛を、全身で囀らなければならない。いつもの自分はそうしたはずだ。
立ち上がり扉に触れると、足が震えた。
「……駄目、無理」
この扉を越えるのであれば、一切の望みを捨てなければならない。
ペロロンチーノが現れない理由。可能性として浮かんだのは、既に自分は自慢の部下ではないのではないかという危惧だ。万が一、ペロロンチーノに拒絶され、自分が不要とされてしまったら、二度と立ち直れないだろう。
彼女はアルベドのように頭が良くない、良くないどころかかなり悪い。武力は高くても、血を見て暴走する可能性が高い。性の嗜好も偏っているし、不死者なので世継ぎも産めない。既にアインズへは多大な迷惑をかけているし、ドワーフ国遠征では泣くほど怒られた。考えれば考えるほど、自分の価値が危ぶまれる。
最高傑作である自負が破壊されれば、過去まで遡って大切なものが壊れてしまう。錯乱した自分は、ペロロンチーノを初めとしたナザリックの害になる。ならばいっそ、その前に滅びてしまう選択肢もあるが、それもまたナザリックへ迷惑をかける。生きている価値のない僕ならば死一択なれど、その一択さえも選べない。
今ならアルベドの気持ちが痛いほどわかる。
創造主への愛がないのなら、アインズへの愛情はそれを踏襲した強いものだろう。そのアインズの手にかかって死を臨んだ彼女を、今さら責めるつもりはない。
ペロロンチーノを裏切り者だと言った彼女の失言を、無性に許してあげたくなった。今は、そんな記憶さえも愛おしい。まるで、自分一人だけで、とても遠くへ来てしまったような気分だ。
アルベドへ《
《なに! 誰? この糞忙しいときにぃ!》
《ごめん……もう許してるから》
《はぁぁ? シャルティアァ! 何を謝ってい――》
一方的に連絡を絶った。
この部屋は、暖色系の記憶に囲まれた楽園。黄金時代の残骸。愛された過去は部屋を埋め立て、自分は愛しい遺物に埋もれていく。
さりとて今日も、訪れることなき主を待つ。
ペロロンチーノが消えてから戻って来るまで、たかだか数年。ここから何年だろうと、同じ世界で息吹を感じていられるのなら、希望を胸に待てばいい。自分が彼にとって最高傑作でなくなったのなら、何の望みもなく永遠に待ち続ければいい。
希望が破り捨てられて、ペロロンチーノが死んだ後も続く、救いのない世界で。
出来損ないは待てばいい。
永遠に。
「な……い……」
一筋の涙が流れた。
いっそ、一思いに号泣できればすっきりするだろうが、ペロロンチーノに泣き顔など見せられない。彼女に出来るのは精々、歯を食いしばって感情を押し殺し、馬鹿な犬のように待ち続けるしかないのだ。
過去の栄光とは、そう簡単に捨てられるものではない。
愛される喜びを知っているだけに、少女は希望を捨てられない。
翼を捥がれた声なき金糸雀、今日とて開かぬ獄門前。
次回更新はチラ裏の番
※修正※
イジャニーヤの頭領名前をティラに修正